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1447 ナマコ岬=知内町字小谷石(北海道)この岬について書いている記事もほかにないだろうけど書けることもないので… [岬めぐり]

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 涌元から小谷石の間には、人家がまったくないと書いていた。したがって、涌元築港前のバス停から小谷石集落の東、滝の澗バス停の間3.8キロには、バス停がひとつしかない。ひとつでもあるのが不思議なようなものだが、そのバス停の名は“亥の子キャンプ場”。
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 ナマコ岬はそのバス停の南で、“逆くの字”型にちょっと膨らんだところである。キャンプ場がどこなのかよくわからないし地図にも記載がないが、海岸の道路脇のところか、あるいはちょうどバス停付近から一本だけ山にはいる細道があるので、それを登っていくのかもしれない。
 ナマコ岬という名も、なにも根拠なしにつくような名前ではなく、いかにも何かありそうだが、単純にナマコが獲れるところから…というようなことでいいのだろうか。
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 大方の地球上の生物に共通して言えることでもあるが、ナマコもなんでこんな生き物がいるのだろうかと不思議に思う。西洋ではカキについて同じような話が有名だが、夏目漱石は『吾輩は猫である』で、ナマコについて似たようなことを書いている。もっとも、それは名無しの猫が語る本文ではなく、「珍野苦沙彌先生虎皮下」として「在巣鴨 天道公平」なる得体のしれない人物から届いた意味不明の手紙のなかでであり、しかもフグとの合わせ技で出てくるだけだ。そこでは、「…始めて海鼠を食い出せる人は其膽力に於て敬すべく、始めて河豚を喫せる漢は其勇気に於て重んずべし。」としている。苦沙彌先生はともかく、漱石先生自身ははっきり西洋では有名な話を念頭に置いてのことだろう。
 しかし、でんでんむし的にはフグはともかくナマコはカキとともに比較的馴染みがあって、これを食べることにさほどの胆力は必要としなかった。昔からよく酢の物や大根おろしと合わせてコリコリと食べていた。たいして栄養にもなりそうでもないが、その食感や珍味を愛する食文化もおもしろいものだ。歴史的にみても、『延喜式』に載っているくらい古くからの食材であったようだ。食べていたのと同種かどうかは不明だが、潮が引いたあとの広島湾の海岸には、ネズミ色のナマコはそこらじゅうにごろごろしていた。
 それにしても、ナマコに“海鼠”という字を当てるほうにも、相当な胆力がいるのではないか。なにしろ、ネズミですからね。当て字の天才だった漱石先生も脱帽だろう。 
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 瀬戸内海の海岸では、わりとそこらにいたものだから、暖地性の生物かと思えば、北海道や青森でもよく獲られていて、乾物として利用する香港に輸出されているという。
 とりあえず、北海道にナマコ岬があってもおかしくないことはわかったが、それ以上のことはわからない。
 このナマコ岬付近の道は、岬から南は少し西に振れながらも南北に走っているが、ナマコ岬からはちょうど津軽海峡を挟んで、真東に正対して40キロ先が、下北半島の最北端、大間崎の弁天島にあたる。
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 また、南側の遠くにもうっすらと陸地の影があるが、こちらは南南西33キロ先の津軽半島の最北端、龍飛崎付近ということになる。
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 津軽海峡は国際海峡なので、ロシアや中国の船が通ってもOKなのだ。日露戦争のときには、バルチック艦隊がウラジオストクに入る航路として、津軽海峡ルートも真剣にその可能性が検討されていた。また、またもっと前に遡ると、開国以前からこの海域でのロシア船の往来がいくつもの歴史的事件事実として記録されている。当初は道東がその舞台だったが、だんだんと海峡を経て当時の行政の中心地であった松前に事件の現場は移ってくる。
 1786(寛政6)年のロシア商船による津軽海峡通過、1793(寛政5)年の大黒屋光太夫ら漂流者6名を連れてのラクスマン来航などを経て、1799(寛政11)年には幕府は松前藩の知内川以東浦河までを幕府の直轄にした。
 1811年(文化8)年にはディアナ号の艦長ゴローニンが捕縛され松前に移され監禁、続いて高田屋嘉兵衛船の拿捕などがあった。
 日米和親条約締結後、アメリカのペリー艦隊が箱館へやってくるのは、ゴローニン事件から43年後の1854(嘉永7・安政元)年である。
 はるか沖合を、大きなタンカーのような長い船が航行していた。それはどこの船だったのだろうか。
 ナマコ岬の南南西800メートルのところには、低いながら峠を越える出っ張りもあるが、そこには岬の名はついていない。その代わり、海岸の岩島には影泊島という名がつけられている。
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▼国土地理院 「地理院地図」
41度32分53.26秒 140度26分11.69秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2016/09/05 訪問)

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タグ:北海道 歴史

1446 狐越岬=知内町字小谷石(北海道)金山には当たらなかったけど温泉は出た知内町にはふたつのトンネルがある [岬めぐり]

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 海岸からは離れた山寄りの知内町内を走り抜ける新幹線のトンネルは、都合6つもあるのだが、道路トンネルはふたつしかなく、そのふたつとも涌元から小谷石へ行く道の間にある。
 長磯岬と孤越岬の間を抜ける“しおさいトンネル”は、330メートルくらいの長さしかない。涌元漁港のところにあった“いさりびトンネル”(こちらのほうは地理院地図にも記名がない)はその半分もなかったが、どちらもトンネルの名前としてはくだけている(くだけたるトンネル名はまったく例がないわけではない。三浦半島の佐島にも同名のしおさいトンネルがある)。だいたいは地名や地域名がつけられることが多いので、決まり切った名になるのだが、このふたつのトンネルについてはちょっと違う。それは、公募で命名したからだろう。
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 “道道小谷石渡島知内停車場線トンネル名公募”は、1995(平成7)年に行なわれている。そして、“しおさいトンネル”のほうは1997(平成9)年に完成しているのだが、“いさりびトンネル”については町史の年表にその記述がない。
 トンネル名公募とトンネル完成の間には、豊浜トンネルの崩落事故(1996(平成8)年)が起こっている。これはかなり衝撃的な事故だった。この岬めぐりでもその現場を通ったことがある。また、定点観測でもアクセスが多い岬としてあげていたのが、この岬だった。
 とくに同じような断崖絶壁を掘り抜いたトンネルが多い北海道内では、他所事ではなかった。その年には、工事中の“しおさいトンネル”の前で安全祈願祭が行なわれている。この事故以降、道内のトンネルの付け替えが各所で進んでいる。
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 前述したように、涌元以南小谷石までの道路は、1964(昭和39)年の開通であるから、このトンネルはそれからおよそ30年ほどしてから開通している。ということは、それ以前には別のトンネルないし旧道があったわけだ。
 長磯岬側は見えなかったが、孤越岬側には岬を迂回する旧道があったことが、車窓からも壊れかけたガードレールなどが見える。それで、そこに道があったことを伺い知ることができる。
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 旧道は岬の尾根を回り、その先にある岩島との間をすり抜けて走っていたらしい。この旧道もすでに、地理院地図からはその痕跡もみえない。
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 孤越岬の岩島(と書いているがこれは島ではない。だが、岩山というよりは岩島のほうがなんとなくぴったりするので)の岩肌は、黄色や赤く見える崖が露出している。
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 見るからに、マグマが噴出したときに水と接触して水蒸気爆発が起こり、それが冷却されて破砕されたような形跡であるが、知内町には温泉も湯ノ里の知内温泉やこもれび温泉がある。発電所の西側山裾にあるこもれび温泉は、同名の温泉が蔵王にもあるが、知内町のはプールなども備えた健康保養センターという公営の立ち寄り湯である。そこはバスでその前に立ち寄っただけだし、湯ノ里の知内温泉のほうも福島への往復で通過しただけ。
 このふたつの温泉は東西に1キロ弱の距離があるが、町の境界線の山から海まで伸びる断層の上に並んでいるようにみえる。
 いつできたのかはよくわからない(年表から探せなかった)がこもれびのほうは比較的新しい温泉なのに対し、知内温泉のほうは古い。なにしろ、“北海道最古の歴史を持つ温泉地”というのだから…。
 その開湯は、1247年とされている。宝治元年のこの年は、北条時頼が三浦泰村を討ち果たし、三浦氏が滅亡するという宝治合戦があった年である。
 アイヌの間では知られていたのだろうが、和人で最初にこれを発見したのは、源頼家の家臣荒木某という伝承も残っているらしいが、その人物はもともとは金山を探すためにこの地の探索に入り偶然に温泉にあたってしまったということのようだ。
 金山の話は当時かなり知られていたらしく、その後も長い間さまざまな動きもあったようだが、1766(明和3)年に至って幕府が派遣した目付の点検によって、金山の利益は期待できないとの報告があり、それで決着したということになったらしい。

▼国土地理院 「地理院地図」
41度33分12.33秒 140度26分19.03秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2016/09/05 訪問)

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タグ:北海道 歴史

1445 長磯岬=知内町字小谷石(北海道)小谷石で行き止まりになる道道531号線の涌元以南は半世紀前に開通 [岬めぐり]

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 蛇ノ鼻岬の次に現れるのは長磯岬だが、その前にちょっと追加しておくと、前項の蛇ノ鼻は涌元のほうから眺めたもので、いさりびトンネルというトンネルに入る前のことで書いていた。
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 しかし、国土地理院の地理院地図の岬名表記は、トンネルを出て東へ港を離れ、道路が90度にまた南へ向いてカーブする先の岩場につけられている。だが、この岩場は道路よりだいぶ低くて、目立つところではない。やはり岬が岬として認識されたのは、この岩場ではなくてその上に張り出した岩の崖と尾根を指してついたものであろう。
 このように、港の岸壁のすぐ隣に岬があるという例は、非常に多いが、それもまた船の出入りの目印でもあったからだろう。
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 長磯岬は、蛇ノ鼻岬のカーブを回るとすぐに見えてくる。
 細いが長い岩が突き出ているのが、その名の所以だろうか。
 そして、その長磯岬の向こう側には、もうひとつ別の岬も頭を出してくる。これは狐越岬で、このふたつの岬は、しおさいトンネルという350メートルのトンネルの北と南にある。つまり、トンネルの北側から見れば長磯岬で、南側から見れば狐越岬、ということになる。狐越岬のほうが長磯岬より大きく長いので北からは両方が見える。
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 知内町の年表によると、この涌元から南、小谷石までの道路ができたのは、1964(昭和39)年のことで、それから小谷石まで初めて路線バスが走った、とある。道道531号線が、行き止まりになる小谷石まで伸びてからは、半世紀ほどしか経っていないことになる。
 現在の住所表記では、蛇ノ鼻岬からが字小谷石になっているが、涌元から南の海岸線には人家はなく、道が終わる次の集落がバスの終点、小谷石である。
 では、道路が開通するまではどうしていたのだろうか。ムリに細い海岸伝いの道を通ったということもあるだろう。また、大方は船で往来していたのだろう。
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 知内町の西隣りにあるのは福島町だが、このふたつの町と郡を分ける境界線の南部では、岩部山から丸山と700〜800メートルの山塊が居座っていて、その尾根の南端が矢越岬となっている。
 小谷石からも矢越岬は越えられず、道もそこで行き止まりになっている。ここらが、道南の秘境たるゆえんであろう。
 海岸線が周回できないので、知内と福島を結ぶ国道228号線も、海峡を潜ってきた新幹線も、この山塊の北側で知内川が流れて尾根が切れるところを選んで通り抜けている。
 知内も涌元までは海岸に沿って平地が開けていたが、蛇ノ鼻岬からは山地にぶち当たるので、国道は知内川を渡ったところから西へ向きを変えて、知内温泉のある峠道を目指して、山を迂回している。
 そういう地理的な概念を、改めて確認しておくために、地理院地図で俯瞰してみよう。
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 この1キロ縮尺図と500メートル縮尺図では、蛇ノ鼻岬の位置表記が間違っている。この図で蛇ノ鼻岬とあるところは長磯岬であって、実際の蛇ノ鼻岬はその北側のカーブのところになる。
 町の年表では「知内町史」に、
 
「寛政2年正月2日いのこ泊り蛇の鼻の間に赤石と申処へ寄鯨」があったため、検分の役人・足軽武川七右衛門は両村の村役人の立ち会いのもとに蛇の鼻以西は福島の支配地と申し渡した…
 
との記録があるとしている。寛政2年というのは1790年で、伊能忠敬の測量隊がやってきて知内に泊まる10年前のできごとである。
 だがこの記録には、いささか不明な点、不審な点がある。
 まず、“いのこ泊り”と“赤石”の場所が、現代の地図からは探せない。赤石トンネルというのが白神岬の北東にあるが、これは離れすぎているので関係ないだろう。
 “寄鯨”というのは文字通りだろうが、それと“蛇の鼻以西は福島の支配地”となることの因果関係がわからない。なぜにそうなるのだろうか。
 それに、“以西”というよりも、“以南”というべきようにも思えるのだが…。
 この前後の記録がないのでその後どうなったのかは不明だが、このクジラがきた(あるいは漂着した?)ときには、知内と福島の境界が矢越岬から蛇ノ鼻へ大きく動いたことになってしまう。
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▼国土地理院 「地理院地図」
41度33分19.79秒 140度26分15.36秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2016/09/05 訪問)

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番外:2017年初頭の定点観測 So-net「地域」ブログランキングと当ブログのPV比較推移と項目別「訪問者数」 [番外DB]

★恒例の定点観測(2017)
 
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 定点観測を始めてから7年になるが、So-netブログが公表している「地域」ブログ上位?(このランキングの計算式が公表されていない。なにをもってのランキングかは不明なので?つき)25のランキングも、上のほうはほとんどメンツが固定したようだ。観測を始めて以来続いているブログは8件で、でんでんむしのもこのなかに含まれる。
 今年去年新たに登場したものが5件あり、そのなかには多くの記事数をもってランキングに上がってきたものが4件もある。それらは、それまでどこか別のところ(共通テーマ)にいた(投稿更新していた)のが、「地域」に移設参入してきたものとみてよいだろうか。順番の下のほうは激戦で、入れ替わりも激しいようだし、この季節だけここにあがってくるものもある。
 データをブログ上に表示していないものも3件あるが、それ以外は「nice!」「記事数」「up」(2016/12のアップ数)の数値を、それぞれのブログから拾ってある。公開されている情報は、それくらいしかない。
 So-net で重要視されていて、ランキングの主要な要素にもなるらしい「nice!」は、その数が10万を超えるものが、リストの約半分を占める。
 「n÷記」というのは、一記事あたりの平均「nice!」数で、これが100前後からの(依存度が高い)ものは9件に及んでいる。「up」は前月2016年12月の投稿記事数。
 また、「地域」欄の◎印は、実際に「地域ブログ」の、「新着記事」と「アクセス記事」「nice!記事」の各「最新」「デイリー」のなかに登場しているものである。これも七不思議のひとつだが、◎印がないものは、記事の投稿は「地域」以外のどこか別のところであるのに、ランキングだけは「地域」になっているものを意味している。でんでんむしが秘かに“不在地主”と呼んでいるその件数も、若干の出入りはあるが数ではあまり変わらないで推移しているが、上位25件のうち地域ブログに書いていないのが15件を占める「地域ブログランキング」って、いったいなんなんだというのだろう。どうにもわからんのであります。

★「岬めぐり」ブログの季節変動?
スクリーンショット 2016-12-26 06.48.09.jpg 
 前項でも書いたが、2016年秋からは、更新回数を徐々に減らしてきているので、それによるアクセス数の落ち込みは当然あるはずでそれも明らかだ。
 けれども、それがなくてもこの「岬めぐり」ブログでは毎年夏の時期には高揚するが、それが秋風が吹くととたんにしゅんと下がってしまうという傾向があった。近年5年間のデータで、それを確認してみよう。(上のグラフ)
 「アクセス解析」の「日別 & ランキング」から、過去5年の月別の「訪問者(数)」を拾い出したグラフを見れば、例年のように9月から下り始め、2月が底をうつと、そこからまたじわじわと夏場のピークに向かって登り始める。2014年だけが5月ピークになっているが、これは例外的である。
 その原因もはっきりしていて、2014年3月後半から5月にかけては、先島諸島の岬めぐりの間に、「でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました」などの短期連載を挟み込んで、毎日更新を続けていたからだ。(2013年8月のピークは通常の隔日更新)
 2012年と2013年は秋から暮れにかけての落ち込みが抑えられているが、だいたいにおいて、秋から落ち込むという実感は、データでも証明されているわけだ。とくに2014年以降は、その傾向は顕著で、2016年は更新間隔を開けたことでこれにいっそう輪をかけて底を更新する勢いで落ち込んでいる。
 さて、そこで問題はなぜこうした季節変動があるのか、この背景にはなにがあるのか、ということだ。だが、“いまはもう秋 誰もいない海”といった単純な季節変動ではないのだろうと、でんでんむしは想像している。
 それともうひとつ、データを拾いながら考えたのは、このブログの場合、過去の蓄積の効果が現れていない、ということだ。普通、データを蓄積していけば、その分だんだんと上積みされていくと思うが、当ブログではそれがほとんど見えない。
 2012・2013年とは明らかに積み重ね効果が出ているようにも思われるが、2014年後半からは2015・2016年と毎年御破算で願いましては…とチャラになっているようにも読み取れる。仮にこれは、毎年の秋からのダウンと合わせて“賽の河原疑惑”とでも呼んでおくことにするか。
 この問題も含めて、So-netブログはなかなか奥が深く、解けないナゾだらけである。

「岬めぐり」ブログの項目別の「閲覧数」
 10年経過時点でのまとめの意味で、「記事管理」のなかから、項目ごとの「閲覧数」というものの数字を抜き出して、多い順に並べてみた。(数字は2017/12/26現在)
1〜50
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51〜100
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 今回もまたトップは変わらなかったし、NHKが2016年末にはこれまでのまとめと2017年初のお正月時代劇では「居眠り磐音シリーズ」の完結編(これがまた、どうでもいいようなとってつけたようなものであったが)を放送するというので、ここへきてまたこのページを見る人が増えている。だが、どういうところ(リンク?)からやってきたのかは不明。(検索ではS0-netブログなどは拾われていない。)
 ここには「閲覧数」でくくってみた。ちなみに、「アクセス解析」の「ページ別」「時間別」をみると「訪問者数」「ページビュー」というのもある。足算をして確認してみると、「閲覧数」は「訪問者数」の合計と一致する。「閲覧数」というのは「訪問者数」のことなのか?  しかし、一般的な国語の知識で判断すれば、「閲覧数」と「訪問者数」というのは、別のことだと考えるのが自然であるが、So-net の常識はちょっと違うものであるらしい。
 これも七不思議で書いているように、考えれば考えるほど、これら「訪問者数」「ページビュー」の数字の背景にある見る側の閲覧行動とカウントの意味はナゾで、頭の悪いでんでんむしにはいまだにわからない。
 で、わからないままに数字を拾って並べてみたのが、上の1〜50、51〜100のリストである。
 「岬めぐり」ブログなのに、上位はみんな本編の岬の項目以外の番外などの項目である。いちばんになっている岬は、実在の岬ではないし、岬が目的で見にきた人はいない(はず)。これは、裏を返せば、「岬」またはその「めぐり」などというもの自体が、そんなに広い一般人の関心対象ではない、ということであろう。
 実在する岬のいちばんは8番目の「716 チャラツナイ岬・蛸穴ノ岬」の項で、これは大事故があった北海道の豊浜トンネルのところである。これはまだ一時期世間の耳目を集め、注目されたという場所には違いないが、その次に多い10番目の「070 雨崎(神奈川三浦」に至っては、なぜここがそんなに多くの訪問者があるのか、まったくわからない。(このことは前にも書いた。)
 以下、上位50項目の中で、みんなが知っていそうな岬を探しても、やっと31番目に足摺岬が出てくるくらいで、ほとんど誰も知っていそうにない岬ばかりだ。
 ならばと、今回もう少し掘り下げて、100まで広げてみても状況はたいして変わらず、宗谷岬も襟裳岬も竜飛崎も伊良湖岬も室戸岬もいっこうに出てこない。
 そもそも、岬なんてほとんど一般人の興味の対象ではない、マイナーということなのだ。(それをいっちゃぁおしまいよと…)
 でも、そこがまたこの「岬めぐり」のおもしろいとこなんだけど…。
 まあ、自分がそう思ってりゃあ、それでいいのかナ…。

dendenmushi.gif(2017/01/02 記)

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番外:So-netブログ10年を経過しました…とにかくなんとかかんとかここまでは続けてきたが(軽くふりかえってみた) [番外DB]

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記念すべき岬めぐりの最初の項目は地蔵崎

1 So-netとのおつきあいは
 2016年は、So-netブログで「でんでんむしの岬めぐり」を始めて以来、ちょうど10年となった。登録をしてテストを始めたのは2006年春だったが、その頃はまだ試行錯誤中で、実質的にSo-netブログに決めて、公開開始してからはこの秋で10年を数える。
 So-netとのおつきあいは、東京の仕事場の建物ごとでネット環境が整えられたときから始まっていたが、当時はブログは他のところでやっていた。ほかのブログもいろいろ試してみたが、どうも操作性もよくないしブログ環境が気に入らなかったりで、いろいろあって結局このSo-netブログだけが残ってメインとなって長続きしている。
 So-netブログのシステムが優れているかと言えば、それはまったく違う。とんでもないことが多すぎ(「So-netブログの七不思議」シリーズでたくさん書いているのでそちらをご参照くだされ)て、ブログのシステム設計と環境としてはおよそ評価できないのだが、相対的にみて操作性がまずまず、というのだけが取柄で続いている理由であろう。
 毎日更新はちょっとしんどいので、隔日更新を基本にしてやってきた。が、2012年の石垣島だよりの連載中や、2014年の年表の掲載時などでは毎日更新もしてきたし、途中では変則的に月火水更新にしたり、不規則なところもあった。2009年の11月末から2010年の3月末までは、4か月の空白もあった。これは、ちょっと浮気をしようとしてあちこちふらふらしていたのだが、結局元のさやに収まるべく舞い戻ってきた、といういきさつもあった。
 そんなこんなで、途中プロバイダは変わっても、ブログだけはSo-netのままで続いてきた。

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潮岬はこの岬めぐりの原点だったかもしれない

2 東日本はなんとか西日本がたいへんそう
 それまで、かなりいいかげんなつまみ食いでやっていた「岬めぐり」を、ちゃんと本格的に全岬を対象にして再起動することにしたのも10年前で、それもSo-netブログの正式開始と軌を一にしている。
 全国で3,700を超える岬・崎・鼻として、国土地理院の地図に記名があるもののすべてはとても行けないし見られないだろうとは思うが、行けるところまで行き、見えるかぎり見ることに決めてからは、地域ごとに沿岸を辿るコースを考えて計画を立て、3〜5泊程度の岬めぐりを積み重ねてきた。
 その項目数はようやく1,400を超えた(岬項目以外の番外その他を加えるた記事数は1,800を超える)が、まだ全岬総数の半分にも達していない。
 最初は島は後回しにしようと考えていたが、二度手間にならないよう、ついでに船で行けるところは計画に入れるようにしてきた。その結果、一部にはまだいくらか積み残しがあるものの、10年で東日本の主だったところはだいたい回ることができ、その全岬を回ることができるメドはついた。
 「岬めぐり」は決して「踏破」とか「制覇」を目的としていない。「ゆる〜く」「のほほ〜ん」と回りたいというのが正直なところで、そのめぐり方も岬によってさまざまであってよい。実際に岬の上まで行ってそこに立つ場合もあるし、遠くから眺めるだけのこともある。てくてく歩くこともあれば、バスや電車で通りすがりに見るだけのこともある。
 南西諸島を含む西日本も、これまでもだいぶ回ってはきたが、まだまだこちらでは残っているところのほうが多い。地図でみると「ここへは行けそうにないな」という岬もたくさんあるので、これからあと10年かかっても全部クリアはできないだろう。それは、ひとつには島が多いせいでもあろう。島では周回道路もバスもないところが多いので、なかなか苦労しそうだ。
 それに第一、あと10年生きていられるかどうか、それもあやしい。生きていたとしても、自分の足で岬めぐりができるかどうかもわからない。
 まあ、行けるところまで、続けられるところまで…というつもりだが、願わくば“岬めぐり”の途中で、どこかの岬でポックリと行き倒れるというのがいちばん理想的かもね。

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皆様よくご存じの最北端の岬

3 電車とバスで行くので
 車をころころ転がしていけば、もっとカンタンに行けるし、うんと効率は違うはずなのだが、免許がないでんでんむしは、もっぱら電車とバスの公共交通機関を頼りにしなければならない。
 高速道路と自動車の普及が急速に進み、ねこもしゃくしもマイカーに憧れた時代に生きてきた世代としては、免許がないというのは、ちょっとめずらしい部類に属するのではなかろうか。今やその世代が高齢者になり、ハンドルにしがみついている姿を、世間は冷たい眼で見るようになっている。
 電車とバスで岬を訪ね歩くというのは、車で早回りするのとはおのずから異なる風景が周辺に展開することに気づく。それも結果的には、岬についてその周辺について、ぶらぶらするにはちょうどいいのかもしれない。
 岬めぐりで訪れる地域は、都会は少ない。その多くが地方の市街地からはずれた地であるといってもいい。そこでは、人口も流出し、かつての繁栄さえも消えて、公共交通機関が成り立たなくなってしまったという光景を、しばしば眼にする。
 結局、自動車にみなが憧れ、それを手にする、いや足にすることに懸命になってきた結果、それと社会がどう折り合いをつけていくべきか、それとの調和は誰も考えないままにここまできてしまったのではないか。過疎地ほど一人一台の車が必要なっているという妙にアンバランスな現実こそが、現在の社会のゆがみの象徴であるような気さえしてくる。もちろん、現実にはそんな単純なはなしではなく、原因がひとつでないことも百も承知だが…。
 でんでんむしが車を持たなかった理由は、単に横着とへそまがりのせいだが、そういう車社会に突き進むことに疑問を感じていたからでもある。

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10年前リスタートの岬めぐりは足元の三浦半島から

4 日本列島の輪郭を描き出そうと
 公共交通機関でめぐるというポリシーでの移動は、すべてが電車やバスの運行ダイヤに依存するので、はなはだ不自由で制約も多い。そこにはまたそれぞれのドラマもあるのだが、どこそこからの何時のバスに乗ってどうしたという旅行記録そのものは、詳しく書いてもすぐ変わってしまうし、たいして参考にならない。むしろ書かないほうが親切、と考えていっさい省いている。
 ただ、できるだけ単なる“○○へ行ってきました旅行記”にはならないようにしたい。あれやこれや、岬とその周辺についてほじくり出して、盛り上げようとしている。いわば、岬をダシにしつつ日本列島の海岸線(輪郭)をなぞる、というつもりもある。もちろん、同じ輪郭をなぞっても、伊能忠敬のような大事業でも、意義あるものでもないのだが、それでも自分なりに日本列島の輪郭を描き出そうとしているつもりなのだ。
 岬めぐりブログでは、原則として一岬一項目。その岬を訪ねての印象や感想をとりとめなく書くというのがでんでんむし流。ネタがなければしょうがないが、むりやりでも一岬一項目にはする。これがまたなんとかかんとか、探せば書くことはなにか出てくるし、それを探すのもおもしろい。

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これがいちばんアクセスが少ない岬だなんて

5 これは脱線ではなく本線なので

 ときには歴史や地質学や地図などにもちょっとだけ踏み込んだりしているが、それも本線であって決して脱線しているわけではなく、それらもみなでんでんむしの趣味なのだ。
 歴史はたいていざっとは知ったつもりでいても、その地域に実際に行ってみて、そこで特定の人名やできごとにふれるというのは、また格別の趣がある。有名な史跡などではなくても、ここでそんなことがあったのかと知るのは、その息吹を感じることができる。
 地質もでんでんむしの昔からの趣味ではあるが、いっこうに深化しないまま興味だけは持続してきた。そもそも、岬という地形自体が、浸食作用に耐えて残ったという固い地質条件を備えていたからだが、その岩や崖がいったいどういうわけでそこにあるのか、それを問いかけては自分で調べてみるのが楽しい。シロウトの趣味だからタグにも「学」をつけないほうがよかったかな、と反省中。
 地図もこどもの頃からのともだちで、地形図を眺めてはまだ見も知らぬその土地の風景を空想するのが好きだった。そこで、地図もサブテーマとして折りに触れていろいろ書いてきた。
 当初は、So-netのマップを使っていたが、それもサービスを止めてしまったので、こういうものは当てにしてはいけないということを学んだ。MapionもZENRINになってしまうし、結局ネット上ではまともな地形図を無料で提供しているのは国土地理院のみ。ところが、これがまたデータがちょっと古くて更新が追いついていかないのが残念だが、まあしかたがない。

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これもなぜかアクセスが少ない岬なんで…

6 So-netブログはのれんに腕押しぬかに釘
 “ひきこもり原則”を標榜しているでんでんむしブログは、岬めぐり情報の記録蓄積の場をSo-netに借りているというつもりなので、他のブログを逍遥してnice! ボタンを押しまくって、自分のブログにもそれをたくさん集めたりしない。ブログ仲間やお友だちの輪をつくり、ひろげようというつもりもない。当初はまったく無視していたが、途中からnice! をいただいたところには答礼訪問をすることにした。2012年からは「きた!みた!印 」という表記に、かってに変えている。
 もちろん、アクセス数を増やしてポイントを稼いだり、広告を入れてなにがしか小遣い稼ぎをしようという気もないから、そういうものはいっさい意図的に排除している。
 したがって、nice! の数もSo-netブログがしきりに強調しているランキング(これがまた不可解!)もどうでもいいと思っている。いや、当初はまだSo-netブログをもっとよくするためにと、もう少し納得できるシステム設計を考えるべきではないかと、いろいろに疑問を呈し意見を述べてきたつもりなのだが、肝心のSo-netのほうがのれんに腕押しぬかに釘。まったく問題意識もなく聞く耳も見る眼ももたないという姿勢らしい、とわかったので、これはもうどうでもよくなってきた。
 10年かかって得た結論がそれでは、いかにも淋しいのだが…。こちらも割り切って毎月302円払って、場所を借りるだけに徹する。
 それでも、「nice!はナイスではない」から、So-netにその気がないならユーザのほうで勝手に変えたらどうかという提案は、いくらかは賛同者を得たのか、当初から比べると自分なりのボタンに変えている人は増えている。
 そういうひきこもりだから、So-net内でnice!をつけ合うお友だちも少ない。増やそうという努力をまったくしないので、“自然増・自然減”にまかせている。ふりかえってみれば、ああこんな人もきてくれていたなあ、と懐かしく思い出すのもあるが、たいていは自然に消えていきまた新しい人がやってくる。

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沖縄本島の最北端やんばるの辺戸岬

7 著作権注意喚起の責任も放棄したまま

 So-netにはたびたび容量増加につど訴えてきて、いまだにいっこうに改善されないのが、著作権についての注意喚起。So-netも買収して進出するはじめのDeNAなどと同じく、著作権の責任は記事を書くユーザの責任であり当局はいっさい関知しないのでそのつもりで…というつもりなのだろうか。
 唯一、ブログの容量を追加する申請をするときにだけ、一瞬「著作権」のリンクが現われるのだが、これを押してもNot Foundになる。こういう状況がもう何年もほったらかしで、注意しても改善されない。この一事をもってしても、So-netもどうしょうもない組織であるらしいと推測できる。
 でんでんむしも、著作権については別記事を設けてリンクを貼っている。それは、事業者が動かないなら自分で動こうと思ったからだ。ネットのお陰でものを書き発表するという人が不特定多数に一気に拡大したことにより、さまざまな問題が起きることは、容易に予想されるからで、まずは普通の人が知っておかなければならない著作権の基礎をまとめていた。(So-net 初出 2013/09 続編2014/06)
 ところが、始めの記事には思わぬ反応があった。ある人から、それには承服しがたいという主旨の、若干居丈高で脅しめいたメールをもらったのだ。これにはいささか驚いたが、まあ最大限譲って相手の気持ちを汲んでみようとすれば、「あまり著作権のことをうるさくいえば文化や言論の発展と自由を阻害する」ということなのだろうか。あるいは、SNSなどを意識したものだったのだろうか。
 もちろん、その一面はあろうが、著作権法はそのことも踏まえていて、“引用”についてはルールを設けて認めている。だが、SNSのようなものは想定していなかった。それについては、まったく避けていて経験もないでんでんむしには判断ができない。
 ネットにたずさわる人々には、最初から著作権に関する認識が欠けていたのではないか。それがネットにあるものは公共物で誰がどうしようと自由だとか、ネットに“落ちているもの”を拾って使って何が悪いとかいう誤った考えをもっている人を多く生んでしまったのだろう。昨今のキュレーションメディアの問題なども、根底にあるのはそこだという気がする。
 著作権を守る義務は、当然書く側にあることは言うまでもないが、一般の人がブログに書く場合の注意喚起の責任は、著作権法に無知な人を集めてそれを運用しようというSo-net など事業者に、まず第一の社会的な責任がある。そして残念ながらいまだにSo-netはその責任を放棄したままでいる。

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500項目目は中禅寺湖そうなんです湖にも岬はあるんです

8 スルーする理由は
 ブログの内容は人によってさまざまなので、どうやろうとなにを書こうと勝手自由であるべきだろう。それを大前提としても、守られるべき社会的なルールというのは厳然としてあるはずだ。著作権はそのひとつで、まかりまちがえば法にふれることになる。
 親告罪である著作権違反は、見逃されてしまうことが多い。無邪気に法にふれているブログも、たくさんありそうだ。
 たくさんのブログを見ない、見るのは「きた!みた!印」の返礼訪問くらいしかないでんでんむしは、もとよりその判定審判を買って出るつもりもない。が、これはちょっと?…という場合はスルーすることにしている。しかし、なかにはその判定が微妙でむずかしいのもあるし、第一その人がどのようにしてその記事を書いているかもわからない。だから、疑わしくてもそのまま悩みながらnice! ボタンを押してしまうこともある。
 それともうひとつ、でんでんむしがスルーさせていただくのは、内容がないもの、あるのかも知れないが当方にとってはまったく意味不明のもの、単なる宣伝の片棒かつぎに過ぎないものなどで、そのことも当初から変わらぬポリシー(これも、サブカラムに掲げている。)なのだ。
 まあ、それでも「nice!」ではなく別のボタンになっていれば押すかも…。

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1000項目目は被災地の岬めぐりでした

9 「番外」と臨時テーマも
 岬めぐりの途中でふれたことに関連して、「番外」項目を設けてきたが、これも100項を超えた。岬そのものではないが、その周辺で気のついたこと、おもしろそうなものを取りあげ、あわせて岬めぐりルートの流れを記録しつつ、その地域をチェックするという狙いもある。
 また「番外DB」という項目もあるが、これは主に岬に関する一般的な情報や、ブログの統計的な記録を残しておくためのものである。
 そのほか、岬とは無関係に、臨時にテーマを定めて短期連載を挟み込むということもやってきた。それは、でんでんむしが一時住んでいたり、滞在していたり、思い入れのある故郷のことであったりする。それもまた「地域」には違いなかろうと、このブログに混ぜることにした。
 「でんでんむし@アーカイブス★」などと、これまた勝手な名前をつけてまとめている項目は、個人的な興味で集めていたデータだが、あまりネットにはなさそうなので公開している「道歌」と、ほかにもいくつもありそうだが自分のものとして歴史年表を引き寄せるためにつくった「思い出の索引」がある。
 別ブログにしてもいいのだけれど、それほどのボリュウームでもないので、ひとつにまとめている。
 別ブログといえば、同じSo-netブログで、岬めぐりの全項目リンクリストを別に設けている。これは時系列なので、外のブログには都道府県別 Link List もつくっておいた。
 それらへのリンクは、ブログのサブカラム(サイドバー)に表示している。

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1400項目目は越前海岸の岬めぐりでした

10 しばらくは引き延ばし作戦で
 ところが、以前からこのSo-net ブログが提供しているデザイン(でんでんむしはそれを独自に加工して使っている)が、まったく省略されて、だた記事と写真だけをずらずら並べたようになっているのを見つけて、気になっている。それでは、サブカラムも見えない。
 どこで誰がそうしたのかくわしくはわからないが、どうもスマホ用にするためであるらしい。
 確かにこの頃では、コンピュータで見る人よりもスマホで見る人のほうが多いらしい。だからといって、それはないだろうと…。
 スマホで見る人は、パソコン対応画面にして指でチョンと画面を大きくして移動させながら見ていただきたいものだ。スマホ対応用のデザイン変更もできるのだろうが、まだそこまではやる気がない。

 さて、原則として、隔日更新を続けてきたこのブログも、2016/10からは更新間隔を少しづつ開けてきている。それにはいくつか理由がある。ひとつは、この秋に広島か札幌かで日本シリーズ観戦がてらのつもりが、まったくチケットがとれなくてどちらにも行けなかったこと、もうひとつは2017年はしばらくブログなど書いているヒマがなくなることである。
 その間お休みにしてもいいのだが、まったく切れてしまうのも淋しいので、間隔が開いても細々とでも更新を続けたほうがよいかもしれない。
 まあ、そんなこんなでしばらくは引き延ばし作戦。5日に一度くらいになります。
 当然、ランキングは下るのだが、それはいい。ただ、実際のアクセス数もこの秋から大幅に落ちている。これはナゾのひとつなのだが、例年決まったパターンがあるかのように、「でんでんむしの岬めぐり」は秋になるとガクンと落ちる。
 これもおもしろいねえ。(これについては、次項でまた)
 岬めぐりだから、夏場はそれなりに盛況だが秋になると静かになる。そういう季節要因が影響しているのかとも考えてみたが、あまり納得はいかないんだよね。
 では、次回はお正月恒例の地域ブログランキングの定点観測だが、ここでもナゾが解けるわけではないのです。とにかく、お正月飾りの恒例だからやるだけやってみましょうかね。

dendenmushi.gif(2016/12/29 記)

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