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1442 茂津多岬2=久遠郡せたな町瀬棚区北島歌(北海道)巨大な山塊が落ちる海岸を4つの長いトンネルで抜けるところ [岬めぐり]

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 茂津多岬のことは、「870 茂津多岬=久遠郡せたな町瀬棚区北島歌(北海道)とりあえずここは遠望で確認しておくだけです」として、以前にも項目にあげていたが、そこで白状しているとおり、その岬に行ったわけではなかった。
 今回、ここでまた「茂津多岬2」としてあげるのは、いささかのはばかりもあった。というのも、今回の2もまた遠望のみだからだ。
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 それでもあえて、ここでまた遠望で2をとりあげておく“理由その1”は、茂津多岬はなかなかそばまで行くことができない岬であること。そして、“理由その2”は、今回は、奥尻島からの遠望で、この岬をより西の海側から眺める機会はそうそうないから…。
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 奥尻島の最北端である稲穂岬から、茂津多岬までは東北東に46キロ離れている。かなりの遠望なので詳細は見えず、そのシルエットだけになるが、それにもまた意義があると考えた。
 前には、せたなの水垂岬からの遠望だったが、稲穂岬からの遠望はさらに17キロ西寄りになるが、南北には10キロほど遠くなる。
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 こんなことに意味があるのかどうか、書いていても不安になるが、今回は台風の影響で函館本線が不通になったために、当初計画していたせたなの北部ぎりぎりのところまでコミュニティバスで行って、茂津多岬を南からいちばん近いところからみるというプランが、まことに残念なことにおじゃんになってしまったので、その記録という意味はあるだろう。
 この落とし前を、いつつけられるか、現在のところまったく見通しが立っていないし…。
 茂津多岬はなかなか行けない岬で、これまでなんども計画してなかなか実現できていない。その理由は、ひとえに交通の便が悪い、公共交通機関はまったく走っていない場所にあるからだ。
 北からは島牧村のバスの終点である栄浜までで、南からはせたなの須築(すっき)でバスは終わっている。
 そして、この栄浜と須築の間には道はあるが、約11キロの間に5つのトンネルが連続する。そのひとつを除いてあとはみな長いトンネルで、そのなかでもいちばん長いのが1.9キロの茂津多トンネル。このトンネルで島牧村とせたな町の境界の尾根(400メートル)を越える。
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 そこは1520メートルの狩場山から西へ伸びる尾根の終点で、尾根の先がトンカチの頭のようになっていて、西の海へは200メートルにおよぶ急斜面が落ちている。その断崖の西の端が茂津多岬と中茂津多岬、さらにその北に冷水茂津多岬とあって、境界線はその真ん中のほうだが、南側から見えているのは茂津多岬だけになる。
 トンカチの頭の上は南北に長い台地になっていて、島牧村側には茂津多岬灯台がある。地理院地図をみると、南の須築橋からトンカチの上に登る自動車道が途中まであり、ちょっとしたハイキングで行けるらしい。ただ、クマよけの注意が必要。
 公共交通機関がないなら、マイカーやレンタカーなら行けるかといえば、どのみちこの道はトンネルばかりだから茂津多岬はどこからも見ることはできない。
 やっぱり、でんでんむしとしては、須築漁港の岸壁と弁天岬の上からくらいがせいぜいなのだが…。
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 茂津多岬の左手に、遠く細く伸びる陸地は、積丹半島だろう。

追記:「1440 滝ノ澗岬=奥尻郡奥尻町字稲穂(北海道)“海栗前”では読めんじゃろと北回り町有バスの終点は“野名前”と変換」の項について、ChinchikoPapaさんから二回続いてコメントをいただいたので、参考までに追記させていただく。

1 ウニは「nino」ですが、島言葉の方言で「nona」と発音したことがあったんでしょうかね。「セタ・ナ」の町名も気になりますね。

2  先ほど、何気なくアイヌ語辞典を調べてみたら、「uni」ないしは「uni(hi)」には「家々」「家屋」「住宅」という意味がありますね。もし、ウニが「海栗」ではなく「uni」のほうだとしますと、それに和語の「前」を付けることで、「集落(の前浜)」ないしは「集落(の前海)」というのが当初の意味だった可能性もあります。

なるほどね。確かに和人が音で和語のウニに当てはめてしまったということも、可能性としてはおおいにあり得る。
ChinchikoPapaさんからは、時折なかなか捨てがたいコメントをいただくので、残しておきたいときにはこうして記録させていただいているが、この1のコメントがついていた項目記事を読んで、改めて驚いた。
So-net「地域ブログ」のなかでも、数少ない内容の充実度に加え、12年にわたって「下落合」という一地域に絞って精力的な調査と発信を続けておられるのには、脱帽する。そのうえ、「訪問していただいた方々(PV)は東京都の人口を、そろそろ超えようとしている」し、1日の総閲覧数も4000もあるというから、たいへんなものだ。

でんでんむしなど、足元にも及ばないのだが、当の「岬めぐり」ブログは、隔日だった掲載間隔をダウンさせている。ここのところ2016年10月からは3日に一度に落とし、さらに12月からは5日に一度の更新にしている。これについてはいくらか事情もあるのだが、それはまた…。

▼国土地理院 「地理院地図」
42度36分22.21秒 139度50分2.34秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2016/09/04 訪問)

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タグ:北海道

1441 勝澗岬・ナカハマ岬=奥尻郡奥尻町字湯浜(北海道)見えない岬もひとまとめにして島一周の輪を閉じる [岬めぐり]

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 このあたりのことは、奥尻島の岬めぐりの最初で、「1425 北国岬の項」にも書いている。島の北から逆時計回りと考えるとすれば、そこに着目しておかなければならなかったからだ。
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 これで島をひとめぐりして、時計で言うとここ11時付近につながったわけだ。だが、ここから最初の岬としてあげた北国岬との間には、西へ、そして南へといくつもの岬がある。そして、それらは全部道もなく、行けない岬なのだ。すでに書いたことと一部ダブリ気味にはなるが、ここで一周の輪を閉じておかなければならない。
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 稲穂岬より西の岬には、まず前項の滝ノ澗岬があり、そこから西南方向に4.7キロ直線を引いたところにあるのが勝澗岬となる。道はないし、バスも行かないので、そこは野名前(海栗前)から眺めるだけだ。
 ガロ川のほかに大岩生川という島では大きな流れが注ぐ海岸には、遠目に見てもわかるほど、白っぽい石の塊がゴロゴロと、まるで並べ敷き詰めたようにある。
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 滝ノ澗岬と勝澗岬の間は、50〜100メートルくらいの段丘が続き、地図で見ると3つくらいの緩い膨らみが数えられるが、それらは無名で、その先にある勝澗岬の大きな膨らみと、その周辺の岩礁地帯で突出している岩島が並んで沖に向かって伸びているのが肉眼でもしっかりと確認できる。
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 勝澗岬の南の山塊のなかで、ひときわ高く飛び出ているのが、標高427メートルの勝澗山であろう。
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 地図では勝澗岬の1.5キロ西に続くのが湯ノ岬という岩の出っ張りだが、これは海栗前の港からは勝澗岬の陰になって見えない。稲穂岬からだと見えている可能性もあるが、ちょっと遠すぎて、こういう内側にある出っ張りは確認できない。
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 湯ノ岬から西北側に650メートルのところには、ナカハマ岬がある。
 これは、40〜50メートルの立岩の大岩壁が、柱を立てたように見えている。この岬の先にも岩島が連なっていて、遠目にもわかる。
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 ここもなかなかの奇景で、アクセスさえよければ、立派な観光ポイントになるようなところである。残念ながら、そこには船でも寄せる以外に近くに行く方法がない。
 ところが、このナカハマ岬の向こう側、西側の入江に面した海岸には、地理院地図では一軒だけ四角い建物の記号が記されている。そして、その入江には先の「勝ノ澗」に続いて、「美ノ歌」という使われなくなった小字名が表記されている。
 この付近は現在の字名では奥尻町字湯浜になっており、この湯ノ浜と東の稲穂との境は、大岩生川を境界線として分かれている。
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 ナカハマ岬の大岩柱の向こう側には岩島のように、小山のように見える出っ張りがあるのだが、これがナカハマ岬の西南西1.15キロにある磯谷岬の一部なのか、それともそれはまだナカハマ岬の一部なのか、遠望では判断がつきかなねる。
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 磯谷岬から南南西に730メートル下ったところが、蚊柱(わしら)岬である。これも、幌内からも見えなかった。
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 これで、勝澗岬・ナカハマ岬以外の、見えない岬は、湯ノ岬、磯谷岬、蚊柱岬の3つを数える。
 そして、北国岬から始まった島の一周の輪は、これで連結ということにしておこう。
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▼国土地理院 「地理院地図」
42度13分18.58秒 139度28分28.21秒 42度13分3.48秒 139度26分56.91秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2016/09/04 訪問)

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タグ:北海道

1440 滝ノ澗岬=奥尻郡奥尻町字稲穂(北海道)“海栗前”では読めんじゃろと北回り町有バスの終点は“野名前”と変換 [岬めぐり]

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 東を望めば帆越岬や尾花岬、北を望めばせたな町と島牧村の境界にあたる茂津多岬が眺められる最北端稲穂岬。そこから、西を見るとどうなるだろうかといえば、島の北辺を描くそこからの海岸線は、西から少し南に下りながら、およそ12キロ以上にわたって伸びている。
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 バスが走るのは、さいの河原から稲穂の集落を経て終点の野名前までの間で、その海岸線のうちの手前2.5キロだけであるし、道路も野名前から先は山のなかに入っていくので、海岸線は無人地帯が延々と続くことになる。
 その海岸でいちばん東に位置するのが滝ノ澗岬である。
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 実はこの岬名には、ちょっと困った。ここでは北海道全域でほかにも多く岬名にでてくる“澗”の字にしてあるが、地理院地図では“潤”という字になっているからだ。“うるう”というのも意味的にはあり得るのだが、さてどうしたものだろう。お上に従う従順な日本国民のひとりとしては、国土地理院に逆らうのもいささか心苦しいのだが、これまでの流れとして、取り巻く空気として、ここはやはり“澗”でいくことにした。
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 同じような名前に、余市に“滝ノ澗ノ岬”があり、“滝ノ澗トンネル”というのもあるし、その他“澗”の岬や地名は多いことは、前にもふれた。だが、“潤”というのは、ほかでも記憶がなく、すぐに思い浮かばない。
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 北回りのバスの終点は、野名前というところで、道路脇に建物が並ぶ静かな集落がそこで終わる。この読みはそのまんま“のなまえ”なのだが、地理院地図の字表記は“海栗前”としている。これが、元々の正しい名前なのであろう。バス停は読みやすいように、という配慮で変換されたものだろう。
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 “海栗”とは、ウニのことであることは明白だが、これを念のため“さくらばな”のおばさんに確認してみると、その通りだと言って、勘太浜や東風泊など次々に島の地名をあげながら、地名にはみんなちゃんと意味があるんだから…と熱を込めて話してくれた。
 さくらばな(これがおばさんの名前)さんによると、海栗前の海岸にはかつてはウニがごろごろとあったのだという。事実、今でも堤防を歩いていると、そこここにウニの殻が転がっている。カラスに食べられてしまった残骸であろうか。
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 滝ノ澗岬は、海栗前の港から西へ850メートルのところに飛び出ている岩と岩礁の岬である。
 崖は20メートルもないくらいの低さで、先端の部分以外はみんな緑で覆われている。だが、その海岸線には港の岸壁からすぐに始まる岩だらけの磯が、ずっとこの先見える範囲のすべてにわたって続いているようだ。
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 その岩の磯は、水がきれいで、透き通って見える。これならウニも見つけやすいかも…。
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 海栗前からは滝ノ澗岬の陰になって見えないのだが、岬を回り込んだところには地理院地図では名前のついていない、島では比較的長い川が岩の間に流れ込んでおり、その西にはガロ川というそれよりは少し短い川がある。その中間の海岸にはポロ島という岩の出っ張りがあり、その上の斜面には“滝ノ澗”という字名が残っている。
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 稲穂から西へは無人地帯と書いたが、地図をよくよく見ると、滝ノ澗岬の手前から山に入っていく道の脇には、ちらほらと建物の四角い表示があった。山の中の球浦開拓を別にしても、まったくの無人地帯ではないらしい。
 岬の名や字地名に“滝”の字を残しているのだから、きっとどこかに滝もあるのだろう。
 そう思って、二本の川を地図で辿っては見たが、滝を示す記号は見当たらない。だが、西側で岬の東裾付近で海に流れ込んでいる無名の川の河口付近では、斜面がえぐられた岩崖があり、その上流にそれらしい黒い線もあるが、滝の記号にはなっていない。だが、きっとこれは滝なのだろう。
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 この川の右岸にあたる山の斜面には、海まで続く破線の道が描かれている。ほんとうのことを言えば、「でんでんむしの岬めぐり」も、こういうところまで歩いてみたい。そうすれば、おそらく滝も発見できるだろう。そして岩がゴロゴロとあるような丸い記号で埋め尽くされた海岸に降りて、滝ノ澗岬も西側から眺めてみたい。
 そんなことも考えてはみるが、やはりそこまでは徹底できない。
 そこでまあ、こんなところでテキトウにお茶を濁しているわけなんですが…。
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 海栗前から北東の方向を眺めると、稲穂岬の賽の河原が横から眺められる。
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 実際の行動は、集落のはずれまで行って一休みして時間調整した折り返しのバスに乗って、さいの河原まで戻り、そこで次のバスが来るまでを過ごして引き返した。

▼国土地理院 「地理院地図」
42度14分0.97秒 139度31分39.79秒
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タグ:北海道

1439 稲穂岬=奥尻郡奥尻町字稲穂(北海道)島の最北端の岬は“霊場賽の河原”で崩れた石積みが一面を覆っている [岬めぐり]

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 バス停では勘太浜の次の停留所が“さいの河原”で、バス停の上には稲穂岬灯台があり、道路から下って低く刃物かなにかのように突出した先が稲穂岬である。ここが島の最北端にあたるのだが、最南端の青苗岬も、似たような地形だった。
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 その大きさは、灯台から岬の先端までの距離でいうと、青苗岬で475メートルだったが、稲穂岬では620メートルあり、灯台部分の横幅も370とこちらのほうが青苗より100メートル長い。
 青苗岬の沖には室津島があったが、稲穂岬の周辺は岩礁が取り巻いていて、ところどころでその頭を海面上に出している。
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 青苗の灯台は赤白のダンダラで、稲穂の灯台は黒白のダンダラ。どちらも本体は四角い。青苗灯台は震災で倒れたが、稲穂灯台はそういう情報はない。燈光会も北の離島までは手が回らないのか、ここにも看板はなかった。
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 灯台というのは、もともと観光用ではないから、やってくる外来者にサービスする義務はないのだが、だいたいにおいて、石垣で厳重に囲ってフェンスをめぐらし、敷地内への立ち入りを拒否している。そのため、展望を求めて灯台に登ってくる人も、いくつかの例外はあるもののたいていは期待はずれに終わる。稲穂岬灯台も、ここから岬を一望に見下ろすというようには配慮されていないので、ここから岬を見ることはできない。
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 稲穂岬灯台では、なにやら樋のような構築物が灯台と後方の鉄塔とを結んでいるが、なんにためのものか見当もつかない。ただの配線ケーブルにしては大げさだし…。
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 バス道路がこの先の稲穂に向かってヘアピンカーブを曲がるところには、食堂の看板と幟が立っていて、そこから稲穂岬に降りていく。
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 稲穂岬というバス停名はなく、“さいの河原”となっているが、下りの道でもまず案内されるのは、大きな垂木に彫り込まれた“霊場賽の河原”の文字である。
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 この岬先端には、広い石積みが広がっているが、そのほとんどは崩れるか崩れかかっている。ここは海難犠牲者や水難事故幼少死亡者を“懇霊”する地なのだ。例の武田信広の一行が嵐に遭遇して奥尻島に避難し、三平汁を馳走されたときに、「偶然その所在を知って懇ろに法要された」(案内板)というから、500年以上も前から、ここはそういう霊場であったわけだ。
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 明治の半ば頃になって、島の人がここに地蔵堂を建て、以来例年定例的に法要が営まれて、霊場の地の歴史を刻んできたわけだ。
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 それもあってか、この海に突出した平地には堂宇のほかにも数軒の人家が集まっていたが、それらはことごとく津波に押し流された。この点も青苗と同じである。
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 地蔵堂の手前に、コンクリートの四角い建物があるが、これはその震災に襲われる直前に完成した公衆トイレで、津波が引いた跡に残ったのはこのトイレだけだった。
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 そう語ってくれたのは、地蔵堂から少し離れてぽつんと一軒だけ建っている土産物屋兼食堂のおばさんである。お揃いのエプロンをした数人の女性のなかで仕切っているが、そのおばさんで、主人は漁師なので自分はこの“北の岬さくらばな”という店をやっている。
 海鮮バーベキュウなどのようなものもあるらしいし、でんでんむしが着いたときには観光バスが1台停まっていたが、立地からみると観光客以外はまずやってこないだろう。
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 ウニ丼をいただいた後で、帰りのバスを待つ間、しばらく展望台のうえから岬を見下ろし観察していたが、それでも入れ替わり立ち代り、車でやってきてはまた帰っていく。赤いオープンカーはてっきりカップルかと思えば、それがおじさん一人。
 その店の前はバックネットが張られた野球場(ソフトボール)になっていて、その向こうには屋根を付けた相撲の土俵もあった。
 震災後は、町がそういう施設を設けているのだろう。
 奥尻島には奥尻三大祭と呼ばれる祭り行事がある。島の最南端青苗岬沖合にある「室津島」にちなんで航海の安全と大漁を祈願する「室津祭」。町のシンボル「なべつる岩」にちなんだ観光祭と産業祭を兼ねる島内最大のイベント「なべつる祭」。そして、道南五霊場のひとつである島の北端稲穂岬の慰霊の地「賽の河原」での法要や供養のため行事「賽の河原祭」で、このときには歌謡ショーに子供相撲やソフトボール大会などが催される。
 それらが、6・7・8の夏の間に集中してあるのだ。北の岬が賑わうのは、毎年6月の一度だけなのだろう。
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 稲穂岬から東を見ると、檜山の山並みが大きく高く波打っている。ここでせたなへ向かうフェリーを見送っていたわけだが、赤いオープンカーの右手から“アヴローラおくしり”がやってくる。その向こう岸はせたな町大成区の帆越岬の付近であろう。
 そして、中央付近に大岩壁が続いているが、これがせたな町北檜山区の太田トンネルが抜けている尾花岬のあたりになる。雲に隠れていたがその後ろで最高峰は毛無山。
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▼国土地理院 「地理院地図」
42度15分8.56秒 139度33分29.63秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2016/09/04 訪問)

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1438 崖ノ岬=奥尻郡奥尻町字宮津(北海道)遠くからも白く見えていた崖はのり面がブロックで覆われていた [岬めぐり]

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 古い字名で今は消えてしまったもので、場所がよくわからなかったのに「茶津」というのがあったが、それは弁天岬の北、二本の短い川が注ぐ宮津漁港の辺りを指す地名であった。川のひとつの名は茶津川というらしい。
 古い資料を渉猟しているうちに、それがわかったのだが、茶津層という凝灰岩砂岩(砂と粘土が固結し火山砕屑質の岩屑を多く含む)および頁岩(けつがん=薄く割れやすい泥板岩で本の頁をめくるような剥離性あり)、凝塊角礫岩(直径32ミリ以上の火山岩塊と火山灰からなる)などからなる中新世の地層が広がっている。
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 遠く南の赤石岬からも見えていた白く切り立った崖ノ岬も、その茶津層のなかにある。
 白く見えていたのは、岩ではなくて、崩落防止のために崖の全域にわたって四角いブロックを貼り付けていて、それが白く見えていたのだ。
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 崖ノ岬というのは、岬が主ではなく、崖が主人公である。岬の海岸には岩礁と岩場も少しあるが、ごくゆるーく道がカーブしている。崖のほうは50メートルくらいの高さがあり、垂直とはいえないものの、かなり急角度に立ち上がっている。
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 コンクリートブロックで覆われてしまったので、今は見ることができないが、古い資料によると火山の砕屑物が堆積し固結してできた火砕岩のなかに、黒っぽい玄武岩の岩脈が筋をつくって貫入していたという。
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 今、その火山がどこなのかを考えるのは、おそらく愚というものなのだろうが、こうした火山の痕跡は地形・地質となって北海道南西部にもたくさんある。比較的近い時代の火山活動として知られているのは、奥尻島から南南西80キロにある渡島大島(松前町)になるのだろう。だが、それ以前からも、比較的浅い海の海底火山の爆発がたくさんあったのではないかと想像される。
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 海底の地形をみると、対岸のせたな付近から奥尻島を取り込むようにして棚が張り出しているらしい。本島とは海の底で地続きだったと考えてよい。奥尻島から先、西の海底は深く切れ込んで落ちていく。
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 急な崖の下を走る道路で、落石や崩落の危険性があるところでは、トンネルを掘るほどの山もない場合、覆道が設けられる。これは、半分トンネルのようなものだが、崖ノ岬の北にも、宮津1号覆道・宮津2号覆道という名があるふたつの覆道が続いてある。
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 崖ノ岬から覆道を抜けて、勘太浜南にある港付近まで、およそ1キロ弱くらいの間続く急崖の上は、海岸段丘というべき緩傾斜地が広がっていて、それは勘太浜の集落から稲穂へと続いている。
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 勘太浜は、三平汁の発祥に絡んでなにかあったように記憶していたが、確認のため調べてみても、どうもそういう証拠が出てこない。あれは、なにかと混戦した思い違いだったのか。
 でんでんむしのような西日本の人間にとっては、あまり馴染みのない食べ物ではあるが、名前だけは全国的によく知られている。北海道も主に渡島・檜山地方に伝わる郷土料理だが、奥尻町ではこの島こそが三平汁の元祖だとして、かなり本気で「奥尻島元祖『三平汁』研究会」なるものを発足させている。
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 もちろん、島の名物として定着させ、観光振興や地産地消にも役立てようとしうことだろうが、なにしろ、“「三平汁」に関するさまざまな説や言い伝え、関係資料、はては噂話などを整理、調査、研究し、「三平汁発祥の地が奥尻島」、「奥尻島の三平汁が元祖」であることを立証していく”というのだから熱がこもっている。
 なにごとによらず、ものの起源だとか由来だという話になると、諸説紛々として収拾がつかないことも多いのだが、実はこの「三平汁の由来」も、その見本のようなものだ。
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 いちばん基本的なところは「斉藤三平」という人がその創始者だということになっているのだが、その人はというと、南部藩家臣であったりいや松前藩であったり、いやいやそれは島の漁師だったという説まである。漁師が「斉藤三平」という名前を持っているというところからしてすでに怪しいが、その時代というのが、1454(享徳3)年で、松前藩の始祖・武田信広が蝦夷地に向かう途中で嵐にあい奥尻島に漂着した、とする。このときに武田さんに塩蔵ニシンと貯蔵野菜の煮込み汁を作ってあげたのが三平さんだったという。
 ところが、そもそもその人物がいた江戸期以前から、この地方では食されていたという説も出てきて、これまで蔓延していた斉藤三平説は、いささか旗色が怪しくなってきた。
 そんなわけだから、奥尻町には「最初に結論ありき」ではなくて、“研究”を推し進めてもらいたい、と思うわけであります。
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▼国土地理院 「地理院地図」
42度13分37.17秒 139度33分35.35秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2016/09/04 訪問)

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