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620 入前崎=西津軽郡深浦町大字深浦(青森県)日本海航路の重要な寄港地だった深浦 [岬めぐり]

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 深浦は、昔から栄えた航路の寄港地であった。…というとすぐに北前船のことが思い浮かんでくるが、実は若狭から北の航路は、もっと以前の古来から連綿と続いていたと考えられる。そのルートを取り込んで繋げたのが、北前船の航路であったと思われる。
 前にもどこかで書いた覚えがあるが、太平洋沿海航路が開かれて自由に船が往来するようになるのは、江戸時代くらいからであったようだ。一説によると、それは角倉了以の業績だというが、どうだろう。確かに保津川など畿内の仕事の後、東海地方の河川改修まで手がけたというから、状況証拠的にはなにかあるかもしれない。ともかく、それまでの日本の沿海航路は、もっぱら瀬戸内海と日本海側だけで、それが主要な海運ルートであったらしいので、日本海航路のほうがずっと早くから開けていたことになる。
 これも、われわれシロウトの理解においては、“なるほど!”と“ほんまでっか?”が交錯する、微妙なところがある。
 天候だけで考えると、日本海側のほうが恵まれていないような印象もあるが、冬の一時期を除けば、大差ないのかもしれない。
 航路が機能するには、船があるだけではダメで、船が寄港し、あるいは風待ちで停泊し、積荷の揚げ降ろしができ、流通ルートや消費地につながるインフラが整備されていなければならない。
 地理的にみると、太平洋沿岸では東北はもちろん、東海地方でさえも案外に良港を得るのがむずかしく、房総半島や伊豆半島、そして紀伊半島を大きく回る航路は、難所も多く決してやさしいことではなかったのだろう。人間の定住地域と文化圏の配置、あるいは半島や大陸との関係などを考え併せても、日本海側で古い昔から航路が開かれる必然性があったと、なんとなく了解できる。
 月屋の不老不死温泉で教わった番号に電話して呼ぶと、やってきたのは“津軽観光タクシー”。深浦町は西津軽郡であるから、なんの不思議もないのだが、どうも他所者の概念でいうと“岩木山から北が津軽”といった固定観念がある。運転手さんに「入前崎が見えるところまで行きたい」というと、まずはここ岡崎まで連れてきてくれた。nyumaizaki06.jpg
 入前崎(にゅうまいざき)は、浅くて小さな巾着のような深浦の湊を、西風から守るような位置にある。深浦港の入口近くに、岡崎というところがあって、こ の海岸は岩や小島が連続して、それなりの景勝地であったようだ。現在も公園があり、観光ホテルも高いところに控えている。「夕日展望台」と謳っているようだが、岡崎の海岸は北向きであるうえに、西には入前崎が飛び出しているので、夕日はどうなんでしょう、と首をひねってしまう。
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 この岬は、そう高度はないが、林が崖の上までかぶさるように広がっていて、その木々のシルエットがつくりだすフォルムが特徴的でおもしろい。そう高くもない崖は、一面つる草などの緑が波打ち際までたれている。
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 社がある岩島のところには、なにか昔あった建物を取り壊した跡が、そのままになって残っていた。その先の岩礁には、ウミネコがべったりと張り付いている。小さな湾の沖合には大きな防波堤が横たわっていて、深浦港を囲っている。北には、行合崎がこれまた薄っぺらな岬の特徴を示しているが、距離的には少しばかり離れているので、これは港とは関係がない。yukiaizaki05.jpg
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 防波堤の内側では、岩礁があちこちに頭を出している。これが、北前船にとって、邪魔なのか、それともなにかの利点があったのか、よくわからない。現代ではもちろん邪魔なので、それを避けるように堤防と埋立地が港の出入り口を確保している。
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 湾の周囲は、山が迫っていて、平地が少ない。新しく埋立地もいくつかできている。運転手さんが、「私たちのこどもの頃には、その崖の下まで海でしたからね」と言いながら、円覚寺の下を走り抜け、駅に向かう。町役場などの公共施設は、港の北側に位置しており、JR五能線の深浦駅は、そのさらに北にある。現在の町の住宅地の中心は、役場の上の丘に広がっているようだ。
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 深浦駅には、深浦の由来が掲示され、大きな北前船の模型が飾られている。確かに、湊に適した地形とはいえ、弘前などとの連絡にも山越えを強いられるここが、なぜ北前船の寄港地になったのだろうか。
 津軽半島の西海岸では、蝦夷地を結ぶ十三湊に安東氏の拠点があり、そこが長く海運で栄えたことが知られているが、それに続く次の湊として、ほかに場所がなかったのだろう。鯵ケ沢は、おそらくずっと後になってできたはずである。
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 深浦の駅からさらに北上すると、すぐに赤い岩が岩礁や出島をつくっている苗代沢。入前崎はだいぶ遠くなった。 赤くて、細かく割れているこの付近の岩は、秋田県の男鹿半島を歩いていたときの露頭と同じようだ。

▼国土地理院 「地理院地図」
40度38分45.66秒 139度54分18.11秒
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dendenmushi.gif東北地方(2010/06/29 訪問)

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タグ:青森県
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コメント 2

☆はな

こんにちは~
17歳で初めて日本海(富山県氷見)を見て以来
荒々しい日本海は見たことありません^^。
冬の五能線 一度は乗りたいですね。
日本海航行が発展した理由 納得です。
by ☆はな (2010-10-08 10:47) 

dendenmushi

@19歳で初めて日本海(福井県東尋坊)! 実は、それこそが「でんでんむしの岬めぐり」の始まりだった、と言ってもいいのです。
 それまで、海といえば瀬戸内海しか知らなかったので、見渡す限り海!というのと、荒波に立ち向かう岩の岬に感銘を受けました。夏山の帰り道に黒部から富山に出てのついでだったので、とくに荒れている海ではなかったのですが…。
 
by dendenmushi (2010-10-10 05:21) 

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