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641 大室崎=石巻市狐崎浜(宮城県)支倉常長が出港して最初に回り込んだ岬がここっ! [岬めぐり]

 旧牡鹿町が石巻市になるとき、町の字地名をそのままくっつけたらしい。牡鹿半島の地名は、ほとんどに「なんとか浜」と浜が付く。そのなかにあって、例外的なのが東海岸の鮫浦と西海岸の福貴浦、桃浦と月浦、ここだけは「浜」ではなく「浦」である。
 石巻駅前から鮎川浜行きのバスに乗ると、いったん旧北上川に沿って南下し、万石浦の南岸を東へ進むと、風越のトンネルを抜けて、桃浦・月浦と、牡鹿半島の西岸を走る県道2号線を、ひたすら南へと向かう。
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 そのバスの車窓から、微妙な角度でほんのわずかな間だけ見えるのが、桂島と大室崎である。この岬が、曲がりくねりアップダウンを繰り返しながら走るバスの窓から見えるというのは、ごく限られた場所と限られた時間だけである。
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 ここは近くまで道もあるので、荻浜か小積浜あたりでバスを降りて、牧浜、竹浜、狐崎浜と歩いて行くこともできたのだが、今回は前後の計画の都合で、バスからだけにする。
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 途中、月浦の付近では「ローマ出帆への地 支倉常長像」というでかい看板が立っていて、そこから脇道に入ると、まこと茶色いお侍さんの立像があるのが見えた。歴史の教科書に出てくる仙台藩の“ローマ使節団”は、この下の浜から船を出したというわけだ。
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 この公園や銅像は、新しくできたもので、もともとの記念碑は、月浦の浜にあるという。月浦の東隣には、侍浜という集落も続いているが、ここもそれにからんでそんな地名になったのだろうか。
 支倉常長が伊達政宗の命によって、なにやかやで180人余という遣欧使節の大ミションを引き連れて月浦を出発したのは、1613(慶長18)年のことであった。この時代は、関ヶ原からは13年目とはいえ、大坂冬の陣の前年にあたり、徳川家康は西国大名の動きに神経を尖らせて何度も誓紙を出させたりしていた。
 この前の年にはキリシタン禁令により京都では教会が壊されるという事態まで起っていたので、なぜこの時期に?という疑問は大きい。伊達がその当時の地理的な条件から、中央の情勢に疎かったと言えなくもあるまい。ただ、そこには徳川体制に従う気のない伊達政宗の、世界を視野に入れた野望が隠されていたとみる見方もできる。
 それにしても、イスパニア人宣教師の指導などを得て、自前で外航用のガレオン船を建造して、しかもそのコースが太平洋を越えてアカプルコに向かい、そこから陸路で大西洋岸のベラクルスに出て、さらに大西洋を渡りイスパニア経由でローマに向かっている。
 ローマ法皇に謁見した初めての日本人ということもさることながら、この船の建造と大航海のことは、イスパニア人の支援があったとはいえ、もっと驚いていい出来事だろう。
 実は、ローマ法皇のほうは本来の目的ではなく、イスパニアとの通商交渉であったはずだが、当時の日本国内の対キリシタン政策などの情勢をつぶさに把握していたらしい先方のほうが難色を示した。このため、当初の使節としての目的は未達成のまま、それからまた苦労して7年後にやっと帰ってくることになる。
 だが、帰ってきたときには、キリシタン禁令は多くの殉教者を出すまでになっていて、洗礼を受けてきた支倉常長を伊達政宗も庇護し続けることができなくなっていた。俗に言う「二階に上がって梯子をはずされた」ような格好になった常長は、報われることなく歴史の表舞台から消えてしまうのである。
 そうか。常長はここから長い航海に旅立っていったのか…。その船、サン・フアン・バウティスタ号が、錨をあげて最初に回り込んでいく岬が、大室崎だった。
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 その先端はいくつかに分かれているこの岬を、ぐるりと回って振り返ったときには、養殖のブイはなかったがこんなふうに見えたことだろう。

▼国土地理院 「地理院地図」
38度23分22.28秒 141度32分21.60秒
omurozakiM.jpg
dendenmushi.gif東北地方(2010/09/20 訪問)

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タグ:宮城県
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コメント 2

☆はな

こんにちは~ おひさしぶりです
支倉常長の帰国後は さぞかし大変なことだったのでしょうね
今と価値観が違っても 考えさせられますね


by ☆はな (2010-11-27 12:17) 

dendenmushi

@☆はなさん、おひさしぶりです。箱根駅伝予餞会の後、すっかり新規更新が途絶えていたので、どうかされたのかと心配になっておりました。
 今度は、お城に興味をお持ちのようですね。でんでんむしもいち時期そんなことも考えました。お城の物語は、いろいろあってなかなか奥が深いですからね。
 城つながりで、最近「のぼうの城」を読みました。映画化の宣伝やタレントが絶賛という仰々しいオビがついていましたが、でんでんむし的には、とても称賛に値するようなものではないと、大辛口です。
 忍城の話としては、風野真知雄という人の「水の城」という作品があるのですが、このほうがよほどおもしろい。読み比べをすると、同じ題材を扱っても、こんなに違う自由な書き方ができるのか、とそれもおもしろいです。
 支倉常長のことを…と思っていたのに、妙な方向にずれてしまいました。
by dendenmushi (2010-11-29 06:47) 

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