So-net無料ブログ作成

663 九木崎=尾鷲市九鬼町(三重県)九鬼水軍発祥の地はその立地からしていかにも海賊の根城らしく [岬めぐり]

 織田信長のもとで、他にない大型鉄甲軍船(最近ではその実在を疑う説もある)をもつ強力な水軍で毛利方の村上水軍と石山合戦などで渡り合い、名を挙げた九鬼嘉隆のことは、鳥羽周辺や大王崎の波切付近が主な根拠地だったので、そのあたりの岬めぐりでもすでにふれていた。
 九鬼水軍は、その後は豊臣に身を寄せ、関ヶ原を親子で東西に分かれるという苦肉の策で乗り切り、徳川幕府の大船建造禁止令の後もしばらくはどうにか大名として命脈を保つものの、ついには海のない兵庫県の三田あたりに封じられて衰退してしまうのだが、その名を残す尾鷲市九鬼町は、九鬼氏発祥の地としてその名が付いたとされている。
 どんな氏族にしても、そのルーツや系譜がはっきりと伝わっているものは、有名無名を問わず極めて少ない。九鬼氏についても同じで、肝心なことはよくわかっていないのだが、熊野本宮大社の神官の流れとする説もあり、南北朝の頃当地に流れてきた藤原一族の一人が九鬼を名乗ったともされている。いずれにしても、鳥羽伊勢で頭角を現す前に、九鬼氏がここを最初の足がかりとして海に出て行ったことだけは、確かなようである。
kukizaki01.jpg
 まあ、言ってみれば海賊の根城としては格好の、外洋から深く入る入江をもつこの一帯がすべて現在の九鬼町なのだが、町域のほとんどは山ばかりで、人が住んでいるところは入江の片面に沿ったわずかばかりの場所に限られている。
 入江を囲っているのは、南の谷ノ山と北の頂山といった4〜500メートル級の山並みである。そう高い山ではないが、海から直接盛り上がった断崖は、海岸にも砂浜や平地を残さない。
kukizaki03.jpg
 北の尾鷲から九鬼へも、あるいは南の三木里から九鬼へ入るも、いずれも難路である。紀勢本線で九鬼へは、尾鷲から海岸づたいに湾の縁を東進し、行野浦からは南に1キロ程度の第一行野浦トンネルと白浜トンネルに続いて、2キロ以上ある九鬼トンネルで頂山のある半島の付け根を突き抜けると、入江の最奥部のわずかな平地にある九鬼駅に至る。
kukizaki04.jpg
 ふれあいバスの八鬼山線は、尾鷲駅から42号線熊野街道に入るが、やがて左手に分かれて山の中に入って行き、やはり2キロくらいある八鬼山トンネルを直進して九鬼駅に降りてくる。
 南からのルートも似たようなもので、2.5キロもある名柄トンネルか、名柄越と呼ばれる険しい峠を越えなければ、九鬼には辿り着くことができない。
kukizaki05.jpg
 半径数キロ圏は、同じく九鬼の勢力圏であったと思われる南隣の早田以外は、現在でもほとんど人家もない。まさに、こんなところに目をつけるのは海賊くらいのもの(あるいは原発と?)、ということか。
kukiM0.jpg
 前々項で紹介した尾鷲市地域公共交通活性化協議会の交通ガイドPDFファイルでは、八鬼山線のルートが青い線で示されている。この路線は、九鬼、早田、三木浦と、三つの集落に寄るためごとに海岸に降りては、また幹線311号線に戻って行く。
 このルートでも紀勢本線でも、九木崎からは遠く離れたところを通るため、車窓からの九木崎を望むことはできない。かといってほかに歩く道もないので、果たしてこの岬を見ることはできるのだろうか。
 それが、実は心配であった。
 地図で見てその可能性を探っていたときに想像したのは、九木の入江を南に回り込んで、早田峠の登りにかかるところで、あるいはちらりと見える程度は期待できるのではないか、ということだった。
 そして、結果的にはこのときのねぼけたたった一枚だけが、九木崎の写真となった。それが冒頭の写真である。いちばん奥まったところにちょっとだけ顔を出しているのが九木崎で、手前の木の枝か何かがブレて流れる先に白く見えているのが、九木の入江に立つ岬神社の灯台である。
kukizaki02.jpg
 もう一枚あったが、それは九木崎の尾根が少し確認できる程度。
 この日は、ふれあいバスの八鬼山線に乗って、三木里まで行って泊まることにしていたので、九鬼はバスに乗ったままで通り過ぎたが、どうでもここは少し歩いてみたかったので、最終日に改めて訪問した。ここでの掲載順は、地図上で北から南へ辿る順番にした。
kukizakiMuottizu.jpg
 また、参照地図については、これまで国土地理院の「ウォッちず」電子国土の2万5000分の1を基準にしてきたのだが、この地図閲覧サービスは2011年7月で終了し、「電子国土ポータル」のみに統合することになったという。
 そこで、今回から「電子国土ポータル」に切り替えることにした。これに切り替えると、縮尺は「約 1/36000」と「約 1/18000」または「約 1/9000」あたりを使い分けることになりそうだ。
semotokaraDPM.jpg
semotokaraDPM36.jpg
 「約 1/75000」や「約 1/36000」では、等高線が大幅に省略されるので、これまでの表記とはかなり異なる感じになってしまう。
 「約 1/18000」が、妥当なところかなとも思えるが、これでは文字が若干見づらい。

▼国土地理院 「地理院地図」
34度1分13.26秒 136度16分50.83秒
kukinasaDPM.jpg
dendenmushi.gif東海地方(2011/04/12 訪問)

にほんブログ村 その他趣味ブログ
その他珍しい趣味へ 人気ブログランキングへ
タグ:三重県 地図
きた!みた!印(37)  コメント(8)  トラックバック(1) 
共通テーマ:地域

きた!みた!印 37

コメント 8

ぱぱくま

等高線の狭さや込み入り具合がこの辺りの地形の複雑さを
物語っていますね。
わが祖先は父方が北関東、母方が東京下町ですから親せき筋も
首都圏ですね。幼い頃は帰省で遠くに帰る人が羨ましくもありました。
by ぱぱくま (2011-06-19 15:49) 

dendenmushi

@ぱぱくまさんのご先祖は、関東の方でしたか。それは、大変失礼しました。関係ないことを聞いてしまいましたね。
 実は、ほかに三重県が先祖の地という方がおられまして、そちらと完全に勘違いをしてコメント書いておりました。
 ごめんなさい。
by dendenmushi (2011-06-19 17:33) 

ナツパパ

九鬼氏に限らず、水軍となった氏族は海賊をしていたようですから、
そう考えると、九鬼の地は要害ですよねえ。
山側は要害ですし、湾口から港までは長いですから守りやすいですし。
by ナツパパ (2011-06-19 21:44) 

Takesan

三重県が先祖の地のTakesanです。残念ながらその地は、岬と縁のない内陸部。榊原温泉の近くです。

かつては一志郡、そして久居市、今は津市になっています。昨今の市町村合併は、頭で理解できても情緒的にはどうも・・・。なんだか、ローカルな特色が、どんどん風化していってしまうようで・・・。

そんな気持ちもあって、東京月島のレポートは興味深く拝見していたのです(東京の変化は象徴的ですからね)。

by Takesan (2011-06-21 09:37) 

トックリヤシ

ご訪問&niceありがとうございました。
by トックリヤシ (2011-06-21 13:07) 

dendenmushi

@こういう地形の入江は、少なくないとは思いますが、やはり少し大きな船でも入るということと、海へ出るルートが問題ですからね。
by dendenmushi (2011-06-22 05:49) 

dendenmushi

@そうなんですよ、Takesanさんだったのです。そっちのほうですか。三重も広いですからね。
 近鉄特急で何度か通ったのと、名張や伊賀上野は降りたことがあります。
 合併問題は、岬めぐりでもちょこちょこサブテーマに登場します。
by dendenmushi (2011-06-22 05:53) 

dendenmushi

@トックリヤシさん、「石垣島」というのに釣られてふらふらと行ってしまいました。
 今年は2月に行ったのですが、年内にもう一度行きたいけど…どうかな。
by dendenmushi (2011-06-22 05:55) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 1

トラックバックの受付は締め切りました