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664 沓崎(九木神社・岬神社)=尾鷲市九鬼町(三重県)「沓崎」という地図にもその名がない岬の上で [岬めぐり]

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 なんでも物知りで、いつも内容のあるブログを「地域ブログ」で続けておられるChinchikoPapaさんは、自身のブログで答礼コメントされている。最近の当岬めぐり項目に関するコメントによれば、江戸鼻の「e・tu(エト゜)は原日本語(アイヌ語に継承)で、「鼻」あるいは「岬」という意味」であり、尾南曽鼻は「原日本語のona-soで、父親の座る(居る)場所=「父座」の意味にな」るそうだ。
 江戸鼻については、実際に視認できなかったので書かなかったのだが、字面には「河の戸口」という意味もあるから、アイヌ語源からつながっているという傍証も成り立つのだろう。尾鷲市と紀北町の境界近くにある江戸鼻も、内側に大池という細長い水域の跡を残しており、その地形から見るとまさしく“江戸の鼻”だったのだとみることもできる。
 語源の流儀で言えば、「くき」には峰とか崖の意味があり、岩山や谷などを示し、「き」には城や柵の意味もあるという説もあるらしいが、九鬼の「クキ」は「九木」である。
 岬の名も、神社の名も、漁港の名もそうなのだが、町の名も駅の名も、小学校も中学校も郵便局も漁協も診療所も「九鬼」なので、多数決では完全に負けている。ただし、古い神社と肝心の岬の名が「九鬼」ではなく「九木」だということが意味深でおもしろい。
 そこで、深読みをしてみると、九鬼氏の祖となる藤原何某がここにやってきたときには、ここはすでに「九木浦」であったのではないか。そういう仮説が充分に成り立つと思われる。
 その地名の読みを、強そうな「九鬼」の名にあてて名乗った、と考えられるのである。地図を眺めていて、そう思った。
 なにしろ、この付近では「二木島」「三木里」「三木浦」といった地名が目に飛び込んでくる。そして四五六七がなくても「八鬼山」「九木」…とくるのだから。古い地名には「一木」から「九木」までが揃っていたのではないか。そしてそれも、きっと熊野詣のルートと関係があったかもしれないのだ。「八鬼山」だけ「木」ではなく「鬼」なのも、九鬼氏と同じく迫力をつけて山の大きさ険しさを強調するためだったのではないか。
 “一もないし、四五六七がなければ、その根拠は薄弱だ”と、突っ込みたい人も多かろう。だが、それは大幅に昔の地名を消し去ってしまうという愚かな人間の大罪の結果である現在の地図だけを見ているからだ、とも考えられる。
 ただ、九木神社の社伝では、九鬼氏が創建したことになっているし、天神さまを祀るようになったのもその頃かららしい。となると、神社そのものはさほどに古い由緒を伝えるものともいえない。ならば、九鬼氏が建てた神社が九木神社と、わざわざ字を変えてはずしてあるのはなぜだろう。それにはちゃんと、「もとは九鬼神社だったのを南北朝評価の関係から徳川幕府の命で九木神社に変えた」とか、この手の話にはおちもついている。こういった諸説がそれぞれもっともらしくあったりして、どれが正しいのか、どこまでがほんとうなのか、なかなか確かなことはわからない。
 もちろん、単なる行きずりのでんでんむしとしても、なんら諸説に異議を挟む材料も持ち合わせがないので、ここでいう「一木〜九木」説もただの思いつきである。
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 JR紀勢本線の九鬼駅に降りたのは、東京へ帰る日のことであった。駅前のサクラも九鬼中学校の白っぽいサクラも、ちょうど満開で青い入江に散り初めの花びらが舞っていた。
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 一筋の道に沿って細長く続く集落と漁港の間を行くと、行く手を阻むようにして小山があり、岸壁の駐車場から九鬼神社の鳥居と石段が延びていた。
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 この付近では、まだ入江の海口は見ることができない。
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 苔むした境内には、杉木立の間にいろんなものがあるが、お守りなどを扱う小屋は無人で閉まっていた。神社には狛犬がつきものだが、ここのは犬ではなくて天神さまの使いである牛。牛だからか、高い台の上ではなく、地面に近いところに2頭向き合っていた。阿吽の牛だったかどうか、確かめるのを忘れてきた。(狛犬さんを写しているナツパパさん、こういうのはめずらしいんじゃないですか。)
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 九木神社は、もっぱら天神さんのほうに傾斜しているらしい。
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 神社が乗っかっている小島のようなところは、尾根が南の海に向かって延びていて、一帯がうっそうたる樹林に包まれている。神域として守られてきたためもあろうが、暖地性植物が繁茂する樹林帯は、「九木神社樹叢」として国の天然記念物に指定されている。その指定を受けたのは、なんと1937(昭和12)年。地方の古い天然記念物にはよくあるパターンで、最初の発見とか、北限の植物とかの当時の植物分布地理学上の意義が認められたためのようである。
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 親切にも境内からいったん下に降りて、この岬の先に向かう道に続く仮設の梯子まで設けられている。そこから、神域を奥に進むと忠魂碑のある公園を過ぎて、小さな岬神社と小さな灯台に至る。
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 大国主命を祀る岬神社のほうは、地元の漁業関係者の祈りを込めてできたものらしいが、その「岬神社」という名前がいい。全国探しても、ほかにはないかもしれない。
 灯台も「初点 昭和40年」と標識に刻まれているので、比較的新しく必要に迫られて建てられたもののようだ。前項の写真で、白く小さく写っていたのが、この灯台である。
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 灯台には「九木港沓埼燈台」という銘板がつけられているので、この岬が沓埼という国土地理院の地図にも載っていない名をもっていたことがわかる。「埼」は灯台を指す名に用いられることが多いので、あるいは岬の名としては「沓崎」なのかもしれぬ。そうわかってから、改めて地図で見ると、この岬、靴の先のようにも見えてくる。
 この岬めぐりブログに取りあげるのは、国土地理院の地図にその名があるものとしているが、ここでは現地での名前が確認できたので、特別に項目に加えることにした。
 沓埼燈台のある沓崎の全体像は、九木崎で使った写真の使い回しになってしまう。
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 灯台と岬神社のあるところが先端なのだが、足場がよくないし、展望も少し戻ったところのベンチのある展望台のほうがよい。けれども、そこからでもやはり左手の九木崎方向は陰に入って見えない。そのかわり南のナサ崎のほうはよく見える。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度0分40.35秒 136度15分27.25秒
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dendenmushi.gif東海地方(2011/04/12 訪問)

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タグ:三重県
きた!みた!印(38)  コメント(7)  トラックバック(1) 
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きた!みた!印 38

コメント 7

ナツパパ

九鬼水軍の本拠地にしては、狭い土地ですねえ。
最盛期はどのくらいの人が住んでいたのでしょう。
神社以外で、昔を偲ばせるものはなさそうですね。
...でも、この風景には惹かれます。
一度は行ってみたい!
by ナツパパ (2011-06-22 16:02) 

ぱぱくま

こんばんは。
前回コメント気になさらないでくださいね(^-^;
by ぱぱくま (2011-06-22 20:47) 

dendenmushi

@ここは「発祥の地」ではありますが、「本拠地」ではなかったのだ、と思われます。
 水軍の本拠は、後の波切や鳥羽だったといえます。
 現在でも、九鬼町の人口は、500人ちょっとです。
by dendenmushi (2011-06-25 06:19) 

dendenmushi

@ぱぱくまさん、わざわざどうも。恐れ入ります。
by dendenmushi (2011-06-25 06:21) 

ナツパパ

えっ、どこどこ...と捜してしまいました。
ありましたね、牛の狛犬?さん...狛牛といったらいいのでしょうか。
ゆったりとこちらを見ている様子は良いですねえ。

せっかく記事で書いて下さっていたのに、わたし読んでたはずなんですがねえ。
眼福でした。

by ナツパパ (2011-09-30 20:54) 

日和良

九木神社は、以前は、天満宮でした。
明治5年に九木神社になっています。
尾鷲組九木浦のだったからです。
九鬼氏の祖、藤原隆信公が京都の北野天満宮と薬師如来に帰依してました。
信隆公が九鬼の薬師寺を創建、今の九鬼の寺の本尊です。
二代隆治公が北野天満宮の御霊として、弓を御霊代とそて、天満宮を創建しています。
慶長の検地帳には、室(むろ)郡九鬼村となっています。
隆信公が来たころは、神宮領、比志賀御厨でした。
尾鷲市九鬼町になる前、九鬼村の早田浦・九木浦の堺の地名です。九鬼氏は、明治22年からの九鬼村が以前の九鬼氏の領地でしょうね、早田のも神社、寺は、ありますが、寺は、九鬼の寺と兄弟だそうです。早田神社は、もとは、若宮八幡宮です。社格は、九木神社と同じ、村社でした。
早い話がもともと、九鬼だった地名が紀州徳川家領になってから、浦組制で、尾鷲組になり、鬼が木に変更になったみたいです。
一応、九鬼中卒業ですが、九鬼町出身では、ありません

by 日和良 (2011-10-26 22:09) 

dendenmushi

@日和良さん、ご教示ありがとうございました。
そうですか、天満宮のほうがもともとメインだったんですね。「き」のほうも「鬼」が元だったことは想像できました。「八鬼」「九鬼」…ですからね。
ちょうど行った時、中学校のサクラが、とてもきれいでしたよ。
by dendenmushi (2011-10-28 07:31) 

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