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678 親子岩・ローソク岩=様似郡様似町字鵜苫(北海道)あ〜ぁ 誰にも 故郷がある 故郷があ〜る [岬めぐり]

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 昔の北海道の地図では、「支庁」という区分がはっきりあってそれが目立っていたが、いつのまにか見なくなった。なくなったのかしらんと、調べてみると、現在では「振興局」という名称に置き換わっている。それも、つい数年前からのことである。
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 これは、もともと住所表示ではなく役所の事務組織にすぎないらしいのだが、どうもでんでんむしのように混同していた人も多かったのではないか。
 住所はあくま「道・郡・町」または「道・市」で、「支庁」をはさむことはなかったのだ。「振興局」では、なおさらである。
 たかが、行政上の事務組織とはいえ、振興局の再編には、根強い抵抗もあったようで、現在まで尾を引いているようだが、遠い北海道のこととてよくわからない。
 日高振興局の管内では、沙流郡、新冠郡、日高郡、浦河郡、様似郡、幌泉郡とあるが、そのほとんどが“一郡一町”である。こうなってくると、「郡」の存在と意味も疑わしくなってくる。
 新冠郡新冠町の東隣は、日高郡新ひだか町で、浦河郡浦河町、様似郡様似町、幌泉郡えりも町と続く。新ひだか町の町役場がある静内は、苫小牧=襟裳の中間点辺りで、そのためなのかどうか、日高本線はこの駅で30分くらい停まって動かない。
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 上り下りの離合待ち合わせなのか、往復とも隣のホームに対向車両が入っていた。ただ、対向車両も長いこと停まっていたので、単なる離合待ち合わせでもなさそうだ。
 この付近では高校生の姿も目立つ。全国どこへ行っても、高校生の姿や態度には、田舎と都会の相違がない。カップルがベッタリしているし、鞄にいろいろぶら下げてケータイに余念がない。
 と、少し前に急いで乗車してきた女性が、隣の上り列車が動き出すのを見てあわてて降りていった。きっと、苫小牧方面へ行くつもりで、様似行きの列車に乗ってしまったのだろう。気の毒に、次の列車までは1時間か2時間待つことになってしまうが、待つ以外にないのが日高本線の旅の心得なのである。
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 ここまで、海岸線を通ることが多かったこの路線も、東静内から東では春立と日高三石と海岸線に出る以外は、浦河までずっと内陸部を走っている。本桐のような少し海岸から入ったところにある開拓地を結ぶ必要があった、ということなのかどうか…。
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 この付近になると、駅といっても駅舎もない。古い有蓋貨物車両をポンと置いてあるだけ、という駅もいくつかある。その貨車に地元のこどもたちの筆によるものか、ペインティングが施されている。荻伏の貨車駅舎のそれは、小学生によるものとは思えない構図である。
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 新ひだか町や浦河町の海岸では、コンブ漁も盛んで、線路と海の間には、コンブ干場が続く。砂が飛んだりしないように、小石が敷き詰められているのだが、最近はネットも目立つ。漁期もやっと始まった今は、石とネットばかりだが、一か所だけコンブを並べているところもあった。(ひどい写真(これに限らず)だが、こういうのでも一枚しかなければ堂々と掲げるのが、当ブログのポリシーなので。)
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 牧場も、浦河から様似近くまではあちこちにある。幌別川を渡り、鵜苫川を越えると、様似町である。
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 一両編成の車内の乗客も、浦河から先は少なくなって、斜め前のボックスの少し年配だが母娘らしい二人の会話がきれぎれに飛び込んでくる。「ここにもきたことがある」とか懐かしそうに話していたので、たくさんの荷物はおみやげで、ひさしぶりの里帰りなのかもしれない。
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 その母娘二人が降りたのは、鵜苫という駅だった。貨車の駅には水溜まりを避けるようにして、車内からケータイで連絡していた出迎の人が待っていた。
 五木ひろしの『ふるさと』という歌を、なんとなく思い出してしまった。山口洋子の詞の終りを、作曲の平尾昌晃はコーラスにして歌わせるのである。

 ♪あ〜ぁ 誰にも 故郷がある 故郷があ〜る

 あたりまえのことだが、この地域を故郷とするのは、サラブレッドばかりではないのである。
 鵜苫は様似町の西部だが、その海岸には親子岩とか塩釜ローソク岩という表記が、電子国土ポータルにはある。これは、項目を立てるに値する。
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 ところが、線路は鵜苫の貨車駅を出ると、また山のほうに入って行ってしまうので、車窓からはうまく見えない。
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 往路はあっという間の雨の中、復路で改めて、親子岩らしいのは確認できたが、塩釜ローソク岩というのが、どうもはっきりしない。名前からすると、製塩の名残りを示すものと思われる。一般に“立岩”とかいわれるこのテの岩は、北海道にも多い。
 どうもすっきりしないので、少し情報を探ってみたら、どうやら海岸に近い左側の岩がそうらしい。ちっともローソク岩なんかじゃないじゃないか、と思ってこれではないと考えていたのだが、この岩の先端のほうが細く飛び出ているので、そこからついた名前のようだ。真ん中奥の岩は港の岸壁に取り込まれているもので、右の岩が親子岩。これも、この角度からだと二つの岩が重なって親子に見えない。
 塩釜の名もすでに地名からは消えているが、岩の名に残っていたのは幸運だった。
 この地で製塩が始まったのは、1800(寛政12)年とされ、根室と並んで、蝦夷地における製塩の最初であったらしい。当時の釜のあったところからその破片などから見つかっているというので、大きな釜で海水を煮立てる製塩法だったことがわかる。その釜の破片が、様似郷土館に保存されているという。
 製塩が幕府主導によって進められたのは、蝦夷地で獲れる魚を保存して本土へ運ぶために必要だったからだろう。ところが、十数年後にはここでの製塩は中止されている、というのだ。こういう場合それがなぜなのかが最も肝心なことのように思われるが、様似郷土館のブログには書いてない。
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▼国土地理院 「地理院地図」
42度7分57.20秒 142度53分52.15秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2011/07/14〜15 訪問)

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タグ:北海道
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