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708 武威岬=積丹郡積丹町大字西河町(北海道)積丹岳から流れ出す台地の北西端にある岬 [岬めぐり]

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 積丹町は、積丹半島の先端部にあり、半島全体の約四分の一を占める。1956(昭和31)年に、美国郡美国町と積丹郡余別村・積丹郡入舸村が合併して誕生した町だが、1970(昭和45)年には6,000人を超えていた人口は、それから40年経った今では2,530人と半減以下になっている。
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 漁業と林業、それに酪農を中心とした農業が主な産業だというが、大正時代まではニシン漁で一時代の繁栄を得たが、それも今では『ソーラン節』発祥の地としての栄誉を記録に留めるくらい。
 ニセコ積丹小樽国定公園に属し、北海道遺産とやらにもなったという神威岬などを中心として、観光地としての期待もあろうが、実質的にはみんな観光バスやマイカーでやってきて、足早に帰途を急いで通過していくに過ぎない。
 でんでんむしは、ぜひともこの町のどこかで一泊するつもりでいたのだが、岩内から同じバスに乗ってきたリュックを背負った女性とは、やはり同じ小樽行きのバスで一緒になった。バスの便が少ないので、こういうことはよくあるが、その人は余別の停留所ですぐに降りていった。ここの民宿にでも泊まるつもりなのだろう。
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 余別には漁港が東西に分かれてふたつあり、2キロほど離れた東側の来岸の漁港は、来岸トンネルと武威トンネルの間に挟まっている。
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 武威岬は、やはり武威トンネルで通り過ぎるので、その姿は来岸の漁港からと、トンネルを出たところでわずかに確認できる程度である。しかも、その武威岬は阿弥陀三尊像のように両側に小さな脇岬を伴っているので、あるいは見えたつもりでいたのはこの脇岬だったのかもしれない。が、よく確かめてみると、漁港側からの車窓には、脇岬の向うにご本尊も顔を出していたのだった。
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 武威岬の東付近にも、温泉が西河と野塚にあるので、そこに泊まることも考えたが、野塚のほうの町営の温泉施設は日帰り入浴専門で泊まれない。
 大資本の観光ホテルがのさばることもなく、小さな民宿がそれぞれ切磋琢磨して魅力づくりしていくのも、この地域の観光にとって重要なポイントになろうか。
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 野塚の海岸には、付近の民宿などの看板が並んでいた。その脇に半分ほど写っているのは、「死の街」と「つけちゃうぞ」発言があったと問題視され、就任したばかりの経産大臣の座から引きずり下ろされた、鉢呂吉雄議員のポスターであった。
 マスメディアというものがその報道姿勢もシステムもまったく信用に値しないことと、自分たちの権益を守るためにはなんでもするという勢力の厳然たる根深さを、改めて明白にしたという効用があったとでもしなければ、救いようのない後味の悪いこの事件で、鉢呂氏がとことん対決して理の曲直を争わなかったのは、いささか残念な気もする。退任後しばらくして、彼は上杉隆氏の番組に出て「放射能」も「つけちゃうぞ」も発言していないと言っているが、それならなおのことと、その思いは強くなる。
 現在の小選挙区では北海道第4区に、この地域も含まれているらしい。(この事件は、でんでんむしがここを訪問した後、本項の原稿を書くまでの間に起こった。)
 積丹町の「積丹町民憲章」の前文に「わたしたちは、積丹岳の秀峰を仰ぎ、岬の潮に生きる積丹町の町民です。」とあるが、今回は1,255メートルの積丹岳は仰ぎ見ることができなかった。
 “積丹原野”と名のある積丹岳から積丹川まで、北になだらかに広がる台地には数本の川が刻まれ、武威岬はその西端の幌内府川の河口にあたっている。積丹岳と積丹原野の風景も、改めて眺めたいものだ。
 野塚を過ぎると、あっという間に入舸(いりか)の集落で、ここに一夜の宿を借りることにしたのは、なんといっても積丹岬のおひざ元だからだったのだが…。

▼国土地理院 「地理院地図」
43度20分4.07秒 140度24分23.23秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2011/07/17 訪問)

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タグ:北海道
きた!みた!印(29)  コメント(1)  トラックバック(0) 
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コメント 1

ナツパパ

あ、八呂議員ってこのあたりが選挙区だったのですか。
by ナツパパ (2011-10-19 17:23) 

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