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はるか南の海からやってきた人を思う海人の祭りハーリー会場の新川漁港(14) [石垣島だより]

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 18年前、最初に八重山に来たときに、八重山博物館を見学して強烈な印象を受けた。展示室の奥まったところには、古い南方海洋民俗史料が山のようにあったからである。そのなかには、独自の記号のような文字まであったと記憶している。
 日本民族は、南方系と北方系、それに大陸系の混血で成り立ってきたとする説があるが、ここの展示物を見たときには、まったく異質の海洋民俗文化の息吹を間近に感じるような気さえしたものだった。
 それから何年かして、何度目かの石垣島訪問の際に、改めてそれを見たいと思って博物館を訪れたところ、その部屋ごとなくなっていた。どうしたのか、どこへ消えたのか、確かめるのも忘れてぼう然として帰ってきた。
 最近の地図では、宮良殿内の近くに、南嶋民俗資料館というのがあるので、そこへ移ったのかもしれないと訪ねてみたが、こちらはそれとは関連がなく、民政府時代に最初に八重山の知事を務めた吉野高善博士のコレクションが元になっている。建物も、宮良殿内の九代目の主の息子の屋敷を使っていて、展示物の多くは明治以降の民俗資料が中心のようであった。だが、そこでもやはり象形文字の存在は、記録として残っていた。
 そうした連綿と続く海人(うみんちゅ)の流れを汲む石垣島の漁民たちの基地は、石垣港を挟んで東西に分かれている。東の登野城・八島漁港と、西の新川(あらかわ)漁港であるが、正式には石垣漁港と総称するらしい。
 八重山漁協も、八島町のほうに支所をおき、新栄町のほうを本所としている。新川漁港では、新しく漁港の整備が進んでおり、使われなくなる古い船溜まりの一部で埋立てが行なわれていた。
 きれいになった漁港は、港のなかでも海の色が美しい。
 毎年夏のはじめに開かれるのが、豊漁を願う伝統の海の祭りで、ハーリー舟の競漕が行なわれるのも、ここ新川の港である。新川小学校のこどもたちから、チームをつくって参加するし、職域の対抗まであるらしい。伝統的なこれも“サバニ”というのとは違うのかどうか確かめていないが、長崎など各地にも同じような行事が点在している。
 漁港から少し離れたところの小屋では、その舟の修復が行なわれていたが、新川漁港の岸に引き揚げられていた青い小さな漁船も、ハーリーのような面構えをしていた。面構えといえば、いかにも沖縄の人らしい顔というのは明らかにあって、新川あたりの港で働く男たちはいかにもそれらしい。
 沖縄地方の魚は、赤や青や黄色の本土の人間にはなじみがない魚も多いが、八重山漁協では近海マグロが主らしい。
 今年2012年の初セリでは、「総水揚げ4.75トンのうち近海魚398キロ、マグロ類1652キロが地元セリにかけられ、115万円余の販売実績を挙げた。マグロ船は4隻が入港し、キハダやビンナガなどを水揚げ。中には尖閣諸島周辺で漁獲された「尖閣マグロ」も登場。セリ人が「尖閣ブランド」と宣伝し、幾分高値で取引された。」と、1月5日の“日本最南端の新聞社:八重山毎日新聞オンライン”は報じていた。
 昨年の7月には、安全操業を確保するため、八重山漁協所属の漁船約10隻が、尖閣諸島周辺で集団操業するため石垣港を出港したというニュースも伝えられた。これと関連していたのか、議員会館での「尖閣の魚を食す会」というのもあったりしたようだ。こういう動きには政治的利用の匂いがあったが、国境の海は常にそういう問題も抱えているという事実がある。
 昔の海人は、小さな舟に乗って櫂をかき、国境もない南の海を島伝いにやってきた。この島に最初にやってきたのは、どんな人たちだったのだろう。

dendenmushi.gif沖縄地方(2012/01/12 記)

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