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758 宮ノ崎=日高郡由良町大字吹井(和歌山県)大塔宮護良親王の故知に合うや否や長汀曲浦の旅の路 [岬めぐり]

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 港の入口には蟻島という島がある由良港は、リアス式の特色を備えた水深の深い自然の良港である。
 神谷鼻から重山の裾を詰めて行くと、鳶島という岩島を利用した海釣り公園がある。この付近までくると、港の対岸までは700メートルちょっとくらいに狭まってくる。
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 その先で道がカーブする辺りに、突き出しているのが宮ノ崎である。ここも道から湾に飛び出した部分は埋立て地なので、元々の宮ノ崎は重山の南東の端だったのだろう。
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 “宮ノ崎”というような名前は、それなりの由緒がなければつかないだろう。そう考えて調べてみたが、由良町の情報にもどこにもそれらしい説明もなにもない。
 しかし、いくつもの由良情報がみんなウイキペディアのコピペらしく、「由良港の歴史は古く、太平記に登場するほどまで遡れる」と判で押してある。だが、その内容までは説明していないのでわからない。
 それでは…と、『太平記』を調べてみると、『太平記』の巻第五「大塔宮熊野落事」のなかに、なるほど「由良湊」が出てくる。
 
 由良湊を見渡せば、澳漕舟の梶をたへ、浦の浜ゆふ幾重とも、しらぬ浪路に鳴千鳥、紀伊の路の遠山眇々と、藤代の松に掛れる磯の浪、和歌・吹上を外に見て、月に瑩ける玉津島、光も今はさらでだに、長汀曲浦の旅の路、心を砕く習なるに、雨を含める孤村の樹、夕を送る遠寺の鐘、哀を催す時しもあれ、切目の王子に着給ふ。

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 “切目の王子”というのは、由良からは25キロ南東へ下った、印南町の切目王子神社のことらしい。それ以外の地名は現在の地図では発見できないが、これは後醍醐天皇の皇子である、大塔宮護良二品親王が、南北朝の争乱のさなか、南都の般若寺から熊野へ落ち延びるときの記述である。
 このとき、由良の湊でのゆかりの地が、この宮ノ崎であったとしても、なんら不思議はない。
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 もちろんこれは、ほかにそういう確かな資料記録は見あたらないようなので、今のところでんでんむしの勝手な想像にすぎないのであるが…。
 この護良親王は、結果的には建武の中興で大きな役割を果たしたが、不幸な最後をとげることになる。だが、由良まで逃げてくる前の般若寺では、おもしろいエピソードがある。
 寺に潜んでいるとき、大般若経を収納する唐櫃が三つあったが、その一つは経典も半分ほど取り出されて、そのまま蓋をしていなかった。そこで、その中に入って体の上に経本を載せて隠れていた。おかげで、探しに来た兵は蓋のしてあったほうだけを探して、いったんは行ってしまう。
 しかし、また戻ってくるかもしれないと宮は、ここで考える。今度は、既に調べられた蓋がされた櫃のほうに隠れ場所を変えた。やはり、さっき調べなかった蓋の空いた方の櫃を、調べにまた戻ってきたが、そのとっさの機転で難を逃れた、というのである。
 
 「大般若の櫃の中を能々捜したれば、大塔宮はいらせ給はで、大唐の玄弉三蔵こそ坐しけれ。」と戯れければ、兵皆一同に笑て門外へぞ出にける。是偏に摩利支天の冥応、又は十六善神の擁護に依る命也。と、信心肝に銘じ感涙御袖を湿せり。
 
 “大塔の宮はいなかったが、大唐の三蔵がおったぞ”などと、駄洒落などかましつつの話としては、できすぎているので、後世の付け足しの臭いもプンプンするが、そういうことってあるよね、ありそうだよね、と納得させた作者の“どや顔”が浮かんできそうだ。
 後に護良親王は、足利尊氏との抗争で、鎌倉の東光寺に幽閉され、足利直義の刺客によって暗殺される。
 鎌倉は八幡宮の東、二階堂に、大塔宮とも呼ばれる鎌倉宮がある。ここが、その昔の東光寺があったところである。親王の遺志を評価していた明治天皇は、東光寺跡に神社造営の勅命を発したうえ、自ら宮号を「鎌倉宮」と名づけたのである。
 …と、ここまで、引っ張ってきて、宮ノ崎が大塔宮護良親王とはナンの関係もなかったりしたら…。
 ま、それはそれでおもしろいではないか、ということにしておこうか。

▼国土地理院 「地理院地図」
33度57分39.34秒 135度6分1.29秒
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dendenmushi.gif近畿地方(2011/10/04 訪問)

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タグ:和歌山県
きた!みた!印(35)  コメント(4)  トラックバック(0) 
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きた!みた!印 35

コメント 4

右左あんつぁん

大塔宮の由来、面白く読みました。
しかし、日本という国は本当に古い昔のことまでしっかりと記録が残っているもんですね。
これって凄いことですよね。
by 右左あんつぁん (2012-03-05 07:35) 

ナツパパ

あ、護良親王の逸話、小学生の頃読んだことがあります。
懐かしいなあ。
by ナツパパ (2012-03-05 14:49) 

dendenmushi

@右左あんつぁん、おひさしぶり…。大塔宮って、鎌倉宮と二つ名前があるのはどうしてだろうと、疑問に思っていたのが、やっとこの岬のおかげで調べてわかりました。いつもバスで通り過ぎるだけで、降りたことがなかったんで…(^^;。
太平記もそうですが、ずっと後世になって書かれたものなので、いわゆる史料としての価値は第一級とはいえないのでしょう。が、まあ、議事録を後からつくるのとは違いましょう。
by dendenmushi (2012-03-07 06:44) 

dendenmushi

@小学生の頃ですかあ…。すごいなあ。こども向けの読み物になっているくらい、有名な話なんですね、これは…。
そう言われてみると、なんだか初めて聞く話でもないような気がしてきたりして…(^^;。。
by dendenmushi (2012-03-07 06:48) 

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