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793 御崎=東牟婁郡串本町潮岬(和歌山県)“万国の東南の極”は聖なる御埼でなにかと話題も豊富 [岬めぐり]

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 「潮岬」は串本町の字地名として広い範囲をカバーしているものの、「潮岬」という名の岬はどこにもないのである。こういう例もまれにあるのだが、ここの場合、灯台名は「潮岬灯台」で、その北側にある出っ張りの名は「御崎」。
 以前には、やはり日本でも最も知られている岬のひとつに数えられる潮岬をはずすわけにはいくまいと、灯台を中心に古いデータの整理分として、「053 潮岬=東牟婁郡串本町潮岬(和歌山県)いつかはきっとやってくる…」の項目をつくっていた。そこで、今回は御崎として改めて項目を立てることにする。
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 これまでにも述べてきたように、この一帯は「潮ノ御崎(埼)」と称していたのが、後に「潮岬」と呼ばれるようになったものである。御崎は、御埼大明神社のある聖なる岬である。読みは「オン」か「ミ」だが、ここは「ミサキ=御埼=御崎=岬」であろう。
 うっそうたる原生林は聖域として犯すものがなく、太古の息吹を伝えているようだが、今回は灯台には登らず、前回行かなかった潮岬タワーのほうからの眺めになった。
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 すると、神社はすっぽりとその原生林のなかに埋まってしまい、タワーからではどこに神社があるのかわからない。(神社のある写真は、053項のデータを前項に再録した。)
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 御埼大明神社の祭神は、少名彦命(すくなひこのみこと)で、この神様は大国主命の協力者として、国づくりに多方面に渡り多彩な活躍をする。「日本書紀」には「熊野の御崎に至りて遂に常世郷に適でましぬ」とあるが、熊野では具合が悪いので、出雲だとする説もある。ここの神主は、塩崎(潮崎)氏であるという。
 『紀伊続風土記』は、ちゃんと岬そのものについても項目を設けて詳述している。
 
○潮御埼
 当浦居の西南八町ばかり、御埼明神がある所の辺りを広くいう名である。また潮埼浦ともいう。ここは本国の極南の出崎で、西の方は天気明朗の時は阿波土佐の島を雲中にかすかに見ることができる。南の方は大□に対してその際涯を見る。『万国輿地図』を閲すると我が国の南はただ大□で国があることを書いていない。そうであるならばすなわちこの地はただ皇国の極南のみならず万国の東南の極ということができる。(□は判読不明の意であろうが、ここでは「海」と読んで差し支えあるまい。)
 その西南の海岸は波濤による衝撃で石巌はことごとく破壊され、残っているもの、異態怪状磊々落々としているものはみな巌骨である。波濤が少し起こると、汹湧滂□沸騰奔激の勢いが精神をすり減らし、魂を削って長く見ることはできない。(KEY SPOT『紀伊続風土記』現代語訳 牟婁郡周潮埼荘上野浦)
 
 これによると、この頃は四国は土佐の島影まで見えたらしいが、“本国(本州)の極南の出崎”であるという認識をしていた。また、ヨーロッパから伝わった『万国輿地図』(世界地図)に照らして、御崎が“皇国の極南のみならず万国の東南の極ということができる”としているのが、なかなか興味深い。
 つまり、極東(Far East)の意識も、日本の東南海は太平洋で、島も国もないという認識も定着していたわけだ。
 続けて、『紀伊続風土記』はこう書いている。
 
 御埼の下に一ノ島、外道島、鈴島、米粒島などいうのがある。みな大巌の海畔にあるのをいうのだ。米粒島の辺の海底の深さは測ることができない。ここを大鰐の淵藪とする。常に数十頭が群をなす。みな船を呑むものである。漁師が魚を多く得たときはこれを呑もうとして追って来ることがある。この難を免れる方法は、得た魚を二匹ずつ尾を縛り合わせ、船を矢の速さで走らせ、その得た魚を海中に投げ入れては走り、また投げ、数十匹を投げ入れる間にようやく浦辺に近くなるのでこの難を逃れるという。(KEY SPOT『紀伊続風土記』現代語訳 牟婁郡周潮埼荘上野浦)
 
 おもしろそうな話だが、“大鰐”とはワニではなく、因幡の白兎伝説と同じく、サメのことであろうか。こういった話は、地誌の編纂者が地元の言い伝えをおもしろがって採用した、といったところだろうか。
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 米粒島は、灯台下から伸びる岩礁のいちばん先端に、現在の国土地理院の地図にもその名を残しているが、他の名は見当たらない。
 791 アンドノ鼻の項でもふれたのだが、この本州最南端の岬では、海も好天だと平穏に見えているが、潮流が激しくこの岬を回るだけでもかなりの難所であったはずである。
 黒潮の大きな流れとその影響のことは、土佐の足摺岬と日高郡比井御崎とここ潮の御崎を結ぶ三角海域で、和深の三石を境に上り潮・下り潮があると意識されていたようだ。
 関連して、こんな記述もある。

 ●また口和深村の三石の条に書いた海潮上り下がりのことは、この御埼がその勢いが最盛で廻船の者はこれを恐れ、常に潮間を窺って通行するという。潮の上下について一つの異事がある。下り潮のとき、御埼の辺で海中で溺れ死んだ者があれば潮が留まって往かない。このとき土地の人が御埼明神で湯立をして神に祈るとたちまち元のように下り潮になる。このことは常々あって、その霊応は著しい。上り潮のときはこのことはないという。これもまた一つの奇事である。(KEY SPOT『紀伊続風土記』現代語訳 牟婁郡周潮埼荘上野浦)

 こういった、土地に伝わる話題、“ホンマでっか!?”というような異事や奇事を言い伝え、また書き残し、また流布していくことも、当時としては重要な情報リテラシーそのものであったのだろう。
 『紀伊続風土記』、この潮埼荘上野浦の項は、なぜかこういった話がほかにもいくつかあって多く、饒舌である。

▼国土地理院 「地理院地図」
33度26分18.91秒 135度45分13.79秒
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dendenmushi.gif近畿地方(2011/10/06 訪問)

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きた!みた!印(34)  コメント(2)  トラックバック(0) 
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コメント 2

ナツパパ

一つの岬にたくさんの名前があって...やはりここは難所だったのですね。
by ナツパパ (2012-05-16 17:31) 

dendenmushi

@引き続き、本州最南端をお楽しみください。難所の件も、フォローしました。
by dendenmushi (2012-05-18 06:16) 

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