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797 猪喰鼻=東牟婁郡串本町大島(和歌山県)昔は巡航船で渡った紀伊大島へはくしもと大橋で渡る [岬めぐり]

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 「大島」と称する島は、全国にたくさんあるので、ここは「紀伊大島」と呼ばれるようになったようだ。だが、島の中央部にある小学校と中学校も、“串本町立大島小学校”と“串本町立大島小学校”で、島の西にある港も単に“大島港”で、旧村名も“大島村”であった。ここでは、古い昔から大島で通っていたし、今も大島で通称していることも多いらしい。
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 “おじいさんっ子”であったからというより、昔のラジオには番組選択の余地がほとんどなかったためだろうが、でんでんむしはこどもの頃から、浪曲、講談、落語そして民謡の類いもよく聞いていた。そのなかに「串本節」もあって、「ここは串本 向かいは大島 仲をとりもつ 巡航船 アラヨイショ ヨ〜イショ ヨイショ ヨイショ ヨイショ」という節も歌詞も、しっかり覚えていた。串本と大島という場所も、巡航船というものがあることも、この歌で初めて知った。
 こういった例は、これに限らず、関の五本松三階節さんさ時雨ノーエ節 など、岬めぐりでも民謡に遭遇するところがあり、それらから学校で教わらない知識も得られるのである。
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 串本と大島は、2キロ足らずの水域を挟んで、東西に向かい合っている。その間をとりもっていた巡航船の定期運航は、1999(平成11)年に、くしもと大橋が開通したことによって姿を消した。
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 岬と島に囲まれた水域は、江戸時代から江戸=大坂の東西を結ぶ廻船にとっては、風待ち港、避難港としても重要な寄港地、として重きを成した。
 漁業基地としても、一時期は捕鯨基地でもあったらしいが、現在では養殖漁業が盛んに行なわれているようだ。
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 その様子は、串本町出雲から苗我島までのループ橋と、苗我島と大島の間のアーチ橋のふたつからなる、くしもと大橋の上からの眺めでよくわかる。
 くしもと大橋が大島へ架かる、その東南の出っ張りが猪喰鼻である。この名前も、どういう謂われがあるのか、これまた詳らかでない。
 ここのところ、毎度頼りにしている『紀伊続風土記』でもわからない。『紀伊続風土記』の区分では、「大島」は潮崎荘ではなく、三前(みさき)郷となる。この郷の名も、潮御埼の「みさき」からきているのだ。
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 周参見荘・潮埼荘の二荘は、もともと三前郷のうちであったのが、分かれた。
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 江戸時代からの太平洋岸沿岸航路で、重要な寄港地だったことは、江戸期も末期近くに編まれたこの地誌にも、「潮御崎を越える波濤が厳しく恐ろしいので廻船がここに停泊して風候を待つ者が常に十百と群をなす。よって村中には旅泊の家が多く、生産は優れている。」とある。
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 ただ、大島は平地はなく、周囲26キロの海岸線は、そのほとんどが岩礁に取り巻かれている。それに水の便も限られていただろうから、少なくとも人が住み着いて暮らすのに向いていた、というわけではなさそうだ。
 串本駅から樫野灯台口行きのバスに乗って、くしもと大橋を渡る。出雲側の橋は、苗我島まではどうやら締め切られた堤防の上を走っているようである。その内側の串本港に向かっては、養魚場のような網やブイが所狭しと埋め尽くしていた。
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▼国土地理院 「地理院地図」
33度27分45.53秒 135度48分4.81秒
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dendenmushi.gif近畿地方(2011/10/06 訪問)

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