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846 赤石鼻=出雲市大社町日御碕(島根県)“国譲りの神話”の舞台というのがこの稲佐の浜だけどそれにしても… [岬めぐり]

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 大社の土産物屋前の駐車場を後にしたバスは、辨天島という(未確認)小さなこぶがある稲佐の浜まで出て、海岸を南下する。漁港の向こうに見えるのが赤石鼻。出雲の阿国の墓から西、大社の町の海岸から、島根半島先端の追石鼻までは、直線で5キロくらい、細かくでこぼこが続く岩だらけの海岸の少し高いところを道路が通っている。
 その道に入る前にある砂浜が、「稲佐の浜」で、ここは出雲にまつわる神話のうち、いわゆる“国譲りの神話”の舞台である。
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 『古事記』では、まず天照大神が「豊葦原の瑞穂の国は我が子天忍穂耳命の知らさむ国(支配すべき国)である」として、彼をこの地に派遣しようとする。ところが、命が天の浮橋から下界を見てみると、荒ぶる国つ神たちがいて、騒々しい。そこで、二度ばかり使者を出すのだが、これがいずれも帰ってこない。三度目の命を受けた建御雷神と天鳥船神は、出雲の伊那佐の浜に降り立ち、十掬剣(とつかのつるぎ)を砂浜に突き立て、その切っ先の上にあぐらをかいて座ると、こう宣言する。
 「汝がうしはける(占有している)葦原中国は御子の知らさむ国であると天照大神は我らを平定に遣わされた。汝が意は何如」と…。
 出雲を支配していた大国主神の二人の子のうち、事代主神はこれを承知する。もう一人の建御名方神は、力比べを挑むがかなわず、一度は信濃の国の諏訪湖まで逃げるが、結局帰順する。これを受けて大国主神も、条件付き(これがまた、神殿をひとつ建ててくれれば、というのがいかにもおかしい)で国譲りを承知することになる。
 『日本書紀』では、五十田狹之小汀(いたさのおはま)となっているが、現在では稲佐の浜と呼ばれているこの浜は、神在月の到来を告げる「神迎神事」が行なわれるところでもある。
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 しかし、考えてみればこの「国譲り」の話、これもズイブンなヒドイ話であり、天照大神の上から目線(神様だから当然?)の一方的な主張はいったいナンなんだ? また、大国主神がせっかく得た自分の国、いわゆる出雲文化圏は、山陰だけでなく、九州から北陸におよぶかなり広範囲な地域であったと考えられている。それを、たいした理由もなく、またたいした抵抗もせずに天孫族に譲り渡してしまうというのも、いかにも常識外れだが、もともと神話は常識では計れない。
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 おそらく縄文時代の末期頃の古代日本で、ひとつの時代が終わり、農耕を中心とする新しい文化が起こっていく、ちょうどその間をつなぐことになる無血革命(実はそうではなかったにせよ)による政権委譲の説話として、出雲神話をたくさんパクったままの記紀のなかに、これを挟み込むことが極めて重要だったのだろう。
 それにしても、考えれば考えるほど、出雲は不思議な場所である。実際にあったであろう勢力争いには、南東の山向こうの吉備の国が、重要なファクターではなかったかと、想像はできるが…。
 バスは、家々が固まっている集落のそばから、長方形にきちんと区画された水田が展開する出雲平野を縦断していく。このうち、古代の出雲の中心部は、斐伊川の西に限られていたのではないか。
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 平野の北側は、出雲大社が背にする島根半島の西の山塊が屏風を立てたように並んでいる。一番高い鼻高山が536メートルだから、そう高くはないが、山のすぐ下から平たい田園地帯と町が始まっている。
 山陰道と山陰本線が走る南側には、中国山地のでこばこが東西に続き、その南北の山並みに挟まれた出雲平野は、南北が狭いところで5キロ、広いところで約10キロ、東西はおよそ20キロほどある。
 そのほぼ中央で川筋の方向が東西に分かれているのも不思議で、西半分は神戸川と堀川が大社湾に注ぎ、東半分は斐伊川、平田船川、五右衛門川、斐川が宍道湖に注いでいる。
 そのなかでも、最も長い斐伊川は、広島県との県境の山に水源を発し、たたらの谷をうねうねと曲がりくねって下っていて、八岐大蛇神話はこの川をイメージとしてつくられたのではないかという説は、説得力がある。
 出雲ドームがあり、一畑電鉄の線路が二筋も走り、宍道湖畔に出雲空港までできている平野は、今では住宅の数が増え、田圃のほうが目立たなくなっている。
 だが、箱庭のようなここで日本の最も古い稲作文化のひとつがはぐくまれたと考えるのは、理屈に合っているかも知れない。
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 バスは、玉造温泉を目指して、出雲ICから平野の南側の山に中を走っている、山陰自動車道に入る。次の斐川ICを過ぎたあたりには、∴マークつきで「荒神山遺跡」と、少し離れた松江自動車道のそばに「加茂岩倉遺跡」が、ちゃんと地図にも表示してある。この名前は、歴史ファンには超有名でおなじみのものだろう。

▼国土地理院 「地理院地図」
35度24分40.36秒 132度38分59.76秒
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dendenmushi.gif中国地方(2012/05/30 訪問)

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タグ:歴史 島根県
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コメント 2

だいだらぼっち

オオクニヌシ神話はわが播磨にも広まっており、オオクニヌシ=オオモノヌシとすれば、大和の三輪山伝説ともつながります。梅原説では、もともと大和にはオオクニヌシ王朝があったというのですが、はたしてどんなものでしょう。いずれにせよ、古代のロマンですね。稲佐の浜、私も行きました。
by だいだらぼっち (2012-09-19 05:49) 

dendenmushi

@梅原猛『神々の流竄』ですね。だいだらぼっち さんからコメントをいただいたので、847項ではちょっとそれでいろいろ思い出したことなどを書いておくことにしました。ありがとうございました。
そうですか、だいだらぼっち さんは、播磨国の住人さんでしたか。

by dendenmushi (2012-09-19 22:16) 

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