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854 琴平岬=爾志郡乙部町三ツ谷(北海道)崖と化石と温泉と湧水の乙部町の“追分ソーランライン”を北上中 [岬めぐり]

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 突符岬を過ぎると間もなく、三ツ谷地区の南端に、穴澗岬という小さな出っ張りがあるのだが、いくら探してもそれらしきところが写真に写っていない。
 その南、元和からの道が、海岸からはちょっと離れたところを走っているし、北の端にある川沿いの集落を、大きく回り込んでいるので、岬の上らしい小山のような景色しか見えなかった。
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 岬を越える峠を下るところで、再び海が近寄ってくる。その道路の脇には“追分ソーランライン”という横に長い標識が立っている。そうか、ここらも“追分ソーランライン”なのか…と、かつて通ってきた松前から江差へ続く228〜227号線の道の風景を懐かしく思い出す。いや、それだけではなく、弁慶岬もそうだった。江差から寿都町の尻別岬までの229号線を通して、その名がついていて、同じ標識が立っている。“余市まで273km”という標識もあるので、229号線そのものは余市までつながっているのだろうが、尻別岬から北は“雷電国道”と、同じ道が名を変える。
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 今回は、久遠(せたな町)まで行くつもりなのだが、そこはもう“追分ソーランライン”のうちにはいらない。その手前の宮野からは、229号線は北桧山へ向かって山に入って行くからである。
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 ちょっと先走り過ぎてしまったので、道を戻って、次は琴平岬である。
 この岬は、穴澗岬よりはずっと大きく張り出しているので、“追分ソーランライン”が海岸線を走るところで、そのごつごつした岩を縦に並べてくっつけたような姿が特徴の岬が見えてくる。
 しかし、そのさらに北西に延びている鮪ノ岬のほうがもっとずっと大きいので、その懐に抱かれているような格好になり、南からの視界には常に二つの岬がセットで一画面に入る。いや、さらに遠くには久遠の小歌岬か帆越岬とおぼしきあたりも見えているので、三つだ。
 バスの車窓からの写真は、フロントのガラスからの景色がいちばんきれいに撮れるが、岬は横にあるほうが多い。横の窓は加工ガラスが使ってあったりして、色が変わる場合もある。それよりなにより、問題は日光の指す方向と日差しの照り具合で、あまり天気がよすぎると、車内の反射が写り込んでしまうのだ。
 まあ、それもこれもよほどヒドイのは採用しないが、基本的にはさほど気にしないというのが、でんでんむしポリシーで、そのときどきであるがままの状況を可能な限り受け入れることにしている。
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 岬の南北にはぎりぎりのところまで、集落の建物が迫っているので、岩の岬そのものは、実はさほど大きくはない。
 そのためか、乙部町の観光案内にも、館ノ岬とこの次の項目になる鮪ノ岬はあげているのだが、穴澗岬も琴平岬も無視されているので、なにも情報がない。でもまあ、そりゃそうだろうね。こんなところにいちいち注目するのは、「岬めぐり」ならではの視点だからこそ、初めて可能なのだから。
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 「三ツ谷」というこの付近の字地名は、明らかに地形の特徴を示したものだろう。そう思って国土地理院の地形図をみると、岬の北側に小瀑布をもち深い溝を掘って流れきて、岩の間からあふれ出る琴平川の谷があり、岬の南では名前表示のない川筋があり、そのさらに南には川のない谷がある。
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 そして、その谷を迂回するようにして旧道が通る。海岸に国道229号線が開通する前までは、この旧道が主要路だったのだろうか。旧道の標高50メートルくらいのところには、“能登の水”と地図表記してある。町にはいくつかの名水もあるらしい。
 崖と化石と温泉とが目立つ乙部町では、湧水も豊富のようだ。
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 この岬を通り過ぎて、鮪ノ岬に近づいたところから、後ろを振り返ってみると、琴平岬の北面が見える。その向こうには、先にも紹介した突符岬のらしい立岩があり、さらに遠くには江差と松前半島の山が長く延びている。
 ここでは、北も南も岬が幾重にも重なりながら続いている。こういう景色は、いかにも複雑な日本の海岸線らしくて、とてもいいなぁいつも思う。
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 ところで、前項に追記したように、ChinchikoPapaさんから、「館ノ岬の「館」とは、少し南に室町期からあった「花沢館」から取られているのでしょうか。」という例によっての方法でコメントを 2012-10-02付けでいただいていた。
 実は、これについては乙部の歴史という点で興味もあったので、いろいろ調べてはみたが、乙部の昔の情報はほとんどなかったのでなにもわからず、書けなかった。「館ノ岬」の上には誰かの館があったのかもしれないが、それを確かめるすべがなかったのでスルーしていたのである。
 「花沢館」というのは、JR江差線の上ノ国にあった中世の城塞で、その跡が残っている。それについては、154 大潤ノ崎=上ノ国(北海道)ナゾの「北海道発祥の地」 の項でふれたのだが、松前氏の前史につながる安東氏や蛎崎氏や武田氏にかかわる歴史の中に“道南十二館”というものがある。コシャマインの戦い(1457(長禄1)年)では、そのうちのほとんどの館がアイヌに破れるのだが、武田信広が最後に残った花沢館を守った、というものである。
 “道南十二館”は松前半島の南端に限られ、JR江差線の上ノ国にあった花沢館は、いわばその北限である。上ノ国と乙部は直線距離で20キロも離れているので、おそらくそれとは関係はないだろう。コシャマインの蜂起には乙部のアイヌも参戦したといわれるので、その後(1596年頃)、蝦夷を目指した和人たちのうち、上杉家臣団の宇田氏らが乙部に拠点を開いた頃の「館」があったとも考えられるが、そういう記録はないようだ。
 とすれば、ここの「館」は岸壁のイメージから、元々は「盾ノ岬」であったのが、音だけとって字が入れ替わったのかもしれぬ。…とまあいろいいろ想像は広がるが、いかがなものでしょう。

▼国土地理院 「地理院地図」
42度1分48.09秒 140度5分44.53秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2012/09/02 訪問)

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タグ:北海道 歴史
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コメント 2

ぱぱくま

北海道の海沿いの道はそれと分かる独特の雰囲気ですよね。
地図で見るよりも海岸線はずっと複雑ですね♪
by ぱぱくま (2012-10-06 21:53) 

dendenmushi

@ふしぎなんですがね、地図で見るのと実際の景色が、見え方というのか、なんというのか、微妙に違うのですね。
これは前にも、ちょっと書いたことだけれども、まあ専門的にいえばなんか理屈もあろうし、もともと2Dと3Dだから…。
北海道の海の道は、ひとつには人家が少ない、あっても薄い、ということですね。それと、山が崖が大きい、立岩が多い…。
by dendenmushi (2012-10-08 05:06) 

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