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888 楯崎=福津市渡(福岡県)津屋崎千軒も塩田も伊能忠敬も装飾古墳も月刊『太陽』も玄海彫刻の岬恋の浦も… [岬めぐり]

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 曽根の鼻から北へ続く断崖は、およそ2キロにわたって津屋崎の西にある渡の半島南部の海岸線を描いていて、その北の端に楯崎はある。道路から楯崎が見える適地は、ほぼこの場所しかないので、写真はいくら撮っても同じになる。
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 津屋崎橋から渡の集落を抜けて北西の海岸に出れば、楯崎は岩の出っ張りが白波を被っているのが、眼下に見える。この道は広い自動車道で山に登って行くことができ、その山頂付近には東郷神社があるが、楯崎には楯崎神社。
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 東郷神社は、言わずと知れた日本海海戦のあの東郷平八郎さんを祀ったものだが、なぜにそのような神社がここにあるのかと言えば、津屋崎出身の安部さんという人が発起して、50年がかりで創建したという。

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 楯崎神社のほうは、おそらくは他に例があるように、崖が楯のようだというところからだろうが、これに関する伝説でもあるのかと思えば、それはどうもないらしい。
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 ここまでは、津屋崎千軒を歩いて、福津市まちおこしセンターの「津屋崎千軒なごみ」で呼んでもらったタクシーに乗ってきたのだが、この町はなかなか街路もきれいに整備されていて、いろいろな市民活動も行なわれている。いまどきめずらしい映画会の告知が並木に揺れているかと思えば、コーヒーをいただいて一服したなごみでは、“iPadサロン”なんて催しもあったりする。
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 津屋崎人形というのもここで初めて知ったが、壁には大きな古地図が掛かっていた。
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 “○○千軒”というのは、家が千軒も連なるほど賑やかに繁栄したという意味で付く名前だが、ここ玄界灘沿岸では、「芦屋千軒」「関千軒」と並び「津屋崎千軒」と称されてきたことも、ここへ来て初めて知った。(“芦屋”は兵庫県のではなく遠賀川河口の町で、“関”とは下関のこと。)
 津屋崎千軒は、江戸から明治にかかる時期に、海上交易の拠点として重きをなしたと同時に、塩田の経営で繁栄をもたらしたものだ。
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 現在ではそのどちらも廃れ、千軒とうたわれた古い町並みも火災に遭っているため、その昔日の面影を留めていない。ごく普通の感じの千軒通りの街並みを歩いていて、こんな看板を見つけた。文化9(1812)年7月というと、前年から始まった第8次測量隊としての913日間に及ぶ調査測量行のときのことだろう。
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 このときには、九州では小倉〜鹿児島〜屋久島〜種子島〜長崎〜壱岐〜対馬〜五島などの測量を行なっているので、ここらから対馬方面に行ったのかも知れない。忠敬自身が、自分で地方を歩いたのは、このときが最後になる。
 対馬といえば、東郷神社は対馬海峡が見える立地だから、とする説もあるようだが、確かに津屋崎の西の山には対馬見山(標高245メートル)もある。その麓周辺一帯には、宮地嶽古墳をはじめ、5世紀前半から7世紀前半頃の古墳が56基もあり、そのうち40基は平成17年に国の史跡に指定されと福津市のホームページは書いていた。
 それによると、「石室を区分する場所に石柱があり、鏡や剣、ガラス玉などが出土した古墳や、石室が赤い顔料で塗られていた形跡の残る古墳などさまざまです。」というのだが、それは北九州地方独特の装飾古墳のひとつではないのだろうか。
 装飾古墳のことを知ったのは、1963(昭和38)年6月に創刊された平凡社の月刊『太陽』が、創刊からまだ間もない頃に取りあげた特集でのことだった。強い印象を残したので、その石室内部の何枚もの写真までよく覚えている。平凡社が、筑摩書房から商標権を譲り受けたこの雑誌は、創刊号から全部もっていたのだが、片付け上手な家人の圧力に負けて処分してしまった(とても重たい雑誌だったし…)のは、今頃になって残念なことだったと思ったりする。
 時代の経過変遷とともに、処分されたりなくなったりするのは、何事によらず避けられない。
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 津屋崎千軒の繁栄をもたらした塩田もとうになく、津屋崎橋から北に向かって細長く延びている入江と、その東から北にかけて広がる、平らな田園地帯からそれを想像してみるのもむずかしい。
 青い入江はまた干潟を伴い、クロツラヘラサギやカブトガニなどの絶滅危惧種もいるという。
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 入江の西、楯崎のある渡半島の北部の広大な岬の一帯は、いったいどうなっているのだろう。津屋崎橋を渡ったところに建てられた大きな観光マップでは、そこには“スポーツカルチャーランド玄海彫刻の岬恋の浦”があるとした表記がそのまま残っている。だが、その観光施設もとっくに廃業に追い込まれている。
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 彫刻の岬というのは、その観光施設会社が、勝手につけた名前なので、そういう名の岬があるわけではない。しかし、その跡地がどうなっているのか、ちょっと気になる。 その後ろにある島影は、宗像市の大島。

▼国土地理院 電子国土ポータル(Web.NEXT)
33.79579, 130.446308
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dendenmushi.gif九州地方(2012/10/31訪問)

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タグ:歴史 福岡県
きた!みた!印(35)  コメント(2)  トラックバック(1) 
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きた!みた!印 35

コメント 2

johncomeback

月刊「太陽」残念でしたね。僕も家人の圧力に負けて、アウトドア雑誌を処分したのを悔やんでいます。
by johncomeback (2012-12-15 15:30) 

dendenmushi

@なんといいますか、この頃もやたら整理しろとか、とにかく捨てろとか、そればっかですからねえ。 (o_o;:
by dendenmushi (2012-12-17 05:15) 

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