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890 草崎=宗像市神湊(福岡県)一直線に並ぶ宗像大社の三宮を往来する人々の出入りを常に見守ってきた岬 [岬めぐり]

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 いつだったか、もうだいぶ前のことだが、NHK-TVで沖ノ島の番組を観ていて、とても印象に残っていて忘れられない光景があった。確か、宗像大社の秋の大祭か何かだったのだろうと思うが、玄界灘を大小さまざまの漁船の大群が、それぞれ旗や幟を押し立てて、何百という白い航跡を描きながら沖ノ島をめざしていく。それを空撮で追うカメラが大きくゆっくりと青い海の上を旋回して…。
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 「海の正倉院」といわれる沖ノ島は、田心姫神(たごりひめのかみ)が祀られている宗像大社の沖津宮の島である。一般人が誰でもが気軽に行けるところではない。そこで、草崎の沖にある宗像市大島には、湍津姫神(たぎつひめのかみ)を祀る中津宮があり、ここには北の海岸に沖津宮遙拝所もある。そして、宗像市田島の辺津宮には、市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)が祀られている。
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 この三つの宮を総称して「宗像大社」と呼び、三宮の祭神は「宗像三女神」ともいわれているわけだ。
 あれ、この前に弁天さんのことを書いたのはどこでだったかな。(866 弁天岬=久遠郡せたな町北檜山区太櫓)
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 草崎は、南西側の勝浦浜からも見える。そこからは草崎の沖に浮かぶ勝島もあるが、北東側の神湊からは陰になっている。草崎も勝島も、もとは宗像の宮司か誰かの城があったとされ、いかに宗像大社の力が大きかったかを物語る。
 宗像市田島から大島を経て沖ノ島を結ぶと、60キロのほぼ直線上に並んでいる。辺津宮から神湊へ行く道も、ほぼ直線になっていて、そこの港からは渡船でまっすぐ中津宮の大島へつながる。辺津宮の近くには玄海小学校や玄海中学校もある。神湊の東に続くさつき松原近くには、玄海GCや玄海ロイヤルホテルもある。
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 それは、昔はここらは玄海町だったのが、宗像市と合併したためである。また、佐賀県には、今も玄海町があり、そこには“町長の家が九電の仕事を請け負う建設会社で、知事は玄海原発PR館館長の息子だった”という構図の上に玄海原発が建っている。
 そして、“玄界灘”は佐賀県にまで広がっている。あれ、“玄界”と“玄海”はどう区別するんだったっけ。
  「玄界灘」=「玄海」は省略形(古くは「玄界洋」=「玄洋」)
  ∴「玄海灘」=「玄海海」となり海の意が重複するので×誤記
 玄界灘の範囲は、草崎の東にある鐘ノ岬から唐津の東松原あたりまでから、北は壱岐対馬から沖ノ島付近までをいう。これより北は日本海になり、東は響灘の領域になるのだが、遠賀川沖まで東の境界を引き延ばして使うこともある。
 村田英雄の『無法松の一生~度胸千両入り~』(作詞:吉野夫二郎)では、「小倉生まれで玄海育ち」「愚痴や未練は玄界灘に」と界と海の使い分けはできているのだが、肝心の玄界灘の範囲では、小倉は遠賀川より東の響灘である。ただ、生まれだけが小倉で、育ったのが玄界灘だといっているのだがら、問題はないか。
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 いずれにしても、志賀の島の金印と海人族、それに相島、さらに大島、沖ノ島と、こう考えてくると、この宗像の信仰と併せて密接につながりながら、この海域を支配し生活の場としてきた古代からの息吹きを、すぐそこに感じるような気がして楽しくなる。
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 大島・沖ノ島への出入口だった神湊の草崎は、それらの人々の活動を常にずっと見守ってきた岬なのである。
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 大島への渡船が発着するターミナルの建物は、ちょうど新しく改修が終わったところで、周辺道路の整備がまだ続いていたが、その建物の横には、大きな三角縁神獣鏡のレリーフが飾られていて、その説明がこういう。

 本ターミナル西側壁面の石盤は、沖ノ島祭祀遺跡の18号岩上祭祀遺跡から出土した三角縁神獣鏡を題材に作成しました。三角縁神獣鏡は、沖ノ島で大規模な祭祀が始まった4世紀後半に航海の安全を願って奉献されたものです。新たな技術や文化を求め玄界灘を経て大陸や朝鮮半島へ渡った古代の人々の祈りを今に伝えています。
 新ターミナルの建設にあたり、渡船と漁業者、玄界灘を行き交う多くの船舶の安全を願い、そして宗像海人族が残した歴史遺産を身近に感じて頂き、古代に思いを馳せていただければと、海を望むこの地に石盤を設置しました。


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 そう、三角縁神獣鏡についても、前に書いたことがありましたな。あれは、出雲でした。(848 湯町鼻=松江市玉湯町湯町(島根県)なんとまあ銅剣・銅矛・銅鐸から三角縁神獣鏡にたたらときて今度は勾玉作とは…)
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 宗像大社の辺津宮は、何年か前に参拝したことがある。そのとき、神宝館で見た沖ノ島の宝物のなかに、この鏡もあった。しかし、宗像大社の社殿が何でこんな場所にあるんだろうと、いささか納得がいかなかった。なんだか、中途半端に内陸に奥まってあるように思えたのだが、これは地図を眺めていると現在神宝館のある付近から下流では釣川が大きな入江になっていたからではないか、という推測もできる。
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 鏡だけでなく、沖ノ島からは十万点にものぼる金製の指輪や装飾品、勾玉などがみつかっているが、それらは国家繁栄を祈願し海上交通の安全を祈るものだったとみられている。今では、どこの神社でも「家内安全」「商売繁盛」と並んで「交通安全」は欠かせない“三枚看板”のひとつになってはいるが、宗像大社は別格の本家である。
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 なにしろ、ここの交通安全祈願には、二千数百年という歴史がある。古代の昔から「道の神様」としてあがめられ、人や馬や船の石製の形代(かたしろ)が供えられていた。
 それでやっと思い出したが、昔通学で乗っていたバスの運転席の上にも、例外なく“宗像大社”のお守り札がつけられていた。当時は、それを見ながら「宗像大社ってどこにあるんだろう」と、思っていたものだった。
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▼国土地理院 電子国土ポータル(Web.NEXT)
33.856188, 130.479128
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dendenmushi.gif九州地方(2012/10/31訪問)

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タグ:福岡県
きた!みた!印(33)  コメント(2)  トラックバック(1) 
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コメント 2

ダミアン88

世界遺産云々のお話もありました?よね
今まで何故だかわかって無かったんですが、
今回の記事を拝読し、なかなか奥が深そうだという事がわかりました

by ダミアン88 (2012-12-19 18:16) 

dendenmushi

@あの吉村作治さんが言い出して、地元では運動していたみたいですね。とりあえず、暫定リストには入ったのかな。
だけど、ここもまたナゾが多いです。
by dendenmushi (2012-12-21 06:58) 

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