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894 浪懸ノ岸=遠賀郡芦屋町大字山鹿(福岡県)『筑後国続風土記』の記述をたぐって“みなし岬”の由来を探る [岬めぐり]

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 波津城に続いて、また“みなし岬”で、今度は「岸」ときた。
 遠賀川の河口に架かるその名もなみかけ大橋の上から、右岸に張り出した山の崖が浪懸ノ岸なのだが、こうしてみるととくにどうってことのないところにようにしか見えない。おまけに、その崖も茶色のセメントで護岸してあるように見える。魚見山という41メートルの山は、往時はその名の通りの役割を持っていたのだろうが、今は国民宿舎か何かが建っている。
 それで、熱海の魚見崎がなんとなく似ているかも…。
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 だが、こういう名前が現在の地図にちゃんと残っているには、古来の曰くがあってこそだろう。そう考えて、『筑後国続風土記』の記述をたぐってみると、これがやけに詳しいので、その全文を引用してみる。

 山鹿村の境内にあり。山鹿浦の乾の方五町ばかり、柏原村に近き所に、浪懸と云所二あり。一は山の側の岸なり。岩所々に出入ありて凸凹なり。里人是を大浪懸と云。又其少西なる磯ぎはに長き岩の岸あり。是を小浪懸といふ。大ゝは潮干には水遠し。潮みちたる時、西風あらければ、波かゝる。小浪懸は潮みちたる時は、潮にかくるゝ。潮干たる時、西風あらければ、波かゝる。凡海邊の岸に波かゝる所珍しからず。然るに取りわけ、此所を浪懸の岸と名付けしは、大浪懸、小浪懸のある所は、西北をうけて湊口にさし出たる所なり。西北の風はげしき時は、此湊口より大浪よせ来たりて、波著しく懸かる事、他にことなればなり。
  我袖のぬるゝをなにゝたとへまし
      波かけの岸世になかりせば
  松のねにあらはれにけり年を経て
      いかでくづれぬ浪かけのきし


 昔はかなり有名な名所だったようだ。なみかけ大橋から見えているのが、大浪懸なのか。こうしてみると、風土記にいうような感じがあまりしない。その奥に出っ張っているのは岸から700メートル先の洞山である。
 では、小浪懸とはどこにあるのだろう。
 これが現在の地図ではわからないのだが、魚見山の北に位置する柏原漁港から南を見れば、山裾から住宅が海縁に並んでいて、そのすぐ前にある階段状になった防波堤に、激しく波が打ち寄せている。
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 なるほど、風土記の描写はこれに近いものか。 
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 遠賀川の河口左岸の町が芦屋町で、古くは「蘆屋」と書いた。兵庫県の芦屋は高級住宅地として有名だが、ここの蘆屋についても「富家も亦多し」と風土記は言っている。
 
 民家多く町頗廣し。富家も亦多し。岡の湊の南のほとりにあり。むかひは山鹿の里也。遠賀川其間をへだつ。旅船多く出入して、交易の利多く、民家にぎはへり。猶此所の事は岡の湊の内に記せり。
 
 そして、「岡湊」の項では、

 蘆屋のみなとなり。或岡の津、岡の浦とも称す。凡遠賀と岡と同音にて同事なり。岡と名付けるは内浦の西より蘆屋まで三里の間、海邊に高き岡つゞける所なるべし。此所は邊鄙ながらいと名ある所なり。

 
 として、古来神武東征に始まって、仲哀天皇や神功皇后の行啓があったこと、さらには平家に奉じられた安徳帝まで、縁のある地だと強調したうえで、
 
 かく世々の帝の幸なりし所は、偏土には稀なるべし。此所北に海有て、其末は邊際なく、はるかに異國の海に通ずれば、常に風浪あらくして、船客の魂を驚かす。されば此海は蘆屋洋とて、旅客の甚おそるゝ所なり。


 と結んでいる。なみかけ大橋のすぐ下にある芦屋港の向こうに広がる芦屋海岸のそばには、航空自衛隊の芦屋基地飛行場がある。そして、この海岸は岡垣町の三里松原に続いている。
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▼国土地理院 電子国土ポータル(Web.NEXT)
33.903684, 130.661653
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dendenmushi.gif九州地方(2012/10/31訪問)

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タグ:歴史 福岡県
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