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900 碁石鼻=福岡市西区今津(福岡県)志賀島からの遠望になってしまった行き損ね鼻はシロもクロもわからず [岬めぐり]

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 「碁石」というのは、白黒混ざった石が多いところからの名で、海岸や浜はあちこちにあるが、岬では2つしかない。ここ以外は、大船渡市の碁石岬である。震災にあった地域の海岸線は、でんでんむしのように公共交通機関でとなると、まだ当分は行けそうにない。まだ残っている大船渡、気仙沼、南三陸周辺の岬めぐりには、いつになったら出かけられるだろうか。
 旧来の常識でいえば、“福岡市西区”と聞くと、市街地か住宅地を想像してもだいたい間違いはなかったが、今ではそうはいかない。
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 鉄道の線路からは直線距離で3.8キロも離れている今津は、97メートルの浜崎山と177メートルの毘沙門山と、ふたつのピークを持つ小さな半島の先っちょである。
 西区なんだからバスくらい適当に走っているだろうと、いいかげんに足を向けたのがそもそもよくなかったのだが、バスの便もおそろしく悪い。結局、築肥線の今宿で降りて、北に向かって歩き出したものの、今津橋の洲ノ崎まで行くのがやっと。とても碁石鼻までは歩けなかった。
 ここは北に面した毘沙門山の崖が急で、人里からも遠く離れたところなのだが、点線の道が山裾を巻くように示されているので、歩けば行けないことはなかった。行けなかったのは、ひとえに行き当たりばったりの弊害、計画の杜撰さが原因である。反省。
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 とにかくまあ、そういうわけなので、ここの“碁石”がどんなものかまで、確かめることはできなかった。浜もなく、山が海に落ち込んでいるだけの海岸線で、毘沙門山の頂上近くの岩場が複雑な形をしているように、地図にも描かれている。
 その様子は、南側からは見えないが、志賀島からの遠望写真でそれがわかる。ここはとりあえずそれで代用することにしよう。
 志賀島の西海岸、金印公園の南ノ浦岬付近から南の海を望むと、毘沙門山らしい山が見える。
 「らしい」といささか自信のない言い方をしているのは、ときどき場所の特定に手間取ることがあって、この場合もそうだったからだ。とくに遠望の場合は…。
 すでに志賀島の項目で使っているのと、同じ視点の写真ばかりになる。
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 碁石鼻は、東に能古島があり、その間の海には小さな岩島がある。象瀬というこの目印があるので、毘沙門山の位置に間違いはないことが確かめられた。となるとこの山の下正面が碁石鼻のはず。
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 ところが、能古島の南、生の松原から見ると、毘沙門山の姿はまったく違う場所のようにしか見えない。このちょうど右手の先端が、碁石鼻ということになる。
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 その奥に薄い影になって横たわるのは、糸島半島の北端、西浦の蒙古山方面になる。さすがに、この付近には蒙古塚や蒙古山があちこちにある。
 今宿駅から北へ行くと今宿の細い砂浜の海岸が続く。この浜も、元寇の上陸地点で、やはり“∴元寇防塁”が浜の両端にある。西の横浜付近で、それを探してみたのだが、なにもそれらしいものが見つからなかった。
 この海岸は、糸島半島の東の付け根にあたる。大きく飛び出して福岡湾を仕切っている糸島半島の、東側約3分の1強はまだ“福岡市西区”なのだ。
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 この半島の地図を眺めていると、すぐに気がつくことがある。
 それは、JR築肥線の今宿駅から西南西方向に伸びていく線路は、加布里駅付近で半島の付け根を横断して、唐津湾に達するが、その沿線の北側一帯が終始低地で水田や川や沼や入江でつながっていることだ。おまけに、この周辺には、石崎・周船寺・田尻・高田・池田・泊・波多江・浦志・荻浦・新田・水崎・今津・浜崎…といった具合に、水にからむ地名がぎっしりと並んでいるのだ。
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 これをみれば、現在の糸島半島は、昔は島だったのではないか、という推測が容易に成り立つ。そして、ちゃんと志摩という地名まである。
 碁石鼻についても毘沙門山についても、なにも言及していない『筑前国続風土記』だが、「志摩郡」について最初にこのことについて書いていた。(なお、この“金印と元寇シリーズ”の岬めぐりで、折に触れて引用しているこの風土記は、貝原益軒が携わって1688(元禄元)年から編纂を開始し、益軒80歳の1709(宝永6)年に完成している。)
 
 此郡の事志摩と名付し事は、昔は今津の前、亥魔山の後の入海西へ通り、桑原元岡の前より前原に至て、西北の諸邑諸山海中に在し故、志摩と名付。志摩と島との字わかちて二字に書る也。百年以前、入海漸田と成、島に在し西北の諸邑、皆陸地に連れり。近年東西の端は、猶斥残りしが、又既に新田となれり。
 
 この地はまた、邪馬台国論議のなかでは、例の『魏志倭人伝』にいう「伊都国」に比定されているが、島と考えると、対馬(對海国)→壱岐(一大(支)国)→糸島(伊都国)とつなげるのにも座りがいいように思うが、もちろん長年の論争を生んだ方角と距離をあてはめる解けないパズルのような問題は、そんなことでは解決はしない。現在は「志摩郡」はないし、かつてあった「志摩町」は糸島市になった。

▼国土地理院 電子国土ポータル(Web.NEXT)
33.611439, 130.272819
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dendenmushi.gif九州地方(2012/10/30訪問)

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タグ:福岡県
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ナツパパ

本年もどうぞよろしくお願いします。
by ナツパパ (2013-01-08 13:23) 

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