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904 唐泊崎=福岡市西区宮浦(福岡県)のこのうらなみたつここも今津と並ぶ唐船の主要寄港地だった [岬めぐり]

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 昔は「北崎」と呼んだ糸島半島の最北端は、なんとなく犬釘の頭を連想してしまう。その犬釘の頭の片端が、唐泊崎である。
 宮浦から港沿いに続く集落が奥まったところでまた密集しているところが唐泊で、その前の宮浦に続く港が唐泊漁港。元々は唐泊のほうがこの付近の中心集落で、宮浦はこれから派生したものらしい。
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 唐泊崎は漁港と集落の北の終わりから、300メートルほど北東に行ったとこにちょっととんがっている。この出っ張りでは、ここよりもっと北に岬らしい岩崖の出っ張りもあるのだが、唐泊崎の名はそこではなく集落に近いほうについている。
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 この岬のある山塊の南端に、神社マークがふたつ並んでいるが、この左のほうが風土記にいう大歳明神社なのであろう。「村民はおそろしの神といへ共、是は大歳の神を唱へ誤りたる成べし。」というのも、こういう話を一生懸命拾い集めて編纂した貝原益軒には、きっと楽しい仕事だったのではないか。
 この益軒先生のおもしろがり方には、でんでんむしのそれに共通するところがあって、『養生訓』しか知らなかった先生の一面が覗けたようで、なかなか楽しい。一例をあげると、900項で書いていた現在の地図地名から糸島半島が島だったのではないかという直感的推量の件など、益軒先生もちゃんと風土記で同じ視点から書いていた。
 その『筑前国続風土記』だが、唐泊の項では、以下のように書いている。

 今津より一里半西に在、海邊也。萬葉集十五巻に、志摩郡韓亭とかけり。萬葉に多く此所にてよみし歌有。昔は今津に異國船来りしが、此所も今津と廻りつらなりて近き故、韓人の宿する亭を置しれにより、韓亭と云へるにや。又能古島と唐泊、其間二里餘の海を隔てたれ共、向に相對して近く見ゆ。古へ人の、唐泊り残る浦波とつゞけてよめる歌、よく境趣にかなへり。(略)
  唐泊のこの浦波立ぬ日は
     あれ共いへに戀ぬ日はなし
  帰りこしかひこそなけれ唐泊
     いづち流れし人の行衛は
  鹽風は荒くもぞなる唐泊り
     のこの浦舟漕出づなゆめ

     
 ははあ、そういうことですか。
 「のこの浦波」は「残る浦波」と「能古の浦波」と、掛けていたわけですね。確かに、この海岸からは能古島と志賀島が真正面に見える。二里余という距離は、いささか狂いもあるようで、能古島の195メートルの三角点から唐泊崎までは7キロ。
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 これもなかなか位置関係があって、えっ?! あれが能古島? でもって、こっちが志賀島?! と、そのほかに島はないのに自信がなくなってしまうのは、角度が変わってしまうと微妙に島の形がちがってみえるうえ、唐泊崎の向こうに志賀島があることも、なんども地図を見比べてみなければならなくなる。
 万葉集というのもある意味不思議なもので、「こんなところでこんな歌を、誰が…」と思ってしまうのも、無意識のうちに当時の文化的距離感が狂っているからなのだろう。
 角度を変えてみれば、この北九州一帯は、都よりも文化的には先進地であったかも知れないのだから…。
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▼国土地理院 電子国土ポータル(Web.NEXT)
33.646216, 130.236074
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dendenmushi.gif九州地方(2012/10/30訪問)

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タグ:歴史 福岡県
きた!みた!印(29)  コメント(2)  トラックバック(0) 
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コメント 2

ロゼ

本当にいろいろと、博識でいらしゃいますね。ありがとうございます。
by ロゼ (2013-01-16 21:03) 

dendenmushi

@ロゼ さん、ありがとうございます。いやいや、博識なんではなく、なんにでも興味と想いがあるもんですから、それらをとぼしい知識と消えかかっている記憶を総動員して…。それで足りないところはいろいろ調べて確認しながら、書いております。
これも、まあ、将来、孫が読んでおもしろいと思ってくれれば、それでいいかな…と。
by dendenmushi (2013-01-17 19:25) 

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