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□26:学校から団体で映画鑑賞に行ったそういう時代の記憶に残るものは…=広島市(広島県) [ある編集者の記憶遺産]

 映画への憧れのようなものは一般に広くあったが、まだまだそれは身近な娯楽とは言いがたかった。それを埋めるように、幻灯機というものや16ミリフィルムというものもあるにはあった。だが、それも持っている家は極めて限られた。それでも誰かがどこかで借りてきて、近所のこどもを集めては映写会のようなものが開かれたりした。
 また、戦後何本かつくられた広島の原爆をテーマにした映画のロケが広島で行なわれたことがあった。そんなときには、エキストラに動員されたこともある。映画『ひろしま』のときだったか、東洋工業の構内を使ったロケがあり、近くの学校ということで大量動員がかかった。しかし、できあがった映画には誰ひとり写っていなかったりして、みんなで大笑いした。
 映画のいちばん古い記憶は、原爆が落ちる前に市内の映画館で見たぼんやりしたもので、がくがくちまちまと動く画面には、ドタバタの喜劇のようなものが映っていた。チャップリンやキートンのフィルムだったのだろうか。その次は、向洋駅前近くにあった向洋銀映で見たのだろうと思うが、内容はよく覚えていない。同時上映の添え物ではミッキーマウスのようなマンガ映画があったように記憶している。
 戦後しばらくの間は、各地で夏の野外に幕を張っての映画会の催しがよくあった。これは無料で、青崎小学校の校庭でも、青崎東の鉄道アパートの広場でもあった。そこでは、三益愛子の母物だとかまだ小さな美空ひばりなどが映っていたのを覚えている。テレビが出る前だから、なにかそういう娯楽をみんな求めていたのだろう。
 学校の講堂で幕を引いての映写会もたまにあったが、小学校の高学年くらいからは学校から団体で映画鑑賞に行くこともあった。中学になっても視聴覚教育の設備はまだ整っていなかったので、市内の映画館の一回目の上映前に特別に封切り映画を上映してもらう映画鑑賞は年に何度かはあった。確か、20円くらい払っていたのではないだろうか。
 そんな小学校から中学校時代に映画鑑賞で見た映画は、もちろん教育的配慮から作品は選ばれていてディズニー映画も多くあったが、そのなかには歴史的にみても記念すべきものもあった。
 最初に見た長編マンガ映画(アニメという言葉はまだなかった)は、1947年に発表のイワン・イワノフ・ワノ監督の『せむしの仔馬』で、実写とはまったく違う幻想的なシーンのはしばしを、いまでも思い出すことができる。
 ではアニメはソビエトのほうが先行していたかというと、そんなことはない。日本での公開は1950年と『せむしの仔馬』より後になったが、ディズニーの長編映画第1作目であった『白雪姫』の衝撃も大きかった。これは歌の楽しさ、アニメの動きの楽しさを、おおいに発揮していて印象的だった。なによりも驚くのは、これが戦前にはもうできていて、世界では初のカラー長編アニメとして、1937年には公開されていたということだ。ただ日本とドイツ(確かそうだったはず)だけは、戦後だいぶ経ってからの公開となった。
 これにもいろんな説があったが、これから戦争をしようとする相手国がこんな映画をつくる力をもつ国だとわかれば、厭戦気分を煽りかねないから、当時の軍部が輸入上映を禁じたのだという。あるいは、ナチスも同じように考えたものだろうか。後年、確かにそのとおりの感想をもったので、それにも説得力がある。
 それから少し間をおいて、1958年公開の『白蛇伝』は、大川博制作の東映作品、日本で最初のカラー長編漫画映画であった。アニメ技術はディズニーにはまだ差があったが、東映アニメはその後の日本アニメを牽引し発展に貢献する。でんでんむし的には、この映画こそが日本人が初めてパンダという動物の存在を意識した最初ではなかったかと、そういう意味でも記念碑的な作品だったと思っている。
 アニメ以外にもいろいろな映画を、この早朝映画鑑賞会で見たが、そのなかでどういうわけで選ばれたか、とくに記憶に残っている作品に『黒い絨毯』というのがあった。主演がチャールトン・ヘストンとエリノア・パーカーという1954年のハリウッド映画だが、軍隊蟻という初めて見るアマゾンの自然とアメリカの美人女優が、強く中学生に印象づけられたのだろう。
 後で映画サークルの仕事をするようになって、いろいろ勉強して知ったのだが、この映画の制作者は、実はSFマニアの間では少々有名な人で、『地球最後の日』『宇宙戦争』『タイム・マシン』『謎の大陸アトランティス』といったでんでんむし好みの路線で、特撮の技を発揮したアニメ(パペトゥーン)作家でもあったジョージ・パルだった。
 当時は、日本で公開されても、広島まで来るのは少し遅れた。ジェームズ・ディーンの『エデンの東』は話題作で、これはもう団体鑑賞ではなく、一人で観に行った。それがまだ中学生のときか高校生になってか、よくわからない。それが上映された八丁堀の「文映」という映画館は、立錐の余地もないほどの超満員で、とても座るどころではない。座席の後ろに立って、人と人の頭の間から見るようで、途中で気分が悪くなって出てしまった。
 それからだいたい5〜8年後くらいに、洋画邦画ともに観客動員も作品の質も、日本では映画の黄金時代といってもいい時代を迎える。その後に迫りくるテレビ時代の足音も聞きつつ…。
 その頃、広島の繁華街のあちこちにたくさんあった映画館を、いまの地図で探そうとしてみても、ひとつも見つけることはできない…。と思ったら、ひとつだけ「東劇ビル」というのが昔と同じ場所にあった。映画館もあるのだろうか。


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dendenmushi.gif(2013/02/09 記)

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タグ:広島県
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きた!みた!印 26

コメント 2

ハマコウ

子どもの頃 近くの広場で見た屋外での映画
子ども会主催でしたか 懐かしく思い出します
by ハマコウ (2013-02-09 06:59) 

dendenmushi

@そうですか、ハマコウ さんのこどもの頃も、野外での映画会やってましたか。当然ながら夏が中心でしたから、夏休みとか夕涼みとかと記憶が重なっていますね。みんなうちわなど手にして、ヤブ蚊を追いながら…。
by dendenmushi (2013-02-09 16:00) 

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