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911 松ノ鼻=赤穂市加里屋(兵庫県)なにゆえに赤穂市街埋立地南端のここだけに岬の名がついているのだろうか [岬めぐり]

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 赤穂城は本家の広島城と同じく、扇状地(三角州)の上に築城された平城である。赤穂港の西の浜から眺めると、水平線と地平線の上に乗っかった景色がどこまでも平たいなかで、左手奥にぽっこりと膨らんだあたりが、その赤穂城の付近だと思われる。
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 松ノ鼻は、お城からは南西方向に2キロほどいった、加里屋の発電所敷地に続く突端にあたる。
 前に書いたとおり、JR赤穂駅からのバス路線も通っていない。東隣の千鳥町にはJFE炉材工場などがあって、その中程まではバスが通っているものの、本数が少なすぎて使い物にならない。
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 昔の赤穂城は、平城ではあるがどちらかというと“海城”の性格を多く持っていたと思われる。それは、以前にこの城跡の中を歩いて感じたことだが、堀には海水を呼び込むようになっていたし、城内から船を出して海へ出ることもできたからだ。
 現在は赤穂市街の中央付近にある城跡だが、赤穂城が城として機能していた時代は、城から南側一帯は、ほとんど海であった。そのことは、前に赤穂城趾を訪れたときの発見で、前項でも紹介した「049 御崎=赤穂(兵庫県)」 の項にも書いていた。
 藩の経済基盤を支えた塩田も、あるいはその周囲に展開していたのだろうか。そういえば、あまり意識されていないことだが、赤穂浪士が仇と狙った吉良義央の領地である愛知県の吉良吉田でも、塩田開発を進めていた。この吉良のことについても別項目「212 蛭子岬=吉良吉田(愛知県)悪名をまとえど綺羅とひかるあり」 で書いているので、ぜひともご参照くだされ。(といっても、こういうときリンクボタンを押して飛んでみようという行動を起こす人は、比率でいうと数%程度と極めて少ないようなのだが…。別ウインドウではないので、また戻って来る人も少なくなってしまうのであれば、それも困るが…。)
 城跡の南に残る地名には、東浜町、海浜町、東沖、西沖、西浜町…といった名が横一線に並んでいることからも、その有様が想像できそうだ。
 赤穂の南部の干拓の進行が比較的遅かったことは、現在の地図を見ても、その状況的証拠が目につく。赤穂城趾から南には、工場や海浜公園などの用地になっていて、民家が拡がる地域がほとんどないといっていいくらいなのだ。つまり、当初から計画的に大規模に埋め立てが進んできた、播磨工業地帯の一翼を担うものだったと思われる。
 だから、バス路線も拡がらないのだろう。
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 加里屋の赤穂発電所の周りは、大きくなった植え込みの緑地帯が取り巻いている。西の浜から眺めると、その緑の盛り上がりがまるで丘のように連なって見えるが、その右端付近が松ノ鼻である。だが、浜辺の砂浜に立ってカメラを構える高さではべったりとしていて、おまけにお天気があまりよくなくて、よけい岬らしく見えず、はっきりしない。
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 赤穂市街地では、岬はこの加里屋の南端にある松ノ鼻と、千種川河口東の御崎のふたつしかない。御崎のほうは古い台地の出っ張りの先端で、神社とともにあるありがたい名前の岬である。ここは岬に残っても当然のように思えるが、松ノ鼻のほうは、果たしてどうだろう。川の河口を利用した、西の赤穂港から、小型の輸送船が出てきて、松ノ鼻を過ぎ加里屋川の河口を通過して行く。
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 どうみても、埋立地の端っこの防波堤の角にあって、ここがどうして岬の名として残ることになったのか。いささか不思議ではある。
 あるいは、御崎の前にある御前岩や、赤穂海浜公園の端にある唐船山のような、岬の元になるような場所があって、それを埋立地が取り込んで名前だけが残った、とも考えられる。
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 そこまで言ってしまうと、いかにも勘ぐりもよけいすぎの印象はぬぐえない。
 だが、埋立地のほかの端っこにはなにもなくて、ここだけに松ノ鼻という名があることにも、相応の経緯と曰わく因縁がなければなるまいに…。
 ならばこそ、それを知りたいと思うのだが…。
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 松ノ鼻は赤穂市街地の端っこだが、ここでの写真はすべて、播州赤穂駅の次の駅の天和駅まで行って、そこから南の海岸に出たところから撮っている。天和駅は無人駅で、周囲には工場などが多い。駅のすぐ南は三菱電機の工場敷地が大きく拡がっていて、駅の東側には住友大阪セメントの工場の高い高炉のようなものも見えている。
 ここの字地名は「顛和」なのだが、JRの駅名は「天和」としている。「顛」の字は地名表記には使われているけれども、一般にはわかりにくいという配慮からか。「天和駅」とある無人駅のすぐ駅前の信号の柱には「顛和駅前」。
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 鷆和は、赤穂市の西端で、割と広い地域をカバーしている。

▼国土地理院 電子国土ポータル(Web.NEXT)
34.733463, 134.373558
>matsunohanaM.jpg
dendenmushi.gif九州地方(2013/02/05訪問)

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タグ:歴史 兵庫県
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コメント 2

TBM

ずいぶん前になりますが、
天和駅近くの工場に、出張で訪問したことがあります。
電車の本数が少ないので、電車の時間に合わせて
会議を終わらせましたね。
by TBM (2013-02-23 00:29) 

dendenmushi

@TBM さん、赤穂から同じ電車できて、この駅で降りた人にはビジネスマン風の人も多かったんです。その人たちは、ほとんどが駅から東のほうに歩いて行きました。やっぱり、三菱電機ですかねえ。
でんでんむしは一人逆方向の西へ行って、踏切を渡って南に向かいましたが、こっちにもいくつも工場がありました。
by dendenmushi (2013-02-23 09:50) 

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