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番外:竹久夢二生家=瀬戸内市邑久町本庄(岡山県)待てど暮らせど来ぬ人を宵待ち草のやる瀬なさ… [番外]

 竹久夢二のことはあっちこっちであまりにもちやほやされているので、かえってたいして興味もなく過ごしてきたのだが、20年くらい前からしばらく湯島にいて、本郷台地や小石川台地を歩き回っていた頃、弥生(“弥生時代”の弥生です)の美術館にも何度か足を運んでいて、そこで彼の業績をまとめて眺めることができたのだが…。
 実は、その頃には夢二より立原道造(といえば“ソネット”なのだが…)のほうが本命で、東大の弥生門に近い、普段は誰も通らないような道にある立原道造記念館を何度か訪ねていたときに、隣接してあった弥生美術館を、ついでに訪れたような格好だった。
 ところが、どういういきさつや事情があったのか、現在では立原道造記念館のほうは2年前に閉館取り壊しとなったようだ。だが、弁護士の鹿野琢見氏の私的コレクションである高畠華宵と竹久夢二を展示する、隣の弥生美術館・竹久夢二美術館は、今も大正ロマンの香りを放って健在なようである。
 日本中に、竹久夢二の美術館や記念館と称するものは、意外に多いようだ。酒田にもあるし日光にもあるし、伊香保にもあり東京にもある。もちろん出身地の岡山には、生誕100年記念の夢二郷土美術館本館というのが後楽園北側の旭川河畔にあるが、夢二の生家と、アトリエ兼自宅だった山帰来荘の建物を東京から移築した少年山荘は、瀬戸内市の邑久本庄にある。
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 なぜか、“夢二は牛窓の出身”という正確ではない情報が昔からこびりついていたので、実際に彼が生まれた家というその場所を訪ねてみると、だいぶイメージが違っていた。
 その場所は、牛窓ではなくて、JR赤穂線の邑久駅から牛窓へ向かう道の途中の田園地帯のなかだった。yumeji09.jpg
 片上でバスを降り、高いところにある西片上の駅を探して、そこから備前長船を走り抜けて、邑久駅で降りる。ここから、牛窓まではバスもあるがホテルの迎えも予約していた。ただ、それも運行時間が決まっているので、予定より早く着いてしまって、駅や駅前で時間をつぶそうにもなんにも手立てがない。そこで、客待ちをしていたタクシーで、ホテルへ入ることにした。
 そのときにも、夢二生家前のバス停を通り過ぎたが、そこを訪問したのは翌日にバスで牛窓のホテルから尻海の岬を訪ねる、その途中の往復を利用して、ゆっくりとその付近も歩くことができた。
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 張り子の虎や人形をつくっている工場のような建物を挟んで、さまざまな展示のある生家と少年山荘の間が公園になっていて、そこにも夢二関連の碑やら田舟なども展示している。
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 背後に竹藪の山を背負った生家は、造り酒屋を営んでいたという割には小さなものだったが、それが盛業ではなかったらしい。しばらくして、父親は酒屋をたたんで九州のできた八幡製鉄所に勤めるようになり、一家も転居する。夢二が東京へ単身出ていくのはその翌年、17歳のとき(1901(明治34)年のことであった。
 夢二のわが国における商業美術全般におよぶ各分野の草分け的な業績については、ここではひとまずおくとして、今回の訪問で改めて思ったのは、彼を支え彼にかかわってきた女性たちのことである。
 絵はがき屋の岸たまきと結婚したことが湊屋での活動を生むが、これも永続きはしない。彦乃やお葉などとの出会いもその作家活動を支え、ときには彼女らが夢二の描く女性のイメージをつくったと思われるが、案外にそれ以上に彼のなかで大きな存在だったのは、茂次郎と呼ばれていた少年時代の母や、とくに姉ではなかったのだろうか。
 生家を訪れて印象に残ったのは、そのことだった。
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 生家下の公園の隅には「花のお江戸ぢゃ夢二と呼ばれ 故郷へ帰ればへのへの茂次郎」という戯れ歌が、立派な石碑になっている。
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 そこから少し西へ外れたコミュニティセンターの前庭には、「待てど暮らせど来ぬ人を 宵待ち草のやる瀬なさ 今よいは月も 出ぬそうな」という有名な「宵待草」の碑がある。どういうわけか、この歌はでんでんむしなども小学生の頃から歌っていた。
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 また、その玄関には石灯籠が置かれていて、「森のおさよがとぼしたる 山の出鼻の常夜燈 わけてこよひはあかあかと 父の出船がちらちらと 泪のうちにちらちらと」という詩が書かれた看板には、夢二が残した昔のこの付近の風景画が添えられている。
 「山の出鼻の…」という文句は、ここも“水郷といってもよかった時代には岬があった”ことを想像させる。
 公園に置かれていたような、長四角で平べったい箱形の田舟が、広い水田のなかを縦横に走るクリークを往来していたのは、昭和40年代以前のことだという。
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 その水路もすでにないが、残された川堀と、本庄の集落周辺に拡がる枯れ田圃と、地図からその様子を想像できる。今、その田の上を走る岡山ブルーラインを大型小型の車両が、ひっきりなしに通り過ぎてゆく。
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▼国土地理院 電子国土ポータル(Web.NEXT)
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dendenmushi.gif中国地方(2013/02/06訪問)

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タグ:岡山県
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