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937 波張崎=玉野市胸上(岡山県)それぞれ遺跡をのせた小さな岬がまだまだ続いているというのがなんともふしぎ [岬めぐり]

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 児島半島がかつては島であったということは、前にも書いていたが、それはいつ頃までのことだったろう。だいたい干拓が盛んになる江戸前期頃に、吉備児島といわれた島は陸続きになったものだろう。それまでは、「吉備の穴海」と呼ばれた浅い海が、児島と本土の間に広がっていたと考えられる。
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 児島半島の中心をなす東西に連なる山脈には、八丈岩山(281メートル)や貝殻山(288メートル)や東光寺山(283メートル)とピークが東から西へ並ぶ。このうち貝殻山のように、その名前からしても太古には海底だったところが隆起して山になったとわかるところもある。さらに西へは、この山脈で最高峰の金甲山(408メートル)で北西に向きを変え、怒塚山(332メートル)を経て、松尾鼻へ落ちていく。児島半島を岡山市と玉野市に分けている境界線は、松尾鼻と米崎を結ぶラインでもあった。
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 その境界の峰から南東方向に伸びる陸地の裾には、いくつもの岬の出っ張りが残されていて、しかもその小さな岬の上(20〜30メートルくらい)にも縄文遺跡などがあるという。
 それがまた、鉾島、大入崎、波張崎とそれぞれにあり、しかもこの南に続く出崎、童崎も含めたすべてに遺跡があるらしい。
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 縄文時代にも幅があるし、その詳しいことは、ネット情報だけではよくわからないが、遺跡のある岬がみごとに連続する、それが児島半島の南東部海岸の特色といってよいのだろう。
 縄文海進については、古東京湾など一部ではかなり研究が進んでいるようだが、その時代の日本の海岸線が全部明らかになったわけでもないらしい。
 縄文時代と呼ばれている今から約7000年前頃には、日本列島の各地で海面が陸地の奥まで拡がっていた。現在よりも海面が2~4メートルも高くなったといわれているが、児島湾一帯も広く海が覆っていたのだろう。
 そういう時代の児島は、なかなか存在感のある島だった、と思われる。なにしろ、児島は「古事記」などでは秋津島(本州)に次いで生まれたというくらいである。あれ、1番は淡路島じゃなかったっけ?
 そう、1番は淡路島、それから四国、隠岐島、筑紫島(九州)、壱岐島、対馬、佐渡島ときて、それから本州が生まれるという順番になっている。
 その後に、児島、小豆島、周防大島と瀬戸内の島ができることになっている。どうでもいいけど、いちおう確認してみました。
 縄文海進の時代には、鉾島はもちろんだがこの波張崎の横に膨らんだ岬も、島だったかもしれない。
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 岬の東にくっついているのは坊子島。その背景にあるのは、豊島であろう。「豊島」表記の島は、瀬戸内海にはほかにもいくつかあるが、ここは「てしま」。1990年代の終わり頃、巨大な産廃不法投棄事件で有名になった島は、香川県小豆島本庄町の一部である。
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 反対に岬の南側から見た背景になっているのは、豊島の西に位置する井島であろうか。
 波張崎もその地図上の記名は岬の南端についている。岬が横に膨らんでいるため、東側の砂浜からも、西側の胸上の港のほうからも陰になって隠れてしまっているが、地図で見るとこの岬の中央部には工場と港が隠されている。ここも昔の塩田跡なのか。
 地図ではその工場に「北興化学工場」と、また港には「江の浜港」とその名が記されている。この会社と関連会社ならびに関連施設は、波張崎とその周辺に大きく勢力を張っており、東側の砂浜の横には、社宅や寮がある。
 名前からして化学メーカーらしいが、なんとこの会社は日本では有数の農薬メーカーだった。本社は日本橋の三井第二別館におくが、この岡山工場のほか北海道と新潟に工場があり、試験農場を北海道と静岡にもっている。
 ファインケミカル部門でも世界的な合成技術をもっているらしい。これもシロウトにはまったく理解の外であるものの、こういう独自技術をもつ会社がたくさんあることは、なんとなく心強い。
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 北興化学の寮の上の道を下っていくと、山田港という広い港の東端に出る。波張崎の西の端と、港の正面には出崎が長々と出張っている。道は、ここから右手(北西方向)胸上の町に入っていく。
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 どこかにバス停はないかと、注意しながら行く道は、だんだんと港と海から離れてしまうが、見つけたシーバスとあるバス停の標識には、停留所名やダイヤなどの文字情報がはがされたままになっている。その意味するところは、かつてはあったコミュニティバス路線が、今は廃止されたということであろう。
 随分長い間、相変わらず人のいない静かな町を抜けたところで交差点に出て、そこでようやく現役の梶岡のバス停を見つけた。
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 ちょうどうまい具合に、数分の待ち時間で宇野駅行きのバスに乗ることができた。
 県道74号線を南に行くと、その先には出崎が横たわる。走るバスの車窓から後ろをみると、波張崎の姿がやっと順光の中に見え、その先端部も初めて見えた。
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▼国土地理院 電子国土ポータル(Web.NEXT)
34.552771, 134.028088
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dendenmushi.gif中国地方(2013/02/07訪問)

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タグ:岡山県
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