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961 横瀬鼻=神津島村長根山(東京都)天上山から流れ落ちる崖の下に出っ張っている岩の岬を過ぎて… [岬めぐり]

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 ここも式根島と同じで、地図上では航路は島の西側に描かれているのだが、それとは反対の東の海岸を南下している。牛鼻付近からは、船の左舷に二つの島影が見えてくる。祗苗島(ただなえじま)は、大小5つくらいの島からなる崖の無人島である。
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 この島は、多幸湾の入口にある砂糠崎の沖にあるが、左舷にこの島が見えるということは、この島と砂糠崎の間を通過して港に入るつもりらしい。
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 祗苗島から少し東に目を転じると、そこには三宅島があるのだが、あいにく雲に隠れて島影もはっきりしない。神津島と三宅島の間は30キロだから、利島と神津島の距離も離れていないのだが、この間には定期航路がない。
 「かめりあ丸」の航路は、神津島が終点で、ここからまた同じルートを引き返すことになる。
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 牛鼻から横瀬鼻にかけては、観音浦という浜が続き、ところどころに岩磯もあるようだ。その間は、直線距離にして1.6キロ。天上山(てんじょうさん)からの複雑なヒダを描いて流れ下る斜面が、150メートルのピークをつくって、崖が海に落ちる。そこが横瀬鼻で、岸壁とまだ新しいような傷跡が目立っている。天上山の東側では、植生が発展せず、こうした崖崩れのような跡を残したところが多い。
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 また、扇状地のような地形も目につくのだが、川はないのでやはり島の起源に由来する斜面なのだろう。だが、それにしてはその上にある断崖との関連が、いささか不整合である。
 地図で見ると、横瀬鼻の南に続く斜面の上100メートルくらいのところには、平らな台地の棚ができているが、海の上からはそれは見えない。そういう台地が、神津島ではそこらじゅうにある。そこからまた急にせり上がって、山は外輪山の縁につながっている。
 遠くから見ると平たく見える天上山は、大島の三原山と同じで、大噴火によって山頂部が吹き飛ばされ、その後に広くて丸くてでこぼこの多い火口原ができたものだと考えられる。
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 その大噴火は、仁明天皇の代(833(天長10)年から850(嘉祥3)年までの18年間)のできごとを記録した『続日本後紀』にも、838(承和5)年の大規模な噴火があったと記されている。838年といえば、遣唐使船を派遣していた平安時代である。“天地創造”時代から、とうに人間の時代になっていたが、京からも人が住む地域からも遠く離れた島の噴火が、ちゃんと記録されているだけに、その噴火はすさまじいものだったのだろう。
 いまもなお、なまなましげな傷跡のように見える白っぽい崖は、そんなことを思わせる。かと思うと、海岸の岸壁には、横一文字に太い刷毛でひと刷毛刷いたような、黒い帯が横に走っている…。
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 まったく、自然地形の不思議さには、毎度毎度翻弄されるばかりである。シロウトのよしなしごとに過ぎないものの、いっとき現世の雑事を忘れて思いにふけると、この大地の複雑怪奇な造形の上で、人間は適地を探し見つけ、そのほんの小さな一点に住まいし耕し、そこにへばりついて生まれて死に、代々をつないでいくだけなのだ。
 神津島では、平地は西海岸の前浜付近と、そこから北東に延びる谷筋にあるだけで、そこが中心集落になっていて、島の南部の空港周辺斜面には、畑がある。多幸湾の港と前浜の集落とは、峠を越え台地の山を迂回して結ばれている。
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 「かめりあ丸」は、横瀬鼻をすり抜けながら、多幸湾に入るため島に接近していく。
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