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1024 シロカラモイ岬=根室市穂香(北海道)クリルの土人も攻めてきたこの付近には7世紀頃に始まる擦文時代の遺跡も [岬めぐり]

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 北東の端の北浜町から始まる根室市街地は、南西の端の西浜町で終わる。町に始まり終わりもへんだが、この岬めぐりの順番でいうと、東から西へ徐々に南下している。そこで、紅煙岬の次の岬は、一気に市街地を飛び越えて穂香(ほにおい)のシロカラモイ岬となる。
 ここは、根室初日の遊覧バス「のさっぷ号」Bコースに乗ったとき春国岱から国道44号線を逆に走ってきたが、掲載順は東から西へ…。
 西浜町の次に、人家が少し増える海岸線が、穂香である。
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 岬のある台地は、西と南を10メートルくらいの崖で囲まれていて、シロカラモイ岬と対称した出っ張りも南西側にあるが、こちらには名はない。shirokaramoim02.jpg
 穂香の側だけ、なんらかの変動で崖も削られて、そこに小さな湾ができたようである。が、出っ張っている岬も低いので、たいして風よけにはならないのではないか、と心配してしまう。
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 道路から集落の間に見ると、細長く突き出た岬のように見えるが、そのほとんどが湾をつくっている海岸線で、岬自体は幅100メートルもない小さな飛び出しに過ぎない。
 だが、この岬のおかげで、穂香の集落もできたのだろう。
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 第二ホニオイ川が小さい支流を集めて浜に出てくるあたりには、カニの大きな看板がふたつくらい見えたが…。
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 穂香には、その昔には“クリルの土人(どじん)”が攻め込んできたという言い伝えもあるという。クリルとは千島のことであり、土人とは今流にいえば、その土地の native のことである。
 今では差別用語になってしまったらしい「土人」は、昔はそんな侮蔑的な意図もなくよく使われていたのだが、それはさておき、通常、「千島」といえば、択捉島の北東、択捉海峡を挟んであるウルップ島から北東に点々とあって、カムチャッカにつながる列島のことである。
 千島には、もともと択捉島や国後島は含まれないが、まれにこれらを「南千島」と称する例もある。
 そこから攻めてくるというのだから、アイヌとは同系列の北方種族ではあろうが、一応別の文化・生活圏を相互に構えていたわけだ。ウルップ島からここまでは400キロはある。そうした距離を乗り越えて、わざわざ攻めてくるということは、それだけのコストとリスクをかけても遠征に値するだけの豊かさが、ここにはあったということができる。
 根室交通の遊覧バス「のさっぷ号」Bコースの行程では、最後に北方四島交流センターという施設に立ち寄る。これは、穂香と西浜町の間で44号線から丘のほうに上っていったところにある。
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 いちおう団体なので、指示に従って小学生とともにぞろぞろ入るが、なにしろ見学時間が20分と短く、おまけにそのほとんどをビデオを見るのに費やされてしまった。そのビデオたるや、四島交流とも直接関係なく、ただ四島の自然を写しただけの、NHKの自然のなんたらというほうがはるかにマシという代物で、こんなものを観るより、館内の他の展示をみたほうがよかった。
 そう、このバスは小学生の10人くらいのグループが主なお客だったのでそうしたのかどうかわからないが、これは一考の余地ありです、根室交通さん。
 こちらの狙いは、とにかく展望室だったが、これがまた窓もきれいでなく、島も見えず、おまけにシロカラモイ岬の方角には展望が開けていない。
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 急いでバスが待っている外へ出てみたが、ここからではまったく岬まで視界が届かない。
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 結局、岬の写真は、バスが穂香を通り抜けるときに撮ったものだけになってしまった。
 北浜町がいきなり始まったときと同じように、西浜町の家並みも唐突に終わる。その住宅街が終わったところには「∴ 西月ヶ岡遺跡」との表記が、国土地理院の地図にはある。これはなんだろう。
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 ちょうど交流センター前に停まっているバスの奥に見える右端森の向こうが、そのあたりになる。
 北海道根室振興局のページでは、次のように説明している。
 
 標高20~30mの台地上に位置し、大小約350基の竪穴群が密集している。方形や長方形の竪穴は、今から約800年前の擦文時代後半のものと考えられており、内耳土器の出土などから、後続するアイヌ文化期との関わりが指摘されるなど考古学上注目されている。
 竪穴は約1200年が過ぎた今でも埋まりきらずに、窪みとなっており、その様相は月面のクレーターを想わせる壮大な景観をなしている。
 
 それでは、写真でみなければ…。電子国土の写真はこの地域に対応していないので、Yahoo!地図で見る。
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 こういうところを見学したかったなあ。
 因みに、「擦文(さつもん)時代」とは、7世紀頃(飛鳥時代)に始まり、13世紀(鎌倉時代後半)にかけて、北海道を中心とする地域だけで栄えた独特の文化をもった時代で、いわば「前アイヌ」の時代ともいえる。
 土器に縄目の模様が付けられた縄文時代に対し、擦文時代には土器の表面に刷毛目がついているのが特徴である。後になるとだんだんと土器は衰退し、鉄器を用いるアイヌ文化にとってかわられた、と見られている。
 擦文時代と同じ場所に、今の人間も家を建て、集落をつくっているのが、なにか奇妙な感覚にとらわれる。

▼国土地理院「地理院地図」
43.313448, 145.532316
shirokaramoimM.jpgshirokaramoimM2.jpg
dendenmushi.gif北海道地方(2013/09/05訪問)

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タグ:北海道
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