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1990☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1990mark.jpg平成2年 庚午(かのえうま)
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◯南ア、終身刑の黒人指導者ネルソン・マンデラを釈放。
◯ソ連最高会議幹部会、大統領制の導入を決定。ゴルバチョフを選出。
◯ラトビア共和国がソ連邦からの独立を決議。リトアニア、エストニアがこれに続く。
◯伊共産党が共産主義と決別。
◯アフリカサンゴの植民地ナムビアが南アから独立。
◯台湾の李登輝総統が中国との敵対関係終結を表明。
◯ペルーで日系のフジモリ大統領が誕生。
◯イラク軍がクエートに侵入。クエートを制圧し支配下に。
◯国連安保理、イラクへの経済制裁を決定。
◯米ブッシュ大統領がサウジアラビアへ派兵を決定。
◯国連安保理、イラクが期限までに撤退しない場合の武力行使容認を決議。

◉総選挙を前に5党首がテレビ公開討論。
◉総選挙の結果、自民が追加公認を含め286で安定多数。
◉第2次海部内閣。官房長官坂本三十次。
◉社会党委員長に土井たか子3選。党規約から「革命」を削除。
◉韓国盧泰愚大統領が来日。天皇が「痛惜の念」を表明。
◉東京でカンボジア和平会談開催。
◉海部首相が首相として初となる沖縄戦没者追悼式に出席。
◉海部首相、イラク派遣多国籍軍へ10億ドルの資金援助などの中東支援策を発表。続いて、エジプトなど3国へ20億支援。
◉防衛白書から「ソ連の潜在的脅威」を削除。
◉梶山法相の米黒人差別発言が問題化。黒人議員連盟に陳謝の書簡。
◉金丸元副総理、田辺社会党副委員長を団長とする自社両党の訪朝団が平壌入り。植民地支配の謝罪と国交正常化を提案。
◉天皇即位の礼。現憲法下で初の大嘗祭。
◉沖縄県知事選挙で、大田昌秀琉球大名誉教授が当選。12年ぶりの革新県政復活。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。橋本登美三郎。東久邇宮稔彦王。北川冬彦。池波正太郎。藤山寛美。高峰三枝子。木暮実千代。出門英。宮田輝。若原一郎。高柳健次郎。滝田ゆう。土門拳。初井言榮。奥村土牛。芥川隆行。飛鳥田一雄。幸田文。浜口庫之助。堀田庄三。キース・ヘリング。サラ・ヴォーン。グレタ・ガルボ。エドウィン・O・ライシャワー。レナード・バーンスタイン。アート・ブレイキー。

◎都銀・地銀間のオンライン提携始まる。
◎天皇の戦争責任発言の本島等長崎市長が、市役所玄関で右翼団員に撃たれる。
◎夕張市で最後の三菱南大夕張炭鉱が閉山。
◎オウム真理教の熊本等の施設を、国土利用計画法違反容疑で捜索。
◎長崎県雲仙普賢岳が、1792(寛政4)以来200年ぶりに大噴火。(その後火砕流が頻発し、平成3年には43人の死者不明者を出す大惨事に。)
◎海外渡航者が1000万人を突破。
◎総人口に占める15歳未満の割合が過去最低。高齢者世帯が10%を超え、1世帯人数も3人を割る。
◎松下電器がファジイ家電第1号となる全自動洗濯機を発売。
◎コードレス電話の人気が急上昇。昭和62年の10万台が平成1年には240万台に。
◎ミニバイクから特殊大型車まで全運転免許取得者が6000万人を超える。16歳以上の60%超が免許をもっていることに。
◎札幌医大がドクター・ヘリを導入。
◎交通事故の死者が1万1227人で、16年間で最悪に。自動車乗車中の死者が40%と欧米型に近づく。
◎神戸三宮に天丼のファーストフード店。東京でも丸紅と日清製粉による「てんや」が開店。
◎梅雨前線の活発化で九州地方各地で山崩れや河川の氾濫。死者27人。
◎台風19号が和歌山県に上陸、本州を縦断して被害。死者不明者39人。
◎大阪鶴見緑地で「国際花と緑の博覧会」開幕。
◎TBSの秋山宇宙特派員を乗せたソ連のソユーズ11号打ち上げ。日本人初の宇宙飛行。

◎書籍にISBNバーコードがつく。
◎古紙暴落。東京都内に昭和60年に3000台あったちり紙交換も500台に激減。
◎コミック誌の発行部数が10年間で1.5倍に。全雑誌販売額の23%を占める。集英社の「週刊少年ジャンプ」が585万部でトップ。

■流 行:いか天・カーナビ・ミネラルウオーター。
■テレビ:ちびまる子ちゃん・渡る世間は鬼ばかり。
■邦 画:角川春樹/天と地と・黒沢明/夢・市川準/つぐみ・桑田佳祐/稲村ジェーン・篠田正浩/少年時代。
■洋 画:ジェリー=ザッカー/ゴースト=ニューヨークの幻・フィル=アルデン=ロビンソン/フィールド=オブ=ドリームス・ロバート=ゼメキス/バック=トゥ=ザ=フューチャー PART3。
■ 歌 :B.B.クイーンズ/おどるポンポコリン・米米CLUB/浪漫飛行・たま/さよなら人類・リンドバーグ/今すぐKiss Me・TUBE/あー夏休み・徳永英明/壊れかけのRadio・沢田知可子/会いたい・辛島美登里/サイレント・イヴ・山下達郎/Endless Game・坂本冬美/能登はいらんかいね・永井真理子/ZUTTO・大江千里/APOLLO・ドリームズ=カム=トゥルー/Ring! Ring!Ring!・伍代夏子/忍ぶ雨・晴山さおり/一円玉の旅がらす・吉田栄作/心の旅・BEGIN/恋しくて・井上陽水/少年時代・中森明菜/Dear Friend・矢沢永吉/PURE GOLD。
■ 本 :二谷友里恵/愛される理由・筒井康隆/文学部唯野教授・柴門ふみ/恋愛論・シドニィ=シェルダン/真夜中は別の顔・ドラゴンクエストⅣ公式ガイドブック。
■ことば:アッシーくん・ボーダーレス・バブル崩壊・3K・ファジイ。

❖年表の元ネタ主な参考資料河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2015/04/05 でんでんむし蛇足の記)
 スティーブ・ジョブスが「このまま一生、砂糖水を売り続けるのか」と言ってペプシにいたジョン・スカリーを引き抜いた話も、その引き抜いたスカリーにジョブスが追い出される話も、そしてまたジョブスがAppleに返り咲く話も、今ではすっかり有名で、きっとMacintoshが嫌いな人でもユーザーでもない人でも知っているのだろう。
 Macユーザーの間では、どうしてあのアトキンソンの名作HyperCardをカラー化してちゃんと活かしていかないんだろうという疑問があったのだが、それもこの権利がスカリーがらみだったからだ。復帰した後のジョブスがPDAにテコ入れしなかったのも、Newton自体がスカリーのプロジェクトだったからという説もある。おそらくそういうこともあったのだろう。
 グーテンベルグの肖像画をトレードマークにしていた、アルダス社の社長ポール・ブレイナードが1986年に提唱した言葉といわれているが、DTP(Desktop publishing)というのは、でんでんむし的にはあまり好きでない。だが、定着してしまったのでやむを得ず使うことにする。
 前にも書いたように当初は縦組みができなかったページレイアウトソフトPageMakerも、どうにか日本語化対応ができるが、その頃にはクオーク社のQuarkXPressが日本語組み版に目配りをしカラー対応もできることで、日本でのDTPを先行リードしていた。
 今では、それがアドビ社の InDesignに取って代わられているのは、Mac OS Xへの対応が遅れたからだといわれているが、最初からのユーザーであるでんでんむしにいわせれば、初期購入もアップグレードも価格がやたら高額であったことと、途中からトングルなどというものを導入したことで、もともとユーザー対応がうまくない、外資企業の商売ベタが原因であると思う。
 それまでの印刷所における作業工程の大部分が、自分の前のMacintoshでできるというのも、夢のような話だった。だが、それはずっとMacintoshの登場以来待ち望んでいたものだったので、環境が整うのを今か今かと待っていた。
 指定をして印刷所の作業者にそれをゆだねるのではなく、編集者がそれを行なえば指定をすると同時に目の前の画面で出力の状態で見ることができる。何人もの他人を介さなくても、編集者が自分のイメージのままに操作することができ、しかも具合が悪ければすぐ修正したりやり直したりできる。しかも、コストダウンにもつながる。
 しかし、日本のDTPは、アメリカでの急速な展開に比べると、随分時間がかかった。それもこれも、ひとえに漢字とかなとカナの日本語を扱うために生じる制約を克服するのに手間取ったからだ。それともうひとつは、印刷所の対応にも…。
 最初には、使えるフォントは、明朝とゴチックの2種類しかなかった。そのフォントをAppleに提供したのは、モリサワであった。日本の電算写植を制していたのは写研で、モリサワは大阪で取り残されていた。ウワサではAppleも最初は写研に交渉したらしいが、電算でウケにいっていた写研は相手にしない。そこでモリサワがDTPのフォントでは主流になったのだという。
 この年表の1924年(大正13年)の項で「写研とモリサワの因縁話は、ここから始まる」と書いていたのだが、もともとは石井茂吉と森沢信夫の二人が日本で最初の写真植字機の試作機を作っていた。それが袂を分かって別々の会社になっていたものだった。
 ジョブスとスカリーにしろ、写研とモリサワにしろ、クオークとアドビにしろ、歴史というものは、ほんとうに因縁が織りなすものなのだ。
 なんとかかんとかDTPの実用は、この年辺りから端物などからひっそりと始め、商品でもテストをしていた。本格的に全編集部的に導入するには、編集者一人一台の環境をつくっていかなければならないし、教育もしなければならない。だがそれは、自分ではやらず後に託すことになる。この年からまもなくして、会社を辞めることになるからだった。理由は身体的なことで、突然始まったひどい耳鳴りとめまいは、病院でメニエルと診断されたが、さまざまな治療法もまったく効かない。結局、近代医学とは違うアプローチで、ほぼ直るまでこの年から約2年半もかかってしまった。
     *     *     *     *
 この形式での年表・思い出の索引は、これでとりあえずひと区切り終わりです。まだまだ思い出は続いてありますが、歴史として枯れているのはこの辺りまで、ということですね。
 なんだか妙に個人的なことまで書いて、取りようによってはなんだ自慢話かあと言われそうな点もあったかもしれないですね。でもね、でんでんむしとしてはこれは孫が将来読んでくれればよい、と思っているんです。
 じいちゃんがどんな時代に生きてきたのか、なにをしていたのかを知りたいと思うときがきっとくるだろうからです。そして、家にあるがらくたや紙切れやその束の意味が初めてわかったりすると、きっと楽しいんじゃないですか。
 そんな気持ちで、自分語りを綴ってきたのですが、たまたま通りすがりの方々のお目を汚してしまいましたかね。年表の日だけは確実に無視されているという反応もあるので、ちょっと心配しています。
 時の流れをみつめる…。そんな意味も多少はありますよね。ま、そんなことでなにとぞご容赦を…。
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タグ:年表
きた!みた!印(33)  コメント(6)  トラックバック(1) 
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きた!みた!印 33

コメント 6

dairo

おつかれさまでした。
年表は確かに細かすぎて目を走らせるくらいしかできませんね。
また、読み直しましょう。
by dairo (2015-04-06 07:35) 

kazg

「蛇足の記」本当に興味深く読ませていただきました。
「年表」は、超スピードの走り読みで、すみません。でも、必ず後日、ひもとく「つもり」です(汗)。
by kazg (2015-04-06 09:35) 

desidesi

でんでんむしさんの蛇足の記も含めて,
懐かしく、とても興味深く拝見しました。

誰でも自分の親や祖父母の時代までが、手の届く身近な歴史ですし、
どんな人もイメージしやすいはずなのに、案外知らず仕舞いかも。

お孫様にとって意味のある貴重な資料となることを祈ります。
自分の祖父が書いたものなら、私ならきっと興味を持つと思います。
by desidesi (2015-04-06 19:47) 

右左あんつぁん

この年表は、後世の人達にきっと役立つものになるに違いありません。
また、自分史とオーバーラップする者にとっては、とても甘酸っぱい思い出の記録です。
時が経ったら、また読み返す為に訪れることでしょう。
有り難う御座いました。
by 右左あんつぁん (2015-04-07 13:01) 

だいだらぼっち

お疲れさまでした。わたしもこの年表を参考にさせていただいております。わたしの場合は、売れない本ばかりつくって、会社にさんざ迷惑をかけました。
by だいだらぼっち (2015-04-07 16:54) 

dendenmushi

@みなさ〜んコメントありがとうございます。ドモ\(^_^。。
年表については、近いうちにまとめをするつもりです。
そのときにまた個別にフォローできるところはいたしますが、今回はまとめての御礼ということででご勘弁。
福岡→門司港→下関→広島→宮島→広島→石垣島→沖縄名護→東京という大旅行から帰ってきたばかりなのでちょっとだけで失礼させていただきます。

by dendenmushi (2015-04-09 15:23) 

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