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番外:名護市=(沖縄県)ゆがふ・21世紀の森・ゆるキャラ名護親方・六諭・ウコン・徳球も生まれたあけみおのまち [番外]

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 名護市には、結局4泊したのだが、宿泊したのは「ホテルゆがふいんおきなわ」だけで、名護バスターミナルに近いここを拠点にして、沖縄本島北部を回ろうと考えた計画だった。
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 北部のそれぞれの地で宿泊場所を探すこともできたのだが、バスの便を考えると、結局これに落ち着いた。
 「ゆがふ(世果報)」というのは沖縄の古い言葉で、豊年とか五穀豊穣とかの願いが込められていて、字義の解釈は“果報な世の中。幸せで素晴らしい世界”という意味にもなる。本土でもこれを名前にした食堂などがたくさんあるようだが、それらは「ちゅらさん」の居酒屋にあやかったものも多いのではないかと思われる。
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 このホテルのロビーに、日本ハム・ファイターズの大きな掲示が出ているのは、ここが日ハムのキャンプ地だ(だった)からなのだ。その球場はホテルの目の前にある名護市営球場だ。
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 だが、この市営球場も老朽化が進み、どうやら来年(2016年)は日ハムが名護でキャンプを張ることはなくなったようだ。とすると、ロビーの掲示も取り払われるだろうが、ホテルも痛手だな。
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 ホテルから市役所までの通りの海岸側は、21世紀の森という大きな公園になっていて、あけみおSKYドームから市民会館まで、さまざまな市の施設が集まっている。
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 また、名護湾に面し、南には部瀬名岬や遠く恩納村の山も見えるその海岸は、きれいなやはり人工の砂浜が東西に広がるビーチで、これも市営らしい。
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 名護市のもともとの商業的な中心地は、きれいに柱のように花を飾り立てた名護十字路の付近だったのだろうが、近年は北のバイパス沿いや南の東江のほうに移っているようにも見える。
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 西の名護湾から南の部瀬名岬、東の辺野古崎・天仁屋崎まで、名護市の市域は広いが、27,870世帯、61,995人(平成27年5月1日現在)の多くは、かつて古くには運河開削計画もあった本部半島の付け根に集まっている。nagoshiM2.jpg
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 最近どこでも大流行のゆるキャラが、名護市にもある。ほかのゆるキャラといえばだいたいカワイイのとかオモロイのとか相場が決まっているのだが、名護市のそれは、“じいさんキャラ”でしかもちょっと硬派である。
 
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 名護市のサイトにその紹介があるが、名護ゆるキャラは「名護親方(なぐうぇーかた)」という。このじいさん、ただものではないのだ。
 三山時代に続く琉球王朝が1609年の島津侵入によって終わり、行政再編が進められた結果、17世紀中頃から18世紀中頃にかけてのこの地域は、それぞれ名護・羽地・久志の各間切は按司や親方によって知行されてきた。
 そうした流れの中に、久米島生まれの程順則(てい じゅんそく)は、1728年に名護間切総地頭職を勤める。
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 後に聖人親方として有名になる彼は、その前に琉球で最初の公的教育機関となる明倫堂の創設を建議するなど、近世沖縄を代表する文人・学者・教育者でもあった。名護ゆるキャラ「名護親方」が右手に持っている本のタイトルは「六諭」(6つの諭(さと)しの意)。
 これは彼が中国で入手した『六諭衍義(りくゆえんぎ)』で、明朝期国民の守るべき規範として伝わる、いわば道徳の本であった。やさしい言葉で書かれているし中国語を学ぶためにもいいと考えた順則は、これを自費出版して日本に持ち帰る。その自費出版本が1714(正徳4)年に、薩摩藩主・島津吉貴に献上されると、時の八代将軍吉宗の元に届けられる。
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 それが、荻生徂徠や室鳩巣の手によって、儒教思想による道徳の教科書や手習いの本として活用されるようになっていく。そして、ついにはかの教育勅語にも大きく影響を与えることになる。
 もともとは、「教民傍文」の中の一部だった「六諭」だけを取り出して范鉱という人が解説したのが「六諭衍義」である。
 1722(享保7)年に室鳩巣が和解を施した『六諭衍義大意』は、その後、明治年間まで版を重ね続けたが、普及の過程では、本文をさらに簡略化して通釈した異本も数多く出た。その一つであり、最も端的に「六諭」をまとめているのが『教訓道しるべ』であるという。
 
第一 孝順父母  是ハ人の子たるもの。孝行を専らとし。何事も親にそむかざるべき教を諭せり。
第二 尊敬長上  是ハ我より年かさなる人と。我より目上なる人に。無礼なきやうにと。行儀を正すべき諭しなり。
第三 和睦郷里  是ハ家内をはじめ一ツ所ところに住居する人々。たがひに中よくくらし。ねんごろに附合すべきの諭しなり。
第四 教訓子孫  是ハ子や孫をよくよく教へ導ちびき。善人に仕たつべきの諭しなり。
第五 各安生理  是ハ人々天よりあたへ給たまふ産業(すぎはひ=生業?)をつとめ。仮にも外をおもふまじき諭しなり。
第六 毋作非為  是ハ道理と不道理といふ事ありて。人々悪事をせぬやうにとの諭しなり。


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 沖縄北部のこの地域では、小さな漁業はあっただろうし、後には林業も少しはできたが、やはり農業以外の主な産業はまずなかったのだろう。主食は芋で、租税としてサトウキビ作と米作が地域によって割り振られ義務づけられていた。
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 本部半島の付け根、東際を流れる羽地大川の改修工事(1735年)、は、米作のための国家事業として、当時の土木技術を動員して行なわれた。その名残は、名護市北部の条理にもみられるようだ。
 山原の特産物としてはウコン(鑿金)の栽培も政策的に実施され、18世紀中頃には本土ではこれが黄染料として使われ、今に定着しているタクアンの黄色も、山原のウコンによるものだったという。
 ふしぎな縁であるが、いずれにしてもその暮らしは厳しいものであったろうと思われる。タクアンを囓るときには、そんなこともちょっと思ってみたい。
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 「あけみお」とは、夜明けの美しい静かな入り江の青々とした水の流れ。海のかなたのニライカナイから人々に豊穣をもたらす流れであり、海の外へと広がり行く水の流れでもあります。人々の幸せを願い可能性に向かって突き進む名護市の進取の精神を表した言葉です…とサイトのトップに説明が出てくる。
 「ようこそ あけみおのまち名護市へ」というタイトルと名護湾の夜明けの動画で始まる名護市のサイトでは、もうひとり、ゆるキャラにはできないだろうが有名な人物の名があった。
 徳田球一の記念碑が、名護市の文化財と史跡のなかにあったのだ。まったく思いもよらず意外だったが、「徳球・とっきゅう」が、この町の中心地名護十字路近くに生まれたとは…。でも、考えてみればこの名も奄美に多い名前だしね。
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▼国土地理院 「地理院地図」
26度35分23.12秒 127度58分55.39秒
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dendenmushi.gif沖縄地方(2015/04/04〜08 訪問)

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タグ:歴史 沖縄県
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コメント 2

dairo

程順則(名護親方)の話は初めてでした。これは勉強になった。
by dairo (2015-06-25 11:37) 

dendenmushi

@わたしも、名護へやってくるまでは知りませんでしたよ。こうして初めて訪れた地で、いろんなことがわかったり、知ったり、そうだったのかというようなことがある。あるいは、知ってることが確認できてより深まるというのも、なかなか楽しくおもしろく、岬めぐりの醍醐味なのです。
dairoさんも海洋博へ行ったわけだから、この町を通ってたわけですね。そうか、沖縄県の職員ねぇ、それもよかったかも…?!
by dendenmushi (2015-06-25 18:43) 

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