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1431 群来岬=奥尻郡奥尻町字米岡(北海道)海岸段丘の上は空港の滑走路でその西北端は岬より岩島のほうで馴染まれている [岬めぐり]

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 「群来(くき)」は、春にニシンが産卵のために大群となって沿岸に押し寄せることを言う。まさに群れが来るわけだ。その昔、といっても明治・大正の頃には、そういう風景が、ここでも見られたのだろう。
 西海岸で青苗の集落にも近く、少し高くなっていた岬が見張り所になったのかもしれないし、あるいはこの海岸にニシンがやってきたのかもしれない。いずれにしても、そういう時代の名残りが、この岬の名に残されていることだけは確かなのだろう。
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 江戸時代に江差付近で始まったとされるニシン漁は、明治時代になってニシン漁の制限が解かれると漁場は開放され、積丹半島から留萌海岸など、北海道の西海岸に各地に広がっていく。だが、それが最盛期だったのは1900年頃で北の地域にいっときの繁栄をもたらす。だが、1950年代以降はその漁獲量は激減してしまう。
 今や幻の魚と言われるほどになり、たまに食べるニシンそばは、どうしてニシンは来なくなったのだろうという疑問とともに味わうことになっているが、その原因はいろいろ言われてはいるが、実のところはよくわかっていない。
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 バスが南に向いて走る藻内も、集落が津波でほぼ全域で流された。群来岬は、その北側にあたる藻内付近の海岸からも遠望できる。岬の先には、岩島が群れていて、群来岩という名がついている。地元の人の間では、“群来”といえば岬のことではなく、この岩島群を指すようだ。稲穂岬の食堂のおはさんと話していてそう確信した。
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 今ではニシンの見張りをする必要もないので、岬には用はないし役にも立たないが、岩が散らばる岩礁地帯は、ウニやコンブなどの貴重な漁場に違いないからだろう。
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 名前がついている岬の先端は、南に向いているので、ここはやはり南から見るのがよいだろう。この岬は、奥尻空港の滑走路の西端にある。標高50メートルくらいの海岸段丘の上に広がる空港の東を走る道道39号線は、フライトの関係なのか、空港ビルまでに入って行く場合と、道路の空港前だけの場合とがあるようだ。
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 滑走路の東の端、海岸が折れ曲がって南に向かうところに、地理院地図では“貝取澗”という表記がある。これは先にも“澗”にからんでリンクしたように、奥尻島対岸のせたな町大成区にもまったく同じ地名があった。
 これも当然ながらアイヌ語源だと思われるが、だからといって意味が明確になるとは限らない。
 “カイェウトゥル”(kaye-uturu)は、“折岩の間”というのだが、それを想像し理解するのはむずかしい。せたなの貝取澗は、海岸線が波打つように折れ曲がってはいたが、ここの貝取澗は50度に海岸が折れているだけ。なんとはない印象だけだが、岩礁との関連があるのではないかと思う。
 ここから島の南端部へ海岸線は折れ、字地名も米岡から青苗に変わる。先っちょをちょん切られたトカゲのしっぽのような、青苗岬の細長い出っ張りもここから始まっている。
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 貝取澗の南には、整然と区画された緑ヶ丘という住宅団地がある。震災前からあるのか、それとも震災後にできたものだろうか。どうも後者ではないかと思われたが、調べてみると違っていた。この団地の整備計画は、1968(昭和43)年から始まっていたものだった。震災後の高台移転は、この緑ヶ丘の周辺で行なわれたようだ。
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 緑ヶ丘のずっと南、震災被災者の慰霊碑「時空翔」というモニュメントに登ってみると、ここからは3キロ先の群来岬が順光できれいに見える。
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 この灯台から南の青苗岬地区は、全戸が津波で流出している。
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▼国土地理院 「地理院地図」
42度4分17.75秒 139度25分19.03秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2016/09/04 訪問)

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タグ:北海道

番外:無縁島=奥尻郡奥尻町字米岡(北海道)ないないと書いていたがやっぱりあった!清次郎歌岬の情報がこんなところに! [岬めぐり]

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 「1429 清次郎歌岬」の項で、こんな個人名がつくくらいだからきっとなにか話があるはずなのにその情報がどこにもない、町のサイトでもまったく無視されている、と書いていた。
 その奥尻町のサイトでは「神威脇周辺」の観光名所として括られたフォルダに、北追岬公園、カブト岩、モッ立岩、ホヤ石、ホヤ石の滝、そして無縁島の項目を並べている。
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 岬ではないので、そのまま群来岬へ進むつもりだったが、なんとそこにあった無縁島の項目をみて、これは番外でつけ加えておく必要があると思った。
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 なぜなら、ないないと言っていた清次郎の情報が、そこにあったからである。あったのは「歌の上手な少年」ではなくて、清次郎という若者と歌子という女性の悲恋(というのかなあ、こういうの)の話であった。
 要約するとヘンになるし、ここは奥尻町のサイトにリンクして、それを紹介しておこう。


 無縁島を染める夕日が胸をうつのは、そこに伝わる悲しい恋物語に由来するのかもしれません。
 いつの時代か、神威脇に住む島の娘・歌子と能登の国から流れてきた清次郎は恋に落ちますが、清次郎の裏切りで離ればなれとなり、歌子は悲しみのあまり清次郎の子を身ごもったまま神威沼に身を沈めました。その直後、島へやってきた無縁という名の僧侶は、歌子のために長い弔いを捧げ、室津島へ渡り断食座禅を組みます。数日後、海が荒れ波に呑み込まれた僧侶は、後に「無縁島」と呼ばれることになる島へ数珠を握りしめたままの姿で流れ着いたといいます。この僧侶が、歌子への裏切りを深く悔やんだ清次郎であったという伝説です。

 これも、なんだかなあという話だが、それは“清次郎の裏切り”とやらがどういうものなのかがわからないからかも。それに、“神威沼”や“室津島”(島の南端青苗岬の南4キロにある岩島)の存在と関連が明確な説明がないのでピンとこない。まあ、伝説というのはそういうもんだといえばそうなんですけどね。
 また、この話だと確かに無縁島にもってこないとおさまりがつかない。それはわかるが、そうなるとやはりこの男女二人の名がついた「清次郎歌岬」にはそれにふさわしい、この話の前段となるべき話もあるはずで…。
 知りたがり屋は、それが知りたいなあ。やっぱり。
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 無縁島海岸という町有バス(これまでなんとなく“町営”だと思っていたが、バス停の標識やダイヤでみると“町有”が正式だった)のバス停があるところには、藻内の漁師の船なのか、小さな船溜まりがあり、無縁島と平島はその沖合500〜600メートルのところに浮かんでいる。
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▼国土地理院 「地理院地図」
42度6分39.56秒 139度24分42.81秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2016/09/03 訪問)

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タグ:北海道

1430 ホヤ石岬=奥尻郡奥尻町字米岡(北海道)ホヤはよく知らないしもうひとつは知ってても「似てると言われてもねぇ」 [岬めぐり]

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 前項の清次郎歌岬から500メートル南にある神威岩から、さらに350メートル南に下ったところにある立岩は、カブト岩という名があるらしい。地理院地図にはないのだが、清次郎歌岬を無視した町のサイトにはその説明がちゃんとあって、それによると北海道南西沖地震の際に、岩の半分が崩れ落ちたのだという。もし、その半分が残っていれば、きっとカブトのように見えたのだろう。
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 カブト岩までくると、ここから南へは遠くまで視界が伸びて、直線距離で3キロ先のホヤ石やその向こうの無縁島まで見通せる。また、道がカーブするごとに見え隠れするホヤ石岬も判別できる。
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 カブト岩からホヤ石岬までの間は、急斜面の山の下と海の間にわずかな隙間を見つけた道が通るだけで、人家も何もない。唯一、白い平屋の建物が1か所だけあるが、これは発電所。
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 神威山の南に源流を発し、ホヤ石と発電所の間の谷を流れるホヤ石川の途中から取水し、山の斜面にトンネルか導管を通して、この上の貯水池に溜めてそこから落としているらしい。
 奥尻町に発電所は3か所あるが、北海道本島とは切り離されており、独立した発電・供給体制をとっている。最高出力は合計5,630キロワットで、これで奥尻全島の生活と産業の電力需要をすべてまかなっているのは立派だ。
 その運営・保守業務は、北海道電力から奥尻町が受託して行なう形になっていて、町には発電課があり、24時間体制で内燃力発電所と水力発電の運転監視・保守を行なっている。
 発電所のすぐ北に注ぐホヤ石川が、奥尻町の字湯浜と字米岡の境になる。
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 ホヤ石というのは、当然ホヤに似ているとかいうのだろうけど、ホヤというものにあまり馴染みがなく食通でもない西の人間には、こんな立岩はあちこちにあるので「似てると言われてもねぇ」というのが正直な感想である。
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 似ているといえば、もうひとつ。ホヤ石の北に小さな岩がぴょこんと海中に立っていた。これも地理院地図にはなにも表記がないが、町のサイトのほか奥尻町の観光情報ではもれなく収録してある。
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 モッ立岩という名があるそこには、誰が立てたものか不明な丸い標識と説明まであるが、文字を読むことはできない。だが、一般人がこれについて書いてあるページもたくさんあって、そこにはその命名者はとある未亡人だというおとな向けの艶笑譚(というほどの内容はない)がまたもれなくくっついている。(みんなこういうのは好んで書きたくなるらしい)
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 高さ25メートルというホヤ石とホヤ石岬は、580メートルほど離れていて、この間にホヤ石川と発電所、そして無名のもうひとつの立岩、それに地理院地図にはホヤ石の滝という記名もあるのだが、それはよくわからぬうちに通りすぎてしまった。
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 ホヤ石と無名の立岩は接近してあるので、南から北へ向かうときには、その陰になっていたホヤ石が突然に現れる。この立岩にも、細かい節理がたくさんあるのがわかる。
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 こういう節理は、地中でゆっくりと冷えながら固まっていくときに、溶岩の体積が縮むためにできるのだという。冷却する面から垂直方向にヒビが入っていくので、それを横からみたのが柱状節理だが、表からは見えない節理もあるということだ。
 ここでは、約300万年前の海底火山の活動にともなう火砕岩の地層である、米岡層が広がっている。その下から安山岩のホヤ石の層が貫入して出てきたものだという。まことにこの地上と地下には、想像のおよばない世界がある。
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 ホヤ石岬は、道路がカーブするところで岩の小山をかすめて走っているところで、海側に低くて丸い岩が目印になる。
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▼国土地理院 「地理院地図」
42度6分53.78秒 139度25分4.86秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2016/09/03 訪問)

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1429 清次郎歌岬=奥尻郡奥尻町字湯浜(北海道)個人名が名前につく岬にはなにか物語もありそうだがこれがなにもない [岬めぐり]

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 人名がつく岬というのも、たまにあるのだが、その由来がちゃんと伝わっているものは、意外に少ないように思える。はっきりと個人名がついているのだから、架空の人物にしろ実在の人物にしろ、その名がついたいきさつなどは、当然に伝わっていてしかるべきだろう。だが、そう思うのは、ふらふらと寄ってくる知りたがり屋だけで、地元の人も地元民でもないたいていの人も、そんなことはどうでもいいことと考えているらしい。
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 ここの、“清次郎”さんという人は、いったいどういう人なんだろう。
 そういう疑問は、自然に出てくるはずだが、どこにもなにも情報がない。奥尻町のパンフでもサイトでも、この岬についてはまったくちらっともふれず、完全に無視していて、マップにさえ載ってもいない。なにか、恨みでもあるのかと思うくらい徹底している。
 だが、ここでは人名の後に“歌”という文字までくっついている。これで、なんにもいわれもへちまもありませんと言われても、とても納得はしがたい。そう思いませんか。まあ思っても、どうしようもないのだが…。(後でちゃんとつじつまが合う仕掛けになっています。お楽しみに)
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 清次郎歌岬は、クズレ岬の丘を降りて海岸に出たところの南にある。
 岩ばかりの小さな尾根が西に突き出ていて、そこをバスが走る道路は鴨石トンネルでその岩の下をくぐり抜ける。
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 30〜40メートルほどしかないこの岩尾根は、北から見ると礫岩を多く含んでいるように見えるが、明らかに溶岩性のギザギザした岩肌を露出している。これが、横になっているガリバーのアタマのように見えるという説もあるようだが、バスからではそう見るにはちょっとムリがあった。
 鴨石トンネルを出て、岬の南側に出る。
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 ゴツゴツした岬の先端部は、オーバーハングになっている。その下には横に層が刻まれていて、その右の出っ張りがなにやら丸く見える。ガスが抜けてはじけてできたような凹みも、大きいのや小さいのがたくさんある。
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 おや、その斜め上には、もうひと回り大きな円も見える。
 どうやら、これも「車石」のようだ。
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 流れ出た溶岩の表面が水で急に冷却されるとき、チューブ状に流れ、それが切れて枕状になることがある。その断面は放射状の節理をもつのが特徴とされているが、その断面が表に現れたとき、その円形と放射状の形から、人々は車輪を連想し、ホイールストーン(車石)という呼び名が生まれた。
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 車石で代表的なものといえば、根室は花咲岬のそれであろう。それは、この岬めぐりでもかなり早い段階で取り上げていた。
 その花咲岬の車石と、清次郎歌岬のそれは、少し車輪の形が異なるようだが、確かに円の周縁部には放射状に並んだ岩がはっきりとわかる。
 ふたつとも、その中央部で車軸が折れた跡のような形状を示している。
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 わが国では「車石」には、もうひとつ別の意味があって、一部で使われている。それは牛車などが通る道に敷いた石のことで、轍の跡が刻まれているものを指す。大阪のおみやげによくいただいていた叶匠壽庵の菓子に、それを模した「車石」というのがある。
 和菓子屋さんというのは、結構そういうところには眼をつけているらしい。鎌倉の鳩サブレーで修学旅行生にも人気の豊島屋では、石橋を模した「きざはし」というのもある。
 この放射状の「車石」も、根室や奥尻の名物に使われてもよさそうだが、やはりそういうところまでいくには、いまいちいろんなところで力がないのか。
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 清次郎歌岬を後に南下すると、今度は海中に立岩を大きくしたような岩島が見えてくる。これが、神威岩であろう。その名は、地理院地図にも明記されている。
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 神威岩の周辺は岩礁が広がっていて、小さな岩頭がたくさん並んでいる。
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 岬と岩のツーショットで見るていると、なんとなく歌の上手な清次郎という少年と、その物語がひとつくらいはつくられそうな気がしてくるのだが…。
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▼国土地理院 「地理院地図」
42度9分12.29秒 139度24分40.80秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2016/09/03 訪問)

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1428 クズレ岬(北追岬)=奥尻郡奥尻町字湯浜(北海道)今もなお崩れ続けているような断崖の上にある彫刻群とは? [岬めぐり]

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 温泉ホテル緑館のある丘は、南に大きく広がっていて、西に張り出した緩いでこぼこの突端が、地理院地図でクズレ岬と表示されている岬になる。
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 それは、神威脇の漁港からでも、防波堤の向こうに目立っているが、名前の通り、今もなお崩れ続けているような断崖が周りを取り巻いている。これは南側から見ても特徴的で、まさにクズレ岬そのものである。だが、ChinchikoPapa さんのコメントでは、「クズレ」はkusur(クスリ)が訛ったもので、そのまま「湯治場」「温泉場」の意味ではないか、という。なるほど、まさにここは温泉がある。
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 これは、1724(享保9)年に神威山が噴火したという記録とも、神威脇北の崖などとともに関連があるのだろうか。ワイナリーもあるという温泉ホテルの下から、この岬へ行く破線の道が描かれているが、どうやら岬の上一帯は公園になっていて、遊歩道などもめぐっているらしい。
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 “らしい”というのは、ここは北の漁港からの眺めとあとはバスで通り過ぎながら南からの車窓だけになったからだ。
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 温泉ホテルに泊まる計画では、クズレ岬の突端まで歩いて行くつもりだったが、それは実現しなかった。
 バス道路はクズレ岬の450メートル内側を通るので、そこから岬は見えないが、バス停は“北追岬公園”となっている。あんれ? クズレ岬じゃないんだね。
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 奥尻町が立てた標識や看板にも、あるのは“北追岬”ばかりである。念のためにMapionを見ると、バス停のほかに“北追岬公園キャンプ場”とあって、岬表記はクズレ岬と地理院地図に準拠している。
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 その看板や標識もかなり古いままで、震災で消えた“幌内温泉”という表記もそのままなので、これは震災前からずっとそこに立っていたものだろう。ということは、“北追岬”も昨日今日ではなく、ずっと前からその名を使ってきた、ということだ。
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 奥尻町や観光協会などが、復興のために力を入れてつくっているパンフレットなどの観光情報にも、“北追岬”はあってもクズレ岬はない。
 いったいこれは、なにを意味しているのだろうか。
 パンフなどをめくってみたが、なにもわからない。ただ、この“北追岬公園”には、流政之作品の彫刻による8つのモニュメントがあるのだという。流政之と島の関係は、書いてないのでわからない。公園散策には1時間ほど、と書いてあるので、結構広い公園らしい。
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 ハゲ落ち錆びが広がっている古い標識には、“彫刻公園北追岬”という文字もあるし、その下のほうには“メーン彫刻北追岬”のほか3つの彫刻の名が記されているようだが、はっきりわからない。
 そこで町のサイトの北追岬公園のページで確認すると、その名は北追岬のほかは、回天が原、神威流という流作品のようだ。
 彫刻まで行って見てもいないのに、それについてあれこれ書くのもはばかられるが、なにしろ町が発信している情報は充分でない。標識だけは見たので、そこからさらに納得のいくまで推測の糸をたぐりよせてみる。
 流政之作品のリストから、彫刻公園北追岬に収められた作品を拾いだしてみると、以下のようになる。
  1981 "北追岬"を制作
  1984 "はぐれ鳥"を制作
  1987 "神威流・回天が原"を制作
  2004 "島へっちょ・よくきたさ・恋のつぎめ"を制作
 つまり、1993年の震災後に制作されたのは、2004年のものだけで、ほとんどはそれ以前からで、流作品は北海道各地にもあるが、ここほど集中しているところはない。
 では、なぜここと流政之が結びついたのだろう。それは、町のサイトでもまずいちばんにふれるべきことだと思われるのに、なにも書いていない。
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 実は、初めに島を概括していた「1424 奥尻島の岬」の項のなかでは、神威脇について、「戦後すぐには、千島列島国後(くなしり)島の1郡2村の住民280人が入植した、という場所である。」と紹介していた。
 どうやら、それが流政之作品がクズレ岬の上に並ぶことになる発端だったのだ。その理由については、ご本人のインタビュー記事がある。日本経済新聞社が「戦後70年インタビュー」として、元零戦パイロットである彫刻家として流政之氏の話を掲載していた。(「攻撃の美学」好きになれぬ(戦争と私) 2015/8/12付
 
 「学徒出陣した戦没者を追悼する作品を東京・明治神宮に作ってほしいという依頼もあったが、これは断った。東条英機の主導で、学生たちが行進した明治神宮外苑競技場は、ふさわしくない。これとは別に高知県大月町に学徒出陣した戦没者を鎮魂する作品『雲が辻』を作った。
 北海道奥尻島には、北方領土の国後島を脱出した人々が入植した歴史がある。あまり知られていないが、戦争による『難民』が日本にもいたんだ。望郷のモニュメントを奥尻島の北追岬公園に作った」
 
 どうして、町はこういう肝心なことを、積極的に情報提供しないのだろう。「北追い」にはそういう意味があったのだ。
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▼国土地理院 「地理院地図」
42度9分51.92秒 139度24分21.49秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2016/09/03 訪問)

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1427 屏風立岩=奥尻郡奥尻町字湯浜(北海道)屏風のような立岩と立ち寄り湯温泉と島唯一のホテルもある神威脇 [岬めぐり]

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 立岩はめずらしくないといっても、ここのはその名も“屏風”がついた立岩で、大きな岩島がふたつくっついたような形に並んでいる。これが屏風のように立っているということから、注目されて名がついたのだろう。
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 岬の名はないが、道路がカーブしてトンネルで抜ける岩の尾根もあり、その隣でも岩の根が続いている。これらを一体とした岬とみても差し支えないのだろう。
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 トンネルの北側から見ると、屏風とはこれかもしれない、という気がしてくる。
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 ここのトンネルは神威トンネルで、87メートル。北国岬のところにあった湯の浜トンネルも幌内トンネルも100メートルを超えていた。
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 実は、奥尻島ではトンネルの数が思いのほか少ない。平地が少ない海岸線を回っている道路には、崖を繰り抜いたトンネルも多いのではないかという予断もあったのだが、この南にある鴨石トンネルを入れて、計4つしかない。
 その予断を覆したのは、海岸線がおもに海岸段丘で形成されていたからであった。細かい尾根の凸凹があると、トンネルも多くなるのだが、この島では段丘が続く区間が多いので、川筋があっても岬が少なく、それを貫くトンネルも少ない。
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 そのほかに、空港の近くと東海岸北部の勘太浜に覆道があるが、奥尻島の西海岸にだけ4つあるトンネルは、いずれも小さな岩尾根を貫くものである。
 屏風立岩のところにあるのは、そのうちのひとつの神威トンネルだが、“神威”もまた北海道の名で、“カムイ”とは神格を持つ高位の霊的存在を指すアイヌ語からきている。なので、当て字にもいくつかあるがそういう読みの地名は多い。
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 屏風立岩のすぐ南にある、西海岸では最北に位置し、小さな漁港をもつ酒楽の名が神威脇。集落の南には神威脇川も流れているが、なぜ「脇」なのだろうか。
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 神威脇川の源流を遡っていくと、奥尻島の最高峰である神威山(676メートル)に行き着く。この山の麓だから神威脇になったという想像もできる。この山の上に自衛隊の基地(レーダーサイトのようなもの)があることも、前にふれた。
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 この集落は温泉でも有名らしく、フェリー乗り場においてあった町観光協会の作成になる「奥尻島まるごとマップ」には“神威脇温泉保養所”という施設が明記されていた。
 それとは別にも、集落南の丘の上には“温泉ホテル緑館”というのもある。震災で消滅した幌内の温泉を含めて、奥尻の温泉はこの地域だけに限定されている。
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 温泉保養所というのはいわば名ばかりで、要は立ち寄り湯であるが、これも町が運営している建物も設備もかなり年季が入っているので、震災前から同じものを使っているらしい。
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 神威脇漁港のそばにあって、源泉かけ流しの湯は熱めで、温泉成分が結晶化して湯わき口などに茶色く固まっている。はて、これはどこかで同じようなのを見たぞ。
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 「澗」がらみで前項に紹介した「860 ヨリキ岬」の項では、国民宿舎「あわび山荘」に泊まったが、そこの温泉のそれはなかなかお目にかかれないくらいすごいものだった(写真はない)。
 せたな町の大成区貝取澗の温泉から、西へ40キロ離れた奥尻島の神威脇の温泉も地下ではつながっているのかもしれない。
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 神威脇の北では、崖を削って防護措置を講じる工事が進められていたが、集落の部分は崖もなく、緩い傾斜地になっている。湯ノ浜温泉ホテル緑館は神威脇川を挟んで反対側の丘に、とんがり帽子の塔を備えた建物が目立っている。
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 ここは島では唯一と言ってもいいホテルで、当初は札幌でビルやグリーンホテルなどを経営する会社が始めたが、後に島の観光会社の経営になったようだ。
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 当初は、ここに泊まる計画も考えていたのだが…。
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▼国土地理院 「地理院地図」
42度10分32.22秒 139度24分21.49秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2016/09/03 訪問)

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1426 穴澗岬=奥尻郡奥尻町字湯浜(北海道)岩礁と立岩と防波堤と道路と崖が続く以外にはなにもない海岸線に [岬めぐり]

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 北国岬から神威脇の北にある屏風立岩までの間は、岩礁地帯や立岩などが、ずっと続いている。そのそばを走る道路には少し高目の防波堤がある。道路からはすぐに山か崖が立ち上がる。この防波堤や道路も、震災後にできたものだろう。
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 Wikipediaの道道39号線についての説明では、「海岸沿いを走る個所が多いが北海道南西沖地震後に作られた高い防潮堤により、道から日本海の景観はあまり望めない。」と書いてあったので、思わず口元が緩んでしまった。
 それを書いた人は、レンタカーかマイカーか知らんけど、車高の低い車の中からだけしか見ていないらしい。ここは走っていないけど町営バス(と書いていたけどどうも“町有”らしい)からはどこでもよく見えますし、歩いていても海の景色が見えないということはありません。
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 142メートルのピークをもつ巨大な岩の崖でできている穴澗岬は、その中間にあって、その崖下では道が緩くカーブしている。その下の海には岩礁が続いている。
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 崖を構成している岩は一枚岩ではないので、落石注意の標識もあるし、防護ネットが全面にかけてあり、崖の道路側には防護柵もしっかりと設けられている。
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 この岩崖の岬の名前は、「あなま」岬である。「澗」はサンズイを除いたままで読むのだが、おもしろいのはネットの辞書などには「訓読み. 1. たに; 2. たにみず. 音読み. 1. カン; 2. ケン」とあって、マがヌケている。
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 この文字の意味は、谷などの狭い隙間に流れる水などを示していると考えられるが、これに「穴」や「横」などがくっついて岬の名前になるところは、いささか不分明なままである。Wikipedia もいい加減で、誰も使わない数詞のことしか書いていないので役に立たない。
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 この字がついた岬は、北海道には結構あちこちにあって、この奥尻島の対岸の北海道本島せたな町の南部では、それがとくに集中していた。
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 困ったことに、この大岩壁の岬の周辺には、小さな流れもまったくないのだ。案外、「澗」の字のサンズイは、岩場の水を示しているのかもしれない。それならば、「穴」もそこいらにありそうなのだが…。
 ChinchikoPapa さんのコメントによれば、「北海道に多い「あなま(岬)」ですが、maは「半島・岬」そのものを表す意味ですので、それにaneの「細い・狭い・切り立つ」をかぶせると、ane-maで「切り立った半島(岬)」という意味」になるのだという。 それによると、穴も澗も、aneとmaにそれぞれ適当(と思われた)漢字を当てただけということになるので、穴や水を探すのは無意味ということになるなあ。
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 道路と海の間に、もう黒い塗装は剥げ落ちているが、阪神色の棒が立っていて、黄色の小さな板に赤い矢印、その下になにやら意味不明の判じ物のような記号が記されている。(そういえば、これは幌内トンネルを出たところにもあった。)
 あれっ、矢印と判じ物の向きが変わった!
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 これはいったいなんじゃろか? 道路か防護の工事にからむものでもあるような感じがするが、工事関係者のおじさん(おばさんでもおねえさんでもいいけど)に教えてもらいたい。
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 しかしまあ、世の中、ほんとにふしぎなことわからんことだらけで、楽しいよね。
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 北海道では、海中や海岸で独立した岩が立っているいわゆる“立岩”は、無数にある。東京湾岸にもっていけば、それだけでも立派な観光ポイントになりそうな立岩も、北海道ではさしてめずらしくはなく、名前がついているのはそのごく一部にすぎない。
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 穴澗岬の北側に立っている立岩も無名だが、節理の岩が割れて、まるで石垣を積んだようにみえるところもある。うん、なかなか立派な立石だ。
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▼国土地理院 「地理院地図」
42度10分56.49秒 139度24分36.47秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2016/09/03 訪問)

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1425 北国岬=奥尻郡奥尻町字湯浜(北海道)島の10時の方角にあるこの断崖が三角になった岬へは神威脇から歩いて… [岬めぐり]

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 …というわけで、まずは北国岬から。フェリーで奥尻港に着くと、奥尻町営バスの南回り路線(青苗方面)に乗って、終点の神威脇までやってきた。そこには温泉があるのだが、それは後回しにして、荷物だけ置くと神威脇から北国岬まで歩いてきた。その距離は、片道3.3キロ。
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 距離はたいしたことはないが、このときは熱中症になりそうなカンカン照りで、道道39号線にはまったく日影というものがない。あるのは、電柱の影くらい。そこに身を寄せて小休止して水分補給をしながら、照り返しの強い道を歩いて往復した。
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 尾根が海に向かって伸び、その付け根部分にトンネルがあり、飛び出た岬の周囲は断崖絶壁で囲まれている…。
 そういう形は、岬の姿のひとつの典型であると言えるが、ここにはそんな形をした似たような岩こぶの岬がふたつ並んでいる。といっても、それは地図で見たときの形であって、実際には岩の塊の姿も印象も、まるで異なる。
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 地理院地図で北国岬と岬名表記があるのは、そのうちの北側にあってちょっと大き目のこぶのほうである。
 手前のほうの出っ張りには名前がないが、そこを抜けているトンネルには“湯の浜トンネル”という名がついている。そして、もうひとつの北のほうに続くトンネルは“幌内トンネル”という。
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 幌内トンネルを抜けたところには、地図では幌内と字地名が記してあるが、現在の住居表示ではそれは使われていない。人がいないからだ。
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 そこは二本の細流が注ぐ小さな砂浜がある谷間で、実はここには幌内温泉という温泉があったが、それは地震と津波で消えてしまった。だから、神威脇の北部では、海岸線に人が住んでいる場所はないのだ。
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 道道39号線は、この先で谷筋を大きく迂回して高度を上げて、坂道を登っていく。橋が見えるが、これが蚊柱(わしら)大橋で、90メートルほどの高さにある。
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 当初考えていた計画では、歩くのは大変そうだからタクシーでこの橋の先のカーブまで行くことを検討していた。そこまで行けば「蚊柱岬」が見えるのではないかと思ったからだ。しかしながら、神威脇にはタクシーもなく、行ったとしても蚊柱岬が見えるという保証もないので、このプランはゴミ箱へ。
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 前項で述べた、行けない、そばにも寄れない岬というのは、この蚊柱岬に始まって北に続く磯谷岬、そこから東へナカハマ岬、そして湯ノ岬、勝澗岬の5つである。
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 前述の通り、北国岬から先の道は山の中へ入って行き、奥尻町稲穂の海栗前(のなまえ)で、海岸線に戻る。だから、この間の岬は見ることができない。それじゃ誰も読めんじゃろうという配慮からか、バス停では“野名前”となっているが、ここから町営バスの北回りの路線に接続する。
 つまり、野名前から神威脇の間でバス路線が途切れているわけだ。あえて誰もいない山の中にバスを走らせる意味は、やはりどう考えてもないのだろう。奥尻島の岬めぐりを、10時の北国岬から始めるのも、このためである。
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 勝澗岬の東の大岩生川から、神威脇を経てホヤ岩まで、およそ19キロに及ぶ海岸線一帯は、住居表示ではすべて“奥尻町字湯浜”として括られている。
 湯浜のうち小字名が地図にあるのは、神威脇と幌内、それにもうひとつ、ナカハマ岬のところについている美ノ歌のみである。幌内は地震以降無人地帯になってしまったが、美ノ歌では凹んだ海岸に建物があると、地理院地図は語っている。だから、その一軒の建物のおかげで、美ノ歌という小字名が守られている。そう考えてよいのだろうか。
 とすると、温泉の跡だけはあるらしいが人も建物も消えた幌内は、これから先どうなるのだろうか。トンネルに名が残るだけ、ということになるのだろうか。
 北国岬についても、釣りに関する情報が2件あるきりで、あとは“北国の春”がリストに出てくるという始末で、岬についての情報はまったくない。
 岩だらけの岬を眺めていても、確かになにも書くことは浮かんでこない。
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▼国土地理院 「地理院地図」
42度11分44.34秒 139度25分19.96秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2016/09/03 訪問)

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1424 奥尻島の岬=奥尻郡奥尻町(北海道)あの菅江真澄でさえ行かなかった北辺の離島をめぐる前に… [岬めぐり]

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 江差町の西北61キロ、せたな町の南西42キロ、と奥尻町のサイトではその位置を記しているが、せたな町の大成区大田の帆越岬から、ほぼ西に奥尻島の稲穂岬までは18キロしかない。ここが北海道本島と奥尻島が、いちばん接近しているところである。
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 本島と近い大成・久遠付近から渡ってきた者もいただろう。難破で漂着した者もいただろう。が、長くこの地はアイヌの地であった。島の名は、その人たちの言葉で「イク・シリ」が由来だという。アイヌ語で「向こうの島」という意味だそうだ。(ChinchikoPapaさんによると、oku-sir(奥尻)のokuは首・頸で、頸島(首のようなかたちをした島)という意味、の説のほうが有力なのだとか。)
 和人の進出にはやはり武田が難破でからんだりするが、1720(享保5)年に新井白石が著した『蝦夷志』で、本島に「奥尻」の文字をあてて、郡村名ともに現在にいたる。(その説によると、白石は「「イクシル(iku-sir)」と、「オクシル(oku-sir)」を混同しているのでは?…」ということになる。)
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 北の博物学者ほかなんでも屋で紀行家と言ってもいい菅江真澄も、1790(寛政2)年に『蝦夷喧辞弁』に江差から奥尻島を望んだと記しているにとどまる。(参照 「163 館山崎=男鹿市船川港双六(秋田県)菅江真澄の歩いた道」
 菅江真澄でさえ行かなかった島を、これからめぐろうとしているわけだ。
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 東西11キロ、南北27キロの南北に少し長い、ダイコンを折った下半分のような形の島は、花崗岩の段丘で台形状を成している。凸凹は多く、谷を刻んでいるので、島にしては川筋も多い。
 島内の最高点は、584メートルの神威山で、そこには自衛隊のレーダー・サイトがあるので、常駐する隊員のための官舎もある。西海岸では、かつては硫黄を産出しており、温泉もある。
 北の端の稲穂と、南の端の青苗は、似たような低く細長い鋭角に出っ張った地形となっている。1993(平成5)年の北海道南西沖地震では、島では200人余の犠牲者を出した。
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 島の中心は、フェリーが着く東海岸の中間で、塩釜川の谷間に民家が集まっている。これについで、南端の青苗地区も市街化している。青苗地区でとくに津波による被害が多かった。そのほか、主に島の海岸線に集落は点在しているが、一時は5,000人にせまるほどだった島の人口は、南西沖地震以降は3,000人を切っている。
 明治末期まではニシン漁が主体だったこともあるが、近年ではイカやホッケの近海漁業にウニやアワビの磯根漁業が主な産業になっている。
 北の離島だが、8000年前の縄文初期から人は住んでいたようで、遺跡や遺物が出土している。
 町の公式記録では、1767(明和4)年に田口九兵衛という人が漁業を営むために移住し、それ以来永住する人が増えたとしているが、100年後の1868(明治元)年の奥尻島の永住人は、11戸、男25人、女21人の計46人であったとも記している。やはり、厳しい北辺離島の環境下では、そうそう定住する人は多くなかったと思われる。
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 約84キロの島の周囲の海岸線は、ほとんど道道39号線が周回しているが、北の海岸だけは道が山の中を迂回していて、海岸には道がない。
 この海岸線に19の岬が点在しているのだが、そのうちの5つはその道がない部分にあるので、そばまで行って見ることはできない。
 奥尻島の岬めぐりも、なかなかしんどいです。
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 その海岸線は、海からすぐに山が立ち上がっているので、平地はほとんどないが、そのところどころにある集落をつなぎながら、道道をめぐる奥尻町営バスが走っているので、それに乗って回る。
 この町営バスは、西海岸のフェリーの着く港から、北の稲穂方面に向かう路線と、南の青苗方面に向かう路線がある。青苗方面行きは、青苗からは島の西海岸を北上して神威脇という集落まで行く。戦後すぐには、千島列島国後(くなしり)島の1郡2村の住民280人が入植した、という場所である。
 この神威脇は、島の中心街奥尻地区からちょうど反対の裏側にあり、路線バスで行くといちばん奥まったところになる。島を横断する道路もあるにはあるが、そこにはバス路線はない。また、海岸線を通っていない北の山中の道(神威脇=海栗前(のなまえ))間でも、バス路線は途切れていて、一周はできない。(そのためバス路線がふたつに分かれている)
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 実際の行動順に岬を並べると、ただでさえ馴染みがなく不案内な島内のどこにそれがあるのか混乱してしまう。なので、いつものようにここは島の地図の北から初めて、西海岸を下って南端の青苗を回って東海岸を北上するというルートで、岬を探っていくことにしよう。岬の順番は、島の10時のところ付近から始めて、逆時計回りで11時のところ付近まで拾って並べます。

▼国土地理院 「地理院地図」
42度10分32.22秒 139度30分30.65秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2016/09/03〜05 訪問)

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1423 “アヴローラおくしり”からの岬=渡島半島(北海道)江差=奥尻航路から眺めるが岬の特定はむずかしい [岬めぐり]

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 ハートランドフェリーは、稚内から利尻島・礼文島への定期航路と、この江差→奥尻島→せたな(瀬棚)の航路を運航している会社である。利尻島・礼文島航路には3隻の船の名が、タイムテーブル・パンフに記されているが、奥尻航路は“アヴローラおくしり”の1隻のみ。“アヴローラ”はロシア語のオーロラなのだそうだ。いずれも、同じデザインの色違いで塗装がされており、車の出入りは後方のみ。 
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 当初の計画では、せたなから奥尻へ渡るつもりだったことは、先に述べた。そのせたな=奥尻航路は、5月から10月半ばまでの間だけ季節運航で、日に1往復のみである。やむを得ず計画変更を迫られて、やってきた江差=奥尻航路は同期間中は2往復ある。
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 最初は気がつかなかったのだが、江差とせたなと別々に2本の航路があるのではなくて、江差→奥尻→せたな、せたな→奥尻→江差と引き返すという三角運航(というか、実際は“△”ではなく“へ”だけどね)をしている。
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 だって、船は1隻しかないんだからね。当然そうなるわけなんですが…。すぐには、そこに考えが及ばなかった。
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 距離も時間も江差のほうが長いが、こちらのほうが冬場も運航しているのでメインルートなのだ。1日1便と1日2便では、計画の自由さも格段に違う。 
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 それでも、せたなからで奥尻島へ渡ろうとしたのは、せたなから南へ北へバスを利用して岬を確保する目的があったからだ。
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 江差から北の渡島(おしま)半島西岸の海岸線は、2012年の10月の岬めぐりでなぞっていた。
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 江差からの海岸線を北へは、乙部町、八雲町、せたな町と進む。その岬とは、以下のようになる。(上が北)
 
 857 ポンモシリ岬=二海郡八雲町熊石関内町(北海道)熊石の海岸線には北前船や
 856 立待岬=二海郡八雲町熊石折戸町(北海道)乙部町と八雲町の熊石町の間に長
 855 鮪ノ岬=爾志郡乙部町花磯(北海道)世の中いろいろな都合がありましてここ
 854 琴平岬=爾志郡乙部町三ツ谷(北海道)崖と化石と温泉と湧水の乙部町の“追
 853 突符岬=爾志郡乙部町元和(北海道)蝦夷地の歴史を刻んだ一郡一町の乙部町
 852 館ノ岬=爾志郡乙部町館浦(北海道)目に飛び込んでくる見事な地層は“館層”

 そして、ポンモシリ岬を越えるとせたな町に入る。ここでは親子熊岩や温泉もあるのだが、せたなからのバス便は通っていないのが、せたな町にとっては辛いところだ。

 860 ヨリキ岬=久遠郡せたな町大成区貝取澗(北海道)「澗」だらけの間にある岬
 859 ツラツラ岬=久遠郡せたな町大成区長磯(北海道)毎度ながらつらつら思うこ
 858 長磯岬・親子熊岩=久遠郡せたな町大成区長磯(北海道)しみじみと親子の情
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 せたなからのバス路線は、宮野から国道と別れて北へ行く久遠線があるが、これがまた便利が悪い。いちおう、その途中までは行ったが、この小歌岬の先がいくつか残っていた。

 863 小歌岬=久遠郡せたな町大成区都(北海道)乙部から八雲そしてせたな町は大
 862 湯ノ尻岬・稲穂岬=久遠郡せたな町大成区花歌・久遠(北海道)大成も久遠ま
 861 横澗岬・外横澗岬=久遠郡せたな町大成区花歌(北海道)過去または未来…久
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 せたな町では帆越岬や尾花岬を伴う毛無山の山塊が大きく張り出してきて、海岸線を走る道がなくなる。山を迂回し峠を越えてせたな市街地にもどり、また乗り換えたバスでその山塊の北側の岬を歩いてきた。

 870 茂津多岬=久遠郡せたな町瀬棚区北島歌(北海道)とりあえずここは遠望で確
 869 稲荷岬(藻岩岬・弁天岬)=久遠郡せたな町瀬棚区元浦(北島歌)(北海道)
 868 蝋燭岩・三本杉岩=久遠郡せたな町瀬棚区本町・三本杉(北海道)見事な立岩
 867 鷹ノ巣岬=久遠郡せたな町北檜山区太櫓(北海道)あまり一般に馴染みがない
 866 弁天岬=久遠郡せたな町北檜山区太櫓(北海道)岬の赤い弁天社に託す人々の
 865 水垂岬=久遠郡せたな町北檜山区新成(北海道)水もあまり集中して垂れ過ぎ
 864 日中戸岬=久遠郡せたな町北檜山区新成(北海道)かつてあった集落も学校も

 だが、ここでも三本杉から北、茂津多岬までの岬も残っていたのだ。その先はまた大きな狩場山が立ちはだかっているので、海岸線に道はあるものの、バスは走っていない。
  そんなふうに、切れ切れに残っていた岬を今回は拾う計画だったが、それは空振りに終わったわけで…。
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  江差から奥尻の間で、せめて船の上から見える岬でも…と考えてはみたが、やはり船から正面にみても岬はわかりにくい。岬は斜めからでないとうまく見えないものだ。船からの斜めは、かなり遠くなるので、これまた不分明ではあるが、どうやら尾花岬と茂津多岬らしいあたりはなんとかわかるという程度だ。
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  以下の写真は、船からではなく、奥尻島の北から見たところで、奥尻港を出て、せたなへ向かって走る“アヴローラおくしり”が、だんだん遠ざかっていく。
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▼国土地理院 「地理院地図」
42度8分11.12秒 139度55分31.11秒toshimaM-1.jpg
dendenmushi.gif北海道地方(2016/09/03〜5 訪問)

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1422 江差津花岬=江差町字姥神町(北海道)急きょ計画を変更せざるを得なくなって思いがけなく再びの江差 [岬めぐり]

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 はからずもやってくることになった江差は、三度目。といっても、そのうちの一度はバスで通過しただけだから、泊まるのは二度目。前に泊まったのと同じ「ホテル寺子屋」にお世話になった。今回は、行きで泊まって、帰りでも時間待ちをした。
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 前の江差では、かもめ島の「155 クズレ鼻」の項目のほか、「154 大潤ノ崎」、「156 相泊岬」の3項目を書いていたので合わせて参照願いたい。
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 「ホテル寺子屋」は、奥尻島へ行くフェリー乗り場にいちばん近いところというので選んだこともあるが、なにしろ、このホテルもそうだがその前にある通り(姥神津花通り)が気に入っている。横山家のような古い建物もあるが、昔の家並みを再現したというわけではない。平成に入ってから整備を始めた“いにしえ街道”という名もある通りは、ニシンで栄えた200年前の建物を残す横山家や中村家など古い建物を保存したり、新しく建てる場合もそれぞれレトロ感を前面に押し出したつくり(なんとなく明治の雰囲気)で統一されている。
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 しかも、この通りには電柱が一本もない。管理用のボックスは歩道にあるが、電柱は地下に埋設されているので、道がきれいなのだ。
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 帰りには、ここでずいぶんバスを待ったので、前に行けなかった追分会館とニシンそばの店をマークしてみたが、ニシンそばのほうは開店前でやはりタイミングが合わなかった。
 誤解を恐れずに言えば、江差は過去の遺産で成り立っているような街だ。そのひとつがニシンであり、江差追分だというのは、ちょっと独断と偏見に過ぎよう。ホテルのある位置は、姥神大神宮の近くで、その鳥居の前から海岸に向けて下ったところには、大きな山車(やま)が収められた倉庫がある。
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 帰りには時間があったので、追分会館に行ってみると、この姥神さんの祭りと山車の展示室があった。
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 ここでビデオを見ていると、いかにもニシン漁で繁栄を極めたかつての名残りが、この祭りに集約されて残っているような気がするのだ。この祭りのときには、故郷を離れていた人も続々と戻ってくるので、町の人口が5倍にも膨れ上がるという。
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 13もある山車も、そうでなくては引く人も手も足りまい。山車に鎮座するキャラクターもばらばらで、それがまたおもしろい。なかには武田菱を掲げた山もあるのは、北海道へ和人が渡る初期の段階で、武田氏がこの付近(上ノ国)にやってきたという歴史的事実を反映したものだろう。
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 「江差の五月は江戸にもない」と謳われた往時の繁栄を、今に伝える祭りは大きな遺産であり、それをまた後世に伝え残していこうという地元の情熱が感じられてうれしくなる。
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 会館の2階には、江差追分など追分資料館もある。“正調江差追分”というのを聞いてみたが、とても簡単にはマネできそうもない。正調はとても嫋嫋(じょうじょう)として、その微妙な節回しと発声がなんともいえない。
 「追分」そのものは、なにも江差に限った歌ではない。主に北前船の乗員などによって各地へ伝播したとされ、日本海側のあちこちに、それぞれある。
 そのなかで、江差追分だけは毎年全国大会(熟年の部と少年の部まである)が開かれるほどの全国区なのは、どうしてなのだろう。館内には追分会という看板を掲げた部屋もあって、江差追分を守る町民の活動拠点になっているようだった。
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 この項はあえて、「1422 津花岬」としてみた。それは、どこかで「津花岬」の表示を見かけたからである。
 「津花町」という町名は地図にもあるが、その岬名は載っていない。
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 鴎島と市街地を結んでいる埋め立て地の、ちょうど開陽丸のある南半分と、国道228号線が90度に折れ曲がる町の南側が津花町なので、ここにかつては津花岬があり、それは埋め立てで消えてしまったのではないか、とも考えられる。
 埋め立て地の北側半分は姥神町で、ここと追分会館の中間にフェリーの乗り場はある。
 「五勝手屋羊羹」は前にも買ったが、あのときにはJR江差線がまだ走っていたのだ。
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▼国土地理院 「地理院地図」
41度52分0.06秒 140度7分27.35秒
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