So-net無料ブログ作成

番外:So-netブログ10年を経過しました…とにかくなんとかかんとかここまでは続けてきたが(軽くふりかえってみた) [番外DB]

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記念すべき岬めぐりの最初の項目は地蔵崎

1 So-netとのおつきあいは
 2016年は、So-netブログで「でんでんむしの岬めぐり」を始めて以来、ちょうど10年となった。登録をしてテストを始めたのは2006年春だったが、その頃はまだ試行錯誤中で、実質的にSo-netブログに決めて、公開開始してからはこの秋で10年を数える。
 So-netとのおつきあいは、東京の仕事場の建物ごとでネット環境が整えられたときから始まっていたが、当時はブログは他のところでやっていた。ほかのブログもいろいろ試してみたが、どうも操作性もよくないしブログ環境が気に入らなかったりで、いろいろあって結局このSo-netブログだけが残ってメインとなって長続きしている。
 So-netブログのシステムが優れているかと言えば、それはまったく違う。とんでもないことが多すぎ(「So-netブログの七不思議」シリーズでたくさん書いているのでそちらをご参照くだされ)て、ブログのシステム設計と環境としてはおよそ評価できないのだが、相対的にみて操作性がまずまず、というのだけが取柄で続いている理由であろう。
 毎日更新はちょっとしんどいので、隔日更新を基本にしてやってきた。が、2012年の石垣島だよりの連載中や、2014年の年表の掲載時などでは毎日更新もしてきたし、途中では変則的に月火水更新にしたり、不規則なところもあった。2009年の11月末から2010年の3月末までは、4か月の空白もあった。これは、ちょっと浮気をしようとしてあちこちふらふらしていたのだが、結局元のさやに収まるべく舞い戻ってきた、といういきさつもあった。
 そんなこんなで、途中プロバイダは変わっても、ブログだけはSo-netのままで続いてきた。

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潮岬はこの岬めぐりの原点だったかもしれない

2 東日本はなんとか西日本がたいへんそう
 それまで、かなりいいかげんなつまみ食いでやっていた「岬めぐり」を、ちゃんと本格的に全岬を対象にして再起動することにしたのも10年前で、それもSo-netブログの正式開始と軌を一にしている。
 全国で3,700を超える岬・崎・鼻として、国土地理院の地図に記名があるもののすべてはとても行けないし見られないだろうとは思うが、行けるところまで行き、見えるかぎり見ることに決めてからは、地域ごとに沿岸を辿るコースを考えて計画を立て、3〜5泊程度の岬めぐりを積み重ねてきた。
 その項目数はようやく1,400を超えた(岬項目以外の番外その他を加えるた記事数は1,800を超える)が、まだ全岬総数の半分にも達していない。
 最初は島は後回しにしようと考えていたが、二度手間にならないよう、ついでに船で行けるところは計画に入れるようにしてきた。その結果、一部にはまだいくらか積み残しがあるものの、10年で東日本の主だったところはだいたい回ることができ、その全岬を回ることができるメドはついた。
 「岬めぐり」は決して「踏破」とか「制覇」を目的としていない。「ゆる〜く」「のほほ〜ん」と回りたいというのが正直なところで、そのめぐり方も岬によってさまざまであってよい。実際に岬の上まで行ってそこに立つ場合もあるし、遠くから眺めるだけのこともある。てくてく歩くこともあれば、バスや電車で通りすがりに見るだけのこともある。
 南西諸島を含む西日本も、これまでもだいぶ回ってはきたが、まだまだこちらでは残っているところのほうが多い。地図でみると「ここへは行けそうにないな」という岬もたくさんあるので、これからあと10年かかっても全部クリアはできないだろう。それは、ひとつには島が多いせいでもあろう。島では周回道路もバスもないところが多いので、なかなか苦労しそうだ。
 それに第一、あと10年生きていられるかどうか、それもあやしい。生きていたとしても、自分の足で岬めぐりができるかどうかもわからない。
 まあ、行けるところまで、続けられるところまで…というつもりだが、願わくば“岬めぐり”の途中で、どこかの岬でポックリと行き倒れるというのがいちばん理想的かもね。

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皆様よくご存じの最北端の岬

3 電車とバスで行くので
 車をころころ転がしていけば、もっとカンタンに行けるし、うんと効率は違うはずなのだが、免許がないでんでんむしは、もっぱら電車とバスの公共交通機関を頼りにしなければならない。
 高速道路と自動車の普及が急速に進み、ねこもしゃくしもマイカーに憧れた時代に生きてきた世代としては、免許がないというのは、ちょっとめずらしい部類に属するのではなかろうか。今やその世代が高齢者になり、ハンドルにしがみついている姿を、世間は冷たい眼で見るようになっている。
 電車とバスで岬を訪ね歩くというのは、車で早回りするのとはおのずから異なる風景が周辺に展開することに気づく。それも結果的には、岬についてその周辺について、ぶらぶらするにはちょうどいいのかもしれない。
 岬めぐりで訪れる地域は、都会は少ない。その多くが地方の市街地からはずれた地であるといってもいい。そこでは、人口も流出し、かつての繁栄さえも消えて、公共交通機関が成り立たなくなってしまったという光景を、しばしば眼にする。
 結局、自動車にみなが憧れ、それを手にする、いや足にすることに懸命になってきた結果、それと社会がどう折り合いをつけていくべきか、それとの調和は誰も考えないままにここまできてしまったのではないか。過疎地ほど一人一台の車が必要なっているという妙にアンバランスな現実こそが、現在の社会のゆがみの象徴であるような気さえしてくる。もちろん、現実にはそんな単純なはなしではなく、原因がひとつでないことも百も承知だが…。
 でんでんむしが車を持たなかった理由は、単に横着とへそまがりのせいだが、そういう車社会に突き進むことに疑問を感じていたからでもある。

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10年前リスタートの岬めぐりは足元の三浦半島から

4 日本列島の輪郭を描き出そうと
 公共交通機関でめぐるというポリシーでの移動は、すべてが電車やバスの運行ダイヤに依存するので、はなはだ不自由で制約も多い。そこにはまたそれぞれのドラマもあるのだが、どこそこからの何時のバスに乗ってどうしたという旅行記録そのものは、詳しく書いてもすぐ変わってしまうし、たいして参考にならない。むしろ書かないほうが親切、と考えていっさい省いている。
 ただ、できるだけ単なる“○○へ行ってきました旅行記”にはならないようにしたい。あれやこれや、岬とその周辺についてほじくり出して、盛り上げようとしている。いわば、岬をダシにしつつ日本列島の海岸線(輪郭)をなぞる、というつもりもある。もちろん、同じ輪郭をなぞっても、伊能忠敬のような大事業でも、意義あるものでもないのだが、それでも自分なりに日本列島の輪郭を描き出そうとしているつもりなのだ。
 岬めぐりブログでは、原則として一岬一項目。その岬を訪ねての印象や感想をとりとめなく書くというのがでんでんむし流。ネタがなければしょうがないが、むりやりでも一岬一項目にはする。これがまたなんとかかんとか、探せば書くことはなにか出てくるし、それを探すのもおもしろい。

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これがいちばんアクセスが少ない岬だなんて

5 これは脱線ではなく本線なので

 ときには歴史や地質学や地図などにもちょっとだけ踏み込んだりしているが、それも本線であって決して脱線しているわけではなく、それらもみなでんでんむしの趣味なのだ。
 歴史はたいていざっとは知ったつもりでいても、その地域に実際に行ってみて、そこで特定の人名やできごとにふれるというのは、また格別の趣がある。有名な史跡などではなくても、ここでそんなことがあったのかと知るのは、その息吹を感じることができる。
 地質もでんでんむしの昔からの趣味ではあるが、いっこうに深化しないまま興味だけは持続してきた。そもそも、岬という地形自体が、浸食作用に耐えて残ったという固い地質条件を備えていたからだが、その岩や崖がいったいどういうわけでそこにあるのか、それを問いかけては自分で調べてみるのが楽しい。シロウトの趣味だからタグにも「学」をつけないほうがよかったかな、と反省中。
 地図もこどもの頃からのともだちで、地形図を眺めてはまだ見も知らぬその土地の風景を空想するのが好きだった。そこで、地図もサブテーマとして折りに触れていろいろ書いてきた。
 当初は、So-netのマップを使っていたが、それもサービスを止めてしまったので、こういうものは当てにしてはいけないということを学んだ。MapionもZENRINになってしまうし、結局ネット上ではまともな地形図を無料で提供しているのは国土地理院のみ。ところが、これがまたデータがちょっと古くて更新が追いついていかないのが残念だが、まあしかたがない。

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これもなぜかアクセスが少ない岬なんで…

6 So-netブログはのれんに腕押しぬかに釘
 “ひきこもり原則”を標榜しているでんでんむしブログは、岬めぐり情報の記録蓄積の場をSo-netに借りているというつもりなので、他のブログを逍遥してnice! ボタンを押しまくって、自分のブログにもそれをたくさん集めたりしない。ブログ仲間やお友だちの輪をつくり、ひろげようというつもりもない。当初はまったく無視していたが、途中からnice! をいただいたところには答礼訪問をすることにした。2012年からは「きた!みた!印 」という表記に、かってに変えている。
 もちろん、アクセス数を増やしてポイントを稼いだり、広告を入れてなにがしか小遣い稼ぎをしようという気もないから、そういうものはいっさい意図的に排除している。
 したがって、nice! の数もSo-netブログがしきりに強調しているランキング(これがまた不可解!)もどうでもいいと思っている。いや、当初はまだSo-netブログをもっとよくするためにと、もう少し納得できるシステム設計を考えるべきではないかと、いろいろに疑問を呈し意見を述べてきたつもりなのだが、肝心のSo-netのほうがのれんに腕押しぬかに釘。まったく問題意識もなく聞く耳も見る眼ももたないという姿勢らしい、とわかったので、これはもうどうでもよくなってきた。
 10年かかって得た結論がそれでは、いかにも淋しいのだが…。こちらも割り切って毎月302円払って、場所を借りるだけに徹する。
 それでも、「nice!はナイスではない」から、So-netにその気がないならユーザのほうで勝手に変えたらどうかという提案は、いくらかは賛同者を得たのか、当初から比べると自分なりのボタンに変えている人は増えている。
 そういうひきこもりだから、So-net内でnice!をつけ合うお友だちも少ない。増やそうという努力をまったくしないので、“自然増・自然減”にまかせている。ふりかえってみれば、ああこんな人もきてくれていたなあ、と懐かしく思い出すのもあるが、たいていは自然に消えていきまた新しい人がやってくる。

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沖縄本島の最北端やんばるの辺戸岬

7 著作権注意喚起の責任も放棄したまま

 So-netにはたびたび容量増加につど訴えてきて、いまだにいっこうに改善されないのが、著作権についての注意喚起。So-netも買収して進出するはじめのDeNAなどと同じく、著作権の責任は記事を書くユーザの責任であり当局はいっさい関知しないのでそのつもりで…というつもりなのだろうか。
 唯一、ブログの容量を追加する申請をするときにだけ、一瞬「著作権」のリンクが現われるのだが、これを押してもNot Foundになる。こういう状況がもう何年もほったらかしで、注意しても改善されない。この一事をもってしても、So-netもどうしょうもない組織であるらしいと推測できる。
 でんでんむしも、著作権については別記事を設けてリンクを貼っている。それは、事業者が動かないなら自分で動こうと思ったからだ。ネットのお陰でものを書き発表するという人が不特定多数に一気に拡大したことにより、さまざまな問題が起きることは、容易に予想されるからで、まずは普通の人が知っておかなければならない著作権の基礎をまとめていた。(So-net 初出 2013/09 続編2014/06)
 ところが、始めの記事には思わぬ反応があった。ある人から、それには承服しがたいという主旨の、若干居丈高で脅しめいたメールをもらったのだ。これにはいささか驚いたが、まあ最大限譲って相手の気持ちを汲んでみようとすれば、「あまり著作権のことをうるさくいえば文化や言論の発展と自由を阻害する」ということなのだろうか。あるいは、SNSなどを意識したものだったのだろうか。
 もちろん、その一面はあろうが、著作権法はそのことも踏まえていて、“引用”についてはルールを設けて認めている。だが、SNSのようなものは想定していなかった。それについては、まったく避けていて経験もないでんでんむしには判断ができない。
 ネットにたずさわる人々には、最初から著作権に関する認識が欠けていたのではないか。それがネットにあるものは公共物で誰がどうしようと自由だとか、ネットに“落ちているもの”を拾って使って何が悪いとかいう誤った考えをもっている人を多く生んでしまったのだろう。昨今のキュレーションメディアの問題なども、根底にあるのはそこだという気がする。
 著作権を守る義務は、当然書く側にあることは言うまでもないが、一般の人がブログに書く場合の注意喚起の責任は、著作権法に無知な人を集めてそれを運用しようというSo-net など事業者に、まず第一の社会的な責任がある。そして残念ながらいまだにSo-netはその責任を放棄したままでいる。

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500項目目は中禅寺湖そうなんです湖にも岬はあるんです

8 スルーする理由は
 ブログの内容は人によってさまざまなので、どうやろうとなにを書こうと勝手自由であるべきだろう。それを大前提としても、守られるべき社会的なルールというのは厳然としてあるはずだ。著作権はそのひとつで、まかりまちがえば法にふれることになる。
 親告罪である著作権違反は、見逃されてしまうことが多い。無邪気に法にふれているブログも、たくさんありそうだ。
 たくさんのブログを見ない、見るのは「きた!みた!印」の返礼訪問くらいしかないでんでんむしは、もとよりその判定審判を買って出るつもりもない。が、これはちょっと?…という場合はスルーすることにしている。しかし、なかにはその判定が微妙でむずかしいのもあるし、第一その人がどのようにしてその記事を書いているかもわからない。だから、疑わしくてもそのまま悩みながらnice! ボタンを押してしまうこともある。
 それともうひとつ、でんでんむしがスルーさせていただくのは、内容がないもの、あるのかも知れないが当方にとってはまったく意味不明のもの、単なる宣伝の片棒かつぎに過ぎないものなどで、そのことも当初から変わらぬポリシー(これも、サブカラムに掲げている。)なのだ。
 まあ、それでも「nice!」ではなく別のボタンになっていれば押すかも…。

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1000項目目は被災地の岬めぐりでした

9 「番外」と臨時テーマも
 岬めぐりの途中でふれたことに関連して、「番外」項目を設けてきたが、これも100項を超えた。岬そのものではないが、その周辺で気のついたこと、おもしろそうなものを取りあげ、あわせて岬めぐりルートの流れを記録しつつ、その地域をチェックするという狙いもある。
 また「番外DB」という項目もあるが、これは主に岬に関する一般的な情報や、ブログの統計的な記録を残しておくためのものである。
 そのほか、岬とは無関係に、臨時にテーマを定めて短期連載を挟み込むということもやってきた。それは、でんでんむしが一時住んでいたり、滞在していたり、思い入れのある故郷のことであったりする。それもまた「地域」には違いなかろうと、このブログに混ぜることにした。
 「でんでんむし@アーカイブス★」などと、これまた勝手な名前をつけてまとめている項目は、個人的な興味で集めていたデータだが、あまりネットにはなさそうなので公開している「道歌」と、ほかにもいくつもありそうだが自分のものとして歴史年表を引き寄せるためにつくった「思い出の索引」がある。
 別ブログにしてもいいのだけれど、それほどのボリュウームでもないので、ひとつにまとめている。
 別ブログといえば、同じSo-netブログで、岬めぐりの全項目リンクリストを別に設けている。これは時系列なので、外のブログには都道府県別 Link List もつくっておいた。
 それらへのリンクは、ブログのサブカラム(サイドバー)に表示している。

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1400項目目は越前海岸の岬めぐりでした

10 しばらくは引き延ばし作戦で
 ところが、以前からこのSo-net ブログが提供しているデザイン(でんでんむしはそれを独自に加工して使っている)が、まったく省略されて、だた記事と写真だけをずらずら並べたようになっているのを見つけて、気になっている。それでは、サブカラムも見えない。
 どこで誰がそうしたのかくわしくはわからないが、どうもスマホ用にするためであるらしい。
 確かにこの頃では、コンピュータで見る人よりもスマホで見る人のほうが多いらしい。だからといって、それはないだろうと…。
 スマホで見る人は、パソコン対応画面にして指でチョンと画面を大きくして移動させながら見ていただきたいものだ。スマホ対応用のデザイン変更もできるのだろうが、まだそこまではやる気がない。

 さて、原則として、隔日更新を続けてきたこのブログも、2016/10からは更新間隔を少しづつ開けてきている。それにはいくつか理由がある。ひとつは、この秋に広島か札幌かで日本シリーズ観戦がてらのつもりが、まったくチケットがとれなくてどちらにも行けなかったこと、もうひとつは2017年はしばらくブログなど書いているヒマがなくなることである。
 その間お休みにしてもいいのだが、まったく切れてしまうのも淋しいので、間隔が開いても細々とでも更新を続けたほうがよいかもしれない。
 まあ、そんなこんなでしばらくは引き延ばし作戦。5日に一度くらいになります。
 当然、ランキングは下るのだが、それはいい。ただ、実際のアクセス数もこの秋から大幅に落ちている。これはナゾのひとつなのだが、例年決まったパターンがあるかのように、「でんでんむしの岬めぐり」は秋になるとガクンと落ちる。
 これもおもしろいねえ。(これについては、次項でまた)
 岬めぐりだから、夏場はそれなりに盛況だが秋になると静かになる。そういう季節要因が影響しているのかとも考えてみたが、あまり納得はいかないんだよね。
 では、次回はお正月恒例の地域ブログランキングの定点観測だが、ここでもナゾが解けるわけではないのです。とにかく、お正月飾りの恒例だからやるだけやってみましょうかね。

dendenmushi.gif(2016/12/29 記)

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1444 蛇ノ鼻岬=知内町字小谷石(北海道)道南一帯に路線網が広がるダイヤの見にくい函館バスでなかなか行けなかった岬へ [岬めぐり]

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 なかなか行けなかった岬というのは、北隣りの木古内町と同じ上磯郡の知内(しりうち)町にある岬である。知内町へ行くにはまず、木古内から小谷石行きのバスに乗る。ここも函館バスの路線バスが走ってはいるのだが、この運行時刻がやたらヘンテコで不便にできている。
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 終点の小谷石からの折り返し便の函館行きが13:31で終わってしまうからだ。これが、以前からまったく改善されていないのは、とにかく“小谷石への日帰りは許さない、必ず一泊しろ”という強い意思が働いているともとれる。 
 今回は通りすがりのついでではなく、2日とってこの知内町とその先の松前郡福島町の岬をカバーすることにしたが、小谷石には泊まらない。
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 とにかく、この路線で往復することが可能なのは、1日1本だけしかない。木古内12:35発のバスで、これが小谷石に着くのは…。函館バスの時刻表を見ても…??。 バス停の表記はいたしかたないとしても、サイトではちゃんとわかるようにしてほしい。
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 函館バスのサイトが見づらいことは、前にも書いたことがあるような気もするが、それからサイトはリニューアルされている。だが、肝心のところは変わっていない。 
 函館バスの時刻表のナニがいけないのかというと、たとえば前記の例で言えば、利用者の関心事は木古内12:35発のバスに乗れば、自分の目的のバス停には何時に着くのだろうかということのはずだが、それがまったくわからない。示されている時刻表は、バス停にあるのと同じ発時刻だけ。実はこういうサイトはここだけではなく、ほかの地域でも結構多い。
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 エリア全体と個々の路線の位置やつながりがわかる、路線図を用意していないのも問題である。函館バスとこのサイトの設計者に言わせれば、それはマップがあるし、到着時刻はそのバス停のマークをクリックするとわかるはずだというのだろう。だが、その情報を得るためにはページを移動して何度もクリックをしなければ出てこない。それは、決して利用者の目的にかなう方法とは言えない。
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 マップでバス停を示すというのは、一見進化した方法のようにも思えるが、Googleのマップにバス停を載っけたものなのでか、重くて遅くて操作性が悪くいらいらしてしまう。
 基本的にバス会社は独占事業で、ここ道南ではほとんど函館バスオンリーなので、毎度道南でバスで計画するときにはユーウツになる。それには、ひとつには函館バスの営業エリアが広すぎて、きめ細かな対応ができないという事情があるのではないか。
 全国的にみても、バス会社の営業エリアは市町村単位プラスアルファ程度の地域の細切れになっているのが普通で、函館バスほど広範囲(長万部以南、渡島半島・松前半島・亀田半島の全域にわたる)に路線網が及ぶのはあまり例がないのではなかろうか。
 なぜそうなったか。それにも理由がある。終戦前の1944(昭和19)年のバス事業統合によって、道南で14社もあったバス会社が統合され函館乗合自動車株式会社をつくった。これがそのまま函館バスの前身となったからだ。
 その函館バスが木古内から南に向かうと、やがて蛇ノ鼻岬は遠くに見えてくる。松前半島の先端をくるりと回る国道228号線は、知内から海岸を離れて山に入るのだが、その手前の海岸線を走るところからの眺めが、いちばん岬らしく見えた。
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 段々になった尾根の出っ張りがおもしろい岬だが、150メートルから下が50メートルごとに段差がついたようになっている。これがこんなふうに見えるのは、北からの遠望のみで、涌元の漁港が近づくとそれは見えない。
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 だが、海岸の際を走る道路からは50メートルくらいの断崖が切り立っており、それはこの蛇ノ鼻岬から1キロ弱ほど南へ続いている。
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 知内の町を抜けると発電所があり、涌元の港へ向かう道筋には、神社の秋祭りを知らせる幟が立っていた。
 祭り。そうだ祭りだ「まつり」だ…。北島三郎は、函館の歌で世にアピールしたし記念館も函館にあるので、函館出身だと思っている人も多かろうが、ここ知内町の出身である。
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 知内から南に伸びる道道531号線の道路脇には、“シカ飛び出し注意!”の看板もあった。どういう事情かはわからないが、松前・矢越道立自然公園内である小谷石の山中にエゾシカ9頭(牡3、牝6)を放したのは、1964年(昭和39)年のこと、と町の記録にはある。
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▼国土地理院 「地理院地図」
41度33分33.03秒 140度26分11.11秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2016/09/05 訪問)

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番外:木古内駅=木古内町字本町(北海道)北海道最西端ではないけれども最南端の駅は新幹線の駅として一新されていた [岬めぐり]

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 江差線が廃止されたのは2014(平成26)年の5月だったが、その3年前の時点からJR北海道管内で乗降客が最も少ない(1キロ当たりの1日平均利用客数41人)区間となっていた。JRが発足した当初の1987年から比べると、実に6分の1に落ち込んでいたというから、そりゃ大変だ。
 それでも、同じく木古内から西へ伸びていた松前線が1988(昭和63)年に廃止されたのに比べると、江差線はずいぶん永らえたといってもいい。それは、代替道路となる道道5号線の整備が遅れていたこともあるが、もともとの江差線が五稜郭から始まっていたときから、道南の幹線として経緯してきたことと無関係ではなさそうだ。
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 本州でも同じだが、国鉄になる前からも民間の鉄道がたくさん敷かれていた。軽便鉄道が江差まで延長されて江差線となったのも、1936(昭和11)年と早かったが、函館と木古内の間は本州から青函トンネルを経て北海道をつなぐ重要幹線と重なっていたからだろう。
 江差線廃止後に北海道新幹線が開通したのは2016(平成28)年3月で、これ以降は木古内=五稜郭間は第三セクターに移管されて道南いさりび鉄道線となっている。木古内駅は、高架になったJRと地上1Fのいさり火鉄道とふたつの駅がくっついている。
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 北海道新幹線開通前には、新青森で海峡線に乗り換えて函館まで行っていたが、開通後は「はやぶさ」に乗ったまま青函トンネルを出て、函館北斗という新駅までつながった。
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 新幹線が北海道に上陸?するのは福島町の吉岡付近だが、そこからまだしばらくは青函トンネルの延長上にあるので、コモナイ川で一瞬地上に出るがすぐまた第一湯の里トンネルがある。そのトンネルを抜けたところが知内町の湯ノ里で、それからまたいくつもの小さなトンネルをくぐって、広いところに出るのが木古内町。
 木古内から函館北斗までの間は、また今度は長いトンネルがいくつも続くが、新幹線の終点で、札幌方面や函館駅へは乗り換えとなる新駅は、北斗市の市渡というところになる。木古内駅は北海道にトンネルで上陸してから、終点までのほぼ中間に位置している。
 その北海道側の最初の駅になる木古内駅も、以前のホームも狭くて人1.5人でいっぱいになるほどで、待合室も狭かった。海峡線の名はなくなったが、いさりび鉄道の駅と貨物線も含めて新駅は、駅前周辺を含めて大変貌している。これを機にして、町の再開発が行なわれたらしい。大通りに面した町並みは、まだ新しい。
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 新幹線のホームからは、長い陸橋通路を渡って南東側に出ると、駅前には広いロータリーがあって、バスとタクシーの乗降場や駐車場があり、正面には道の駅がある。
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 昔の木古内駅には、2007年と2012年の2回降りているはずなのだが、木古内町の岬は、ひとつだけしかない。それがサラキ岬。
 その東、函館寄りには 三ツ石崎という岬があるが、そこはもう北海道新幹線の新駅ができた北斗市になる。この岬も車窓からだったが、その項目では木古内から南の岬に行こうとしたけど行けなかったことなど、2007年当時のいきさつについて書いている。
 これまでそれが、ずっと懸案として残っていたので、今回の計画ではせたなからの帰りにはぜひともと予定していた。それが函館北斗から北へは行けないという思わぬ事態となってしまったが、最後の計画だけは当初の予定とはだいぶ異なってもなんとか達成したい。そう考えて、道の駅の前から出る木古内から南へ行くバスを待っている。
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 この道の駅の名前が“みそぎの郷 きこない” というのだが、“みそぎ”がわれわれが知っている意味なのか、それとも別の意味があるのか、聞き損ねた。

▼国土地理院 「地理院地図」
41度40分42.04秒 140度26分5.08秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2016/09/05〜06 訪問)

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番外:旧JR江差線=檜山郡上ノ国町・上磯郡木古内町(北海道)渡島半島の西岸を船で下って松前半島をバスで横断する [岬めぐり]

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 尾花岬や帆越岬があるところは、久遠郡せたな町であったが、そこから南に向かって海岸線を下って行くと、二海郡八雲町があり、爾志郡乙部町を通って、爾志郡乙部町に入り、檜山郡江差町に至る。
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 この海岸にある岬は、いちおう網羅していて、小歌岬から相泊岬まで計14 の岬(12項目)を数える。奥尻島の北部からこれを眺めると、ほとんど霞んでしまううえに、岬の判別などまったくできないが、いちおうリストだけはあげておこう。
 
 
 前項の終わりに朝焼けのなかにある対岸の北海道本島の写真をあげていたが、これは奥尻小学校前の民宿の窓から早朝に撮った。奥尻島の岬めぐりは、当初計画とはだいぶ違う形で早めに終了したので、翌日の朝いちばんの江差行きフェリーに乗ることにした。台風が接近しているのと、道南の天気予報では雨になると予想されていたので、早く北海道本島へ引き返しておいたほうがよかろうという判断だった。
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 早朝にもかかわらず、朝食も出してもらいフェリー乗り場まで送ってもらい、再び“アヴローラおくしり”に乗り、鍋釣岩に別れを告げる。
 フェリーからなんとかこれら渡島(おしま)半島西海岸の岬を、確認できるかと思ったが、これはまったくダメ。さっぱり見分けがつかないので、早々にあきらめた。06:50に奥尻港を出ると、09:00に江差港に着く。
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 江差港に戻ると、来たときと同じルートで木古内行きのバスに乗りたいのだが、これがまた連絡が悪く、次の木古内行きは10:45まで待たないといけない。
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 午前中なのでニシンそばの店も開いていないし、もう何度か歩いた江差の町をまたふらついて時間を待つ。このバス路線は、かつてあったJR江差線の代替ということで始まった、函館バスの路線である。そう函館バスの営業路線の範囲は、完全に“函館”の範疇を越えて、渡島半島・松前半島・亀田半島に広がっている。 
 JR江差線が走っていたのは、平成26年5月までで、当初は鉄道の代替ということで木古内駅前と江差駅の裏に当たる函館バスの江差ターミナルを結んで走り出した。
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 だが、その後は江差町内の路線が延長され、現在では江差町の北部にある高校や病院から、姥神のフェリー乗り場とターミナルを経由し、上ノ国から海岸を離れて山に入り、峠を越えて松前半島東海岸の木古内まで行く。このバスが通る道からは、昔の江差駅の様子はわからないが、ここの在りし日の様子は、昔のブログの項目から拾い出せる。函館バスが走らせているこの路線のバスは、小型というのか中型というのか、よくわからないバスで日立かどこかの車両であったと思う。確かめようとしたが、どこにも車両製造のプレート掲示がない。
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 実はこの同タイプのバスは、全国でコミュニティバスなどとしてたくさん走っている。東京は中央区の江戸バスもこの車両を使っているし、でんでんむしの町を走っている京急バスもこのバスを採用したが、一台で座れる人数は11人だけだ。ただ座席のおき方にはいりいろな配置がある。シェアは全国各地でどんどん伸ばしているようだが、個人的にはこのバスはあまり好きではない。ムリに低床にだけこだわった設計になっているのでムダが多く、座席数が少ないし、運転席がやたらに高いので、天井も窓も高くなんだか妙にバランスが悪いバスなのだ。
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 おまけに函館バスのこの路線で使っているバスは、ラッピングで窓をほとんど覆っているので、景色がほとんど見えない。
 江差ターミナルと言っても、単なる車庫のようなところに、小さな待合室がくっついているだけだが、そこを出てしばらく走ると、檜山郡上ノ国(かみのくに)町に入る。
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 上ノ国からは天ノ川の流域に沿って、道道5号線を南東に進み、徐々に高度を上げていく。途中では、道路のそばに旧江差線の線路跡や鉄橋があるのが見える。
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 湯ノ岱という温泉があるところでは、旧湯ノ岱駅の前に停まって、一休みする。なにしろ、始発から終点までの所要時間は1時間50分にもなるので、トイレ休憩の意味もあるのだろう。
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 ここと神明のところでは、旧駅の前にバス停があり、そこには旧駅の建物やプラットホームなどの跡が残っていて、赤く錆びたレールもそのままだ。
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 また、別のところでは沢に架かっていた鉄橋や線路の石積みを取り除く工事も行なわれていたから、旧鉄道の廃線跡は徐々に取り除かれているところなのだろうか。
 松前半島の分水嶺は、中央よりも東寄り斜めに連なるが、高度はそう高くはない。上ノ国町から木古内町へ変わる境界線は、標高200メートルの吉堀隧道で越える。
 峠を越えると、木古内川に沿って一気に南東へ下りながら、谷の幅がどんどん広くなり、やがて新幹線の高架が見えてくる。
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 全線区で赤字が続いているJR北海道は、すでに留萌線の留萌=増毛間の廃止を決めているが、さらに2016年秋には利用者が少なく維持が難しい線区をまとめて示すという。輸送密度の極端に低い線区としてあげられているのは、札沼線(北海道医療大学=新十津川)や石勝線(新夕張=夕張)、根室線(富良野=新得)などである。
 留萌=増毛も岬めぐりの計画で、検討はしていたが、とにかく本数が少ないので使えない。利用者が少ないので採算が取れない、合理化のため本数を減らす、ますます使いにくくなって廃線…という構図は、本土でも北海道でも変わらない。 

▼国土地理院 「地理院地図」
41度42分49.69秒 140度18分29.75秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2016/09/05 訪問)

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タグ:北海道

1443 尾花岬・帆越岬=久遠郡せたな町大成区太田・富磯(北海道)難所の見えない岬だからムリしてでも… [岬めぐり]

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 これも前項の茂津多岬とまったく同じいきさつと理由で、項目を設ける。
 尾花岬・帆越岬も、茂津多岬にまさるとも劣らない岬めぐりの難所である。これもなかなかそば近くにも行けないというわけで、せめて奥尻島の東岸からほぼ正面に見えるこれを、いちおうチェックしておこう。
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 何度か書いているが、岬は正面から見てもちっとも岬らしくない。周囲の景色が単調なこともあって、遠近感がまったく出ないのだ。
 それを承知で、とにかくむりやり正面からの遠望で…。
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 まず、尾花岬はせたな町の日に一度だけフェリーの発着する港からは、16.5キロ南南西に離れている。以前には鵜泊までしか行かないバスを港で降りて水垂岬まで歩き、そこから南の日中戸岬までを眺めるところで終わっていた。日中戸岬からは、道路はさらに南へ、1.1キロの日昼部トンネルと3.4キロもある太田トンネルという二本の長いトンネルで伸びているが、ここも公共交通機関はいっさいない。(iOS マップ↓)
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 尾花岬は、その長い太田トンネルの北側4分の1くらいのところにある。もちろん、ここもどこからも見ることができない岬なので、船からか対岸にある奥尻島から見るしかない。
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 奥尻島の最北端からは、東北東18.5キロにある尾花岬は、おぼろげに巨大な崖が岩肌を露出しているのがわかる程度だ。地理院地図によると、崖のように見えない緑の山も、海岸近くはこの一帯では例外なく崖のようである。
 なんらか、場所を特定できるようなものはないかと、眼を皿にしてみたが、やはりわからない。なにしろ、目印になるようなものがほとんどないからだ。
 遠目だからわからない、というだけでない。わずかな目印は、トンネルの切れ目とか、小さな沢の切れ込みとか、岩の出っ張りの並び具合くらいしかないのだ。
 おそらく、よほど海岸から近い所を、船で行ったり来たりしてやっとわかるくらいだろう。
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 尾花岬を太田トンネルで南へ抜けたところが、せたな町大成区の太田集落で、ここには漁港もある。この北隣りの集落と漁港は鵜泊で、そこから太田までは11キロ、その間、トンネル以外はほとんどなにもない。
 太田トンネルの南よりの上に毛無山816メートルがある。ぽこんと三角に飛び出ている頂きがそうかと思うが、自信はない。
 500メートル前後の相泊山・太田山が、毛無山と太田集落の南に続いてあり、帆越山がその先に大きく海岸を制圧している。
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 帆越山の標高は、せいぜい320メートルしかないが、南北に長い山塊が海岸に立ちはだかり、人を寄せつけない断崖の海辺を避けて、道は2キロ弱の帆越山トンネルでこの山の下をくぐり抜けている。(iOS マップ↓)
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 つまり、帆越岬もまた尾花岬と同じく、陸からは見えない岬なのだ。1.85キロのトンネルを南に抜けても、次の集落である富磯まではまだしばらくは無人の海岸が続くので、帆越岬の北にある太田集落と南にある富磯集落の間は、6.5キロの間が開いていて、南からの少ないバス路線もほとんどは小歌岬のある大成区都までしか行かない。
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 わずかに日に一本だけ第二富磯というバス停の終点まで行く便があるので、実は今回の当初計画は、それに合わせて組んでいた。小歌岬もいささか消化不良のままだったが、ここへはまだほかにも日昼岬・添泊岬が残っていた。太田まではバスも通っていないので、せめて富磯まで寄って北の帆越岬を南から見るのと合わせて、いずれまた来るつもりだったのだ。(iOS マップ↓)
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 尾花岬の海岸線は、断崖続きでトンネル以外の道はなかったように思われるが、帆越岬のほうの海岸線にはトンネルができる前には旧道が通っていたような形跡が、地理院地図からは伺える。そこで、Apple iOSのマップでこの部分の航空写真をみると、確かに廃道になってズタズタになったかつての道路の跡が残っていた。
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 結局、尾花岬と帆越岬はまったく同じような条件にある岬で、今回はJR線でのせたなからのアプローチができず、岬めぐりの難所はまたしても不発に終わった。
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 それだからこその難所なのだろうが、遠望とは言いながらせっかく東から眺めることができたので、記録にとどめておくことにした。
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 茂津多岬・尾花岬・帆越岬と3つの岬めぐりの難所は、海岸線を崖で覆われているので、道はトンネルしかないこと、周辺がまったく人家もなく人の気配もない地であること、もちろんバスなども通っていないといった条件が揃っている。こういう場所は、北海道本島でも積丹半島北部と知床半島の一部のほかにはないように思われる。
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▼国土地理院 「地理院地図」
42度18分11.74秒 139度46分6.43秒 42度15分33.66秒 139度46分33.78秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2016/09/04 訪問)

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1442 茂津多岬2=久遠郡せたな町瀬棚区北島歌(北海道)巨大な山塊が落ちる海岸を4つの長いトンネルで抜けるところ [岬めぐり]

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 茂津多岬のことは、「870 茂津多岬=久遠郡せたな町瀬棚区北島歌(北海道)とりあえずここは遠望で確認しておくだけです」として、以前にも項目にあげていたが、そこで白状しているとおり、その岬に行ったわけではなかった。
 今回、ここでまた「茂津多岬2」としてあげるのは、いささかのはばかりもあった。というのも、今回の2もまた遠望のみだからだ。
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 それでもあえて、ここでまた遠望で2をとりあげておく“理由その1”は、茂津多岬はなかなかそばまで行くことができない岬であること。そして、“理由その2”は、今回は、奥尻島からの遠望で、この岬をより西の海側から眺める機会はそうそうないから…。
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 奥尻島の最北端である稲穂岬から、茂津多岬までは東北東に46キロ離れている。かなりの遠望なので詳細は見えず、そのシルエットだけになるが、それにもまた意義があると考えた。
 前には、せたなの水垂岬からの遠望だったが、稲穂岬からの遠望はさらに17キロ西寄りになるが、南北には10キロほど遠くなる。
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 こんなことに意味があるのかどうか、書いていても不安になるが、今回は台風の影響で函館本線が不通になったために、当初計画していたせたなの北部ぎりぎりのところまでコミュニティバスで行って、茂津多岬を南からいちばん近いところからみるというプランが、まことに残念なことにおじゃんになってしまったので、その記録という意味はあるだろう。
 この落とし前を、いつつけられるか、現在のところまったく見通しが立っていないし…。
 茂津多岬はなかなか行けない岬で、これまでなんども計画してなかなか実現できていない。その理由は、ひとえに交通の便が悪い、公共交通機関はまったく走っていない場所にあるからだ。
 北からは島牧村のバスの終点である栄浜までで、南からはせたなの須築(すっき)でバスは終わっている。
 そして、この栄浜と須築の間には道はあるが、約11キロの間に5つのトンネルが連続する。そのひとつを除いてあとはみな長いトンネルで、そのなかでもいちばん長いのが1.9キロの茂津多トンネル。このトンネルで島牧村とせたな町の境界の尾根(400メートル)を越える。
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 そこは1520メートルの狩場山から西へ伸びる尾根の終点で、尾根の先がトンカチの頭のようになっていて、西の海へは200メートルにおよぶ急斜面が落ちている。その断崖の西の端が茂津多岬と中茂津多岬、さらにその北に冷水茂津多岬とあって、境界線はその真ん中のほうだが、南側から見えているのは茂津多岬だけになる。
 トンカチの頭の上は南北に長い台地になっていて、島牧村側には茂津多岬灯台がある。地理院地図をみると、南の須築橋からトンカチの上に登る自動車道が途中まであり、ちょっとしたハイキングで行けるらしい。ただ、クマよけの注意が必要。
 公共交通機関がないなら、マイカーやレンタカーなら行けるかといえば、どのみちこの道はトンネルばかりだから茂津多岬はどこからも見ることはできない。
 やっぱり、でんでんむしとしては、須築漁港の岸壁と弁天岬の上からくらいがせいぜいなのだが…。
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 茂津多岬の左手に、遠く細く伸びる陸地は、積丹半島だろう。

追記:「1440 滝ノ澗岬=奥尻郡奥尻町字稲穂(北海道)“海栗前”では読めんじゃろと北回り町有バスの終点は“野名前”と変換」の項について、ChinchikoPapaさんから二回続いてコメントをいただいたので、参考までに追記させていただく。

1 ウニは「nino」ですが、島言葉の方言で「nona」と発音したことがあったんでしょうかね。「セタ・ナ」の町名も気になりますね。

2  先ほど、何気なくアイヌ語辞典を調べてみたら、「uni」ないしは「uni(hi)」には「家々」「家屋」「住宅」という意味がありますね。もし、ウニが「海栗」ではなく「uni」のほうだとしますと、それに和語の「前」を付けることで、「集落(の前浜)」ないしは「集落(の前海)」というのが当初の意味だった可能性もあります。

なるほどね。確かに和人が音で和語のウニに当てはめてしまったということも、可能性としてはおおいにあり得る。
ChinchikoPapaさんからは、時折なかなか捨てがたいコメントをいただくので、残しておきたいときにはこうして記録させていただいているが、この1のコメントがついていた項目記事を読んで、改めて驚いた。
So-net「地域ブログ」のなかでも、数少ない内容の充実度に加え、12年にわたって「下落合」という一地域に絞って精力的な調査と発信を続けておられるのには、脱帽する。そのうえ、「訪問していただいた方々(PV)は東京都の人口を、そろそろ超えようとしている」し、1日の総閲覧数も4000もあるというから、たいへんなものだ。

でんでんむしなど、足元にも及ばないのだが、当の「岬めぐり」ブログは、隔日だった掲載間隔をダウンさせている。ここのところ2016年10月からは3日に一度に落とし、さらに12月からは5日に一度の更新にしている。これについてはいくらか事情もあるのだが、それはまた…。

▼国土地理院 「地理院地図」
42度36分22.21秒 139度50分2.34秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2016/09/04 訪問)

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