So-net無料ブログ作成

1479 マッカ岬=増毛郡増毛町岩尾(北海道)かつては連絡船がつないだ断崖の沿岸を今ではバスがトンネルと道路と橋でつなぐ [岬めぐり]

hikatamakka-9.jpg
 日方岬から東北東へ3.4キロの位置にあるのがマッカ岬。そこから少し内陸に入った山の中を突き抜けるマッカ岬トンネルは、680メートルほどの長さしかないが、そこから東にはペリカトンネル390メートル、そして約2キロ弱の大別苅トンネルが続いている。
hikatamakka-3.jpg
hikatamakka-2.jpg
 3つのトンネルの間には、尾根の切れ目の谷間があり、そこを国道は橋で渡っている。
hikatamakka-4.jpg
 マッカ岬トンネルの南西側では谷というより、標高100メートルほどの開けた海の見える山腹上を横切って通る。その1.2キロの間は、歩古丹橋、望洋橋、涛景橋など6つもの橋が続いているが、橋といっても下を川が流れているわけではなく、尾根の切れ目で谷になっている部分を橋でつないで、道路を平らに保っているわけだ。
hikatamakka-6.jpg
 この国道を、車でバンバン走り抜ける分には、なにも関係ないし気がつかないのだが、地図を見ると西の涛景橋を渡った辺り(つまり、日方泊トンネルの出入口の手前付近)から、国道から分かれて東の山にヘアピンカーブを繰り返しながら登って行く道がある。
hikatamakka-10.jpg
 どうやら、これがトンネルができる前に実際に使われていた旧道らしい。くねくねと山肌に沿いながら、できるだけ等高線に逆らわないようにして延々と続く山道は、マッカ岬トンネルとペリカトンネルの南を大きく回りこみ、大別苅トンネルの上を抜けると下り始め、大別苅川を横切ったところ、大別苅トンネルの孔口近くで国道231号線に合流している。
hikatamakka-1.jpg
 その付近の標高が100メートルくらいで、そこからマッカトンネルの西側の孔口を出て、いくつもの橋を通る付近までの間は、途中ペリカトンネル付近で130メートルと高くなっているが、トンネルと橋と道路で通るこの道は、ほぼ同じ高さといってもよい。
hikatamakka-11.jpg
 日方泊トンネルの東側開口部付近の涛景橋の辺りは50メートルくらいで、そこから300メートルもの高さを登りまた100メートルまで降りていた旧道の山道に比べると、いかにもありがたいものであろう。
hikatamakka-5.jpg
 ここの3つのトンネルができたのは1990年代の初頭だから、それ以前はもっぱらこの旧道ルートが唯一の道であったのだろう。それも歩古丹(あゆみこたん)にまだ集落があった頃までのことだろうが、この辺の事情は、ちょっと通りすがりにはなかなか全容をつかみにくい。だが、この旧道は冬季には閉鎖された。
 増毛まではまだ鉄道が通っていたが、雄冬へ行くには冬には陸路では行けず、増毛から雄冬へは小さな連絡船が通っていた、という。それも厳しい気象条件のなかではしばしば欠航した。
hikatamakka-8.jpg
 その連絡船は、この次のカムイエト岬、このマッカ岬、前の日方岬の断崖絶壁を見ながら、雄冬まで辿り着いたのだ。1日1往復の「雄冬丸」は、増毛=歩古丹=岩尾=毛間振(ケマフレ)=雄冬と途中の断崖に張り付いている小さな集落にも寄りながら、2時間近くかかって運航していたらしい。
 それも、1992(平成4)年のマッカ岬トンネル・ペリカトンネル開通までのことだったようだ。
 ところが、国道231号線の開通・全通は、雄冬岬トンネルが開通した1981(昭和56)年ということになっている。この10年間の経緯が、通りすがりにはわかりにくいとところなのだが…。
 2時間かけて連絡船がつないでいた区間を、現在ではその名も沿岸バスという会社の大型バスが30分ちょっとで走り抜ける。
 だが、その日に3便のバスの利用者は、当時の30人乗り1日1便の連絡船の乗客よりも、はるかに少ないのであろう。
hikatamakka-16.jpg
 ここにもあったマッカ岬
 
712 マッカ岬・ビヤノ岬=積丹郡積丹町大字幌武意町・大字美国町(北海道)美国から黄金岬と宝島の間にどうにか見えた


▼国土地理院 「地理院地図」
43度49分16.09秒 141度25分26.08秒
hikatamakkaM-1.jpg
dendenmushi.gif北海道地方(2017/07/02 訪問)
@このブログは、ヘッダー、サイドバーをも含めた、全画面表示でみることを大前提としています。

にほんブログ村 その他趣味ブログ
その他珍しい趣味へ 人気ブログランキングへ

タグ:北海道
きた!みた!印(23)  コメント(0) 
共通テーマ:地域

1478 日方岬=増毛郡増毛町岩尾(北海道)見えない岬をトンネルで通過する国道231号線その2 [岬めぐり]

hikatamakka-12.jpg
 日方岬もこの次のマッカ岬も、見えない岬で、国道231号線は長いトンネルでそこを通り抜ける。南から北への掲載順だが、この区間の写真は北から南へ向きのものばかりになってしまった。
 そこで、まずは日方泊トンネルの北側から岩尾までの車窓から。
hikatamakka-13.jpg
 日方泊トンネルは2005(平成17)年に開通しているのだが、ここもまた旧トンネルとしてあった歩古丹(あゆみこたん)トンネルと天狗トンネルを改良しつつ、つなげつつできた新トンネルで、南側で連結する覆道と黒岩トンネルを合わせると4キロを超える長さになる。
 北側のトンネルの開口部での標高は200メートル弱だが、ここから270メートルくらいの尾根の下を通り、覆道で海岸線近くまで下っている。出入口の右手に海岸と岩がちょっと覗いているが、これは日方岬からは東北東1.6キロくらいのところにある膨らみ。日方岬はトンネルの真っ只中。
 出入口の下のほうになにやら構築物のようなものがある。これも推測だが、ここから下にあった旧トンネルと旧道へ続くルートの在処を示す痕跡の一部なのではないだろうか。
 そう思って調べてみると、やはりそうで、白い屋根の下に旧歩古丹ンネルの孔口があった。現在の地図からは消えかかっているが、それでもわずかな痕跡を残している。このトンネルはそう長いものではなく、その先は海岸の膨らみを旧道によって越えていた。
 では、同じく現在の地図からは確認できない天狗トンネルは、どこにあったのだろうか。
hikatamakka-14.jpg
 天狗トンネルは日方岬の東から南西方向に1.2キロ伸びて、岬を越えていた。現在の日方泊トンネルは、この旧天狗トンネルに途中からつながって、黒岩の覆道に通じている。もちろん、トンネル内は全部新しくなっているので、どこが繋ぎ目かはわからない。
 もっとも、そんなことを気にする人なんて、誰もいないだろうが。
 いやいや、いるんですね案外。
 これまでも何度かふれてきた、旧道・廃道・廃墟マニア。
 そういう人たちにとって、ここらも重要なポイントらしい。
 実際、今はもうない旧トンネルの所在も、公式記録はほとんど見当たらず、そういう人たちのネット情報によって、初めて知ることができる。
 ありがたいことではあるが、そういう情報のなかには、本文まるまるwikipediaのコピペ丸写しで、引用出所も明記していないものもある。まことに遺憾で残念なことですね。
 もともとはこの日方岬とこの北に続くマッカ岬をまとめて一項目にするつもりでいたが、やはり分けたほうがいいかと…。
 …次項に続く。
hikatamakka-15.jpg
hikatamakka-17.jpg
 あ、そうそう。忘れるとこだった。
 実は同じではないけれど、似たような岬の名前があった。というか、トンネルのほうと同じ名前の岬があったんです。
 北海道は松前半島西海岸、上ノ国町字小砂子にある、「日方泊岬」。
 ここは、灯台まである立派な岬である。そして、ここもバスで通ったはずなのに、みると項目がないことに気がついてしまった。
 困ったね。どうしよう。

▼国土地理院 「地理院地図」
43度48分22.13秒 141度23分16.77秒
hikatamakkaM-2.jpg
dendenmushi.gif北海道地方(2017/07/02 訪問)
@このブログは、ヘッダー、サイドバーをも含めた、全画面表示でみることを大前提としています。

にほんブログ村 その他趣味ブログ
その他珍しい趣味へ 人気ブログランキングへ

タグ:北海道
きた!みた!印(21)  コメント(0) 
共通テーマ:地域

1477 赤岩岬=増毛郡増毛町雄冬(北海道)追分ソーランラインが雷電国道になってオロロンラインへつながる北海道西海岸の道 [岬めぐり]

akaiwam-1.jpg
 この国道231号線が開通したのは、1981(昭和56)年のことで、雄冬岬トンネルの完成によって、当時の浜益郡浜益村と増毛郡増毛町の間が、初めてつながった。これによって、札幌=留萌間の最短ルートが全通したことになる。
akaiwam-2.jpg
 けれども、現在の地図には「雄冬岬トンネル」の表記はない。それは2016(平成28)年に、それまであったガマタトンネルと雄冬岬トンネルのふたつのルートをつなげて、総延長4,748メートルの浜益トンネルひとつに統合しているからだ。
 北海道の石狩以北の西海岸を走る国道は、別名「オロロンライン」というらしい。檜山の海岸を走る道路は「追分ソーランライン」だったし、それが島牧からは「雷電国道」となって小樽までつながってきた。それが、ここではオロロンラインになったわけだ。
 「雄冬」という地名は、石狩市と増毛郡増毛町が分けあっているが、集落の大部分は増毛町に属している。留萌から来てまた北へ折り返していくバスの車窓から、岬を拾っていくが、写真は往復のが入り混じり、展望の開けた南向きのほうが多くなる。
akaiwam-8.jpg
 雄冬集落の北に、「ケマフレ」というバス停がある。
 ここには東の山からケマフレ川が流れてくるが、その谷は幅600メートルもある開けたカール状の谷になっている。
 オロロンというのは鳥の名なのだが、ケマフレというのもそうらしい。赤い足が特徴の黒いウミスズメ科の鳥の名だというし、例によってその名もアイヌ語で「赤い足」を意味する。もともとオホーツクやカムチャッカという北海道東北部地域の鳥の名ケマフレが、どうして北海道も西海岸のここについているのだろうか。
akaiwam-9.jpg
 そのケマフレの400メートル北東寄りに見えてくるのが、赤岩岬。こういうところは、たいてい岩や土の色が赤いというところからその名が付けられていることが多いが、ここもそうなのか。ここから先には岩尾温泉があるが、そこをさらに北に行くと、黒岩トンネルというのもあるので、あるいは単純なる比較でついただけなのかもしれない。…やっぱり赤いね。
akaiwam-10.jpg
 70メートルほどの高さをもつ岩の小尾根が、短くチョンと飛び出していて、短い覆道が南西東北両側についたトンネルでそこを通過する。
akaiwam-7.jpg
 これが、ここを走っている沿岸バスの車内。乗客も少ない(というか、でんでんむししかいない、この区間では)のに、大型の観光バス仕様だ。
akaiwam-6.jpg
 この岬から北へは、しばらく覆道が断続的に続いていて、その途中にはアカイワ川という川も流れ下っている。覆道やトンネルが多いということは、そこに道路を通すことがなかなか大変だったということを示している。
akaiwam-5.jpg
 赤岩岬はやはり、この地域の地質の特徴が、その名を生んだもののようで、南からでははっきりしないが、北から見たところでは岬とその周辺では確かに崖や岩が赤く見える。してみると、ここもアイヌ語源がそのほとんどを占める北海道では、わずか2割ほどしかない和名語源による命名ということになるらしい、
akaiwam-4.jpg
 もっとも、2割というその根拠はうろ覚えで、地名というのは町や村の名なのか、山や川の名をなど自然地形を含むのか、岬は入るのか入らないのかはわからない。
akaiwam-5.jpg
 こうした海岸の小さな出っ張りに、わざわざ岬の名をつけるのは、多くは船の航行や漁労の便であったりすることが多いが、ここの場合はなんとなく道路のほうからついたのではないか、とそんな気もする。
akaiwam-1.jpg
 北海道は昔からライダーが多いが、釣り人は全国どこにでもいる。しかし、こんなところまでちゃんとやってきてちゃんと竿を出しているのは、なかなか見上げたものだ。
akaiwam-11.jpg

▼国土地理院 「地理院地図」
43度45分27.93秒 141度21分15.99秒
akaiwamM-1.jpg
dendenmushi.gif北海道地方(2017/07/02 訪問)
@このブログは、ヘッダー、サイドバーをも含めた、全画面表示でみることを大前提としています。

にほんブログ村 その他趣味ブログ
その他珍しい趣味へ 人気ブログランキングへ

タグ:北海道
きた!みた!印(23)  コメント(0) 
共通テーマ:地域

1476 雄冬岬=石狩市浜益区雄冬(北海道)カモメになって飛んでいかないと見えない浜益トンネルのゆるい膨らみ全体 [岬めぐり]

ofuyum-6.jpg
 ゆるい弧を描く急峻な崖の海岸線を一本の道路が通っていて、その内側に巨大な山塊を抱えているので、鉄道はそのはるか内側を走る。海岸線に点在する集落は、飛び飛びで小規模である…。
 そんな意味では、これまで渡島半島北部で残っていた、毛無山の帆越岬・尾花岬と、狩場山の茂津多岬と、ここ暑寒別岳1,492メートルを主峰とする増毛山地の西に張り出す雄冬岬も、まったく同様のかたちになっている。
 ただ、渡島半島と異なるのは、この海岸線を走る国道231号線は、いちおう札幌と天塩を結ぶ急行路線バスが走っていることだ。ならば、そのバスで…と計画はしてみたのだが、どうやってもバスの時間の都合でうまく合わない。
 それに、たとえそのバスに乗ったとしても、実は雄冬岬を見ることはできない。
 なぜなら、ここも尾花岬や茂津多岬と同じく、長いトンネルでそこを通過しているから、船をチャーターするか、カモメになって飛んで行くしか見ることができない岬なのだ。
ofuyum-5.jpg
 そんなわけで、途中の覆道も含めて4キロもある浜益トンネルの北寄りに位置する雄冬岬は、留萌からバスで雄冬まで行き、そこから岬のほうを眺めるにとどまる。
ofuyum-2.jpg
 バスは主に留萌市内を走る路線バスなので、増毛町の雄冬から南には行かない。というか、次の集落は南に5キロ以上離れた千代志別までない。だいたい、留萌からここまで来るだけでも大変なのだ。
 見えている崖の1キロ先にあるはずの雄冬岬は、断崖と護岸の海岸でちょこんと飛び出た岩礁に過ぎない。それなのに有名で存在感があるのは、ひとえにこの山塊の膨らみの大きさによるのだろうか。
ofuyumM-1.jpg
 いやいや、それよりも地理院地図の岬名表記の位置が、小さな出っ張りにくっつきすぎているだけで、別にそこが岬というわけではないのだろう。
 雄冬岬とは、特定の出っ張りの名前ではなく、浜益トンネルの通る断崖の膨らみ全体を総称しているのではないか。そう考えるほうが当たっているのだろう。
 岬の位置は石狩市だが、この市ではほかに岬がない。長い距離をもつ石狩湾岸では、小樽の平磯岬から東へそして銭函から石狩川河口を過ぎて北上しても、次の岬がこの雄冬岬になる。まさに岬不毛の地帯がおよそ95キロにわたって続いている。河口で砂浜が長いこともあるにはあるが、すぐ北に続く雄冬と増毛の間の23キロでも4つも岬があることと比べれば、この区間は特殊だ。
 もっとも、こんなことを詮索したところで、たいして意味がないことは、充分承知のうえでのことなのだが、とりあえず、小樽から北へは次の岬がここだということだけは、あきらかにしておく必要がある。
ofuyum-7.jpg
 バスの終点で、折り返しバスの発車までここでもあまり時間がないので、うろうろもできない。このバス停の先あたりが、石狩市と増毛町の境界線になるはずなのだが。
ofuyum-8.jpg
 みごとな岩の崖が目立つ山とその北側の展望台のようなものがある山に挟まれて、雄冬の集落は漁港の南、国道からは少し山側にひっこんだところに集まっているようだ。
ofuyum-11.jpg
 この展望台があるところは雄冬園地というらしい。そこまでは自動車道がついているようだが、そこに上がるとほんとうに雄冬の雄大そうな岬のある崖まで見えるのだろうか。地図で検証する限りでは、方角からしてそれもなかなかむずかしいように思える。
ofuyum-9.jpg
 しかし、そうでなければ、こんなところに展望台をつくって、なにを展望しようというのだろう。展望できないでんでんむしは、海岸に張り付いたまま考えてしまう。夕日だけならそんな高いところに上る必要もない。
ofuyum-3.jpg
 その海岸には、丸い土管を輪切りにしたようなものが置いてある。この中に夕日が沈むとか、おおかたそんなところであろうが、これが国道231号線の開通記念の記念碑を兼ねている。
ofuyum-4.jpg 沖には、地図に描かれているほどには確かではなく、単に岩があるというだけのとど島がある。だが、1,197メートルの雄冬山から流れ下る稜線の延長線上にあるこの岩こそ、石狩市と増毛町の境界線の目印なのだ。
ofuyum-12.jpg
 バスで南に下っていくとき、雨のしずくをつけたフロントガラスに、雄冬の漁港と集落と崖が見えていたが、今度は逆方向、北に向かうバスが折り返すのを待っている。雨は小雨がまだ降り続いていた。
ofuyum-1.jpg

▼国土地理院 「地理院地図」
43度43分6.98秒 141度19分49.44秒
ofuyumM-2.jpgofuyumM-3.jpg
dendenmushi.gif北海道地方(2017/07/02 訪問)
@このブログは、ヘッダー、サイドバーをも含めた、全画面表示でみることを大前提としています。

にほんブログ村 その他趣味ブログ
その他珍しい趣味へ 人気ブログランキングへ

きた!みた!印(27)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

番外:岩見沢から留萌へ=岩見沢市五条西 留萌市栄町(北海道)函館から数えると留萌までは約450キロJR北海道 [番外]

iwamizawa-3.jpg
 島牧村の岬をいちおうバスで行けるところまで行って、また寿都に引き返してきた。前述のとおりここで時間があったので、湯別の温泉施設で休憩し、最終のバスで黒松内に戻り、函館本線で三度長万部駅に帰ってきた。
 何度にも分けて、4回(このうち鵜泊線の1回は前に済んでいたので、今回分は3回)も行き止まりのバス路線に乗って行ってはまた終点で折り返し…ということを重ねて、とにかく、これでやっと檜山の岬めぐりは完了となった。
 日も暮れて夜になったが、この日のうちに少しでも北上しておこうと、長万部から室蘭本線(と千歳線)で札幌まで行き、札幌から函館本線に乗り換えて、岩見沢の駅前近くのホテルに着いたのはもう23時を回っていた。
 当初計画では、札幌で一泊と考えていたが、この日は土曜日の夜だったためか、どこもホテルが満室でとれない。おまけに、外国人観光客も多いため、バブル状態になっているのだろうか。札幌駅周辺のホテルはやたらに高いので、あまり泊まりたくもない。
 それなら、札幌は素通りしてもっとできるだけ北上しておこうと、岩見沢までやってきた。今や札幌のベッドタウンとなったらしい岩見沢方面へ行く土曜の夜の最終電車は、途中の江別を過ぎるまで超満員状態だった。旭川方面へ行く途中で通過することはあっても、ここで降りるのは初めてだ。
iwamizawa-1.jpg
 石狩平野の北東に位置する岩見沢は、北海道開拓の初期の段階から道路ができ宿ができ鉄道が通って駅ができ開拓者が定住して…そうして発展してきた街という点では、まるでアメリカの西部開拓史を地でいくような道筋を辿ってきたようだとも言える。
 それらすべてが、1878(明治11)年から5〜6年くらいの間に起こっている。開拓の中心となったのは、本土各地からやってきた旧士族とその家族であったという。
 未開の地にまっすぐな道路をつくり、まっすぐな線路を敷き、条里制の街をつくってきた岩見沢の名は、めずらしくアイヌ語源ではない。なんでも、開拓者が休泊所で浴(ゆあみ)をした、というところから転訛して定着した名だという。
iwamizawa-2.jpg
 ばんえい競馬のソリを引く馬ばんばがホームにいる岩見沢駅は、駅舎も近代的な建物でエスカレーターで橋上改札へ行き来するという、最近流行りというか、あちこちでよくある方式で、駅前もきれいに整備されている。それは、2000年の火災で旧駅舎が全焼し、その後に再建して間もあまり経っていないからなのだろう。なんとなく、規模はより大きいが旭川とも雰囲気が似ているような印象を受けた。
sapporoiwamizawaM-1.jpg
 美唄などの炭鉱が近くにあったこともあって、岩見沢は鉄道輸送の中心地ともなっていた時期もある。室蘭本線が苫小牧から千歳線と分かれて、岩見沢につながっているのは、その名残りとも言える。
iwamizawa-4.jpg
 翌日は、始発に乗って深川まで行き、そこで留萌本線に乗り換える。
iwamizawa-6.jpg
 ここを走る函館本線の普通電車は、3つドアで車両の中央部の出入口に車内ドアがある。冬の防寒対策なのだろう。線路が走る西側は、石狩川が蛇行しながらいくつもの三日月湖や沼池をつくり、南北に流れる一帯は水田と低湿地帯が広がる。石狩川の右岸には、札沼線という鉄路も走るが、これが滝川の手前で突然終わる。
fukagawa-3.jpg
fukagawa-1.jpg
 滝川から東へは、根室本線と空知川が分かれていき、函館本線が旭川に向かって方向を変える深川から、留萌本線が北西の山を越えていく。
tougesitarumoiM-1.jpg
 雨竜郡沼田町字恵比島から、100メトールほどの恵比島峠をトンネルで越えると、留萌市大字留萌村の峠下に降りる。
 ここから留萌本線は、国道233号線と留萌川とともに下っていくが、いくつかの無人駅を通りながらのこの付近の趣も格別のものがある。終点留萌駅のひとつ手前の大和田駅でも、こんな感じ。
fukagawa-4.jpg
 1910(明治43)年に深川=留萌間が開業した国鉄留萠本線は、1921(大正10)年には留萠=増毛間が延伸されてきたが、その16.7キロ区間が2016(平成28)年暮れに廃止されたばかりだ。これで、50.1キロとなった留萌本線は、日本一短い「本線」となった。
fukagawa-2.jpg
 昨夜の長万部から、途中岩見沢で一泊して、留萌までやってきた。函館北斗から数えると、札幌までは約300キロ、106.6キロ、それに留萠本線の50キロを足して、計JR北海道内450キロになるので、これだけ乗れば、まあ「JR北海道フリーパス」の意味もあっただろうか。
rumoi-1.jpg
 留萌という地名は、随分昔から聞いていて、いちおうはその位置関係とともにインプットはされていたのは、昔の職場の先輩に留萌出身という人がいたからだ。だが、実際に降り立ったのは、今回が初めて。
rumoi-2.jpg
 留萌に着いた時から、雨が降り出してきた。そこでまた、まず黄金岬へ行く予定だった計画を変更して、まずは雄冬方面へ行くことにした。
 ここから南の雄冬までと、ここから北の羽幌・初山別へと続く岬めぐりは、行動順ではなく、南から北への順で掲載となる。そのほうが、位置関係が混乱しないだろう。

▼国土地理院 「地理院地図」
43度12分8.72秒 141度46分2.66秒 43度56分31.66秒 141度39分7.77秒
syakotannrumoiM-1.jpgtosimasapporoM-1.jpg
dendenmushi.gif北海道地方(2017/06/30 訪問)
@このブログは、ヘッダー、サイドバーをも含めた、全画面表示でみることを大前提としています。

にほんブログ村 その他趣味ブログ
その他珍しい趣味へ 人気ブログランキングへ

タグ:北海道
きた!みた!印(22)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

1475 白糸岬=島牧郡島牧村字持田(北海道)もうほとんど人の記憶には残っていないトンネル崩落事故を記録から掘り返してみる [岬めぐり]

shiraitom-6.jpg
 木巻岬を過ぎてなおも南西へ走るバスの前方車窓には、小田茜と栄浜が見えてくる。このときにも左手に大きな山塊がせり出しているのがわかるが、そのてっぺんは見えない。
shiraitom-2.jpg
 茶色のひときわ大きな建物が辺りを圧しているが、これがただ一軒の温泉宿らしい。何度も何度も計画を立てたり棄てたりしている途中では、ここに泊まることも考えてはいたのだが、なかなかうまくいかなかった。
shiraitom-3.jpg
 でも、ここに泊まれば、あるいは島牧で一台のタクシーがどこか遠くへ行っていなければ、白糸岬のそばまで寄れ、白糸の滝も間近で眺めることができたはずだ。これは繰り言を言っているのではなく、公共交通機関でめぐる岬めぐりの実態を冷静に見つめているに過ぎない。
 それでも、茂津多岬でも一晩須築で一軒だけの旅館に泊り、栄浜でも一軒宿の温泉に入ることにすれば、どちらも可能だったわけで、不可能なわけではない。
 ただ、それではあまりにも日程が延び延びになり、時間と費用がかかり過ぎるという難点が、そういう計画を可能にしていないだけの話だ。日本全国の岬を回ろうというこの岬めぐりの趣旨では、早回りというわけではないが、交通機関のダイヤ任せで、できるだけ効率的に先へ進むことを主眼とせざるを得ないのだ。
shiraitom-4.jpg
 栄浜のバスの終点は、郵便局の付近で、集落の中ほどではあるが、漁港にはまだ少しある。漁港の向こうに見えている急峻な崖は手前のだが、その向こうに白糸岬の崖も一部重なって見える。
shiraitom-9.jpg
 国道229号(と276号)の先には、トンネルの入口が見えている。地理院地図では名前の表記がないが、栄浜トンネルという。このトンネルを抜けると、白糸岬もその全貌を現すはずである。だが、220メートルのそのトンネルを抜けて行く時間的余裕がない。折り返すバスがその発車時間を待っているからだ。
shiraitom-10.jpg
 トンネルの先には人家はなく、ここが袋小路(公共交通機関では)の行き止まりなのだが、栄浜トンネルの先には白糸トンネル1,806メートル、兜岩トンネル1,371メートル、狩場トンネル1,648メートル、そして茂津多トンネル1,974メートルでせたな町の須築へ抜けるまで、長いトンネルが4つも連続している。
shiraitom-7.jpg
 地理院地図をよく見ると、この北部、白糸トンネルから狩場トンネルに至る海岸線にも、旧道または旧トンネルの存在を示すような表記がある。
 ここにまた、事件は隠れていた。1997(平成9)年)8月25日(もうすぐ丸20年目)第2白糸トンネルが崩落するという事故が起こっていたのだ。
shiraitomM-2.jpg
 トンネルの崩落事故といえば、すぐに1996年豊浜トンネルの崩落が思い浮かぶのだが、ここの事故はそれから1年半後に起こっていた。20人の死者を出しバスが押しつぶされるという衝撃的な豊浜に比べると、この白糸のほうは幸い誰もいないところで崩れたためか、あまり注目されなかった。
 しかしながら、崩落した岩盤の総体積という点で見ると、実に豊浜トンネル崩落時の約5倍の量であったという説もあるくらいだから、まったく想像もできないような大規模崩落だったらしい。
shiraitom-8.jpg
 事故調査にも加わっていたという北海道大学大学院の渡辺輝夫氏が発表している論文によると、崩落した第2白糸トンネル東方には第四紀更新世のカンラン石玄武岩からなる穴床溶岩が300メートルもの台地をつくっているという。海岸から台地のの先端までは400メートルで、平均傾斜36度という急傾斜だという。一方、海のほうも、22キロ沖合の水深は3,000メートルで海洋性地殻の海底に達している。日本の海岸線でこれほど海岸近くに深海が発達している例はない、というのだ。
 つまり、事故現場付近の海底から山頂までの地形の急峻なことは、日本では他に例をみない、世界的にみても急な地形の上にトンネルを掘り、道路をつけていたことになる。
shiraitom-5.jpg
 豊浜と違ってテレビが中継することもなかったし、誰も見ていなかったわけだが、その後何年かこのルートは通行できなかった。ただ一本の道路の復旧が急がれ、このときに二本あった白糸トンネルは一本にして、旧道・旧トンネルは放棄し、これを避ける内陸寄りに新たなトンネルを通した。1999(平成11)年には白糸、2001(平成13)年には兜岩、2002(平成14)年には狩場の現在の各トンネルが開通している。
shiraitom-6.jpg
 なお、1,974メートルの茂津多トンネルは、この事故には影響がなかったので、1974(昭和49)年の開通以来のまま。(開通年と長さの数値が同じなのは、開口部のトンネルの覆いを延長してわざわざその長さに合わせたと思われる。)
 白糸岬のあるところを通っていたのが第1白糸トンネルでその南が第2白糸トンネルだったようで、事故現場は地図で白糸ノ赤岩、女郎子岩とある付近だったらしい。
shiraitomM-5.jpg
 地理院地図で旧トンネルの位置を確認しているうちに、また変なことに気づいた。
 白糸の滝のところは「島牧村-」という表記になっている。「-」が「1」なのかそれとも記号なのかわからないが、地理院地図では茂津多岬を含む狩場山地のほとんどをこの表示にしている。
 けれども、白糸の滝からほんのわずか海岸に寄ると、そこは「島牧村字持田」となるのだ。白糸岬を含め、旧道・旧トンネルの海岸線はすべて「字持田」なのだ。これは崩落事故となにか関係があるのだろうか。
shiraitomM-4.jpg

▼国土地理院 「地理院地図」
42度39分56.34秒 139度52分9.11秒
shiraitomM-1.jpg
dendenmushi.gif北海道地方(2017/07/01 訪問)
@このブログは、ヘッダー、サイドバーをも含めた、全画面表示でみることを大前提としています。

にほんブログ村 その他趣味ブログ
その他珍しい趣味へ 人気ブログランキングへ

きた!みた!印(25)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

1474 木巻岬=島牧郡島牧村字栄浜(北海道)覆道だらけの国道229号(と276号)を西へゆるく膨らんで回りこむ [岬めぐり]

kimakim-8.jpg
 島牧小学校が海岸にあるのはあるいは高台に適地がなかったのかもしれない、というのは勝手な憶測に過ぎないが、というのも島牧村では平地が極端に少ないからで、原歌のように崖から下はすぐに海というところが多い。とくに原歌から西へ向かう海岸線は、50メートルくらいの崖が延々と栄浜まで続いている。
kimakim-2.jpg
 そこを1本だけ通る国道も、途中穴澗トンネルがひとつあるが、あとは10か所にも及ぶ覆道でここを抜けることになる。
kimakimZanaT-5.jpg
 覆道は、トンネルを掘るまでもない、あるいは地形的にトンネルを掘ることはできないが、落石や崩落の危険をあらかじめ防止する必要がある、という場合に採用される工法だろうと思われる。
kimakimZ-1.jpg
 地図上では蒲原磯と名がある岩礁の海岸に設けられた覆道には岩車という名があり、そういう地名表示の標識を島牧村では立てている。しかし、現在の地図では、その記名表記を探すことができない。島牧村字原歌町という広範囲にかぶせられた新住所表示に覆い隠されてしまっているからだ。
 こういう旧字名は、せめて地理院地図では残してほしいと、切に願う。
kimaZ255-1.jpg kimaZ255-2.jpg
kimaZ255-3.jpg kimaZ255-4.jpg
 覆道の道の、原歌と栄浜の中間に位置するのが木巻岬だが、ここはいかにも岬のように飛び出しているわけではなく、道が大きく丸いカーブを描いているだけの場所である。
 ここにはちゃんと灯台がある。しかし、それは東から西に向かうところでは長い覆道があることもあって、見えない。その覆道は新木巻覆道といういちばん新しく工事が終わったという感じだった。
kimakimZ-8.jpgkimakimZ-9.jpg
 帰りに西から東へ向かう道では、しっかりと木巻岬灯台の姿を見ることができる。
kimakimZ-10.jpg
 国道からは、灯台に登る斜路があるきりで、周囲にはなんにもない。やはりここはあまり岬らしいという地形ではない。だが、確かにこの辺りで灯台が欲しいところではある。
kimakimZ-11.jpg
kimakim-4.jpg
 この付近の灯台といえば、北の積丹半島の神威岬の灯台から南へは泊の原発を挟んで弁慶岬までない。この区間は岩内で海岸線が東へ凹んでいるので、弁慶岬までいらないということなのだろうか。
kimakim-5.jpg
 弁慶岬から南は、本目岬とこの木巻岬にあるが、あとは茂津多岬灯台までない。そういえば、せたなの尾花岬と帆越岬にも灯台はなかったので、水垂岬から小歌岬までの間も灯台は建てるのがむずかしいという事情があったのかと推察される。(それに、その海岸では西に奥尻島もあるし。)
kimakim-6.jpg
 この木巻岬に、タクシーに乗ってでもやって来ようとしたのは、そうしたなんにもない風景が好きという、へそまがり的志向もあるが、灯台から白糸岬の先端くらいは望めるのではないかと期待していたからだ。地図で確認したところでは手前の丸い出っ張りがじゃまになって、見えないだろうとは思っていたのだが、灯台まで行けばまた茂津多の山くらいは…。
kimakim-3.jpg
 西へ進んできた覆道の道は、木巻岬をゆるく回りこむと、南西方向に下っていく。天狗岳659メートル、オコツナイ岳1171メートル、そして狩場山1520メートルを主峰とする狩場山地の北西をなぞっているわけだ。
kimakim-7.jpg

▼国土地理院 「地理院地図」
42度41分15.73秒 139度55分33.35秒
kimakimM-1.jpg
dendenmushi.gif北海道地方(2017/07/01 訪問)
@このブログは、ヘッダー、サイドバーをも含めた、全画面表示でみることを大前提としています。

にほんブログ村 その他趣味ブログ
その他珍しい趣味へ 人気ブログランキングへ

タグ:北海道
きた!みた!印(26)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

1473 北国澗=島牧郡島牧村字江ノ島(北海道)道の駅「よってけ島牧」に言われるとおりに寄ってはみたものの計画が破綻 [岬めぐり]

enosimakaigan-3.jpg
 村役場のある泊を過ぎると、江ノ島海岸で、弁慶岬からずっと南西方向に下ってきた道は、この付近から西へ向いて走る。
enosimakaigan-1.jpg
 島牧村の海岸線も、だいたいこの付近で半分くらいだろうか。
hokkokukanM-3.jpg
 長い砂浜の続く江ノ島海岸の前方に見えてくるのが北国澗。ここも国土地理院地図で斜体表記の準岬名表記として一項目を設ける。
enosimakaigan-4.jpg
 水と谷を意味する「澗」の字が、海岸線につけられている名に多いのも、北海道の特徴といえるのかもしれないが、ここは断崖の岩島を半分抱え込むようににした二本の太い腕が海に突き出している。岩島と二本の腕は直接つながっているわけではないのだが、東側の江ノ島海岸から眺めると、それが重なっているので、まったくひとつの岬のように見える。
enosimakaigan-5.jpg
 手前の腕の尾根はなだらかに低く落ちているので、屹立した先端の部分は、岩島の崖なのだ。
 東西に広げた二本の腕の間隔は540メートルほどあるが、この付け根を江ノ島トンネルで抜ける。このトンネルも前項の厚瀬崎トンネルと同じで、海岸に近いところを、今は使わなくなった旧道と廃トンネル跡を示す )   (  が、3つも表示されている。
shimamakisyou-2.jpg
 トンネルを出たところは千走(ちはせ)で、千走川の河口右岸には、スポーツセンターや温泉施設、そして左岸には道の駅「よってけ島牧」があるので、計画通りいったん近くの賀老通りでバスを降りる。
 道の駅「よってけ島牧」に寄って、ホッケバーガーとコーヒーの遅い朝食をとれたまではよかったが、なんとここで想定外の事態が発生。計画が大きく狂ってしまった。
hokkokukan-1.jpg
 計画では、ここで村でただひとつのタクシー会社がこのすぐ近くにあるので、そこに電話して迎えに来てもらい、木巻岬まで連れて行っていってもらう予定だった。
 …ところが。朝食も済んで電話してみると、その日は朝から遠くへ出かけていて、帰ってくるのは午後になるというのだ。降りてしまったバスは原歌止まりなので、目的地の終点栄浜へ行くのは次の便午後14時までないのだが、結局それを待つ以外には、先へ進む方法がなくなってしまった。
hokkokukan-2.jpg
 ニセコバスの島牧線は、栄浜まで行くのはその便と、あとは17時の二本だけしかない。長万部まで戻ることが可能なのは、午後14時の便だけだ。その昼に一本だけ往復できるバスで行ってまた帰ってきてもよかったのだが、それでは島牧村をただ通り過ぎるだけになってしまい、それもいかにも申し訳ない。
 そこで、いろいろ知恵を絞って、早朝の原歌行きで千走まで行き、そこからタクシーで8キロ先の木巻岬まで行き、そこからは白糸岬を眺めつつ栄浜まで歩く。そして14:30栄浜発のバスで寿都へ戻る…そういう計画を立てていたわけだ。
hokkokukan-3.jpg
 それがタクシーがないという事態であえなく破綻、3時間以上も次のバスを待たなければならない羽目になった。
hokkokukan-4.jpg
 ゆっくりと道の駅の周囲を散策し…というと優雅そうだが、この日はカンカン照りになって、いくら日焼け止めを塗っても、強い日差しのなかを延々と歩くのはいささか大変で、原歌まで歩くのがやっとだった。
 あとはもっぱら、少ない日影を探して休み、バスを待つほかない。
hokkokukan-5.jpg
 北国澗は、千走の側から見ると、西側の腕の陰に岩島が隠れてしまう。崖の白いものが目立っているが、それがなにかは想像も推測もできない。石灰石のようでもあるが、そうでもないようでもある。
hokkokukan-6.jpg
 ここから千走川を遡っていけば、村一番の観光ポイントである賀老の滝へ行けるらしい。元町の通りにも賀老通りがあり、賀老の滝の標識などがあるので、そこまで歩く?…と思ったら、なんとそれは河口から15キロも川を詰め上った山の中であった。
hokkokukan-7.jpg
 そこはもう、狩場山に近く、道はないが滝から南へ越せばせたな町、というところなのだ。とても行けない。
hokkokukan-8.jpghokkokukan-9.jpg
 道の駅も何時間も過ごすような場所でもなかったので、まあ意味もないまま漁港や国道沿いに歩いて丸く婉曲する海沿いの道を回ると、そこに島牧小学校の立派な建物があった。
 長い海岸線のところどころに集落が分散する島牧村では、村の諸施設も一か所に集めることはむずかしかったろうし、またその意味もたいしてなかったのかもしれない。いかにも新たに統廃合してつくりました、というような島牧小学校も、西寄りの原歌集落のはずれの丸い海岸そばに建てられている。近頃では、こうした統廃合による新設校の立地は、海岸線からは少し奥まった高台を選んで建てられることが多いが、ここではそうした適地もなかったのだろうか。
shimamakisyou-1.jpg
 江ノ島 海岸は「日本の渚百選」とやらに、そして賀老の滝は「日本の滝百選」に選ばれているそうだ。
 ところでみなさん、鳥に舌があるのは知ってました? 
 「舌切りすずめ」ってのがある?
 そうでしたよね。でんでんむしも最初は?と思い、次にそれを思い出しました。
 人間のように二枚ある鳥もいるのかどうか…。
hokkokukan-10.jpg

▼国土地理院 「地理院地図」
42度41分29.93秒 140度1分13.55秒
hokkokukanM-1.jpg
dendenmushi.gif北海道地方(2017/07/01 訪問)
@このブログは、ヘッダー、サイドバーをも含めた、全画面表示でみることを大前提としています。

にほんブログ村 その他趣味ブログ
その他珍しい趣味へ 人気ブログランキングへ

タグ:北海道
きた!みた!印(23)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

1472 厚瀬崎=島牧郡島牧村字港(北海道)旧トンネル・旧道・廃道歩きの情報がいっぱいあるそのなかに懐かしい名前を発見 [岬めぐり]

attyasezaki-7.jpg
 厚瀬(あっちゃせ)崎は、本目漁港の西にくっついているし、本目岬との間も800メートルしか離れていない。したがって、建物の密集した港の側からはほとんど展望がきかないが、岬の先端には小島のような岩山のようなものが盛り上がっているように見える。
attyasezaki-1.jpg
 思う間もなくトンネルを…と、くぐり抜けるのは厚瀬トンネル。上りと下りの車線が別々のトンネルになっているようで、出入口がふたつある。340メートルほどの長さだが、この岬もさほど大規模な出っ張りではないということ。
attyasezaki-2.jpg
 70メートルほどの高さが海岸に飛び出していて、周りは全部、崖がぐるりを取り巻いている。当然、トンネルでなければ通れない。地理院地図には、港よりの岬先端付近に、)( の表記が残っているので、ここもトンネル開通以前は、この崖の周りを回って通る道があったのだろうか。
attyasezaki-3.jpg
 帰りに通った海寄りのほうのトンネルには「新厚瀬トンネル」という名前があったので、こちらが後から付け足されたのだろうか。
attyasezaki-4.jpg
 念のために調べてみると、厚瀬トンネルの竣工は1965(昭和40)年であり、「新」のほうは1996(平成8)年であった。検索で出てくる情報は、旧道廃道を好んで歩く人々の記録が、群を抜いて他を圧倒している。そういうのをつらつら眺めていると、この先の大平(おおびら)トンネルもそうらしいし、せたなの虻羅トンネルもそうだという。
 そういう旧道廃道愛好家のブログやサイトの一覧に混じっていた、あるなつかしい名前を発見した。北海道旧道保存会のサイト「裏サンドウ喫茶室」に紀行を掲載している堀 淳一さん。その当時は確か、北大の物理学教授で、地図や地理が専門ではない。
 実をいうと、でんでんむしもいっちょまえのしごと人間だった時期も長く、仕事仕事にかまけてひさしく省みることのあまりなかった地図に、再びぐっと引き戻してくれたのがこの人の専門外の処女作(であったと思う)「地図のたのしみ」(1972 河出書房新社)だったのだ。この本は、その意味で個人的に記念すべき本だったが、その後版元を変わったりしながら、文庫にまでなっているし、類似の出版も相次ぐきっかけにもなっている。
 そのサイトでは、堀さんの紀行文は2009年で終わっていた。
attyasezaki-5.jpg
 厚瀬崎の西側には、栄磯・豊浜と集落があるが、この付近は海岸線の沖合にまで岩礁地帯が続き、岩島が点々と連なっている。
 西側から見た厚瀬崎は、崖の先になにかの台のように見える岩が印象的だが、この岩と同じものを東からも見ていたはずだが、ずいぶん見る角度によって違うものだ。
attyasezaki-6.jpg
 栄磯と豊浜の間には、少し高い崖浜の上のところを国道が通っている。そこから見ると厚瀬崎の向こうで灯台を載せた本目岬がかぶって見える。
 豊浜の南にある大平トンネル付近にも、ワスリと名づけられた岩の出っ張りがあるのだが、1キロ以上もあるトンネルの陰に隠れている。
 そういえば、島牧も御多分にもれずのアイヌ語源で、「シュマコマキ=(岩石の後背)の意」だというのだが、こういう権威の解説を読んでもピンとくるのは少ないのが困る。
 このトンネルを抜けると泊の集落で、村の中心というわけでもなさそうだが、なぜか島牧村の村役場はここにある。
 村のサイトにある「村の概要」では、

 面積は437.18k㎡、人口は約1,600人の漁業を基幹産業とする風光明媚な村です。
 本村の大部分を占める森林の中には10,700haを有するブナ原生林があり、その懐には落差70m、幅35mの「日本の滝100選」に選ばれた「賀老の滝」があり、訪れる観光客を楽しませています。

とあった。明治末には大平川を境にして東西二村に分かれていたのを、1956(昭和31)年に東西を合併して現在に至る。ずっと浮いた噂もなく、単独の村であり続けてきたわけだが、それにはこの村の地理的な条件も関係していたのだろうと思われる。
 面積は結構広くて寿都町の何倍もあるが、そのほとんどが国有山林で、とくに林業が盛んというわけでもなさそうで、漁業を中心とする村の集落は、およそ43キロも続く海岸線の国道沿いに集まっている。
 そして、隣接市町村との交通は、実質的に寿都へつながる国道229号線(と276号線)のみであるという、いささか表現は悪いがいわば袋小路のどん詰まりのようなところにあるからだ。
 バスの運転手さんに「役場がなんかあまりらしくないところにありますね」というと、「みな海岸に点々とあって、小学校はずっと離れたところにつくったしね。」と言う。このときはまだ、この後に起こる事態を想像もできず、その小学校の先まで歩くとは予定も想定もしていなかった。

▼国土地理院 「地理院地図」
42度41分29.53秒 140度1分12.78秒
attyasezakiM-1.jpg
dendenmushi.gif北海道地方(2017/07/01 訪問)
@このブログは、ヘッダー、サイドバーをも含めた、全画面表示でみることを大前提としています。

にほんブログ村 その他趣味ブログ
その他珍しい趣味へ 人気ブログランキングへ

タグ:地図 北海道
きた!みた!印(24)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

1471 本目岬=島牧郡島牧村字港(北海道)富浦、歌島、美川、栄磯、豊浜、永豊などの字地名の間にある断崖と灯台の岬 [岬めぐり]

honmem-12.jpg
 国道229号線(と276号線)が、弁慶岬をカーブで回りきってしばらく南下すると、寿都町から島牧村に入る。その境界から約10キロも南南西方向に走ってきたところに、本目岬はある。
honmem-2.jpg
 バスの前方にやっと岬が見えてくるまでの間も結構長く、その間に、富浦、歌島、美川といった小さな集落が点在している。けれども、弁慶岬から南西側の海岸では、ずっとのっぺりした凸凹の少ない海岸が続くので、港らしい港はない。港がないということは、集落も大きくなりようがない、ということではないか。
 富浦、歌島、美川といった地名は、いわゆる美称の色彩が濃い名前で、さらに先ある栄磯や豊浜、永豊などと合わせて、なにやら人々の願望が込められているような気もする。と、いちおう印象操作をしておいて…。
honmem-1.jpg
 歌島の集落までは、比較的海岸から少しだけ遠い道が続き、歌島沼を過ぎると、静かできれいな砂浜の海岸が現れる。この付近は本目海岸といって、村営のキャンプ場かなにかあるという情報も、どこかで見かけた。本目というがこの浜の大部分は美川である。
honmem-4.jpg
 名もない小さなコブを回り込むと、折川が流れこむ本目の集落がある。「本目」という名の由来もわからないが、ことばとしては囲碁の用語と結び方の名前と、ふたつ同じ名前が使われている。
honmem-5.jpg
 本目集落には郵便局も駐在所も神社もお寺もあって、島牧村東部では大きな集落となっている。
honmem-3.jpg
 ただ、折川の河口であるということが、ここに港をつくることを妨げた形跡(情況証拠)が、現在の地図をつくっている。河口というのは、一般的には港湾を設けるのに適地と言えるはずなのだが、寿都の朱太川のように、その条件が合わない場合も多く、河口だから港というわけでもない。本目が港に適さないと判断されたのは、川の氾濫もあったかもしれないが、何より湾が浅く風浪を避けるという港の最重要条件を満たしていなかったからではないだろうか。
 そこで、本目の人々は周辺を物色してみたに違いない。そうして、本目から西へ2キロも海岸を進めば、ふたつの岬の出っ張りに囲まれた、港の適地があることはすぐにわかっただろう。
 彼らは、迷わず集落から離れたそこに港をつくることを決め、実行したのではないか…そんなことが想像できそうだ。
honmem-10.jpg
 それなら、最初からそこに集落をつくればいいじゃないか…って? 残念! そこは海岸からすぐ崖山になっていて、後背に集落が広がる余地がまったくないのです。
honmem-11.jpg
 そこで、集落からは離れたその場所を示す字地名も、ずばり迷わず「港」。
 本目岬は、その港を囲む北東の出っ張りで、南西の出っ張りは厚瀬崎(あっちゃせざき)という。
honmem-9.jpg
 本目岬のほうは、切り立った断崖に囲まれ、その下には岩場が広がっている。そう高くない岬のてっぺんには黒白の灯台も立っているが、その写真は全部西から東へ向かってのもの。西へ向かう車窓からは、灯台はてっぺんの一部だけしか見えない。港と海の安全と豊漁を願ってのことであろう、神社もあるようだが、それはバス車窓からは確認できなかった。
honmem-6.jpg
 西行きの車窓からは全貌を現わさないこの灯台は、帰りのバスからは、本目港の側から岬の岩崖とともによく見えよくわかる。
honmem-7.jpg
 道路からもそう隔絶していなくて、集落と港の行き帰りに通る本目岬は、ちょうど使い勝手のいい岬だったはずである。
 そういえば、本目結びというのは漁網に使う結び方なんだけどね。ま、関係ないんだろうね。
honmem-8.jpg

▼国土地理院 「地理院地図」
42度44分42.61秒 140度6分51.27秒
shimamakiM-2.jpg
dendenmushi.gif北海道地方(2017/07/01 訪問)

にほんブログ村 その他趣味ブログ
その他珍しい趣味へ 人気ブログランキングへ

タグ:北海道
きた!みた!印(25)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

1470 弁慶岬2=寿都郡寿都町字政泊町(北海道)弁慶と風車がシンボルの町から西へ [岬めぐり]

benkeim-8.jpg
 「風の街」を標榜する寿都町のマークには、朱太川河口に並んでいる風力発電の風車と、薙刀を立てて持つ弁慶の像が描かれている。これは寿都湾の西に三角に飛び出た弁慶岬の弁慶で、この岬はすでに、

 693 弁慶岬=寿都郡寿都町字政泊町弁慶(北海道)大望ある身の永く止まるべきにあらずと…

の項でとりあげている。2011年のその時の訪問では、雷電国道を北上するのが目的だったので、黒松内に泊まって、翌朝のバスで寿都にやってきた。岩内へ向かう前に、時間があったためか、ここには行っておこうと考えたのか、バスで弁慶岬へ行き、次の上り便バスで寿都へ戻っていた。
benkeim-6.jpg
 今回は、寿都から西の島牧村へ向かうが、その西端の栄浜で行き止まり(道はあるがバスはない)なので、また折り返して戻ってこなければならない。弁慶岬はその往復のバスの車窓からを加えて「弁慶岬2」とする。通りすがりに見たところでは、前に来たときより駐車場に停めてある車の数と建物が増えている。
benkeim-5.jpg
 ここでもう少しは寿都のことにふれておこうと考え、一項目を設けた。と言っても、寿都の町をうろうろ歩き回ったわけでもないし、寿都鉱山廃坑や寿都鉄道廃線の遺跡を訪ねたわけでもない。ただ、バスで通り過ぎ(岬付近の写真は、主に帰路に眺めた風景)、帰りには温泉に入ってきただけなのだ。

 694 尻別岬=寿都郡寿都町字磯谷町能津登・磯谷郡蘭越町港町(北海道)町の中に町がある寿都は“茅のある川”

 町のこともこの尻別岬の項で、いろいろ書いているので、それ以上に今回新情報が判明したというわけでもない。
benkeim-3.jpgbenkei-1.jpg
 つけ加えると、人口3,064人で世帯数 1,720世帯、それに「演歌界の巨匠 北島三郎が歌う寿都町のイメージソング!!」として、「風のロマン」と「弁慶岬」の二曲あるというのを、町のサイトで知ったくらいかな、新情報は。
benkeim-7.jpg
 前回問題提起した、黒松内町の境界が、海にわずかに届いていないというナゾもそのままである。どうやら、1955(昭和30)年に寿都町、中の川を除く樽岸村、歌棄村、磯谷村の1町3村が合併して新しい「寿都町」をつくったときの線引を踏襲したものだろうが、肝心の歌棄(うたすつ)村と黒松内町の境界についてのいきさつは、あいかわらずわからない。
benkei-1.jpg
 弁慶の話はさておき、和人がこの地域に進出して、集落を形成するようになるのは、17世紀も後半、1669(寛文9)年頃になるという。ちょうどシャクシャインの時期と一致する。やがて北の物産を求めて場所が開かれたが、松前が蝦夷進出の拠点であったため、当時の蝦夷といえば、やはりこの渡島半島西岸が中心であったのだろう。
 ただ、当時の和人の蝦夷への進出過程について、wikipedia におもしろい記述があった。寿都町の沿革のなかで、
 
 1688年 神威岬から北への婦女子通行禁止令が敷かれ、このため寿都地方に土着する者が増える。

とあるのだ。同様のことは、北に行った岩内でも言えたのだろう。
 深い湾に面しているので、住みやすいのか思えば、なかなかそういうわけでもなさそうで、強風で雪も多いらしい。その強風を利用して風力発電をと、朱太川の河口には何本もの風車が立っている。
benkeim-9.jpg
 その付近こそが、実は黒松内町の境界線が海に迫りながら到達していない場所なのだ。いくつかの三日月湖を残す朱太川は、何度も氾濫しているので、この付近も人家は少ない。寿都鉄道存続の夢を砕いたのも、最終的にはこの川の氾濫による。
 現在の境界線をみても、黒松内町と寿都町が朱太川で接している場所では、大きく蛇行して線が引かれている。これは明らかに、町の境を決めたときには、この状態で朱太川が流れていたことを示していると考えられるのだが、それはいったいいつ頃のことなのだろう。国道も河口の下流部分を避けて通っている。
syubutokakouM-1.jpg
 国道と並んで走る川の南側の湯別の街があり、湯別の東を流れる川は、黒松内街との境界で、その山寄りに温泉施設がある。帰りは、黒松内へ戻るバスまで2時間も寿都で乗り継ぎを待たなければならなくなったので、思いついて先に「ゆべつの湯」までバスで行き、温泉に入ってそこで帰りのバスを待つことにした。
benkeim-10.jpg
 寿都の街は、朱太川の河口を避けるようにして湾の西岸にあり、歌棄はその湾を挟んで向かいに位置している。風車の背景になっている山が歌棄の山で、その北隣りは蘭越(らんこし)町になる。岩内はその北。寿都=岩内間もニセコバスが走っているので、2時間待つよりも岩内経由で函館本線につなぎ、小樽か長万部かどちらかで札幌に出られないものかと、ニセコバスとJRのダイヤをひっくり返して探してみたが、それは不可能とわかった。
 歌棄と向かい合う一方の、まるまる弁慶岬の出っ張りである政泊は、1933(昭和8)年から寿都町になっている。この岬を大きく放物線を描くように過ぎて行くと、いよいよ島牧村に入る。
iwanaiM-1.jpg

▼国土地理院 「地理院地図」
42度49分26.53秒 140度11分21.95秒
benkeimM-1.jpg
dendenmushi.gif北海道地方(2017/07/01 訪問)

にほんブログ村 その他趣味ブログ
その他珍しい趣味へ 人気ブログランキングへ

きた!みた!印(21)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

番外:せたな町から島牧村へ=黒松内町字熱郛(北海道)再び長万部へ戻って今度は黒松内・寿都経由で島牧の海岸線を行く [番外]

hakodateHS-1.jpg
 第二富磯から折り返すバスに乗って、北檜山まで戻り、そこで長万部行きの函館バスに乗り換える。きた道を引き返すわけだが、18:40発のそのバスが最終バスとなる。
hiyamakitako-1.jpg
 このバスには、檜山北高校からたくさんの生徒が乗ってきて、バスは満員状態になった。金曜日の放課後の部活を終えて帰る生徒たちを、学校の構内に設けられているバス停まで、先生が3人も見送りに出ていた。それでも「さよなら」の挨拶もなく、黙ってバスに乗り込んでいくのも今風なのだろう。それとも、個々に挨拶を交わすのはめんどくさいというので、バスが来る前にまとめて挨拶は済ませているのだろうか。
 多くは今金で降りるが、もうあたりがすっかり暗くなる国縫で降りた子がひとり、最後の長万部駅前まで降りない野球部の子もひとりいた。これを毎日通うのは大変だろう。
keganitorikadai-1.jpg
 ひととおり懸案だった毛無山沿岸と、三本杉から茂津多岬にかけての間は、なんとかこれで終了。
 長万部で温泉に浸かって、翌朝また早朝の長万部駅まで。毛ガニと東京理科大がセットになった柱が立つ駅前は、いっそう静かでまだタクシーもきていない。その脇に置いたような白い箱は、この北海道あちこちで見かけたキャンピングカー。いかにも、団塊世代とおぼしき夫婦が、駅前のトイレに用があって停めているらしい。
ekimaekanban-1.jpg
 前日はこの駅前で、温泉街へ行くのに、長万部町と長万部観光協会が立てたこの案内看板のおかげで、ちょっと混乱した。出入り口がひとつしかない長万部駅の正面は南東方向に向いていて、出て正面が海に向かっている。ところが、駅前にこれひとつしかない案内板は、海が下のほうに描かれている。地図は北が上という原則論は、こういう観光案内図の類で振り回す必要はないと思うのだが、この図だと、駅の方を向いて広場を背にして見るのが適当で、設置場所を間違えている。
 せめて、看板を見ながら立っている人の、視線に合わせるくらいの配慮はしてほしいものだ。こういうことは、看板を描くつくる人も描かせつくらせる人もまったく、その目的を理解していないようなもので、こういうことが平気でまかり通るのも、まだまだ世の中に意外に多いものだが、町と観光協会がこのありさまではね。
kuromatuhe-1.jpg
 函館本線の始発で長万部からまず黒松内まで行く。始発電車は06:00発の小樽行きなので、宿で朝食をとる時間もない。なにしろ、この次の便ときたら13:18発の倶知安行きまでないのだから、しかたがない。こういうダイヤだから、函館「本線」なんてのは明らかに名前負けしている。
ekimaebustei-1.jpg
  長万部からは直接、黒松内・寿都へ行くバスも、あることはあるのだが、午前と午後の日に2本しかない。だが、黒松内まで行けば、そこから出る寿都行きが 朝・昼・夕と3本あり、寿都へ行くにはこれに乗るしかないのだ。そして、島牧村へ入るには、まず寿都まで行かなければならない。今度は、もう函館バスではなくて、ニセコバスになる。
kuromatunai-1.jpg
 長万部から黒松内までは、一両のワンマンカーで30分もかからない。途中なかなか深い森を抜けるのだが、黒松内はブナの北限としても知られている。その北限が北へ移動しているということも、前に書いたような気がする。前回もこの駅にはやってきていて、駅前を突き当たったところにある小間旅館に泊まった。
bunanoki-1.jpg
 その時にもそして今回も、なんとかそのブナ林のそばくらいまで行けないかと、あれこれ努力はしてみたのだが、結局車の利用者以外は来るな、と言われているようで果たせない。
kuromatunaieki-1.jpg
 このルートは、渡島半島の付け根あたりを南北に縦断するもので、ここにも昔には鉄道があった。
 わが国でも、国鉄が全国を制覇する前には、各地で民営の鉄道が多く走っていたもので、多くは乗合馬車が走っていたところが、鉄道に変わった。函館本線の黒松内駅から寿都町の寿都駅まで、16.5キロの営業路線があった寿都鉄道もそのひとつであった。
suttuta-1.jpg
 北檜山と国縫の間の線路は、国鉄からJRへの移行と同時期に廃線になっていたが、ここを走っていた寿都(すっつ)鉄道は民営の鉄道で、瀬棚線に先立つこと10年余前に廃線になっている。開通したのは、寿都鉄道のほうが9年ほど早いから、どちらの線路も10年ずれながらほぼ同じ長さの期間だけ、境界線を描く狩場山山塊を挟んで北と南でそれぞれ走っていたことになる。
nisekobussyanai-1.jpg
 なぜ、ここに(こんなところに…と言っては失礼だが)鉄道があったのだろうか。
 それは、寿都には最初には金銀も採掘した銅や亜鉛などを産出した鉱山が、1893(明治26)年から1962(昭和37)年まで稼働していたことと、ニシン景気に沸いた町でもあったからだろう。
 そして、同様に鉱山とニシン景気で栄えていた鉄道が、もう1本寿都鉄道の北で半島を15キロの線路を敷いて、やはり函館本線に接続していた。それが岩内と共和町小沢の間を、1912(大正元)年から1985(昭和60)年まで走っていた国鉄の岩内線である。寿都鉄道もなんとかこのなかでは先輩格の岩内線に接続連絡することで存続を夢見ていたようだが、それは果たせず、1968年朱太川の氾濫で線路が流され、ついに運行休止に追い込まれた。
 瀬棚線、寿都鉄道、岩内線と、渡島半島北部で同じように函館本線から西の日本海と結ぼうという鉄道が3本もあり、南の江差線と合わせて計4路線も走っていたわけだ。
 そのうちでは、いちばん長く、いちばん遅くまで走っていたのが1913年開業の江差線で、民営化後の2014年に廃止され、とうとう半島を東西に結ぶ鉄道はまったくなくなってしまった。思えば、江差線だけは廃止のだいぶ前、2007年に乗っていたのでこれも貴重な体験となった。

 156 相泊岬=檜山郡江差町字柏町(北海道)あれからニシンはどこへいったやら〜
 
 岩内線と寿都鉄道の後を受け継いだのが、ニセコバスなのだ。こうして、鉄道の夢の跡を辿るニセコバスは、一路黒松内から北の寿都へ向かって走り、寿都のバスターミナルからは、島牧線に乗り換えて島牧村の海岸線を西へ進んで行く予定だ。
misekobus-1.jpg

▼国土地理院 「地理院地図」
42度41分15.85秒 140度18分16.85秒
simamakiM-1.jpg
dendenmushi.gif北海道地方(2017/06/30 訪問)

にほんブログ村 その他趣味ブログ
その他珍しい趣味へ 人気ブログランキングへ

タグ:北海道
きた!みた!印(27)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

1469 尾花岬=せたな町大成区太田(北海道)ここも陸からは見えない岬i行けない岬なので地図上で想像する岬めぐり [岬めぐり]

kenasiyama-1.jpg
 尾花岬も前項の帆越岬についで、なかなか見えない岬・行けない岬で、これも、

 1443 尾花岬・帆越岬=久遠郡せたな町大成区太田・富磯(北海道)難所の見えない岬だからムリしてでも…

のほうに船からの遠望でいちおう入れていた。この2016年の岬めぐりの当初計画では、長万部からせたなに入り、せたなの残りの岬をめぐった後で瀬棚港からフェリーで奥尻島へ渡る計画であった。この航路に乗れば、尾花岬のかなり近いところを通過するはずだった。だから、尾花岬の視認はその航路にかかっていていたのだが、函館本線の不通であえなくおじゃん。
 ハートランドフェリーの瀬棚港=奥尻港航路を航行する、“アヴローラおくしり”から尾花岬の間は、至近距離で約7キロくらいのところを通過すると思われる。だが、奥尻島の最北端稲穂岬から尾花岬までは、約19キロは離れているから、正直に言うとほとんどこれが尾花岬という特定はむずかしいのだが、前の遠望写真でとにかく項目をつなげておくことだけを目的として、一項目を置く。(写真は1443項からの流用で、地図で辿る)
 それは、改めて、この毛無山山塊の西をいくつものトンネルで抜ける道道740号線を、せたな町のすでに項目にあげている水垂岬・日中戸岬までのルートをなぞっておく必要があるからだ。
 そうして、これをさらに翌日の島牧村側からの行程に接続しなければならない。
 帆越トンネルが2004(平成16)年に開通して、とりあえず富磯のさらに北に離れている太田まで道が通じたことは、前項で述べたとおりだ。
kenasiyama-2.jpg
 崖また崖の帆越山西岸は、帆越トンネルを北へ抜けると、海岸の開けた道になる。同じ町内のことだから、境界線とことさらいうのも変だが、帆越山と帆越岬を結ぶラインを越えると、字地名は富磯から太田に変わる。
otaM-1.jpg
 トンネルを出たところにあるのも太田神社らしいが、その先の485メートルの太田山の頂上下まで、破線の山道があり、そこにも神社の記号がふたつもあるので、こっちが本社なのだろう。
 それにしても、この参道は急峻な山道で、参道の厳しさでは日本一ではないかというが、地図で見てもさもあらんと思われる。
 その太田山と太田神社からさらに北へ、次のトンネルにあたる手前が太田の集落で、その港から尾花岬までは3キロ弱のところまで接近できるだろう。
 太田まで行けてはいないが、行ったつもりで書いておくと、おそらくトンネルの入口まで行ったとしても、尾花岬はうまく見えないだろう。富磯からの帆越岬と同じことになりそうだ。
 だが、帆越トンネルを抜けたところのわずかな間なら、北北西に4キロ先、海の向こうに邪魔ものなしで、尾花岬を眺めることができるだろう。
 そしてそこが、陸から尾花岬が眺められる、ただひとつの場所であろう。
taiseifunakakusiM-1.jpg
 太田漁港の先からトンネルに入って、まず天狗岳509メートルの下をくぐり、ふたつの沢と尾花岬をトンネルで通過する。船隠でトンネルが終わるまでの全長は3,360メートル。これが太田トンネルで2013(平成25)年に開通している。
 すぐにまた、次のトンネルに入る。今度はそう長くはない。1,161メートルの日昼部トンネルは、太田トンネルと同時に開通している。
obananicyuM-1.jpg
 長い間、毛無山の西で断絶していた道道740号線が、このふたつのトンネルの開通でやっと南北に通り抜けができるようになった。それがわずか4年前のことだから、いかにこの地域が秘境であったか、ということにもなる。
 日昼部トンネルを出て、北へ1キロも進むと、そこにあるのが日中戸(にっちゅうべ)岬である。この付近も、かつては集落が谷筋にあったようだが、土砂崩れで流され、以来廃村になったというところ。
 ここまでは、また水垂岬から少し南に歩いたところから、むりやりの遠望ということで、

 864 日中戸岬=久遠郡せたな町北檜山区新成(北海道)かつてあった集落も学校もなくなってしまった無人地帯に

として項目を立てていた。2012年の訪問(見えるかなと、ちょっと覗いてみただけ)のときには、道路も覆道から先にはなく、地図でも岬の周辺海岸に道は記されていなかった。
 こんなわけで、地図上の想像行程を辿って、なんとか日昼岬・添泊岬・帆越岬・尾花岬・日中戸岬…と、檜山北海岸毛無山の岬めぐりはつながった。(ことにする)
tobanaK-4.jpg
tobanaK-3.jpg
tobanaK-2.jpg
tobanaK-1.jpg

▼国土地理院 「地理院地図」
42度18分11.40秒 139度46分6.51秒
hogosimizutareM-1.jpg
dendenmushi.gif北海道地方(2017/06/30 訪問)

にほんブログ村 その他趣味ブログ
その他珍しい趣味へ 人気ブログランキングへ

タグ:北海道
きた!みた!印(25)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

1468 帆越岬=せたな町大成区富磯(北海道)陸からは見えない岬に最接近するために苦労してついにここまでやってきた [岬めぐり]

hogoshim-8.jpg
 富磯のバス路線の終点は「第二富磯」。第一「第一」がどこかにあるのかどうかわからないし、この終点がどこなのか、探してもわからなかった。いちおうバス停を表示しているはずのMapionも、ここではまるで無印。
 なにしろここまでバスでやってくるだけでも大変なのだが、秘境というにはそぐわない、開けた明るい海岸沿いに集落がいくつか連なっている。
hogoshim-6.jpg
 どうやら「第二」というのは、その集落のいちばん奥まった、北のはずれのことであるらしい。
hogoshim-2.jpg
 バスを降りたところの海岸には、岩の間になにやら船寄せの構築物のようなものがある。地理院地図を見ると、確かに堤防のできそこないのようなそれが描かれている。「第二富磯」の正確な位置が、やっと判明した。
hogoshim-1.jpg
 そこは、帆越岬をくぐる帆越トンネルの南の出入口まで、およそ1.5キロのところで、道道740号線が北へ向かう道の先には、黒々とした大きな山塊がある。この三角に飛び出た最高点が321メートルの帆越山で、この下を全長1,857メートルの帆越山トンネルが通り抜けている。
hogoshim-3.jpg
 富磯から見ると、2キロに渡る南北に縦長の山塊の南のはじっこを見ているだけなので、そんなに巨大には見えない。
 帆越岬の岬名表記は、地理院地図では帆越山ピークの西南西に、ちょこんと突き出た岩場についているが、そこは見えている南の山の端と海岸の崖に遮られる。それはどの海岸からみても同じことで、要するに帆越岬も厳密にここがそうだというには船でもチャーターする以外に、そこを眺める方法はない。
 船? そうだ。乗ったよね。いちおうは眺めたよね。
 
 1443 尾花岬・帆越岬=久遠郡せたな町大成区太田・富磯(北海道)難所の見えない岬だからムリしてでも…
 
 チャーター船ではないけれど、奥尻航路の船から眺めたその遠望写真でも、切り立った崖の凄さはよくわかった。この山を帆越トンネルで越えられるようになったのは、2004(平成16)年のことだから13年前。そう昔ではない。
 では、それまではやはり富磯で行き止まりで越えられなかったのかというと、トンネル以前は海岸線の崖と岩の間に僅かな隙間をつくり、そこを覆道にして山を迂回していく海岸沿いの道があった。
 帆越山の北側には、太田という集落がある。太田集落と他の世界をつなぐルートはその覆道の道しかなかったが、落石や高波の影響を受けて、しばしば不通になって孤立したという。
 本当は、その太田まで行ってみたかった。前項でふれた函館バスの久遠線のダイヤには、大成学校前発06:06=太田着06:21の便があると表記してあった。帰りは太田発06:22=大成学校前着06:37である。これだけ。行ったとしてもすぐ折り返す以外に帰りの便は、ない。どうするんだろうね。出かけた人も必ず一泊して翌朝の便で帰ってくる、ということなのか。このバスの情報も、せたな町の提供情報には入っていない。
 帆越山を越えて太田までバスで行くには、前日に久遠に一泊し、翌日は太田に一泊という計画が必要になる。とまあ、行ってみることはできないので言ってみる書いてみるだけで実行はしない秘境。
hogoshim-4.jpg
 富磯から北に見える出っ張りをよくよく見ると、トンネル開通以前に使っていた海岸沿いの旧道に、確かに覆道の名残りらしいものがある。
 どこにでも行く釣り人や、廃墟・廃道・廃線好きなマニアなら、当然この道にも入り込んでみたくなるのだろう。
hogoshim-5.jpg
 さて、あんまり深入りしたくはない岬の名前だが、元の音がアイヌ語から来ているとしても漢字を当てた段階で、もうそこには当時の和人の考えた意味が付加される。
 でんでんむしは勝手に、陸のルートは行けない越せないので、船に帆をかけて越すということからこんな字を当てたのではないかと思っていた。
hogoshim-3.jpg
 ネット情報によると、「北海道人」と称した北海道の名付け親で探検家・松浦武四郎の残した「西蝦夷日誌」には、「ホグシは帆卸の轉か。此岬を過る時は必ず帆を少し下げ太田山を拜し行が故號ると。」とあるという。
 岬の神社を敬って、帆を下げて通るというのは、瀬戸内海でもある話で、それがこちらに流用されたという感じが強い。いささか根拠の信頼性は?である。
 それは違うのだ、アイヌ語の「ポロ ポㇰ ウシ」大崖の下という意味だというのがアイヌ語源の解説で、たとえそれが正しいとしても、しかも大きな崖の下であることにも異論はないとしても、心情的にはやはりピンとくるところは違うような気がする。

<追記>いつも、ご自身のブログ「落合道人」に、nice!返礼コメントを書いていただくChinchikoPapa さんから、この項について以下のような貴重なご意見をもらったので、参考までにこちらに記録しておきたい。

松前藩によるアイヌ語地名への漢字の当てはめ方は、「音」でひろって後から現地を知らぬ役人が机上で漢字を当てはめたもの(幕府への書上げ=報告書など)が多く、現地の地形や風情を認識したうえで、つまり意味を考えて漢字に置き換えたもののほうが少ないと思います。松浦武四郎のように、現場を逐一踏査してから採取し、しかも意味まで考えているケースは、むしろ例外ではないでしょうか。だからこそ、のちに地名の用字(当て字)について、アイヌ民族からさまざまな異議が出て、カタカナにもどされたところも少なくありません。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。dendenmushiさん by ChinchikoPapa (2017-08-05 14:11)

hogoshim-7.jpg

▼国土地理院 「地理院地図」
42度15分33.66秒 139度46分36.02秒
hogoshimM-1.jpg
dendenmushi.gif北海道地方(2017/06/30 訪問)

にほんブログ村 その他趣味ブログ
その他珍しい趣味へ 人気ブログランキングへ

タグ:北海道
きた!みた!印(23)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

1467 日昼岬・添泊岬=せたな町大成区上浦・富磯(北海道)日昼(にっちゅう=ひるひなか)はとうに過ぎ夕方になったので… [岬めぐり]

hitenm-4.jpg
 そして富磯へ行くバスの時刻表問題とは別に、もうひとつ、5年前の小歌岬の記録の中で、自分が書いていたことなのに「はてな?」と思ったことがある。
 今このバスが走っている道は、道道740号線なのだが、それについて「863 小歌岬」の項では「前項で触れたように、この道道740号線は、太田で行き止まりになっている。」と書いていることである。
 ここでいう「前項」とは、「862 湯ノ尻岬・稲穂岬」のことで、そこでは「そのうえ、この太田で道道740号線は行き止まりになっているのである。」とはっきりと書いている。
 一瞬あせった。これって間違いだったのか? 修正しなきゃ? 740号線は北檜山まで通じてるのに!?
 確かに、2017年現在では北檜山まで通じているのだが、5年前2012年当時には、まだ行き止まりのままであって、当時のブログの記載に間違いはなかった。
 つまり、その後この5年以内のうちに、740号線は初めて全通したことになる。では、途中太田で行き止まりになっていたこの道がめでたく開通したのは、4年前の2013(平成25)年のことだったのだ。
 太田トンネルとその北に続く日昼部トンネルとふたつのトンネルが開通することで、初めてそれまで完全に遮断されていた帆越岬と日中戸岬の間がつながった。
 このふたつの岬の間にあるのが尾花岬…。だが、そこへ行くのも容易ではない。
hitenm-2.jpg
 まだまだその前に、バスはせたな町は大成区の上浦・富磯を走っている。
 ここには、日昼岬と添泊岬というふたつの岬が連続してあるのだが、この海岸にはいくつもの似たような岩の出っ張りだらけなので、なかなかそれを特定するのがむずかしい。
hitenm-3.jpg
 どうして、ここにだけ岬の名がついているのか…という気もするが、考えて見れば、久遠湾には東の外横澗岬から始まって、数百メートルから1キロちょっとくらいの間隔で岬が続いている。
hitenm-5.jpg
 久遠の人たちにとっては、昔からそういう目印が必要であったからに違いあるまい。
 それと岬の名前。これも情報がほとんどないのが普通で、なかなか手を出しにくい厄介な問題である。よくわかるもの以外はあまりふれないように敬遠しているが、ここ日昼岬・添泊岬のふたつもまったく意味不明。この付近の地名からも字名からも、それらしい手がかりはない。ただ、「添」は魚の名前からというような情報はないことはないが、まったく納得には至らない。
hitenm-6.jpg
 ただ、「日昼」については、読みは「にっちゅう」、意味は「ひるひなか」という昔からよく使われてきた日本語であると思っていたが、どうやらそれは広辞苑には「昼中」や「日中」はあるが、「日昼」載っていない。それが岬の名前になるわけはわからない。
hitenm-7.jpg
 日昼から夕方にさしかかったので、西に向かう岬は逆光になり、黒い岬と夕日を浴びる岬が入り混じる。
hitenm-10.jpg
 そういえば…。
hitenm-8.jpg
 「日昼部トンネル」に「日中戸岬」とありましたよねえ。
 こうなると、なんかないわけはなかろう…。それに北海道の別の場所でもそんな地名もあったような気もする。となると、いずれはやはりアイヌ語源関連ということになるのだろうが、これまた手出しがしにくい。
hitenm-9.jpg
 北海道ではどこへ行っても道路脇で目立っているものがある。それはひとつは冬季の積雪時に道路の位置を示す「 ↓ 」の道路標識なのだが、もうひとつがこの交通安全の旗である。色やデザインや文字は、自治体によってさまざまだが、道内で申し合わせか決まりのようなものがあるのだろう。

▼国土地理院 「地理院地図」
42度13分43.72秒 139度48分14.08秒 42度13分52.64秒 139度47分46.43秒
hitenmM-1.jpg
dendenmushi.gif北海道地方(2017/06/30 訪問)
@このブログは、ヘッダー、サイドバーをも含めた、全画面表示でみることを大前提としています。

にほんブログ村 その他趣味ブログ
その他珍しい趣味へ 人気ブログランキングへ

タグ:北海道
きた!みた!印(27)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

1466 小歌岬2=せたな町大成区都(北海道)2012年の前回訪問から5年も経っていれば忘れていることもあるけれど… [岬めぐり]

koutam2-5.jpg
 小歌岬2として、またこの岬をとりあげるのは、前回の2012年の訪問では、実は小歌岬の上までは行ったのだけれども、どうもその全体の姿が見えなかったからだ。確かにそこには「小歌岬」という小さな杭の標識やこれまた小さな灯台のようなものがあるにはあったのだが、バスの時間があるのであまり周辺を歩き回ることもできずに、畑の中の袋小路に入ってまた引き返していた。
 そのときの経緯は、
に詳しく書いている。今回は、大成学校前で降りずに、そのまま第二富磯の終点まで行くのだが、小歌岬は大成の市街地を抜けて、再び海沿いに県道が出る上浦付近から、バス車窓の後方にどうにか見える。
koutam2-4.jpg
 白い灯台もはっきり見えるし、灯台の丘が切れて、その下の海に落ちるところが、細長い大きな岩礁になって伸びている。
 地理院地図では、小歌岬の名はこの岩礁の先端に付けられているが、それはただ単に地図上の文字記載位置の都合であって、岬が灯台のある丘の出っ張りと下の岩礁を一体化してとらえたものであろうということは推測できる。
koutam2-3.jpg
 これでやっと小歌岬もちゃんと確認できた。これも、その上に行っても岬がどうなっているのかよくわからないという例で、遠く離れたところから眺めてみて、初めてその全貌がわかる。
 こうして、二度目の訪問にさいして、前に来たときの昔の記録をひさしぶりに開いて読んでみると、「ああ、そうだったのか」と新鮮な気持ちで読めてまたおもしろい。
koutam2-2.jpg
 すっかり忘れていることも多いもので、若松ルートの国道の元になった道は商人たちが切り開いたという話などは、さっぱり記憶になかった。5年前に自分で調べて書いていたものを「へーそうだったんだ」と、感心して読んだりしている。
 5年前の行程も、どこをどう通ってきたのか、かなりうすぼんやりとしている。もともと、この岬めぐりは記録も何時何分にどこから何に乗って何時何分にどこに着いたというような旅行記録はほとんど気にせず、それは記録していない。おまけに項目は岬中心でその掲載順も行動順ではないこともある。なので、「あれっ、このときはどうしたんだけっ?」というようなこともたまにある。
koutam2-1.jpg
 その「たま」が、ここであった。前項では、
 「実は2012年にやってきたときには、南の乙部町から八雲町の西海岸線を北上してきた。ポンモシリ岬を過ぎたところからせたな町に入り、親子熊岩を経てツラツラ岬を過ぎ、その日は貝取澗のあわび山荘に泊まった。
 翌朝、朝食もとらずに宿の車で宮野まで送ってもらって、なんとか宮野早朝発の北檜山行きに間に合った。」
 と書いていた。
の項を読み直してわかった(思いだした)のだが、実際の行動は、いったんバスに乗ったまま貝取澗を通り過ぎて終点の大成学校前まで行っている。そこから引き返して貝取澗へ戻ってあわび山荘に泊まっていたのだ。つまり、乙部から小歌岬までの岬は、このときの函館バス檜山海岸線の北の端を往復することで記録していた。
*江差町がリンクしているPDF(檜山海岸線)
esasihyamakaiganHBTT-1.jpg
 このルートの路線バスは、やはり函館バスではあるものの、若松・久遠線とは別の長距離路線。江差=大成の間を走る路線だった。これが日に3便走っていて、ここにも大成から乗り継いで富磯へ行く便が早朝と午後ある。なかなかややこしい。函館バスのPDFでは、これが微妙に違うのだが、製作時期の問題もあるのだろう。
*函館バス檜山海岸線の時刻表
hyamakaiganHBTT-1.jpg
 5年前のとき、運転手さんが「富磯行きに連絡するよう待つように言いましようか」と言ってくれたのは、その乗り継ぎ便のことで、これは現在でもあったのだ。
 えーっ! なんのこっちゃ! それを忘れずに覚えていれば、計画もまた組みやすくなったかもしれないのに…。せたな町の掲出している函館バスの時刻表で、第二富磯へ行くのは夕方の1日1便のみとばかり思っていたのだ。
*せたな町が掲げている若松・久遠線の時刻表
setawakakudoTT.jpg
 若松・久遠線ばかりでなく、こっちのほうのダイヤをみていれば、第二富磯行きは日に夕方1便だけでなく、大成学校前で乗り継げば、早朝と午後と合わせて日に3便になるのだ。
 しかもそれが、せたな町の若松・久遠線の時刻表には一言もふれられていないで、第二富磯行きは夕方1本だけになっているのは、いったいどういうわけなのだろう。なかなかミステリアスであります。
*函館バスの久遠線の時刻表PDF
kudoHBTT-1.jpg
 誰が悪いのかミスなのかそうではないのかよくわからないが、北檜山から函館まで、亀田・松前・渡島と半島が3つもの名をもつくらい広範囲な営業エリアをもつ函館バスは、ひょっとしてどうやら総身に知恵が回りかねる状態になっているのか?

▼国土地理院 「地理院地図」
42度13分20.35秒 139度48分52.74秒
koutamM-1.jpg
dendenmushi.gif北海道地方(2017/06/30 訪問)

にほんブログ村 その他趣味ブログ
その他珍しい趣味へ 人気ブログランキングへ

タグ:北海道
きた!みた!印(21)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域