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1486 エントモ岬=伊達市南有珠町(北海道)バスからでは見られなかった岬を帰りがけの室蘭本線の車窓から [岬めぐり]

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 雨上がりの北大の構内を散歩した後、札幌から函館北斗まで戻って、新幹線で帰路につく。そのためには、千歳線で苫小牧まで行き、苫小牧から長万部まで室蘭本線、長万部から函館北斗までは函館本線を走ることになるが、もちろん路線名が変わるだけで列車を乗り換える必要はない。
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 今回、いまさらながら実感として確認できたのは、下り室蘭本線は苫小牧で終わりではなく、千歳線の東を夕張寄りの線路が岩見沢へとつながっていることだ。
 毎度おなじみのスーパー北斗は、札幌=函館をつなぐエースだが、これがいつも混雑がひどいので、早めに手配して上りの進行方向左側の指定席をとっておいた。というのも、往路では夜に通ったので、復路には噴火湾岸の岬の落ち穂拾いもしておかなければならないからだ。
 前に来た室蘭本線の沿線では、チキュウ岬も雨と霧の中だったが、茶津崎もイコリ岬も雨のなんだかさっぱりわからない写真で項目をつくっていた。チキュウ岬はなかなか不便で、簡単にちょと寄り道ということができなかったが、そういうところも車窓から再確認しておきたい。
 それから、2011年にこのルートを歩いたときには、雨の中をバスで有珠まで行き、そこから傘をさしてかなり歩いてアルトリ岬とエントモ岬が見える砂浜の海岸に出た。そのときの記録が、

 689 アルトリ岬=伊達市南有珠町(北海道)バスに乗ったらエントモ岬を飛ばしてしまって雨のキャンプ場へ

 なのだが、写真はエントモ岬も多いのに項目が独立していないという変なことになっていた。そこで、エントモ岬の項目をまず新たに立てる必要があった。前回はバスで飛ばしてしまっていたのを、今回は室蘭本線の車窓からちゃんと見ておこう。
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 まず、蘭法華岬の登別を過ぎ、鷲別岬の鷲別、イタンキ岬の東室蘭を過ぎ、黄金駅・稀府(まれっぷ)駅の付近ではぐっと海岸が近くなる。タンカーのような船や海中作業用の浮きドックのような台船が何台も係留してある。気になったのは船に掲げられていた「特別管理物件」という大きな表示。
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 列車は噴火湾岸を北上し始める。伊達紋別を過ぎると、室蘭本線の線路は長流(おさる)川の河口を避けていったん海岸から離れ、伊達市長和の火力発電所の煙突が見えるころからまた海に寄っていく。その向こうに、エントモ岬が現れる。
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 あまり上等なお天気とも言えないが、前回よりはだいぶマシであろう。このエントモ岬から北北東6.4キロには標高733メートルの有珠山があり、そこから山裾が延びて低い丘となって海に届く。その先がエントモ岬なのだ。
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 エントモ岬も数千年前の有珠山の大噴火によって崩壊し、南に流れ下った溶岩台地の先端なのではあろうが、伊達市大平町から若生(わっかおい)町にかけての台地は、かなりデコボコで複雑な地形をなしている。そこには豊富な湧き水もあり、遺跡もあり、縄文以来人々の暮らしを育んできたようだ。
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 線路は、この岬を上り下りの分がれたトンネルで、くぐり抜けている。
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 有珠山とその東にある昭和新山398メートル、それに洞爺湖は、以前に訪れたことがある。1900年代に三度も噴火し、2000(平成12)年にも大噴火して被害を出している有珠山周辺では、その後の復興整備とともにジオパーク構想が進み、ビジターセンターや散策路などもできているようなので、そこもいちおう計画に入れようとはしてみたのだが…。
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 昭和新山も昔の教科書で知って以来だが、田畑が盛り上がって山ができたという話に、妙な感動をした記憶はなぜかまだ新しい。

▼国土地理院 「地理院地図」
42度29分27.46秒 140度48分27.61秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2017/07/04 訪問)
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タグ:北海道
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1485 ゴメ岬=苫前郡羽幌町大字天売(北海道)もともとはゴメが鳴くからゴメ岬だったのだろうけれども… [岬めぐり]

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 要するに「覚悟」が足りなかったセイだ。誰のセイでもない。自分が悪いのだが、ちゃんと目的をはっきりとさせて、ひたすら行動すべきだったのに、つい事前の計画の確認を怠って、なんとなく港の北のゴメ岬のほうへ歩き出してしまっていた。
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 船が天売港に着いたら、一目散に南の坂道を登り、焼尻島を見ながら島を横切って北西海岸の観音崎を目指すべきだった…のかもしれない。
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 一方では、ゴメ岬から西へは道はなさそうだが、それでも回り込めば、あるいは破線の灯台へ登る道を行けば、観音崎も見えるのではないか、そう思えたのだ。ちょっとした判断ミスというのは、そういうことだ。
 ゴメ岬に近寄って行くと、斜面に鉄製の階段が白く見える。あれを登っていけばいいのだ…。ところが、うろうろして探してみたが、どうやってもそれに取りつくことができない。
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 家の裏まで入って、なんとか近づいたと思ったら、なんとその階段は治山施設管理用のもので、「灯台や展望台には行くことはできません」と小さな掲示があるのを見つけてしまった。こういうのって、親切なような不親切である。
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 では岬の先端から…。これも行き止まりで道がない。やれやれ。
 「ゴメが鳴くからニシンがくるとぉ~…」という歌の文句もあるが、ゴメというのは一般に北海道ではカモメのことをいう。ところが、この作詞家は「海猫」と書いて「ゴメ」と歌わせた。そこで、ゴメというのはウミネコのことだという理解が一般に広まって、ネット情報でもそう断定しているものが多いようだ。なんとか知恵袋では「ゴメは「うみねこ」のことです。」というのがベストアンサーになっている。
 しかし、そう断定するのは、やはり間違いであろう。青森や北海道で普通に言われるゴメは、やはりカモメとその仲間のことを総称してそう呼んでいるのではないか。ウミネコが多い地域ではそれをそう呼んだかもしれないが、なにもウミネコに限定するものではない。広くカモメの仲間のひとつにウミネコもいるということだろう。したがって、ゴメと呼ばれるときにウミネコも含まれることもあるが、ゴメ=ウミネコではない。
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 カモメはいなかったが、岬の岩場岩島は、たくさんの黒い鳥のたくさんの白いフンが岩を塗っている。
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 ブロックを積み上げた防波堤の内側を、その群れから離れた一羽がヨタヨタと歩いている。
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 なんだか、歩き方がおかしいようだし、近寄っても飛び立てない。ケガでもしているのだろうか。それをブロックの上から数羽のカラスがガアガアいいながら狙っている。かわいそうだが、この様子ではいずれカラスにやられてしまうだろうが、厳しい自然の掟はどうしてやることもできない…。
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 ネコ条例をつくった羽幌町には、カラス条例はないのだろうか。
 ゴメ岬を占拠しているこの海鳥は、なんという鳥なのだろうか。残念ながらオロロン鳥ではない。オロロン鳥(ウミガラス)はペンギンのように胸が白いが、これはまだらだ。どうやらウミウのようだ。
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 天売島で繁殖している海鳥には、オロロン鳥やウトウ、ケマフリ、ウミウ、オオセグロカモメなどがいると、港のフェリーターミナルには剥製をいくつか展示してあった。
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 ターミナルの入口でも、オロロンオロロンと…。
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 ウミウのゴメ岬は、岩場の出っ張りとそれに続いて沖へ延びる岩島からなり、先端の岩島には灯標識が立てられている。
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 現在の地理院地図では、海中の岩礁の表示が縦長に示されているだけだが、1970年代の航空写真を見ると、その付近がちゃんとした小島になっていたのがわかる。ここ数十年の間に、ゴメ岬の島は海中に沈んでしまったようだ。
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 ゴメ岬を占拠しているのはどうもウミウらしい、というのはでんでんむしのシロウト判断だけれども、ゴメのなかにウミウも含まれるんだろうか。
 チドリ目カモメ科カモメ属に分類されるカモメ科の鳥の仲間にも、いくつかあるようでそれはそれでけっこう複雑なようだが、アジサシ属が中心で、その端っこにカモメ亜科のカモメ属があり、ウミネコはそのなかに分類されている。つまり、ウミネコはかろうじてカモメの仲間としてゴメに含まれる。
 けれども、ペリカン目ウ科ウ属のウミウは目からして別なので含まれない、ということになる。となると、ゴメ岬は実はゴメ岬ではなくなっている、ということか。
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 観音崎は残ってしまったけれども、いちおうこれで北海道西海岸はおしまい。オロロンラインのオロロン2号に乗って帰ります。
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▼国土地理院 「地理院地図」
44度26分31.83秒 141度19分35.88秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2017/07/03 訪問)
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1484 太郎兵衛崎=苫前郡羽幌町大字天売(北海道)ネコ条例まで設けて保護している海鳥繁殖地がある天売島へ [岬めぐり]

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 中島さんの次は太郎兵衛さんです。太郎兵衛崎は昔ながらのベビーカーを横から見たような形をしている天売(てうり)島の西端にある。ベビーカーでいうと手押しハンドルとフードのジョイント部分にあたる。
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 周囲約12キロ、人口300人ちょっとというのも、焼尻島とほぼ同じような島は、その名も、もちろんアイヌ語源というのだが、焼尻島よりも?  それが「テウレ=魚の背腸」もしくは「チュウレ=足」に由来すると言われても、よけい訳がわからなくなるだけだ。アイヌ語源には、このように「聞かなきゃよかった・見なきゃよかった」というような解説がけっこう多いのが困る。
 それでも、こういう機会があるたびに「日本は単一民族国家だ」などといういかにも魂胆ありげな主張がまやかしであるかを、しっかりと意識しなければならないのだろう。北のアイヌ人も南の琉球人も、都合よく抑圧してきた歴史を直視しなければならない。また、世界史のなかで欧米列強の真似をして、最も遅れて突き進んだ帝国主義の歴史は、半島にルーツを持つ多くの人々を抱えることになり、共に暮らしてきた。いやいや、もっともっとずっと前から半島や大陸からこの列島にやってきた人も、少なからずあった。
 街で飲食店などに入ると、ちょっと変なアクセントと発音の声掛けに迎えられることがごく普通になっているような時代になっても、国は他の民族を受け入れるのに妙に神経質で、難民さえも頑なに拒んでいる。その割には、国民一般にはいわゆる人種的偏見は一部の特殊な主義主張を除けば、なべて少ないほうだと言えるのだろう。
 とにかく、この列島には、いわゆる日本人の祖先が定着する前からちゃんと先住民族がいたのだ、日本は最初から複数民族国家だったのだということを、北海道のみならず本州にもたくさんあるアイヌ語源の地名がはっきりと教えてくれる。
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 天売島には泊まらないで日帰りと聞いたユースホステルの人が、それは残念ですねといかにも残念そうに言った。こちらは、計画段階ではさほど残念には思っていなかったのだが、結果的にやはり残念だったかな。
 5日間というフリーきっぷの制約があるので、この計画ではどうしても泊まるわけにはいかなかったのだが、天売島ではちょっとした判断ミスから、観音崎という北西側の岬をスルーしてしまう結果となったからだ。
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 天売島の岬はそれを入れて3つしかない。南西端には赤岩という立岩や灯台もあるようだが、岬名はついていない。
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 そのうちこの太郎兵衛崎と北端のゴメ岬は、船からでも見える。だが、観音崎へは片道約3キロほど、斜面を140メートルの高度まで登って行かなければならない。帰りは降りになるとはいえ、船の出航時刻までに往復して帰ってこられるかどうかは微妙なところだ。
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 焼尻島とは逆に天売島の北西岸は、人家や集落はない。50メートルを超えるような断崖が端から端まで全面に渡って続いているので、島の集落は太郎兵衛崎を挟んで北と南に集中している。
 Wikipediaによると、明治以降ニシン漁従事者による乱伐と山火事によって、島内の森林の大半が消失したという。因みに北海道西海岸のニシン漁は、いったいどこが北限だったのだろう。初山別までは確かにあったような気がしたが…。と、思いついて調べてみると、稚内までほぼ切れ目なくニシン漁の痕跡は続いていた。
 一旦失われた自然を回復するのはたいていなことではないと、よく言われているが、戦後になって北海道が進めた植林によって、長い間の苦労の末にようやく森が回復したというが、iOSのマップの航空写真ではさほど大きく深い森があるようには見えない。
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 南西端の赤岩から北東に向かって延びる断崖に沿って、島の背骨をつくる山が並行していて、道路はその内側を通る。そこから南東方向に傾斜地が広がる。それがだいたいの島の姿らしい。そして、山で隔離されたその断崖を中心にして、さまざまな種類の海鳥の繁殖地があるようだ。
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 この「天売島海鳥繁殖地」は1938(昭和13)年から国の天然記念物に指定されていた。また、1982(昭和57)年には国指定天売島鳥獣保護区の集団繁殖地にも指定されている。そして、おもしろいのは羽幌町が海鳥などの保護を目的とした「天売島ネコ飼養条例」を施行していることだ。町のサイトには、25条からなる行例の全文と施行規則を載せているが、その第18条には、「住民並びに天売島を訪れる者は、自ら飼養していないネコに対し、みだりにえさ又は水を与えてはならない。」としている。
 要は海鳥を保護するために野良ネコをいなくしたいということで、飼いネコにはマイクロチップを埋め込んで家の中で飼育することを勧め、屋外で放し飼いにするさいは去勢しなければならないとか諸々の規制がある。
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 バードウオッチングもやらないし、格別愛鳥精神にあふれているわけではない。むしろ、ヒッチコック以来、鳥には少し恐怖心がある。が、ネコはこどもの時からいっしょに暮らしてきたでんでんむしは、確かにできればこの島には一泊して、自転車でも借りてぐるりと回ってネコとネコから保護されている鳥もみてみたかったかな…。

▼国土地理院 「地理院地図」
44度25分48.26秒 141度20分6.93秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2017/07/03 訪問)

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タグ:北海道
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1483 中島の崎=苫前郡羽幌町大字焼尻(北海道)羽幌港から船に乗ってふたつの島へ着いた焼尻島でただひとつの名のある岬 [岬めぐり]

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 羽幌港と市街地は多少離れているが、沿岸バスは本社ターミナルと港の間に、萌えキャラのシャトルバスをワゴン車で運行しているので、帰りはそれに乗った。
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 羽幌=焼尻(やぎしり)・天売(てうり)航路も沿岸バス系列らしい羽幌沿海フェリーが運航している。フェリーのおろろん2号と、高速船のさんらいなぁ2号が交互に、羽幌=焼尻=天売=焼尻=羽幌の順につないでおり、往復キップはない。行きは高速船、帰りはフェリーになったが、高速船では天売まで1時間、フェリーだと35分よけいに時間はかかる。
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 客室も高速船は座席スタイルで、フェリーは大部屋ごろ寝タイプになる。
 焼尻島(やぎしりとう)にはヤギではなく羊が飼われているらしいが、この島の岬は焼尻港北側の中島の崎ひとつだけ。ここは下船せずに、船からの岬を眺めつつ天売まで行くことにした。
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  島民は200人ちょっとくらいで、東西に3.9キロ、南北にいちばん幅があるところで2.2キロの小さな島である焼尻島は登山靴のような形をしていて、かかと部分の上のほうに焼尻港があり、その北に中島の崎が続いている。
 かかとの下部分にはいちおう灯台もあって、岬らしい出っ張りもあるのだが、なぜかそこには岬の名はついていない。
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 その沖には神居岩という岩礁があって、それを知らせる灯標識が立っている。
 羽幌町の西北西25キロにあたるこの島も、当然ながらアイヌの島だったわけで、アイヌ語源説もふたつある。どっちを採用していいのかわからないが、ひとつは「エハンケ・シリ=近い島」で、いまひとつは「ヤンケ・シリ=水揚げの島」だという。
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 音では後者のほうが近いように思われるが、意味的には前者のほうがしっくりくるような感じがある。なにせ、この島は羽幌の海岸からもよく見えているのだから…。
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 焼尻港で数人の乗客を降ろしまた乗せると、船は島の海産物や羊などを描いた壁画の岸壁を出る。近頃ではどこの港でもこうした壁画をよく見かける。それは、地元の小中学校のこどもたちの卒業制作だったりするのだが、ここのはどうかわからない。その壁画の、右端に描かれたものはなんだろうと、しばらく考えてやっとわかった。
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 それは羽幌港で、真ん中に焼尻の島と港があり、左端の赤いのは沈む夕日という壮大は構図なのだった。
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 港を出て、中島の崎を回り込む。段丘のようになった緑の岬の上を、道路が登っているのがみえる。
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 これが島内を一周する道道255線につながるのだろう。島の集落の大半は、港のある東浜とその南の白浜の海岸に集まっている。残りの家々は、比較的傾斜のゆるい島の北側の海岸にある豊崎と西浦にあって、島の南側にはほとんど人家がないようだ。
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 中島の崎という名はアイヌには関係がなさそうだが、他の多くの岬がそうであるように、名前の由来などの情報は見当たらない。天売と羽幌の間にあるから中島なのかとも考えられるが、単に中島さんという人が最初に自分の名で命名しただけなのかもしれない。
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 これだから、ほとんどの場合、岬の名前には深入りできないし、しようもないのだ。だが、これはそんな情報にはなんの価値もないと、その伝承をさぼってきた後世の責任であるような気が、だんだんしてきている。
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 岬を回ると、今度は船は西南西に進路を取って正面に見えてい天売島をめざす。名前のない焼尻最西端の出っ張りから、天売島の東端である太郎兵衛崎までは3.7キロほどしか離れていない。この間の水域には、地理院地図では武蔵水道と明記している。さては、武蔵坊弁慶さん、寿都の弁慶岬からここまで伝説は足を伸ばしてきたのか、と思ったら違っていた。
 1925(大正14)年旧日本海軍の測量船であった「武蔵」が、この水域にやってきて測量したことからついた名であるという。
 ほらね、こういう具合になんらか命名の元になった由来というのは、なにかあるはずなんだろうけど…。

▼国土地理院 「地理院地図」
444度26分45.51秒 141度25分35.47秒
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番外:羽幌ユースホステル=苫前郡羽幌町(北海道)炭鉱があったことは知っていたがアンモナイトは知らなかったよ [番外]

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 「番外:沿岸バス」の項でふれたように、増毛郡増毛町から北へは10の市町村を走って豊富・幌延まで続くバス路線は、天塩・遠別までが海岸線で、その長い沿線のなかでは、羽幌がいちおう真ん中付近でもあり、中心的な存在だとみていいのだろう。沿岸バスの本社も羽幌にあって、本社の建物の1Fもバスターミナルになっている。羽幌にはもうひとつ街の東寄りに「番外:沿岸バス」で紹介したもうひとつのターミナルがある。
 そこが旧羽幌駅のあったところで、ここからは羽幌炭鉱が活況を呈していた頃には炭鉱のための鉄道が、築別川・羽幌川の上流の山に分け入っていた。名前だけは知っていた羽幌炭鉱は、1935(昭和10)年に操業を開始し、良質な石炭を産出することで知られ、町も空前の賑わいをみせていたようだ。それが閉山して鉄道も廃止されたのが1970(昭和45)年で、わずか35年限りの繁栄だった。
 鉱山鉄道に続いて羽幌線も廃止されたが、羽幌港からは焼尻・天売のふたつの島を往復する航路があるので、交通的には今もなお重要なポイントになる。羽幌に泊まって、翌日にこの島へ行く計画だ。
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 初山別の金比羅岬から引き返して、沿岸バスを本社ターミナルで降り、この日の宿である羽幌ユースホステルまで、街をぶらぶら歩く。繁華なところは本社ターミナルの周辺だけで、そこを外れると静かな町並みが続く。
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 歩いていて気がついたが、車道と歩道の縁石がみな削り取られたような跡が痛々しい。横断歩道の白い印もそうだが、これらは冬場に出動する除雪車の活動の跡だ。夏の道で冬の厳しさを思い知らされる。
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 市街地の南の外れに、広い羽幌公園があり、さまざまなスポーツ施設も集まっているようだ。(スポーツといえば、羽幌炭鉱が盛んだった頃には実業団チームもいろいろ活躍していたという。)
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 緑の公園のなかで黄色く目立っているユースホステルは、アンモナイトでも一部には知られていたらしい。羽幌は、石炭ばかりか、日本でも有数のアンモナイトの産出地で、その調査研究のために国内外からたくさんの研究者がやってくるという。そうした人たちの定宿としても有名になったユースホステルの主人は、門前の小僧よろしくアンモナイトに興味をもつようになり、自分で採取した化石が、ケースに陳列してあった。
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 でんでんむしも、らせんつながりで当然それに興味はあり、神保町の書店のフェアなどで買ってきた化石をいくつか持っている。国内のものは規制もあり販売できないので、買えるのは外国産のものだけ。昔に買ったモロッコ産のはゴロンと大きな石の塊だったが、最近小田原の神奈川県立生命の星・地球博物館のミュージアムショップで買ってきたマダガスカル産のは、薄くスライスした石片だった。興味はあるのだが、とてもそのアンモナイトの山までは行けないし、今回は深く追求できない。
 ユースホステル体験は、能登についで二度目だが、今回は相部屋だった。作り付けの頑丈で広めの二段ベッドが二並びあって、ひとつの下段にはどうやら年寄り同士をくっつけたという感じの先客がいたので、こちらはもう一方の上段のベッドを選択する。上段でも座って頭がつかえない高さはあるので、さほど窮屈でもない。昔よく乗った広島=東京間を一晩かけて走っていた「急行安芸号」のB寝台にくらべればはるかに上等。
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 漫画本(いやコミック?ですか)が棚にずらりと並んだ談話室の片側の壁には、手書きまっぷがずらりとつなげて掲示してある。(下に飛び出しているのは天売・焼尻。)
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 これをつくっているのは、留萌駅の建物の中にあったFM局が拠点の留萌観光連盟で、この場合の留萌は留萌市ではなく留萌振興局管内の意味になるらしい。どこの市町村でも自分のところで制作した観光パンフレットもあるが、羽幌町のサイトではこの手書きのオロロンマップもサイトに載せている。その羽幌のマップでは、右上にユースホステルが描かれている。
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 これは、留萌の駅で発見していたのだが、なかなかの特筆モノなのだ。折りたたんで並んでいる青い部分が海を表している。
 なにが特筆モノかというと、えてしてこういうものは各自治体でバラバラにやるので、あったりなかったり、統一はまったくとれていない。このオロロンマップは天塩から増毛までの8つの沿岸市町村を、同一のスタイルでつなぐように設計されている。どのブロックも広げるとA3判の手書きマップをピンク色の国道232号線が横切っている。このユースホステルの談話室の壁では、それをちゃんとつなげて設計通り実現して、幅3メートルの留萌振興局管内のマップを表示していた。
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 無料で配布しているので、どうして成り立っているのかも気になる。広告はとっていないが、飲食店などからの掲載料収入くらいはあるのだろうか、それとも留萌観光連盟の事業費から予算措置がとられているのだろうか。よそのフトコロを気にしてどうする、というところだがこれだけのものでも調べて書いて描いてつくるとなると、たいへんな労力と装置と技術が必要なこともよくわかっているので、つい心配してしまう。
 これだけ広範囲な地域を、これだけちゃんとカバーしたオロロンマップのようなものは、北海道のほかの管内でもあったのだろうか。それともこの留萌管内だけなのだろうか。
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 車でフェリー乗場まで送ってもらい、ふたつの島へ向かう。
(留萌観光連盟制作の各市町村のまっぷは、留萌観光連盟ホームページからダウンロードできます。)

▼国土地理院 「地理院地図」
44度21分6.02秒 141度42分3.97秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2017/07/02 訪問)

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1482 金毘羅岬=苫前郡初山別村字豊岬(北海道)しょさんべつ村もがんばってますが豊岬ってどこにあるんでしょう [岬めぐり]

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 留萌の黄金岬と初山別村の金比羅岬はおよそ75キロも離れている。これだけ離れていれば、相互の関係はなさそうだから、金つながりといえばこじつけになってしまうだろう。
 留萌の黄金は由来不明だったが、ここは船の守り神である金毘羅さんを勧請したからではないかという想像はつく。この金比羅岬から北には次の岬が稚内の野寒布岬で、そこまではさらに105キロで、その半分はサロベツ原野の海岸である。実に留萌から稚内までの180キロの間の沿岸で、唯一の岬がこの岬、ということになるのだ。
 サロベツ原野の海岸はバス路線は走っていないが、天塩・幌延・豊富までの間をつないでいるのが沿岸バスで、このバスはなかなかエライ。残念ながら、豊富から稚内までバスは繋がっていないが、岬がないのでここから先へは行く必要がない。
 本当は、サロベツ原野のどこか端っこでもいいからちょっとだけ歩いてみたかったのだが、ひとつだけある海岸に出るバスも相当に不便で結局あきらめた。が、それでも沿岸バスがこの岬不毛地帯の沿岸を、ちゃんと走っているのは立派なものだ。
 だが、あくまでも廃止された鉄道の代替が存続理由なので、幌延・豊富からさらに北へもう少し行けば稚内なのに、それは行かない。
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 幌延・豊富行きの沿岸バスは、初山別村の中心地を抜け、少し内陸を回りこんで走る国道からまっすぐ海岸に向かって延びる一本道に入る。その行き止まりに、岬センターというバス停があり、道の駅や「岬の湯」という温泉施設や駐車場がある。
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 岬センターのバス停から乗るときは、宿泊施設のフロントに申し出て、あらかじめ予約を入れておかないといけない。予約がないと、あるいは降りる人がいないと?、国道をまっすぐ行って、この道まではバスも入ってこない、というしくみになっている。
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 バスを降りたそこから隣にある丘の上に灯台があり、しょさんべつ天文台がある。この一帯はみさき台公園という広い公園になっていて、なかにキャンプ場やバンガローなどもある。お約束どおり、やっぱり数台のキャンピングカーも停まっていて、テントを広げてなにかやっている。
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 他人の趣味や楽しみにケチをつけるのは、自分の掘った穴に落ちるようなものだからやめておくが、お互いせめてもうちょっとお天気がよいとよかったね。
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 金毘羅岬の名の由来は、燈光会の看板によると、この沖では海難が多発したので、金毘羅さんを祀ることにしたところからという。なるほど、とも思うがいささか説明不足で、納得度はいまいち。
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 海岸を覗いてみると赤い鳥居も見える。だが、帰りのバスまであまり時間の余裕もないので、下まで降りるのはやめておいた。降りるのはいいけどまた登って帰るのが大変だしね。
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 金毘羅岬のあるここはみさき台公園だが、公園のあるこの付近はセンターの北の集落まで豊岬という字地名がついている。郵便局も豊岬だし、海水浴場も豊岬。ひょっとしたら、そういう名の岬が金比羅岬とは別にあるのか?と思わせるに充分である。ムダと知りつつ探してみたけど、やっぱりそれはない。
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 「豊岬」というのは、なくなった羽幌線の駅名だったということはわかったが、ではその駅名はなぜそういう名になってどこの岬を指していたのか、その答えにはならないのだ。
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 村のサイトでは「初山別村最大の観光スポット。」としてみさき台公園をあげているが、それはつまりこの公園と付属する周辺施設全体が、「村営」あるいはそれに準ずるものなのであろう。
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 村としてはなかなか思い切った試みといえようし、その成果があがることを祈る気持ちに偽りはない。だが、それならそれで、なにかあまりにもいかにもそれらしく整いすぎていて、なにかが足りない。なにが足りないのだろう? たとえば「木」かな? さっぱりおもしろ感やわくわく感に乏しいように思うのは、お天気のせいではあるまい。
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 園地の照明は天文台のじゃまにならないようにしてあるそうだから、キャンピングカーがなくても温泉の宿に泊まって、夜は天文台で星空観察したり、芝生に寝っ転がって流れ星を数えるようなことができれば、それはそれで魅力的な岬になるかもね。お天気がよければ…。
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番外:沿岸バス=苫前郡初山別村字豊岬(北海道)オロロンラインを走る沿岸バスで留萌=豊岬間に乗り帰りは羽幌経由で [番外]

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 沿岸バスのバス停は、要所要所ではビルの一角を借りたり、あるいはそれ以外のところでもいちおう屋根付きベンチ付きの待合所を設けている。
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 留萌の十字街も留萌駅前(といっても駅から少し離れた国道沿い)の停留所も、ビルの一角で、ベンチとトイレと自販機が備えられている。これから80キロ近くも(あるいはそれ以上)バスに乗って行くとなれば、これはありがたいというか、必須でもあるのだろう。
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 そもそもこの沿岸バスは、廃止された鉄道の代替交通機関としてできたものなので、その路線もレールのあったところをなぞっているらしい。
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 留萌を出た沿岸バスが、北へ向かって日本海の北沿岸を走り始めると、ほぼ真っ直ぐに海岸そばの道路がしばらく続く。15キロも走ると大椴川を渡るが、ここまでがこの沿岸に最初に線路が通った区間になる。留萠本線から北へ分岐して、留萠=大椴間が開通したのは、1927(昭和2)年のことであった。以来、この鉄路は、羽幌までそして幌延・天塩・遠別と延びつながっていき、1935〜36(昭和10〜11)年には宗谷本線と接続していた。
 そうして、半世紀を超える歴史を刻んできた羽幌線も、1987(昭和62)年それも国鉄分割民営化直前に廃止されている。露骨というかなんというか、まるで路線廃止の見本かなにかのように、民営化の直前に国鉄の線路として最後の廃止路線となったのが、かつては急行「るもい」や「はぼろ」が走ったこの羽幌線だった。
 こうして留萠=幌延間141.1キロは、沿岸バスのバス路線に転換され、この南北に長い路線バスが走ることになった。
 増毛から北へ、この路線バスが走り抜ける沿岸市町村は、増毛郡増毛町・留萌市・留萌郡小平(おびら)町・苫前郡苫前町・苫前郡羽幌町・苫前郡初山別(しょさんべつ)村・天塩郡遠別町・天塩郡天塩(てしお)町・天塩郡幌延町・天塩郡豊富(とよとみ)町とちょうど10を数える。いずれも、道民にはともかく本土の大半の人にとってはあまり馴染みのない地名ばかりだろうと思われるが、幌延という地名はそのうちみんなに知られるようになるかもしれない。なにしろ、そこは放射性廃棄物の地層処分の実践研究が進められているから…。
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 国道232号線と239号線は、別名オロロンラインの長い北への道中は続く。この沿岸は道路が海岸のそばを走っているが、山側が崖で迫ってくることはなく、明るく開けていてトンネルもない。
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 鬼鹿豊岡を過ぎなおも小平町が続くが、やがて苫前町に入ると、霧がいっそう濃くなってきた。苫前は大きな地図でもちょっとした出っ張りが目立つ場所もあって、港と灯台のある丘があるのだが、そこには岬がない。沿岸の岬は、羽幌町にもないので、次は初山別村の金毘羅岬までない。金比羅岬の先にもない。
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 往路では霧で何も見えなかったが、復路のバスからは苫前のグリーンヒルウインドパークという風力発電の風車が立ち並ぶところや鵜が羽根をやすめるロウソク岩がある。
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 今回の岬めぐりのポイントのひとつでもあった、天売・焼尻の島から帰ってきたときに、立ち寄ったのが沿岸バスの羽幌ターミナル。ここは旧国鉄の羽幌駅と鉱山鉄道の駅があった場所らしく、広い敷地をゆったりと使っている。その昔は羽幌の炭鉱から石炭を積み出す貨車がひしめいていたであろう旧構内は広い公園になっていた。
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 羽幌駅のあったことを示す、草花に埋もれた歌碑は「数多き 思い出乗せし 羽幌線 昭和とともに名残り惜しまむ」?と読める。昭和2年から昭和62年だから、確かに昭和とともあった鉄道だった。
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 帰りに、初山別から羽幌まで、羽幌から留萌まで乗った沿岸バスは、来るときの観光バスタイプではなく、普通のバスで途中で乗り降りする人も多かったので、長距離移動のためでなく生活路線としても充分に機能しているらしい。それでも経営は楽という訳にはいかないので、先に「番外:増毛」の項で紹介したようなお願いになるのだろう。
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▼国土地理院 「地理院地図」
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1481 黄金岬=留萌市大町二丁目(北海道)留萌パワーはすごいが単に黄金の夢を見ただけの岬だったのだろうか [岬めぐり]

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 黄金岬はめずらしく市街地にある岬で、JR留萠本線の終点になってしまった留萌駅からは2キロほど、留萌中心市街地の十字街からは1キロちょっとくらいのところにある。
 かつては列車から直結していたであろう港を南側から囲うようにして伸びている丘の西の端は、合同庁舎やハローワークなどもある大町のはずれで公営住宅が立ち並ぶ。その西端の崖の上が、元々の岬であったのだろうが、現在では、黄金岬といえばその崖の下の岩場の出っ張りをさしているようだ。
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 そこは、観光スポットというほどではないにしても、ある時期、多くの人が集まってくることを想定し、かつそれを期待したと思われる痕跡がいろいろ残されている。痕跡しか残っていないということは、その思惑は失敗したのであろう。
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 海岸の道路脇の狭いスペースには、何軒もの食べ物屋だったらしい建物が閉ざされたままになっており、岬の出っ張りには園地やベンチや岬の名を刻んだモニュメントとか、岩場に降りて歩く遊歩道のようなものまでできている。キャンプ場や海水浴場もあったようだが、今もそれらが機能しているのかどうかは定かでない。
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 食べ物屋は閉じていても、園地を整備して植えたハマナスは花をつける岬の周辺で車を停めて、岬の海岸を歩く人もちらほらとある。
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 丘の上から見下ろすと、黄金岬が海岸の岩場の出っ張りだけではないことが改めて感じられる。20メートルくらいの崖の上は、そこがかつては日和山と呼ばれた見張り所であったという石碑がある。
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 日和山というのは、現在の地図に残る名ばかりではなく、その昔そう呼ばれた丘や小山や岬の上が、あちこちにたくさんあったと思われる。
 海を見渡して、魚群を探知したり、天候や風や浪の様子などを見張る場所としての役割があったが、この場所になぜ「黄金」のような名前がついたのかはわからない。
 あるいは、留萌港が繁栄した頃の名残りなのであろうか。
 初めに留萌に降りた日は雨だったし、時間的にも初山別方面に行くバスに乗る都合があって、この日はとりやめ、黄金岬へは帰りの途中で留萌に戻ったときに行った。
 JR留萌駅前には黄色いタクシーがたくさん停まって客待ちをしているのだが、たまたまその時は黒いタクシーだけがいた。運転手さんに海のふるさと館までと行き先を告げると、俄然反応してきた。
 ちょうど今、佐藤勝の展示をやっている入場無料だから是非寄ってみてください、と言う。この作曲家は留萌の出身なんですが、ご存知でしたか、と続ける。ご存じない。その名前からしてまったく記憶になかった。
 留萌出身の人にはほかに森田公一もいます。ああ、それなら知っている。
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 とにかく熱心なので、岬を眺めるついでだし、そこにあるのだから手間も足もいらない。ちょっと展示室に寄ってみることにした。
 そしたら、佐藤勝という作曲家は、映画音楽の分野で幅広く活躍した人で、黒沢映画の音楽を始め、たくさんの映画音楽をつくってきた人だった。映画の題名は、あれもそうかこれもそうかという有名ドコロが並んでいるが、残念ながらメロディーが思い浮かぶことはない。
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 日本映画の場合、監督やついでにちょっとだけ脚本家の名が知られることはあっても、作曲家が脚光を浴びることはあまりない。木下忠司や林光のような人もいることはいたが、それでもいくつかの曲が思い浮かぶようなことはあまりない。(木下忠司の♪おいら岬の〜の『喜びも悲しみも幾歳月』や、テレビ『水戸黄門』の♪人生楽ありゃ苦もあるさぁ〜のような例外もあるにはあるが…。)
 けれども、外国映画の場合には、その映画のテーマ曲や主題歌がたくさん残されており、そのいくつかはシングルカットされてそれ自体が単独でヒットしたりしている。今やポピューラーのスタンダードになっていて、逆に「なにこれ映画音楽だったの」という人がたくさんいるくらいだ。
 そういえば、もう遠い昔、青春時代の真ん中のでんでんむしも映画音楽に興味を持って、ドーナツ盤のレコードを何枚か買っていたが、それも全部外国映画に限られる。その曲名を並べてみると、あまりにもあまりにも…で、へそまがりの看板に傷がつきそうなので、やめておこう。
 露骨なメディアミックス戦略を押し、映画と歌をセットにし宣伝費をつぎ込んで流行らせようとした角川映画のような例もないことはないが、日本映画も映画音楽をもっと工夫してもよいのかもしれない。佐藤勝のような人に、ほんとうはもっと光があたってもよいのだが、それにしても映画音楽作曲家の展示って、困るよね。結局並んでいるのはビデオやDVDの箱ばかりなのだから…。
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 海のふるさと館というのは、いかにも自治体がブームに乗って建物を建てたのはいいが、その後の運営維持管理に行き詰まって閉めてしまったのか…という見本のようなものだった。
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 ハコモノ行政の失敗を、教訓として忘れないために残してあるといういうわけでもなさそうで、上の階にあるレストランや豪華な展望ラウンジなども、すぐにでも客を迎えられそうな雰囲気だ。つまり、実質的に閉鎖してまだ間がないのだろう。その処分も行く末もこれからなのだろう。結局、崖の下の食べ物屋の建物と崖の上のハコモノも、いずれは取り壊されることになるのだろうか。
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 黄金の岬は、単に黄金の夢を見ただけの岬だったのだろうか。
 あまり時間に余裕もないので、歩いて十字街に出るのはやめて、留萌駅までまたタクシーを呼んだら、やってきたのは来るときと同じ運転手さんだった。見てきましたよ〜佐藤勝。そうですか留萌出身にはね、音楽家ではほかにもあがた森魚とかね、ダン池田なんかもそうなんですよ。へぇーそうなんですか、すごいですね留萌パワー。
 運転手さん、肝心な人を忘れている。この人もすごい人です、宮川 泰。その人にはでんでんむしは二三度ばかり会ったことがある。たまたま転勤族の父親の赴任先留萌で生まれたというだけの縁なので、あまり地元でも意識はないのだろうか。

▼国土地理院 「地理院地図」
43度56分48.18秒 141度37分44.57秒
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番外:増毛=増毛郡増毛町弁天町(北海道)鉄路も連絡船もなくなった街では次にどんな風を待つのか [番外]

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 高速バスを含めると札幌から幌延・豊富という長距離をカバーしている沿岸バスには、これからの西海岸の岬めぐりではずっとお世話にならなければならない。その手始めにまず、留萌=雄冬間の留萌別苅線に乗っている。そのサイトのトップページでは、シンボル・キャラクターらしい萌えっ子イラストとともに、以下のような文言が並んでいる。

鉄路は無くなったけど私たちは元気です。また遊びに来てくださいね。
【お願い】
 全国には、存続が危ぶまれるなか、自社努力や国や都道府県、沿線自治体等からの公的な補助、お客様の温かい支援等をもって維持する公共交通が数多くあります。身近な鉄道や路線バス、船(フェリー)を将来にわたって維持するために、積極的なご利用をお願い申し上げます。
 
 公共交通機関網を、なんとか守るためには、結局みんながたくさんひんぱんに利用するしかない。一度だけやってきて一度だけしか乗らない通りすがりでは、たいしたことにはらないが、沿岸バスで小雨の増毛を二度通過した。
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 テレビCMでもよく見かけるこの二文字。それとはまったく関係のない「増毛」もアイヌ語源で「かもめの多いところ」という意味の「マシュキニ」「マシュケ」が転じたもの、と町のサイトでは言う。
 なぜどのくらいカモメが多いのか。別に野鳥の会のように目視で数えて実態調査をしたわけではなく、ニシン漁が盛んだった頃のイメージからなのであろう。
 1706(宝永3)年に松前藩士が知行したところから、和人の記録に表れるこの地は、それから約50年後に増毛場所ができて、本格的な和人の定着が始まっている。
 ニシン漁のもたらす繁栄を基礎に、幕末には沿岸警備の要衝として、明治期には交通網の整備が急速に進んで、鉄道と港湾とを結ぶ拠点として重きをなした。
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 つい先頃廃線になったばかりの留萌=増毛間の鉄道の名残りは、この岬めぐりの計画を立てる段階では、まだMapionには、堂々と白黒の鉄道軌道の記号線がしっかりと描かれたまま残っていたくらいだった。
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 その線路は、留萌からずっと海岸沿いを走っていたらしいが、波型に凹凸が曲線を描く海岸の、凹の湾岸を辿って港の北寄りに終点の増毛駅があった。線路の陸側は40メートルくらいの小高い丘が北に伸びており、その丘の北と西側に町が広がっている。
 凸の部分の町並みのつくる海岸線も特徴があって、こういう海岸線はなにか八方破れの無防備なような感じがしておもしろい。
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 国道から外れてバスが市街に入って行くと、なにやら歴史を感じさせる建物もある。町では、鉄道がなくなった後、主に往時の繁栄を偲ばせる大正期の町並みを復元させて売り出そうとしているようだと、後で運転手さんが教えてくれた。
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 増毛駅の建物もなくなっているが、それも復元する計画もあるらしい。留萌からのバスには、数人の乗客もいたが、みんなここで降りてしまった。観光目的で来る人も、それなりにあるらしい。こちらはバスから降りないで、通り過ぎるだけだから、たいして書くこともないし、写真もほとんどない。
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 だが、誰もがこの街から連想で思い浮かぶのは、『駅  STATION』ではなかろうか。
 1981年に製作されたこの映画は、個人的にはみんなが絶賛するほどの名作とも思えないのだが、いくつか印象に残るシーンがあって、それで忘れない映画のひとつである。
 円谷選手の手紙のナレーションとか、大晦日の夜居酒屋で紅白の「舟唄」が流れる場面とか、小さな駅の改札口と雪の町の間を出入りする人々とか、駅前の角に建つ食堂の佇まいとか、増毛から雄冬へ向かう連絡船が欠航だと言う場面などが、断片的に記憶に残っている。
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 そのロケに使われた食堂は残っていて、今も角に建ち観光協会が使っているというが、なんか映画の印象とは雰囲気が違う。「風待食堂」という同じ看板も掲げているが、なんだか、すごく違う。
 ナニが違うと感じる要因なのか。もちろん、周囲の建物や、道路などがきれいに新しくなっているのは当然だが、それだけではない。
 写真をネットで探してきて比較してみて気がついたのは、角に電柱があるかないか、その違いだった。
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▼国土地理院 「地理院地図」
43度51分21.35秒 141度31分29.46秒
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1480 カムイエト岬=増毛郡増毛町岩尾(北海道)霧に霞んでいてわずかしか見えない「神の岬」 [岬めぐり]

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 雄冬の北東隣にあった赤岩岬の所在は「増毛町岩老」だったが、その北に続く日方岬・マッカ岬、そしてこのカムイエト岬の所在はいずれも「増毛町岩尾」となっている。岩尾はずいぶん広範囲をカバーしている字地名であるが、おもしろいのは「岩尾温泉」の付近も赤岩岬と同じ「岩老」となっていることだ。岩老にあるのに「岩老温泉」と言わず、「岩尾温泉」と称しているのはなぜなのだろう。
 この付近と狭い海岸沿いの一部だけが「岩老」で、あとはほとんどが「岩尾」。岩尾と岩老。この区分はどうしてできたのだろう。
 例によって、どうでもいいことだが、でんでんむしはこういう一見どうでもいいようなことにこそ興味を惹かれる。おそらくこれも、答えは期待できないのだろうが、知っている人があったら教えてほしいものだ。
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 カムイエト岬の東の出っ張りまでが「岩尾」で、その東はすぐに「別苅」になる。カムイエト岬は、同じ岩尾にあるマッカ岬や日方岬と違って、見える岬のはずである。地図で見ると、いちばんよく見えるのは、国道231号線が、増毛の市街地を抜け、暑寒橋を過ぎて南下していく途中の道からで、少し遠いがそこからならカムイエト岬の全貌も見えるはずだった。
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 ところが、この日は朝からの雨で、岬も遠くに霞んでいてあまりよく見えない。そこで…というより、バスのダイヤにも合わせて、大別苅で下車し、カムイエト岬にできるだけ接近してみようと考えた。
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 大別苅は別苅という大きな集落の西隣にある国道沿いの小さな集落と漁港があるところで、国道のバス停から港に降りて行く。「ベッカリ」も「ペシ=水際の崖」から転じたアイヌ語源らしいが、確かに目の前に大きな崖が見えてくる。
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 だが、その崖は別苅漁港の西にある崖で、その向こうに薄く霞んでいるのがカムイエト岬になる。
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 なにしろ名前からして、「カムイ・エト(神の岬)」だから、よほど荘厳かつ神秘的な岬の風景があるのだろうが、残念ながらこのお天気では、霧に隠れていて、その裾のほうがわずかに伺えるだけだった。ちょっぴり、神秘的ではあるけれども…。
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 港を西へ進み、その防波堤のどん詰まりのところまで寄ってみたものの、そこからではカムイエト岬はまったく見えなかった。
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 また、戻って港への道の途中から眺めるのが、どうやらベストポジションのようだ。
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 その道の脇にも堤防のどん詰まりのところにもあったが、ここに限らずとにかく北海道ではやたらはびこっている植物がある。昔、西日本の道端でもよくあったスカンポのような感じもあるが、もっと背丈が高く巨大で、茎の部分も太く樹木のように頑丈そうだ。
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 どういう名前の植物かよくわからないのだが、なんとなくイタドリの仲間ではないかという類推はできる。イタドリならば、最近は通販の健康食品にも出てくるくらいだから、いくらか有用性もあるのかもしれないが、これは見たところほとんど北海道では「邪魔者」でしかないようだ。葉が青いうちはまだ道路の縁取りくらいにはなるが…。
 地方へ行くと、それぞれ民家の軒先や庭にさまざまな見たこともないような花が咲き乱れていて、そういうのを見るのも楽しいし、なぜかうれしい。
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 別苅漁港に降りて行く道の入口に立っていた看板には、タコの絵が描かれていた。この漁港ではタコが水揚げされるのかと、ちょっと意外な感じがした。イカならばやっぱりそうかと思うところだが、感覚的にタコはやっぱり意外だった。
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 その隣の倉庫のような建物の周囲には、青い網カゴが山のように積み重ねられている。
 これは、北海道に限らず、沿岸の漁港周辺ではよく見かけるもので、形や大きさにも何種類かあるし、色も赤いのも茶色いのもある。
 これらはカゴ網漁という漁法で用いられるもので、中にエサを仕掛けて海底に沈めておき、そこに入ってきたカニやエビなどを捕るものらしい。
 タコならタコツボというのは、一部を除いてだんだん減っているらしく、最近ではタコも四角い網を仕掛けるという。ここに積んであったカゴ網が、タコ用なのかどうかは確認できなかった。なにしろ、尋ねる人もまったく見かけないので…。
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 実際の行動順にいうと、大別苅からまた次のバスに乗って、雄冬まで行き、そこからまた折り返して戻っているのだが、大別苅で降りたのは、神の岬を見るためでもあったが、沿岸バスのバスダイヤを検討した結果の計画だった。
 沿岸バスのダイヤは、このように雄冬へ行くには大別苅で乗り換える必要があると表記されているからだったが…。
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 沿岸バスが、自らが掲げている自社サイトの時刻表の記載とは、実際には異なる運行をしていることに気がついたのは、雄冬から帰るときに乗ったバスの行き先表示が留萌になっていたからだ。
 大別苅で乗り換えなくてもこのまま留萌まで行けるんですね、とバスの運転手さんに確認すると、そうだと言う。「お客さんは、この一つ前のバスで大別苅までこられたんでしょうが、その次の便がこれなんです」
 なんだなんだ。道理で、大別苅では乗り継ぎ乗り換えの雰囲気がまるでないまま来たバスに乗ってしまったが、それも留萌から来たバスで、大別苅発ではなかったわけだ。

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