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1507 サガレ石崎=むつ市脇野沢(青森県)脇野沢港から下北半島陸奥湾岸国道338号線を東へ進むと… [岬めぐり]

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 脇野沢港の岸壁に降り立ち、そこから北東に向かって歩いて行く道は、国道338号線。この道は半島北の大間から西海岸を下り、その南部では海岸から遠く高い山の中を通って、脇野沢でまた海岸まで降りてきた道である。
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 この国道は、陸奥湾岸を東へ進むと、大湊から太平洋側へ出て、陸奥小川原、三沢を経て奥入瀬川付近まで続く。もうひとつの下北半島の主要国道は、野辺地から陸奥湾岸を北上し、むつ市中心部を抜けて太平洋岸の風間浦村を経由して大間の高磯崎まで達している279号線。
 半島の最北端は大間崎だが、そこまでは国道は届いていないのだ。大間崎と大間の街は2.7キロも離れており、338号線も大間崎からではなく、根田内崎の東600メートルにある大間町大間の279号線との交差点から始まっている。
 この下北半島を巻いている二本の国道は、いずれもバスに乗って通ったり、バスを降りて歩いたりしてきたのだが、今回は脇野沢港から同じ脇野沢の小沢集落まで歩いた。この間で、めぐる岬は3つ。
 そのまず最初は、岸壁からは500メートルのところにあるサガレ石崎。
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 ここもどういう命名由来か不明だが、岬の形状からすると、脇野沢の北にある山から東に延びる小さな尾根の先端が、ちょんと海に突き出たところにあたる。その南側では国道338号線が崖下の海岸線沿いに走っている。
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 南では港の防波堤と牛ノ首岬、それの沖合には鯛島が浮かぶ。蟹田からのフェリーらしい姿もある。
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 サガレ石崎で折れ曲がった国道は、北へ向かっては山側を少しえぐるようになっており、その国道と海の間は直線の護岸とテトラポットで仕切られている。おそらくは埋め立てがあったのだろうが、この工事以前は、国道の描くラインがそのまま海岸線であったと想像できる。その想像のうえで、やっとどうにか岬だった姿が浮かび上がってくる。
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 現在の護岸の内側には、水産会社の建物と水槽のようなものが並んでいる。その端の護岸の先がサガレ石崎になるわけで、はなはだ見栄えはしない岬で、この分ではいずれ地理院地図からもその名が消えてしまいそうな心配まで感じさせる。
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 実際に、護岸や築港で消えていった岬は多い。岬の名前が地図から消える基準がなにかあるのかどうかもよくわからないが、岬が岬でなくなるときにはそれもやむを得ない。だが、国土地理院にはできるだけ名前を残す方向で考えてもらいたい。
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 ただでさえ、岬の名前の由来など、ほとんどわからなくなっているのだから、せめてそういう名がついていたという記憶と記録だけでも、どこかに留めておく必要があるのではないだろうか。
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 ここから北東方向には、松ヶ崎があり、殿崎があり、そのまた向こうには大湊の西に屹立する釜臥山とさらに西につながる恐山山地を望む。むつ市中心部から南へは、山はぐっと低くなりつつ、陸奥湾はぐっと南の野辺地湾まで広がる。野辺地湾の西に突き出た大崎には、前に述べたような事情で結局行くことができず、今回の岬めぐりから漏れてしまった。
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 その付近は遠く、ほとんどなにも見えない。野辺地湾の最奥までは40キロあるのだから、陸奥湾も広い。そこから西には、夏泊半島が色濃く突き出てきて八甲田の峰も見える。
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 そんな風景を楽しみながら、なおも国道338号線を東へ進む。

▼国土地理院 「地理院地図」
41度8分52.02秒 140度49分50.34秒
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dendenmushi.gif東北地方(2017/09/05 訪問)

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1506 トドメキ崎=むつ市脇野沢(青森県)10年ちょっと前までは「村」だった脇野沢は半島の南西部でひっそり [岬めぐり]

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 牛ノ首岬を回り込むと、平舘海峡から陸奥湾岸に入る。ここからの岬めぐりの進路は、南ではなく東へと変わる。下北半島の南西側では、佐井村との境界を過ぎて「1500 大崎」の項以来、「むつ市脇野沢」という所在地表記がずっと続いてきた。この先も、むつ市川内町になる殿崎の手前まで、この表記は変わらない。
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 むつ市内では「大字城ヶ沢」とか「大字大湊」とか大字表記の住所はいくつかあるが、脇野沢にだけ「大字」も「町」もつかないのは、この地域がかつては独立した「村」であったからだろうか。
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 西を平舘海峡に南を陸奥湾に面した脇野沢村は、1889(明治22)年に西隣りにあった小沢村と合併したとあるが、それ以前から続く古い村であったのだろう。むつ市の一部になったのは、2005(平成17)年のことで、隣接する川内町、太平洋側の大畑町とともに編入されている。
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 人の暮らしている場所は、九艘泊、芋田、蛸田、寄浪、新井田、瀬野といった海岸に点在し小さいながらそれぞれに港を有する集落と、フェリーとシイラインが発着するターミナル岸壁と脇野沢漁港がある本村を中心とした脇野沢川流域だけにまとまっている。
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 トドメキ崎は、その港の南南西1.4キロのところで、小さくだがこんもりと飛び出た岬で、ニホンザルは牛ノ首岬からこの辺りにかけてまで出没するらしい。
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 江戸時代には幕府へも献上されていたタラをはじめとする海産物が、各集落の生活を支えてきたのだろうが、近年はこれに加えて観光も主要な産業にあげられている。ニホンザルも観光資源のひとつだが、市が力を入れている(?)鯛島上陸コースやイルカウオッチング、それに仏ヶ浦遊覧船の「夢の平成号」は、なんでもふるさと創生資金でできたという。夏中心のシーズンだけの運航だが、仏ヶ浦はお昼前と午後遅目の夕方にかけて、日に2便。果たして、どのくらいの利用者があるのだろうか。
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 観光船でその目の前にあっても、誰も目もトドメることもなく、その存在に胸トドメく?わけでもない。トキメクでもドヨメクでもない、意味がちょっとわからないこの地名は、北海道や秋田、新潟にもあるらしいので、なにかあるには違いないのだが…。
 そう思っていたが、どうやら古語にこの言葉があるようだ。意味は「わいわいがやがやと騒ぐ」というようなことらしい。この岬がどうしてわいわいがやがやなのか、その由来はやはりわからない。
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 トドメキ崎と脇野沢の港の間には、もうひとつ似たような出っ張りがあるが、ここには名前がついていない。愛宕山という公園と神社がある。すると、神社も愛宕神社の末社なのか。その公園の向かい側に脇野沢ユースホステルがある。脇野沢で泊まることになれば、そこくらいしかないのかなと思っていたが、いろいろ検討していくうちに泊まる計画はなくなった。
 脇野沢に着岸したポーラスターから、下船したのはでんでんむし一人だけ。牛滝から乗ってきた往路のときにも見かけたような人たちは、このまま青森港まで帰るようだ。
 脇野沢交通の九艘泊線に乗らなかったわけは、前にも書いたとおりで、行ってもすぐ引き返してこなければならないので、北海岬や貝崎をゆっくり眺めることはできない。だから、船からの眺めで大体用が足りたことにして、その時間を使って、脇野沢からさらに東へ、行けるところまで歩いてみることにした。

▼国土地理院 「地理院地図」
41度8分5.77秒 140度49分3.37秒
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タグ:青森県
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1505 牛ノ首岬2=むつ市脇野沢(青森県)下北半島西海岸の南半分を下ってきてついに最南端部に到達 [岬めぐり]

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 北端の大間崎から、南端の牛ノ首岬までの下北半島西海岸。この間、ごく大雑把にみて55キロに及ぶ海岸線の半分が、道もない断崖絶壁の海岸だった。今回は佐井の下ノ崎から、順に南下しながら岬をめぐってきたが、西海岸はいよいよここで終わりになる。
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 イボ崎を過ぎ、白岩にかかると、牛ノ首岬はもう近い。白岩は岬ではないが地理院地図では斜体表記のあるところで、近くで見ると一面が崖崩れ防止の四角いブロックで網の目状に覆われている。その間に露出している岩も確かに白い。
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 牛ノ首岬の西側には寄浪(きなみ)の集落と漁港があるが、そこから県道は100メートル足らずの小山を迂回して脇野沢に向かっていくので、牛ノ首岬には道はない。東側が崖になっているので、北からずっと続いてきた断崖の趣が小さいながらも残っている。
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 岬の向こう遠くに見えてくるのは、大湊湾に面した半島のくびれ部分の恐山周辺の山々であろう。
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 小さな尾根が、「つ」の字のように飛び出ているが、西から見ると尾根の部分が少し高く盛り上がっている。それが、東側の海から見たところでは、低くて丸っこい台形状の岬になる。岬とその背景の小山の東にある集落は新井田。
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 牛ノ首がどこのなにを示しているのかは定かではないが、「首」または「頸」は岬の形容に通じるものがあるようで、全国各地で同様の命名にはときどき出くわす。
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 牛ノ首岬から南南東850メートルの海中に浮かんでいるのが、鯛島。弁天社があるので、別名弁天島とも呼ばれているらしいこの岩島は、脇野沢港の沖で目立っているので、その灯台を載せたクジラのような形とともに観光客受けするが、こちらは岬のある左舷のほうばかり見ていたので、反対側右舷にあるこの島は写真を撮っていなかった。
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 と言うか、ここを船で通るのも、往路を含めるともう4度目なので…。
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 と言っても、牛ノ首岬の項で、クジラのような鯛島の写真が一枚もないのでは、ちょっとイメージが沸かず格好もつかんだろうというので、前の写真を引っ張りだして改めて紹介しておくことにした。
 そう。この岬については2006年に、

 032 牛ノ首岬=むつ市脇野沢(青森県)岬と鯛島というよりむしろ鯨島というべきかも…の島の間を通るフェリーから

としてこのブログ開始のかなり早い段階で、すでに項目にとりあげていたのだ。しかし、その項目ではお天気の関係もあって岬はいまいちはっきりせず、むしろ鯛島のほうが主役になってしまっていた感があった。したがって、今回は「牛ノ首岬2」として、岬のほうに改めて眼を向けてみた。
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 脇野沢に降りるのも3度目となるが、最初はまだ岬めぐりの方針が固まっていなかったときで、龍飛崎(竜飛岬)や尻屋崎といった有名ドコロをつまみ食いする旅だった。2度目は半島めぐりと銘打ったツアーに参加してのことだった。
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 したがって、全岬をもれなくチェックするという大方針を立ててみると、やたらに落ち漏れが多い。ほとんどやり直し、行き直しが必要になった。
 そこで、2009年には下北半島の東海岸から大間崎を回るコースで岬を拾い、今回2017年で西海岸を回って完結させようと目論んでいる。

▼国土地理院 「地理院地図」
41度7分40.40秒 140度48分39.89秒
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タグ:青森県
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1504 下ノ崎・イボ崎=むつ市脇野沢(青森県)脇野沢交通の九艘泊線のバスに乗れば、ここの道路を通ったのだが… [岬めぐり]

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 北海岬を過ぎて南東を眺めると、浅い湾の奥に引っ込んだ下ノ崎と、フェリーが結ぶ下北半島と津軽半島の間の海峡に向かって飛び出すイボ崎が2ショットで見られ、遠くには鯛島が見えてくる。
 下ノ崎という名の岬は、佐井村福浦港の北の岬と同名で、この下北半島シリーズもそこから始まり、西海岸をずっと南下してきた。その名に意味や由来を求めても詮ないことのようだが、ここむつ市脇野沢の下ノ崎は、脇野沢と九艘泊を結ぶ道路がほんの少し膨らんでいるだけの岬になっている。
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 むりやりこじつければ、ここの場合はすぐ北にある貝崎と北海岬に対して、その「下ノ」岬であるということは言えそうだ。
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 九艘泊の港からは500メートルしか離れていなくて、東に隣接する芋田の集落からは300メートルちょっと北海岬寄りという位置にある。
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 芋田は九艘泊に比べるとずっと小さな集落で、西に向けて開けた入江をもち港がある。おそらく、芋田は九艘泊と一体となって、その補完的な役割を担ってきたのではないかと思われる。
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 もっとも、廻船の基地としての役割を九艘泊が失うのは早かったので、その後はもっぱら漁労を生業としてきた地域のはずである。現在では、この地域の名物はタラ(真鱈)なのだ。また、サルの生息地が人間のそれと近接しているところでもある。
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 下ノ崎から道路を脇野沢方面に南東方向に進むと、1.4キロほど先にはイボ崎がある。ここも下ノ崎と同様、道路が少し膨らんでいるだけの岬で、東へ800メートルも行けば、蛸田野集落がある。ただ、こちらのほうが下ノ崎のように控えめに内湾奥に引っ込んではいなくて、牛ノ首岬と並んで海峡に張り出している。
 イボ崎は50メートルを超える断崖も目立っているが、その名はどこからきたのだろう。アイヌ関連でなければ、誰でもが知っているあの「イボ」以外に思いつかないのだが…。
 やっぱりあった。イボ。
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 断崖の上で、少し青みがかった露頭(むきだしになった岩の出っ張り)がある。そのイボはひとつではなく、二つに見えたり四つに見えたりしている。
 ちょうど、イボの下の道路を走って通り過ぎている大型のダンプカーと比較してみれば、そのイボもかなり大きなものだとわかる。
 ダンプカーが走る県道175号線は、脇野沢と九艘泊を結んでいる海岸の道だが、ここをバスも走っている。
 有限会社脇野沢交通が運行する九艘泊線は、廃止代替路線である。元は今は脇野沢までとなっているJRバス東北のバスが、九艘泊まで乗り入れていたが、それが廃止になった。そこでむつ市は脇野沢交通に委託して、路線をなんとか維持しようとしている。
 日に3便しかないので、なかなか外来者には使いづらいが、ポーラスターが脇野沢に着いたら、このバスで九艘泊まで行くことも、当初の計画にはあった。脇野沢から出るむつ市大湊方面に行くバスの時刻が夕方までないので、その間にこれで往復してくることも可能だった。
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 結局、そのバスに乗らなかったのは、ひとつにはせっかく九艘泊まで行ったとしても、そこでうろうろする時間がまったくないからだ。バスは九艘泊に着くとすぐに折り返して脇野沢に帰ってくる。これでは北海岬を間近でゆっくり眺めることもできないし、この線にわざわざ乗る意味があまりない。下ノ崎もイボ崎も、バスで通ればまた別の視点もあったかもしれないが、だいたいは船からの眺めで用が足りたからだ。
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 それよりも、次の大湊方面のバスの時刻まで、歩きながら次の岬を求めていったほうがよいのではないか。そういう判断に傾いた。イボ崎の東にはこれまた急な白岩と名付けられた崖が見え、その向こうに牛ノ首岬が現われてくる。
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▼国土地理院 「地理院地図」
41度8分20.20秒 140度46分34.67秒 41度7分53.44秒 140度47分0.47秒
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タグ:青森県
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1503 北海岬=むつ市脇野沢(青森県)その名の雄大さに比しては小ぶりにまとまった岬は九艘泊の集落と港を守ってきた [岬めぐり]

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 その名はなかなか景の大きな、なんとなく雄大なイメージがありそうだが、実際の北海岬はさほどではない。貝崎よりは幅が広く、大きく飛び出していて、先端部には岩峰というより岩の塔のようなものがある。北から下ってくる船の上からは、貝崎の端にまずそれが見え始めてくる。
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 岬をぐるりと遊歩道が巻いており、先端から400メートルのところには九艘泊の港と集落があるので、人里離れた場所に孤立しているわけでもない。岬をつくっている尾根の高さは50メートルほどしかない。
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 そんな北海岬だからか、それに関する情報もほとんどなくて、どういうわけか神威岬や積丹半島がすぐに出てきたりする。その薄い検索項目のひとつに、でんでんむしブログから、

   635 北海岬ほか=むつ市脇野沢(青森県)津軽半島と下北半島の間で…平館から脇野沢の岬を

が拾われて出てきてしまう。この項目は対岸の津軽半島の平舘から下北を眺めた遠望に過ぎないもので、備忘的に入れた項目だった。おそらく、北海岬で検索して、それをご覧になった方々には不満があったことだろう。ここで、その埋め合わせをしておかなければならない。
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 北海岬の尾根を北へ辿ると、東北自然歩道の山道があり、ふたつの峰をもつ標高300メートルのガンケ山に至る。ガンケ山付近は林道も通っていて、これを下ると九艘泊川に沿って九艘泊の集落に降りてくる。
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 九艘泊(くそうどまり)という名からは、九艘もの船が停泊したという風景がすぐに想像できる。実際、義経伝説つながりでそういう話も伝わっているようだが、それは後世のこじつけだろう。また、由来の一説にはここを通る船のうち十艘中九艘は停泊するから、というのもあるという。下北半島南部ではいちばん奥の港であるから、そういう避難港的な意味合いもあったのかもしれないが、この北海岬東のそう大きくない入江に港が開けたのは、かなり古くからのことらしい。
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 江戸時代の初め頃に、南部盛岡藩が開いた田名部五ヶ湊のひとつとして、廻船が集い重きをなしたというのだ。だが、その繁栄はそう長続きはしなかったようで、その後はその役回りを脇野沢にとって代わられてしまう。
 後背地が開けた脇野沢と山間の九艘泊の地形を比較してみると、それは自然の成り行きでもあったとも言えるのだろう。
 では、なぜ最初から脇野沢ではなく、九艘泊からだったのだろうか。そういう別の疑問も湧いてくる。それも地形から想像できるところは、自然の入江を備えた九艘泊のほうが船溜まりとして使いやすかったが、脇野沢のほうは築港までに多少の手間を要した…そんな事情も考えられる。
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 前項では、貝崎まで32キロの間、海岸線を辿る道がなかった、と書いていたが、集落も牛滝以来20キロぶりとなるのがこの九艘泊なのだ。商業港としての役目が失われた後は、もっぱら漁村として存在してきた集落とその港を、強い北風から守ってきたのが北海岬であった。
 この名は北海道にあるのがふさわしくも思えるが、北海道には同名の岬はない。ここだけである。
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 すると、検索で出てくる「冠二郎の北海岬」というのも、ここの岬を歌っていることになるが、あまりヒットしなかったのか、あの歌かという記憶はない。そう、北海岬は検索でも歌でもあまりヒットしない岬なのか。
 実在の岬名を題名にした歌は、結構あるようなのだが調べたことはない。実は、調べようとして結局やらなかったのは、すぐ行き詰まってしまいそうだから…。
 だってね、まず♪北の街ではもう悲しみを暖炉で…の襟裳岬でしょ、それに♪北の岬に咲く浜茄子の…の立待岬、♪聞こえるはずない汽笛を聞いて…の越前岬でしょ、それから♪流氷溶けて春風吹いて…の宗谷岬…。そのほかにも、ご当地ソングばやりのご時世、神威岬・納沙布岬から辺戸岬・残波岬まで、日本全国いろいろあるにはあるらしいが、どれもほとんど聞いたことがない歌ばかりなのだ。それらを集めてみても、どうってことはないと思ったわけですがね。

▼国土地理院 「地理院地図」
41度8分27.41秒 140度46分9.84秒
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1502 貝崎=むつ市脇野沢(青森県)32キロぶりに復活した下北西海岸の道は遊歩道だった [岬めぐり]

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 しばらく崖の中の岬が続いてきたが、平舘海峡も貝崎まで南下してくると、やっと普通の岬っぽくなってくる。穴間山の西の端で南に延びる細い尾根の先っちょが貝崎で、その東側は貝崎沢という谷が切れ込んでいる。貝崎の先端では、低くなってき尾根が岩礁になって海に落ちる。出っ張り自体はさほど大きくないので、うっかりすると知らずに通り過ぎてしまいそうだ。
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 それに加えて、そのさらに南500メートルのところにある北海岬と、どうかするとくっついてしまいそうで、とくに北側から眺めると、見えるのは北海岬ばかりで、貝崎はその横にくっついて見える。
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 そんなわけだから、ここは貝崎と北海岬を一項目にまとめたほうがいいのかなとも考えたが、やはり別項目にすることにしよう。
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 そうした理由は、下北半島西海岸を下ってくるなかで、佐井からずっとしばらくなかった海岸線の道が、この貝崎から復活するからだ。佐井の磯谷集落まではなんとか続いていた海岸線の道は、そこからこの貝崎まで南北32キロ(ごく大雑把な凸凹を含む)に渡って、まったく途絶していた。
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 復活した破線の道は、貝崎の先端にあるわけではないが、水はなさそうな貝崎沢の奥まで伸びていて、沢の入口にあたる小さな入江の海岸近くには、地図にもある数棟の建物も見えている。
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 ここが九艘泊西の外れの集落なのかと思っていたが、どうやらそれは違うらしい。
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 地図の道は貝崎から海岸沿いに南下して、北海岬をぐるりと回りこんで九艘泊集落に達しているが、その間ずっと破線のままである。つまり、この道は自動車は通ることができないのだろう。海岸の遊歩道のようなものなのだろうが、それではこの水もなさそうな貝崎の沢では生活はできないだろうから、集落の外れではない。
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 では、ここの建物はなんなのか。気になったので調べてみると、例によって貝崎という岬の情報はまったくと言っていいほどないが、「貝崎園地」という情報が数件あった。
 その中の、移住・交流推進グループ・青森県企画政策部地域活力振興課という長ったらしい名前の「あおもり暮らし」サイトのあるページには、次のような記述があった。
 
 貝崎園地  観光情報 概要
脇野沢港から西へ車で約15分。車道が終わり、海岸沿いの遊歩道を行くと貝崎園地があります。
北海岬展望台や海峡展望台からは陸奥湾、津軽海峡が一望できます。
ときおりカモシカやサルも顔を出すこともある、大自然の公園です。
炊事場やトイレを完備したキャンプ場、バンガローもあります。
 
 同じサイトでは「夏季はヤマセによる影響にて冷涼、冬季には降雪が多く150cm近く積もる」という青森県でも、移住促進をはかっているらしい。寒い北国にもそれなりの良さが充分にあるのだろうから、移住のメリットを求めてくる人もあるのだろう。だが、人一倍寒がり屋のでんでんむしにはムリだな。
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 なるほど、見えていた建物は短い夏のためのキャンプ場の施設だったのだ。それで納得。
 しかし、数少ない中の別の情報に、2014年に公開されたYouTubeの「貝崎園地キャンプ場跡」という投稿動画もあった。それは、荒れ果てた廃墟動画で…。遊歩道も、何箇所も割れ落ちり大きな石が塞いだままになっていた。
 ということは、ほんの数年前までは一度は廃棄された状態になっていたものを再び改修して復活させた、ということになる。となると、復活のドラマもおもしろそうで興味をひかれるのにね。
 (と、書いていちおう締めくくってはみたのだが、どうもこの貝崎園地、現在本当に復活しているのかどうか、だんだん怪しいようにも思えてきた。ひょっとしたら、逆に県のサイトのほうが情報の更新がされず、古いままなのかも?…と。)

▼国土地理院 「地理院地図」
41度8分39.92秒 140度45分56.43秒
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タグ:青森県
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1501 アモ十太岬=むつ市脇野沢(青森県)名前からするとなにやら曰くありげなのになんにも情報がないので [岬めぐり]

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 「断層海岸」については、「1499 焼山崎」の項以来ずっとしつこく追いかけてきたのだが、その用語の使い方に偏りがある原因は、どうやらひとつの学説としてはあるものの、定説として学会に定着していなからではないのだろうか。(ただ、断層の存在自体は一部最新の探査技術を使った調査の結果でも、明らかにはなっているらしいし…。)
 大間原発にからむ地質調査などの結果が、断片的にネットで検索でき、それをシロウト目線で拾い読みしてみると、そんな印象も受ける。
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 こういった事例は結構多くて、ある学者の著書に書いてあって、へーそうなのかと感心していると、ほかの学者はまったくそれを評価していない。学説が定説になり一般人の常識になるには、何万年単位の地質年代ほどではないにしても、相当の時間が必要なのだろう。
 これまで、下北ジオパークの説明に書かれている「断層海岸とも呼ばれ」「断層海岸といわれる」というほかではあまり使われていない表現の背景を、僭越は承知でシロウトがいろいろ勘ぐってみたが、果たしてどの程度あたっているのだろうか。もし、まるっきりの間違い見当違いというのであれば、情報提示のしかたにも問題があるということになろう。
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 専門家の提供する情報が、一般人の知りたいこと、普通のシロウトにも理解できるような状況にないことは、この分野に限らずどこでも共通してある。そんなことは専門家や研究者の仕事ではない、という主張も一部あるのかもしれないが、それは考え違いだろう。ジオパークそのものの趣旨がそうであるように、一般への知識の普及活動は、専門家や研究者の重要な仕事、義務と言ってもいいことのひとつではないのか。
 常々そんなことを思っているでんでんむしは、ジオパークについてもその想いをところどころで書いてきた。

 番外:地層切断面=大島町野増(東京都)ジオパークは日本列島の断面をどう切り取って魅せることができるか

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 とはいえ、何百万年何千万年前になにがどうしたか、そんなことが簡単にわかるわけもないし、言えるわけもない。この分野のむずかしいことは、充分に理解できるが、それでもこれまでに多くの専門家研究者のおかげで、いろんなことがだんだんにわかってきている。その一部でいいから、あるいは基本のところだけでも、普通の人々の関心にフィットするように伝えることはできるはずなのだが…。
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 仏ヶ浦・新山崎・焼山崎・大崎と続いてきた断層海岸と海蝕崖は、まだまだ南へつながっていく。大崎の南1キロちょっとのところには、面木(おもぎ)という表記のある崖が続き、その上では山が切れて鞍部になっている。そこまで脇野沢に通じる面木沢に沿って林道があり、破線の山道が鞍部を越えて崖を降りている。
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 面木からまた1キロ南には、青石という表記が付けられた崖がある。また、材木岩とか穴間というのもあって、そこにも林道が延びてきている。300メートルの穴間山の南西がアモ十太岬と名付けられた50メートルの断崖で、この辺りまでくると等高線の間隔も少し広がって、崖の傾斜はゆるやかになってくる。
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 アモ十太岬というのも、なにやら曰くありげな名前なのだが、それについての情報はまるで得られない。アモ十太岬で出てくるのはただ地名を並べただけの場所取りサイトと、わずかな釣行記録のみである。脇野沢付近ではいわゆる遊漁船や渡船はないので、ここまでやってくる釣り人は、漁師さんに頼んで漁船を出してもらう、とあった。
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 見た目よりはアモ十太岬付近の足場はいいようだが、それにしてもよくこんなところまでと、日本中どこへ行っても、釣り人のあくなき執念には毎度感心させられる。けれども、アモ十太岬まで船を出してもらってやってくる釣り人も、そこらの岩や崖がなんでどうしてできたのか、そんなことには興味がないのだろうか。おそらくないのだろう。一般人の興味と言っても、それを平準化するのもむずかしい。
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 アモ十太岬から南へは、屏風岩を挟んで遠くに貝崎が見えてくる。この岬を回り込むと、もう脇野沢港も近い。
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▼国土地理院 「地理院地図」
41度9分38.03秒 140度46分2.31秒
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1500 大崎=むつ市脇野沢(青森県)「断層海岸」と言われるマサカリの刃はこうして研がれていったのか [岬めぐり]

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 大崎という名のつく岬は、黒崎についで二番目に多い。どれもその付近では最も存在感を発揮しているような岬に、この名はつけられることが多いようだが、ここの大崎もそうで、まぎれもない大崎である。
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 見た目はそんなに大きく飛び出しているという感じでもないのだが、やはり地図で検証してみると、大崎と呼ぶにふさわしい。
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 国道からは2.6キロ離れているだけだが、佐井村とむつ市の境界線がある武士泊から穴間の凹みまで、大崎を頂点とする5.6キロもの長い折れ線(細長い三角形の二辺)が引ける。それがほぼ丸々大崎の出っ張りだとも言える。
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 したがって、福浦崎から南の海岸線ではどこからでも、いとばん遠くの端に見えていたのがこの大崎なのだ。
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 ほんのりと丸く膨らんだ大崎から、対岸の平舘灯台までは10.5キロで、ここが下北半島と津軽半島の間の平舘海峡がいちばん狭くなっているところ。
 大崎の上の山は300メートルと、そんなに高い山ではない。しかし、その山頂の下標高200メートルの地点から大崎の先端までは垂直の幅で180メートルしかない。180メートルの幅の距離で200メートルもの落差がある。つまり等高線が、ぐっと狭く詰まっているわけで、それは急傾斜であることを示している。そして、おそらくはその断崖は海の中まで続いていることだろう。
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 これが、下北ジオパークその他青森県関係のサイトでも繰り返し強調している「急峻な断崖」そのものなのだ。
 似たような状況の断崖は、新山崎でも焼山崎でも同様にあったが、落差の激しさ(急傾斜度)では、大崎がいちばん。
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 この断崖が、下北ジオパークが「断層海岸といわれる」という断層でできた海岸とすると、その断層はいつ頃に起きたものだろうか。まず想像できるのは、グリーンタフ変動の時期(約2,300万年前から約500万年前までくらいの中新世)だが、それと同時期と考えていいのだろうか。いやいや、それは岩石が形成された時期なので、その頃から日本列島の形ができていたとは考えられない。したがって、現在の地形に近い形をつくり始めたのは、もっとずっと新しい時代の地殻変動による断層なのだろう。
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 海蝕崖というのは、崖または山ができたその後で、長い時間の間にそれが海に削られて崩れてできた急傾斜の崖ということになるはずなので、この両者の間にはかなり大きな時間的なズレが生じることになる。
 つまり、「断層海岸」と「海食崖」は、その断層と海食のそれぞれ作用した時期が大きくずれているはずで、強いて言えばまったく別の時期の別の状況を示していると思われるが…そういう解釈でいいのだろうか。
 そうだとすると、新山崎から南に向かって連なる焼山崎そして大崎の3つの岬の崖は、断層でできた海岸が、さらに海食によって削り取られて急峻な崖をうんだ、そういうことになる。
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 地図で大崎の表記がある東には300メートルのピークがあるが、ここを東西の断面でみると「ヘ」の字型になっている。西側は急な崖だが、海岸に近いピークから東へは、谷がゆるやかな傾斜をつくる面木沢から、脇野沢川の上流に合流し南に下っている。
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 大崎の崖は、深い大きな山の端にあるのではなく、海岸だけで盛り上がって急に落ち込んだようになっているわけだ。このことからみても、この崖が大きな地盤の変動によって生じた断層で生じた、マサカリの刃は断層によって研ぎすまされたという想像はできる。
 さらにシロウトの想像を膨らませれば、屏風を立てたような崖と山は、南の八甲田山や岩手山とつながる奥羽脊梁山脈の一部だったのだろう。
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 大崎の北にある焼山崎(前項)については、アイヌ語源関連もあった。いつもの「落合道人」ブログのコメント欄では、次のような指摘もいただいた。
北海道にも多い地名ですが、アイヌ語でya・ke(ヤケ)は削られた岸辺=断崖絶壁の意味になりますね。by ChinchikoPapa (2017-11-05 12:08)
 なるほどそうでした。そうすると、アイヌの命名者も、特異な岩肌の色については完全スルーしていることになるので、ナゾはいっそう深まる。

▼国土地理院 「地理院地図」
41度11分40.36秒 140度45分53.27秒
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1499 焼山崎=下北郡佐井村大字長後(青森県)ここの岬はなぜ「焼け」たのか誰も教えてくれないのも不思議ですが… [岬めぐり]

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 下北半島のサルとその生息地が、なぜ「∴ 」つきで特筆されるのかといえば、それは世界的にみてもヒトを除く霊長類ではここのニホンザルが最も北に生息しており、その場所としてはこの下北が世界でいちばん北に位置しているからだ。
 彼らは山の中に孤立しているわけではなく、生息地の南部、脇野沢に近いところではしばしば人間の世界に降りてきて農作物を荒らすなどの食害も起こっていて、保護と対策が問題になったりしている。
 山の中では、自然林の伐採などによって広葉樹林帯が縮小され、食料確保がむずかしくなるという事情もあったのだろう。そのため、下北のサルは道路もなく人もいない海岸に降りてきて、海藻貝類など海性の食料をじっくり調達するという芸当も身につけた。ポーラスターから海岸を眺めていても、サルらしい姿は発見できなかったが、これも世界的にめずらしく、ここだけでみられる現象だという。
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 地理院地図では、焼山崎のすぐそばに記された「∴ 下北半島のサル…」表記から大荒川を越えて少し東にずれた山のところにも、もうひとつ別の「∴ 」がある。それは「縫道石の特殊植物群落」というもの。世の中には、普通には知らない知らずにすんでいることがいっぱいあるものだ。これはいったいなんだろう。
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 縫道石山(ぬいどういしやま)というのは、仏ヶ浦の東3.6キロのところにある標高526メートルの岩峰ドームの山で、その岩に生えているオオウラヒダイワタケの群生が天然記念物に指定されており、それの群生が縫道石山から離れた焼山崎の東(縫道石)にもあるらしい。なんでも、その地衣類は氷河期をも生き残ったものなのだという。そしてまた、世界では北米東部のアパラチア山脈と日本にしかないのだという。そうきけば、それもまたありがたく思えてくる。
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 ポーラスターの船内放送で観光ガイドが流れるのはたまにしかないようだが、それによると焼山崎はこの海岸で屈指の見どころだという。確かに、赤茶けた岩肌が広く大きく露出しているのは、なかなかない景観であろう。
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 焼山という火山性の山の名もあちこちにあるが、ここは日本列島形成時のことはさておけば、その後の火山噴火によるものではないようなので、「焼山」ではなく、「焼けた」山崎なのだろう。また、焼山崎という名の岬もいくつかある(下北半島の太平洋側にもひとつある)が、それらの多くは、なぜ「焼」なのかよくわからないところも多い。
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 ここは一目見ただけで「焼」のつく意味がよくわかるが、不思議なことにどうしてこの海岸の岩肌が、こんな色になっているのか知りたいと思って調べようとしても、なかなかまともに答えてくれる情報が見当たらない。
 下北ジオパークのサイトを見ても、「下北の南西部海岸は断層海岸とも呼ばれ、落差100mを越える断崖が連続しており、新山崎、焼山崎等では落差300~500mの急峻な断崖」と断崖は強調されているが、なぜこのような岩肌なのかの説明はない。その下北ジオパーク推進協議会の焼山崎ジオサイトの説明は、こう言う。

 断層海岸といわれる西海岸は、落差100mを越える断崖が連続しており、新山崎、焼山崎等では落差300~500mの急峻な断崖となっています。断崖を形成している岩体の下部は前期~中期中新統金八沢層の玄武岩、上部は中期中新統檜川層の流紋岩質凝灰岩より構成されます。赤褐色に変色した岩肌が特徴的で津軽海峡を横断するフェリーからも確認できます。


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 これまた岩肌には触れながらも、その理由や原因は無視している。ジオパークやジオサイトの説明が、「かっかそうよう(隔靴掻痒)」であるということについては、前にも佐渡ヶ島かどこかで書いた記憶があるが、せっかくみんなに広く興味を持ってもらいたいというその趣旨には充分に届いていなくて、まだまだ工夫も努力も足りない。
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 もうひとつそこで気になったのが、「断層海岸」という用語で、あまり聞き慣れないないなあと調べてみようとすると、確かにそういう用語はあるらしくネット辞書の用語解説はぞろぞろ出てくる。要するに断層でできた海岸という文字通りなのだが、しかし、それについて記述した情報は、ほとんどといっていいほどない。この用語を使っているのは、下北ジオパークくらいしか出てこないのだ。それもまた不思議というかおもしろいなあと…。
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 では、国土地理院はどう言っているのだろう。
 「日本の典型的地形に関する調査」の結果をまとめた、地形を成因別に 194 の地形項目に分け、それぞれの代表的な地形項目を示している国土地理院のサイトがある。それによると、「海の作用による地形」のうち「海食崖(波食崖ともいう。海に面した山地や台地の前面で主に波食作用によってできた崖)」に該当する青森県の地形として、仏ヶ浦と焼山崎をあげているが、断層海岸という用語はどこにもない。
 焼山崎の岩肌が赤茶けているのは、どうやら、玄武岩に含まれている鉄分が風化によって変化したから、ということらしいのだが…。それで合っていますかね。
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▼国土地理院 「地理院地図」
41度15分11.99秒 140度46分49.47秒
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1498 新山崎=下北郡佐井村大字長後(青森県)国道338号線は海岸から遠く離れていくので… [岬めぐり]

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 仏ヶ浦観光の遊覧船の拠点である牛滝港を出た船から南の海岸を見ると、3つの比較的大きな岬が並んでいるのがわかる。手前から(北から)、新山崎・焼山崎・大崎の順になる。
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 牛滝からいちばん遠くに見えている大崎までは、約11.5キロある。いちばん手前の新山崎までは2.3キロ、そこから次の大崎までは2.5キロと、ほぼ等間隔に並んでいる。
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 新山崎の名は、「新」しい「山崎」という意味ではなく、「新山」という山から伸びてきた尾根の「崎」を示している。482メートルだからそんなに高山というわけではないが、小荒川という谷筋で区切られて新山から北に延びる尾根が海に落ちるところの西の張り出しに、その名がついている。
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 先端部は何本かの突き出た岩が、複雑なでこぼこをつくっている。このように、この付近の海岸は岩が連なる崖で覆われ、水流のある谷筋で切れ目ができる以外は、ずっと同じような海岸線が続いている。
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 道はない。徒歩で歩けるような山道すらどこにもない。崖の下はすぐに海となっている。道を探し求めるなら、新山崎から東に4キロ以上も山の中に登って入って行かなければならない。そこには下北半島の東沿岸を走る国道338号線が通っているのだが、佐井村とむつ市の境界線も走るその付近は、標高250メートルもある。
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 大間町からつながってきた338号線は、大間の原発建設工事中のところで内陸に迂回する以外は、佐井村の磯谷集落まで18キロほどは、ほぼ海岸線に近いところを通っている。山に上った仏ヶ浦付近でも、道路脇の展望台から海岸が見降ろせるくらい近かった国道は、牛滝ではいったん牛滝川と並行して走るほど下まで降りてきて、そこからまた南東に向かって山の中に入っている。
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 牛滝以南には人家も集落もなく、高くはないが深い山が続くこの新山崎・焼山崎・大崎という3つの岬の山側は、なべてこのように道も海岸から遠く離れた山の中で、人の世界からは遠くなっている。
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 少し前の地理院地図では、下北半島のこの一帯が野生のサル生息の北限という表示が大きく目立っていたが、最近の地図では拡大してやっと小さくその文字が出てくる。曰く「∴ 下北半島のサルおよびサル生息北限地」。その意味は、天然記念物に指定(1970(昭和45)年)されたということであろう。
 専門家のおっしゃることに間違いはないのだろうが、よく考えてみるとこの表現はいささか要領を得ない。つまり「および」という並列表現がついているので、この「∴ 」はふたつのことを指しているらしい。ひとつは「下北半島のサル」であり、いまひとつは「サル生息北限地」ということになる。わざわざ別々にする意味が、よくわからないのだが…。ま、なにか理由があるのだろう。
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 その表記は、新山の南、焼山崎のところと、佐井村の南端付近に当たる湯ノ沢山のところと、むつ市に入って東北自然歩道の通る穴間山のあたりの3か所につけられている。これによると、「北限地」とは新山付近くらいとなりそうだが、佐井村よりさらに北の大間町の山でもサルは確認されているという情報もあるらしいので、あまり厳密に考える必要はないのだろう。
 いよいよこの新山崎から南にかけては、人間の世界ではなく名実ともにおサルさんの世界になっていくのか。
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▼国土地理院 「地理院地図」
41度19分19.93秒 140度47分59.10秒
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