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1505 牛ノ首岬2=むつ市脇野沢(青森県)下北半島西海岸の南半分を下ってきてついに最南端部に到達 [岬めぐり]

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 北端の大間崎から、南端の牛ノ首岬までの下北半島西海岸。この間、ごく大雑把にみて55キロに及ぶ海岸線の半分が、道もない断崖絶壁の海岸だった。今回は佐井の下ノ崎から、順に南下しながら岬をめぐってきたが、西海岸はいよいよここで終わりになる。
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 イボ崎を過ぎ、白岩にかかると、牛ノ首岬はもう近い。白岩は岬ではないが地理院地図では斜体表記のあるところで、近くで見ると一面が崖崩れ防止の四角いブロックで網の目状に覆われている。その間に露出している岩も確かに白い。
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 牛ノ首岬の西側には寄浪(きなみ)の集落と漁港があるが、そこから県道は100メートル足らずの小山を迂回して脇野沢に向かっていくので、牛ノ首岬には道はない。東側が崖になっているので、北からずっと続いてきた断崖の趣が小さいながらも残っている。
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 岬の向こう遠くに見えてくるのは、大湊湾に面した半島のくびれ部分の恐山周辺の山々であろう。
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 小さな尾根が、「つ」の字のように飛び出ているが、西から見ると尾根の部分が少し高く盛り上がっている。それが、東側の海から見たところでは、低くて丸っこい台形状の岬になる。岬とその背景の小山の東にある集落は新井田。
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 牛ノ首がどこのなにを示しているのかは定かではないが、「首」または「頸」は岬の形容に通じるものがあるようで、全国各地で同様の命名にはときどき出くわす。
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 牛ノ首岬から南南東850メートルの海中に浮かんでいるのが、鯛島。弁天社があるので、別名弁天島とも呼ばれているらしいこの岩島は、脇野沢港の沖で目立っているので、その灯台を載せたクジラのような形とともに観光客受けするが、こちらは岬のある左舷のほうばかり見ていたので、反対側右舷にあるこの島は写真を撮っていなかった。
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 と言うか、ここを船で通るのも、往路を含めるともう4度目なので…。
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 と言っても、牛ノ首岬の項で、クジラのような鯛島の写真が一枚もないのでは、ちょっとイメージが沸かず格好もつかんだろうというので、前の写真を引っ張りだして改めて紹介しておくことにした。
 そう。この岬については2006年に、

 032 牛ノ首岬=むつ市脇野沢(青森県)岬と鯛島というよりむしろ鯨島というべきかも…の島の間を通るフェリーから

としてこのブログ開始のかなり早い段階で、すでに項目にとりあげていたのだ。しかし、その項目ではお天気の関係もあって岬はいまいちはっきりせず、むしろ鯛島のほうが主役になってしまっていた感があった。したがって、今回は「牛ノ首岬2」として、岬のほうに改めて眼を向けてみた。
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 脇野沢に降りるのも3度目となるが、最初はまだ岬めぐりの方針が固まっていなかったときで、龍飛崎(竜飛岬)や尻屋崎といった有名ドコロをつまみ食いする旅だった。2度目は半島めぐりと銘打ったツアーに参加してのことだった。
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 したがって、全岬をもれなくチェックするという大方針を立ててみると、やたらに落ち漏れが多い。ほとんどやり直し、行き直しが必要になった。
 そこで、2009年には下北半島の東海岸から大間崎を回るコースで岬を拾い、今回2017年で西海岸を回って完結させようと目論んでいる。

▼国土地理院 「地理院地図」
41度7分40.40秒 140度48分39.89秒
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タグ:青森県
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1504 下ノ崎・イボ崎=むつ市脇野沢(青森県)脇野沢交通の九艘泊線のバスに乗れば、ここの道路を通ったのだが… [岬めぐり]

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 北海岬を過ぎて南東を眺めると、浅い湾の奥に引っ込んだ下ノ崎と、フェリーが結ぶ下北半島と津軽半島の間の海峡に向かって飛び出すイボ崎が2ショットで見られ、遠くには鯛島が見えてくる。
 下ノ崎という名の岬は、佐井村福浦港の北の岬と同名で、この下北半島シリーズもそこから始まり、西海岸をずっと南下してきた。その名に意味や由来を求めても詮ないことのようだが、ここむつ市脇野沢の下ノ崎は、脇野沢と九艘泊を結ぶ道路がほんの少し膨らんでいるだけの岬になっている。
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 むりやりこじつければ、ここの場合はすぐ北にある貝崎と北海岬に対して、その「下ノ」岬であるということは言えそうだ。
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 九艘泊の港からは500メートルしか離れていなくて、東に隣接する芋田の集落からは300メートルちょっと北海岬寄りという位置にある。
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 芋田は九艘泊に比べるとずっと小さな集落で、西に向けて開けた入江をもち港がある。おそらく、芋田は九艘泊と一体となって、その補完的な役割を担ってきたのではないかと思われる。
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 もっとも、廻船の基地としての役割を九艘泊が失うのは早かったので、その後はもっぱら漁労を生業としてきた地域のはずである。現在では、この地域の名物はタラ(真鱈)なのだ。また、サルの生息地が人間のそれと近接しているところでもある。
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 下ノ崎から道路を脇野沢方面に南東方向に進むと、1.4キロほど先にはイボ崎がある。ここも下ノ崎と同様、道路が少し膨らんでいるだけの岬で、東へ800メートルも行けば、蛸田野集落がある。ただ、こちらのほうが下ノ崎のように控えめに内湾奥に引っ込んではいなくて、牛ノ首岬と並んで海峡に張り出している。
 イボ崎は50メートルを超える断崖も目立っているが、その名はどこからきたのだろう。アイヌ関連でなければ、誰でもが知っているあの「イボ」以外に思いつかないのだが…。
 やっぱりあった。イボ。
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 断崖の上で、少し青みがかった露頭(むきだしになった岩の出っ張り)がある。そのイボはひとつではなく、二つに見えたり四つに見えたりしている。
 ちょうど、イボの下の道路を走って通り過ぎている大型のダンプカーと比較してみれば、そのイボもかなり大きなものだとわかる。
 ダンプカーが走る県道175号線は、脇野沢と九艘泊を結んでいる海岸の道だが、ここをバスも走っている。
 有限会社脇野沢交通が運行する九艘泊線は、廃止代替路線である。元は今は脇野沢までとなっているJRバス東北のバスが、九艘泊まで乗り入れていたが、それが廃止になった。そこでむつ市は脇野沢交通に委託して、路線をなんとか維持しようとしている。
 日に3便しかないので、なかなか外来者には使いづらいが、ポーラスターが脇野沢に着いたら、このバスで九艘泊まで行くことも、当初の計画にはあった。脇野沢から出るむつ市大湊方面に行くバスの時刻が夕方までないので、その間にこれで往復してくることも可能だった。
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 結局、そのバスに乗らなかったのは、ひとつにはせっかく九艘泊まで行ったとしても、そこでうろうろする時間がまったくないからだ。バスは九艘泊に着くとすぐに折り返して脇野沢に帰ってくる。これでは北海岬を間近でゆっくり眺めることもできないし、この線にわざわざ乗る意味があまりない。下ノ崎もイボ崎も、バスで通ればまた別の視点もあったかもしれないが、だいたいは船からの眺めで用が足りたからだ。
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 それよりも、次の大湊方面のバスの時刻まで、歩きながら次の岬を求めていったほうがよいのではないか。そういう判断に傾いた。イボ崎の東にはこれまた急な白岩と名付けられた崖が見え、その向こうに牛ノ首岬が現われてくる。
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▼国土地理院 「地理院地図」
41度8分20.20秒 140度46分34.67秒 41度7分53.44秒 140度47分0.47秒
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タグ:青森県
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1503 北海岬=むつ市脇野沢(青森県)その名の雄大さに比しては小ぶりにまとまった岬は九艘泊の集落と港を守ってきた [岬めぐり]

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 その名はなかなか景の大きな、なんとなく雄大なイメージがありそうだが、実際の北海岬はさほどではない。貝崎よりは幅が広く、大きく飛び出していて、先端部には岩峰というより岩の塔のようなものがある。北から下ってくる船の上からは、貝崎の端にまずそれが見え始めてくる。
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 岬をぐるりと遊歩道が巻いており、先端から400メートルのところには九艘泊の港と集落があるので、人里離れた場所に孤立しているわけでもない。岬をつくっている尾根の高さは50メートルほどしかない。
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 そんな北海岬だからか、それに関する情報もほとんどなくて、どういうわけか神威岬や積丹半島がすぐに出てきたりする。その薄い検索項目のひとつに、でんでんむしブログから、

   635 北海岬ほか=むつ市脇野沢(青森県)津軽半島と下北半島の間で…平館から脇野沢の岬を

が拾われて出てきてしまう。この項目は対岸の津軽半島の平舘から下北を眺めた遠望に過ぎないもので、備忘的に入れた項目だった。おそらく、北海岬で検索して、それをご覧になった方々には不満があったことだろう。ここで、その埋め合わせをしておかなければならない。
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 北海岬の尾根を北へ辿ると、東北自然歩道の山道があり、ふたつの峰をもつ標高300メートルのガンケ山に至る。ガンケ山付近は林道も通っていて、これを下ると九艘泊川に沿って九艘泊の集落に降りてくる。
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 九艘泊(くそうどまり)という名からは、九艘もの船が停泊したという風景がすぐに想像できる。実際、義経伝説つながりでそういう話も伝わっているようだが、それは後世のこじつけだろう。また、由来の一説にはここを通る船のうち十艘中九艘は停泊するから、というのもあるという。下北半島南部ではいちばん奥の港であるから、そういう避難港的な意味合いもあったのかもしれないが、この北海岬東のそう大きくない入江に港が開けたのは、かなり古くからのことらしい。
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 江戸時代の初め頃に、南部盛岡藩が開いた田名部五ヶ湊のひとつとして、廻船が集い重きをなしたというのだ。だが、その繁栄はそう長続きはしなかったようで、その後はその役回りを脇野沢にとって代わられてしまう。
 後背地が開けた脇野沢と山間の九艘泊の地形を比較してみると、それは自然の成り行きでもあったとも言えるのだろう。
 では、なぜ最初から脇野沢ではなく、九艘泊からだったのだろうか。そういう別の疑問も湧いてくる。それも地形から想像できるところは、自然の入江を備えた九艘泊のほうが船溜まりとして使いやすかったが、脇野沢のほうは築港までに多少の手間を要した…そんな事情も考えられる。
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 前項では、貝崎まで32キロの間、海岸線を辿る道がなかった、と書いていたが、集落も牛滝以来20キロぶりとなるのがこの九艘泊なのだ。商業港としての役目が失われた後は、もっぱら漁村として存在してきた集落とその港を、強い北風から守ってきたのが北海岬であった。
 この名は北海道にあるのがふさわしくも思えるが、北海道には同名の岬はない。ここだけである。
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 すると、検索で出てくる「冠二郎の北海岬」というのも、ここの岬を歌っていることになるが、あまりヒットしなかったのか、あの歌かという記憶はない。そう、北海岬は検索でも歌でもあまりヒットしない岬なのか。
 実在の岬名を題名にした歌は、結構あるようなのだが調べたことはない。実は、調べようとして結局やらなかったのは、すぐ行き詰まってしまいそうだから…。
 だってね、まず♪北の街ではもう悲しみを暖炉で…の襟裳岬でしょ、それに♪北の岬に咲く浜茄子の…の立待岬、♪聞こえるはずない汽笛を聞いて…の越前岬でしょ、それから♪流氷溶けて春風吹いて…の宗谷岬…。そのほかにも、ご当地ソングばやりのご時世、神威岬・納沙布岬から辺戸岬・残波岬まで、日本全国いろいろあるにはあるらしいが、どれもほとんど聞いたことがない歌ばかりなのだ。それらを集めてみても、どうってことはないと思ったわけですがね。

▼国土地理院 「地理院地図」
41度8分27.41秒 140度46分9.84秒
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1502 貝崎=むつ市脇野沢(青森県)32キロぶりに復活した下北西海岸の道は遊歩道だった [岬めぐり]

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 しばらく崖の中の岬が続いてきたが、平舘海峡も貝崎まで南下してくると、やっと普通の岬っぽくなってくる。穴間山の西の端で南に延びる細い尾根の先っちょが貝崎で、その東側は貝崎沢という谷が切れ込んでいる。貝崎の先端では、低くなってき尾根が岩礁になって海に落ちる。出っ張り自体はさほど大きくないので、うっかりすると知らずに通り過ぎてしまいそうだ。
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 それに加えて、そのさらに南500メートルのところにある北海岬と、どうかするとくっついてしまいそうで、とくに北側から眺めると、見えるのは北海岬ばかりで、貝崎はその横にくっついて見える。
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 そんなわけだから、ここは貝崎と北海岬を一項目にまとめたほうがいいのかなとも考えたが、やはり別項目にすることにしよう。
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 そうした理由は、下北半島西海岸を下ってくるなかで、佐井からずっとしばらくなかった海岸線の道が、この貝崎から復活するからだ。佐井の磯谷集落まではなんとか続いていた海岸線の道は、そこからこの貝崎まで南北32キロ(ごく大雑把な凸凹を含む)に渡って、まったく途絶していた。
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 復活した破線の道は、貝崎の先端にあるわけではないが、水はなさそうな貝崎沢の奥まで伸びていて、沢の入口にあたる小さな入江の海岸近くには、地図にもある数棟の建物も見えている。
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 ここが九艘泊西の外れの集落なのかと思っていたが、どうやらそれは違うらしい。
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 地図の道は貝崎から海岸沿いに南下して、北海岬をぐるりと回りこんで九艘泊集落に達しているが、その間ずっと破線のままである。つまり、この道は自動車は通ることができないのだろう。海岸の遊歩道のようなものなのだろうが、それではこの水もなさそうな貝崎の沢では生活はできないだろうから、集落の外れではない。
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 では、ここの建物はなんなのか。気になったので調べてみると、例によって貝崎という岬の情報はまったくと言っていいほどないが、「貝崎園地」という情報が数件あった。
 その中の、移住・交流推進グループ・青森県企画政策部地域活力振興課という長ったらしい名前の「あおもり暮らし」サイトのあるページには、次のような記述があった。
 
 貝崎園地  観光情報 概要
脇野沢港から西へ車で約15分。車道が終わり、海岸沿いの遊歩道を行くと貝崎園地があります。
北海岬展望台や海峡展望台からは陸奥湾、津軽海峡が一望できます。
ときおりカモシカやサルも顔を出すこともある、大自然の公園です。
炊事場やトイレを完備したキャンプ場、バンガローもあります。
 
 同じサイトでは「夏季はヤマセによる影響にて冷涼、冬季には降雪が多く150cm近く積もる」という青森県でも、移住促進をはかっているらしい。寒い北国にもそれなりの良さが充分にあるのだろうから、移住のメリットを求めてくる人もあるのだろう。だが、人一倍寒がり屋のでんでんむしにはムリだな。
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 なるほど、見えていた建物は短い夏のためのキャンプ場の施設だったのだ。それで納得。
 しかし、数少ない中の別の情報に、2014年に公開されたYouTubeの「貝崎園地キャンプ場跡」という投稿動画もあった。それは、荒れ果てた廃墟動画で…。遊歩道も、何箇所も割れ落ちり大きな石が塞いだままになっていた。
 ということは、ほんの数年前までは一度は廃棄された状態になっていたものを再び改修して復活させた、ということになる。となると、復活のドラマもおもしろそうで興味をひかれるのにね。
 (と、書いていちおう締めくくってはみたのだが、どうもこの貝崎園地、現在本当に復活しているのかどうか、だんだん怪しいようにも思えてきた。ひょっとしたら、逆に県のサイトのほうが情報の更新がされず、古いままなのかも?…と。)

▼国土地理院 「地理院地図」
41度8分39.92秒 140度45分56.43秒
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タグ:青森県
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1501 アモ十太岬=むつ市脇野沢(青森県)名前からするとなにやら曰くありげなのになんにも情報がないので [岬めぐり]

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 「断層海岸」については、「1499 焼山崎」の項以来ずっとしつこく追いかけてきたのだが、その用語の使い方に偏りがある原因は、どうやらひとつの学説としてはあるものの、定説として学会に定着していなからではないのだろうか。(ただ、断層の存在自体は一部最新の探査技術を使った調査の結果でも、明らかにはなっているらしいし…。)
 大間原発にからむ地質調査などの結果が、断片的にネットで検索でき、それをシロウト目線で拾い読みしてみると、そんな印象も受ける。
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 こういった事例は結構多くて、ある学者の著書に書いてあって、へーそうなのかと感心していると、ほかの学者はまったくそれを評価していない。学説が定説になり一般人の常識になるには、何万年単位の地質年代ほどではないにしても、相当の時間が必要なのだろう。
 これまで、下北ジオパークの説明に書かれている「断層海岸とも呼ばれ」「断層海岸といわれる」というほかではあまり使われていない表現の背景を、僭越は承知でシロウトがいろいろ勘ぐってみたが、果たしてどの程度あたっているのだろうか。もし、まるっきりの間違い見当違いというのであれば、情報提示のしかたにも問題があるということになろう。
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 専門家の提供する情報が、一般人の知りたいこと、普通のシロウトにも理解できるような状況にないことは、この分野に限らずどこでも共通してある。そんなことは専門家や研究者の仕事ではない、という主張も一部あるのかもしれないが、それは考え違いだろう。ジオパークそのものの趣旨がそうであるように、一般への知識の普及活動は、専門家や研究者の重要な仕事、義務と言ってもいいことのひとつではないのか。
 常々そんなことを思っているでんでんむしは、ジオパークについてもその想いをところどころで書いてきた。

 番外:地層切断面=大島町野増(東京都)ジオパークは日本列島の断面をどう切り取って魅せることができるか

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 とはいえ、何百万年何千万年前になにがどうしたか、そんなことが簡単にわかるわけもないし、言えるわけもない。この分野のむずかしいことは、充分に理解できるが、それでもこれまでに多くの専門家研究者のおかげで、いろんなことがだんだんにわかってきている。その一部でいいから、あるいは基本のところだけでも、普通の人々の関心にフィットするように伝えることはできるはずなのだが…。
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 仏ヶ浦・新山崎・焼山崎・大崎と続いてきた断層海岸と海蝕崖は、まだまだ南へつながっていく。大崎の南1キロちょっとのところには、面木(おもぎ)という表記のある崖が続き、その上では山が切れて鞍部になっている。そこまで脇野沢に通じる面木沢に沿って林道があり、破線の山道が鞍部を越えて崖を降りている。
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 面木からまた1キロ南には、青石という表記が付けられた崖がある。また、材木岩とか穴間というのもあって、そこにも林道が延びてきている。300メートルの穴間山の南西がアモ十太岬と名付けられた50メートルの断崖で、この辺りまでくると等高線の間隔も少し広がって、崖の傾斜はゆるやかになってくる。
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 アモ十太岬というのも、なにやら曰くありげな名前なのだが、それについての情報はまるで得られない。アモ十太岬で出てくるのはただ地名を並べただけの場所取りサイトと、わずかな釣行記録のみである。脇野沢付近ではいわゆる遊漁船や渡船はないので、ここまでやってくる釣り人は、漁師さんに頼んで漁船を出してもらう、とあった。
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 見た目よりはアモ十太岬付近の足場はいいようだが、それにしてもよくこんなところまでと、日本中どこへ行っても、釣り人のあくなき執念には毎度感心させられる。けれども、アモ十太岬まで船を出してもらってやってくる釣り人も、そこらの岩や崖がなんでどうしてできたのか、そんなことには興味がないのだろうか。おそらくないのだろう。一般人の興味と言っても、それを平準化するのもむずかしい。
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 アモ十太岬から南へは、屏風岩を挟んで遠くに貝崎が見えてくる。この岬を回り込むと、もう脇野沢港も近い。
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▼国土地理院 「地理院地図」
41度9分38.03秒 140度46分2.31秒
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1500 大崎=むつ市脇野沢(青森県)「断層海岸」と言われるマサカリの刃はこうして研がれていったのか [岬めぐり]

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 大崎という名のつく岬は、黒崎についで二番目に多い。どれもその付近では最も存在感を発揮しているような岬に、この名はつけられることが多いようだが、ここの大崎もそうで、まぎれもない大崎である。
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 見た目はそんなに大きく飛び出しているという感じでもないのだが、やはり地図で検証してみると、大崎と呼ぶにふさわしい。
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 国道からは2.6キロ離れているだけだが、佐井村とむつ市の境界線がある武士泊から穴間の凹みまで、大崎を頂点とする5.6キロもの長い折れ線(細長い三角形の二辺)が引ける。それがほぼ丸々大崎の出っ張りだとも言える。
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 したがって、福浦崎から南の海岸線ではどこからでも、いとばん遠くの端に見えていたのがこの大崎なのだ。
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 ほんのりと丸く膨らんだ大崎から、対岸の平舘灯台までは10.5キロで、ここが下北半島と津軽半島の間の平舘海峡がいちばん狭くなっているところ。
 大崎の上の山は300メートルと、そんなに高い山ではない。しかし、その山頂の下標高200メートルの地点から大崎の先端までは垂直の幅で180メートルしかない。180メートルの幅の距離で200メートルもの落差がある。つまり等高線が、ぐっと狭く詰まっているわけで、それは急傾斜であることを示している。そして、おそらくはその断崖は海の中まで続いていることだろう。
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 これが、下北ジオパークその他青森県関係のサイトでも繰り返し強調している「急峻な断崖」そのものなのだ。
 似たような状況の断崖は、新山崎でも焼山崎でも同様にあったが、落差の激しさ(急傾斜度)では、大崎がいちばん。
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 この断崖が、下北ジオパークが「断層海岸といわれる」という断層でできた海岸とすると、その断層はいつ頃に起きたものだろうか。まず想像できるのは、グリーンタフ変動の時期(約2,300万年前から約500万年前までくらいの中新世)だが、それと同時期と考えていいのだろうか。いやいや、それは岩石が形成された時期なので、その頃から日本列島の形ができていたとは考えられない。したがって、現在の地形に近い形をつくり始めたのは、もっとずっと新しい時代の地殻変動による断層なのだろう。
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 海蝕崖というのは、崖または山ができたその後で、長い時間の間にそれが海に削られて崩れてできた急傾斜の崖ということになるはずなので、この両者の間にはかなり大きな時間的なズレが生じることになる。
 つまり、「断層海岸」と「海食崖」は、その断層と海食のそれぞれ作用した時期が大きくずれているはずで、強いて言えばまったく別の時期の別の状況を示していると思われるが…そういう解釈でいいのだろうか。
 そうだとすると、新山崎から南に向かって連なる焼山崎そして大崎の3つの岬の崖は、断層でできた海岸が、さらに海食によって削り取られて急峻な崖をうんだ、そういうことになる。
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 地図で大崎の表記がある東には300メートルのピークがあるが、ここを東西の断面でみると「ヘ」の字型になっている。西側は急な崖だが、海岸に近いピークから東へは、谷がゆるやかな傾斜をつくる面木沢から、脇野沢川の上流に合流し南に下っている。
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 大崎の崖は、深い大きな山の端にあるのではなく、海岸だけで盛り上がって急に落ち込んだようになっているわけだ。このことからみても、この崖が大きな地盤の変動によって生じた断層で生じた、マサカリの刃は断層によって研ぎすまされたという想像はできる。
 さらにシロウトの想像を膨らませれば、屏風を立てたような崖と山は、南の八甲田山や岩手山とつながる奥羽脊梁山脈の一部だったのだろう。
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 大崎の北にある焼山崎(前項)については、アイヌ語源関連もあった。いつもの「落合道人」ブログのコメント欄では、次のような指摘もいただいた。
北海道にも多い地名ですが、アイヌ語でya・ke(ヤケ)は削られた岸辺=断崖絶壁の意味になりますね。by ChinchikoPapa (2017-11-05 12:08)
 なるほどそうでした。そうすると、アイヌの命名者も、特異な岩肌の色については完全スルーしていることになるので、ナゾはいっそう深まる。

▼国土地理院 「地理院地図」
41度11分40.36秒 140度45分53.27秒
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1499 焼山崎=下北郡佐井村大字長後(青森県)ここの岬はなぜ「焼け」たのか誰も教えてくれないのも不思議ですが… [岬めぐり]

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 下北半島のサルとその生息地が、なぜ「∴ 」つきで特筆されるのかといえば、それは世界的にみてもヒトを除く霊長類ではここのニホンザルが最も北に生息しており、その場所としてはこの下北が世界でいちばん北に位置しているからだ。
 彼らは山の中に孤立しているわけではなく、生息地の南部、脇野沢に近いところではしばしば人間の世界に降りてきて農作物を荒らすなどの食害も起こっていて、保護と対策が問題になったりしている。
 山の中では、自然林の伐採などによって広葉樹林帯が縮小され、食料確保がむずかしくなるという事情もあったのだろう。そのため、下北のサルは道路もなく人もいない海岸に降りてきて、海藻貝類など海性の食料をじっくり調達するという芸当も身につけた。ポーラスターから海岸を眺めていても、サルらしい姿は発見できなかったが、これも世界的にめずらしく、ここだけでみられる現象だという。
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 地理院地図では、焼山崎のすぐそばに記された「∴ 下北半島のサル…」表記から大荒川を越えて少し東にずれた山のところにも、もうひとつ別の「∴ 」がある。それは「縫道石の特殊植物群落」というもの。世の中には、普通には知らない知らずにすんでいることがいっぱいあるものだ。これはいったいなんだろう。
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 縫道石山(ぬいどういしやま)というのは、仏ヶ浦の東3.6キロのところにある標高526メートルの岩峰ドームの山で、その岩に生えているオオウラヒダイワタケの群生が天然記念物に指定されており、それの群生が縫道石山から離れた焼山崎の東(縫道石)にもあるらしい。なんでも、その地衣類は氷河期をも生き残ったものなのだという。そしてまた、世界では北米東部のアパラチア山脈と日本にしかないのだという。そうきけば、それもまたありがたく思えてくる。
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 ポーラスターの船内放送で観光ガイドが流れるのはたまにしかないようだが、それによると焼山崎はこの海岸で屈指の見どころだという。確かに、赤茶けた岩肌が広く大きく露出しているのは、なかなかない景観であろう。
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 焼山という火山性の山の名もあちこちにあるが、ここは日本列島形成時のことはさておけば、その後の火山噴火によるものではないようなので、「焼山」ではなく、「焼けた」山崎なのだろう。また、焼山崎という名の岬もいくつかある(下北半島の太平洋側にもひとつある)が、それらの多くは、なぜ「焼」なのかよくわからないところも多い。
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 ここは一目見ただけで「焼」のつく意味がよくわかるが、不思議なことにどうしてこの海岸の岩肌が、こんな色になっているのか知りたいと思って調べようとしても、なかなかまともに答えてくれる情報が見当たらない。
 下北ジオパークのサイトを見ても、「下北の南西部海岸は断層海岸とも呼ばれ、落差100mを越える断崖が連続しており、新山崎、焼山崎等では落差300~500mの急峻な断崖」と断崖は強調されているが、なぜこのような岩肌なのかの説明はない。その下北ジオパーク推進協議会の焼山崎ジオサイトの説明は、こう言う。

 断層海岸といわれる西海岸は、落差100mを越える断崖が連続しており、新山崎、焼山崎等では落差300~500mの急峻な断崖となっています。断崖を形成している岩体の下部は前期~中期中新統金八沢層の玄武岩、上部は中期中新統檜川層の流紋岩質凝灰岩より構成されます。赤褐色に変色した岩肌が特徴的で津軽海峡を横断するフェリーからも確認できます。


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 これまた岩肌には触れながらも、その理由や原因は無視している。ジオパークやジオサイトの説明が、「かっかそうよう(隔靴掻痒)」であるということについては、前にも佐渡ヶ島かどこかで書いた記憶があるが、せっかくみんなに広く興味を持ってもらいたいというその趣旨には充分に届いていなくて、まだまだ工夫も努力も足りない。
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 もうひとつそこで気になったのが、「断層海岸」という用語で、あまり聞き慣れないないなあと調べてみようとすると、確かにそういう用語はあるらしくネット辞書の用語解説はぞろぞろ出てくる。要するに断層でできた海岸という文字通りなのだが、しかし、それについて記述した情報は、ほとんどといっていいほどない。この用語を使っているのは、下北ジオパークくらいしか出てこないのだ。それもまた不思議というかおもしろいなあと…。
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 では、国土地理院はどう言っているのだろう。
 「日本の典型的地形に関する調査」の結果をまとめた、地形を成因別に 194 の地形項目に分け、それぞれの代表的な地形項目を示している国土地理院のサイトがある。それによると、「海の作用による地形」のうち「海食崖(波食崖ともいう。海に面した山地や台地の前面で主に波食作用によってできた崖)」に該当する青森県の地形として、仏ヶ浦と焼山崎をあげているが、断層海岸という用語はどこにもない。
 焼山崎の岩肌が赤茶けているのは、どうやら、玄武岩に含まれている鉄分が風化によって変化したから、ということらしいのだが…。それで合っていますかね。
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▼国土地理院 「地理院地図」
41度15分11.99秒 140度46分49.47秒
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1498 新山崎=下北郡佐井村大字長後(青森県)国道338号線は海岸から遠く離れていくので… [岬めぐり]

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 仏ヶ浦観光の遊覧船の拠点である牛滝港を出た船から南の海岸を見ると、3つの比較的大きな岬が並んでいるのがわかる。手前から(北から)、新山崎・焼山崎・大崎の順になる。
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 牛滝からいちばん遠くに見えている大崎までは、約11.5キロある。いちばん手前の新山崎までは2.3キロ、そこから次の大崎までは2.5キロと、ほぼ等間隔に並んでいる。
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 新山崎の名は、「新」しい「山崎」という意味ではなく、「新山」という山から伸びてきた尾根の「崎」を示している。482メートルだからそんなに高山というわけではないが、小荒川という谷筋で区切られて新山から北に延びる尾根が海に落ちるところの西の張り出しに、その名がついている。
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 先端部は何本かの突き出た岩が、複雑なでこぼこをつくっている。このように、この付近の海岸は岩が連なる崖で覆われ、水流のある谷筋で切れ目ができる以外は、ずっと同じような海岸線が続いている。
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 道はない。徒歩で歩けるような山道すらどこにもない。崖の下はすぐに海となっている。道を探し求めるなら、新山崎から東に4キロ以上も山の中に登って入って行かなければならない。そこには下北半島の東沿岸を走る国道338号線が通っているのだが、佐井村とむつ市の境界線も走るその付近は、標高250メートルもある。
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 大間町からつながってきた338号線は、大間の原発建設工事中のところで内陸に迂回する以外は、佐井村の磯谷集落まで18キロほどは、ほぼ海岸線に近いところを通っている。山に上った仏ヶ浦付近でも、道路脇の展望台から海岸が見降ろせるくらい近かった国道は、牛滝ではいったん牛滝川と並行して走るほど下まで降りてきて、そこからまた南東に向かって山の中に入っている。
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 牛滝以南には人家も集落もなく、高くはないが深い山が続くこの新山崎・焼山崎・大崎という3つの岬の山側は、なべてこのように道も海岸から遠く離れた山の中で、人の世界からは遠くなっている。
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 少し前の地理院地図では、下北半島のこの一帯が野生のサル生息の北限という表示が大きく目立っていたが、最近の地図では拡大してやっと小さくその文字が出てくる。曰く「∴ 下北半島のサルおよびサル生息北限地」。その意味は、天然記念物に指定(1970(昭和45)年)されたということであろう。
 専門家のおっしゃることに間違いはないのだろうが、よく考えてみるとこの表現はいささか要領を得ない。つまり「および」という並列表現がついているので、この「∴ 」はふたつのことを指しているらしい。ひとつは「下北半島のサル」であり、いまひとつは「サル生息北限地」ということになる。わざわざ別々にする意味が、よくわからないのだが…。ま、なにか理由があるのだろう。
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 その表記は、新山の南、焼山崎のところと、佐井村の南端付近に当たる湯ノ沢山のところと、むつ市に入って東北自然歩道の通る穴間山のあたりの3か所につけられている。これによると、「北限地」とは新山付近くらいとなりそうだが、佐井村よりさらに北の大間町の山でもサルは確認されているという情報もあるらしいので、あまり厳密に考える必要はないのだろう。
 いよいよこの新山崎から南にかけては、人間の世界ではなく名実ともにおサルさんの世界になっていくのか。
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▼国土地理院 「地理院地図」
41度19分19.93秒 140度47分59.10秒
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タグ:青森県
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1497 福浦崎2=下北郡佐井村大字長後(青森県)白い崖を眺めて思う2000万年前からできはじめた列島のことなど [岬めぐり]

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 福浦崎については、2006年に仏ヶ浦を訪れたときに、そこから見た岬を項目にしていたが、実はその内容はほとんど仏ヶ浦の写真ばかりで、とりあえずあげておいたという感じでお茶を濁していた。

 031 福浦崎=下北郡佐井村大字長後(青森県)仏ケ浦は有名でもその北に大きくある岬を意識する人はいない

 そこで、今回は「福浦崎2」となる。…といって、格別たくさん書くことがあるわけもないが、前回はひとつだけしかなかった福浦崎の写真を、福浦港からぐるりと回りこんでみた眺めも補足しておきたい。
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 福浦の港からは、左手に長い岸壁の先にあるのが福浦崎で、北側の下ノ崎よりも港からは遠く離れている。45度に角度のついた岬の上は、八柄間山という313メートルのピークがあり、写真では丸くその頂きが岬のスロープと共に映り込む。
 このピークの70メートルくらい下のところを、国道338号線が巻いている。その南側は、恐れ多くも仏の磯をその遥か上から見下ろすことができるという、まことにバチあたりな展望台になっているようだ。
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 福浦崎の先端は、港から延びる岩の崖が丸くなっているが、その岩が変化に富んでいて、複雑な岩の節理がいろいろな造形を見せている。岩棚の上では鬼の洗濯板状態になる節理が、崖の縁では細かいギザギザの鋸の刃のようになっている。
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 港から見る福浦崎の遠くに見えているのは津軽半島で、ちょうど今別から北へ新幹線のトンネルが海峡に向かって下り、あるいは海峡から上がってくる傾斜になって通るところにあたる。
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 船で岬の北側と南側を見比べてみると、光線の加減もあるかもしれないが、南側の崖は白さが一段と際立って見える。あるいは南と北では岬をつくっている岩石の種類が異なるのかもしれない。
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 福浦崎南面の崖は、はっきりと白い。どうかすると薄い緑がかかっているようにも見える。
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 これはこの南に続く、仏ヶ浦の構成岩石と同じ、緑色凝灰岩(グリーンタフ)なのであろう。
 緑色凝灰岩というのは、実はその生成過程がわれわれの日本列島の成立と深く関わっている岩石のひとつで、現在の日本で北海道東部から東北日本海側にかけて、広く縦長い帯状に分布している。
 日本列島が今のような形に落ち着くまでには、地殻大変動を伴う長い長い時間が必要だったが、ざっくり言えばおよそ2000万~1500万年前に、ユーラシア大陸の東の端っこにあった地塊が、活発な火山活動と陥没によって離れ、間に縁海(日本海)をつくり、それがさらに大陸と列島を引き離していく。このとき、列島は真ん中付近からふたつに折れ曲がるような動きをしている。グリーンタフの分布は、まさしく日本海の拡大で押し出された列島の、ふたつに折れた北側の縁の部分を描いているようでもある。
 この日本海ができる過程で、海底火山の活発な活動が続き、大量の火山灰が海底に堆積し、マグマの熱や地中の圧力によって緑色凝灰岩という火山岩の巨大な帯となっていく、というわけだ。
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 今見ている福浦崎の白い崖も、そんなことを思いながら眺めると、また一段と味わい深い、と思うのですがいかがでしょうかね。

▼国土地理院 「地理院地図」
41度19分19.93秒 140度47分59.10秒
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1496 下ノ崎=下北郡佐井村大字長後(青森県)前には素通りしていたので今回は福浦港に降りてみた [岬めぐり]

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 下北半島のマサカリの刃に当たる部分は、仏ヶ浦に代表されるような断崖の海岸線が大間崎から北海岬まで南北47キロに渡って続くが、厳密に言うとその切れ味の鋭そうなところは南半分、福浦の下ノ崎から北海岬までの22キロくらいと言ってよいだろう。
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 西の津軽海峡に向いた刃の、ちょうど中間にある福浦港で、ポーラスターを下船したのもそのためだ。が、前述のとおり同乗の他の客はみんなその一つ前の牛滝港で降りていて、それは仏ヶ浦観光の遊覧船に乗り換えるためだった。
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 みなさんが用のない福浦までやってきたのは、下ノ崎と福浦崎チェックのためで、当方は前に行ったことがある仏ヶ浦には今回は用がないので、ポーラスターで往復通り過ぎる。
 下ノ崎から北には、佐井村と大間町の境界にある津鼻崎まで岬がなく、その間北北東に17キロもある。
shimonosaki-2.jpg 下ノ崎と福浦崎に挟まれた狭い入江の奥にある福浦港には、ほんのわずかな隙間を縫うようにして、船は岸壁に着く。操船技術もかなりの慣れが必要だろうと素人にもわかるくらいだ。船を迎えに出ていた係の人に聞くと、少し風や波があると、福浦港には寄らずに行ってしまうことも多いという。
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 でんでんむしが降りたので、誰も乗客がいなくなったポーラスターは、また狭い水路を抜けて佐井港へ向かっていった。その船が次の便で折り返してくるまで、この福浦で待つことになるが、自転車で港までやってきていた係の人にくっついて、民宿兼シーラインの切符売り場まで行き、帰りの乗船券を買っておく。
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 谷間の小さな集落は、付近の隣接集落とも遠く隔てられていて、国道338号線がかろうじて陸のルートを維持しているが、それも冬場には通れなくなることも多いという。だから、いちおう小中学校はあるが、郵便局は北へ5キロ以上離れた長後集落まで行かないとない。
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 そんな福浦の港の北にあるのが下ノ崎で、イカやコンブが少しばかり干してある港の北の端までは少し歩けばすぐ着く。
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 岬の付け根部分の斜面に、小さな赤い鳥居と祠があるのがなにやら微笑ましく思えるのも、この好天気のせいかもしれない。空も海も青く澄んでいて、これといってなにひとつ見せ場のない港を明るく映えさせてくれる。
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 下ノ崎の先端の向こう、遠くに霞んで見えるのは、津軽半島北部の高野崎龍飛崎。そして津軽海峡を挟んで右手に薄く見えるのは北海道の南端部で、その先端は白神岬となる。
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 この間の海の下は、深いところでは水深140メートルあり、その海底からさらに100メートル下の地中を青函トンネルが通っているわけだ。ここからいちばん近いところで39キロ先の海面下にあるトンネルの全長は約54キロ近くあるが、そのうち海の下になるのは23キロちょっと。そんな海の底なんかにトンネルを掘ったりしたら、底が割れて海水が浸入してくるのではないかという素人の心配も、あながち杞憂ではない。海底から100メートル下というのは、そういうリスクも計算されたうえでの深さであるらしい。その海底トンネルを、現在では北海道新幹線が1日に13往復していることになる。
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 でんでんむしも何度かそこを通り抜けたが、そんなときに東40キロにある海岸のことなど、まったく思いも浮かばない。見えないということは、そういうことなのだ。
 下ノ崎から遠く見える海の下を想像してみるが、これひとつとってみても人間のやることには限りない驚異を覚える。その割には、その同じ人間がつくる国の政治や社会などでは、何度選挙をやってみてもまったく進歩もなく、相変わらずのように思える。
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▼国土地理院 「地理院地図」
41度19分42.78秒 140度48分8.07秒
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タグ:青森県
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1495 夏泊崎2=東津軽郡平内町大字東田沢(青森県)見えてはいるけれどもなかなか遠い夏泊崎は今回もまた遠望止まりに [岬めぐり]

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 2009年の平内町訪問では、東海岸の「496 鼻繰崎」までしかバスが行かなかったので、夏泊崎の手前止まりになっていた。
 2010年にはむつ湾フェリーからの遠望で、「636 夏泊崎ほか」として備忘的な項目を設けていた。なかなか行けない、遠い夏泊崎だったが、現在では、町民バスの東田沢線は大島まで行くようになってはいるようだ。大島というのは、夏泊崎の先にある島のことだが、大島のバス停が島まで行っているわけではなさそうだ。
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 しかし、それで行ってもすぐに折り返しになってバスは帰ってしまうので、岬まで行こうとすると3時間後の次の便を待たなければならない。やはり、夏泊崎へ行くのはそれだけで午後いっぱいが必要な半日仕事であるらしい。
 今回は、西海岸から稲生へ行き、10分の間に油目崎の切れ目を越えるところまで行けば、比較的近くからの夏泊崎を眺めることができるだろう…とそういう目論見だった。
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 その目論見が外れてしまったので、今回もまた海を渡る船の上からの遠望になってしまった。だが、前よりはずっと近くで、岬の先端と大島もはきりと見える。
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 夏泊崎という岬名表記は、半島の先端細い出っ張りについていて、そこからは橋のような線で道が大島の山越え一本道になって伸びている。細い橋は50メートルちょっとくらいしかなく、それが半島と島をつないでいるのだが、それぞれ橋に至るアプローチも低く長いので、遠目に見ていると、半島と島の間はずいぶん離れているように見える。
 この間の道の両側には、岩礁がつながっているように地理院地図では描かれているので、大島も陸継島に限りなく近づいているその過程の途上にあるのだろうか。
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 大島の先端には、地図では灯台があることになっているのだが、やはりそれがわからないくらいには充分遠い。
 そのあるはずの大島の灯台から北北西に進路を取ると、下北半島最南端の牛ノ首岬までは13.5キロほど。ポーラスターは牛ノ首岬の東奥の脇野沢港を目指していくので、船の進路は北北東になる。
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 脇野沢で降りる人もあるだろうから、窓の少しはきれいな前の座席に移動できるだろう。岬チェックのためには、この航路では行きは進行方向右手に席を取らなければならない。そう思っていたら、脇野沢ではほとんど誰も降りないで、逆に乗ってくる人もいた。
 結局、途中で日差しを気にした女性客が左手の席に移動してくれたので、その後へ座ることができたが、ほとんどの乗客は脇野沢の次の寄港地である牛滝で降りて行った。
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 そう、ポーラスターに乗る人が目指していたのは、仏ヶ浦だったのだ。牛滝からは、仏ヶ浦観光の遊覧船が出ているので、みんなそれに乗り換えるのだ。
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 でんでんむしはひとり、さらに次の寄港地である福浦まで乗って行き、下ノ崎から順に南下しながら、下北半島西海岸の岬めぐりを続けようと思う。

▼国土地理院 「地理院地図」
41度0分46.57秒 140度52分25.45秒
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タグ:青森県
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1494 観音崎・油目崎=東津軽郡平内町大字茂浦・大字稲生(青森県)町民バスに乗りそこねた結果船からの遠望になってしまった [岬めぐり]

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 夏泊半島の岬めぐりは、東海岸は前に2009年に行っているので、今回は残っている西海岸を行くつもりで計画していた。平内町の町民バスも、東と西で路線が分かれており、西は稲生線が稲生まで行っているが、先端の夏泊崎までは届いていない。
 それと、町民バスのダイヤが、東西ほぼ同時間帯に動いているので、東を済ませてから西へ乗り換えるということができない。つまり1日に乗れるのは、東西のどちらかひとつということになるのだ。
 町民のためのバスだから、なかなかよそ者の旅行者向けにはできていない不便なバスだが、それでもこの地域ただひとつのバスなので、これに頼るしかないのだが、その町民バスに浅虫温泉で乗り換えるのに間に合わなかった、という話は前にしたとおりだ。
 本来ならば、そのバスに乗れていれば、平内中野で稲生線に乗り継いで、茂浦から夏泊ほたて海道トンネルを抜けて観音崎を過ぎ、浦田から海岸線を走るバスから油目崎を眺めながら稲生まで行くはずだった。
 それがダメになってしまったわけだが、翌日の便でまたというわけにはいかないので、これは青森湾内を航行するポーラスターの上から見るしかない。
 ところが、うまくいかないときはどうしようもないもので、窓が汚いときた。そこで出入口のドアの窓や汚れがさほどでないらしい前方の座席越しに眺めるという、はなはだ不本意な結果となった。
 それに、これも何度か書いているが、岬をその沖の海上から正面向きに見ても、あまりぱっとしないのだ。凸凹感が非常に薄れてしまい、のっぺりと平板になってちっとも岬らしく見えない。見栄えしないことおびただしい。
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 それをいちおう念頭においたうえで、まずはバッコノ崎から板ノ崎付近の、船上からの眺めはこんな具合になる。
 茂浦島も、半島に溶け込んであまり判然としないが、茂浦の北、進行方向左手に大きく見えてくる出っ張りがある。これが、夏泊ほたて海道トンネルがその付け根を貫通している小さな無名の半島で、その先端にもどういうわけか命名がされていない。
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 実は、観音崎はこの無名岬の陰に隠れていて見えない。そこは、漁港の出入口を扼するほんの小さな飛び出しなので、見えたとしてもこの遠さではさっぱりわからない。
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 小さな観音崎を完全に隠している出っ張りは、もう小さな半島と言ってもいいくらいの規模なのだが無名だ。これは断崖と岩に囲まれたもう立派な岬で、ふたつに分かれた北側の先端には双子島という岩島がある。
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 このほうがずっと岬らしいが、油目崎はこれよりも六回りも小ぶりで、その左手(北北東)4.2キロのところで目立たぬようにちょこんと飛び出している。
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 陸継島のような地形で、小山も90メートルと控え目だが、油目といういかにもなにか曰くのありそうな名がついている。
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 無名の双子島のある岬と、好対照なのだが、大きくていかにも岬らしいほうに名前がなくて、油目崎のほうにちゃんと名がついているそのわけはわからない。おそらくは、稲生の集落の人々にとって、その港と集落を、北風から遮る岬は、その規模以上に重要だったのだろう。
aburamefutagoM-3.jpg 町民バスに乗りそこねた影響は、もうひとつあって、稲生から帰ると、こんどはまたバスを乗り換えて、青い森鉄道の清水川駅と狩場沢駅の間にある大崎という岬にも行けなかった。大崎というのもまた名が体を表していないのだが、その付近が小湊のハクチョウ渡来地とされているところだ。
 ここも計画のたびにこぼれてしまう公共交通機関で行こうとすると、いわくつきのやっかいな岬で、今回もまたこぼれてしまった。
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▼国土地理院 「地理院地図」
40度57分31.11秒 140度51分44.05秒 40度59分4.31秒 140度51分53.94秒
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タグ:青森県
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1493 板ノ崎=東津軽郡平内町大字土屋(青森県)実は浅虫温泉駅前からの平内町民バスに乗り遅れてしまいまして… [岬めぐり]

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 ほたて大橋の真北、1.7キロのところにあるのが板ノ崎。岬の山は80メートル足らずの小山で、岬の南斜面は崖崩れの跡のような赤土が露出している。夏泊半島の西海岸のまさしく付け根にあたるので、ほたて大橋からさらに北東に伸びる国道4号線の土屋バイパスも、この岬の手前から、大きく東へ向きを変える。
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 そして、少し行くとこの先で国道は奥州街道と合流し、半島の付け根を横断して平内町役場もある小湊を経由して、東の野辺地湾岸を通って狩場沢の上北郡野辺地町との境界線に至る。
 旧東北本線だった青い森鉄道の線路も、国道と並行していて、平内町町内には、西平内、小湊、清水川、狩場沢と4つの駅がある。町の住民もほとんどはこの沿線に集中していて、半島の沿岸には飛び飛びに集落が点在する。
 1889(明治22)年に村制が施行され、東・中・西の3つの平内村ができ、そのうちの中平内村が昭和になっての町制施行で小湊町になり、1955(昭和30)年にこれら3つの町村が合併して平内町になっている。
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 この経緯をみてもわかるように、平内町の範囲と黒石藩飛び地の領域は、合併ばやりの時代をくぐり抜けて、ほぼここ数百年もの間変わらず維持されてきている。
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 津軽と南部の境界にあるという地政学的な条件が、そうさせたとも言えるようだが、人口1万人ちょっとのこの町はなんとなく結束も固いような感じもする。
 平内町もご多聞にもれぬ人口減少で、公共交通機関の縮小に対応するため、2004(平成16)年から下北交通と提携して平内町民バスとして自治体バス5系統を運行させている。でんでんむしが前回平内町を訪れたのは2009年で、このときは夏泊半島東海岸を走る町民バスに乗って、

 495 安井崎=東津軽郡平内町大字東滝(青森県)取り残されて…夏泊半島
 496 鼻繰崎=東津軽郡平内町大字東田沢(青森県)ホタテとツバキの夏泊半島の東側

とふたつの岬は数えていたが、この当時のバスは夏泊崎までも行かずそれ以上は行けなかった。安井崎の東、清水川と狩場沢の間にはハクチョウが飛んでくる大崎という岬もある。そして西海岸にはてっぺんの夏泊崎、油目崎、観音崎、そしてこの板ノ崎を数えることができる。
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 今回は平内町の残りの岬も東西二路線のバスに乗って全部カバーするつもりで、計画は組んでいた。
 ところが、なんということでしょう…!
 浅虫温泉駅前で青森市営バスを降りて、接続するはずだった平内町民バスに、乗り遅れてしまったのだ。それで、実は車窓から眺めるつもりだった白根崎も、板ノ崎も、こうしててくてく歩きながら訪問している。
 乗り遅れた原因を、青森市営バスが遅れたせいにもできないし、その青森市営バスのサイトでダイヤを調べようにも発時刻しかわからず到着時刻不明のまま乗ってきたことにすべてを帰すこともできない。
 また、乗り換えるべき平内町民バスの乗り場が、青森市に遠慮したのか浅虫温泉駅前にはなくて、そこからまた数百メートル北に外れた遠いところにあったせいにもできない。
 要は計画の詰めが甘くずさんだったせいだが、平内中野から稲生線に乗り換えて、油目崎の稲生まで行き、帰りは清水川の先の口広まで乗って大崎も訪問できる計画が、すべてご破算になってしまった、という次第。
 こういうこともありますよ。でもね、でんでんむしの岬めぐりでは予計画で定していたバスに、乗り遅れたというのはあまり記憶にないかな。
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 板ノ崎の西には茂浦島が浮かび、そこから北東の奥には茂浦の集落があるはずだ。茂浦島の向こうに伸びる半島の先端には、岩島があるのがわかる。これは地図で見ると双子島となっているが、岬の名はない。
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 板ノ崎の東側(右手奥)には、バイパスが緩く登りながら東へカーブしているのがわかる。計画ではここをバスで通るはずだった。
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 板ノ崎の所在は字土屋となっていて、白根崎と同じだ。このカーブの辺りは平内町大字中野となっている。けれどもそのすぐ隣は浪打になり、少しずれるとまた土屋になったりする。この付近の字地名はかなり複雑に入り組んでいるようだが、海岸はずっと板ノ崎まで大字土屋が占めている。ずっと旧藩の領域を踏襲してきた平内町町内で、なぜにこのような複雑な区分けと命名が必要だったのだろうか。
 Mapionの字区分けをみると、字名のない場所も広くあるようだ。 地理院地図では字境界の表示がないので、ポイントで探ってここは中野だとわかるようになっている。また、板ノ崎付近でも大字地名にない小字?地名が深沢、家ノ下、大石平、淀川などとあるが、大字名とそうでない地名との表記原則がどうもよくわからない。とにかく、字地名は、その地域を知るうえで、極めて重要なものなので、ついでながら、地図にもこれは小字も含めてできるだけ多く、きちんと押さえてほしいと願う。

▼国土地理院 「地理院地図」
40度55分12.69秒 140度51分56.33秒
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タグ:地図 青森県
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1492 白根崎=東津軽郡平内町大字土屋(青森県)そんなこたあシラネヒラナイなんて言わないで青森県はなぜ青森県かを考えてみる [岬めぐり]

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 真ん中で北に向かって三角に飛び出している夏泊半島は、野辺地湾と青森湾とに陸奥湾をさらに東西に分けている。この半島の出っ張りと付け根に食い込んだ山地を含めて、丸ごと一帯が東津軽郡平内町(ひらないまち)となっている。東津軽郡はこの一町のみで、浅虫の善知鳥崎が津軽と南部の境界だったとする「吾妻鏡」の時代はともかく、ここまでが津軽の領域だったという証拠にもなっている。
 平内は、アイヌ語の「ピラ・ナイ」からで、ピラは崖を意味し、ナイは川を意味するので、峡谷を流れる川という意味の名であるという。川というのは、半島付け根の東に流れ込む小湊川・盛田川と清水川のことであろう。とくに清水川は、町内最南部の三角岳753メートルの山ひだのなかに源流を発し、確かに長い渓谷を刻んでいる。
 清水川の河口と、半島付け根の反対西側には、白鳥の渡来地として天然記念物に指定されている。
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 青森市の裸島から東へ500メートルしか離れていない白根崎は、ぎりぎり平内町という境界線近くに位置していて、その沖にある鴎島(ごめじま=ここのゴメは、ちゃんと「鴎」だ)の付近も「∴ 小湊のハクチョウおよびその渡来地」として地図に特別天然記念物の表記がある。
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 浅虫からまっすぐ国道を通って、平内町に入り、ほたて大橋の袂までやってきた。平内町内バスが、浅虫温泉駅前にバス停を設けることができず、ずっと離れた北側にあるのは、この境界線を南に越えて、青森市の領域に食い込むことを避けた(遠慮した)、あるいはそうせざるをえないなにか理由があったのだろう。だが、ここからは堂々と平内町の領域に入る。
 白根崎は漁港の外れで建物が密集しているところだが、国道からは下に降りることができない。土屋番所や港のほうに行くためには、八大龍王の交差点まで戻ってから、東の脇道に入って降りていかなければならないらしい。
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 白根崎は、この橋の上からでないと、このようには見えない。それでも建物で半分隠れてしまう。
 「ほたて大橋」というのも、そのものずばりの名だが、橋の下の向こうには「ほたて広場」もあるらしい。なぜ、そんな名がここにあるのかというと、平内町こそが今では有名な陸奥湾におけるホタテ養殖の発祥地だから、ということらしい。すると、白根崎の港の岸壁に積み上げてあった青い網もホタテ養殖用なのだろうか。
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 浅い入江の上をかすめる「ほたて大橋」も、そのとっかかりだけで渡らず、「ほたて広場」にも歩を踏み入れないが、白根崎はその記念すべき小さな漁港を西に張り出して守っている。「ほたて広場」のサイトを見ると、そこにはほたて観音やほたて供養塔まであるらしい。それらの記述と並んで、実際に番所跡に立っている案内板を写した「土屋御番所由来」という記述があった。
 それによると、1656(明暦2)年、ここ平内領域の西口に当たる場所に領地境界警備のため番所を設けたのは、黒石藩初代藩主であるという。黒石藩というのは、津軽氏の弘前藩(津軽藩)の支藩で同じ津軽一族の支配下にあったが、八甲田の西南西にある黒石藩領とは地続きではなく、飛び地になっていたことになる。飛び地ならではの番所の重要性もあったのだろう。
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 この土屋番所も、明治の廃藩置県で廃止されたが、狭い谷間を抜ける道は、番所を置くには適した場所だ。
 明治4年の廃藩置県では弘前県とともに黒石県もあったが、2か月ちょっとで青森県になっている。弘前にあった県庁も、旧藩の影響の強い弘前から海辺の青森に移された。この青森県の成立の背景は、なかなか複雑だがおもしろい。
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 津軽と南部は仲が悪いという話は前にもしたが、その仲の悪い弘前藩と盛岡藩は戊辰戦争に際しては、ともに奥羽列藩同盟に属し官軍に対抗していた。ところが、戦争の途中から弘前藩は官軍に寝返ったのだ。このため戦後の処遇も弘前藩にはお咎めなしで廃藩置県までほぼ藩体制をそのまま維持したが、盛岡藩のほうは大変なことになった。石高は大幅に減らされたうえ、会津藩仕置で領地を斗南藩に割かれ、おまけに明治元年には弘前藩と盛岡藩・八戸藩が争う野辺地戦争で消耗するなど、踏んだり蹴ったりで、仲の悪さに拍車をかける事態が相次いだ。
 青森県の成立は、この両者の領域(旧津軽氏領の弘前藩・黒石藩と、旧南部氏領の七戸県・八戸県)と因縁の斗南藩をまとめて、一つの県に統合したことになり、しかもこの後全国で進む旧藩を統合しつつ新たな県にするという新政府の政策実現の第一号にもなっている。
 こうしてみると、単に陸奥湾に飛び出た出っ張りにすぎないと思っていた夏泊半島と、それを中心とする平内町の位置付けと意味付けも、少しばかり見えてくる。
 国道から土屋番所跡のほうに降りる階段くらいはあるだろうと思って、ほたて大橋まで歩いてきたが、それがまったくないのは誤算だった。
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▼国土地理院 「地理院地図」
40度54分14.78秒 140度51分34.39秒
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タグ:歴史 青森県
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1491 善知鳥崎2=青森市大字浅虫(青森県)「157 善知鳥崎」の写真は善知鳥崎ではなく鼻繰崎ので善知鳥崎はこっち [岬めぐり]

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 東北新幹線が青森を走るようになって、それまでの東北本線は青森=八戸=目時が青い森鉄道に移管されることになった。JRは新幹線だけで、八戸から青森を結ぶことになったのだが、この線が八甲田山寄りの山中を通るのでトンネルばかりでさっぱりおもしろくない。
 旧東北本線の一部を引き継いだ青い森鉄道は、途中で夏泊半島の付け根を横切り、青森湾と野辺地湾の海岸を通る。昔の奥州街道も県道9号線となって並行して走り、その一部は国道4号線のバイパスとして合流している。
 ちょうど久栗坂から北の青森市内では、国道と県道がひとつになっている区間で、善知鳥(うとうまい)崎は、そのなかにある。
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 244メートルの小松山から西へ流れ下る尾根が、幅のある塊となって青森湾(むつ湾)へ落ちていく。その先っぽが小さなコブとなって、海に突き出ているので、国道・県道も、そこだけはトンネルで通ることになる。旧東北本線の青い森鉄道は、浅虫トンネルで深くその内側を通っている。(トンネルのある崖の向こうにある丸いのは、浅虫温泉の湯ノ島)
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 青森県をうろうろしているときにも、何度かここは通過していて、2007年には「今回のように往復ここを通過するとなると、なんとかひとつくらい岬をゲットして記録に残しておきたい。そんなこともあって、浅虫温泉の南側に、東北本線の走る車窓から、ちらりと映る善知鳥崎(うとうまいざき)だけむりやり…」というわけで、

 157 善知鳥崎=青森市大字浅虫(青森県)ワタシハマッカナリンゴデス

として項目を設けていた。
 したがって、ここは「善知鳥崎2」となる。けれども、157項では通過する岬の代表としてあげてはみたものの、そこで掲げている写真を見ると、それは善知鳥崎ではなく鼻繰崎のものだった。
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 そんなわけで、ここは前の修正を兼ねての「善知鳥崎2」となる。今回は、浅虫温泉駅前からタクシーでトンネルを抜けた南側まで連れてきてもらったので、南から見た写真が中心になる。浅虫温泉の海岸からも見えるのだが、鼻繰崎と完全にかぶってしまうので、あまりパッとしない。
 この湾岸を通る奥州街道が唯一の道だった時代は、このコブを回りこんで通り抜けるのもなかなか大変な難所だったらしく、親知らず子知らずに相当するような記録もあるらしい。
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 現在の地理院地図をみても、浅虫トンネルから海岸に至る山の上には、複雑な破線の山道が描かれている。これも、難所の海岸を避けて、登り降りは多少きつくても、確実で安全なルートとして使われたのではないか。山の上の破線は、そんなことを想像させてくれる。
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 一方、山の下でも、よく見ると国道の内側にもう一本の線があり、そこにもかつては旧道トンネルがあったことを偲ばせている。右手に黒く見えるのがその旧道のトンネル跡。
 さらには、国道トンネルの外側、海寄りにも、もうひとつの旧道があったことを、地図は示している。
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 浅虫トンネルの開通は1967(昭和42)年で、それ以前は鉄道も海岸の現在の国道付近を走っていたのだろう。
 東北本線の盛岡=青森間の開通は、1891(明治24)年のことだが、明治の鉄道敷設は、築堤を築いて線路を敷くという工法も多かったと思われる。最初に開通した新橋=横浜間の鉄道も、錦絵などでは海の中を走っているように描かれたものがある。おそらく浜松町付近などは、用地買収も要らない築堤方式が使われていたのだろう。
 この善知鳥崎付近でも、古い地図では鉄道がゆるく凹んでいる入江の外側をまっすぐ走っているのを見たことがある。また、海岸では古い石積みの跡も見つかっているという情報もあったので、あれこれ総合すると、これはほぼ間違いないだろう。
 明治天皇もやってきたとかいうのも、全国に延びる鉄道のシンボルのようになった場所だったのかもしれない。ここは古戦場でもあったという。いったいいつの戦いかというと、1189(文治5)年頃のことで、奥州藤原氏が源頼朝の幕府軍に滅ぼされるが、その残党が最後の戦いを挑んだところとされている。
 また、ここが東の南部と西の津軽の境界であったという記録が「吾妻鏡」にあるともいう。別な情報では、南部と津軽の境は、野辺地町の馬門(まかど)と平内町の狩場沢の間に藩境塚があるとする。夏泊半島の東と西でだいぶ差がある。どちらが正しいのか、調べてみようとしたが、よくわからない。
 ただ、「吾妻鏡」よりずっと後の情報では、南部弁と津軽弁の境などからすると、馬門・狩場沢ラインに分があるようだ。昔から仲が悪いとされてきた南部と津軽のことだけに、通りすがりの部外者がよけいなことを書くわけにもいくまい。

▼国土地理院 「地理院地図」
40度53分0.04秒 140度51分1.91秒
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タグ:北海道
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1490 鼻繰崎=青森市大字久栗坂(青森県)久栗坂石の採石場に削られつつある岬は白茶けて… [岬めぐり]

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 こことまったく同じ名前の岬が、ここから北北東に16.4キロ離れた平内町は夏泊半島東岸にある鼻繰崎で、そこには2009年に訪問していた。どうもこのふたつの岬に直接的な関係はなさそうで、同名なのはただの偶然なのだろう。
 ただ、「鼻繰」の意味については、もうひとつある岡山県玉野市の鼻操鼻(467 鼻操鼻=玉野市日比(岡山県)どこまでも引きずっていくものは…?)の項で私見を述べていた。
 「鼻繰」の読みは「はなくり」とするのが普通だろうが、「はなくくり」としているものもある。本来、漢字の読みとしては、「くくり」は「括り」であるから、「繰」でそう読ませるのは無理がある。それに、もともと「くる」と「くくる」は「く」が一字多いだけで混同しがちだが、意味的にはまったく別のことだ。
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 ここの鼻繰崎が「はなくくりざき」だとした情報は、多分にここの字地名「久栗坂=くくりざか」に引きずられた可能性が高いようにも思える。もっとも、読みは文字記録に残りにくいものなので、よほど確かな記録がなければ、断定はしにくい。こちらも文献で確認したわけではなく、直感的なイメージで判断しているだけだ。
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 玉野市の鼻操鼻の項でも述べたのだが、鼻繰とウシの鼻につける金属のワッカについての関連も気になる。ウシを引いて「操縦する」ことが「鼻繰り」の意味だとすれば、ずいぶんつながりはよくなるからだ。
 あくまで、でんでんむしの勝手な直感と推測だが、岬名のほうがもともとあって、ここの字地名久栗坂は後から字を当てはめたものではないだろうか。そして、それはこの岬が昔から採石場であったことと関係があるのではないだろうか。イメージですが、採石場から切り出した石を運ぶ車をウシに引かせた…とかね。勝手な想像は広がるんですよ。
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 久栗坂の鼻繰崎は、まったく知らなかったけど、久栗坂石という石の産地だった。産出量もあまり多くなさそうだが、一部では有名らしいこの石は、エクステリアや彫刻の材料としても使われているようだ。この石が、野内石とも呼ばれることもあるのは、鼻栗崎の西半分は青森市大字野内に属しているからだ。
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 青い森鉄道からは駅もつくってもらえず見放されているが、港もある久栗坂の町には現在でもいくつもの石材店がある。
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 鼻繰崎も、車窓からだけではよくわからないが、バッコノ崎と違ってこちらのほうは、浅虫温泉の海岸からも目立って見えている。
 午後の陽の下では逆光になるが、遠目にもいかにも採石場らしい段差になったフォルムと白茶けた斜面の様子がはっきりとわかる。
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 この久栗坂石の鉱脈は、岬の先端だけではなく、内陸にまで伸びているようで、川上神社を横っ腹につけた山だけでなく、青い森鉄道の線路を越えて南の山野峠と久栗坂トンネルの付近まで、採石の跡がある。
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 浅虫温泉から眺める鼻繰崎の背後にあるのは青森市内中心部で、その右手の山並みのなかに岩木山1,625メートルも、雲に半分隠れながらある。
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 久栗坂トンネルというのは、青森東バイパスになっている国道4号線にあるトンネルだが、驚いたことにその名前で検索すると、曰く心霊スポット、心霊マップ、恐怖体験などというフレーズがソロゾロ出てきて、そういう情報をせっせと書きこんでいる人が多いことのほうがずいぶん怖い。
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▼国土地理院 「地理院地図」
40度52分19.86秒 140度50分10.66秒
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タグ:東北地方
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1489 バッコノ崎=青森市大字野内(青森県)青森での岬の落穂ひろいはまずわからんことだらけのこの岬から始まる [岬めぐり]

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 日光より北の東北地方へ足を踏み入れたのは、いったいいつでどこが初めてだったのか。やはり最初に龍飛崎に行ったときだろうか。今となっては、それがいつだったかもうまく思い出せない。記録を調べてみると、それはどうやら1990(平成2)年だったようだ。だが、岬めぐりをつまみ食いではなく日本全国いちおう全部行くと方針を変更してからは、青森県はもう何度もやってくることになった。
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 降りずに通り過ぎる分は別にしても、2006・2007・2009・2010年とほぼ毎年のように青森県は訪問していた。深く切れ込んだむつ湾があり、津軽・下北と二大半島をもつ青森県は、岬の数も東北一多いので、そうなっていたのだが、ここ数年は通過するばかりだった。
 2010年の訪問も、暮れの東北新幹線新青森延伸前で、まだ八戸から在来線に乗り換えてのことだった。そのときもむつ湾を横断していたのだが、まだまだ不完全で取りこぼしが目立っていた。そこで、北海道の噴火湾から南下して、続く今回はむつ湾の落穂ひろいと十和田湖の岬めぐりを計画した。
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 まずは、このバッコノ崎。これはむつ湾最奥部にある青森港から、北東へ向かうと最初の岬となる。周辺ではさらに北東の海岸に並んでいる鼻繰崎や善知鳥崎とセットのようになっている3つの岬は、車窓からでよかろうと、まずは新青森で新幹線を降りて奥羽本線に乗り換えて、ひと駅先の青森駅まで行かなければならない。
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 だいたいは10〜15分くらいの待ち合わせで接続しているのだが、このときは特急「つがる」の自由席に特急券なしで乗れるという接続だった。
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 浅虫温泉まで行く途中の沿岸に、この3つの岬はあるので、青い森鉄道でとも考えたが、待ち時間が長い。青森駅前の2番乗り場から青森市営バスの浅虫温泉行きに乗って、バッコノ崎をというコースではどうだろうか。
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 そう思ったのだが、奥州街道でもある県道259号線を走るバスからは、ほとんど見えなかった。おまけにバスは青森市中心部から北東側郊外へ出て行くルートで、数多いバス停で乗り降りする人が多く、野内に行くまでにずいぶん時間がかかってしまった。
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 結果的にバスルートの選択は失敗だったわけで、翌日の帰りに浅虫温泉から青森に向かう青い森鉄道の車窓から、どうにかバッコノ崎を確認できた。
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 この岬は、一般によくある先端部が山または丘、あるいは崖になった岬の形状とは異なっている。80メートルちょっとの小山があることはあるのだが、その北側の斜面からすっぱり切り取られたように地図では見える。考えられるのは、古い時代の砕石場などだが…。
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 不思議なのは、地理院地図では80メートルの山頂付近から東斜面に水路が描かれていて、いったん池のように溜まって今度は北へ向かって流れだすような描写があることだ。小山の上からいきなり水流が流れ出すとは、いったいどのような条件でそれが可能になるのだろうか。どう考えてみても、想像がつかない。あるいは、地理院地図のデータが古いので今は違うのかもしれないが、それにしても奇妙だ。
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 北側の岬一帯は平地で、その土地利用形態もわからない。道は東西どちらも途中で消えている。いずれにしても、自然のままの地形風景ではなさそうなので、あるいは東隣にある大きな銀色のタンクをもつ施設の歴史と、なにか関係がありそうだ、というくらいのことしかわからない。青い森鉄道の車窓からは、とうていうかがい知ることもできない。
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 地図も多くを語ってくれないが、毎度引き合いに出している地理院地図とMapionでは、寡黙という点では同じだがときどき大きく違うことがある。ここでも、地理院が無視している石油関連施設らしい敷地からむつ湾に向かって500メートルも突き出ているバースのようなものがMapionにははっきり描かれていて、実際にそれはあったのが、車窓からも少し見えた。
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 岬の東側の小さな入江はこの施設が一帯を占領しているような場所で、あまり一般にふらふら立ち入ることはできない雰囲気もあるが、フェンスで通せんぼがしてなければ…。ま、今回は車窓だけで行きませんけど。
 名前も「あばあちゃんの岬」というような意味かともとれなくもないが、それもどうだかわからない。
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▼国土地理院 「地理院地図」
40度51分41.30秒 140度49分24.93秒
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1488 イコリ岬2=虻田郡豊浦町字礼文華(北海道)噴火湾湾岸の岬をまとめて締めくくり [岬めぐり]

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 イコリ岬もまた、前回雨に霞んでいた岬を「2」としてもう少しうまく見ることはできないかと思ったのだが…。

   692 イコリ岬=虻田郡豊浦町字礼文華(北海道)あいかわらず変な写真ばかりですがここも雨の車窓から

 結果的には、前のと比べて各段によくなったというわけでもない。確かに雨は降っていなかったが、イコリ岬を車窓から見るところは、極めて限られる。その僅かの間に、よりよいシャッターチャンスが取れなかった。
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 茶津崎を過ぎると、礼文浜トンネルに入ってしまうので、東からの海越しの景色は望めない。トンネルを出るとすぐ礼文華の町で、しかもどんどん北西に線路は続くので岬はどんどん離れてしまう。おまけに特急だから礼文駅はスピードも落とさず通過してしまう。
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 ここはやはり、車窓からはこれ以上ムリで、各停の電車で礼文駅で降り、町の東の外れにある神社の石段を登ったあたりから眺めるのが、ベストポジションでそれしかないようだ。
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 というのも、礼文華(れぶんげ)川の河口から西へは、幌扶斯山の山塊が小幌の谷を越えて静狩の屏風を立てたような長い断崖につながっているので、西からは見ることができないからだ。
 礼文華川の河口右岸に、ゴボッと岩の塊をおいたようなイコリ岬の特徴は、ナイフのような立石が目立っていることだが、なんとか道がある礼文華海岸まで寄ってしまうと見えなくなってしまうだろう。この立岩が見えるのは、礼文の町でも東の港の周辺に限られるようだ。
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 「礼文華」の元のアイヌ語は、崩壊した岬、という意味なのだそうだ。 この立石は、まさに崩壊の跡を示しているのか。
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 前回は、長万部で降りで寿都へ向かっていたが、小幌や静狩のことはもう書いているので、692項のほうを参照していただくとして、ここでは噴火湾もこれが最後になるので、いちおうのまとめをしておきたい。
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 チキウ岬から茶津崎までは、前項でふれたので、イコリ岬から湾の西へ辿ってみる。
 すると、トンネルを出た静狩からは、断崖の海岸が終わって砂浜の海岸になるので、岬は森町の湯ノ崎までない。

   880 湯ノ崎=茅部郡森町鷲ノ木町(北海道)噴火湾岸の岬めぐりは榎本武揚と“いかめし”にて全巻の終わり

 そこから茅部の駒ヶ岳の北、

   879 砂崎=茅部郡森町砂原(北海道)“さわら”の“すなざき”は平たい砂地の岬と灯台があるめずらしいところ

   878 松屋崎=茅部郡森町砂原(北海道)この岬のところだけ飛び地で「砂原」となっているのはどうしてですか?

 と続いて、鹿部の出来澗崎となる。

   877 出来澗崎=茅部郡鹿部町本別(北海道)蝦夷駒ヶ岳の山麓に出来た町でただひとつの岬もその噴火で出来た

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 この出来澗崎とチキウ岬を結ぶ線が、噴火湾の東に開けた湾口、となる。
 これで、北海道は残すところ利尻・礼文の島だけとなった。これがまた難物でね。どうしようかね。

▼国土地理院 「地理院地図」
42度33分59.45秒 140度34分57.59秒
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1487 茶津崎2=虻田郡豊浦町字大岸・字礼文華(北海道)カムイチャシ「神の砦」の岬こんどはちゃんと見えた [岬めぐり]

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 室蘭のチキウ岬と鹿部の出来澗崎を結ぶと、地図上に南南西方向の斜線が引ける。その距離およそ30.4キロ。これが内浦湾(噴火湾)の湾口になる。
 丸いというより横から見たリンゴのような形をしたこの湾については、

  691茶津崎=虻田郡豊浦町字大岸・字礼文華(北海道)噴火湾は実は噴火でできた湾ではないのだよ

 の項で述べている。
 ただ、このときは激しい雨の中だったので、比較的線路から近い岬なのに、写真はほとんどなにも写っていない状態だった。
 そこで、今回は「茶津崎2」として、こんな岬でしたよ〜という写真をなんとか掲げることができた。
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 2.7キロもある大岸トンネルは長い砂浜の間に、崖の山が張り出しているところで、そこを室蘭本線はトンネルで突き抜けている。こういう形は、実は噴火湾の北岸では目立っている。大岸というのも字面のイメージは決して砂浜ではなく、ゴツゴツといかつい崖の切り立った海岸の雰囲気を伝える地名なのではないか。
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 ぽつんと飛び出した小さなコブのような岬は、視界さえきけば室蘭本線の上りが大岸駅を過ぎた頃から、その車窓からも余裕で眺められる。だんだんと近寄るにつれて、岬の周囲が高さ20メートルくらいの断崖でできていることがわかる。この岬は、幅もそう太くはなく、短いトンネルであっという間に抜けてしまう。
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 トンネルといえば、東から鉄道のトンネルの入口には「新達古武」の文字が…。これがこのトンネルの名前だろう。「タプコプ=盛り上がった形の丘」に漢字を当てたものだろう。やはり、こういう突出した地形や風景というのは、必ず注目を集め、名前がつき、有効活用できないか、と考えるのだろう。
 ここを通る道路のほうは、道道609号線でカムイチャシトンネルが通っている。「チャシ=砦」が「チャツ=茶津」になったものだろうか。ここもアイヌの砦跡だったのだ。このような岬の自然地形を城や砦に利用することは、北海道にも多いが本州各地でもみられることなのだ。(ただ、シャチには宗教的な祭祀の場所、神域であるというものもある。)
 その名も「チャシコツ崎」という岬も斜里町にあった。

  1163 チャシコツ崎=斜里郡斜里町ウトロ西(北海道)“チャシ”の“コツ”だからこの名前になりました(わかりやすい!)

 そこでも書いていたが、「コツ=跡」なので、コツをつけることで跡を強調している。ここではそれは省略しているようだ。
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 道道トンネルの入口のもうひとつ海寄りにも、今は閉鎖された旧トンネルのような跡も見える。
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 トンネルを抜けると、岬周辺の海岸や岬の上も、きれいに整備された公園になっているようで、そこら一帯を「カムイチャシ史跡公園」というらしい。ここは虻田郡豊浦町で、公園も町が整備を進めたのだろう。
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 岬の東半分は大岸、西半分は礼文華と字地名が変わる。史跡公園は主に西側に広がっているが、車窓から見ると、植栽が枯れているのが気になる。この木々の間には、ここを訪れた文人の碑を集めた豊浦文学碑公園もあるという。
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 ここまでは、室蘭のチキウ岬から始まる噴火湾岸の岬を東から順に並べると、伊達市南有珠町のエントモ岬とアルトリ岬、豊浦町字海岸町のべべシレト岬、そしてこの茶津崎となる。
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 茶津崎を過ぎると、またトンネルでそこは礼文浜トンネル。そこを抜けると次のイコリ岬…。

▼国土地理院 「地理院地図」
42度34分43.71秒 140度37分12.77秒
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1486 エントモ岬=伊達市南有珠町(北海道)バスからでは見られなかった岬を帰りがけの室蘭本線の車窓から [岬めぐり]

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 雨上がりの北大の構内を散歩した後、札幌から函館北斗まで戻って、新幹線で帰路につく。そのためには、千歳線で苫小牧まで行き、苫小牧から長万部まで室蘭本線、長万部から函館北斗までは函館本線を走ることになるが、もちろん路線名が変わるだけで列車を乗り換える必要はない。
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 今回、いまさらながら実感として確認できたのは、下り室蘭本線は苫小牧で終わりではなく、千歳線の東を夕張寄りの線路が岩見沢へとつながっていることだ。
 毎度おなじみのスーパー北斗は、札幌=函館をつなぐエースだが、これがいつも混雑がひどいので、早めに手配して上りの進行方向左側の指定席をとっておいた。というのも、往路では夜に通ったので、復路には噴火湾岸の岬の落ち穂拾いもしておかなければならないからだ。
 前に来た室蘭本線の沿線では、チキュウ岬も雨と霧の中だったが、茶津崎もイコリ岬も雨のなんだかさっぱりわからない写真で項目をつくっていた。チキュウ岬はなかなか不便で、簡単にちょと寄り道ということができなかったが、そういうところも車窓から再確認しておきたい。
 それから、2011年にこのルートを歩いたときには、雨の中をバスで有珠まで行き、そこから傘をさしてかなり歩いてアルトリ岬とエントモ岬が見える砂浜の海岸に出た。そのときの記録が、

 689 アルトリ岬=伊達市南有珠町(北海道)バスに乗ったらエントモ岬を飛ばしてしまって雨のキャンプ場へ

 なのだが、写真はエントモ岬も多いのに項目が独立していないという変なことになっていた。そこで、エントモ岬の項目をまず新たに立てる必要があった。前回はバスで飛ばしてしまっていたのを、今回は室蘭本線の車窓からちゃんと見ておこう。
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 まず、蘭法華岬の登別を過ぎ、鷲別岬の鷲別、イタンキ岬の東室蘭を過ぎ、黄金駅・稀府(まれっぷ)駅の付近ではぐっと海岸が近くなる。タンカーのような船や海中作業用の浮きドックのような台船が何台も係留してある。気になったのは船に掲げられていた「特別管理物件」という大きな表示。
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 列車は噴火湾岸を北上し始める。伊達紋別を過ぎると、室蘭本線の線路は長流(おさる)川の河口を避けていったん海岸から離れ、伊達市長和の火力発電所の煙突が見えるころからまた海に寄っていく。その向こうに、エントモ岬が現れる。
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 あまり上等なお天気とも言えないが、前回よりはだいぶマシであろう。このエントモ岬から北北東6.4キロには標高733メートルの有珠山があり、そこから山裾が延びて低い丘となって海に届く。その先がエントモ岬なのだ。
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 エントモ岬も数千年前の有珠山の大噴火によって崩壊し、南に流れ下った溶岩台地の先端なのではあろうが、伊達市大平町から若生(わっかおい)町にかけての台地は、かなりデコボコで複雑な地形をなしている。そこには豊富な湧き水もあり、遺跡もあり、縄文以来人々の暮らしを育んできたようだ。
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 線路は、この岬を上り下りの分がれたトンネルで、くぐり抜けている。
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 有珠山とその東にある昭和新山398メートル、それに洞爺湖は、以前に訪れたことがある。1900年代に三度も噴火し、2000(平成12)年にも大噴火して被害を出している有珠山周辺では、その後の復興整備とともにジオパーク構想が進み、ビジターセンターや散策路などもできているようなので、そこもいちおう計画に入れようとはしてみたのだが…。
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 昭和新山も昔の教科書で知って以来だが、田畑が盛り上がって山ができたという話に、妙な感動をした記憶はなぜかまだ新しい。

▼国土地理院 「地理院地図」
42度29分27.46秒 140度48分27.61秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2017/07/04 訪問)
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1485 ゴメ岬=苫前郡羽幌町大字天売(北海道)もともとはゴメが鳴くからゴメ岬だったのだろうけれども… [岬めぐり]

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 要するに「覚悟」が足りなかったセイだ。誰のセイでもない。自分が悪いのだが、ちゃんと目的をはっきりとさせて、ひたすら行動すべきだったのに、つい事前の計画の確認を怠って、なんとなく港の北のゴメ岬のほうへ歩き出してしまっていた。
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 船が天売港に着いたら、一目散に南の坂道を登り、焼尻島を見ながら島を横切って北西海岸の観音崎を目指すべきだった…のかもしれない。
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 一方では、ゴメ岬から西へは道はなさそうだが、それでも回り込めば、あるいは破線の灯台へ登る道を行けば、観音崎も見えるのではないか、そう思えたのだ。ちょっとした判断ミスというのは、そういうことだ。
 ゴメ岬に近寄って行くと、斜面に鉄製の階段が白く見える。あれを登っていけばいいのだ…。ところが、うろうろして探してみたが、どうやってもそれに取りつくことができない。
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 家の裏まで入って、なんとか近づいたと思ったら、なんとその階段は治山施設管理用のもので、「灯台や展望台には行くことはできません」と小さな掲示があるのを見つけてしまった。こういうのって、親切なような不親切である。
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 では岬の先端から…。これも行き止まりで道がない。やれやれ。
 「ゴメが鳴くからニシンがくるとぉ~…」という歌の文句もあるが、ゴメというのは一般に北海道ではカモメのことをいう。ところが、この作詞家は「海猫」と書いて「ゴメ」と歌わせた。そこで、ゴメというのはウミネコのことだという理解が一般に広まって、ネット情報でもそう断定しているものが多いようだ。なんとか知恵袋では「ゴメは「うみねこ」のことです。」というのがベストアンサーになっている。
 しかし、そう断定するのは、やはり間違いであろう。青森や北海道で普通に言われるゴメは、やはりカモメとその仲間のことを総称してそう呼んでいるのではないか。ウミネコが多い地域ではそれをそう呼んだかもしれないが、なにもウミネコに限定するものではない。広くカモメの仲間のひとつにウミネコもいるということだろう。したがって、ゴメと呼ばれるときにウミネコも含まれることもあるが、ゴメ=ウミネコではない。
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 カモメはいなかったが、岬の岩場岩島は、たくさんの黒い鳥のたくさんの白いフンが岩を塗っている。
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 ブロックを積み上げた防波堤の内側を、その群れから離れた一羽がヨタヨタと歩いている。
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 なんだか、歩き方がおかしいようだし、近寄っても飛び立てない。ケガでもしているのだろうか。それをブロックの上から数羽のカラスがガアガアいいながら狙っている。かわいそうだが、この様子ではいずれカラスにやられてしまうだろうが、厳しい自然の掟はどうしてやることもできない…。
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 ネコ条例をつくった羽幌町には、カラス条例はないのだろうか。
 ゴメ岬を占拠しているこの海鳥は、なんという鳥なのだろうか。残念ながらオロロン鳥ではない。オロロン鳥(ウミガラス)はペンギンのように胸が白いが、これはまだらだ。どうやらウミウのようだ。
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 天売島で繁殖している海鳥には、オロロン鳥やウトウ、ケマフリ、ウミウ、オオセグロカモメなどがいると、港のフェリーターミナルには剥製をいくつか展示してあった。
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 ターミナルの入口でも、オロロンオロロンと…。
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 ウミウのゴメ岬は、岩場の出っ張りとそれに続いて沖へ延びる岩島からなり、先端の岩島には灯標識が立てられている。
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 現在の地理院地図では、海中の岩礁の表示が縦長に示されているだけだが、1970年代の航空写真を見ると、その付近がちゃんとした小島になっていたのがわかる。ここ数十年の間に、ゴメ岬の島は海中に沈んでしまったようだ。
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 ゴメ岬を占拠しているのはどうもウミウらしい、というのはでんでんむしのシロウト判断だけれども、ゴメのなかにウミウも含まれるんだろうか。
 チドリ目カモメ科カモメ属に分類されるカモメ科の鳥の仲間にも、いくつかあるようでそれはそれでけっこう複雑なようだが、アジサシ属が中心で、その端っこにカモメ亜科のカモメ属があり、ウミネコはそのなかに分類されている。つまり、ウミネコはかろうじてカモメの仲間としてゴメに含まれる。
 けれども、ペリカン目ウ科ウ属のウミウは目からして別なので含まれない、ということになる。となると、ゴメ岬は実はゴメ岬ではなくなっている、ということか。
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 観音崎は残ってしまったけれども、いちおうこれで北海道西海岸はおしまい。オロロンラインのオロロン2号に乗って帰ります。
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▼国土地理院 「地理院地図」
44度26分31.83秒 141度19分35.88秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2017/07/03 訪問)
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1484 太郎兵衛崎=苫前郡羽幌町大字天売(北海道)ネコ条例まで設けて保護している海鳥繁殖地がある天売島へ [岬めぐり]

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 中島さんの次は太郎兵衛さんです。太郎兵衛崎は昔ながらのベビーカーを横から見たような形をしている天売(てうり)島の西端にある。ベビーカーでいうと手押しハンドルとフードのジョイント部分にあたる。
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 周囲約12キロ、人口300人ちょっとというのも、焼尻島とほぼ同じような島は、その名も、もちろんアイヌ語源というのだが、焼尻島よりも?  それが「テウレ=魚の背腸」もしくは「チュウレ=足」に由来すると言われても、よけい訳がわからなくなるだけだ。アイヌ語源には、このように「聞かなきゃよかった・見なきゃよかった」というような解説がけっこう多いのが困る。
 それでも、こういう機会があるたびに「日本は単一民族国家だ」などといういかにも魂胆ありげな主張がまやかしであるかを、しっかりと意識しなければならないのだろう。北のアイヌ人も南の琉球人も、都合よく抑圧してきた歴史を直視しなければならない。また、世界史のなかで欧米列強の真似をして、最も遅れて突き進んだ帝国主義の歴史は、半島にルーツを持つ多くの人々を抱えることになり、共に暮らしてきた。いやいや、もっともっとずっと前から半島や大陸からこの列島にやってきた人も、少なからずあった。
 街で飲食店などに入ると、ちょっと変なアクセントと発音の声掛けに迎えられることがごく普通になっているような時代になっても、国は他の民族を受け入れるのに妙に神経質で、難民さえも頑なに拒んでいる。その割には、国民一般にはいわゆる人種的偏見は一部の特殊な主義主張を除けば、なべて少ないほうだと言えるのだろう。
 とにかく、この列島には、いわゆる日本人の祖先が定着する前からちゃんと先住民族がいたのだ、日本は最初から複数民族国家だったのだということを、北海道のみならず本州にもたくさんあるアイヌ語源の地名がはっきりと教えてくれる。
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 天売島には泊まらないで日帰りと聞いたユースホステルの人が、それは残念ですねといかにも残念そうに言った。こちらは、計画段階ではさほど残念には思っていなかったのだが、結果的にやはり残念だったかな。
 5日間というフリーきっぷの制約があるので、この計画ではどうしても泊まるわけにはいかなかったのだが、天売島ではちょっとした判断ミスから、観音崎という北西側の岬をスルーしてしまう結果となったからだ。
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 天売島の岬はそれを入れて3つしかない。南西端には赤岩という立岩や灯台もあるようだが、岬名はついていない。
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 そのうちこの太郎兵衛崎と北端のゴメ岬は、船からでも見える。だが、観音崎へは片道約3キロほど、斜面を140メートルの高度まで登って行かなければならない。帰りは降りになるとはいえ、船の出航時刻までに往復して帰ってこられるかどうかは微妙なところだ。
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 焼尻島とは逆に天売島の北西岸は、人家や集落はない。50メートルを超えるような断崖が端から端まで全面に渡って続いているので、島の集落は太郎兵衛崎を挟んで北と南に集中している。
 Wikipediaによると、明治以降ニシン漁従事者による乱伐と山火事によって、島内の森林の大半が消失したという。因みに北海道西海岸のニシン漁は、いったいどこが北限だったのだろう。初山別までは確かにあったような気がしたが…。と、思いついて調べてみると、稚内までほぼ切れ目なくニシン漁の痕跡は続いていた。
 一旦失われた自然を回復するのはたいていなことではないと、よく言われているが、戦後になって北海道が進めた植林によって、長い間の苦労の末にようやく森が回復したというが、iOSのマップの航空写真ではさほど大きく深い森があるようには見えない。
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 南西端の赤岩から北東に向かって延びる断崖に沿って、島の背骨をつくる山が並行していて、道路はその内側を通る。そこから南東方向に傾斜地が広がる。それがだいたいの島の姿らしい。そして、山で隔離されたその断崖を中心にして、さまざまな種類の海鳥の繁殖地があるようだ。
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 この「天売島海鳥繁殖地」は1938(昭和13)年から国の天然記念物に指定されていた。また、1982(昭和57)年には国指定天売島鳥獣保護区の集団繁殖地にも指定されている。そして、おもしろいのは羽幌町が海鳥などの保護を目的とした「天売島ネコ飼養条例」を施行していることだ。町のサイトには、25条からなる行例の全文と施行規則を載せているが、その第18条には、「住民並びに天売島を訪れる者は、自ら飼養していないネコに対し、みだりにえさ又は水を与えてはならない。」としている。
 要は海鳥を保護するために野良ネコをいなくしたいということで、飼いネコにはマイクロチップを埋め込んで家の中で飼育することを勧め、屋外で放し飼いにするさいは去勢しなければならないとか諸々の規制がある。
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 バードウオッチングもやらないし、格別愛鳥精神にあふれているわけではない。むしろ、ヒッチコック以来、鳥には少し恐怖心がある。が、ネコはこどもの時からいっしょに暮らしてきたでんでんむしは、確かにできればこの島には一泊して、自転車でも借りてぐるりと回ってネコとネコから保護されている鳥もみてみたかったかな…。

▼国土地理院 「地理院地図」
44度25分48.26秒 141度20分6.93秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2017/07/03 訪問)

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1483 中島の崎=苫前郡羽幌町大字焼尻(北海道)羽幌港から船に乗ってふたつの島へ着いた焼尻島でただひとつの名のある岬 [岬めぐり]

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 羽幌港と市街地は多少離れているが、沿岸バスは本社ターミナルと港の間に、萌えキャラのシャトルバスをワゴン車で運行しているので、帰りはそれに乗った。
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 羽幌=焼尻(やぎしり)・天売(てうり)航路も沿岸バス系列らしい羽幌沿海フェリーが運航している。フェリーのおろろん2号と、高速船のさんらいなぁ2号が交互に、羽幌=焼尻=天売=焼尻=羽幌の順につないでおり、往復キップはない。行きは高速船、帰りはフェリーになったが、高速船では天売まで1時間、フェリーだと35分よけいに時間はかかる。
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 客室も高速船は座席スタイルで、フェリーは大部屋ごろ寝タイプになる。
 焼尻島(やぎしりとう)にはヤギではなく羊が飼われているらしいが、この島の岬は焼尻港北側の中島の崎ひとつだけ。ここは下船せずに、船からの岬を眺めつつ天売まで行くことにした。
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  島民は200人ちょっとくらいで、東西に3.9キロ、南北にいちばん幅があるところで2.2キロの小さな島である焼尻島は登山靴のような形をしていて、かかと部分の上のほうに焼尻港があり、その北に中島の崎が続いている。
 かかとの下部分にはいちおう灯台もあって、岬らしい出っ張りもあるのだが、なぜかそこには岬の名はついていない。
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 その沖には神居岩という岩礁があって、それを知らせる灯標識が立っている。
 羽幌町の西北西25キロにあたるこの島も、当然ながらアイヌの島だったわけで、アイヌ語源説もふたつある。どっちを採用していいのかわからないが、ひとつは「エハンケ・シリ=近い島」で、いまひとつは「ヤンケ・シリ=水揚げの島」だという。
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 音では後者のほうが近いように思われるが、意味的には前者のほうがしっくりくるような感じがある。なにせ、この島は羽幌の海岸からもよく見えているのだから…。
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 焼尻港で数人の乗客を降ろしまた乗せると、船は島の海産物や羊などを描いた壁画の岸壁を出る。近頃ではどこの港でもこうした壁画をよく見かける。それは、地元の小中学校のこどもたちの卒業制作だったりするのだが、ここのはどうかわからない。その壁画の、右端に描かれたものはなんだろうと、しばらく考えてやっとわかった。
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 それは羽幌港で、真ん中に焼尻の島と港があり、左端の赤いのは沈む夕日という壮大は構図なのだった。
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 港を出て、中島の崎を回り込む。段丘のようになった緑の岬の上を、道路が登っているのがみえる。
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 これが島内を一周する道道255線につながるのだろう。島の集落の大半は、港のある東浜とその南の白浜の海岸に集まっている。残りの家々は、比較的傾斜のゆるい島の北側の海岸にある豊崎と西浦にあって、島の南側にはほとんど人家がないようだ。
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 中島の崎という名はアイヌには関係がなさそうだが、他の多くの岬がそうであるように、名前の由来などの情報は見当たらない。天売と羽幌の間にあるから中島なのかとも考えられるが、単に中島さんという人が最初に自分の名で命名しただけなのかもしれない。
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 これだから、ほとんどの場合、岬の名前には深入りできないし、しようもないのだ。だが、これはそんな情報にはなんの価値もないと、その伝承をさぼってきた後世の責任であるような気が、だんだんしてきている。
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 岬を回ると、今度は船は西南西に進路を取って正面に見えてい天売島をめざす。名前のない焼尻最西端の出っ張りから、天売島の東端である太郎兵衛崎までは3.7キロほどしか離れていない。この間の水域には、地理院地図では武蔵水道と明記している。さては、武蔵坊弁慶さん、寿都の弁慶岬からここまで伝説は足を伸ばしてきたのか、と思ったら違っていた。
 1925(大正14)年旧日本海軍の測量船であった「武蔵」が、この水域にやってきて測量したことからついた名であるという。
 ほらね、こういう具合になんらか命名の元になった由来というのは、なにかあるはずなんだろうけど…。

▼国土地理院 「地理院地図」
44度26分45.51秒 141度25分35.47秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2017/07/03 訪問)
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1482 金毘羅岬=苫前郡初山別村字豊岬(北海道)しょさんべつ村もがんばってますが豊岬ってどこにあるんでしょう [岬めぐり]

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 留萌の黄金岬と初山別村の金比羅岬はおよそ75キロも離れている。これだけ離れていれば、相互の関係はなさそうだから、金つながりといえばこじつけになってしまうだろう。
 留萌の黄金は由来不明だったが、ここは船の守り神である金毘羅さんを勧請したからではないかという想像はつく。この金比羅岬から北には次の岬が稚内の野寒布岬で、そこまではさらに105キロで、その半分はサロベツ原野の海岸である。実に留萌から稚内までの180キロの間の沿岸で、唯一の岬がこの岬、ということになるのだ。
 サロベツ原野の海岸はバス路線は走っていないが、天塩・幌延・豊富までの間をつないでいるのが沿岸バスで、このバスはなかなかエライ。残念ながら、豊富から稚内までバスは繋がっていないが、岬がないのでここから先へは行く必要がない。
 本当は、サロベツ原野のどこか端っこでもいいからちょっとだけ歩いてみたかったのだが、ひとつだけある海岸に出るバスも相当に不便で結局あきらめた。が、それでも沿岸バスがこの岬不毛地帯の沿岸を、ちゃんと走っているのは立派なものだ。
 だが、あくまでも廃止された鉄道の代替が存続理由なので、幌延・豊富からさらに北へもう少し行けば稚内なのに、それは行かない。
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 幌延・豊富行きの沿岸バスは、初山別村の中心地を抜け、少し内陸を回りこんで走る国道からまっすぐ海岸に向かって延びる一本道に入る。その行き止まりに、岬センターというバス停があり、道の駅や「岬の湯」という温泉施設や駐車場がある。
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 岬センターのバス停から乗るときは、宿泊施設のフロントに申し出て、あらかじめ予約を入れておかないといけない。予約がないと、あるいは降りる人がいないと?、国道をまっすぐ行って、この道まではバスも入ってこない、というしくみになっている。
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 バスを降りたそこから隣にある丘の上に灯台があり、しょさんべつ天文台がある。この一帯はみさき台公園という広い公園になっていて、なかにキャンプ場やバンガローなどもある。お約束どおり、やっぱり数台のキャンピングカーも停まっていて、テントを広げてなにかやっている。
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 他人の趣味や楽しみにケチをつけるのは、自分の掘った穴に落ちるようなものだからやめておくが、お互いせめてもうちょっとお天気がよいとよかったね。
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 金毘羅岬の名の由来は、燈光会の看板によると、この沖では海難が多発したので、金毘羅さんを祀ることにしたところからという。なるほど、とも思うがいささか説明不足で、納得度はいまいち。
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 海岸を覗いてみると赤い鳥居も見える。だが、帰りのバスまであまり時間の余裕もないので、下まで降りるのはやめておいた。降りるのはいいけどまた登って帰るのが大変だしね。
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 金毘羅岬のあるここはみさき台公園だが、公園のあるこの付近はセンターの北の集落まで豊岬という字地名がついている。郵便局も豊岬だし、海水浴場も豊岬。ひょっとしたら、そういう名の岬が金比羅岬とは別にあるのか?と思わせるに充分である。ムダと知りつつ探してみたけど、やっぱりそれはない。
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 「豊岬」というのは、なくなった羽幌線の駅名だったということはわかったが、ではその駅名はなぜそういう名になってどこの岬を指していたのか、その答えにはならないのだ。
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 村のサイトでは「初山別村最大の観光スポット。」としてみさき台公園をあげているが、それはつまりこの公園と付属する周辺施設全体が、「村営」あるいはそれに準ずるものなのであろう。
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 村としてはなかなか思い切った試みといえようし、その成果があがることを祈る気持ちに偽りはない。だが、それならそれで、なにかあまりにもいかにもそれらしく整いすぎていて、なにかが足りない。なにが足りないのだろう? たとえば「木」かな? さっぱりおもしろ感やわくわく感に乏しいように思うのは、お天気のせいではあるまい。
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 園地の照明は天文台のじゃまにならないようにしてあるそうだから、キャンピングカーがなくても温泉の宿に泊まって、夜は天文台で星空観察したり、芝生に寝っ転がって流れ星を数えるようなことができれば、それはそれで魅力的な岬になるかもね。お天気がよければ…。
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▼国土地理院 「地理院地図」
44度33分48.46秒 141度46分26.30秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2017/07/02 訪問)

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1481 黄金岬=留萌市大町二丁目(北海道)留萌パワーはすごいが単に黄金の夢を見ただけの岬だったのだろうか [岬めぐり]

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 黄金岬はめずらしく市街地にある岬で、JR留萠本線の終点になってしまった留萌駅からは2キロほど、留萌中心市街地の十字街からは1キロちょっとくらいのところにある。
 かつては列車から直結していたであろう港を南側から囲うようにして伸びている丘の西の端は、合同庁舎やハローワークなどもある大町のはずれで公営住宅が立ち並ぶ。その西端の崖の上が、元々の岬であったのだろうが、現在では、黄金岬といえばその崖の下の岩場の出っ張りをさしているようだ。
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 そこは、観光スポットというほどではないにしても、ある時期、多くの人が集まってくることを想定し、かつそれを期待したと思われる痕跡がいろいろ残されている。痕跡しか残っていないということは、その思惑は失敗したのであろう。
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 海岸の道路脇の狭いスペースには、何軒もの食べ物屋だったらしい建物が閉ざされたままになっており、岬の出っ張りには園地やベンチや岬の名を刻んだモニュメントとか、岩場に降りて歩く遊歩道のようなものまでできている。キャンプ場や海水浴場もあったようだが、今もそれらが機能しているのかどうかは定かでない。
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 食べ物屋は閉じていても、園地を整備して植えたハマナスは花をつける岬の周辺で車を停めて、岬の海岸を歩く人もちらほらとある。
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 丘の上から見下ろすと、黄金岬が海岸の岩場の出っ張りだけではないことが改めて感じられる。20メートルくらいの崖の上は、そこがかつては日和山と呼ばれた見張り所であったという石碑がある。
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 日和山というのは、現在の地図に残る名ばかりではなく、その昔そう呼ばれた丘や小山や岬の上が、あちこちにたくさんあったと思われる。
 海を見渡して、魚群を探知したり、天候や風や浪の様子などを見張る場所としての役割があったが、この場所になぜ「黄金」のような名前がついたのかはわからない。
 あるいは、留萌港が繁栄した頃の名残りなのであろうか。
 初めに留萌に降りた日は雨だったし、時間的にも初山別方面に行くバスに乗る都合があって、この日はとりやめ、黄金岬へは帰りの途中で留萌に戻ったときに行った。
 JR留萌駅前には黄色いタクシーがたくさん停まって客待ちをしているのだが、たまたまその時は黒いタクシーだけがいた。運転手さんに海のふるさと館までと行き先を告げると、俄然反応してきた。
 ちょうど今、佐藤勝の展示をやっている入場無料だから是非寄ってみてください、と言う。この作曲家は留萌の出身なんですが、ご存知でしたか、と続ける。ご存じない。その名前からしてまったく記憶になかった。
 留萌出身の人にはほかに森田公一もいます。ああ、それなら知っている。
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 とにかく熱心なので、岬を眺めるついでだし、そこにあるのだから手間も足もいらない。ちょっと展示室に寄ってみることにした。
 そしたら、佐藤勝という作曲家は、映画音楽の分野で幅広く活躍した人で、黒沢映画の音楽を始め、たくさんの映画音楽をつくってきた人だった。映画の題名は、あれもそうかこれもそうかという有名ドコロが並んでいるが、残念ながらメロディーが思い浮かぶことはない。
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 日本映画の場合、監督やついでにちょっとだけ脚本家の名が知られることはあっても、作曲家が脚光を浴びることはあまりない。木下忠司や林光のような人もいることはいたが、それでもいくつかの曲が思い浮かぶようなことはあまりない。(木下忠司の♪おいら岬の〜の『喜びも悲しみも幾歳月』や、テレビ『水戸黄門』の♪人生楽ありゃ苦もあるさぁ〜のような例外もあるにはあるが…。)
 けれども、外国映画の場合には、その映画のテーマ曲や主題歌がたくさん残されており、そのいくつかはシングルカットされてそれ自体が単独でヒットしたりしている。今やポピューラーのスタンダードになっていて、逆に「なにこれ映画音楽だったの」という人がたくさんいるくらいだ。
 そういえば、もう遠い昔、青春時代の真ん中のでんでんむしも映画音楽に興味を持って、ドーナツ盤のレコードを何枚か買っていたが、それも全部外国映画に限られる。その曲名を並べてみると、あまりにもあまりにも…で、へそまがりの看板に傷がつきそうなので、やめておこう。
 露骨なメディアミックス戦略を押し、映画と歌をセットにし宣伝費をつぎ込んで流行らせようとした角川映画のような例もないことはないが、日本映画も映画音楽をもっと工夫してもよいのかもしれない。佐藤勝のような人に、ほんとうはもっと光があたってもよいのだが、それにしても映画音楽作曲家の展示って、困るよね。結局並んでいるのはビデオやDVDの箱ばかりなのだから…。
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 海のふるさと館というのは、いかにも自治体がブームに乗って建物を建てたのはいいが、その後の運営維持管理に行き詰まって閉めてしまったのか…という見本のようなものだった。
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 ハコモノ行政の失敗を、教訓として忘れないために残してあるといういうわけでもなさそうで、上の階にあるレストランや豪華な展望ラウンジなども、すぐにでも客を迎えられそうな雰囲気だ。つまり、実質的に閉鎖してまだ間がないのだろう。その処分も行く末もこれからなのだろう。結局、崖の下の食べ物屋の建物と崖の上のハコモノも、いずれは取り壊されることになるのだろうか。
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 黄金の岬は、単に黄金の夢を見ただけの岬だったのだろうか。
 あまり時間に余裕もないので、歩いて十字街に出るのはやめて、留萌駅までまたタクシーを呼んだら、やってきたのは来るときと同じ運転手さんだった。見てきましたよ〜佐藤勝。そうですか留萌出身にはね、音楽家ではほかにもあがた森魚とかね、ダン池田なんかもそうなんですよ。へぇーそうなんですか、すごいですね留萌パワー。
 運転手さん、肝心な人を忘れている。この人もすごい人です、宮川 泰。その人にはでんでんむしは二三度ばかり会ったことがある。たまたま転勤族の父親の赴任先留萌で生まれたというだけの縁なので、あまり地元でも意識はないのだろうか。

▼国土地理院 「地理院地図」
43度56分48.18秒 141度37分44.57秒
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1480 カムイエト岬=増毛郡増毛町岩尾(北海道)霧に霞んでいてわずかしか見えない「神の岬」 [岬めぐり]

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 雄冬の北東隣にあった赤岩岬の所在は「増毛町岩老」だったが、その北に続く日方岬・マッカ岬、そしてこのカムイエト岬の所在はいずれも「増毛町岩尾」となっている。岩尾はずいぶん広範囲をカバーしている字地名であるが、おもしろいのは「岩尾温泉」の付近も赤岩岬と同じ「岩老」となっていることだ。岩老にあるのに「岩老温泉」と言わず、「岩尾温泉」と称しているのはなぜなのだろう。
 この付近と狭い海岸沿いの一部だけが「岩老」で、あとはほとんどが「岩尾」。岩尾と岩老。この区分はどうしてできたのだろう。
 例によって、どうでもいいことだが、でんでんむしはこういう一見どうでもいいようなことにこそ興味を惹かれる。おそらくこれも、答えは期待できないのだろうが、知っている人があったら教えてほしいものだ。
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 カムイエト岬の東の出っ張りまでが「岩尾」で、その東はすぐに「別苅」になる。カムイエト岬は、同じ岩尾にあるマッカ岬や日方岬と違って、見える岬のはずである。地図で見ると、いちばんよく見えるのは、国道231号線が、増毛の市街地を抜け、暑寒橋を過ぎて南下していく途中の道からで、少し遠いがそこからならカムイエト岬の全貌も見えるはずだった。
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 ところが、この日は朝からの雨で、岬も遠くに霞んでいてあまりよく見えない。そこで…というより、バスのダイヤにも合わせて、大別苅で下車し、カムイエト岬にできるだけ接近してみようと考えた。
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 大別苅は別苅という大きな集落の西隣にある国道沿いの小さな集落と漁港があるところで、国道のバス停から港に降りて行く。「ベッカリ」も「ペシ=水際の崖」から転じたアイヌ語源らしいが、確かに目の前に大きな崖が見えてくる。
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 だが、その崖は別苅漁港の西にある崖で、その向こうに薄く霞んでいるのがカムイエト岬になる。
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 なにしろ名前からして、「カムイ・エト(神の岬)」だから、よほど荘厳かつ神秘的な岬の風景があるのだろうが、残念ながらこのお天気では、霧に隠れていて、その裾のほうがわずかに伺えるだけだった。ちょっぴり、神秘的ではあるけれども…。
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 港を西へ進み、その防波堤のどん詰まりのところまで寄ってみたものの、そこからではカムイエト岬はまったく見えなかった。
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 また、戻って港への道の途中から眺めるのが、どうやらベストポジションのようだ。
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 その道の脇にも堤防のどん詰まりのところにもあったが、ここに限らずとにかく北海道ではやたらはびこっている植物がある。昔、西日本の道端でもよくあったスカンポのような感じもあるが、もっと背丈が高く巨大で、茎の部分も太く樹木のように頑丈そうだ。
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 どういう名前の植物かよくわからないのだが、なんとなくイタドリの仲間ではないかという類推はできる。イタドリならば、最近は通販の健康食品にも出てくるくらいだから、いくらか有用性もあるのかもしれないが、これは見たところほとんど北海道では「邪魔者」でしかないようだ。葉が青いうちはまだ道路の縁取りくらいにはなるが…。
 地方へ行くと、それぞれ民家の軒先や庭にさまざまな見たこともないような花が咲き乱れていて、そういうのを見るのも楽しいし、なぜかうれしい。
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 別苅漁港に降りて行く道の入口に立っていた看板には、タコの絵が描かれていた。この漁港ではタコが水揚げされるのかと、ちょっと意外な感じがした。イカならばやっぱりそうかと思うところだが、感覚的にタコはやっぱり意外だった。
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 その隣の倉庫のような建物の周囲には、青い網カゴが山のように積み重ねられている。
 これは、北海道に限らず、沿岸の漁港周辺ではよく見かけるもので、形や大きさにも何種類かあるし、色も赤いのも茶色いのもある。
 これらはカゴ網漁という漁法で用いられるもので、中にエサを仕掛けて海底に沈めておき、そこに入ってきたカニやエビなどを捕るものらしい。
 タコならタコツボというのは、一部を除いてだんだん減っているらしく、最近ではタコも四角い網を仕掛けるという。ここに積んであったカゴ網が、タコ用なのかどうかは確認できなかった。なにしろ、尋ねる人もまったく見かけないので…。
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 実際の行動順にいうと、大別苅からまた次のバスに乗って、雄冬まで行き、そこからまた折り返して戻っているのだが、大別苅で降りたのは、神の岬を見るためでもあったが、沿岸バスのバスダイヤを検討した結果の計画だった。
 沿岸バスのダイヤは、このように雄冬へ行くには大別苅で乗り換える必要があると表記されているからだったが…。
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 沿岸バスが、自らが掲げている自社サイトの時刻表の記載とは、実際には異なる運行をしていることに気がついたのは、雄冬から帰るときに乗ったバスの行き先表示が留萌になっていたからだ。
 大別苅で乗り換えなくてもこのまま留萌まで行けるんですね、とバスの運転手さんに確認すると、そうだと言う。「お客さんは、この一つ前のバスで大別苅までこられたんでしょうが、その次の便がこれなんです」
 なんだなんだ。道理で、大別苅では乗り継ぎ乗り換えの雰囲気がまるでないまま来たバスに乗ってしまったが、それも留萌から来たバスで、大別苅発ではなかったわけだ。

▼国土地理院 「地理院地図」
43度50分7.47秒 141度27分26.44秒
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1479 マッカ岬=増毛郡増毛町岩尾(北海道)かつては連絡船がつないだ断崖の沿岸を今ではバスがトンネルと道路と橋でつなぐ [岬めぐり]

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 日方岬から東北東へ3.4キロの位置にあるのがマッカ岬。そこから少し内陸に入った山の中を突き抜けるマッカ岬トンネルは、680メートルほどの長さしかないが、そこから東にはペリカトンネル390メートル、そして約2キロ弱の大別苅トンネルが続いている。
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 3つのトンネルの間には、尾根の切れ目の谷間があり、そこを国道は橋で渡っている。
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 マッカ岬トンネルの南西側では谷というより、標高100メートルほどの開けた海の見える山腹上を横切って通る。その1.2キロの間は、歩古丹橋、望洋橋、涛景橋など6つもの橋が続いているが、橋といっても下を川が流れているわけではなく、尾根の切れ目で谷になっている部分を橋でつないで、道路を平らに保っているわけだ。
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 この国道を、車でバンバン走り抜ける分には、なにも関係ないし気がつかないのだが、地図を見ると西の涛景橋を渡った辺り(つまり、日方泊トンネルの出入口の手前付近)から、国道から分かれて東の山にヘアピンカーブを繰り返しながら登って行く道がある。
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 どうやら、これがトンネルができる前に実際に使われていた旧道らしい。くねくねと山肌に沿いながら、できるだけ等高線に逆らわないようにして延々と続く山道は、マッカ岬トンネルとペリカトンネルの南を大きく回りこみ、大別苅トンネルの上を抜けると下り始め、大別苅川を横切ったところ、大別苅トンネルの孔口近くで国道231号線に合流している。
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 その付近の標高が100メートルくらいで、そこからマッカトンネルの西側の孔口を出て、いくつもの橋を通る付近までの間は、途中ペリカトンネル付近で130メートルと高くなっているが、トンネルと橋と道路で通るこの道は、ほぼ同じ高さといってもよい。
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 日方泊トンネルの東側開口部付近の涛景橋の辺りは50メートルくらいで、そこから300メートルもの高さを登りまた100メートルまで降りていた旧道の山道に比べると、いかにもありがたいものであろう。
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 ここの3つのトンネルができたのは1990年代の初頭だから、それ以前はもっぱらこの旧道ルートが唯一の道であったのだろう。それも歩古丹(あゆみこたん)にまだ集落があった頃までのことだろうが、この辺の事情は、ちょっと通りすがりにはなかなか全容をつかみにくい。だが、この旧道は冬季には閉鎖された。
 増毛まではまだ鉄道が通っていたが、雄冬へ行くには冬には陸路では行けず、増毛から雄冬へは小さな連絡船が通っていた、という。それも厳しい気象条件のなかではしばしば欠航した。
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 その連絡船は、この次のカムイエト岬、このマッカ岬、前の日方岬の断崖絶壁を見ながら、雄冬まで辿り着いたのだ。1日1往復の「雄冬丸」は、増毛=歩古丹=岩尾=毛間振(ケマフレ)=雄冬と途中の断崖に張り付いている小さな集落にも寄りながら、2時間近くかかって運航していたらしい。
 それも、1992(平成4)年のマッカ岬トンネル・ペリカトンネル開通までのことだったようだ。
 ところが、国道231号線の開通・全通は、雄冬岬トンネルが開通した1981(昭和56)年ということになっている。この10年間の経緯が、通りすがりにはわかりにくいとところなのだが…。
 2時間かけて連絡船がつないでいた区間を、現在ではその名も沿岸バスという会社の大型バスが30分ちょっとで走り抜ける。
 だが、その日に3便のバスの利用者は、当時の30人乗り1日1便の連絡船の乗客よりも、はるかに少ないのであろう。
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 ここにもあったマッカ岬
 
712 マッカ岬・ビヤノ岬=積丹郡積丹町大字幌武意町・大字美国町(北海道)美国から黄金岬と宝島の間にどうにか見えた


▼国土地理院 「地理院地図」
43度49分16.09秒 141度25分26.08秒
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1478 日方岬=増毛郡増毛町岩尾(北海道)見えない岬をトンネルで通過する国道231号線その2 [岬めぐり]

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 日方岬もこの次のマッカ岬も、見えない岬で、国道231号線は長いトンネルでそこを通り抜ける。南から北への掲載順だが、この区間の写真は北から南へ向きのものばかりになってしまった。
 そこで、まずは日方泊トンネルの北側から岩尾までの車窓から。
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 日方泊トンネルは2005(平成17)年に開通しているのだが、ここもまた旧トンネルとしてあった歩古丹(あゆみこたん)トンネルと天狗トンネルを改良しつつ、つなげつつできた新トンネルで、南側で連結する覆道と黒岩トンネルを合わせると4キロを超える長さになる。
 北側のトンネルの開口部での標高は200メートル弱だが、ここから270メートルくらいの尾根の下を通り、覆道で海岸線近くまで下っている。出入口の右手に海岸と岩がちょっと覗いているが、これは日方岬からは東北東1.6キロくらいのところにある膨らみ。日方岬はトンネルの真っ只中。
 出入口の下のほうになにやら構築物のようなものがある。これも推測だが、ここから下にあった旧トンネルと旧道へ続くルートの在処を示す痕跡の一部なのではないだろうか。
 そう思って調べてみると、やはりそうで、白い屋根の下に旧歩古丹ンネルの孔口があった。現在の地図からは消えかかっているが、それでもわずかな痕跡を残している。このトンネルはそう長いものではなく、その先は海岸の膨らみを旧道によって越えていた。
 では、同じく現在の地図からは確認できない天狗トンネルは、どこにあったのだろうか。
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 天狗トンネルは日方岬の東から南西方向に1.2キロ伸びて、岬を越えていた。現在の日方泊トンネルは、この旧天狗トンネルに途中からつながって、黒岩の覆道に通じている。もちろん、トンネル内は全部新しくなっているので、どこが繋ぎ目かはわからない。
 もっとも、そんなことを気にする人なんて、誰もいないだろうが。
 いやいや、いるんですね案外。
 これまでも何度かふれてきた、旧道・廃道・廃墟マニア。
 そういう人たちにとって、ここらも重要なポイントらしい。
 実際、今はもうない旧トンネルの所在も、公式記録はほとんど見当たらず、そういう人たちのネット情報によって、初めて知ることができる。
 ありがたいことではあるが、そういう情報のなかには、本文まるまるwikipediaのコピペ丸写しで、引用出所も明記していないものもある。まことに遺憾で残念なことですね。
 もともとはこの日方岬とこの北に続くマッカ岬をまとめて一項目にするつもりでいたが、やはり分けたほうがいいかと…。
 …次項に続く。
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 あ、そうそう。忘れるとこだった。
 実は同じではないけれど、似たような岬の名前があった。というか、トンネルのほうと同じ名前の岬があったんです。
 北海道は松前半島西海岸、上ノ国町字小砂子にある、「日方泊岬」。
 ここは、灯台まである立派な岬である。そして、ここもバスで通ったはずなのに、みると項目がないことに気がついてしまった。
 困ったね。どうしよう。

▼国土地理院 「地理院地図」
43度48分22.13秒 141度23分16.77秒
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1477 赤岩岬=増毛郡増毛町雄冬(北海道)追分ソーランラインが雷電国道になってオロロンラインへつながる北海道西海岸の道 [岬めぐり]

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 この国道231号線が開通したのは、1981(昭和56)年のことで、雄冬岬トンネルの完成によって、当時の浜益郡浜益村と増毛郡増毛町の間が、初めてつながった。これによって、札幌=留萌間の最短ルートが全通したことになる。
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 けれども、現在の地図には「雄冬岬トンネル」の表記はない。それは2016(平成28)年に、それまであったガマタトンネルと雄冬岬トンネルのふたつのルートをつなげて、総延長4,748メートルの浜益トンネルひとつに統合しているからだ。
 北海道の石狩以北の西海岸を走る国道は、別名「オロロンライン」というらしい。檜山の海岸を走る道路は「追分ソーランライン」だったし、それが島牧からは「雷電国道」となって小樽までつながってきた。それが、ここではオロロンラインになったわけだ。
 「雄冬」という地名は、石狩市と増毛郡増毛町が分けあっているが、集落の大部分は増毛町に属している。留萌から来てまた北へ折り返していくバスの車窓から、岬を拾っていくが、写真は往復のが入り混じり、展望の開けた南向きのほうが多くなる。
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 雄冬集落の北に、「ケマフレ」というバス停がある。
 ここには東の山からケマフレ川が流れてくるが、その谷は幅600メートルもある開けたカール状の谷になっている。
 オロロンというのは鳥の名なのだが、ケマフレというのもそうらしい。赤い足が特徴の黒いウミスズメ科の鳥の名だというし、例によってその名もアイヌ語で「赤い足」を意味する。もともとオホーツクやカムチャッカという北海道東北部地域の鳥の名ケマフレが、どうして北海道も西海岸のここについているのだろうか。
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 そのケマフレの400メートル北東寄りに見えてくるのが、赤岩岬。こういうところは、たいてい岩や土の色が赤いというところからその名が付けられていることが多いが、ここもそうなのか。ここから先には岩尾温泉があるが、そこをさらに北に行くと、黒岩トンネルというのもあるので、あるいは単純なる比較でついただけなのかもしれない。…やっぱり赤いね。
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 70メートルほどの高さをもつ岩の小尾根が、短くチョンと飛び出していて、短い覆道が南西東北両側についたトンネルでそこを通過する。
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 これが、ここを走っている沿岸バスの車内。乗客も少ない(というか、でんでんむししかいない、この区間では)のに、大型の観光バス仕様だ。
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 この岬から北へは、しばらく覆道が断続的に続いていて、その途中にはアカイワ川という川も流れ下っている。覆道やトンネルが多いということは、そこに道路を通すことがなかなか大変だったということを示している。
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 赤岩岬はやはり、この地域の地質の特徴が、その名を生んだもののようで、南からでははっきりしないが、北から見たところでは岬とその周辺では確かに崖や岩が赤く見える。してみると、ここもアイヌ語源がそのほとんどを占める北海道では、わずか2割ほどしかない和名語源による命名ということになるらしい、
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 もっとも、2割というその根拠はうろ覚えで、地名というのは町や村の名なのか、山や川の名をなど自然地形を含むのか、岬は入るのか入らないのかはわからない。
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 こうした海岸の小さな出っ張りに、わざわざ岬の名をつけるのは、多くは船の航行や漁労の便であったりすることが多いが、ここの場合はなんとなく道路のほうからついたのではないか、とそんな気もする。
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 北海道は昔からライダーが多いが、釣り人は全国どこにでもいる。しかし、こんなところまでちゃんとやってきてちゃんと竿を出しているのは、なかなか見上げたものだ。
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▼国土地理院 「地理院地図」
43度45分27.93秒 141度21分15.99秒
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1476 雄冬岬=石狩市浜益区雄冬(北海道)カモメになって飛んでいかないと見えない浜益トンネルのゆるい膨らみ全体 [岬めぐり]

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 ゆるい弧を描く急峻な崖の海岸線を一本の道路が通っていて、その内側に巨大な山塊を抱えているので、鉄道はそのはるか内側を走る。海岸線に点在する集落は、飛び飛びで小規模である…。
 そんな意味では、これまで渡島半島北部で残っていた、毛無山の帆越岬・尾花岬と、狩場山の茂津多岬と、ここ暑寒別岳1,492メートルを主峰とする増毛山地の西に張り出す雄冬岬も、まったく同様のかたちになっている。
 ただ、渡島半島と異なるのは、この海岸線を走る国道231号線は、いちおう札幌と天塩を結ぶ急行路線バスが走っていることだ。ならば、そのバスで…と計画はしてみたのだが、どうやってもバスの時間の都合でうまく合わない。
 それに、たとえそのバスに乗ったとしても、実は雄冬岬を見ることはできない。
 なぜなら、ここも尾花岬や茂津多岬と同じく、長いトンネルでそこを通過しているから、船をチャーターするか、カモメになって飛んで行くしか見ることができない岬なのだ。
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 そんなわけで、途中の覆道も含めて4キロもある浜益トンネルの北寄りに位置する雄冬岬は、留萌からバスで雄冬まで行き、そこから岬のほうを眺めるにとどまる。
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 バスは主に留萌市内を走る路線バスなので、増毛町の雄冬から南には行かない。というか、次の集落は南に5キロ以上離れた千代志別までない。だいたい、留萌からここまで来るだけでも大変なのだ。
 見えている崖の1キロ先にあるはずの雄冬岬は、断崖と護岸の海岸でちょこんと飛び出た岩礁に過ぎない。それなのに有名で存在感があるのは、ひとえにこの山塊の膨らみの大きさによるのだろうか。
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 いやいや、それよりも地理院地図の岬名表記の位置が、小さな出っ張りにくっつきすぎているだけで、別にそこが岬というわけではないのだろう。
 雄冬岬とは、特定の出っ張りの名前ではなく、浜益トンネルの通る断崖の膨らみ全体を総称しているのではないか。そう考えるほうが当たっているのだろう。
 岬の位置は石狩市だが、この市ではほかに岬がない。長い距離をもつ石狩湾岸では、小樽の平磯岬から東へそして銭函から石狩川河口を過ぎて北上しても、次の岬がこの雄冬岬になる。まさに岬不毛の地帯がおよそ95キロにわたって続いている。河口で砂浜が長いこともあるにはあるが、すぐ北に続く雄冬と増毛の間の23キロでも4つも岬があることと比べれば、この区間は特殊だ。
 もっとも、こんなことを詮索したところで、たいして意味がないことは、充分承知のうえでのことなのだが、とりあえず、小樽から北へは次の岬がここだということだけは、あきらかにしておく必要がある。
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 バスの終点で、折り返しバスの発車までここでもあまり時間がないので、うろうろもできない。このバス停の先あたりが、石狩市と増毛町の境界線になるはずなのだが。
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 みごとな岩の崖が目立つ山とその北側の展望台のようなものがある山に挟まれて、雄冬の集落は漁港の南、国道からは少し山側にひっこんだところに集まっているようだ。
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 この展望台があるところは雄冬園地というらしい。そこまでは自動車道がついているようだが、そこに上がるとほんとうに雄冬の雄大そうな岬のある崖まで見えるのだろうか。地図で検証する限りでは、方角からしてそれもなかなかむずかしいように思える。
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 しかし、そうでなければ、こんなところに展望台をつくって、なにを展望しようというのだろう。展望できないでんでんむしは、海岸に張り付いたまま考えてしまう。夕日だけならそんな高いところに上る必要もない。
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 その海岸には、丸い土管を輪切りにしたようなものが置いてある。この中に夕日が沈むとか、おおかたそんなところであろうが、これが国道231号線の開通記念の記念碑を兼ねている。
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 バスで南に下っていくとき、雨のしずくをつけたフロントガラスに、雄冬の漁港と集落と崖が見えていたが、今度は逆方向、北に向かうバスが折り返すのを待っている。雨は小雨がまだ降り続いていた。
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