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1486 エントモ岬=伊達市南有珠町(北海道)バスからでは見られなかった岬を帰りがけの室蘭本線の車窓から [岬めぐり]

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 雨上がりの北大の構内を散歩した後、札幌から函館北斗まで戻って、新幹線で帰路につく。そのためには、千歳線で苫小牧まで行き、苫小牧から長万部まで室蘭本線、長万部から函館北斗までは函館本線を走ることになるが、もちろん路線名が変わるだけで列車を乗り換える必要はない。
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 今回、いまさらながら実感として確認できたのは、下り室蘭本線は苫小牧で終わりではなく、千歳線の東を夕張寄りの線路が岩見沢へとつながっていることだ。
 毎度おなじみのスーパー北斗は、札幌=函館をつなぐエースだが、これがいつも混雑がひどいので、早めに手配して上りの進行方向左側の指定席をとっておいた。というのも、往路では夜に通ったので、復路には噴火湾岸の岬の落ち穂拾いもしておかなければならないからだ。
 前に来た室蘭本線の沿線では、チキュウ岬も雨と霧の中だったが、茶津崎もイコリ岬も雨のなんだかさっぱりわからない写真で項目をつくっていた。チキュウ岬はなかなか不便で、簡単にちょと寄り道ということができなかったが、そういうところも車窓から再確認しておきたい。
 それから、2011年にこのルートを歩いたときには、雨の中をバスで有珠まで行き、そこから傘をさしてかなり歩いてアルトリ岬とエントモ岬が見える砂浜の海岸に出た。そのときの記録が、

 689 アルトリ岬=伊達市南有珠町(北海道)バスに乗ったらエントモ岬を飛ばしてしまって雨のキャンプ場へ

 なのだが、写真はエントモ岬も多いのに項目が独立していないという変なことになっていた。そこで、エントモ岬の項目をまず新たに立てる必要があった。前回はバスで飛ばしてしまっていたのを、今回は室蘭本線の車窓からちゃんと見ておこう。
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 まず、蘭法華岬の登別を過ぎ、鷲別岬の鷲別、イタンキ岬の東室蘭を過ぎ、黄金駅・稀府(まれっぷ)駅の付近ではぐっと海岸が近くなる。タンカーのような船や海中作業用の浮きドックのような台船が何台も係留してある。気になったのは船に掲げられていた「特別管理物件」という大きな表示。
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 列車は噴火湾岸を北上し始める。伊達紋別を過ぎると、室蘭本線の線路は長流(おさる)川の河口を避けていったん海岸から離れ、伊達市長和の火力発電所の煙突が見えるころからまた海に寄っていく。その向こうに、エントモ岬が現れる。
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 あまり上等なお天気とも言えないが、前回よりはだいぶマシであろう。このエントモ岬から北北東6.4キロには標高733メートルの有珠山があり、そこから山裾が延びて低い丘となって海に届く。その先がエントモ岬なのだ。
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 エントモ岬も数千年前の有珠山の大噴火によって崩壊し、南に流れ下った溶岩台地の先端なのではあろうが、伊達市大平町から若生(わっかおい)町にかけての台地は、かなりデコボコで複雑な地形をなしている。そこには豊富な湧き水もあり、遺跡もあり、縄文以来人々の暮らしを育んできたようだ。
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 線路は、この岬を上り下りの分がれたトンネルで、くぐり抜けている。
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 有珠山とその東にある昭和新山398メートル、それに洞爺湖は、以前に訪れたことがある。1900年代に三度も噴火し、2000(平成12)年にも大噴火して被害を出している有珠山周辺では、その後の復興整備とともにジオパーク構想が進み、ビジターセンターや散策路などもできているようなので、そこもいちおう計画に入れようとはしてみたのだが…。
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 昭和新山も昔の教科書で知って以来だが、田畑が盛り上がって山ができたという話に、妙な感動をした記憶はなぜかまだ新しい。

▼国土地理院 「地理院地図」
42度29分27.46秒 140度48分27.61秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2017/07/04 訪問)
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タグ:北海道
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1485 ゴメ岬=苫前郡羽幌町大字天売(北海道)もともとはゴメが鳴くからゴメ岬だったのだろうけれども… [岬めぐり]

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 要するに「覚悟」が足りなかったセイだ。誰のセイでもない。自分が悪いのだが、ちゃんと目的をはっきりとさせて、ひたすら行動すべきだったのに、つい事前の計画の確認を怠って、なんとなく港の北のゴメ岬のほうへ歩き出してしまっていた。
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 船が天売港に着いたら、一目散に南の坂道を登り、焼尻島を見ながら島を横切って北西海岸の観音崎を目指すべきだった…のかもしれない。
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 一方では、ゴメ岬から西へは道はなさそうだが、それでも回り込めば、あるいは破線の灯台へ登る道を行けば、観音崎も見えるのではないか、そう思えたのだ。ちょっとした判断ミスというのは、そういうことだ。
 ゴメ岬に近寄って行くと、斜面に鉄製の階段が白く見える。あれを登っていけばいいのだ…。ところが、うろうろして探してみたが、どうやってもそれに取りつくことができない。
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 家の裏まで入って、なんとか近づいたと思ったら、なんとその階段は治山施設管理用のもので、「灯台や展望台には行くことはできません」と小さな掲示があるのを見つけてしまった。こういうのって、親切なような不親切である。
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 では岬の先端から…。これも行き止まりで道がない。やれやれ。
 「ゴメが鳴くからニシンがくるとぉ~…」という歌の文句もあるが、ゴメというのは一般に北海道ではカモメのことをいう。ところが、この作詞家は「海猫」と書いて「ゴメ」と歌わせた。そこで、ゴメというのはウミネコのことだという理解が一般に広まって、ネット情報でもそう断定しているものが多いようだ。なんとか知恵袋では「ゴメは「うみねこ」のことです。」というのがベストアンサーになっている。
 しかし、そう断定するのは、やはり間違いであろう。青森や北海道で普通に言われるゴメは、やはりカモメとその仲間のことを総称してそう呼んでいるのではないか。ウミネコが多い地域ではそれをそう呼んだかもしれないが、なにもウミネコに限定するものではない。広くカモメの仲間のひとつにウミネコもいるということだろう。したがって、ゴメと呼ばれるときにウミネコも含まれることもあるが、ゴメ=ウミネコではない。
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 カモメはいなかったが、岬の岩場岩島は、たくさんの黒い鳥のたくさんの白いフンが岩を塗っている。
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 ブロックを積み上げた防波堤の内側を、その群れから離れた一羽がヨタヨタと歩いている。
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 なんだか、歩き方がおかしいようだし、近寄っても飛び立てない。ケガでもしているのだろうか。それをブロックの上から数羽のカラスがガアガアいいながら狙っている。かわいそうだが、この様子ではいずれカラスにやられてしまうだろうが、厳しい自然の掟はどうしてやることもできない…。
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 ネコ条例をつくった羽幌町には、カラス条例はないのだろうか。
 ゴメ岬を占拠しているこの海鳥は、なんという鳥なのだろうか。残念ながらオロロン鳥ではない。オロロン鳥(ウミガラス)はペンギンのように胸が白いが、これはまだらだ。どうやらウミウのようだ。
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 天売島で繁殖している海鳥には、オロロン鳥やウトウ、ケマフリ、ウミウ、オオセグロカモメなどがいると、港のフェリーターミナルには剥製をいくつか展示してあった。
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 ターミナルの入口でも、オロロンオロロンと…。
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 ウミウのゴメ岬は、岩場の出っ張りとそれに続いて沖へ延びる岩島からなり、先端の岩島には灯標識が立てられている。
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 現在の地理院地図では、海中の岩礁の表示が縦長に示されているだけだが、1970年代の航空写真を見ると、その付近がちゃんとした小島になっていたのがわかる。ここ数十年の間に、ゴメ岬の島は海中に沈んでしまったようだ。
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 ゴメ岬を占拠しているのはどうもウミウらしい、というのはでんでんむしのシロウト判断だけれども、ゴメのなかにウミウも含まれるんだろうか。
 チドリ目カモメ科カモメ属に分類されるカモメ科の鳥の仲間にも、いくつかあるようでそれはそれでけっこう複雑なようだが、アジサシ属が中心で、その端っこにカモメ亜科のカモメ属があり、ウミネコはそのなかに分類されている。つまり、ウミネコはかろうじてカモメの仲間としてゴメに含まれる。
 けれども、ペリカン目ウ科ウ属のウミウは目からして別なので含まれない、ということになる。となると、ゴメ岬は実はゴメ岬ではなくなっている、ということか。
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 観音崎は残ってしまったけれども、いちおうこれで北海道西海岸はおしまい。オロロンラインのオロロン2号に乗って帰ります。
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▼国土地理院 「地理院地図」
44度26分31.83秒 141度19分35.88秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2017/07/03 訪問)
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1484 太郎兵衛崎=苫前郡羽幌町大字天売(北海道)ネコ条例まで設けて保護している海鳥繁殖地がある天売島へ [岬めぐり]

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 中島さんの次は太郎兵衛さんです。太郎兵衛崎は昔ながらのベビーカーを横から見たような形をしている天売(てうり)島の西端にある。ベビーカーでいうと手押しハンドルとフードのジョイント部分にあたる。
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 周囲約12キロ、人口300人ちょっとというのも、焼尻島とほぼ同じような島は、その名も、もちろんアイヌ語源というのだが、焼尻島よりも?  それが「テウレ=魚の背腸」もしくは「チュウレ=足」に由来すると言われても、よけい訳がわからなくなるだけだ。アイヌ語源には、このように「聞かなきゃよかった・見なきゃよかった」というような解説がけっこう多いのが困る。
 それでも、こういう機会があるたびに「日本は単一民族国家だ」などといういかにも魂胆ありげな主張がまやかしであるかを、しっかりと意識しなければならないのだろう。北のアイヌ人も南の琉球人も、都合よく抑圧してきた歴史を直視しなければならない。また、世界史のなかで欧米列強の真似をして、最も遅れて突き進んだ帝国主義の歴史は、半島にルーツを持つ多くの人々を抱えることになり、共に暮らしてきた。いやいや、もっともっとずっと前から半島や大陸からこの列島にやってきた人も、少なからずあった。
 街で飲食店などに入ると、ちょっと変なアクセントと発音の声掛けに迎えられることがごく普通になっているような時代になっても、国は他の民族を受け入れるのに妙に神経質で、難民さえも頑なに拒んでいる。その割には、国民一般にはいわゆる人種的偏見は一部の特殊な主義主張を除けば、なべて少ないほうだと言えるのだろう。
 とにかく、この列島には、いわゆる日本人の祖先が定着する前からちゃんと先住民族がいたのだ、日本は最初から複数民族国家だったのだということを、北海道のみならず本州にもたくさんあるアイヌ語源の地名がはっきりと教えてくれる。
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 天売島には泊まらないで日帰りと聞いたユースホステルの人が、それは残念ですねといかにも残念そうに言った。こちらは、計画段階ではさほど残念には思っていなかったのだが、結果的にやはり残念だったかな。
 5日間というフリーきっぷの制約があるので、この計画ではどうしても泊まるわけにはいかなかったのだが、天売島ではちょっとした判断ミスから、観音崎という北西側の岬をスルーしてしまう結果となったからだ。
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 天売島の岬はそれを入れて3つしかない。南西端には赤岩という立岩や灯台もあるようだが、岬名はついていない。
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 そのうちこの太郎兵衛崎と北端のゴメ岬は、船からでも見える。だが、観音崎へは片道約3キロほど、斜面を140メートルの高度まで登って行かなければならない。帰りは降りになるとはいえ、船の出航時刻までに往復して帰ってこられるかどうかは微妙なところだ。
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 焼尻島とは逆に天売島の北西岸は、人家や集落はない。50メートルを超えるような断崖が端から端まで全面に渡って続いているので、島の集落は太郎兵衛崎を挟んで北と南に集中している。
 Wikipediaによると、明治以降ニシン漁従事者による乱伐と山火事によって、島内の森林の大半が消失したという。因みに北海道西海岸のニシン漁は、いったいどこが北限だったのだろう。初山別までは確かにあったような気がしたが…。と、思いついて調べてみると、稚内までほぼ切れ目なくニシン漁の痕跡は続いていた。
 一旦失われた自然を回復するのはたいていなことではないと、よく言われているが、戦後になって北海道が進めた植林によって、長い間の苦労の末にようやく森が回復したというが、iOSのマップの航空写真ではさほど大きく深い森があるようには見えない。
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 南西端の赤岩から北東に向かって延びる断崖に沿って、島の背骨をつくる山が並行していて、道路はその内側を通る。そこから南東方向に傾斜地が広がる。それがだいたいの島の姿らしい。そして、山で隔離されたその断崖を中心にして、さまざまな種類の海鳥の繁殖地があるようだ。
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 この「天売島海鳥繁殖地」は1938(昭和13)年から国の天然記念物に指定されていた。また、1982(昭和57)年には国指定天売島鳥獣保護区の集団繁殖地にも指定されている。そして、おもしろいのは羽幌町が海鳥などの保護を目的とした「天売島ネコ飼養条例」を施行していることだ。町のサイトには、25条からなる行例の全文と施行規則を載せているが、その第18条には、「住民並びに天売島を訪れる者は、自ら飼養していないネコに対し、みだりにえさ又は水を与えてはならない。」としている。
 要は海鳥を保護するために野良ネコをいなくしたいということで、飼いネコにはマイクロチップを埋め込んで家の中で飼育することを勧め、屋外で放し飼いにするさいは去勢しなければならないとか諸々の規制がある。
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 バードウオッチングもやらないし、格別愛鳥精神にあふれているわけではない。むしろ、ヒッチコック以来、鳥には少し恐怖心がある。が、ネコはこどもの時からいっしょに暮らしてきたでんでんむしは、確かにできればこの島には一泊して、自転車でも借りてぐるりと回ってネコとネコから保護されている鳥もみてみたかったかな…。

▼国土地理院 「地理院地図」
44度25分48.26秒 141度20分6.93秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2017/07/03 訪問)

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1483 中島の崎=苫前郡羽幌町大字焼尻(北海道)羽幌港から船に乗ってふたつの島へ着いた焼尻島でただひとつの名のある岬 [岬めぐり]

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 羽幌港と市街地は多少離れているが、沿岸バスは本社ターミナルと港の間に、萌えキャラのシャトルバスをワゴン車で運行しているので、帰りはそれに乗った。
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 羽幌=焼尻(やぎしり)・天売(てうり)航路も沿岸バス系列らしい羽幌沿海フェリーが運航している。フェリーのおろろん2号と、高速船のさんらいなぁ2号が交互に、羽幌=焼尻=天売=焼尻=羽幌の順につないでおり、往復キップはない。行きは高速船、帰りはフェリーになったが、高速船では天売まで1時間、フェリーだと35分よけいに時間はかかる。
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 客室も高速船は座席スタイルで、フェリーは大部屋ごろ寝タイプになる。
 焼尻島(やぎしりとう)にはヤギではなく羊が飼われているらしいが、この島の岬は焼尻港北側の中島の崎ひとつだけ。ここは下船せずに、船からの岬を眺めつつ天売まで行くことにした。
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  島民は200人ちょっとくらいで、東西に3.9キロ、南北にいちばん幅があるところで2.2キロの小さな島である焼尻島は登山靴のような形をしていて、かかと部分の上のほうに焼尻港があり、その北に中島の崎が続いている。
 かかとの下部分にはいちおう灯台もあって、岬らしい出っ張りもあるのだが、なぜかそこには岬の名はついていない。
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 その沖には神居岩という岩礁があって、それを知らせる灯標識が立っている。
 羽幌町の西北西25キロにあたるこの島も、当然ながらアイヌの島だったわけで、アイヌ語源説もふたつある。どっちを採用していいのかわからないが、ひとつは「エハンケ・シリ=近い島」で、いまひとつは「ヤンケ・シリ=水揚げの島」だという。
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 音では後者のほうが近いように思われるが、意味的には前者のほうがしっくりくるような感じがある。なにせ、この島は羽幌の海岸からもよく見えているのだから…。
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 焼尻港で数人の乗客を降ろしまた乗せると、船は島の海産物や羊などを描いた壁画の岸壁を出る。近頃ではどこの港でもこうした壁画をよく見かける。それは、地元の小中学校のこどもたちの卒業制作だったりするのだが、ここのはどうかわからない。その壁画の、右端に描かれたものはなんだろうと、しばらく考えてやっとわかった。
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 それは羽幌港で、真ん中に焼尻の島と港があり、左端の赤いのは沈む夕日という壮大は構図なのだった。
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 港を出て、中島の崎を回り込む。段丘のようになった緑の岬の上を、道路が登っているのがみえる。
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 これが島内を一周する道道255線につながるのだろう。島の集落の大半は、港のある東浜とその南の白浜の海岸に集まっている。残りの家々は、比較的傾斜のゆるい島の北側の海岸にある豊崎と西浦にあって、島の南側にはほとんど人家がないようだ。
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 中島の崎という名はアイヌには関係がなさそうだが、他の多くの岬がそうであるように、名前の由来などの情報は見当たらない。天売と羽幌の間にあるから中島なのかとも考えられるが、単に中島さんという人が最初に自分の名で命名しただけなのかもしれない。
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 これだから、ほとんどの場合、岬の名前には深入りできないし、しようもないのだ。だが、これはそんな情報にはなんの価値もないと、その伝承をさぼってきた後世の責任であるような気が、だんだんしてきている。
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 岬を回ると、今度は船は西南西に進路を取って正面に見えてい天売島をめざす。名前のない焼尻最西端の出っ張りから、天売島の東端である太郎兵衛崎までは3.7キロほどしか離れていない。この間の水域には、地理院地図では武蔵水道と明記している。さては、武蔵坊弁慶さん、寿都の弁慶岬からここまで伝説は足を伸ばしてきたのか、と思ったら違っていた。
 1925(大正14)年旧日本海軍の測量船であった「武蔵」が、この水域にやってきて測量したことからついた名であるという。
 ほらね、こういう具合になんらか命名の元になった由来というのは、なにかあるはずなんだろうけど…。

▼国土地理院 「地理院地図」
444度26分45.51秒 141度25分35.47秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2017/07/03 訪問)
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1482 金毘羅岬=苫前郡初山別村字豊岬(北海道)しょさんべつ村もがんばってますが豊岬ってどこにあるんでしょう [岬めぐり]

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 留萌の黄金岬と初山別村の金比羅岬はおよそ75キロも離れている。これだけ離れていれば、相互の関係はなさそうだから、金つながりといえばこじつけになってしまうだろう。
 留萌の黄金は由来不明だったが、ここは船の守り神である金毘羅さんを勧請したからではないかという想像はつく。この金比羅岬から北には次の岬が稚内の野寒布岬で、そこまではさらに105キロで、その半分はサロベツ原野の海岸である。実に留萌から稚内までの180キロの間の沿岸で、唯一の岬がこの岬、ということになるのだ。
 サロベツ原野の海岸はバス路線は走っていないが、天塩・幌延・豊富までの間をつないでいるのが沿岸バスで、このバスはなかなかエライ。残念ながら、豊富から稚内までバスは繋がっていないが、岬がないのでここから先へは行く必要がない。
 本当は、サロベツ原野のどこか端っこでもいいからちょっとだけ歩いてみたかったのだが、ひとつだけある海岸に出るバスも相当に不便で結局あきらめた。が、それでも沿岸バスがこの岬不毛地帯の沿岸を、ちゃんと走っているのは立派なものだ。
 だが、あくまでも廃止された鉄道の代替が存続理由なので、幌延・豊富からさらに北へもう少し行けば稚内なのに、それは行かない。
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 幌延・豊富行きの沿岸バスは、初山別村の中心地を抜け、少し内陸を回りこんで走る国道からまっすぐ海岸に向かって延びる一本道に入る。その行き止まりに、岬センターというバス停があり、道の駅や「岬の湯」という温泉施設や駐車場がある。
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 岬センターのバス停から乗るときは、宿泊施設のフロントに申し出て、あらかじめ予約を入れておかないといけない。予約がないと、あるいは降りる人がいないと?、国道をまっすぐ行って、この道まではバスも入ってこない、というしくみになっている。
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 バスを降りたそこから隣にある丘の上に灯台があり、しょさんべつ天文台がある。この一帯はみさき台公園という広い公園になっていて、なかにキャンプ場やバンガローなどもある。お約束どおり、やっぱり数台のキャンピングカーも停まっていて、テントを広げてなにかやっている。
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 他人の趣味や楽しみにケチをつけるのは、自分の掘った穴に落ちるようなものだからやめておくが、お互いせめてもうちょっとお天気がよいとよかったね。
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 金毘羅岬の名の由来は、燈光会の看板によると、この沖では海難が多発したので、金毘羅さんを祀ることにしたところからという。なるほど、とも思うがいささか説明不足で、納得度はいまいち。
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 海岸を覗いてみると赤い鳥居も見える。だが、帰りのバスまであまり時間の余裕もないので、下まで降りるのはやめておいた。降りるのはいいけどまた登って帰るのが大変だしね。
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 金毘羅岬のあるここはみさき台公園だが、公園のあるこの付近はセンターの北の集落まで豊岬という字地名がついている。郵便局も豊岬だし、海水浴場も豊岬。ひょっとしたら、そういう名の岬が金比羅岬とは別にあるのか?と思わせるに充分である。ムダと知りつつ探してみたけど、やっぱりそれはない。
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 「豊岬」というのは、なくなった羽幌線の駅名だったということはわかったが、ではその駅名はなぜそういう名になってどこの岬を指していたのか、その答えにはならないのだ。
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 村のサイトでは「初山別村最大の観光スポット。」としてみさき台公園をあげているが、それはつまりこの公園と付属する周辺施設全体が、「村営」あるいはそれに準ずるものなのであろう。
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 村としてはなかなか思い切った試みといえようし、その成果があがることを祈る気持ちに偽りはない。だが、それならそれで、なにかあまりにもいかにもそれらしく整いすぎていて、なにかが足りない。なにが足りないのだろう? たとえば「木」かな? さっぱりおもしろ感やわくわく感に乏しいように思うのは、お天気のせいではあるまい。
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 園地の照明は天文台のじゃまにならないようにしてあるそうだから、キャンピングカーがなくても温泉の宿に泊まって、夜は天文台で星空観察したり、芝生に寝っ転がって流れ星を数えるようなことができれば、それはそれで魅力的な岬になるかもね。お天気がよければ…。
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▼国土地理院 「地理院地図」
44度33分48.46秒 141度46分26.30秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2017/07/02 訪問)

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1481 黄金岬=留萌市大町二丁目(北海道)留萌パワーはすごいが単に黄金の夢を見ただけの岬だったのだろうか [岬めぐり]

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 黄金岬はめずらしく市街地にある岬で、JR留萠本線の終点になってしまった留萌駅からは2キロほど、留萌中心市街地の十字街からは1キロちょっとくらいのところにある。
 かつては列車から直結していたであろう港を南側から囲うようにして伸びている丘の西の端は、合同庁舎やハローワークなどもある大町のはずれで公営住宅が立ち並ぶ。その西端の崖の上が、元々の岬であったのだろうが、現在では、黄金岬といえばその崖の下の岩場の出っ張りをさしているようだ。
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 そこは、観光スポットというほどではないにしても、ある時期、多くの人が集まってくることを想定し、かつそれを期待したと思われる痕跡がいろいろ残されている。痕跡しか残っていないということは、その思惑は失敗したのであろう。
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 海岸の道路脇の狭いスペースには、何軒もの食べ物屋だったらしい建物が閉ざされたままになっており、岬の出っ張りには園地やベンチや岬の名を刻んだモニュメントとか、岩場に降りて歩く遊歩道のようなものまでできている。キャンプ場や海水浴場もあったようだが、今もそれらが機能しているのかどうかは定かでない。
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 食べ物屋は閉じていても、園地を整備して植えたハマナスは花をつける岬の周辺で車を停めて、岬の海岸を歩く人もちらほらとある。
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 丘の上から見下ろすと、黄金岬が海岸の岩場の出っ張りだけではないことが改めて感じられる。20メートルくらいの崖の上は、そこがかつては日和山と呼ばれた見張り所であったという石碑がある。
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 日和山というのは、現在の地図に残る名ばかりではなく、その昔そう呼ばれた丘や小山や岬の上が、あちこちにたくさんあったと思われる。
 海を見渡して、魚群を探知したり、天候や風や浪の様子などを見張る場所としての役割があったが、この場所になぜ「黄金」のような名前がついたのかはわからない。
 あるいは、留萌港が繁栄した頃の名残りなのであろうか。
 初めに留萌に降りた日は雨だったし、時間的にも初山別方面に行くバスに乗る都合があって、この日はとりやめ、黄金岬へは帰りの途中で留萌に戻ったときに行った。
 JR留萌駅前には黄色いタクシーがたくさん停まって客待ちをしているのだが、たまたまその時は黒いタクシーだけがいた。運転手さんに海のふるさと館までと行き先を告げると、俄然反応してきた。
 ちょうど今、佐藤勝の展示をやっている入場無料だから是非寄ってみてください、と言う。この作曲家は留萌の出身なんですが、ご存知でしたか、と続ける。ご存じない。その名前からしてまったく記憶になかった。
 留萌出身の人にはほかに森田公一もいます。ああ、それなら知っている。
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 とにかく熱心なので、岬を眺めるついでだし、そこにあるのだから手間も足もいらない。ちょっと展示室に寄ってみることにした。
 そしたら、佐藤勝という作曲家は、映画音楽の分野で幅広く活躍した人で、黒沢映画の音楽を始め、たくさんの映画音楽をつくってきた人だった。映画の題名は、あれもそうかこれもそうかという有名ドコロが並んでいるが、残念ながらメロディーが思い浮かぶことはない。
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 日本映画の場合、監督やついでにちょっとだけ脚本家の名が知られることはあっても、作曲家が脚光を浴びることはあまりない。木下忠司や林光のような人もいることはいたが、それでもいくつかの曲が思い浮かぶようなことはあまりない。(木下忠司の♪おいら岬の〜の『喜びも悲しみも幾歳月』や、テレビ『水戸黄門』の♪人生楽ありゃ苦もあるさぁ〜のような例外もあるにはあるが…。)
 けれども、外国映画の場合には、その映画のテーマ曲や主題歌がたくさん残されており、そのいくつかはシングルカットされてそれ自体が単独でヒットしたりしている。今やポピューラーのスタンダードになっていて、逆に「なにこれ映画音楽だったの」という人がたくさんいるくらいだ。
 そういえば、もう遠い昔、青春時代の真ん中のでんでんむしも映画音楽に興味を持って、ドーナツ盤のレコードを何枚か買っていたが、それも全部外国映画に限られる。その曲名を並べてみると、あまりにもあまりにも…で、へそまがりの看板に傷がつきそうなので、やめておこう。
 露骨なメディアミックス戦略を押し、映画と歌をセットにし宣伝費をつぎ込んで流行らせようとした角川映画のような例もないことはないが、日本映画も映画音楽をもっと工夫してもよいのかもしれない。佐藤勝のような人に、ほんとうはもっと光があたってもよいのだが、それにしても映画音楽作曲家の展示って、困るよね。結局並んでいるのはビデオやDVDの箱ばかりなのだから…。
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 海のふるさと館というのは、いかにも自治体がブームに乗って建物を建てたのはいいが、その後の運営維持管理に行き詰まって閉めてしまったのか…という見本のようなものだった。
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 ハコモノ行政の失敗を、教訓として忘れないために残してあるといういうわけでもなさそうで、上の階にあるレストランや豪華な展望ラウンジなども、すぐにでも客を迎えられそうな雰囲気だ。つまり、実質的に閉鎖してまだ間がないのだろう。その処分も行く末もこれからなのだろう。結局、崖の下の食べ物屋の建物と崖の上のハコモノも、いずれは取り壊されることになるのだろうか。
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 黄金の岬は、単に黄金の夢を見ただけの岬だったのだろうか。
 あまり時間に余裕もないので、歩いて十字街に出るのはやめて、留萌駅までまたタクシーを呼んだら、やってきたのは来るときと同じ運転手さんだった。見てきましたよ〜佐藤勝。そうですか留萌出身にはね、音楽家ではほかにもあがた森魚とかね、ダン池田なんかもそうなんですよ。へぇーそうなんですか、すごいですね留萌パワー。
 運転手さん、肝心な人を忘れている。この人もすごい人です、宮川 泰。その人にはでんでんむしは二三度ばかり会ったことがある。たまたま転勤族の父親の赴任先留萌で生まれたというだけの縁なので、あまり地元でも意識はないのだろうか。

▼国土地理院 「地理院地図」
43度56分48.18秒 141度37分44.57秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2017/07/03 訪問)
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1480 カムイエト岬=増毛郡増毛町岩尾(北海道)霧に霞んでいてわずかしか見えない「神の岬」 [岬めぐり]

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 雄冬の北東隣にあった赤岩岬の所在は「増毛町岩老」だったが、その北に続く日方岬・マッカ岬、そしてこのカムイエト岬の所在はいずれも「増毛町岩尾」となっている。岩尾はずいぶん広範囲をカバーしている字地名であるが、おもしろいのは「岩尾温泉」の付近も赤岩岬と同じ「岩老」となっていることだ。岩老にあるのに「岩老温泉」と言わず、「岩尾温泉」と称しているのはなぜなのだろう。
 この付近と狭い海岸沿いの一部だけが「岩老」で、あとはほとんどが「岩尾」。岩尾と岩老。この区分はどうしてできたのだろう。
 例によって、どうでもいいことだが、でんでんむしはこういう一見どうでもいいようなことにこそ興味を惹かれる。おそらくこれも、答えは期待できないのだろうが、知っている人があったら教えてほしいものだ。
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 カムイエト岬の東の出っ張りまでが「岩尾」で、その東はすぐに「別苅」になる。カムイエト岬は、同じ岩尾にあるマッカ岬や日方岬と違って、見える岬のはずである。地図で見ると、いちばんよく見えるのは、国道231号線が、増毛の市街地を抜け、暑寒橋を過ぎて南下していく途中の道からで、少し遠いがそこからならカムイエト岬の全貌も見えるはずだった。
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 ところが、この日は朝からの雨で、岬も遠くに霞んでいてあまりよく見えない。そこで…というより、バスのダイヤにも合わせて、大別苅で下車し、カムイエト岬にできるだけ接近してみようと考えた。
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 大別苅は別苅という大きな集落の西隣にある国道沿いの小さな集落と漁港があるところで、国道のバス停から港に降りて行く。「ベッカリ」も「ペシ=水際の崖」から転じたアイヌ語源らしいが、確かに目の前に大きな崖が見えてくる。
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 だが、その崖は別苅漁港の西にある崖で、その向こうに薄く霞んでいるのがカムイエト岬になる。
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 なにしろ名前からして、「カムイ・エト(神の岬)」だから、よほど荘厳かつ神秘的な岬の風景があるのだろうが、残念ながらこのお天気では、霧に隠れていて、その裾のほうがわずかに伺えるだけだった。ちょっぴり、神秘的ではあるけれども…。
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 港を西へ進み、その防波堤のどん詰まりのところまで寄ってみたものの、そこからではカムイエト岬はまったく見えなかった。
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 また、戻って港への道の途中から眺めるのが、どうやらベストポジションのようだ。
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 その道の脇にも堤防のどん詰まりのところにもあったが、ここに限らずとにかく北海道ではやたらはびこっている植物がある。昔、西日本の道端でもよくあったスカンポのような感じもあるが、もっと背丈が高く巨大で、茎の部分も太く樹木のように頑丈そうだ。
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 どういう名前の植物かよくわからないのだが、なんとなくイタドリの仲間ではないかという類推はできる。イタドリならば、最近は通販の健康食品にも出てくるくらいだから、いくらか有用性もあるのかもしれないが、これは見たところほとんど北海道では「邪魔者」でしかないようだ。葉が青いうちはまだ道路の縁取りくらいにはなるが…。
 地方へ行くと、それぞれ民家の軒先や庭にさまざまな見たこともないような花が咲き乱れていて、そういうのを見るのも楽しいし、なぜかうれしい。
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 別苅漁港に降りて行く道の入口に立っていた看板には、タコの絵が描かれていた。この漁港ではタコが水揚げされるのかと、ちょっと意外な感じがした。イカならばやっぱりそうかと思うところだが、感覚的にタコはやっぱり意外だった。
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 その隣の倉庫のような建物の周囲には、青い網カゴが山のように積み重ねられている。
 これは、北海道に限らず、沿岸の漁港周辺ではよく見かけるもので、形や大きさにも何種類かあるし、色も赤いのも茶色いのもある。
 これらはカゴ網漁という漁法で用いられるもので、中にエサを仕掛けて海底に沈めておき、そこに入ってきたカニやエビなどを捕るものらしい。
 タコならタコツボというのは、一部を除いてだんだん減っているらしく、最近ではタコも四角い網を仕掛けるという。ここに積んであったカゴ網が、タコ用なのかどうかは確認できなかった。なにしろ、尋ねる人もまったく見かけないので…。
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 実際の行動順にいうと、大別苅からまた次のバスに乗って、雄冬まで行き、そこからまた折り返して戻っているのだが、大別苅で降りたのは、神の岬を見るためでもあったが、沿岸バスのバスダイヤを検討した結果の計画だった。
 沿岸バスのダイヤは、このように雄冬へ行くには大別苅で乗り換える必要があると表記されているからだったが…。
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 沿岸バスが、自らが掲げている自社サイトの時刻表の記載とは、実際には異なる運行をしていることに気がついたのは、雄冬から帰るときに乗ったバスの行き先表示が留萌になっていたからだ。
 大別苅で乗り換えなくてもこのまま留萌まで行けるんですね、とバスの運転手さんに確認すると、そうだと言う。「お客さんは、この一つ前のバスで大別苅までこられたんでしょうが、その次の便がこれなんです」
 なんだなんだ。道理で、大別苅では乗り継ぎ乗り換えの雰囲気がまるでないまま来たバスに乗ってしまったが、それも留萌から来たバスで、大別苅発ではなかったわけだ。

▼国土地理院 「地理院地図」
43度50分7.47秒 141度27分26.44秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2017/07/02 訪問)
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1479 マッカ岬=増毛郡増毛町岩尾(北海道)かつては連絡船がつないだ断崖の沿岸を今ではバスがトンネルと道路と橋でつなぐ [岬めぐり]

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 日方岬から東北東へ3.4キロの位置にあるのがマッカ岬。そこから少し内陸に入った山の中を突き抜けるマッカ岬トンネルは、680メートルほどの長さしかないが、そこから東にはペリカトンネル390メートル、そして約2キロ弱の大別苅トンネルが続いている。
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 3つのトンネルの間には、尾根の切れ目の谷間があり、そこを国道は橋で渡っている。
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 マッカ岬トンネルの南西側では谷というより、標高100メートルほどの開けた海の見える山腹上を横切って通る。その1.2キロの間は、歩古丹橋、望洋橋、涛景橋など6つもの橋が続いているが、橋といっても下を川が流れているわけではなく、尾根の切れ目で谷になっている部分を橋でつないで、道路を平らに保っているわけだ。
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 この国道を、車でバンバン走り抜ける分には、なにも関係ないし気がつかないのだが、地図を見ると西の涛景橋を渡った辺り(つまり、日方泊トンネルの出入口の手前付近)から、国道から分かれて東の山にヘアピンカーブを繰り返しながら登って行く道がある。
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 どうやら、これがトンネルができる前に実際に使われていた旧道らしい。くねくねと山肌に沿いながら、できるだけ等高線に逆らわないようにして延々と続く山道は、マッカ岬トンネルとペリカトンネルの南を大きく回りこみ、大別苅トンネルの上を抜けると下り始め、大別苅川を横切ったところ、大別苅トンネルの孔口近くで国道231号線に合流している。
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 その付近の標高が100メートルくらいで、そこからマッカトンネルの西側の孔口を出て、いくつもの橋を通る付近までの間は、途中ペリカトンネル付近で130メートルと高くなっているが、トンネルと橋と道路で通るこの道は、ほぼ同じ高さといってもよい。
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 日方泊トンネルの東側開口部付近の涛景橋の辺りは50メートルくらいで、そこから300メートルもの高さを登りまた100メートルまで降りていた旧道の山道に比べると、いかにもありがたいものであろう。
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 ここの3つのトンネルができたのは1990年代の初頭だから、それ以前はもっぱらこの旧道ルートが唯一の道であったのだろう。それも歩古丹(あゆみこたん)にまだ集落があった頃までのことだろうが、この辺の事情は、ちょっと通りすがりにはなかなか全容をつかみにくい。だが、この旧道は冬季には閉鎖された。
 増毛まではまだ鉄道が通っていたが、雄冬へ行くには冬には陸路では行けず、増毛から雄冬へは小さな連絡船が通っていた、という。それも厳しい気象条件のなかではしばしば欠航した。
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 その連絡船は、この次のカムイエト岬、このマッカ岬、前の日方岬の断崖絶壁を見ながら、雄冬まで辿り着いたのだ。1日1往復の「雄冬丸」は、増毛=歩古丹=岩尾=毛間振(ケマフレ)=雄冬と途中の断崖に張り付いている小さな集落にも寄りながら、2時間近くかかって運航していたらしい。
 それも、1992(平成4)年のマッカ岬トンネル・ペリカトンネル開通までのことだったようだ。
 ところが、国道231号線の開通・全通は、雄冬岬トンネルが開通した1981(昭和56)年ということになっている。この10年間の経緯が、通りすがりにはわかりにくいとところなのだが…。
 2時間かけて連絡船がつないでいた区間を、現在ではその名も沿岸バスという会社の大型バスが30分ちょっとで走り抜ける。
 だが、その日に3便のバスの利用者は、当時の30人乗り1日1便の連絡船の乗客よりも、はるかに少ないのであろう。
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 ここにもあったマッカ岬
 
712 マッカ岬・ビヤノ岬=積丹郡積丹町大字幌武意町・大字美国町(北海道)美国から黄金岬と宝島の間にどうにか見えた


▼国土地理院 「地理院地図」
43度49分16.09秒 141度25分26.08秒
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1478 日方岬=増毛郡増毛町岩尾(北海道)見えない岬をトンネルで通過する国道231号線その2 [岬めぐり]

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 日方岬もこの次のマッカ岬も、見えない岬で、国道231号線は長いトンネルでそこを通り抜ける。南から北への掲載順だが、この区間の写真は北から南へ向きのものばかりになってしまった。
 そこで、まずは日方泊トンネルの北側から岩尾までの車窓から。
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 日方泊トンネルは2005(平成17)年に開通しているのだが、ここもまた旧トンネルとしてあった歩古丹(あゆみこたん)トンネルと天狗トンネルを改良しつつ、つなげつつできた新トンネルで、南側で連結する覆道と黒岩トンネルを合わせると4キロを超える長さになる。
 北側のトンネルの開口部での標高は200メートル弱だが、ここから270メートルくらいの尾根の下を通り、覆道で海岸線近くまで下っている。出入口の右手に海岸と岩がちょっと覗いているが、これは日方岬からは東北東1.6キロくらいのところにある膨らみ。日方岬はトンネルの真っ只中。
 出入口の下のほうになにやら構築物のようなものがある。これも推測だが、ここから下にあった旧トンネルと旧道へ続くルートの在処を示す痕跡の一部なのではないだろうか。
 そう思って調べてみると、やはりそうで、白い屋根の下に旧歩古丹ンネルの孔口があった。現在の地図からは消えかかっているが、それでもわずかな痕跡を残している。このトンネルはそう長いものではなく、その先は海岸の膨らみを旧道によって越えていた。
 では、同じく現在の地図からは確認できない天狗トンネルは、どこにあったのだろうか。
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 天狗トンネルは日方岬の東から南西方向に1.2キロ伸びて、岬を越えていた。現在の日方泊トンネルは、この旧天狗トンネルに途中からつながって、黒岩の覆道に通じている。もちろん、トンネル内は全部新しくなっているので、どこが繋ぎ目かはわからない。
 もっとも、そんなことを気にする人なんて、誰もいないだろうが。
 いやいや、いるんですね案外。
 これまでも何度かふれてきた、旧道・廃道・廃墟マニア。
 そういう人たちにとって、ここらも重要なポイントらしい。
 実際、今はもうない旧トンネルの所在も、公式記録はほとんど見当たらず、そういう人たちのネット情報によって、初めて知ることができる。
 ありがたいことではあるが、そういう情報のなかには、本文まるまるwikipediaのコピペ丸写しで、引用出所も明記していないものもある。まことに遺憾で残念なことですね。
 もともとはこの日方岬とこの北に続くマッカ岬をまとめて一項目にするつもりでいたが、やはり分けたほうがいいかと…。
 …次項に続く。
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 あ、そうそう。忘れるとこだった。
 実は同じではないけれど、似たような岬の名前があった。というか、トンネルのほうと同じ名前の岬があったんです。
 北海道は松前半島西海岸、上ノ国町字小砂子にある、「日方泊岬」。
 ここは、灯台まである立派な岬である。そして、ここもバスで通ったはずなのに、みると項目がないことに気がついてしまった。
 困ったね。どうしよう。

▼国土地理院 「地理院地図」
43度48分22.13秒 141度23分16.77秒
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1477 赤岩岬=増毛郡増毛町雄冬(北海道)追分ソーランラインが雷電国道になってオロロンラインへつながる北海道西海岸の道 [岬めぐり]

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 この国道231号線が開通したのは、1981(昭和56)年のことで、雄冬岬トンネルの完成によって、当時の浜益郡浜益村と増毛郡増毛町の間が、初めてつながった。これによって、札幌=留萌間の最短ルートが全通したことになる。
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 けれども、現在の地図には「雄冬岬トンネル」の表記はない。それは2016(平成28)年に、それまであったガマタトンネルと雄冬岬トンネルのふたつのルートをつなげて、総延長4,748メートルの浜益トンネルひとつに統合しているからだ。
 北海道の石狩以北の西海岸を走る国道は、別名「オロロンライン」というらしい。檜山の海岸を走る道路は「追分ソーランライン」だったし、それが島牧からは「雷電国道」となって小樽までつながってきた。それが、ここではオロロンラインになったわけだ。
 「雄冬」という地名は、石狩市と増毛郡増毛町が分けあっているが、集落の大部分は増毛町に属している。留萌から来てまた北へ折り返していくバスの車窓から、岬を拾っていくが、写真は往復のが入り混じり、展望の開けた南向きのほうが多くなる。
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 雄冬集落の北に、「ケマフレ」というバス停がある。
 ここには東の山からケマフレ川が流れてくるが、その谷は幅600メートルもある開けたカール状の谷になっている。
 オロロンというのは鳥の名なのだが、ケマフレというのもそうらしい。赤い足が特徴の黒いウミスズメ科の鳥の名だというし、例によってその名もアイヌ語で「赤い足」を意味する。もともとオホーツクやカムチャッカという北海道東北部地域の鳥の名ケマフレが、どうして北海道も西海岸のここについているのだろうか。
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 そのケマフレの400メートル北東寄りに見えてくるのが、赤岩岬。こういうところは、たいてい岩や土の色が赤いというところからその名が付けられていることが多いが、ここもそうなのか。ここから先には岩尾温泉があるが、そこをさらに北に行くと、黒岩トンネルというのもあるので、あるいは単純なる比較でついただけなのかもしれない。…やっぱり赤いね。
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 70メートルほどの高さをもつ岩の小尾根が、短くチョンと飛び出していて、短い覆道が南西東北両側についたトンネルでそこを通過する。
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 これが、ここを走っている沿岸バスの車内。乗客も少ない(というか、でんでんむししかいない、この区間では)のに、大型の観光バス仕様だ。
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 この岬から北へは、しばらく覆道が断続的に続いていて、その途中にはアカイワ川という川も流れ下っている。覆道やトンネルが多いということは、そこに道路を通すことがなかなか大変だったということを示している。
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 赤岩岬はやはり、この地域の地質の特徴が、その名を生んだもののようで、南からでははっきりしないが、北から見たところでは岬とその周辺では確かに崖や岩が赤く見える。してみると、ここもアイヌ語源がそのほとんどを占める北海道では、わずか2割ほどしかない和名語源による命名ということになるらしい、
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 もっとも、2割というその根拠はうろ覚えで、地名というのは町や村の名なのか、山や川の名をなど自然地形を含むのか、岬は入るのか入らないのかはわからない。
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 こうした海岸の小さな出っ張りに、わざわざ岬の名をつけるのは、多くは船の航行や漁労の便であったりすることが多いが、ここの場合はなんとなく道路のほうからついたのではないか、とそんな気もする。
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 北海道は昔からライダーが多いが、釣り人は全国どこにでもいる。しかし、こんなところまでちゃんとやってきてちゃんと竿を出しているのは、なかなか見上げたものだ。
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▼国土地理院 「地理院地図」
43度45分27.93秒 141度21分15.99秒
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1476 雄冬岬=石狩市浜益区雄冬(北海道)カモメになって飛んでいかないと見えない浜益トンネルのゆるい膨らみ全体 [岬めぐり]

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 ゆるい弧を描く急峻な崖の海岸線を一本の道路が通っていて、その内側に巨大な山塊を抱えているので、鉄道はそのはるか内側を走る。海岸線に点在する集落は、飛び飛びで小規模である…。
 そんな意味では、これまで渡島半島北部で残っていた、毛無山の帆越岬・尾花岬と、狩場山の茂津多岬と、ここ暑寒別岳1,492メートルを主峰とする増毛山地の西に張り出す雄冬岬も、まったく同様のかたちになっている。
 ただ、渡島半島と異なるのは、この海岸線を走る国道231号線は、いちおう札幌と天塩を結ぶ急行路線バスが走っていることだ。ならば、そのバスで…と計画はしてみたのだが、どうやってもバスの時間の都合でうまく合わない。
 それに、たとえそのバスに乗ったとしても、実は雄冬岬を見ることはできない。
 なぜなら、ここも尾花岬や茂津多岬と同じく、長いトンネルでそこを通過しているから、船をチャーターするか、カモメになって飛んで行くしか見ることができない岬なのだ。
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 そんなわけで、途中の覆道も含めて4キロもある浜益トンネルの北寄りに位置する雄冬岬は、留萌からバスで雄冬まで行き、そこから岬のほうを眺めるにとどまる。
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 バスは主に留萌市内を走る路線バスなので、増毛町の雄冬から南には行かない。というか、次の集落は南に5キロ以上離れた千代志別までない。だいたい、留萌からここまで来るだけでも大変なのだ。
 見えている崖の1キロ先にあるはずの雄冬岬は、断崖と護岸の海岸でちょこんと飛び出た岩礁に過ぎない。それなのに有名で存在感があるのは、ひとえにこの山塊の膨らみの大きさによるのだろうか。
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 いやいや、それよりも地理院地図の岬名表記の位置が、小さな出っ張りにくっつきすぎているだけで、別にそこが岬というわけではないのだろう。
 雄冬岬とは、特定の出っ張りの名前ではなく、浜益トンネルの通る断崖の膨らみ全体を総称しているのではないか。そう考えるほうが当たっているのだろう。
 岬の位置は石狩市だが、この市ではほかに岬がない。長い距離をもつ石狩湾岸では、小樽の平磯岬から東へそして銭函から石狩川河口を過ぎて北上しても、次の岬がこの雄冬岬になる。まさに岬不毛の地帯がおよそ95キロにわたって続いている。河口で砂浜が長いこともあるにはあるが、すぐ北に続く雄冬と増毛の間の23キロでも4つも岬があることと比べれば、この区間は特殊だ。
 もっとも、こんなことを詮索したところで、たいして意味がないことは、充分承知のうえでのことなのだが、とりあえず、小樽から北へは次の岬がここだということだけは、あきらかにしておく必要がある。
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 バスの終点で、折り返しバスの発車までここでもあまり時間がないので、うろうろもできない。このバス停の先あたりが、石狩市と増毛町の境界線になるはずなのだが。
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 みごとな岩の崖が目立つ山とその北側の展望台のようなものがある山に挟まれて、雄冬の集落は漁港の南、国道からは少し山側にひっこんだところに集まっているようだ。
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 この展望台があるところは雄冬園地というらしい。そこまでは自動車道がついているようだが、そこに上がるとほんとうに雄冬の雄大そうな岬のある崖まで見えるのだろうか。地図で検証する限りでは、方角からしてそれもなかなかむずかしいように思える。
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 しかし、そうでなければ、こんなところに展望台をつくって、なにを展望しようというのだろう。展望できないでんでんむしは、海岸に張り付いたまま考えてしまう。夕日だけならそんな高いところに上る必要もない。
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 その海岸には、丸い土管を輪切りにしたようなものが置いてある。この中に夕日が沈むとか、おおかたそんなところであろうが、これが国道231号線の開通記念の記念碑を兼ねている。
ofuyum-4.jpg 沖には、地図に描かれているほどには確かではなく、単に岩があるというだけのとど島がある。だが、1,197メートルの雄冬山から流れ下る稜線の延長線上にあるこの岩こそ、石狩市と増毛町の境界線の目印なのだ。
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 バスで南に下っていくとき、雨のしずくをつけたフロントガラスに、雄冬の漁港と集落と崖が見えていたが、今度は逆方向、北に向かうバスが折り返すのを待っている。雨は小雨がまだ降り続いていた。
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▼国土地理院 「地理院地図」
43度43分6.98秒 141度19分49.44秒
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1475 白糸岬=島牧郡島牧村字持田(北海道)もうほとんど人の記憶には残っていないトンネル崩落事故を記録から掘り返してみる [岬めぐり]

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 木巻岬を過ぎてなおも南西へ走るバスの前方車窓には、小田茜と栄浜が見えてくる。このときにも左手に大きな山塊がせり出しているのがわかるが、そのてっぺんは見えない。
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 茶色のひときわ大きな建物が辺りを圧しているが、これがただ一軒の温泉宿らしい。何度も何度も計画を立てたり棄てたりしている途中では、ここに泊まることも考えてはいたのだが、なかなかうまくいかなかった。
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 でも、ここに泊まれば、あるいは島牧で一台のタクシーがどこか遠くへ行っていなければ、白糸岬のそばまで寄れ、白糸の滝も間近で眺めることができたはずだ。これは繰り言を言っているのではなく、公共交通機関でめぐる岬めぐりの実態を冷静に見つめているに過ぎない。
 それでも、茂津多岬でも一晩須築で一軒だけの旅館に泊り、栄浜でも一軒宿の温泉に入ることにすれば、どちらも可能だったわけで、不可能なわけではない。
 ただ、それではあまりにも日程が延び延びになり、時間と費用がかかり過ぎるという難点が、そういう計画を可能にしていないだけの話だ。日本全国の岬を回ろうというこの岬めぐりの趣旨では、早回りというわけではないが、交通機関のダイヤ任せで、できるだけ効率的に先へ進むことを主眼とせざるを得ないのだ。
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 栄浜のバスの終点は、郵便局の付近で、集落の中ほどではあるが、漁港にはまだ少しある。漁港の向こうに見えている急峻な崖は手前のだが、その向こうに白糸岬の崖も一部重なって見える。
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 国道229号(と276号)の先には、トンネルの入口が見えている。地理院地図では名前の表記がないが、栄浜トンネルという。このトンネルを抜けると、白糸岬もその全貌を現すはずである。だが、220メートルのそのトンネルを抜けて行く時間的余裕がない。折り返すバスがその発車時間を待っているからだ。
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 トンネルの先には人家はなく、ここが袋小路(公共交通機関では)の行き止まりなのだが、栄浜トンネルの先には白糸トンネル1,806メートル、兜岩トンネル1,371メートル、狩場トンネル1,648メートル、そして茂津多トンネル1,974メートルでせたな町の須築へ抜けるまで、長いトンネルが4つも連続している。
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 地理院地図をよく見ると、この北部、白糸トンネルから狩場トンネルに至る海岸線にも、旧道または旧トンネルの存在を示すような表記がある。
 ここにまた、事件は隠れていた。1997(平成9)年)8月25日(もうすぐ丸20年目)第2白糸トンネルが崩落するという事故が起こっていたのだ。
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 トンネルの崩落事故といえば、すぐに1996年豊浜トンネルの崩落が思い浮かぶのだが、ここの事故はそれから1年半後に起こっていた。20人の死者を出しバスが押しつぶされるという衝撃的な豊浜に比べると、この白糸のほうは幸い誰もいないところで崩れたためか、あまり注目されなかった。
 しかしながら、崩落した岩盤の総体積という点で見ると、実に豊浜トンネル崩落時の約5倍の量であったという説もあるくらいだから、まったく想像もできないような大規模崩落だったらしい。
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 事故調査にも加わっていたという北海道大学大学院の渡辺輝夫氏が発表している論文によると、崩落した第2白糸トンネル東方には第四紀更新世のカンラン石玄武岩からなる穴床溶岩が300メートルもの台地をつくっているという。海岸から台地のの先端までは400メートルで、平均傾斜36度という急傾斜だという。一方、海のほうも、22キロ沖合の水深は3,000メートルで海洋性地殻の海底に達している。日本の海岸線でこれほど海岸近くに深海が発達している例はない、というのだ。
 つまり、事故現場付近の海底から山頂までの地形の急峻なことは、日本では他に例をみない、世界的にみても急な地形の上にトンネルを掘り、道路をつけていたことになる。
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 豊浜と違ってテレビが中継することもなかったし、誰も見ていなかったわけだが、その後何年かこのルートは通行できなかった。ただ一本の道路の復旧が急がれ、このときに二本あった白糸トンネルは一本にして、旧道・旧トンネルは放棄し、これを避ける内陸寄りに新たなトンネルを通した。1999(平成11)年には白糸、2001(平成13)年には兜岩、2002(平成14)年には狩場の現在の各トンネルが開通している。
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 なお、1,974メートルの茂津多トンネルは、この事故には影響がなかったので、1974(昭和49)年の開通以来のまま。(開通年と長さの数値が同じなのは、開口部のトンネルの覆いを延長してわざわざその長さに合わせたと思われる。)
 白糸岬のあるところを通っていたのが第1白糸トンネルでその南が第2白糸トンネルだったようで、事故現場は地図で白糸ノ赤岩、女郎子岩とある付近だったらしい。
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 地理院地図で旧トンネルの位置を確認しているうちに、また変なことに気づいた。
 白糸の滝のところは「島牧村-」という表記になっている。「-」が「1」なのかそれとも記号なのかわからないが、地理院地図では茂津多岬を含む狩場山地のほとんどをこの表示にしている。
 けれども、白糸の滝からほんのわずか海岸に寄ると、そこは「島牧村字持田」となるのだ。白糸岬を含め、旧道・旧トンネルの海岸線はすべて「字持田」なのだ。これは崩落事故となにか関係があるのだろうか。
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▼国土地理院 「地理院地図」
42度39分56.34秒 139度52分9.11秒
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1474 木巻岬=島牧郡島牧村字栄浜(北海道)覆道だらけの国道229号(と276号)を西へゆるく膨らんで回りこむ [岬めぐり]

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 島牧小学校が海岸にあるのはあるいは高台に適地がなかったのかもしれない、というのは勝手な憶測に過ぎないが、というのも島牧村では平地が極端に少ないからで、原歌のように崖から下はすぐに海というところが多い。とくに原歌から西へ向かう海岸線は、50メートルくらいの崖が延々と栄浜まで続いている。
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 そこを1本だけ通る国道も、途中穴澗トンネルがひとつあるが、あとは10か所にも及ぶ覆道でここを抜けることになる。
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 覆道は、トンネルを掘るまでもない、あるいは地形的にトンネルを掘ることはできないが、落石や崩落の危険をあらかじめ防止する必要がある、という場合に採用される工法だろうと思われる。
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 地図上では蒲原磯と名がある岩礁の海岸に設けられた覆道には岩車という名があり、そういう地名表示の標識を島牧村では立てている。しかし、現在の地図では、その記名表記を探すことができない。島牧村字原歌町という広範囲にかぶせられた新住所表示に覆い隠されてしまっているからだ。
 こういう旧字名は、せめて地理院地図では残してほしいと、切に願う。
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 覆道の道の、原歌と栄浜の中間に位置するのが木巻岬だが、ここはいかにも岬のように飛び出しているわけではなく、道が大きく丸いカーブを描いているだけの場所である。
 ここにはちゃんと灯台がある。しかし、それは東から西に向かうところでは長い覆道があることもあって、見えない。その覆道は新木巻覆道といういちばん新しく工事が終わったという感じだった。
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 帰りに西から東へ向かう道では、しっかりと木巻岬灯台の姿を見ることができる。
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 国道からは、灯台に登る斜路があるきりで、周囲にはなんにもない。やはりここはあまり岬らしいという地形ではない。だが、確かにこの辺りで灯台が欲しいところではある。
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 この付近の灯台といえば、北の積丹半島の神威岬の灯台から南へは泊の原発を挟んで弁慶岬までない。この区間は岩内で海岸線が東へ凹んでいるので、弁慶岬までいらないということなのだろうか。
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 弁慶岬から南は、本目岬とこの木巻岬にあるが、あとは茂津多岬灯台までない。そういえば、せたなの尾花岬と帆越岬にも灯台はなかったので、水垂岬から小歌岬までの間も灯台は建てるのがむずかしいという事情があったのかと推察される。(それに、その海岸では西に奥尻島もあるし。)
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 この木巻岬に、タクシーに乗ってでもやって来ようとしたのは、そうしたなんにもない風景が好きという、へそまがり的志向もあるが、灯台から白糸岬の先端くらいは望めるのではないかと期待していたからだ。地図で確認したところでは手前の丸い出っ張りがじゃまになって、見えないだろうとは思っていたのだが、灯台まで行けばまた茂津多の山くらいは…。
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 西へ進んできた覆道の道は、木巻岬をゆるく回りこむと、南西方向に下っていく。天狗岳659メートル、オコツナイ岳1171メートル、そして狩場山1520メートルを主峰とする狩場山地の北西をなぞっているわけだ。
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▼国土地理院 「地理院地図」
42度41分15.73秒 139度55分33.35秒
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1473 北国澗=島牧郡島牧村字江ノ島(北海道)道の駅「よってけ島牧」に言われるとおりに寄ってはみたものの計画が破綻 [岬めぐり]

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 村役場のある泊を過ぎると、江ノ島海岸で、弁慶岬からずっと南西方向に下ってきた道は、この付近から西へ向いて走る。
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 島牧村の海岸線も、だいたいこの付近で半分くらいだろうか。
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 長い砂浜の続く江ノ島海岸の前方に見えてくるのが北国澗。ここも国土地理院地図で斜体表記の準岬名表記として一項目を設ける。
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 水と谷を意味する「澗」の字が、海岸線につけられている名に多いのも、北海道の特徴といえるのかもしれないが、ここは断崖の岩島を半分抱え込むようににした二本の太い腕が海に突き出している。岩島と二本の腕は直接つながっているわけではないのだが、東側の江ノ島海岸から眺めると、それが重なっているので、まったくひとつの岬のように見える。
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 手前の腕の尾根はなだらかに低く落ちているので、屹立した先端の部分は、岩島の崖なのだ。
 東西に広げた二本の腕の間隔は540メートルほどあるが、この付け根を江ノ島トンネルで抜ける。このトンネルも前項の厚瀬崎トンネルと同じで、海岸に近いところを、今は使わなくなった旧道と廃トンネル跡を示す )   (  が、3つも表示されている。
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 トンネルを出たところは千走(ちはせ)で、千走川の河口右岸には、スポーツセンターや温泉施設、そして左岸には道の駅「よってけ島牧」があるので、計画通りいったん近くの賀老通りでバスを降りる。
 道の駅「よってけ島牧」に寄って、ホッケバーガーとコーヒーの遅い朝食をとれたまではよかったが、なんとここで想定外の事態が発生。計画が大きく狂ってしまった。
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 計画では、ここで村でただひとつのタクシー会社がこのすぐ近くにあるので、そこに電話して迎えに来てもらい、木巻岬まで連れて行っていってもらう予定だった。
 …ところが。朝食も済んで電話してみると、その日は朝から遠くへ出かけていて、帰ってくるのは午後になるというのだ。降りてしまったバスは原歌止まりなので、目的地の終点栄浜へ行くのは次の便午後14時までないのだが、結局それを待つ以外には、先へ進む方法がなくなってしまった。
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 ニセコバスの島牧線は、栄浜まで行くのはその便と、あとは17時の二本だけしかない。長万部まで戻ることが可能なのは、午後14時の便だけだ。その昼に一本だけ往復できるバスで行ってまた帰ってきてもよかったのだが、それでは島牧村をただ通り過ぎるだけになってしまい、それもいかにも申し訳ない。
 そこで、いろいろ知恵を絞って、早朝の原歌行きで千走まで行き、そこからタクシーで8キロ先の木巻岬まで行き、そこからは白糸岬を眺めつつ栄浜まで歩く。そして14:30栄浜発のバスで寿都へ戻る…そういう計画を立てていたわけだ。
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 それがタクシーがないという事態であえなく破綻、3時間以上も次のバスを待たなければならない羽目になった。
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 ゆっくりと道の駅の周囲を散策し…というと優雅そうだが、この日はカンカン照りになって、いくら日焼け止めを塗っても、強い日差しのなかを延々と歩くのはいささか大変で、原歌まで歩くのがやっとだった。
 あとはもっぱら、少ない日影を探して休み、バスを待つほかない。
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 北国澗は、千走の側から見ると、西側の腕の陰に岩島が隠れてしまう。崖の白いものが目立っているが、それがなにかは想像も推測もできない。石灰石のようでもあるが、そうでもないようでもある。
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 ここから千走川を遡っていけば、村一番の観光ポイントである賀老の滝へ行けるらしい。元町の通りにも賀老通りがあり、賀老の滝の標識などがあるので、そこまで歩く?…と思ったら、なんとそれは河口から15キロも川を詰め上った山の中であった。
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 そこはもう、狩場山に近く、道はないが滝から南へ越せばせたな町、というところなのだ。とても行けない。
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 道の駅も何時間も過ごすような場所でもなかったので、まあ意味もないまま漁港や国道沿いに歩いて丸く婉曲する海沿いの道を回ると、そこに島牧小学校の立派な建物があった。
 長い海岸線のところどころに集落が分散する島牧村では、村の諸施設も一か所に集めることはむずかしかったろうし、またその意味もたいしてなかったのかもしれない。いかにも新たに統廃合してつくりました、というような島牧小学校も、西寄りの原歌集落のはずれの丸い海岸そばに建てられている。近頃では、こうした統廃合による新設校の立地は、海岸線からは少し奥まった高台を選んで建てられることが多いが、ここではそうした適地もなかったのだろうか。
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 江ノ島 海岸は「日本の渚百選」とやらに、そして賀老の滝は「日本の滝百選」に選ばれているそうだ。
 ところでみなさん、鳥に舌があるのは知ってました? 
 「舌切りすずめ」ってのがある?
 そうでしたよね。でんでんむしも最初は?と思い、次にそれを思い出しました。
 人間のように二枚ある鳥もいるのかどうか…。
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▼国土地理院 「地理院地図」
42度41分29.93秒 140度1分13.55秒
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1472 厚瀬崎=島牧郡島牧村字港(北海道)旧トンネル・旧道・廃道歩きの情報がいっぱいあるそのなかに懐かしい名前を発見 [岬めぐり]

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 厚瀬(あっちゃせ)崎は、本目漁港の西にくっついているし、本目岬との間も800メートルしか離れていない。したがって、建物の密集した港の側からはほとんど展望がきかないが、岬の先端には小島のような岩山のようなものが盛り上がっているように見える。
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 思う間もなくトンネルを…と、くぐり抜けるのは厚瀬トンネル。上りと下りの車線が別々のトンネルになっているようで、出入口がふたつある。340メートルほどの長さだが、この岬もさほど大規模な出っ張りではないということ。
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 70メートルほどの高さが海岸に飛び出していて、周りは全部、崖がぐるりを取り巻いている。当然、トンネルでなければ通れない。地理院地図には、港よりの岬先端付近に、)( の表記が残っているので、ここもトンネル開通以前は、この崖の周りを回って通る道があったのだろうか。
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 帰りに通った海寄りのほうのトンネルには「新厚瀬トンネル」という名前があったので、こちらが後から付け足されたのだろうか。
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 念のために調べてみると、厚瀬トンネルの竣工は1965(昭和40)年であり、「新」のほうは1996(平成8)年であった。検索で出てくる情報は、旧道廃道を好んで歩く人々の記録が、群を抜いて他を圧倒している。そういうのをつらつら眺めていると、この先の大平(おおびら)トンネルもそうらしいし、せたなの虻羅トンネルもそうだという。
 そういう旧道廃道愛好家のブログやサイトの一覧に混じっていた、あるなつかしい名前を発見した。北海道旧道保存会のサイト「裏サンドウ喫茶室」に紀行を掲載している堀 淳一さん。その当時は確か、北大の物理学教授で、地図や地理が専門ではない。
 実をいうと、でんでんむしもいっちょまえのしごと人間だった時期も長く、仕事仕事にかまけてひさしく省みることのあまりなかった地図に、再びぐっと引き戻してくれたのがこの人の専門外の処女作(であったと思う)「地図のたのしみ」(1972 河出書房新社)だったのだ。この本は、その意味で個人的に記念すべき本だったが、その後版元を変わったりしながら、文庫にまでなっているし、類似の出版も相次ぐきっかけにもなっている。
 そのサイトでは、堀さんの紀行文は2009年で終わっていた。
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 厚瀬崎の西側には、栄磯・豊浜と集落があるが、この付近は海岸線の沖合にまで岩礁地帯が続き、岩島が点々と連なっている。
 西側から見た厚瀬崎は、崖の先になにかの台のように見える岩が印象的だが、この岩と同じものを東からも見ていたはずだが、ずいぶん見る角度によって違うものだ。
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 栄磯と豊浜の間には、少し高い崖浜の上のところを国道が通っている。そこから見ると厚瀬崎の向こうで灯台を載せた本目岬がかぶって見える。
 豊浜の南にある大平トンネル付近にも、ワスリと名づけられた岩の出っ張りがあるのだが、1キロ以上もあるトンネルの陰に隠れている。
 そういえば、島牧も御多分にもれずのアイヌ語源で、「シュマコマキ=(岩石の後背)の意」だというのだが、こういう権威の解説を読んでもピンとくるのは少ないのが困る。
 このトンネルを抜けると泊の集落で、村の中心というわけでもなさそうだが、なぜか島牧村の村役場はここにある。
 村のサイトにある「村の概要」では、

 面積は437.18k㎡、人口は約1,600人の漁業を基幹産業とする風光明媚な村です。
 本村の大部分を占める森林の中には10,700haを有するブナ原生林があり、その懐には落差70m、幅35mの「日本の滝100選」に選ばれた「賀老の滝」があり、訪れる観光客を楽しませています。

とあった。明治末には大平川を境にして東西二村に分かれていたのを、1956(昭和31)年に東西を合併して現在に至る。ずっと浮いた噂もなく、単独の村であり続けてきたわけだが、それにはこの村の地理的な条件も関係していたのだろうと思われる。
 面積は結構広くて寿都町の何倍もあるが、そのほとんどが国有山林で、とくに林業が盛んというわけでもなさそうで、漁業を中心とする村の集落は、およそ43キロも続く海岸線の国道沿いに集まっている。
 そして、隣接市町村との交通は、実質的に寿都へつながる国道229号線(と276号線)のみであるという、いささか表現は悪いがいわば袋小路のどん詰まりのようなところにあるからだ。
 バスの運転手さんに「役場がなんかあまりらしくないところにありますね」というと、「みな海岸に点々とあって、小学校はずっと離れたところにつくったしね。」と言う。このときはまだ、この後に起こる事態を想像もできず、その小学校の先まで歩くとは予定も想定もしていなかった。

▼国土地理院 「地理院地図」
42度41分29.53秒 140度1分12.78秒
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タグ:地図 北海道
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1471 本目岬=島牧郡島牧村字港(北海道)富浦、歌島、美川、栄磯、豊浜、永豊などの字地名の間にある断崖と灯台の岬 [岬めぐり]

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 国道229号線(と276号線)が、弁慶岬をカーブで回りきってしばらく南下すると、寿都町から島牧村に入る。その境界から約10キロも南南西方向に走ってきたところに、本目岬はある。
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 バスの前方にやっと岬が見えてくるまでの間も結構長く、その間に、富浦、歌島、美川といった小さな集落が点在している。けれども、弁慶岬から南西側の海岸では、ずっとのっぺりした凸凹の少ない海岸が続くので、港らしい港はない。港がないということは、集落も大きくなりようがない、ということではないか。
 富浦、歌島、美川といった地名は、いわゆる美称の色彩が濃い名前で、さらに先ある栄磯や豊浜、永豊などと合わせて、なにやら人々の願望が込められているような気もする。と、いちおう印象操作をしておいて…。
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 歌島の集落までは、比較的海岸から少しだけ遠い道が続き、歌島沼を過ぎると、静かできれいな砂浜の海岸が現れる。この付近は本目海岸といって、村営のキャンプ場かなにかあるという情報も、どこかで見かけた。本目というがこの浜の大部分は美川である。
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 名もない小さなコブを回り込むと、折川が流れこむ本目の集落がある。「本目」という名の由来もわからないが、ことばとしては囲碁の用語と結び方の名前と、ふたつ同じ名前が使われている。
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 本目集落には郵便局も駐在所も神社もお寺もあって、島牧村東部では大きな集落となっている。
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 ただ、折川の河口であるということが、ここに港をつくることを妨げた形跡(情況証拠)が、現在の地図をつくっている。河口というのは、一般的には港湾を設けるのに適地と言えるはずなのだが、寿都の朱太川のように、その条件が合わない場合も多く、河口だから港というわけでもない。本目が港に適さないと判断されたのは、川の氾濫もあったかもしれないが、何より湾が浅く風浪を避けるという港の最重要条件を満たしていなかったからではないだろうか。
 そこで、本目の人々は周辺を物色してみたに違いない。そうして、本目から西へ2キロも海岸を進めば、ふたつの岬の出っ張りに囲まれた、港の適地があることはすぐにわかっただろう。
 彼らは、迷わず集落から離れたそこに港をつくることを決め、実行したのではないか…そんなことが想像できそうだ。
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 それなら、最初からそこに集落をつくればいいじゃないか…って? 残念! そこは海岸からすぐ崖山になっていて、後背に集落が広がる余地がまったくないのです。
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 そこで、集落からは離れたその場所を示す字地名も、ずばり迷わず「港」。
 本目岬は、その港を囲む北東の出っ張りで、南西の出っ張りは厚瀬崎(あっちゃせざき)という。
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 本目岬のほうは、切り立った断崖に囲まれ、その下には岩場が広がっている。そう高くない岬のてっぺんには黒白の灯台も立っているが、その写真は全部西から東へ向かってのもの。西へ向かう車窓からは、灯台はてっぺんの一部だけしか見えない。港と海の安全と豊漁を願ってのことであろう、神社もあるようだが、それはバス車窓からは確認できなかった。
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 西行きの車窓からは全貌を現わさないこの灯台は、帰りのバスからは、本目港の側から岬の岩崖とともによく見えよくわかる。
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 道路からもそう隔絶していなくて、集落と港の行き帰りに通る本目岬は、ちょうど使い勝手のいい岬だったはずである。
 そういえば、本目結びというのは漁網に使う結び方なんだけどね。ま、関係ないんだろうね。
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▼国土地理院 「地理院地図」
42度44分42.61秒 140度6分51.27秒
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1470 弁慶岬2=寿都郡寿都町字政泊町(北海道)弁慶と風車がシンボルの町から西へ [岬めぐり]

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 「風の街」を標榜する寿都町のマークには、朱太川河口に並んでいる風力発電の風車と、薙刀を立てて持つ弁慶の像が描かれている。これは寿都湾の西に三角に飛び出た弁慶岬の弁慶で、この岬はすでに、

 693 弁慶岬=寿都郡寿都町字政泊町弁慶(北海道)大望ある身の永く止まるべきにあらずと…

の項でとりあげている。2011年のその時の訪問では、雷電国道を北上するのが目的だったので、黒松内に泊まって、翌朝のバスで寿都にやってきた。岩内へ向かう前に、時間があったためか、ここには行っておこうと考えたのか、バスで弁慶岬へ行き、次の上り便バスで寿都へ戻っていた。
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 今回は、寿都から西の島牧村へ向かうが、その西端の栄浜で行き止まり(道はあるがバスはない)なので、また折り返して戻ってこなければならない。弁慶岬はその往復のバスの車窓からを加えて「弁慶岬2」とする。通りすがりに見たところでは、前に来たときより駐車場に停めてある車の数と建物が増えている。
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 ここでもう少しは寿都のことにふれておこうと考え、一項目を設けた。と言っても、寿都の町をうろうろ歩き回ったわけでもないし、寿都鉱山廃坑や寿都鉄道廃線の遺跡を訪ねたわけでもない。ただ、バスで通り過ぎ(岬付近の写真は、主に帰路に眺めた風景)、帰りには温泉に入ってきただけなのだ。

 694 尻別岬=寿都郡寿都町字磯谷町能津登・磯谷郡蘭越町港町(北海道)町の中に町がある寿都は“茅のある川”

 町のこともこの尻別岬の項で、いろいろ書いているので、それ以上に今回新情報が判明したというわけでもない。
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 つけ加えると、人口3,064人で世帯数 1,720世帯、それに「演歌界の巨匠 北島三郎が歌う寿都町のイメージソング!!」として、「風のロマン」と「弁慶岬」の二曲あるというのを、町のサイトで知ったくらいかな、新情報は。
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 前回問題提起した、黒松内町の境界が、海にわずかに届いていないというナゾもそのままである。どうやら、1955(昭和30)年に寿都町、中の川を除く樽岸村、歌棄村、磯谷村の1町3村が合併して新しい「寿都町」をつくったときの線引を踏襲したものだろうが、肝心の歌棄(うたすつ)村と黒松内町の境界についてのいきさつは、あいかわらずわからない。
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 弁慶の話はさておき、和人がこの地域に進出して、集落を形成するようになるのは、17世紀も後半、1669(寛文9)年頃になるという。ちょうどシャクシャインの時期と一致する。やがて北の物産を求めて場所が開かれたが、松前が蝦夷進出の拠点であったため、当時の蝦夷といえば、やはりこの渡島半島西岸が中心であったのだろう。
 ただ、当時の和人の蝦夷への進出過程について、wikipedia におもしろい記述があった。寿都町の沿革のなかで、
 
 1688年 神威岬から北への婦女子通行禁止令が敷かれ、このため寿都地方に土着する者が増える。

とあるのだ。同様のことは、北に行った岩内でも言えたのだろう。
 深い湾に面しているので、住みやすいのか思えば、なかなかそういうわけでもなさそうで、強風で雪も多いらしい。その強風を利用して風力発電をと、朱太川の河口には何本もの風車が立っている。
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 その付近こそが、実は黒松内町の境界線が海に迫りながら到達していない場所なのだ。いくつかの三日月湖を残す朱太川は、何度も氾濫しているので、この付近も人家は少ない。寿都鉄道存続の夢を砕いたのも、最終的にはこの川の氾濫による。
 現在の境界線をみても、黒松内町と寿都町が朱太川で接している場所では、大きく蛇行して線が引かれている。これは明らかに、町の境を決めたときには、この状態で朱太川が流れていたことを示していると考えられるのだが、それはいったいいつ頃のことなのだろう。国道も河口の下流部分を避けて通っている。
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 国道と並んで走る川の南側の湯別の街があり、湯別の東を流れる川は、黒松内街との境界で、その山寄りに温泉施設がある。帰りは、黒松内へ戻るバスまで2時間も寿都で乗り継ぎを待たなければならなくなったので、思いついて先に「ゆべつの湯」までバスで行き、温泉に入ってそこで帰りのバスを待つことにした。
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 寿都の街は、朱太川の河口を避けるようにして湾の西岸にあり、歌棄はその湾を挟んで向かいに位置している。風車の背景になっている山が歌棄の山で、その北隣りは蘭越(らんこし)町になる。岩内はその北。寿都=岩内間もニセコバスが走っているので、2時間待つよりも岩内経由で函館本線につなぎ、小樽か長万部かどちらかで札幌に出られないものかと、ニセコバスとJRのダイヤをひっくり返して探してみたが、それは不可能とわかった。
 歌棄と向かい合う一方の、まるまる弁慶岬の出っ張りである政泊は、1933(昭和8)年から寿都町になっている。この岬を大きく放物線を描くように過ぎて行くと、いよいよ島牧村に入る。
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▼国土地理院 「地理院地図」
42度49分26.53秒 140度11分21.95秒
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1469 尾花岬=せたな町大成区太田(北海道)ここも陸からは見えない岬i行けない岬なので地図上で想像する岬めぐり [岬めぐり]

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 尾花岬も前項の帆越岬についで、なかなか見えない岬・行けない岬で、これも、

 1443 尾花岬・帆越岬=久遠郡せたな町大成区太田・富磯(北海道)難所の見えない岬だからムリしてでも…

のほうに船からの遠望でいちおう入れていた。この2016年の岬めぐりの当初計画では、長万部からせたなに入り、せたなの残りの岬をめぐった後で瀬棚港からフェリーで奥尻島へ渡る計画であった。この航路に乗れば、尾花岬のかなり近いところを通過するはずだった。だから、尾花岬の視認はその航路にかかっていていたのだが、函館本線の不通であえなくおじゃん。
 ハートランドフェリーの瀬棚港=奥尻港航路を航行する、“アヴローラおくしり”から尾花岬の間は、至近距離で約7キロくらいのところを通過すると思われる。だが、奥尻島の最北端稲穂岬から尾花岬までは、約19キロは離れているから、正直に言うとほとんどこれが尾花岬という特定はむずかしいのだが、前の遠望写真でとにかく項目をつなげておくことだけを目的として、一項目を置く。(写真は1443項からの流用で、地図で辿る)
 それは、改めて、この毛無山山塊の西をいくつものトンネルで抜ける道道740号線を、せたな町のすでに項目にあげている水垂岬・日中戸岬までのルートをなぞっておく必要があるからだ。
 そうして、これをさらに翌日の島牧村側からの行程に接続しなければならない。
 帆越トンネルが2004(平成16)年に開通して、とりあえず富磯のさらに北に離れている太田まで道が通じたことは、前項で述べたとおりだ。
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 崖また崖の帆越山西岸は、帆越トンネルを北へ抜けると、海岸の開けた道になる。同じ町内のことだから、境界線とことさらいうのも変だが、帆越山と帆越岬を結ぶラインを越えると、字地名は富磯から太田に変わる。
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 トンネルを出たところにあるのも太田神社らしいが、その先の485メートルの太田山の頂上下まで、破線の山道があり、そこにも神社の記号がふたつもあるので、こっちが本社なのだろう。
 それにしても、この参道は急峻な山道で、参道の厳しさでは日本一ではないかというが、地図で見てもさもあらんと思われる。
 その太田山と太田神社からさらに北へ、次のトンネルにあたる手前が太田の集落で、その港から尾花岬までは3キロ弱のところまで接近できるだろう。
 太田まで行けてはいないが、行ったつもりで書いておくと、おそらくトンネルの入口まで行ったとしても、尾花岬はうまく見えないだろう。富磯からの帆越岬と同じことになりそうだ。
 だが、帆越トンネルを抜けたところのわずかな間なら、北北西に4キロ先、海の向こうに邪魔ものなしで、尾花岬を眺めることができるだろう。
 そしてそこが、陸から尾花岬が眺められる、ただひとつの場所であろう。
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 太田漁港の先からトンネルに入って、まず天狗岳509メートルの下をくぐり、ふたつの沢と尾花岬をトンネルで通過する。船隠でトンネルが終わるまでの全長は3,360メートル。これが太田トンネルで2013(平成25)年に開通している。
 すぐにまた、次のトンネルに入る。今度はそう長くはない。1,161メートルの日昼部トンネルは、太田トンネルと同時に開通している。
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 長い間、毛無山の西で断絶していた道道740号線が、このふたつのトンネルの開通でやっと南北に通り抜けができるようになった。それがわずか4年前のことだから、いかにこの地域が秘境であったか、ということにもなる。
 日昼部トンネルを出て、北へ1キロも進むと、そこにあるのが日中戸(にっちゅうべ)岬である。この付近も、かつては集落が谷筋にあったようだが、土砂崩れで流され、以来廃村になったというところ。
 ここまでは、また水垂岬から少し南に歩いたところから、むりやりの遠望ということで、

 864 日中戸岬=久遠郡せたな町北檜山区新成(北海道)かつてあった集落も学校もなくなってしまった無人地帯に

として項目を立てていた。2012年の訪問(見えるかなと、ちょっと覗いてみただけ)のときには、道路も覆道から先にはなく、地図でも岬の周辺海岸に道は記されていなかった。
 こんなわけで、地図上の想像行程を辿って、なんとか日昼岬・添泊岬・帆越岬・尾花岬・日中戸岬…と、檜山北海岸毛無山の岬めぐりはつながった。(ことにする)
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▼国土地理院 「地理院地図」
42度18分11.40秒 139度46分6.51秒
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1468 帆越岬=せたな町大成区富磯(北海道)陸からは見えない岬に最接近するために苦労してついにここまでやってきた [岬めぐり]

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 富磯のバス路線の終点は「第二富磯」。第一「第一」がどこかにあるのかどうかわからないし、この終点がどこなのか、探してもわからなかった。いちおうバス停を表示しているはずのMapionも、ここではまるで無印。
 なにしろここまでバスでやってくるだけでも大変なのだが、秘境というにはそぐわない、開けた明るい海岸沿いに集落がいくつか連なっている。
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 どうやら「第二」というのは、その集落のいちばん奥まった、北のはずれのことであるらしい。
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 バスを降りたところの海岸には、岩の間になにやら船寄せの構築物のようなものがある。地理院地図を見ると、確かに堤防のできそこないのようなそれが描かれている。「第二富磯」の正確な位置が、やっと判明した。
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 そこは、帆越岬をくぐる帆越トンネルの南の出入口まで、およそ1.5キロのところで、道道740号線が北へ向かう道の先には、黒々とした大きな山塊がある。この三角に飛び出た最高点が321メートルの帆越山で、この下を全長1,857メートルの帆越山トンネルが通り抜けている。
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 富磯から見ると、2キロに渡る南北に縦長の山塊の南のはじっこを見ているだけなので、そんなに巨大には見えない。
 帆越岬の岬名表記は、地理院地図では帆越山ピークの西南西に、ちょこんと突き出た岩場についているが、そこは見えている南の山の端と海岸の崖に遮られる。それはどの海岸からみても同じことで、要するに帆越岬も厳密にここがそうだというには船でもチャーターする以外に、そこを眺める方法はない。
 船? そうだ。乗ったよね。いちおうは眺めたよね。
 
 1443 尾花岬・帆越岬=久遠郡せたな町大成区太田・富磯(北海道)難所の見えない岬だからムリしてでも…
 
 チャーター船ではないけれど、奥尻航路の船から眺めたその遠望写真でも、切り立った崖の凄さはよくわかった。この山を帆越トンネルで越えられるようになったのは、2004(平成16)年のことだから13年前。そう昔ではない。
 では、それまではやはり富磯で行き止まりで越えられなかったのかというと、トンネル以前は海岸線の崖と岩の間に僅かな隙間をつくり、そこを覆道にして山を迂回していく海岸沿いの道があった。
 帆越山の北側には、太田という集落がある。太田集落と他の世界をつなぐルートはその覆道の道しかなかったが、落石や高波の影響を受けて、しばしば不通になって孤立したという。
 本当は、その太田まで行ってみたかった。前項でふれた函館バスの久遠線のダイヤには、大成学校前発06:06=太田着06:21の便があると表記してあった。帰りは太田発06:22=大成学校前着06:37である。これだけ。行ったとしてもすぐ折り返す以外に帰りの便は、ない。どうするんだろうね。出かけた人も必ず一泊して翌朝の便で帰ってくる、ということなのか。このバスの情報も、せたな町の提供情報には入っていない。
 帆越山を越えて太田までバスで行くには、前日に久遠に一泊し、翌日は太田に一泊という計画が必要になる。とまあ、行ってみることはできないので言ってみる書いてみるだけで実行はしない秘境。
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 富磯から北に見える出っ張りをよくよく見ると、トンネル開通以前に使っていた海岸沿いの旧道に、確かに覆道の名残りらしいものがある。
 どこにでも行く釣り人や、廃墟・廃道・廃線好きなマニアなら、当然この道にも入り込んでみたくなるのだろう。
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 さて、あんまり深入りしたくはない岬の名前だが、元の音がアイヌ語から来ているとしても漢字を当てた段階で、もうそこには当時の和人の考えた意味が付加される。
 でんでんむしは勝手に、陸のルートは行けない越せないので、船に帆をかけて越すということからこんな字を当てたのではないかと思っていた。
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 ネット情報によると、「北海道人」と称した北海道の名付け親で探検家・松浦武四郎の残した「西蝦夷日誌」には、「ホグシは帆卸の轉か。此岬を過る時は必ず帆を少し下げ太田山を拜し行が故號ると。」とあるという。
 岬の神社を敬って、帆を下げて通るというのは、瀬戸内海でもある話で、それがこちらに流用されたという感じが強い。いささか根拠の信頼性は?である。
 それは違うのだ、アイヌ語の「ポロ ポㇰ ウシ」大崖の下という意味だというのがアイヌ語源の解説で、たとえそれが正しいとしても、しかも大きな崖の下であることにも異論はないとしても、心情的にはやはりピンとくるところは違うような気がする。

<追記>いつも、ご自身のブログ「落合道人」に、nice!返礼コメントを書いていただくChinchikoPapa さんから、この項について以下のような貴重なご意見をもらったので、参考までにこちらに記録しておきたい。

松前藩によるアイヌ語地名への漢字の当てはめ方は、「音」でひろって後から現地を知らぬ役人が机上で漢字を当てはめたもの(幕府への書上げ=報告書など)が多く、現地の地形や風情を認識したうえで、つまり意味を考えて漢字に置き換えたもののほうが少ないと思います。松浦武四郎のように、現場を逐一踏査してから採取し、しかも意味まで考えているケースは、むしろ例外ではないでしょうか。だからこそ、のちに地名の用字(当て字)について、アイヌ民族からさまざまな異議が出て、カタカナにもどされたところも少なくありません。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。dendenmushiさん by ChinchikoPapa (2017-08-05 14:11)

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▼国土地理院 「地理院地図」
42度15分33.66秒 139度46分36.02秒
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1467 日昼岬・添泊岬=せたな町大成区上浦・富磯(北海道)日昼(にっちゅう=ひるひなか)はとうに過ぎ夕方になったので… [岬めぐり]

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 そして富磯へ行くバスの時刻表問題とは別に、もうひとつ、5年前の小歌岬の記録の中で、自分が書いていたことなのに「はてな?」と思ったことがある。
 今このバスが走っている道は、道道740号線なのだが、それについて「863 小歌岬」の項では「前項で触れたように、この道道740号線は、太田で行き止まりになっている。」と書いていることである。
 ここでいう「前項」とは、「862 湯ノ尻岬・稲穂岬」のことで、そこでは「そのうえ、この太田で道道740号線は行き止まりになっているのである。」とはっきりと書いている。
 一瞬あせった。これって間違いだったのか? 修正しなきゃ? 740号線は北檜山まで通じてるのに!?
 確かに、2017年現在では北檜山まで通じているのだが、5年前2012年当時には、まだ行き止まりのままであって、当時のブログの記載に間違いはなかった。
 つまり、その後この5年以内のうちに、740号線は初めて全通したことになる。では、途中太田で行き止まりになっていたこの道がめでたく開通したのは、4年前の2013(平成25)年のことだったのだ。
 太田トンネルとその北に続く日昼部トンネルとふたつのトンネルが開通することで、初めてそれまで完全に遮断されていた帆越岬と日中戸岬の間がつながった。
 このふたつの岬の間にあるのが尾花岬…。だが、そこへ行くのも容易ではない。
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 まだまだその前に、バスはせたな町は大成区の上浦・富磯を走っている。
 ここには、日昼岬と添泊岬というふたつの岬が連続してあるのだが、この海岸にはいくつもの似たような岩の出っ張りだらけなので、なかなかそれを特定するのがむずかしい。
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 どうして、ここにだけ岬の名がついているのか…という気もするが、考えて見れば、久遠湾には東の外横澗岬から始まって、数百メートルから1キロちょっとくらいの間隔で岬が続いている。
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 久遠の人たちにとっては、昔からそういう目印が必要であったからに違いあるまい。
 それと岬の名前。これも情報がほとんどないのが普通で、なかなか手を出しにくい厄介な問題である。よくわかるもの以外はあまりふれないように敬遠しているが、ここ日昼岬・添泊岬のふたつもまったく意味不明。この付近の地名からも字名からも、それらしい手がかりはない。ただ、「添」は魚の名前からというような情報はないことはないが、まったく納得には至らない。
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 ただ、「日昼」については、読みは「にっちゅう」、意味は「ひるひなか」という昔からよく使われてきた日本語であると思っていたが、どうやらそれは広辞苑には「昼中」や「日中」はあるが、「日昼」載っていない。それが岬の名前になるわけはわからない。
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 日昼から夕方にさしかかったので、西に向かう岬は逆光になり、黒い岬と夕日を浴びる岬が入り混じる。
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 そういえば…。
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 「日昼部トンネル」に「日中戸岬」とありましたよねえ。
 こうなると、なんかないわけはなかろう…。それに北海道の別の場所でもそんな地名もあったような気もする。となると、いずれはやはりアイヌ語源関連ということになるのだろうが、これまた手出しがしにくい。
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 北海道ではどこへ行っても道路脇で目立っているものがある。それはひとつは冬季の積雪時に道路の位置を示す「 ↓ 」の道路標識なのだが、もうひとつがこの交通安全の旗である。色やデザインや文字は、自治体によってさまざまだが、道内で申し合わせか決まりのようなものがあるのだろう。

▼国土地理院 「地理院地図」
42度13分43.72秒 139度48分14.08秒 42度13分52.64秒 139度47分46.43秒
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1466 小歌岬2=せたな町大成区都(北海道)2012年の前回訪問から5年も経っていれば忘れていることもあるけれど… [岬めぐり]

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 小歌岬2として、またこの岬をとりあげるのは、前回の2012年の訪問では、実は小歌岬の上までは行ったのだけれども、どうもその全体の姿が見えなかったからだ。確かにそこには「小歌岬」という小さな杭の標識やこれまた小さな灯台のようなものがあるにはあったのだが、バスの時間があるのであまり周辺を歩き回ることもできずに、畑の中の袋小路に入ってまた引き返していた。
 そのときの経緯は、
に詳しく書いている。今回は、大成学校前で降りずに、そのまま第二富磯の終点まで行くのだが、小歌岬は大成の市街地を抜けて、再び海沿いに県道が出る上浦付近から、バス車窓の後方にどうにか見える。
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 白い灯台もはっきり見えるし、灯台の丘が切れて、その下の海に落ちるところが、細長い大きな岩礁になって伸びている。
 地理院地図では、小歌岬の名はこの岩礁の先端に付けられているが、それはただ単に地図上の文字記載位置の都合であって、岬が灯台のある丘の出っ張りと下の岩礁を一体化してとらえたものであろうということは推測できる。
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 これでやっと小歌岬もちゃんと確認できた。これも、その上に行っても岬がどうなっているのかよくわからないという例で、遠く離れたところから眺めてみて、初めてその全貌がわかる。
 こうして、二度目の訪問にさいして、前に来たときの昔の記録をひさしぶりに開いて読んでみると、「ああ、そうだったのか」と新鮮な気持ちで読めてまたおもしろい。
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 すっかり忘れていることも多いもので、若松ルートの国道の元になった道は商人たちが切り開いたという話などは、さっぱり記憶になかった。5年前に自分で調べて書いていたものを「へーそうだったんだ」と、感心して読んだりしている。
 5年前の行程も、どこをどう通ってきたのか、かなりうすぼんやりとしている。もともと、この岬めぐりは記録も何時何分にどこから何に乗って何時何分にどこに着いたというような旅行記録はほとんど気にせず、それは記録していない。おまけに項目は岬中心でその掲載順も行動順ではないこともある。なので、「あれっ、このときはどうしたんだけっ?」というようなこともたまにある。
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 その「たま」が、ここであった。前項では、
 「実は2012年にやってきたときには、南の乙部町から八雲町の西海岸線を北上してきた。ポンモシリ岬を過ぎたところからせたな町に入り、親子熊岩を経てツラツラ岬を過ぎ、その日は貝取澗のあわび山荘に泊まった。
 翌朝、朝食もとらずに宿の車で宮野まで送ってもらって、なんとか宮野早朝発の北檜山行きに間に合った。」
 と書いていた。
の項を読み直してわかった(思いだした)のだが、実際の行動は、いったんバスに乗ったまま貝取澗を通り過ぎて終点の大成学校前まで行っている。そこから引き返して貝取澗へ戻ってあわび山荘に泊まっていたのだ。つまり、乙部から小歌岬までの岬は、このときの函館バス檜山海岸線の北の端を往復することで記録していた。
*江差町がリンクしているPDF(檜山海岸線)
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 このルートの路線バスは、やはり函館バスではあるものの、若松・久遠線とは別の長距離路線。江差=大成の間を走る路線だった。これが日に3便走っていて、ここにも大成から乗り継いで富磯へ行く便が早朝と午後ある。なかなかややこしい。函館バスのPDFでは、これが微妙に違うのだが、製作時期の問題もあるのだろう。
*函館バス檜山海岸線の時刻表
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 5年前のとき、運転手さんが「富磯行きに連絡するよう待つように言いましようか」と言ってくれたのは、その乗り継ぎ便のことで、これは現在でもあったのだ。
 えーっ! なんのこっちゃ! それを忘れずに覚えていれば、計画もまた組みやすくなったかもしれないのに…。せたな町の掲出している函館バスの時刻表で、第二富磯へ行くのは夕方の1日1便のみとばかり思っていたのだ。
*せたな町が掲げている若松・久遠線の時刻表
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 若松・久遠線ばかりでなく、こっちのほうのダイヤをみていれば、第二富磯行きは日に夕方1便だけでなく、大成学校前で乗り継げば、早朝と午後と合わせて日に3便になるのだ。
 しかもそれが、せたな町の若松・久遠線の時刻表には一言もふれられていないで、第二富磯行きは夕方1本だけになっているのは、いったいどういうわけなのだろう。なかなかミステリアスであります。
*函館バスの久遠線の時刻表PDF
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 誰が悪いのかミスなのかそうではないのかよくわからないが、北檜山から函館まで、亀田・松前・渡島と半島が3つもの名をもつくらい広範囲な営業エリアをもつ函館バスは、ひょっとしてどうやら総身に知恵が回りかねる状態になっているのか?

▼国土地理院 「地理院地図」
42度13分20.35秒 139度48分52.74秒
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1465 茂津多岬3(中茂津多岬・冷水茂津多岬)=せたな町瀬棚区北島歌・島牧村-(北海道)渡島半島の北を区切る狩場山が下るところ [岬めぐり]

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 茂津多岬については、これまですでに二度ばかり項目としてあげていた。ひとつは2012年の訪問ではせたなの水垂岬付近から北を遠望した。直線距離でおよそ29キロ離れていた。

 870 茂津多岬=久遠郡せたな町瀬棚区北島歌(北海道)とりあえずここは遠望で確認しておくだけです

 それからふたつ目、2016年には台風で長万部にも行くことができず、計画を大幅修正して江差から奥尻島へ渡ったときに、46キロ離れた島の最北端稲穂岬からの遠望として、茂津多岬2を項目としていた。

 1442 茂津多岬2=久遠郡せたな町瀬棚区北島歌(北海道)巨大な山塊が落ちる海岸を4つの長いトンネルで抜けるところ

 遠望ばかりでふたつも項目をあげたいきさつや心づもりについても、そこでふれているが、今回はついに茂津多岬3である。いやはや。
 今回も、その岬の上に立ったというわけではない。なかなかの難所なので、やっとどうにか須築の港から1.6キロまで接近した、ということでOKにしたい。
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 茂津多岬のある山地は、国道は海岸から1.3キロもの内陸側を、全長1.9キロもある茂津多トンネルで通り抜けている。このため、道路や陸側からは眺めることができず、北側ではもっとトンネルが断続的に続くので、せいぜい南からのいちばん接近した眺めがこの程度ということになってしまう。
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 もう少し西寄りに位置を変えてみれば、もっとはっきりとこれが茂津多岬だと言えるのだが、バスの都合でそれはできない。
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 だが、ここ須築の旅館に一泊して、翌朝歩いて山登りをするつもりがあれば、岬の上に立つことも可能なのだ。その場合は、旅館の前から国道を須築橋まで進み、トンネルの入口手前から元へ戻るように南向きに斜面を登って行く。150メートルも高さを稼いだところからまた北向きにゆっくりと広い台地上の上を進んだところが茂津多岬の上になる。茂津多岬のコブから250メートル北にもコブがあって、そこは中茂津多岬という名もついている。このラインがせたな町と島牧村の境界線になる。
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 境界線を越えたところに灯台が立っていて、これが茂津多岬灯台。地図では標高270メートルくらいのところにその表記があるが、実はここの灯台は日本一標高の高い灯台なのだという。平均水面上から灯台の先端までは標高290メートルなのだそうだ。灯台の北400メートルのところで海に突き出ているコブには、冷水茂津多岬という名がついている。
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 この台地の上に登れば、つごう3つもの岬が並んでいるわけで、岬めぐりとしては、本来ならどうしても登ってみたいところだ。
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 まあ、10年前ならその気にもなっただろうが、この頃ではもうムリはできないし、おまけにここはクマがよく出る場所としても知られている。
 そういうわけで、ここはとりあえず図上演習で、そこへ行ったつもりになっておこう。まあ、登ったからといって、実は、岬は岬の上に立ってもさっぱりなんだかわからないというのも多いしね。
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 …と、また負け惜しみを言っているが、地形的にはこの台地はなかなかの景観も予想できる。植生もきっとすばらしいのではないか。須築橋からの林道は、車も入ることができる道らしいので、車ならなんなく上まで行けそうだ。それでもクマ承知で観光ポイントとして売り出すには、まだまだなのだろう。
 なぜか見づらいせたな町のサイトでは、「せたな町観光ガイド」2015を紹介しているが、そこには日本一標高が高い茂津多岬灯台の小さな写真が一枚あるきりだ。だが、残念ながら灯台のあるところは島牧村でせたな町ではないし…。
 しかし、その写真の下では「せたな町の観どころはその雄大な自然。総延長72kmの海岸線を彩る芸術的な奇岩の数々は圧巻です。」としている。
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 確かに、せたな町のポイントは、三本杉や親子熊岩(858 長磯岬・親子熊岩=久遠郡せたな町大成区長磯(北海道)しみじみと親子の情愛を感じさせてくれる岩)が代表する海岸線であろう。渡島半島の北で巨大な山塊を従える茂津多の岬だけではなく、北海道最西端の岬(奥尻島を除くと)となる尾花岬もあるし…。大きな地図で一見すると、茂津多の岬と尾花岬は並んでいるように見えるが、尾花岬のほうが5キロも西へ飛び出ている。
 問題は、道はあってもトンネルばかりだったりバスも走っていないということなのだ。
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▼国土地理院 「地理院地図」
42度36分34.32秒 139度49分21.17秒
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1464 弁天岬=せたな町瀬棚区北島歌(北海道)お隣さんの集落は南へ5キロ北へは10キロも先にありますここは須築(すっき) [岬めぐり]

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 須築トンネルを出るとすぐ、またトンネルが続く。これは藻岩トンネルで71メートルの短いトンネルだが、おや?
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 藻岩岬のある580メートルのトンネルが須築トンネルで、須築に近いほうの短いのが藻岩トンネルだという。逆のように思えるが、どういう事情でこういう名前になったのだろう。
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 それにしても、ホントどーでもいいことばかり気にしている。まー、それがこのブログの真骨頂と自負するところでもあるわけなんだけど…。
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 美谷の北付近から、ずっと建物も何もない海岸線が続き、しばらく行くとまたもうひとつの短いトンネルと、台座のような岩の横を通り抜け、カーブを回ると、前方にぽこぽこした小山が見えてくる。これが弁天岬だ。
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 この国道229号線を走る間じゅう、人っ子ひとり見かけることはなかったが、弁天岬の手前で道路工事をやっていて、そこの信号機の横に立っていたおじさんがいた。この人が往復の間で見かけた唯一の人間だった。
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 弁天岬では、この北と南に防波堤が延びる港があり、須築の集落が固まっている。
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 このバスの終点である須築にやってきた。長いこと、懸案にはなりつつも、なかなか来ることができなかったこの路線。三本杉からここまでおよそ25分。運賃は480円也。
 終点のひとつ手前の漁港で降りたのだが、終点の須築もすぐその先で、バスが道の向こうに見えている。
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 このバスが、数分後には折り返してまたきた道を戻っていくわけで、これを逃すと1時間40分後の最終便になってしまい、それだとこの後の岬めぐりの計画がまったく成り立たなくなってしまう。
 せめてもう少し、折り返し時間に余裕があるといいのだが…。バスのほうにしてみれば、ここで何十分も時間を待つ理由はなにひとつないのだ。
 これも、公共交通機関でめぐる岬めぐりではよくあることで、いたしかたない。
 弁天岬という名で、小山の中腹にはちゃんと神社マークがあるので、弁天さんがここにも祀られている。そこまで行けば、あるいは北の茂津多岬も、もうちょっと姿を見せてくれたかもしれない。
 とにかくそんなわけで、須築の滞在時間はわずか3分。その時間ではどこへ行くこともできないので、弁天岬の弁天さんも見えずじまいに終わった。弁天岬という同名の岬は、全国各地にあるが、このせたなの町内にもうひとつあった。それは、太櫓・鵜泊線に乗って行くと途中の海岸の岩礁の上にあったもので、2012年にやってきたときには、そこは車窓から眺めて、項目にあげていた。

   866 弁天岬=久遠郡せたな町北檜山区太櫓(北海道)岬の赤い弁天社に託す人々の願いはなんだろうか

 ふたつの港の間にあって、それを守るようにしてある須築の弁天さんは、せたなの最北端の奥まった集落にとって、決して小さな存在ではないのだろう。同じ町内とはいえ、南の集落である美谷までは5キロ弱も離れていて、北隣となる島牧村のいちばん近い集落である栄浜までは10キロ以上も離れている。
 そんな周囲からは隔絶した集落が須築で、戸数もあまり大きはなさそうだが、結構立派な旅館もある。おそらく、この国道沿いでは、重要な宿泊施設になっているのだろう。
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 地図上の弁天岬の表記は、弁天さんのある小山から西の海に大きく張り出した岩礁と南の港の防波堤の先につけられている。
 北を回りこんできた須築川が、茂津多の台地の下で海に流れ込むところに、自分たちの居を定めようとしたのは、どんな人たちだったのだろうか。
 河口に港をつくり、その港口の小山に弁天社を祀り、その出っ張りを弁天岬と呼んで港の目印としたのだろう。
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▼国土地理院 「地理院地図」
42度35分38.19秒 139度49分27.27秒
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1463 藻岩岬=せたな町瀬棚区北島歌(北海道)この付近では国道229号と国道276号が同じところを走っている? [岬めぐり]

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 虻羅トンネルを出たところの海中には、亀岩、窓岩があり、さらに北の美谷トンネルのところには獅子岩がある。藻岩岬は、その先の横滝トンネルを出ると、前方に見えてくる。
 そこはもう、須築トンネルの山が南西に落ちるところだ。
 虻羅トンネルの北から藻岩岬までの海岸線は、およそ7.5キロほど。
 この間に集落は白岩、島歌、長浜、美谷、北島歌と続き、港も大小3か所ある。トンネルと覆道もふたつあり、5本の川が谷をつくって海岸に達し、滝もふたつ表記されている。
 こういった海岸線は、日本中どこでもだいたい似たような様相を呈しているとも言えるが、北海道の場合には、崖が急峻で、海岸に岩礁や立岩が多く、人家が集まる集落も飛び飛びで少ないということが言えそうだ。それに看板の類もほとんどないので、風景がきれいに見える。moiwamisaki-4.jpg
 こんな看板はあるけれど。(バックミラーに注目。この後ろにまだ続いている。)
 窓岩も亀岩も獅子岩も、それぞれ奇観として人の目を意識してつけられた命名だろうが、それを楽しみに見にわざわざやって来る人は少ない。
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 獅子岩がある美谷トンネルの北側から見ると、その背後に巨大な一枚岩が縦に落ちてきて海岸に突き刺さったように見えるところがあった。実際の生成の過程は、陥没か隆起かによって硬い一枚岩が残ってあらわになった、というものだろうが…。
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 一見ゴジラ岩のような獅子岩を過ぎると、美谷の集落を通過する。海際には国道の標識があって、229と番号がついている。
 美谷付近の地図を拡大してみると、北に神社があって、南のはずれに郵便局がある。考えてみると、郵便局というのは偉大なものだ。小泉郵政改革によってごちゃごちゃにされかけたが、どっこいそのネットワークは日本全国こんな隅々まで、特定郵便局はちゃんとがんばっているぞ。
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 美谷川が流れる海岸道路には、青い逆おにぎり型の国道マークふたつあって、それには229と276と記されている。あれっ、標識は229ひとつしかないのだけど…。
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 車の運転をしない(できない)でんでんむしは、国道のお約束もよく知らないのだが、ひとつの国道がふたつの国道を兼務することは、よくあるらしい。
 国道229号線は小樽市と檜山郡江差町を結ぶもので、国道276号線は苫小牧市と江差町の間の国道であるという。ならば276号線は、どこかで東に向かわなければならないが、いったいどこで分岐しているのだろう。そんな興味が湧いてきてその名を辿っていくと、翌日の岬めぐりを計画している島牧村と寿都から岩内の海岸を進み、倶知安から支笏湖南岸に出て、苫小牧市に達している。
 しかし、国道のシロウトとしては、江差と岩内の間で、わざわざ国道276号と国道229号をダブらせなければならない理由がよくわからない。ついでに江差を見ると、厚沢部川の河口付近の柳崎橋から北へは、229と276だけでなく、途中で熊石から八雲に分かれていく国道277号というのまであり、ひとつの同じ道路に都合三本の国道の名がついていた。
 松前から始まり、松前半島と渡島半島の西岸を北上していく道路には、追分ソーランラインという別の名前もついていた。それもこの先の茂津多岬を境とするせたな町で終わり、その北の島牧村からは雷電国道という呼び名になって小樽までつながっていく。
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 横滝のトンネルを出ると、目の前に現れるのが藻岩岬。
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 藻岩川の北で、須築トンネルがくぐり抜けている尾根が、西に張り出して海に落ちている。この周辺の海岸線では崖が多い。この藻岩岬の南でも北でも崖になっている。
 ところが、ちょうど岬のところだけ、240メートルのピークから、ほぼ等間隔で等高線がきれいに下っている。そのため、この岬は、なだらかな傾斜を描く岬になっている。
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▼国土地理院 「地理院地図」
42度34分35.52秒 139度49分47.05秒
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1462 稲荷岬=せたな町瀬棚区元浦(北海道)お稲荷さんは見当たらず虻羅の崖のほうにひきつけられてしまうが… [岬めぐり]

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 前項の番外で、北檜山地域の輪郭はなぞってみたが、海側のせたな町が久遠郡で、長万部寄りの今金町が瀬棚郡となっていた。素朴に考えて、「せたな町」が「瀬棚郡」でないのはおかしい。なんでだろ?と思った。
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 せたな町は、2005(平成17)年に瀬棚郡瀬棚町と瀬棚郡北檜山町と久遠郡大成町が合併してできた。こういう合併の場合、どうしてもそのなかでいちばん大きい町などが中心となって、それに引きずられることが多いのだが、ここでは3町の間の力関係が均衡していたのだろう。
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 合併に際しては、3町のそれぞれの顔を均等に立てるように配慮された。その結果、町役場は瀬棚郡北檜山町に置き、町の名は漢字ではなく「かな」にしたうえで瀬棚郡瀬棚町からとり、郡名は他の二町とは異なる久遠郡大成町から引き継ぐということになった。
 大岡裁きのようなまとめかただが、これがわかると、この地域の状況がだいたいよく納得がいく。
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 長万部から乗ってきた函館バスは、北檜山ではなく上三本杉が終点となっているが、そのひとつ手前の三本杉で降りる。バスの運転手さんに聞くと須築への乗り換えは、終点の上三本杉よりも瀬棚市街の北、三本杉のほうがいいだろうというので、そのアドバイスに従った。確かに、ここでは北行きのバス停に二本のバス停標識が立っているが、後で通りがかりにみたら、上三本杉には北行きにはそれがなかった。
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 計画通り2分の待ち合わせで、東ハイヤーのマイクロバスがやってきた。例によって乗客はでんでんむし一人だけ。
 瀬棚須築線と呼んでいるこのバス路線は、函館バスの足が伸ばせないというところなのだろう。町では「運行は(有)東ハイヤーが行い、バス運行に係る経費は運賃収入等、町と北海道からの補助金によって運行されています」とサイトで書いている。どうも実際は町営というより(サイト上のダイヤも別扱い)、せたな町瀬棚区の区営バスというような位置づけらしい。
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 この路線の維持に努力が払われているのは、主に老人などの交通弱者と通学生徒のためであろう。日に4〜5本のダイヤは、瀬棚方面に行く南行きは早朝に、須築へ行く北行きは夕刻に組まれており、日中に使えるのは2本しかない。この路線に乗りその後の若松・久遠線に続いて乗るために、土日ダイヤを避けほかとの日程調整にずいぶん苦労した。
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 旧瀬棚町の地域は、瀬棚区として海岸沿いに広がり、風力発電の風車と三本杉と日に1便だけ奥尻島との間をフェリーが発着する港がある。その北に位置する三本杉からさらに北へ、毎度おなじみの風景が展開する海岸沿いの道を5.5キロほど進むと、この区間最初の岬となる稲荷岬がある。
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 三本杉の北では、梅花都、中歌、元浦、嗣内、虻羅といった集落が点在していて、これらがみんな瀬棚区元浦という地域。岩礁や立岩が続く海岸の先に、岬らしい巨大な岩の飛び出しが見えてくる。
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 これが稲荷岬だ、と言いたいところだが、国土地理院地図の岬名表記は、この岩の間を通り抜けた先、道路がゆるく膨らんで弧を描いているところにつけられている。バスの通りすがりにはお稲荷さんは見当たらず、地図にも神社記号はない。(落合道人ブログのコメントで、これは「トウカ」の原日本語に漢字を当てたのでは、と教えてもらった。なるほど、稲荷社のない稲荷岬もあるわけだ。)
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 漁師の店を看板にした店など数軒の建物があるその付近は、虻羅の集落と港のすぐ手前で、海には岩礁地帯があり、山側にはふたつの小さな尾根と崖が張り出している。
 稲荷岬は、現在はこの丸い出っ張りになっているが、あるいは元はもっと尾根と連動したちゃんとした岬だったのかもしれない。
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 目の前のバスのフロントガラスに、巨大な崖が現れる。このほうがずっと岬らしいが、ここは岬の名はなく、また実態も岬ではなく「クズレ」という記名は崖につけられている名だ。1.2キロに渡って続くこの崖の中を、虻羅トンネルで道路は抜ける。
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▼国土地理院 「地理院地図」
42度29分56.96秒 139度50分36.49秒
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1461 泊崎(はつざき)=つくば市泊崎(茨城県)かつての地形を想像して特別に岬と認定して一項目に [岬めぐり]

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 干拓地と市境の不思議は、西谷田川のずっと南にもつながっている。二本の谷田川に挟まれた台地は、先細りになってその先端を丸く沼の水面に突き出しているのだが、その先端部の南側の田んぼ一帯が、やはり龍ヶ崎市の領域になっている。
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 前に、牛久沼の水面は全部龍ヶ崎市に属している、と書いていた。ということは、龍ヶ崎市とその沼周辺の他の隣接自治体との境界線は、だいたいにおいて沼の岸で引かれている。それが原則のようなのだが、水面だけでなく、一部では干拓地も取り込まれているところもあるのだ。
 それにも、それぞれなんらかの理由があるに相違ないのだが…。
 つくば市の市域では、最南端部にあたる台地の先端である泊崎の南には、台地の裾に数軒の民家がある。その敷地はつくば市だが、その前の広い水田になっている干拓地と、その先の水面は龍ヶ崎市である。水田の持ち主の家かどうかはわからないが、家の門柱の上には、大きなカエルの石像が乗っかって、沼を眺めていた。こういう台の上に乗っかっているのは、狐とか犬とか、獅子とか、あるいはたまに牛とか、沖縄ではシーサーとか、だいたい相場が決まっている。カエルというのは見たことがない。おそらく、日本中探してみてもここだけなのでは?(筑波山麓にはあるのかエ?)
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   カメからの連想だろうか、背中に小さいのが乗っかっている。こんなことはありえないのだろうが、いかにもありそうに思えるのがおかしい。おんぶカエルはたくさん見てるが、あれはさる行為中のカップルであって、親子ではないし。
 どういう不運がその稀なるカエルを直撃したのか不明だが、左の門柱のカエルの顔はかわいそうに半分かけ落ちているようにもみえたが、よくわからない。
 それにしても、りっぱなカエルだ。こんなでかいカエルの石像を門柱に掲げることにした理由も知りたくなってしまう。残念ながら「ごめんください。通りすがりの者ですが、このカエルは…?」と尋ねて戸を叩くほどの勇気もない。そこらに人影でもあれば、きっと声をかけただろうが…。
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 もちろん、沼とカエルはすぐに結びつく。現に終点でバスを降りて、沼に向かうとすぐにウシガエルの独特の鳴き声が聞こえてきた。が、だからといって門柱の石像には結びつかないし、この付近にそういう慣習があるというわけでもなさそうだ。
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 茎崎から乗り換えたつくバスは、いちおうつくば市の最南端の台地の上に開けた自由ヶ丘を経由して富士見台という住宅団地までやってくる。ここが終点でまた折り返すバスの運転手も、ここで交代するようで、交代の運転手は小型車を運転してバス停で待っている。バスが来ると、バスと小型車の運転を交代して、小型車はどこかへ行ってしまった。どこへ行くのだろう。
 こういう交代は、どこか別のところでもなんどか見たような気がするが、すぐに思い出せない。あれは、富山の氷見でもあったかな。
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 富士見台の住宅地から、ゆるい上りの道を行くと、関東ではめずらしいといっていよい竹林があった。なんとなく城跡っぽい雰囲気はある。
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 …と、竹林のはずれに、なんと「↑岬」という小さな看板があるではないか。
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 おおっ! やっぱりここはれっきとした岬なのだ。
 なおも行くと、なんとこれが「岬食堂」という川魚料理店の案内標識だったのだが、やはりこの台地の出っ張りが確かに「岬」であるという認識の証拠にはなる。
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(これ、「つなぎ」ではなくて「うなぎ」です ↑ 。そんなこたあわかってる? はいそうですよね。)
 つくば市の領域である台地の先端には、地図ではお寺のマークがあり、龍ヶ崎の市域になっている沼岸の平坦部には神社のマークがついている。
 まずは、下の神社から訪ねてみよう。
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 泊崎の平坦部の先端は、大きな樹木も茂っておらず、ただろくに整地もされていない空き地が、沼に面している。いささか異様にも思える光景が、そこには展開している。神社の祠がふたつあるのだが、並んでいるとはいえない。それぞれが近くだけれどもお互い関係ないよね、とでも言い合っているような風情である。
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 しかも、そのひとつのほうは、道路から細い参道があるのだが、それと神社の周囲がぐるりとフェンスで囲まれている。当然、向こう側で抜けられるものだと思ってずんずん入っていったが、祠を取り囲むフェンスは厳重で、出られない。結局元の道路まで戻らないと、抜け出せないしくみになっていた。回りに樹木はないので、隣の祠と鳥居もすぐそこに見えるのだが…。
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 フェンスで仕切られた神社は空き地の南寄りにあったが、隣の祠は空き地の真ん中に鎮座している。この鳥居の扁額には「七浦辨財天」とあり、フェンス囲みのほうは「泊崎弁財天」という名前である。同じ弁天さまを祀っているのにもかかわらず、明らかに互いに別々の神様を祭る別々の神社であることをことさらのように強調している。どうしてこんなことに…?
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 その名からして、フェンス内の弁天さんは「泊崎」を名乗っている。これは沼の水面ではなく、岬のように突き出た台地の突端(つくば市)である。一方の広い空き地の真ん中にぽつんと立つ祠には「七浦」という名がついている。これは明らかに沼の水面(龍ヶ崎市)のあちこちの岸を総称したものと言える。
 それが示していることは、フェンスの弁天さんはつくば市で、空き地の真ん中にある弁天さんは龍ヶ崎市、行政区分境界は弁天さんをも二分しているということなのだろう。
 「七浦辨財天」に氏子や管理をする人がいるとすれば、この付近で龍ヶ崎の市域には人家は一軒もないので、その人たちは龍ヶ崎から船に乗ってやってくるか、茎崎橋などを大迂回し遠回りしてやってこなければならないことになる。
 行政区画とその線引きというのは、おもしろいものだが、いろんなところに大小さまざまな影響を及ぼす。その線引きはどのようにしてできるのだろうか。
 ごく大雑把に言えば、その昔の勢力争い・武力闘争の帰結としての棲み分けが、長年に渡って基本的に継承されてきているから、ということがある。それも、誰が親分か、誰が支配していたかは時代によってどんどん変化するので、一筋縄ではつかまえられないが、最終的には明治の廃藩置県とその中の町村もその線引きを引きずりながら大筋が定まっていた。そのうえに、近年の市町村合併でまた塗り替えられてきた。
 町村単位の線引きは、やはり戦国時代の各地方豪族の支配と、その闘争の拠点となる城と支配地が、大きく影響しているはずであろう。
 龍ヶ崎市にも牛久市にもつくば市にも城があったが、それらはみな当然、周囲からはちょっと小高くなった台地で、戦略的に重要と思われる地を選んで築城されていた。
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 沼の上に張り出した泊崎などは、見るからに城があってもよさそうな場所であった。そして、実際にちゃんとこの台地の上には泊崎城という城があったのだ。
 泊崎城を築城したのは、多賀谷重経という天正年間の地方豪族で、群雄が割拠する1587(天正15)年のことだとされているが、彼がこの地を選んで築城したのは、牛久城と足高(あだか)城でこの周辺の支配を固めようとしていた岡見氏の勢力圏にくさびを打ち込んで分断する、という意図があったとされている。
 牛久城は、現在の牛久市城中町、根古屋と呼ばれる台地付近にあった。そこは泊崎からは東北東に1.2キロほどのところである。また、足高城というのは、泊崎から西へ2.5ほどのところつくばみらい市城中で、やはり当時は沼に突き出た台地の上にあったらしい。現在は台地は水田に囲まれているが城中や足高という字地名は残っている。
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 泊崎にも城跡などの痕跡は既にないが、先端部にあったお寺のマークは太子堂であった。弘法大師の遺徳を偲んで建てられたものだろうが、ここから正面1.3キロ先に見えるのが、龍ヶ崎市の庄兵衛新田町付近になる。北には筑波山も遠く見える。
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 南の展望はあまりきかないが、泊崎の南はつくばみらい市(これもなんだかなあという名前だが)なので、飛び出している泊崎の細長い出っ張りだけがつくば市なのだ。
 まあ、そんなこんなでここは国土地理院が認める岬ではないけれども、諸事情を総合勘案して、岬の一項目に加えることにした。
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▼国土地理院 「地理院地図」
35度56分53.53秒 140度7分16.84秒
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(これをみると、泊崎が龍ケ崎市のように見えますが、突き出た台地の部分は全部つくば市です。それももう何度も聞いたからわかってるって? そうでしたねスミマセン。)
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1460 芝崎=三浦郡葉山町一色(神奈川県)もう古い話になったが御用邸をも恐れず憚らぬ埋立地はいかにしてできたか [岬めぐり]

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 でんでんむしが初めて“葉山”という地名を意識したのは、いつなんでだったか、そのことは前に書いたような気がして、長者ヶ崎でSo-netブログの検索欄から探してみても、出てこない。あれ、おかしいなと思ったら、“長者ケ崎”として項目をあげていたからだった。気が利かない検索だ。それを書いた当時の表記が「ケ」だったのでそうしたはずだが、今見ると地理院地図も「ヶ」になっているので、修正しておいた。これで検索でも出てくるようになったはずだ。
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 長者ヶ崎は、南の秋谷方面から順光で眺めるのが、いちばんきれいに見え、しかも堂々とした岬であることがわかる。森戸神社も葉山マリーナのところも岬ではないし、北の逗子市との境界にある鐙摺(あぶずり)も岬ではなくなっているので、葉山の岬は横須賀市との境界になる長者ヶ崎しかないと、そのときにも判断していたのだが、実はもうひとつあった。
 それが芝崎なのだが、以前は単なる埋立地だと思っていたところに、ちゃんと“芝崎”と斜体の岬名表記で明示されている。そこで、遅ればせながら葉山のふたつめの岬としてカウントすることにした。
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 今回は、立石海岸を通ってきたバスを葉山で降り、ここで海岸周りの別のバス路線に乗り換える。停留所は御用邸の門を挟んで離れているので、警備の人が立つ御用邸の門の前を通り過ぎる。すると、そこに立っていた警備の人から、思いがけず「こんにちは」と挨拶をされた。ちょっと驚きつつ、こちらも挨拶を返す。海岸回り線のバス停に置かれた、葉山ロータリークラブが寄贈したベンチに座って、あれはあの警備の人だけの個性なのだろうか、それともマニュアルなのだろうか、と考えた。
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 葉山の海岸は、南の長者ヶ崎から北の鐙摺まで直線で3.5キロしかないが、その間には葉山御用邸をはじめとして、一色海岸、県立近代美術館、森戸神社、森戸海岸、葉山マリーナといくつかのポイントが並ぶ。そのなかにあっては、芝崎はやはり単なる埋立地以外のなにものでもなく、コンクリート護岸に囲まれた住宅団地に過ぎない。その北側の一角は、飲食店なども並んでいるが、大半は高級住宅地である。
 高級住宅地というものは、持たない者からみればひがみの対象にしか過ぎず、こんなところへ家など建てた日にゃ塩害でたちまち困ったことになるのが関の山だなどと、しきりに陰口をいわれてしまう。
 実際、それへの対策から、徐々に個人住宅は減り、高い壁をめぐらしたマンションが、ここでは幅をきかせるようになっている。
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 埋め立ての前には、ここに広い海食台か岩礁地帯が広がっていたに違いない。それこそが芝崎だったはずだ。真名瀬のあたりは、大峰山の西麓の細い海と海と山の間に家が並んでいたが、その家の人達は目の前が埋め立てられてさぞがっかりしたことだろう。六角形をつくろうとして失敗したような形の埋立地がいつできたのか、でんでんむしにはまったく覚えがないのも道理で、まだ関東にやって来る前の1964(昭和39)年にはもうできていた。
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 そもそも、公有財産であるはずの海面を埋め立てて誰かの私有物にする権利というのは、いったいどういうものなのか、なかなか納得がいかない。漁業補償をしたといっても、海や海岸は漁師だけのものではない。当然ここでも、そのときには埋立反対運動も起こったらしい。このとき、おかしなことに町の教育委員会は、海岸を“保護指定から除外するよう”申請を出していたという。
 東京オリンピックを口実にしつつ、船舶振興会に笹川サンや児玉サンといった毎度おなじみのフレーズや名前が交錯し、森戸神社の宮司だった町長の辞職にまつわる奇妙なウワサなどからみつつ、町の大ボス小ボスにフィクサーとゼネコン、お決まりの構造のなか、既得権益層お得意の手法で、“粛々と”埋め立ては運んでいったようだ。はじめは児玉サンの豪邸もここに建ったらしいが、今は大きなマンションが建っている。
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 “葉山”といえば、御用邸のおかげもあって、全国的にもなんとなく高級そうな良いイメージ、おしゃれな感じが先行しているが、町の内実はこの真名瀬の埋め立てに象徴されているように、古い田舎町の一面が支配していた。今はどうなっているのだろう。
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 埋め立て後の現在でも、埋立地の南西部には岩礁が残り、鮫島という岩島群が潮の満ち引きによって現れたり沈んだりしている。その残った岩礁の部分を、葉山町ではこれも遅ればせながら町の天然記念物に指定して保護しているようだ。荒崎などでは生物相が乏しいと書いていたが、葉山の磯ではいろいろな生物が見られる。
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 でんでんむしも、以前この西海岸ではウミウシだかアメフラシだか、そんなのが浅瀬の岩の間にたくさんいるのを見たことがある。そういえば、昭和天皇も御用邸滞在中にはよく磯を歩かれていて、新種のウミウシだかなんだかを発見されたというのを、新聞で見たような記憶もある。
 それらの生物の採集や、この場所での釣りも禁じられているようだ。
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 そうしたルールを守ることを条件に、シュノーケリングなどの磯遊びはできるようだが、駐車場やトイレなどの設備はなにもなさそうだ。ここで磯遊びをするにはそれなりの覚悟と準備も必要なのだということは、この人たちをみればわかる。
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 芝崎から富士山のほうを見れば、菜島と裕次郎灯台が右手に浮かぶ。この灯台ができる前には、でんでんむしもこの辺りの海をボートで漕ぎ回り、五目釣りを楽しんでいた時期もあったが、それも遠い昔のことだ。
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 では、森戸の青い屋根の「デニーズ」にでも寄って、お昼をいただいて帰るとしようか。
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▼国土地理院 「地理院地図」
35度15分59.42秒 139度34分5.32秒
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dendenmushi.gif関東地方(2016/11/29 訪問)
          ■
 さて、10年前から改めて全国の岬をめぐることにしてリスタートしたときに、まずは足元からと三浦半島の岬をめぐるところからやりなおし、So-netブログへの掲載を開始した。
 それから10年を経過したところで、また三浦半島の落穂ひろいを何回かに分けて訪問してきたが、それもこの芝崎で終わる。東海岸は付け加えるべき漏れている岬、以前はなかったのに岬名が加わったというのがないので、西海岸ばかりになった。 
          ■
 2016年の終わりから、 ずっとほぞぼそと引き延ばし作戦で続けてきたが、いよいよ在庫整理も底をついて終わりになった。
 だが、仕事はまだまだ終わらないし、次の岬めぐりはまだ残っている靑森のむつ湾と十和田湖で計画する心づもりはあるものの、いつ出かけられるかもわからない。
 したがって、これからしばらくは新規項目のアップはできない。ちょうどいい機会なので、このままナニもせずにほっておくとどうなるのかも確かめてみたい。
 やっと、地域ブログのわけのわからないランキングからもはずれることができるだろう。 (2017/04/12 記)

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1459 諸磯崎=三浦市三崎町諸磯(神奈川県)地図にない岬を探し訪ねてやってきたのは油壺の南ここは浜諸磯 [岬めぐり]

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 「三浦市」よりも「三崎」のほうが名が通っているように思われると、前に書いたが、それは京浜急行の「三崎口行き」の特急や快速が、都心の地下を南北に通り抜けているからで、それを見ている知っている人は東京には多いはずだ。
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 なにしろ明治からの構想を引き継いでいるという都営1号線と呼ばれたその地下鉄路線は、結構複雑な歴史をもっているようだ。その線に京急が乗り入れを開始したのは、1968(昭和43)年頃だったと思われる。(違う鉄道会社の相互乗り入れでは、1962(昭和37)年の日比谷線と東武伊勢崎線のほうがだいぶ早かったが、もっと早いのあるのかな)
 それ以降は、相互乗り入れは盛んに当たり前のようになり、この都営浅草線などは京急線のほかにも京成線や北総線も乗り入れているので、なかなか電車の種類も多くてにぎやかだし、今でもその実態は複雑なのだ。
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 京急の線路自体は北は本線が泉岳寺までで、東は羽田空港まで、西は新逗子まで、南は浦賀と支線があり、本線は三崎口まで(久里浜線という言い方も残っているのか? 鉄オタではないので細部に突っ込まないで)となっている。だが、三崎口駅は終始発駅としてのバックヤードのようなものをもたないので、それは京急久里浜駅がカバーしているのだろう。
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 京急電鉄が経営するマリンパークもある油壺は、いちおう観光地であるが、別荘地でもあった。でんでんむしはそういうものとは縁がないが、ここに別荘をもって、マリーナにヨットが置いてあれば、それは大変なステータスということになるのであろう。
 京浜急行としては、かなり早い段階から、この油壷まで線路を引き電車を走らせるつもりであったが、結局それは断念せざるを得なかったようだ。1975(昭和50)年開業の三崎口駅で線路が終わっているのは、その機を逃した残念さの象徴のようなものだ。それは、三崎口駅の駅前に立ってみればそこはかとなく感じられるはずである。
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 「諸磯崎」という岬は地理院地図やMapionにも載っていないうえに、三崎口駅の観光パンフからももれている。にも関わらず、ここで一項目を立てた理由にはふたつある。ひとつは三浦半島で有名な油壷に岬が全然ないので淋しいこと、もうひとつは地質学がらみでは歴史的にも有名な無視できない場所が近くにあったからだ。
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 北から小網代湾、油壷湾、諸磯湾と深く切れ込んだ入江が連続する一帯は、いわゆるリアス海岸でもあり、湾があるということは岬もそれぞれにあるのだが、なぜかこの付近の地理院地図には、岬の表記が見当たらない。
 諸磯でも“油壺”を名乗る施設や建物が多く、それには別荘ではなく老人施設が多いのがわかる。まあ、老人施設もある意味別荘のようなもんだが…。
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 さらに西へ歩いて行くと、ダイコン畑やキャベツ畑も広がる三浦半島らしい風景が続き、それが終わって海岸へ出たところが浜諸磯。
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 諸磯崎は神社の横を進んでから細い横道を抜けたところに、海食台が開けたところで、白いスタイリッシュな灯台が立っている。この岬の北側が、油壺湾と諸磯湾への入口になっている。
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 ここまでは、三崎層の特徴を示す互層になった岩があるが、油壺から北へは砂岩と礫岩からなる初声(はつせ)層に変わる。
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 諸磯崎のすぐそばまで別荘らしい建物が、わが物顔に迫っている。
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 岬の南側に回ると、高く崖が切り立っている。
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 浜諸磯からは南に三崎港を回って三崎口へ行くバスがあるので、それに乗ると海外町の漁港を通る。このとき、道路を切り開いた切り通しの崖が露出しているが、ここは神奈川県の天然記念物に指定されている地層がある。
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 地層が大きく波打った曲線を描いて、うねっているような模様があるが、これも城ヶ島の灘ヶ崎の項でふれたスランプ構造なのだ。
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 この付近には、ほかにももっと地質学上の見本になる露頭がたくさんあるらしいのだが、まあシロウトの知ったかぶりもいいかげん適当にしておかないとイカンしね。
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▼国土地理院 「地理院地図」
35度9分19.97秒 139度36分27.65秒
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dendenmushi.gif関東地方(2016/11/25 訪問)

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1458 赤羽根崎=三浦市三崎町城ヶ島(神奈川県)洞門がぽっかり空いた馬の背の岩尾根が南に延びる城ヶ島中央 [岬めぐり]

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 赤羽根崎も馬の背洞門も、地理院地図にもMapionにもまったく表記がないが、これも三崎口駅に置いてあるパンフレットには記載されている。城ヶ島のほぼ中央で南の相模湾に向かって、三角に飛び出ている岬の付近には、「赤羽根」という字名がもともとあったらしい。その痕跡は、Mapionに岬の東側の湾内に「赤羽根ビーチ」として記載があるので知れるが、そうするとこの岬に赤羽根崎と名があってもおかしくない。
 このように、地理院地図などには表記がなくても、地元の案内板やパンフレットなどにはちゃんと名前が記されていることは結構ある。当岬めぐりではいちおうの指針が必要なので、地理院地図に記名があるものを拾うことを原則にしているが、地元情報でその名が確認できるものは、極力それも項目にあげるようにしている。
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 馬の背洞門というのは、赤羽根崎の先端部の岩場で、馬の背のように痩せた尾根に大きな穴が開いているところだ。崖もとんがって張り出しているが、その下で洞門をもつ岩尾根が、南の海に向かって伸びている。この赤羽根崎の崖も絶え間なく押し寄せる波浪が、島を削ってできた海食崖であろう。
 崖だけでなく、海岸に広がる平らな岩場も、同じ作用が働いて、岩が均されたようになっている、海食台と呼ばれる場所だ。三浦半島の南端は、まさしく海と台地の攻防、いや攻めているのは海ばかりで台地のほうは守勢一方だから“攻防”は適当ではないのだろう。荒波の侵食をなんとかここで食い止めようと頑張っている最前線の特徴が、如実に表れている場所のひとつなのだ。形勢不利な陸側は、波浪の攻撃に土手っ腹に穴まで空けられてしまう。こういうのを、海食洞穴という。崖に台に穴。海食3セットが揃っている。
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 その最上部はほんの人一人がやっと渡れるというくらいの幅で、かろうじて橋のように残っているが、今にも崩れ落ちるのではないかと心配するほどに危うい。
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 当然、そこには入るな渡るなという標識があって柵もしてある。
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 なかなかの奇観でもあるので、島の名所のひとつになっている。この洞門は島めぐりのコース案内では重要ポイントになっていて、標識や道案内がつくられている。だが、そういう標識や案内板の類では、馬の背洞門はあっても赤羽根崎は存在しないかのようだ。まあ、同じ場所にふたつも名前はいらないということだろうし、見せ物としても岬よりは洞門のほうが印象に残るだろう。
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 今回のコースは、灘ヶ崎から長津呂崎を経て、海岸の岩と砂の間をぬって東へ進み、馬の背洞門の赤羽根崎までやってきた。ここに三浦市が建てた看板には、「明治の文豪、大町桂月…」とあるのだが、文豪とはいえんだろう。どうひいき目に見ても…。今でいう、エッセイストのようなもので、酒と旅を愛して全国各地を訪れては歌を詠み詩を書くという結構なご身分である。美文家と当時は呼ばれたようだが、文豪らしい作品はなにひとつないかわり、たくさんの碑石を日本各地に残している。
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 “馬の背”とは、「馬の背のように両側が深い谷となって落ち込んでいる山の尾根伝いの道(大辞林)」ということだが、“馬の背を分ける(越す)”ということばもすぐ連想で浮かんでくる。分水嶺のようなイメージで理解していたら、これがどうも違うらしい。おなじく大辞林の解説では「馬の背の片方に雨が降り、もう片方には降らないの意で、夕立などがごく近い地域で降る降らないの差ができる状態をいう。」というのだ。まるでフェーン現象だな、こりゃ。しかし、馬の背の左右でお天気が変わるというということがあるわけもないので、これはちょっと疑問だが…。今はちょっとそれに突っ込んでいる余裕がない。
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 赤羽根崎のそばの海には、小舟が一艘浮いている。誰もいない? いますよ。船尾のモーターの横で身体を海面にくっつけるように屈みこんでいる。これは、三浦半島のあちこちで見られる“みづき漁”だろう。後ろに長く細く伸びた竿を使って、海中メガネで海を覗きながら、獲物を突く漁法なのだ。
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 ここからは岬の上に階段と手すりが付けられている道を登って、道なりに北東方向へ進む。すると、県指定天然記念物ウミウやヒメウ、それにクロサギの生息地となっている断崖が見える展望台がある。 
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 半月形に湾曲した小湾を、ぐるりと断崖が囲んでいる。これもまたみごとな海食崖の見本のようだ。
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 Mapionの「赤羽根ビーチ」表記には、遊泳マークまでついているのだが、これはいささか問題であろう。確かにわずかに浜といえばそれらしきものもあるにはあるが、そこへ行くには道はなく、船で行くしか方法はないように思われる。あるいは地図にも案内板にもない秘密の通路があるのかもしれないが、そこは自然保護区域のはずだから、むやみに入って泳いでいいというものではないと思われる。
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 この辺りまでくると、道はきれいに整備された広い遊歩道で、道の縁にはスイセンの株がズラリと並んでいる。
 この道を抜けると、広い自動車道に出て、右に行けば城ヶ島公園、左に行って坂を下れば、城ヶ島大橋への登り口でもある白秋碑前のバス停と広い駐車場に出る。

▼国土地理院 「地理院地図」
35度7分51.44秒 139度37分5.02秒
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dendenmushi.gif関東地方(2016/11/25 訪問)

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1457 灘ヶ崎=三浦市三崎町城ヶ島(神奈川県)前にはなかった岬名がいつからかちゃんと明記されるようになった岬 [岬めぐり]

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 城ヶ島も何度か行っているので、この道もあの景色も見覚えのあるものばかりだ。ここ前にも通ったよねとか思いながら、京浜急行の三崎口駅前2番乗り場から乗ったバスの終点から、家の裏の間の細道を抜けて行く灘ヶ崎も初めてではない。
 それなのに、これまでの三浦半島の岬めぐりでここを項目にあげていなかったのは、当時の地理院地図にはその名の記載がなかったからだ。今では、地理院地図もMapionなど他の地図でもちゃんと載せている。そこで、こりゃちゃんと補足しなければ…と改めてやってきた。
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 灘ヶ崎はほぼ東西に横長の城ヶ島では、北東の端にあたる。北側はすぐマグロの水揚げで有名な三崎漁港で、その西の入口を守る長い防波堤が、岬の端から伸びている。遠目に見るとほとんど両者はつながっているようにも見えるが、灘ヶ崎の先端でいったん切れ、その先から防波堤が始まっている。
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 大きな岩が尾根のようになって、西の富士山に向かって伸びていく。この日は、前日は雪が薄く積もったが、もうすでに溶けて、めずらしいくらいの秋晴れのお天気になった。
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 楫(かじ)の三郎山という、いかにもなにかありそうな(三浦市の建てた説明板を読んでも不得要領)小山が、バス停終点の先にあるが、この山の北側には道がない。南側をすり抜けていくと小山の上に祠があり、そこから眺める灘ヶ崎が最高だ。
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 この城ヶ島の西端では、ここから南の長津呂崎にかけて、またここから東の城ヶ島一帯では、同じような何十枚もの板を重ねたものを斜めに傾けたような岩の層が、一帯に連続している。大小さまざまな、板棒きれを並べ突き出したような景観が続いている。
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 ここらではそれが崖ではなく、低い岩のでこぼこになって、海に向かって広がっている。これが三崎層で、城ヶ島付近ではその露頭が目立っているのだ。
 三崎層は1200万年前から400万年くらい前までの間に、大洋の海底に堆積した岩で、火山由来の噴出物である灰や岩滓が、積もり重なり固まった岩の互層になっている。
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 おおまかに言えば、白と黒が互い違いになっているが、白いのが火山灰が泥(シルト・粘土)となって固まった岩石で、黒いのが火山噴出の岩滓(スコリア)を含む凝灰岩の層になっている。それがかなり広範囲な露頭として大規模に展開している。三崎層は、三浦半島でも東は雨崎と剣崎の間から、西は油壺の南の浜諸磯を結ぶ線から以南と荒崎と佐島の一部に限られる。ほとんど半島南端を中心として分布している。
 互層になっているということは、1200万年前から400万年前という期間には、交互に違う噴出物を吐き出す大規模噴火が、間を置きながら何度も何度も繰り返されてきた、ということになるのだろうか。
 それも想像してみると、かなり不思議なことのように思え、いったいどのようにしてそういう現象が起こったのか疑問に思える。しかし、専門家はそういうことにはあまり疑問を感じないらしく、どのようにすればこういう互層になるのか、そのことについてあまり明快には教えてくれない。
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 あるサイトのページには「プレートの沈み込みに伴う付加体に特徴的な逆断層によって、同じ地層が繰り返し出現しています」という三崎層に関する説明があったのだが、悲しいかななぜ“逆断層が特徴になるのか、それによって同じ地層が繰り返し出現”することになるのかがわからない。
 まったく、ドがつくシロウトはどうしょうもなく困ったものだし、説明の下手な専門家にも困ったものだ。もちろん、専門家の仕事のメインがシロウトのご機嫌をとりむすぶことにはないことも充分に理解しているつもりだ。が、それは両者の意識と知識と疑問のもちかたに、大きな断層があるからなのであって…。
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 それでも、地質学の研修フィールドにもなっているらしいこの半島の地質については、それぞれ専門の方々によるいろいろなサイトやページがあり、教わることが多くておおいに感謝しています。
 そんな情報のなかには、見慣れない用語がたくさん出てくるので、シロウトはその意味から調べて理解しなければならない。
 灘ヶ崎の南すぐ、城ヶ島灯台の下には、城ヶ島京急ホテルがある。その横の崖には、黒いスコリア質凝灰岩の層が、まことに奇妙な形にねじ曲がり、のた打ち回ったような跡がそのまま固まってしまったようにして固まっている。
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 それはスランプ構造というものらしい。海底に堆積したものがまだ固まらないうちに斜面を滑り落ちる(海底地すべり)などして、このような形になったのだという。なるほどねえ。それはなんとなく想像ができます。ただ、ここの写真があまりうまくなかったので、それはまた後で…。
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 そして、その大洋の海底が、1年に数センチずつ西へ西へと動き、それを日本列島のプレートの端まで運んできて、その下に潜り込んでいくときにその一部がこすり付いた。
 城ヶ島で見ている三崎層は、そういうものだったと知ると、なんか楽しくなってくる。ねえ、そう思いませんか。
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▼国土地理院 「地理院地図」
35度8分13.84秒 139度36分38.43秒
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dendenmushi.gif関東地方(2016/11/25 訪問)

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