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番外:2017年初頭の定点観測 So-net「地域」ブログランキングと当ブログのPV比較推移と項目別「訪問者数」 [番外DB]

★恒例の定点観測(2017)
 
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 定点観測を始めてから7年になるが、So-netブログが公表している「地域」ブログ上位?(このランキングの計算式が公表されていない。なにをもってのランキングかは不明なので?つき)25のランキングも、上のほうはほとんどメンツが固定したようだ。観測を始めて以来続いているブログは8件で、でんでんむしのもこのなかに含まれる。
 今年去年新たに登場したものが5件あり、そのなかには多くの記事数をもってランキングに上がってきたものが4件もある。それらは、それまでどこか別のところ(共通テーマ)にいた(投稿更新していた)のが、「地域」に移設参入してきたものとみてよいだろうか。順番の下のほうは激戦で、入れ替わりも激しいようだし、この季節だけここにあがってくるものもある。
 データをブログ上に表示していないものも3件あるが、それ以外は「nice!」「記事数」「up」(2016/12のアップ数)の数値を、それぞれのブログから拾ってある。公開されている情報は、それくらいしかない。
 So-net で重要視されていて、ランキングの主要な要素にもなるらしい「nice!」は、その数が10万を超えるものが、リストの約半分を占める。
 「n÷記」というのは、一記事あたりの平均「nice!」数で、これが100前後からの(依存度が高い)ものは9件に及んでいる。「up」は前月2016年12月の投稿記事数。
 また、「地域」欄の◎印は、実際に「地域ブログ」の、「新着記事」と「アクセス記事」「nice!記事」の各「最新」「デイリー」のなかに登場しているものである。これも七不思議のひとつだが、◎印がないものは、記事の投稿は「地域」以外のどこか別のところであるのに、ランキングだけは「地域」になっているものを意味している。でんでんむしが秘かに“不在地主”と呼んでいるその件数も、若干の出入りはあるが数ではあまり変わらないで推移しているが、上位25件のうち地域ブログに書いていないのが15件を占める「地域ブログランキング」って、いったいなんなんだというのだろう。どうにもわからんのであります。

★「岬めぐり」ブログの季節変動?
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 前項でも書いたが、2016年秋からは、更新回数を徐々に減らしてきているので、それによるアクセス数の落ち込みは当然あるはずでそれも明らかだ。
 けれども、それがなくてもこの「岬めぐり」ブログでは毎年夏の時期には高揚するが、それが秋風が吹くととたんにしゅんと下がってしまうという傾向があった。近年5年間のデータで、それを確認してみよう。(上のグラフ)
 「アクセス解析」の「日別 & ランキング」から、過去5年の月別の「訪問者(数)」を拾い出したグラフを見れば、例年のように9月から下り始め、2月が底をうつと、そこからまたじわじわと夏場のピークに向かって登り始める。2014年だけが5月ピークになっているが、これは例外的である。
 その原因もはっきりしていて、2014年3月後半から5月にかけては、先島諸島の岬めぐりの間に、「でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました」などの短期連載を挟み込んで、毎日更新を続けていたからだ。(2013年8月のピークは通常の隔日更新)
 2012年と2013年は秋から暮れにかけての落ち込みが抑えられているが、だいたいにおいて、秋から落ち込むという実感は、データでも証明されているわけだ。とくに2014年以降は、その傾向は顕著で、2016年は更新間隔を開けたことでこれにいっそう輪をかけて底を更新する勢いで落ち込んでいる。
 さて、そこで問題はなぜこうした季節変動があるのか、この背景にはなにがあるのか、ということだ。だが、“いまはもう秋 誰もいない海”といった単純な季節変動ではないのだろうと、でんでんむしは想像している。
 それともうひとつ、データを拾いながら考えたのは、このブログの場合、過去の蓄積の効果が現れていない、ということだ。普通、データを蓄積していけば、その分だんだんと上積みされていくと思うが、当ブログではそれがほとんど見えない。
 2012・2013年とは明らかに積み重ね効果が出ているようにも思われるが、2014年後半からは2015・2016年と毎年御破算で願いましては…とチャラになっているようにも読み取れる。仮にこれは、毎年の秋からのダウンと合わせて“賽の河原疑惑”とでも呼んでおくことにするか。
 この問題も含めて、So-netブログはなかなか奥が深く、解けないナゾだらけである。

「岬めぐり」ブログの項目別の「閲覧数」
 10年経過時点でのまとめの意味で、「記事管理」のなかから、項目ごとの「閲覧数」というものの数字を抜き出して、多い順に並べてみた。(数字は2017/12/26現在)
1〜50
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51〜100
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 今回もまたトップは変わらなかったし、NHKが2016年末にはこれまでのまとめと2017年初のお正月時代劇では「居眠り磐音シリーズ」の完結編(これがまた、どうでもいいようなとってつけたようなものであったが)を放送するというので、ここへきてまたこのページを見る人が増えている。だが、どういうところ(リンク?)からやってきたのかは不明。(検索ではS0-netブログなどは拾われていない。)
 ここには「閲覧数」でくくってみた。ちなみに、「アクセス解析」の「ページ別」「時間別」をみると「訪問者数」「ページビュー」というのもある。足算をして確認してみると、「閲覧数」は「訪問者数」の合計と一致する。「閲覧数」というのは「訪問者数」のことなのか?  しかし、一般的な国語の知識で判断すれば、「閲覧数」と「訪問者数」というのは、別のことだと考えるのが自然であるが、So-net の常識はちょっと違うものであるらしい。
 これも七不思議で書いているように、考えれば考えるほど、これら「訪問者数」「ページビュー」の数字の背景にある見る側の閲覧行動とカウントの意味はナゾで、頭の悪いでんでんむしにはいまだにわからない。
 で、わからないままに数字を拾って並べてみたのが、上の1〜50、51〜100のリストである。
 「岬めぐり」ブログなのに、上位はみんな本編の岬の項目以外の番外などの項目である。いちばんになっている岬は、実在の岬ではないし、岬が目的で見にきた人はいない(はず)。これは、裏を返せば、「岬」またはその「めぐり」などというもの自体が、そんなに広い一般人の関心対象ではない、ということであろう。
 実在する岬のいちばんは8番目の「716 チャラツナイ岬・蛸穴ノ岬」の項で、これは大事故があった北海道の豊浜トンネルのところである。これはまだ一時期世間の耳目を集め、注目されたという場所には違いないが、その次に多い10番目の「070 雨崎(神奈川三浦」に至っては、なぜここがそんなに多くの訪問者があるのか、まったくわからない。(このことは前にも書いた。)
 以下、上位50項目の中で、みんなが知っていそうな岬を探しても、やっと31番目に足摺岬が出てくるくらいで、ほとんど誰も知っていそうにない岬ばかりだ。
 ならばと、今回もう少し掘り下げて、100まで広げてみても状況はたいして変わらず、宗谷岬も襟裳岬も竜飛崎も伊良湖岬も室戸岬もいっこうに出てこない。
 そもそも、岬なんてほとんど一般人の興味の対象ではない、マイナーということなのだ。(それをいっちゃぁおしまいよと…)
 でも、そこがまたこの「岬めぐり」のおもしろいとこなんだけど…。
 まあ、自分がそう思ってりゃあ、それでいいのかナ…。

dendenmushi.gif(2017/01/02 記)

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番外:So-netブログ10年を経過しました…とにかくなんとかかんとかここまでは続けてきたが(軽くふりかえってみた) [番外DB]

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記念すべき岬めぐりの最初の項目は地蔵崎

1 So-netとのおつきあいは
 2016年は、So-netブログで「でんでんむしの岬めぐり」を始めて以来、ちょうど10年となった。登録をしてテストを始めたのは2006年春だったが、その頃はまだ試行錯誤中で、実質的にSo-netブログに決めて、公開開始してからはこの秋で10年を数える。
 So-netとのおつきあいは、東京の仕事場の建物ごとでネット環境が整えられたときから始まっていたが、当時はブログは他のところでやっていた。ほかのブログもいろいろ試してみたが、どうも操作性もよくないしブログ環境が気に入らなかったりで、いろいろあって結局このSo-netブログだけが残ってメインとなって長続きしている。
 So-netブログのシステムが優れているかと言えば、それはまったく違う。とんでもないことが多すぎ(「So-netブログの七不思議」シリーズでたくさん書いているのでそちらをご参照くだされ)て、ブログのシステム設計と環境としてはおよそ評価できないのだが、相対的にみて操作性がまずまず、というのだけが取柄で続いている理由であろう。
 毎日更新はちょっとしんどいので、隔日更新を基本にしてやってきた。が、2012年の石垣島だよりの連載中や、2014年の年表の掲載時などでは毎日更新もしてきたし、途中では変則的に月火水更新にしたり、不規則なところもあった。2009年の11月末から2010年の3月末までは、4か月の空白もあった。これは、ちょっと浮気をしようとしてあちこちふらふらしていたのだが、結局元のさやに収まるべく舞い戻ってきた、といういきさつもあった。
 そんなこんなで、途中プロバイダは変わっても、ブログだけはSo-netのままで続いてきた。

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潮岬はこの岬めぐりの原点だったかもしれない

2 東日本はなんとか西日本がたいへんそう
 それまで、かなりいいかげんなつまみ食いでやっていた「岬めぐり」を、ちゃんと本格的に全岬を対象にして再起動することにしたのも10年前で、それもSo-netブログの正式開始と軌を一にしている。
 全国で3,700を超える岬・崎・鼻として、国土地理院の地図に記名があるもののすべてはとても行けないし見られないだろうとは思うが、行けるところまで行き、見えるかぎり見ることに決めてからは、地域ごとに沿岸を辿るコースを考えて計画を立て、3〜5泊程度の岬めぐりを積み重ねてきた。
 その項目数はようやく1,400を超えた(岬項目以外の番外その他を加えるた記事数は1,800を超える)が、まだ全岬総数の半分にも達していない。
 最初は島は後回しにしようと考えていたが、二度手間にならないよう、ついでに船で行けるところは計画に入れるようにしてきた。その結果、一部にはまだいくらか積み残しがあるものの、10年で東日本の主だったところはだいたい回ることができ、その全岬を回ることができるメドはついた。
 「岬めぐり」は決して「踏破」とか「制覇」を目的としていない。「ゆる〜く」「のほほ〜ん」と回りたいというのが正直なところで、そのめぐり方も岬によってさまざまであってよい。実際に岬の上まで行ってそこに立つ場合もあるし、遠くから眺めるだけのこともある。てくてく歩くこともあれば、バスや電車で通りすがりに見るだけのこともある。
 南西諸島を含む西日本も、これまでもだいぶ回ってはきたが、まだまだこちらでは残っているところのほうが多い。地図でみると「ここへは行けそうにないな」という岬もたくさんあるので、これからあと10年かかっても全部クリアはできないだろう。それは、ひとつには島が多いせいでもあろう。島では周回道路もバスもないところが多いので、なかなか苦労しそうだ。
 それに第一、あと10年生きていられるかどうか、それもあやしい。生きていたとしても、自分の足で岬めぐりができるかどうかもわからない。
 まあ、行けるところまで、続けられるところまで…というつもりだが、願わくば“岬めぐり”の途中で、どこかの岬でポックリと行き倒れるというのがいちばん理想的かもね。

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皆様よくご存じの最北端の岬

3 電車とバスで行くので
 車をころころ転がしていけば、もっとカンタンに行けるし、うんと効率は違うはずなのだが、免許がないでんでんむしは、もっぱら電車とバスの公共交通機関を頼りにしなければならない。
 高速道路と自動車の普及が急速に進み、ねこもしゃくしもマイカーに憧れた時代に生きてきた世代としては、免許がないというのは、ちょっとめずらしい部類に属するのではなかろうか。今やその世代が高齢者になり、ハンドルにしがみついている姿を、世間は冷たい眼で見るようになっている。
 電車とバスで岬を訪ね歩くというのは、車で早回りするのとはおのずから異なる風景が周辺に展開することに気づく。それも結果的には、岬についてその周辺について、ぶらぶらするにはちょうどいいのかもしれない。
 岬めぐりで訪れる地域は、都会は少ない。その多くが地方の市街地からはずれた地であるといってもいい。そこでは、人口も流出し、かつての繁栄さえも消えて、公共交通機関が成り立たなくなってしまったという光景を、しばしば眼にする。
 結局、自動車にみなが憧れ、それを手にする、いや足にすることに懸命になってきた結果、それと社会がどう折り合いをつけていくべきか、それとの調和は誰も考えないままにここまできてしまったのではないか。過疎地ほど一人一台の車が必要なっているという妙にアンバランスな現実こそが、現在の社会のゆがみの象徴であるような気さえしてくる。もちろん、現実にはそんな単純なはなしではなく、原因がひとつでないことも百も承知だが…。
 でんでんむしが車を持たなかった理由は、単に横着とへそまがりのせいだが、そういう車社会に突き進むことに疑問を感じていたからでもある。

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10年前リスタートの岬めぐりは足元の三浦半島から

4 日本列島の輪郭を描き出そうと
 公共交通機関でめぐるというポリシーでの移動は、すべてが電車やバスの運行ダイヤに依存するので、はなはだ不自由で制約も多い。そこにはまたそれぞれのドラマもあるのだが、どこそこからの何時のバスに乗ってどうしたという旅行記録そのものは、詳しく書いてもすぐ変わってしまうし、たいして参考にならない。むしろ書かないほうが親切、と考えていっさい省いている。
 ただ、できるだけ単なる“○○へ行ってきました旅行記”にはならないようにしたい。あれやこれや、岬とその周辺についてほじくり出して、盛り上げようとしている。いわば、岬をダシにしつつ日本列島の海岸線(輪郭)をなぞる、というつもりもある。もちろん、同じ輪郭をなぞっても、伊能忠敬のような大事業でも、意義あるものでもないのだが、それでも自分なりに日本列島の輪郭を描き出そうとしているつもりなのだ。
 岬めぐりブログでは、原則として一岬一項目。その岬を訪ねての印象や感想をとりとめなく書くというのがでんでんむし流。ネタがなければしょうがないが、むりやりでも一岬一項目にはする。これがまたなんとかかんとか、探せば書くことはなにか出てくるし、それを探すのもおもしろい。

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これがいちばんアクセスが少ない岬だなんて

5 これは脱線ではなく本線なので

 ときには歴史や地質学や地図などにもちょっとだけ踏み込んだりしているが、それも本線であって決して脱線しているわけではなく、それらもみなでんでんむしの趣味なのだ。
 歴史はたいていざっとは知ったつもりでいても、その地域に実際に行ってみて、そこで特定の人名やできごとにふれるというのは、また格別の趣がある。有名な史跡などではなくても、ここでそんなことがあったのかと知るのは、その息吹を感じることができる。
 地質もでんでんむしの昔からの趣味ではあるが、いっこうに深化しないまま興味だけは持続してきた。そもそも、岬という地形自体が、浸食作用に耐えて残ったという固い地質条件を備えていたからだが、その岩や崖がいったいどういうわけでそこにあるのか、それを問いかけては自分で調べてみるのが楽しい。シロウトの趣味だからタグにも「学」をつけないほうがよかったかな、と反省中。
 地図もこどもの頃からのともだちで、地形図を眺めてはまだ見も知らぬその土地の風景を空想するのが好きだった。そこで、地図もサブテーマとして折りに触れていろいろ書いてきた。
 当初は、So-netのマップを使っていたが、それもサービスを止めてしまったので、こういうものは当てにしてはいけないということを学んだ。MapionもZENRINになってしまうし、結局ネット上ではまともな地形図を無料で提供しているのは国土地理院のみ。ところが、これがまたデータがちょっと古くて更新が追いついていかないのが残念だが、まあしかたがない。

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これもなぜかアクセスが少ない岬なんで…

6 So-netブログはのれんに腕押しぬかに釘
 “ひきこもり原則”を標榜しているでんでんむしブログは、岬めぐり情報の記録蓄積の場をSo-netに借りているというつもりなので、他のブログを逍遥してnice! ボタンを押しまくって、自分のブログにもそれをたくさん集めたりしない。ブログ仲間やお友だちの輪をつくり、ひろげようというつもりもない。当初はまったく無視していたが、途中からnice! をいただいたところには答礼訪問をすることにした。2012年からは「きた!みた!印 」という表記に、かってに変えている。
 もちろん、アクセス数を増やしてポイントを稼いだり、広告を入れてなにがしか小遣い稼ぎをしようという気もないから、そういうものはいっさい意図的に排除している。
 したがって、nice! の数もSo-netブログがしきりに強調しているランキング(これがまた不可解!)もどうでもいいと思っている。いや、当初はまだSo-netブログをもっとよくするためにと、もう少し納得できるシステム設計を考えるべきではないかと、いろいろに疑問を呈し意見を述べてきたつもりなのだが、肝心のSo-netのほうがのれんに腕押しぬかに釘。まったく問題意識もなく聞く耳も見る眼ももたないという姿勢らしい、とわかったので、これはもうどうでもよくなってきた。
 10年かかって得た結論がそれでは、いかにも淋しいのだが…。こちらも割り切って毎月302円払って、場所を借りるだけに徹する。
 それでも、「nice!はナイスではない」から、So-netにその気がないならユーザのほうで勝手に変えたらどうかという提案は、いくらかは賛同者を得たのか、当初から比べると自分なりのボタンに変えている人は増えている。
 そういうひきこもりだから、So-net内でnice!をつけ合うお友だちも少ない。増やそうという努力をまったくしないので、“自然増・自然減”にまかせている。ふりかえってみれば、ああこんな人もきてくれていたなあ、と懐かしく思い出すのもあるが、たいていは自然に消えていきまた新しい人がやってくる。

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沖縄本島の最北端やんばるの辺戸岬

7 著作権注意喚起の責任も放棄したまま

 So-netにはたびたび容量増加につど訴えてきて、いまだにいっこうに改善されないのが、著作権についての注意喚起。So-netも買収して進出するはじめのDeNAなどと同じく、著作権の責任は記事を書くユーザの責任であり当局はいっさい関知しないのでそのつもりで…というつもりなのだろうか。
 唯一、ブログの容量を追加する申請をするときにだけ、一瞬「著作権」のリンクが現われるのだが、これを押してもNot Foundになる。こういう状況がもう何年もほったらかしで、注意しても改善されない。この一事をもってしても、So-netもどうしょうもない組織であるらしいと推測できる。
 でんでんむしも、著作権については別記事を設けてリンクを貼っている。それは、事業者が動かないなら自分で動こうと思ったからだ。ネットのお陰でものを書き発表するという人が不特定多数に一気に拡大したことにより、さまざまな問題が起きることは、容易に予想されるからで、まずは普通の人が知っておかなければならない著作権の基礎をまとめていた。(So-net 初出 2013/09 続編2014/06)
 ところが、始めの記事には思わぬ反応があった。ある人から、それには承服しがたいという主旨の、若干居丈高で脅しめいたメールをもらったのだ。これにはいささか驚いたが、まあ最大限譲って相手の気持ちを汲んでみようとすれば、「あまり著作権のことをうるさくいえば文化や言論の発展と自由を阻害する」ということなのだろうか。あるいは、SNSなどを意識したものだったのだろうか。
 もちろん、その一面はあろうが、著作権法はそのことも踏まえていて、“引用”についてはルールを設けて認めている。だが、SNSのようなものは想定していなかった。それについては、まったく避けていて経験もないでんでんむしには判断ができない。
 ネットにたずさわる人々には、最初から著作権に関する認識が欠けていたのではないか。それがネットにあるものは公共物で誰がどうしようと自由だとか、ネットに“落ちているもの”を拾って使って何が悪いとかいう誤った考えをもっている人を多く生んでしまったのだろう。昨今のキュレーションメディアの問題なども、根底にあるのはそこだという気がする。
 著作権を守る義務は、当然書く側にあることは言うまでもないが、一般の人がブログに書く場合の注意喚起の責任は、著作権法に無知な人を集めてそれを運用しようというSo-net など事業者に、まず第一の社会的な責任がある。そして残念ながらいまだにSo-netはその責任を放棄したままでいる。

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500項目目は中禅寺湖そうなんです湖にも岬はあるんです

8 スルーする理由は
 ブログの内容は人によってさまざまなので、どうやろうとなにを書こうと勝手自由であるべきだろう。それを大前提としても、守られるべき社会的なルールというのは厳然としてあるはずだ。著作権はそのひとつで、まかりまちがえば法にふれることになる。
 親告罪である著作権違反は、見逃されてしまうことが多い。無邪気に法にふれているブログも、たくさんありそうだ。
 たくさんのブログを見ない、見るのは「きた!みた!印」の返礼訪問くらいしかないでんでんむしは、もとよりその判定審判を買って出るつもりもない。が、これはちょっと?…という場合はスルーすることにしている。しかし、なかにはその判定が微妙でむずかしいのもあるし、第一その人がどのようにしてその記事を書いているかもわからない。だから、疑わしくてもそのまま悩みながらnice! ボタンを押してしまうこともある。
 それともうひとつ、でんでんむしがスルーさせていただくのは、内容がないもの、あるのかも知れないが当方にとってはまったく意味不明のもの、単なる宣伝の片棒かつぎに過ぎないものなどで、そのことも当初から変わらぬポリシー(これも、サブカラムに掲げている。)なのだ。
 まあ、それでも「nice!」ではなく別のボタンになっていれば押すかも…。

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1000項目目は被災地の岬めぐりでした

9 「番外」と臨時テーマも
 岬めぐりの途中でふれたことに関連して、「番外」項目を設けてきたが、これも100項を超えた。岬そのものではないが、その周辺で気のついたこと、おもしろそうなものを取りあげ、あわせて岬めぐりルートの流れを記録しつつ、その地域をチェックするという狙いもある。
 また「番外DB」という項目もあるが、これは主に岬に関する一般的な情報や、ブログの統計的な記録を残しておくためのものである。
 そのほか、岬とは無関係に、臨時にテーマを定めて短期連載を挟み込むということもやってきた。それは、でんでんむしが一時住んでいたり、滞在していたり、思い入れのある故郷のことであったりする。それもまた「地域」には違いなかろうと、このブログに混ぜることにした。
 「でんでんむし@アーカイブス★」などと、これまた勝手な名前をつけてまとめている項目は、個人的な興味で集めていたデータだが、あまりネットにはなさそうなので公開している「道歌」と、ほかにもいくつもありそうだが自分のものとして歴史年表を引き寄せるためにつくった「思い出の索引」がある。
 別ブログにしてもいいのだけれど、それほどのボリュウームでもないので、ひとつにまとめている。
 別ブログといえば、同じSo-netブログで、岬めぐりの全項目リンクリストを別に設けている。これは時系列なので、外のブログには都道府県別 Link List もつくっておいた。
 それらへのリンクは、ブログのサブカラム(サイドバー)に表示している。

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1400項目目は越前海岸の岬めぐりでした

10 しばらくは引き延ばし作戦で
 ところが、以前からこのSo-net ブログが提供しているデザイン(でんでんむしはそれを独自に加工して使っている)が、まったく省略されて、だた記事と写真だけをずらずら並べたようになっているのを見つけて、気になっている。それでは、サブカラムも見えない。
 どこで誰がそうしたのかくわしくはわからないが、どうもスマホ用にするためであるらしい。
 確かにこの頃では、コンピュータで見る人よりもスマホで見る人のほうが多いらしい。だからといって、それはないだろうと…。
 スマホで見る人は、パソコン対応画面にして指でチョンと画面を大きくして移動させながら見ていただきたいものだ。スマホ対応用のデザイン変更もできるのだろうが、まだそこまではやる気がない。

 さて、原則として、隔日更新を続けてきたこのブログも、2016/10からは更新間隔を少しづつ開けてきている。それにはいくつか理由がある。ひとつは、この秋に広島か札幌かで日本シリーズ観戦がてらのつもりが、まったくチケットがとれなくてどちらにも行けなかったこと、もうひとつは2017年はしばらくブログなど書いているヒマがなくなることである。
 その間お休みにしてもいいのだが、まったく切れてしまうのも淋しいので、間隔が開いても細々とでも更新を続けたほうがよいかもしれない。
 まあ、そんなこんなでしばらくは引き延ばし作戦。5日に一度くらいになります。
 当然、ランキングは下るのだが、それはいい。ただ、実際のアクセス数もこの秋から大幅に落ちている。これはナゾのひとつなのだが、例年決まったパターンがあるかのように、「でんでんむしの岬めぐり」は秋になるとガクンと落ちる。
 これもおもしろいねえ。(これについては、次項でまた)
 岬めぐりだから、夏場はそれなりに盛況だが秋になると静かになる。そういう季節要因が影響しているのかとも考えてみたが、あまり納得はいかないんだよね。
 では、次回はお正月恒例の地域ブログランキングの定点観測だが、ここでもナゾが解けるわけではないのです。とにかく、お正月飾りの恒例だからやるだけやってみましょうかね。

dendenmushi.gif(2016/12/29 記)

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番外:2016年初頭の定点観測 So-net「地域」ランキングと当ブログのPVの比較推移をみる(So-netブログの七不思議20) [番外DB]

■恒例の定点観測です
 お正月は、恒例の「地域ランキング」の定点観測で始まる。So-netブログのおかしなところ、わけのわからないところや、でんでんむしのブログに臨む基本的なスタイルなどについては、「So-netブログの七不思議」としてこれまでいろいろ書いてきた。
 この定点観測の意味も、それらの疑義を前提としているので、決してこのランキングに意義を認めてのことではなく、むしろ異議を申し立て続ける意味からでもある。
 何を言っているのかわかんないという人は、過去の記録をあわせてみて欲しい。これまでの定点観測の記録は、以下のようになっている。

■さて…2016年初頭では
 ランキングとは謳っていて、金銀銅の王冠までつけているものの、そのブログの内容や質的な評価とはまったく関係がなく、いいわるいとは無縁らしい。その順位も機械的に算出しているらしいが、合理的な基準も対象とする地域カテゴリとブログの所在と関連が明確でなく、納得がいかない点が多いので、それを重大視するつもりはまったくないが、曽根風呂ではこれ以外に他のブログの項目や一覧を知るものがないので、イヤでも見ることになる。
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 2015年も14年から比べてみると、当然だが地域ランキングも微妙に変化している。
 ランキングは25件しか公表されないうえ、でんでんむしが見ているのは「地域」ブログだけなので、あくまでもその範囲内のことでしかないが、15年は新顔のランクインも4(14年には6で、そのうちの4が残っている)あった。新顔というのは、以前からブログはやっていても25ランキングに新たに登場したという意味である。nice!も記事数もさほど多くないのに、突然ランキングに入ってくるのもある。
 かと思うと、2015年も、年の途中ではある時期このランキング上位にいたが、今は消えてなくなっているものもいくつかある。これも例年のことながらどういうことがあってなんかよ〜わからん。
 2011年から継続してランキングに入っている常連組も9くらいで推移している。継続しているブログも、これも当たり前ながら年を追うごとに増え、記事数が1000を超えるものも半分を占める。加えて、どうやらSo-netブログでは、ランキング順位算出でのウエイトが高いらしいnice!数が10万を超えるものが、今年は大幅に増えて12と前年6から倍増している。
 これらは、ちょうどそういう年頃を迎えたものが多かったということか。一記事あたりのnice!数が100を超えるものは8で、前年と変わらず。それでも半分近くはnice!数の多さでランキングに入っているとみてよかろう。
 この地域ランキングに載っているにもかかわらず、地域ブログの“新着記事”にも“アクセス記事”にも“nice!記事”にも、どこにもいっさいその存在が認められないので、でんでんむしがひそかに「不在地主」と命名したもの(表の「地域」欄に◎がついていないもの)が相変わらず上位を占め、25のうち半分以上もあるという状況には変化がない。
 なお、これについては、So-netブログの設計の不備が、ユーザーを混乱させている、という一面はここにもあるが、“以前は地域に書いていたのだが、だんだんそれ以外の投稿が中心になってしまった”という場合もあるだろう。が、ここでは最近の状況によって判断している。
 
 こうしてみても、これまた当たり前のことながら同じ地域ブログもさまざまだが、ごくおおまかに、記事数は少ないがnice!で稼ごうという方針のもの、日に何回もアップして記事数で稼ごうというもの、記事数もnice!もそこそこにというものがある。
 順位を左右する基本になっているはずのアクセス数などの基本情報は、外部からは知りようがないので、ここに上がっているデータはそのホンの一部分を示しているにすぎない。
 隔日更新が原則で、あえてnice!は増やそうと努力しない、マイペース方針のでんでんむしブログは、記事数も1700を超えるところまできたが、これまでの観察と経験で言うと、このランキングには、見えない線が2本引かれているようだ。
 でんでんむしのアクセス数が自身最高となる記録を出したときでも、5〜7位くらいまでが限度であった。だいたい最近では6位以上のメンバーには入替えがなく、ほぼ固定しているようだ。
 そこで、この6位と7位くらいの間に見えない線の一本がある。
 そして、もう一本の線は、17〜18位の間あたり、だろうか。これ以下は新規参入を含めて比較的出入りが激しい。
 でんでんむしブログの定位置でもあるその中間は、だいたいメンバーがいつも同じようなご近所さんで、適当に入れ替わりながら、上下動を繰り返している。
 しかし、総体的に地域ブログのランクは高くない。地域の1位と2位がブログ共通テーマの同じ「暮らし・健康」のなかのランキングでみると、20位前後にあることから、それはうかがえる。

■でんでんむしのマイナーブログは
 そういうランキング上位からみると、でんでんむしブログなどは、誰も知らないような岬ばかり回っていて取りあげるテーマからしても、いたってマイナーであることは間違いないので、アクセス数などもそれにふさわしく地味でおとなしいものだ。そのうえ、内容にも日によって世間の耳目を驚かすようなこともなく、極端な違いがあるわけではなく、常に平々であり凡々である。
 管理トップにある「アクセスランキング」もだいたいよくて400、わるくて700くらいの間で、うろちょろしている。これはどうやら全体のらしいが、またよくわかんないランキングだ。2015年の12月では、494から777と浮き沈みが激しい。相対的な要因で左右されることはわかるが、どういうわけでこういう乱高下が起こるのかはいまひとつ納得できない。おかげで12月には、3度も「人気急上昇「地域」ブログ」のランキングに入ってしまった。(急上昇の影に急降下あり)
 そんなでんでんむしブログも、そんな変化が起こるのかその原因などはさっぱりわからないながら大きな波がある。だいたい最近の傾向では、夏のほうが少し活発だが、秋から冬にかけては冬枯れで急に数字が下っている。つまり、定点観測の頃にはいつも底といっていい。
 「訪問者」「ページビュー」についても、すでに書いている。
  番外:「閲覧数」「訪問者」「ページビュー」などの変動はどうして起こるか:観察研究その6(So-netブログの七不思議18)
 …といっても、要は「わからん」ということを書いているに過ぎないのだが…。
 2014年は後半の“長期低落傾向”が顕著だったのだが、2015年にはまた新たな動きがあったので、「ページビュウ」と「訪問者」の数字をグラフにして、2年分を重ねてみた。
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 2015年秋には、突然跳ね上がってピークをつくるが、その後でまたすぐ急降下している。これはなんなんだろうね。いったい? それに15年のほうが春から夏にかけては14年よりも下回っている。
 グラフの下の線「訪問者」のほうは、少ないときで400台、多いときで700台で増えたり減ったりを繰り返している。グラフを重ねてみると、14年のほうが15年より上回っていることもあるが、大筋あまり変化はない。
 記事数は時間の経過とともに増えていくが、だからといって訪問者などのほうがそれに比例して増えるというものでもないらしい。

■“七不思議”どころか不思議は“底なし”だった
 とにかく不思議なことわけのわからないことは多いので、ひきこもりでも、「地域」をつっついているだけで充分楽しめるSo-netブログ曽根風呂である。
 しかし、相変わらず湯加減はきわめてヌルイので、風邪を引きそうだ。
 ログイン画面の“ニコッとタウン”の男女二人は、14年の暑い夏の間中も厳重なオーバーコートに耳当てまでした防寒服装備で貫き通したし、ランキングの各ブログの紹介画像は14年の春以来9か月更新もされていない(これはそれ以前は月一?くらいで更新されていた)。
 問題点を指摘していても、まったく無視無対応だし、著作権の注意もまったく責任を放棄している。ランキングだらけのくせに、このランキングの更新も早かったり遅かったり、ときには飛ばしたり…。たまにハードのメンテはするけれど基本のシステム設計の改善はどうも当初から手付かずのようで、この手抜き加減は、半端ではない。
 いまどき、どこにもない、めずらしいくらいの気のきかなさ無頓着さサービス精神のなさで、こんな子会社の社長などが、「ハフィントンポスト」に「ソニーにとって、ネット事業は迷走の歴史でもある。」と書かれた親会社に行ったところで、たいして期待はできないだろうに。
 
 あ、遅ればせながら、新年おめでとう! ことしもマイナー路線をあっちこっちうろうろ。「でんでんむしの岬めぐり」をよろしくお願いいたします。

dendenmushi.gif(2016/01/01 記)

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番外:じいちゃんがこどもだった頃=孫たちに語る70(〜65)年前のことなどを(その3) [番外DB]

 「人間一生のうちにこんなに変わるんだなぁ」と思うことがある。70年前に戦争が終わったときには、じいちゃんはまだ小学校へ行く前で、その翌年から一年生になった…。前からの続きだけど今回でいちおうおしまいです。
 
・ラジオと新聞
 じいちゃんがこどもの頃には、テレビなどというものはなかった。もちろん、ゲーム機もコンピュータもインターネットもない。(テレビは中学生の頃くらいからかな。コンピュータ関係のは、ここ20〜30年くらいの間に進歩したものだ。)
 ラジオと新聞はいちばんの情報源だった。ラジオは真空管式の箱型で、一家に一台。一人一台ではないから、聞きたい人はみんなラジオの前に集まってくる。NHKが第1と第2、それに進駐軍の放送しかない。
 夕方の連続放送劇など、こども向けの番組は逃さず聞いていた。外で遊んでいても、放送が始まる前には家に帰ってラジオの前に座っていた。
 新聞はとっていたけど、朝刊だけ。難しい字が多くて読めなかったけど、大きな見出しと4こまマンガは見ていた。
 それとね、新聞が役に立つのは書かれているニュースや情報だけではない。新聞紙という紙としての使い道が非常に広く、役立ちが大きかった。とにかく、店で買い物をしても、なんでも新聞紙でくるむ包む。(便所の落とし紙にもなった!)
 紙が貴重で、たとえば学校で習字の時間(書道)があっても、清書に使える半紙は一枚しかない。それで、練習用には新聞紙に書くんだ。
 
・本や雑誌
 戦争に負けた後の日本は、なにもかも物資が不足していて、紙も始めのうちは配給制になっていたりしたから、本や雑誌もほんの少しだけで、今のようにたくさんはなかった。
 一年生になったときには教科書もまだなくて、大きな紙を先生のいうとおりに折ってたたんで切ったのが教科書代わりだった。
 本も点数は非常に少なく、本屋もあまりなかったので、せいぜい年に二回、盆と正月におこずかいをもらって、こども向けの雑誌を買うのが楽しみだった。
 雑誌の付録が目あてだったりしてね。今でもこども雑誌の付録はパンパンにふくらむほどだけど、昔から付録は人気だったんだ。カメラに現像液や定着液なんかがセットになったのまであったなあ。ま、これは小学校も終わり頃だろうけど…。
 
・電話郵便
 原爆で焼けた家には電話もあったけど、畑の家には電話なんかなかった。ずっと後になって、国道のたばこ屋さんに赤い公衆電話が登場したくらいで、どこにも電話がある家なんてなかったんだ。
 じゃあ連絡なんかはどうしていたかというと、まずたいていは郵便で、よほど急ぐときには電報。電報だって電話がないんだから、電報局まで行かないと打つことができない。
 誰かがどこかに用事あって行くときでも、あらかじめ電話で予定を聞いて約束を取り付けるということはできないから、たいていはいきなり行って突然現れるというのが普通だった。ましてや、今のこどものように遊びの予約までしなければならないようなことはなかったね。
 
・商店行商
 家があった場所は、町から少し離れていたので、いちばん近くの町らしいとこ、青崎まで行かなければ店らしい店がなかった。もちろん、今君たちがお母さんの車に乗ってスーパーやショッピングセンターに行くようなことはできなかった。第一、車なんてどこにもない。
 商品の種類や数も、比べものにならないほどわずかしかなかったんだろうけど、みんなそれで暮らしていた。
 多かったのは、行商というもので、これは自転車やリヤカーに積んだ商品を売り歩く。豆腐屋さんなんか定期的に来ていた。移動スーパーのようなものもまだなくて、たいていは魚とか、鰹節削り(はながつお)のような乾物とか果物とかだったけどね。
 夏には、ところてん売りやわらび餅を売りに来るおじさんもいた。
 食べ物ではないけど、金魚屋さんもよく来てたなあ。
 こういう行商は、みんなそれぞれ売り声があったり、注意を引くために鐘やラッパを吹いたりしてね…。
 
・自家製
 じいちゃんのじいちゃんが器用で、いろんなことをやっていたせいもあるけど、たいていのことは自分の家のなかで間にあうように、自家製のものも多かった。コウジを発酵させてミソなんかも自分チでつくっていたし、一枚だけだったけど田んぼで収穫した籾も、自分とこの臼でつくんだ。
 百姓をやっていたので家には、足踏みの大きな臼があって、これを踏むのをよくやったし、精米はまた一升瓶に入れた米を棒で突くのを繰り返す…。そんなこともやっていた。

・ニワトリとウサギ
 家で飼っていたのは、ネコもいたけどこれはあまり役に立たない。役に立つのはニワトリ。大きな鶏小屋に何羽もニワトリを飼っていて、その餌やりや卵の取り入れなどの世話もこどもの仕事だった。産みたての卵はまだほかほかであったかくて…。
 どんな役に立っていたのかわがらないけど、あるときにはウサギも飼っていた。ウサギにやる草は、あまり水っぽいのはダメで、少し乾かしてからやっていた。

・ハエとカとゴキブリとホタル
 ハエやカは、そこらじゅうにたくさんいたし、ゴキブリもごく普通にそこらを這い回っていたね。しばらくして、DDTという害虫駆除用の薬品も普及し始めるけれども、彼らは少々のことではこたえない。
 ハエは生ものを売る商店ではやはり気にしていたから、ハエを捕るガラスの容器やハエ叩きやハエ取り紙、ハエ取りリボンなどというものが盛んに出て、家でも使われていた。
 座敷に寝っ転がっていると、周りにぶんぶんハエが止まるので、それをハエ叩きで叩くのは、ゲームみたいなおもしろさもあった。
 家は開けっ放しが普通だったから、夜は蚊帳(かや)という薄いアミのような布でできた四角いテントのようなものを部屋の中に吊って、その中に布団を敷いて寝る。蚊遣りとか蚊取り線香なども、必需品だった。
 DDTがそこらに撒かれるようになる前には、ホタルがたくさん飛び回っていた。家の中に入ってくることもよくあったよ。
 まだ扇風機も普及はしておらず、夏の暑いときでも、ウチワであおいで風を送るとか、行水に打ち水、木陰で涼むくらいしかなかった。
 
・火鉢とコタツ
 夏の暑さはまだしのげるけど、冬の寒さが木造の家ではこたえる。これも江戸時代と大して変わらないのだろうけど、暖房はもっぱら火鉢とコタツ。
 炭をおこして灰の中に埋めて、それで暖をとるしかない。あとは、綿入れなんかをしっかり着込んで…。
 
・洗濯アイロンがけ洗い張り
 つまり、今はどの家にもある家電製品というものが、まったくなかった存在していなかったわけだ。
 冷暖房装置エアコンはもちろんのこと、洗濯機も掃除機もアイロンも炊飯器も冷蔵庫もなかった。けど、そのうちではアイロンは比較的早く登場したのかも知れないね。
 昔のお母さんは、とっても大変だったよ。洗濯はタライに水を入れて洗濯板というでこぼこの刻みをつけた板の上で石鹸を付けてこするようにして洗う。掃除は箒(ほうき)とハタキとぞうきんで…。アイロンがけはね、赤く焼けた炭を入れる鉄の火熨斗(ひのし)が使われていたと思う。
 女の人の着るものも、まだ洋服というのが一般に広まる前で、普通に着物を着ていたね。
 着物というのは、実はすごいものでね。一枚の布から着物に裁つて、成長に合わせて丈を調節したり、染め直しをしたり、洗い張りといって一度解いた生地を洗い直して、また仕立て直すというようなことを、どこの家でもお母さんは普通にやっていたんだよ。

 こうして書いてみると、もっともっといろいろなことを書かなければならないような気がしてきて、終わらなくなってしまいそうだ。
 家の田んぼや畑のことも、書けばたくさんありそうな気もする。学校でのことなんかも、そうだ。
 だけど、今回はこの辺でいちおう終わりということにしておきましょう。
 わからないことなんかあったら、また質問してね。
 
 以上、「じいちゃんがこどもだった頃」のお話でした。

関連リンク:
□20:ふるさとはと問われればそれはやはり「青崎」か?…=安芸郡府中町青崎東(広島県) [ある編集者の記憶遺産]
□21:山陽本線と国道2号線が青崎小学校への通学路…=広島市南区青崎1-2丁目(広島県) [ある編集者の記憶遺産]
□22:青崎小学校と貸本屋と東洋工業と…=広島市南区青崎1丁目(広島県) [ある編集者の記憶遺産]

dendenmushi.gif2015/07/03 記

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番外:じいちゃんがこどもだった頃=孫たちに語る70(〜65)年前のことなどを(その2) [番外DB]

 「人間一生のうちにこんなに変わるんだなぁ」と思うことがある。70年前に戦争が終わったときには、じいちゃんはまだ小学校へ行く前だった…。前の続きだよ。

・きものはきもの
 この頃はまだ写真機(カメラのことね)を持っている家はなく、したがって写真というものが小学校の卒業アルバム以外はまったくないので、どんなものを着ていたのか履いていたのか、実はあまり記憶もないしよくわからないんだ。
 学校へもみんな好き勝手な服装で行っていたと思うが、学生服というのも後にはでてきたし、靴もズック靴だったろうね。けどね、まだ小学校も始めの頃にはゲタやゾウリで通う子もたくさんいたね。
 長靴も普通ではなかったから、雨の日も雪の日もゲタを履いて通ったこともある。ゲタで雪の道をあるくとね、歯の間に雪の塊がはさまって、ときどき脱いで、一本足で立ったままたたき落とさないといけなかった。
 
・食べもの
 これがまた、よくおぼえていなくてわからない。いったい毎日どんなものを食べていたんだろうね。この頃は外食という習慣も店もなかったから、三度三度の食事って大変だったろうと思う。こどもは、用意されたもの出されたものを食べるだけだったし、じいちゃんの家には田んぼも畑もあったから、まあ恵まれていたほうなんだろう。都会の人は、この戦争の後には食べることではみんなとても苦労をしたんだよ。
 まあ、粗食(そしょく:そまつな食事)だったには違いない。お米だけのごはんは「銀飯(ぎんめし)」といって、特別なときにしか食べられなくて、普通はお米と押し麦を混ぜた「麦飯(むぎめし)」だった。
 お魚はあったけれど、お肉はめったに食べなかったかなあ。近所にもお肉屋さんがなかったから…。
 
・家電気水道
 戦争が終わった後に住んでいた家は、畑の中に建つ木造の平屋建て。玄関と二畳の間に、八畳の座敷と六畳の部屋に台所の土間が続いていた。
 電気はあったけど、ガスも水道もない。そういう暮らし、想像できるかな。
 電気はもっぱら夜の電灯とラジオだけね。そのほかの電気器具というものは、まったくなかったんだ。だから、家の中にもコンセントというものもなくてね。天井からブラ下がっている白い傘を付けた電灯もせいぜい60ワットくらいの電球でほの暗い感じ。
 松下さんが発明した二股ソケットからコードを垂らして、白熱灯電球をこたつの熱源にしていたけど、あれはわが家のじいちゃん(じいちゃんのじいちゃん)の発明だったのかなあ。
 水道がないから、家々で井戸を掘って、それから手押しポンプで水をくみ上げて使っていた。
 台所には流しと水瓶(みずがめ)と柄杓(ひしゃく)があって、土でできたかまどがあったから、これだけみると江戸時代とまったく同じだね。
 
・炊事かまど
 かまどで煮炊きして調理するのも大変だよね。まず、火を起こすところから始めなければならないけど、これだって最初は燃えやすい小さくて細い木ぎれや紙などで火を起こし、それから薪が燃えるようにしなければならない。江戸時代にもあった付け木もまだあったけど、点火するのはマッチだったね。
 火が燃えるには空気が必要だから、火吹き竹というもので、フーフーと息を送り込んだりする。煙がでるから煙突も必要だ。
 かまどとは別に、やはり土でできた七輪というコンロもあって、こっちでは炭で火をおこし、やかんやなべなどをかける。

・風呂便所
 お風呂は五右衛門風呂といって、鉄の大きな釜の下で火を燃やして湯を沸かしてその中に入る形ね。鉄が熱くなるから、底に板などを沈めてその上に入るんだ。
 風呂も沸かすのがひと仕事だ。火を絶やさないように燃やさなければならないからね。じいちゃんも、よく風呂焚きをやったなあ。薪も燃やしたけど、不要品の焼却というのも兼ねていたんだ。
 この頃はトイレなんて言葉はなかったから、便所というのが普通の呼び方だった。水洗もないから、みんな和式の汲み取り式。
 どの家でもだいたい、北側の端っこにあって、手水という手洗いの水を入れた容器と手ぬぐいがぶら下がっていて、なぜがヤツデの木なんかが植えられていたり、ちょっとしゃれたところではつくばいなんかも置いてあった。

・部屋
 部屋はとうぜんながら全部タタミを敷いた部屋で、部屋と部屋の仕切りは襖(ふすま)。縁側との仕切りは障子(しょうじ)。ほんとに日本の古い家って紙と木でできていたようなもんだね。ガラスの窓もあったけどね。
 壁は、竹でつくった編み目に土を練って塗り込む塗り壁が普通。
 タタミの部屋は、いろんな目的に使えるという点では便利だった。個室というような考え方は、この頃にはまだどこにもなかったね。
 だから、小学校の終わり頃に、玄関脇の2畳の部屋をじいちゃんの勉強部屋ということにしてもらったときにはうれしかったのを覚えている。

関連リンク:
□20:ふるさとはと問われればそれはやはり「青崎」か?…=安芸郡府中町青崎東(広島県) [ある編集者の記憶遺産]
□21:山陽本線と国道2号線が青崎小学校への通学路…=広島市南区青崎1-2丁目(広島県) [ある編集者の記憶遺産]
□22:青崎小学校と貸本屋と東洋工業と…=広島市南区青崎1丁目(広島県) [ある編集者の記憶遺産]

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番外:じいちゃんがこどもだった頃=孫たちに語る70(〜65)年前のことなどを(その1) [番外DB]

 「人間一生のうちにこんなに変わるんだなぁ」と思うことがある。70年前に戦争が終わったときには、じいちゃんはまだ小学校へ行く前だった。その頃の日本は、戦争に負けてすべてが崩れ去り、焼け跡と瓦礫(がれき)のなかから、やっとこさ立ち上がろうとしていたんだな。広島も原爆の跡で、まだまだ混乱していたんだろうね。
 それから日本が独立をするくらいまでの間、つまり小学校へ行っていた頃だな。じいちゃんが小さなやせっぽちで色黒のこどもだった頃のことを、話しておこう。今のきみたちの生活や周りのことと比べてみてごらん。
 想像を思いっきり広げてみてごらん。君たちは体験していないことだが、じいちゃんは体験してきた70~65年くらい前のことを…。

・遊び
 ひとりで家の周りの草や花や虫や、川や田んぼの小さな生き物を相手に遊ぶことが多かったかなあ。トンボやチョウやキリギリスなんかを取ったり…。もちろん、友達もいたし、近所のこどもたちが集まっては遊んだ。そういうときの遊びは、やはりかくれんぼやおにごっこ、その変形でかんけり(これはよくやった)などが中心だったが、少し大きくなると三角ベースやロクムシといった、ボールを使った遊びも多くなった。
 ラムネ(ビー玉)やベッタ(めんこ)とか、釘立てなんて遊びにも熱中したなあ。それと、ニッサン(日月ボール)ね。
 学校へ行くと、広い校庭をいっぱいに使って、団体でする遊び(駆逐水雷)とかSトンとか、それにやっぱりロクムシは流行ったなあ。
 名前を聞いても、ほとんどは君たちの知らない遊びだと思う。
 
・小学校通学
 じいちゃんの通った小学校は、少し遠かったけど、毎日歩いて通った。その通学路(今ではそういうがその当時はそんな呼び方もしていなかった)は、決められていたわけでもないので、いつも気まぐれで違った道、いろんなコースを通っていた。
 その通学路では、国道2号線と山陽本線の線路に沿って、またそれを越えて行かなければならなかったので、国道を通る車や線路を走る汽車も、遊びの道具にしていたくらいで、途中には田んぼや畑もあったし、道草ばかり食いながら通っていたもんだ。その頃は、みんな大人たちも食べることに精一杯で、うるさいことは言われなかったし、まあほったらかしのようなもんだったんだろうね。
 今から思うと危ないとすぐ禁止されるようなこと(たとえば、線路のレールの上をどこまで落ちないで歩けるかとか)も、平気でやっていたんだ。そう、線路に柵なんてなかったしね。
 
・汽車と馬車
 その頃はまだ今のような電車ではなくて汽車ばかりで、客車も貨車も蒸気機関車が引っ張って走っていた。汽車が通る時刻は決まっているわけだから、それ以外の時間は危なくはないんだけどね。蒸気機関車が走るのをみるのは好きだったなあ。
 国道も、通る車の数は少なかったので、交通信号機や横断歩道さえもなかった。乗り合いバスも走り始めていたが、初めのうちは本数も少なかった。荷物を運ぶにはまだ荷馬車や牛車も使われていて、のんびりとぽくぽく歩いていたし、国道にはそのウンチがよく落っこちていたけど、これはさすがに小学校の終わり頃には見かけなくなった。
 バスはね、エンジンが前に突き出た形のボンネットバスというやつでね。町まで行くときにはこれに乗った。運転手さんの後ろに立って、運転するのをみるのがおもしろかった。今のようなワンマンやICカードではなく、必ず運転手さんのほかに車掌さんがいて、切符を売ったり回収したりしていたね。
 アナウンスもないから、車掌さんが大きな声で停留所を告げていたんだ。バスはガソリンのニオイが独特だったような記憶があるけど、それも小学校の終わり後の記憶だろうね。
 そうそう、バスと言えばこれも同じ頃だったと思うけど、一時期広島ではトレーラー・バスというのもたくさん走っていたね。運転車両の後ろに乗客車両がつながっていたけど、あれはなんだったんだろうと、今でも思出すことがあるよ。
 広島の市内は市電(路面電車)が走っていたけど、それにはあまり乗る機会はなかった。 

・道路
 始めの頃には、国道もまだ未舗装(みほそう:コンクリートではない土)のところが残っていたくらいで、それから外れたすべての道が、土のままがむき出しのままだった。
 そういう道路ばかりだったから、石ころが頭を出して隠れていたり、でこぼこで、雨が降るとあちこちに水たまりがたくさんできる。土が軟らかいところでは泥でぐちゃぐちゃのぬかるみになるので、そういうところを避けながら歩かなければならない。
 下水などもなかったから、道は雨水の流れる道でもあったわけで、自然に道の中に川ができたりしていた。

 続くよ。

dendenmushi.gif 2015/06/29 記

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□21:山陽本線と国道2号線が青崎小学校への通学路…=広島市南区青崎1-2丁目(広島県) [ある編集者の記憶遺産]
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番外:与論島・伊平屋島・伊是名島=与論町・伊平屋村・伊是名村(鹿児島県・沖縄県)沖縄県と鹿児島県の県境はどこですか? [番外DB]

yorontuika-1.jpg
 どうも、写真はメモ代わりという程度にしか考えていないせいもあって、もともといい写真を撮ろうとか、撮りたいとかいう気持ちもないのだが、与論島の写真を遠望でもいいから入れようとしたら…。あらら、なんともかんとも使える写真が1枚もない。
 望遠レンズであれば、ちゃんと捉えられたのだろうが、肉眼で見えている島が写真にうまく写っていないのは、自動で広角になっているからだろうか。
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 もうちょっと写真にも、技術を磨いて(というほどではなくても、マニュアルくらいきちんと読んで…)ちゃんとしなければならないのかもしれないが、それもいまさらめんどくさいし…。ま、でんでんむしの写真へのこだわりはそんな程度で、まったくどうしょうもないレベルです。
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 与論島の西40キロに位置する伊平屋島と伊是名島のほうは、なんとかその横にいくつもの小山を並べたような姿が写ってはいたのだが。
 与論島には島の東南端にチヂ崎という岬がひとつだけある。
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 伊平屋島には、島の北端の田名岬と南端の米岬のふたつがあり、伊是名島にも、打鼻、ゴハ崎、城崎とみっつある。
hedonamisaki-16.jpg
 これらの岬まで行けるかどうか、はなはだ心許ないので、とりあえず見えるところまできたという記念に、番外項目をつくっておく。
 前項で述べたように、与論島は鹿児島県で、かつて復帰前には北緯27度線が“国境”であった。では、現在の県境は、どうなっているのだろうか。
 ネット地図では、それを明確にしている情報はない。そもそも陸上の県境と違って、海上の県境に厳密な線引きをする必要性があまりないからかも知れない。
 検索でいちばんに出てくる情報が “Yahoo! 知恵袋”で、「鹿児島と沖縄の県境せんはどこですか」という質問に対して、「鹿児島県奄美諸島の世論島南端と、沖縄島北端の辺戸岬の中間です。」(ママ)というのが“ベストアンサーに選ばれた回答”というのだから、これもまったくどうしょうもないレベルである。
 復帰前の27度線の境界線が、現在の県境になっているのであれば、それは辺戸岬と与論島の「中間」線ではないはずである。それにもうひとつの問題は、やっぱり、みんな誰もが硫黄鳥島のことを無視しているということだ。
 実は、沖縄県の北端は辺戸岬でもなければ、伊平屋島でもない。伊平屋島北端の田名岬から、北北東に約100キロ近く北上した海上に浮かぶ小さな島があり、そこが沖縄県の北端、島尻郡久米島町字硫黄鳥島なのだ。そこが島尻郡伊平屋村ではなく久米島町というのも問題だが、それはとりあえずおくとして…。
 鹿児島県沖永良部島(爆発した島とは違います)からは北西に60キロ、同じくその北の徳之島西岸からは西へ64キロも離れている硫黄鳥島を領域に取り込むために、沖縄県と鹿児島県の県境は、与論島西沖の海上からまっすぐ北へ100キロ以上も伸びていかなければならないのだ。
kwnkyo-1.jpg
 それを示すネット地図情報は見当たらないので、手元にある小学館と平凡社の日本大地図帳を参照してみた。すると、小学館日本列島大地図館(1990年)のほうは県境明記がなかったが、平凡社の日本大地図帳(2006年八訂特別版)ではこのようになっていた。
 どういうわけか、左右の見開きで、左と右の県境表示が、まったく異なっている。
kwnkyo-2.jpg
 左ページ上のほうは、北緯27度線を明確に意識した表記になっている。kwnkyo-3.jpg
 だが、右ページのほうは、“与論島と辺戸岬の中間”という広く流布している俗説をそのまま写し取っているような線引きだ。しかも、その異なる県境表示が、見開きの左右に置かれているというのは、なんともかんとも、ナヤマシイねえこれは(笑)。
 海の上の県境だから、そんなにもめることもないのだろうが、北緯27度線を県境とすると、与論島側にとってはいささか不都合なこともある。そこで、復帰後の県境を実質的に中間に置き直したが、それはあくまで便宜上のことで、正しくはあくまでも27度線ですよ…と、この矛盾する表記を両論併記で並べた見開きページは、そんなふうに言っているようにもみえる。
 さて、そこで…。
 薩南諸島へも、いずれなんとかして行きたいものだが、ここでは沖縄の側からみた歴史的な重要事項として、留意しておかなければならないことがある。
hedonamisaki-19.jpg
 本土の人間は、今ではほとんど誰も気にもとめてないが、琉球はかつては立派な独立国であり、大陸と交易し琉球王朝のもとに栄えていた。第二尚氏王統の時代1571(元亀2)年には、奄美群島の北部までもその勢力圏においていた。
 ところが、1609(慶長14)年に薩摩藩の侵攻を受け、尚寧王はその武力に屈し、首里城を開城して薩摩藩の実質支配下(名目上は王朝は存続)におかれることになる。このときから、奄美諸島は薩摩藩に取りあげられてしまう。その諸島のなかで、硫黄鳥島は現在は無人島になっているが、当時は硫黄を産出する重要な島だった。その硫黄鳥島だけは、特別に琉球に残した。それは、硫黄が中継貿易で重要な産品であり、それを薩摩が取りあげても自身が直接中国や東南アジアと貿易をすることはできなかったからだろう。そう考えれば、この島と奄美の諸島の線引きを、わざわざ不自然な形に残したことの説明はつく。
 あくまで、琉球王朝を形ばかりだが対外的には残し、それを窓口にした貿易の利益を搾取するというのが、薩摩が行なった琉球処分だった。搾取に苦しむ王府は、財政破綻をつくろう手段として、今度は八重山などに対しては人頭税など過酷な租税を搾取することでカバーしようと逆にされる側からする側に回ってしまう。
 沖縄県と鹿児島県の県境は、少なくともそこまでは理解したうえでないと、論じられないということである。

▼国土地理院 「地理院地図」
yoroniheiyaM.jpg
dendenmushi.gif沖縄地方(2015/04/04 訪問)

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番外:東北の岬めぐりのまとめに「三陸の地質年代表」をつくってみた [番外DB]

 東北太平洋岸は、大地震の前に宮古から久慈・八戸までの北側と、石巻・雄勝から七ヶ浜までの南側も岬めぐりは終わっているので、三陸海岸はいちおう全部めぐり終わったということにしておきたい。
 そして、その記念にここで三陸の特徴ある地質を理解するために、地質年代表をつくってみた。
tishitunendai1.jpg
tishitunendai2.jpg
 だいたい、「何億年前…」なんていわれたって、さっぱり実感としてつかめないものだ。それを理解するためには、自分でなにかものさしをつくってみるのがいちばん効果的なのである。
 こうしてまた、悠久の時の流れのなかに、自分のイメージを重ねておき、想像を膨らませることができるだろう。それは、何億年前でも数十年前でも、結局は同じことで、今を生きているわれわれが常にそれを意識し反芻してこそ、生きた歴史になるのだろう。
 実は、年表もそんな思いでつくっているわけで…。 

▼国土地理院 「地理院地図」
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dendenmushi.gif東北地方(2014/11/04〜07 訪問)

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番外:ナゾは深まるばかりSo-net「地域」ブログランキング・2015年初頭の定点観測(So-netブログの七不思議19) [番外DB]

 お待ちかね(誰も待ってないって!)、毎年恒例の定点観測である。なりゆき上、これも一応七不思議に含めている。(前年およびそれ以前の記録はこちら→「2014年初頭の定点観測」を参照してくだされ。また、「nice!」などについても過去記事で取りあげている。)
 ここ毎年、地域ランキングの観察を続けているのは、自分のランクがどうとかではなくて、So-netがそのあちこちいたるところで表示している「ランキング」なるものの摩訶不思議さに惹かれてのことだった。
 いったいぜんたい、このランキングとやらは、なんじゃろか?
 もちろん、最初にSo-netに質問してみたのだが、ランキングの算出基準・計算根拠などは非公開で教えられないという。ならば、公開されている情報だけでも並べて比較検討することによって、なにかわかるのではないか、というのがこれを始めた動機であった。
 始めてみると、なにかわかるどころか、ますます疑問が膨らんできてしまったのである。基本となるはずのアクセス数などが公開されていないので、どうしょうもない面もあるのだが、それはそれとして、ここには知りたがり屋を引きつけてやまない、わけのわからなさ故のおもしろさがある。
 前項の「七不思議18」では、この「でんでんむしの岬めぐり」ブログ内の各記事項目ごとの「アクセス数」と称されるもののデータをまとめていたが、今度はそれが属しているテーマ(ブログ共通テーマ)である、「暮らし・健康」の「地域」の「ブログランキング」に限ってのまとめである。
 ひきこもりでんでんむしは、他のブログ徘徊もしないので、nice!集めもしないし、SNSもやらない。RSSはよくわからないが、だいぶ前からSo-netの読者になる登録ができなくなっている。どうしたらいいのかわからないし、面倒なのでほおってある。なので、広いネット世界をごく狭くして生きている。ほかのことは知らない。もっぱら、この狭い限られた「地域」の世界でのみ棲息している。だが、他のテーマをちょっとだけ覗いてみたことがあって、それは七不思議の13「ひきこもりがちょっと外の世界に出てみたら」 として記録していた。
 とにかく、相変わらずでんでんむしの棲息地域は「地域」のみなので、以下あくまでその範囲中心のハナシである。
 さて、2015年元日の早朝現在では、「地域」のランキングはこんなことになっていた。

teiten2015.jpg

 すでに何度か説明していることと若干重複するが、初めてみるという人のために、ざっと説明すると、まず左端の欄から過去のランキングと2015年のランキングを並べてある。常連というか、だいたい25のランキングに入ってくるのは決まっていて、面子ががらがらと入れ替わるようなことはないようだ。それでも今年の新登場は6件。データを公表していないものが4件。
 公開されているデータは「nice!」の数と「記事数」しかないので、それがわかるものについて拾っていて、一記事当たりの「nice!」の数を算出している。それから「up」の欄は前月(ここでは2014/12の記事投稿数)で、更新頻度の見当がつく。
 最後の欄の◎印は、そのブログが「地域」ブログへちゃんと投稿しているものについている。つまり、ブログ共通テーマ「地域」のランキングに示されている「nice!記事>>」の「最新」「デイリー」または「アクセス記事>>」の「最新」「デイリー」に登場するもの、あるいは「「新着記事>>」の「新着」に上がってくるものである。(念入りに見たつもりだが、落ち漏れがあったらご容赦。あるいは、ずっと昔にはあったよというのも、ここでは無視。)
 そのほか、「人気急上昇「地域」ブログ」というランキングもあるが、ここに上がっているのは25ランキングと同じく「地域」への投稿の有無を前提としていないので、これもここでは無視する。
 拾える公開データが限られているため、「nice!」の比較くらいしかできないのだが、その結果として、どうもSo-netでは更新数や記事数よりも、「nice!」がランキングを上げるいちばん大きな要素になっているらしいことが、傾向としては明確に推測できる。なかには、「nice!」数がさほど多くないが上位にあるのもあるが、だいたいは一記事当たり100以上のものは、そのランクアップへの貢献度が高いとみてよかろう。
 また、「地域」欄の◎印は、これが案外重要なことだと思うのだが、そのブログが果たして「地域」のランキングにのっかる妥当性があるか否か、それを問うことになるはずである。表に見えないところでなにかがあるとしても、見える部分でしか判断のしようがないので、ここでは「地域」に新着、投稿などがあるものをもって、「◎」とした。
 すると、「◎」はランキングの25のうちたった11しかない。半分以上は、なにが「地域」ブログなんだか、どこが「地域」なんだかわからないということになっている。でんでんむしは、密かにこれらを“不在地主”と呼んでいる;(^o^);;。もしかして、それは個人的な思い込みに過ぎないのか?、いやそうではあるまい!、と自問自答しながらやっているが、「地域」に投稿があることが、そこをベース(本拠地・本籍地)にしているということであり、「地域ランキング」というからには、それがまずランキングに参加する基本条件であるはずである。(どうして、「地域」にまったく投稿がないものがランキングだけに上がるのか、どうしてこういうことになるのかについても、これまでに縷々推測をしてみてはいる。)
 2013年の定点観測、「番外:2013年初頭の定点観測:“「地域」ブログランキング” へのソボクなギモン(So-netブログの七不思議11)」では、なんと“ランキング25のうち3分の1以下しかない”という状態だったので、それからみればいくらか改善しているともいえる。(これは他のテーマでも同様かというとそうではないらしく、どうやら「地域」だけの特殊性のようにみえる。「七不思議の13」参照。)
 それにしても、「新着」などをみていると、地域ブログってこれだけしかないのか?、という思いがしきりである。ランキングの分母は2700を超えているはずなのに、いつも決まった限られたものしか現れず、割とバラエティに乏しいリストになっている。これもわからんなあ。
 また、「管理トップ」には「アクセスランキング」(総合か?)とか、「総閲覧数」とかの数字もあるのだが、これは本人が公開しない限り、外部からはわからない。
 たまたま、これを公開したりする人がいたりして、それはそれで興味深いのだが、その「ランキング」がでんでんむしのそれよりは下のほうなのに、地域のランキングではどんと上位にランクされているということもわかったりする。ますますもって、ナゾは深まるばかりなのだ。
 しかし、おもしろいねえ曽根風呂は…。ついついのぼせてしまうよ。

dendenmushi.gif(2015/01/01 記)

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番外:「閲覧数」「訪問者」「ページビュー」などの変動はどうして起こるか:観察研究その6(So-netブログの七不思議18) [番外DB]

 当ブログでは、もともとから“ひきこもり”をポリシーにしていて、他のブログの探策もしないし、訪問者やアクセス数や読者数を増やしたいという思いもなく、そういう努力もせず、ただ自然のなりゆきにまかせることを、最も望ましいこととしている。SNSもいっさいやらない。
 したがって、ここでこんなグラフをつくったりして、お馬鹿なことをやっているのも、それ自体をおもしろがって楽しんでいるに過ぎないのであって、アクセス数やランキングなどを気にしてのことではない。
 
■「ブログレポート」がいう「アクセス数」は「ページビュー」のこと
 So-netブログ事務局から送られてくる「ブログレポート」《後編》では、前月と前々月の「アクセス数」という数字も通知されてくる。この「アクセス数」という数字の実態が具体的にナニをもって示されているのかもよくわからなかった。(たとえば「管理トップ」でいう「総閲覧数」や「アクセス解析」でいう「訪問者」・「訪問者数」ないし「ページビュー」とどういった関係にあるのか?)
 だが、とりあえず「ブログレポート」がいう前月と前々月の「アクセス数」というのは、「アクセス解析」の「日別&ランキング」の「アクセス数」の「ページビュー」(月計)のことだとわかった。(しかし、それでもなお、その「アクセス」の具体的な態様までは想像できないのだが…。)
 そこで、とりあえず2013年と2014年分について、月別の「ページビュー」をグラフにしてみて、その凸凹と書き込みの内容とを照合してみた。
pV2nenGm.jpg
 2年分の「ページビュー」の月別推移には、かなりのアップ・ダウンがあるが、それと記事内容を結びつけてなにかを導き出すのは、ほとんど意味がないように思われる。それと無関係とも思えないが、それに理屈をつけるのはやはりむずかしい。

■「訪問者」と「ページビュー」が大幅にダウンして
 以上の月別の「ページビュー」は、日別の集計であるが、今度は「アクセス解析」から日別の「訪問者」と「ページビュー」という数字に注目してみよう。
 今回の不思議は、この数値が、2014年の秋口から目立ってダウンしてしまった、ということである。それを2013年1月から2014年の12月までまとめて、2013年のグラフと2014年のグラフの2枚にしてみると、次のようになった。(今度は日別の集計なので、同じ「ページビュー」のグラフもだいぶ違って見える。とくに上のアクセス数は横幅が2年分、下のページビューは1年分なので要注意。)
suiiG.jpg
suiiGG222.jpg
 上の薄茶色が「ページビュー」、下の濃い渋茶色が「訪問者」として示されていた数字の推移を表している。その減少は急激にとも言えるが、長いスパンでグラフにしてみると、むしろ長期低落傾向に入っている、というべきだろう。
 日別「訪問者」と「ページビュー」をまとめて2年分見ると、時期によって多少の凸凹はあるが、なべて一定の水準を維持しながら推移してきたようだと言える。もともと、そんなに極端に大きな変動はなく、だいたいいつも一定のレベルを保っていた。
 そんななかでも、2014年の春から夏にかけては大きく伸張してひとつのヤマをつくっていた。それが、2014年の秋口から突然ダウンを始め、ここ2年間の最低水準にまで落ち込んでしまった。訪問者数は、ついに500を割ってしまうという状況が続いていて、今では多かった頃の水準からは半分以下になっているのだ。
 2014年も一部、毎日更新をしていた時期がある。それをグラフではオレンジの点線で示してみたが、どうも毎日更新を続けているからアクセスが増えるということもなさそうである。
 現に、秋口からのベース・ダウンは、その毎日更新の最中から生じているので、記事投稿数が影響しているとも言えない。
 これはいったいなんだろう。
 「そりゃお前のはおもしろくないからだよ」というのは、ナシね。
 それは急におもしろくなくなったわけではなく、おもしろくないとしても急におもしろくなくなったりしたわけではない。最初からおもしろくないわけなので、ここで落ち込んだ理由の説明にはならない。
 取りあげる岬の地域のせいでもなさそうだ。継続性の原則を崩すような変動は、どうして起こるのだろうか。
 So-netブログが、これらの数字の意味と算出方法を、もう少しちゃんと納得のいく説明をしてくれないかとも思うのだが、環境の背景となっている、検索のシステムや条件などの変化も含めてどうもその算出方法や根拠のほうに、なんらかの事情があったのではないかと勘ぐりたくもなってしまうのだが…いったいどう納得すればいいもんだろうか。

dendenmushi.gif(2014/12/31 記)

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番外:「過去3カ月間でアクセス数の多い記事ベスト3」と項目別アクセスのナゾ:観察研究その5(So-netブログの七不思議17) [番外DB]

 「So-netブログの七不思議」と題して、ソネブロのわからないこと、不思議なことを書き始めたのは2009年末のことで、それから数えて七不思議も17項を数えることになった。当初は“七不思議”だから7回でやめるつもりだったのだが、なかなかソネブロの不思議にはキリがなくて、疑問やら問題提起やらいろいろ含めてだらだら続けることになった。
 なかには、「お前そんなこともわからんのか」という程度のこともあろうが、ソネブロの説明は全般的に不得要領で、無造作に使われている言葉の意味すらでんでんむしにはわからないことが多い。でんでんむしに理解できないことは、まず普通の多くのユーザーにとっても同様ではないかと思われる。
 なんでも知りたがり屋のでんでんむしが、今回はブログ経緯の記録の意味も込めながら、So-netブログでは表出するすべてがランキングになっているが、その算出根拠・要素(これもソネブロは公開していない)の中でも基本中の基本であるはずと想像される「アクセス数」(この用語の定義も実はよくわからなかったのだが、これは次項で)についての疑問である。
 これには、ユーザーは主に、「ブログレポート」と「アクセス解析」ふたつの情報がそれを知るよりどころとなる。
■「過去3カ月間でアクセス数の多い記事ベスト3」の移り変わり
 So-netブログ事務局からは、毎月「ブログレポート」が送られてきて、その《後編》では、「過去3カ月間でアクセス数の多い記事ベスト3」というのが、データ抜きで順位によって示されている。
 いつも、ふ〜んと言って見過ごしているが、それは無関心なのではなく、いくら見てもそれ以上なにもわからない、なるほど!というところがない、だからなんなんだ! なんでやねん!と言いたくなるからである。
 今回、最近のメールをほじくり出して、2014年3月分からの「ベスト3」を並べてみると、このようになった。
komokubetu3.jpg
 2回以上ベスト3に上がっているものは色分けした。こういうところまで1位2位というのが、いかにもランキング好きなソネブロらしい。「過去3カ月間」ということは、ダブっていることになるのだろうか。どちらにしても、傾向としてどの記事のアクセスが多かったかを知ることはできる。
 ただ、どうしてそうなっているのかはわからないが、それはSo-netでもわからことないのだろう。
 この期間限定でいえば、「月島界隈」の51番「消えてしまった石川島…」(桃色)が6回もベスト3に並んでいる。それも、3月に上がっていていったん姿を消してまたぶり返している。随分息長くアクセスが続いているということになりそうだが、これはなんだろうか。
 次に多いのは、「石垣島だより」の「捨て石とマラリア…30」(空色)の4件だが、3件の「229 亀ノ島鼻…」(肌色)についてはそれと同じ三重県の伊勢鳥羽付近の項目が前後して並んでおり、箱根駅伝の予選会方式でいえば「230 神前岬」(黄色)「228 崎山岬」(みかん色)と合わせれば団体戦勝利と言える。
 色のついていないのは、それ単独ということだが、緑色の「159 雄美岬・猿多岬」の項(薄緑色)これについては後述)はこれまでずっと当ブログでは最多アクセス数をたもってきた項目である。一時的にせよ、横須賀の走水の岬(薄紫色)のアクセスが急増するのも、不思議なことだ。伊豆大島の「番外:地層切断面」(灰色)については、ある出版社からこの写真を使いたいという依頼があった時期と符合はしているがそればかりとは思えない。
 全体的に見ると、この欄の半分以上は「番外」項目で占められており、メインテーマである「岬めぐり」の項目が半分もないというのは、やはり個々の岬についてはマイナーな興味であって、さほどの広い関心を集められていないとみていいのだろうか。
 とにかく、なぜこの項目が…?というところ、その理由や背景は、知りたいと思ってもなかなかわからない。もともと不特定多数の浮動票の動きなど、そうそうわかるものではないといえばそうだが、明らかに偏った動きを数r背景には、なんらかの原因があるはずである。「229」項のページには、その情報を求める追記もしてみたのだが、反応は皆無だった。
 こういうところに上がる項目には、新しい項目はまずない。全部ある程度昔に書いたものである。よほどブーム的な現象がない限り、時間の経過とともに積み上げられていくのがアクセス数、それは基本だろう。
 だが、なかにはいくら時間が経過しても、アクセス数が積み上がらないという不思議な項目もある。
 この「でんでんむしの岬めぐり」の「記事管理」のリストから、項目別に「閲覧数」(これも具体的にはどういう数字なのか、「アクセス数」と同じなのか違うのかも不明)という数字を拾ってみた。(数字は2014/12中旬現在)
 その結果、ブログの全項目でアクセス数の多いものと、少ないものをピックアップしてみると、以下のようになる。
 まず、その少ないほうから…。
■「閲覧数」が1000未満で少ない項目
 ここに拾ってみたのは1000未満の項目で、それも近年の項目では当然たくさんあるので、2006(平成18)年あたりから以前のものが中心になる。結果では意外なこともある。
sukunai.jpg
 最下位の「019 御浜岬」などは、経過年月からいえばもっとも古い部類に属していて、しかも場所としても伊豆半島西海岸の戸田(へた)という、富士山がきれいに見える割と有名なところである。ただ、場所は知っていても、岬の名前を知らないから検索の対象にもならない、ということは考えられる。また、「017 納沙布岬」や「008 野島崎」のような、かなり一般にも名も知られているはずの岬が、まるで不人気である。こうなると、さっぱりわからない。
 岬めぐりでは、ほとんどの岬が誰も知らないような場所で、したがって検索でもあまり上がってこないところが多い。つまり、このブログ自体が、当初から極めてマイナーな性格をもっている。
 それにしても、年月を経過してもいっこうにアクセスが増えないのは、どうしてなのだろうか。
 もちろん、「そりゃお前のはおもしろくないからだよ」とか突っ込みは自由だが、その周辺の他の項目と比べてもまったく伸び悩んでいることの説明にはならない。どうやら、こういう項目には初速からのなにか不運のようなものがあるようにも思えるのだが、やっぱりどうしてかわからない。
■「閲覧数」が4000以上の多い項目
 次に多いほうのリスト。ここでは4000以上のものを並べている。これを見ると、確かに最初の投稿記事「001 地蔵崎」もなんとかランクインしているが、時間の経過だけが決め手にはならないということも明らかだ。その項目がよく見られる、なんらかの事情がそこにはあるようだ。
ooihounoL.jpg
 前述のように、このリストではこれまでトップを維持してきた「159 雄美岬・猿多岬」の項が、その座を「月島界隈」の「51 消えてしまった石川島…」に明け渡している。
 前者については、佐伯さんの「居眠り磐音江戸双紙シリーズ」人気によるものであることは疑いがない。だが、石川島のほうはどうなんだろう、いったいなんなんだろう。どこかでなにかにリンクされたとかいうのが、最も考えられるが、そういうのは一過性とおもわれるが、これはもう随分長く続いている。
 これも内容云々は、とりたててどうということもないので、まず関係ないし、それが有名な岬だから閲覧数が多いということにはならないのである。18番目に「041 長崎鼻」があるが、その隣にあるはずの超有名な岬である犬吠埼は、閲覧数4000のリストには入ってこない。(因みに「042 犬吠埼」は閲覧数1,569でしかない。)
 しかも、このリストでは上位にあるのがほとんどメインの岬めぐり以外の番外項目などであって、架空の岬である「159」を除けば、実際の岬では鳥羽の亀ノ島鼻と三浦半島の燈明崎と雨崎というマイナーな岬、それに和歌山の城ヶ崎(ここは多少は曰くがあって有名かも)がベストテンにランクインしているだけである。
 こうしてリストも見ると、ますます不思議が増大してくる。(このあたりはソネブロの不思議と言うより、ブログというものの不思議さ、というべきなのであろう。)

dendenmushi.gif(2014/12/30 記)

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番外:So-netブログの「七不思議」&「定点観測」&「観察研究」のまとめページです [番外DB]

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 2009年末から2011年初にかけて、So-netブログについてこんなことを考えて「So-netブログの七不思議」と題して問題提起をしていた。その後も、状況はいっこうに変わってはいないので、だらだらと続いてしまった。So-netブログをもっとよくするためのネタ提供のつもりであるが、記録のためあえてまとめページを設ける、「So-netブログのここがヘン」だけでなく「観察研究」、「地域ブログの定点観測」もこのなかに含まれている。


















dendenmushi.gif (2014/06/02 記)

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でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました「道歌」まとめリンクボタンのページです [番外DB]

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でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました=その33 臨時特別連載「道歌」 [番外DB]

 さてさて、でんでんむしが収集した「道歌」の紹介も、このへんで終わりにしたしましょう。春休み特別企画として始めたこの臨時連載も、本文は今日が最後です。意外に長引きました。
 改めてみると、これらの歌は、親も兄弟もいなかったでんでんむしの生き方にも、いろいろな点で影響を与えてきているような気がします。
 先ごろの朝日新聞で、こんな一文に出会いました。
 
 はっきり言うと角が立つ。角を立てずに和を保つ。それが日本の心がけ。和を保つにはどうするか。三十一文字(みそひともじ)が役に立つ。和歌に託して本心を、一皮くるんで差し出して、あとは向こうの解釈に、任せて黙っていればいい。(「朝日新聞」2014/4/30 文芸時評 片山杜秀)
 
 これは『昭和天皇「よもの海」の謎』(平山周吉著 新潮選書)という本について片山氏が述べておられることで、直接道歌のことをさしているわけではありませんが、三十一文字の見方という点では同じようなことが言えます。この本も読んでみたいと思いますが、まだ買っていませんので、この評のなかで述べられていることにとどめておきます。
  よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ
 この歌は、明治天皇の御製のひとつです。わりとよく知られているのは、昭和天皇が1941(昭和16)年9月の御前会議で、これを読みあげられたことによります。この歌を開戦前の御前会議にわざわざ引かれた意味は、誰が考えても戦争突入を意味しません。ところが、この歌をどう考えるかは受け止める人によって違う、そこに解釈の逆転が起こった…。おもしろそうです…というような、軽いことではなさそうですね。
 「道歌」が、戦後急速に廃れていって、誰からも顧みられなくなるのは歴史の必然で、それをどうこういう意味はないでしょう。
 けれども、たまたま西表島の上原で「デンサ(伝指)」に遭遇したことがきっかけとなって、これもまた歴史的遺産でもあり、後世に伝えていくべき資料にもなるものと考えました。“伝伝虫”としては、なんとかこれも伝えておきたいと、“でんでんむしアーカイブス”のひとつとしてまとめてネット公開することにしました。
 本線の「岬めぐり」の間、隔日のスキマに挟んできたので、So-netのブログ共通テーマのどこかに入れなければなりませんが、しつこく書いてきたようにこの分類区分けがよくない。どこにも適当な場所がないので、“「趣味・実用」のなかの「学校」”(これも相当ヘンでしょ)のなかに入れさせていただきました。“道徳”にからめてはみたもののちょっと場違いな感じもありましたね。失礼しました。
 最後は「人生は夢」ということで…。

kokoro.jpg
33 mark.jpg の世に…

夢の世に 夢の如くに 生まれきて 露と消えなん 身こそ安けれ

夢ゆめと 口にはいえど 悟りやらで 夢に夢見て 遊ぶ夢助

夢さめて 衣の裏を けさ見れば 珠かけながら 迷いぬるかな

夢の世と 思いながらも 厭わねば 誰がなすわざと その主をみよ

夢なれば 覚めなと思う 嬉しさに 寝返りもせず 待つぞ楽しき

借り切りと 思う間もなく 目が覚めて 乗合船の 夜半の起き伏し

仮の世を 仮の世じゃとて 仇にすな 仮の世ばかり おのが世なれば

一生を 夢とは知らず 覚めぎはに 夢と知りゆく 夢の世の中

Dsuiren.jpg

dendenmushi.gif(2014/05/19 記)
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でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました=その32 臨時特別連載「道歌」 [番外DB]

 齢を重ねてきたでんでんむしが、今振り返ってみる心境は、冒頭の一首につきるようであります。
 ほんとうに、これまでなんとか生きてこられたのが不思議で、奇跡のようにさえ思えます。いいかえれば、いくつもの幸運に恵まれてきた…。もちろん、そうではない理不尽な目にあったことも数知れず、不運もまたたくさんあった…。
 直接的な意味でも、あのときもしこうだったら自分は今こうして生きてはいなかっただろうという体験も、何度かしている。“死線を越えて”というのは死語ではないのです。これは、誰にもあることかもしれませんが、でんでんむしのその体験で記憶に残るものは、20歳になるまでの間にあったできごとばかりです。
 いろいろな人にも出会いました。そして多くの人と別れてきました。人が人生一生のなかで触れ合う人の数は、いったいどのくらいになるのでしょう。持ちつ持たれつのこの世の中、通りすぎていく人は多けれど、最後に残るのは…。
 ひねくれて、自分ひとりで生きていくようなことを口走ってみたところで、そんなことができるわけもない。世間というものから「一人離れて 保つべしやは」です。
 でんでんむしは、過ぎてきた帰らぬ昨日のことは、思ってみてもしかたがない、過去を振り返るのはつまらんことだという考え方には同調できないのです。今日のこともおもいつつ、「帰らぬ昨日 しらぬ明日の日」も同時に考えながら、残された日々を過ごしていきたいものだと愚考しております。

kokoro.jpg
32 mark.jpg らぬ昨日しらぬ明日の日…

年を経て 浮き世の橋を 見かへれば さても危うく 渡りけるかな

人は皆 持ちつ持たれつ 世をわたる 一人離れて 保つべしやは

心から 流るる水を せきとめて おのれと縁に 身を沈めけり

咲く花を 歌によむ人 ほむる人 さかせる花の もとを知れかし

咲くもよし 散るも吉野の 山桜 ただ春風に 任せてぞみん

桜花 けふこそかくは におふらめ 頼みがたきは 明日の夜のこと

三度炊く 飯さえこはし 柔らかし 思うままには ならぬ世の中

死ぬるのみ 一大事かは 人はただ 生ける間ぞ 一大事なる

万能に 足りてももしや 一心が 足らぬと役に 立たぬ世の中

人皆の 選ぶが上に 選びたる 玉にも傷の ある世なり

人をのみ 渡し渡して おのが身は 岸に上がらぬ 渡しもりかな

差し当たる 今日のことのみ 思えただ 帰らぬ昨日 しらぬ明日の日

Dhanabi.jpg

dendenmushi.gif(2014/05/17 記)
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でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました=その31 臨時特別連載「道歌」 [番外DB]

 ものごとは常に、さまざまな立場や角度から、いろいろに見方はわかれます。それだけでなく、認識の主体が変われば認識の対象さえも変化するという唯識(人間の5感に加えて自覚的意識、それに無意識の末那識と阿頼耶識の8種類の識)のものの見方が、大乗仏教にはあるそうです。
 むずかしいことはわかりませんが、世の中のあらゆる存在が、8種類の識でしかなければ、あらゆる存在は常に主観的なものであり、客観的ではありえない…といったところでしょうか。冒頭の、
 手を打てば 下女は茶を汲む 鳥はたつ 魚寄り来たる 猿沢の池
という歌は、それをあらわしているんですね。
 でんでんむしも、これは知っていましたが、この歌にはこんなにたくさんのバリエーションが流布していたとは…。ちょっと変えただけじゃないか…といってしまえばそれまでです。しかし、それだけ多くの人の関心を集めていたということでもあるわけで、これはばかにできないと思います。
 ちなみに、猿沢の池も不忍池でも広沢池でもよさそうですが、これだけは変わらない。それは、この池の上にある興福寺こそは、唯識の法相宗本山だったからでしょう。
 こういうふうに、たいていの歌は、なんとなく主旨は理解できると思うのですが、なかにはこの歌の意味を解説しろと言われると、実は正直なところどうもよくわからない、うまく説明できない微妙なのもあるんですよ。

kokoro.jpg
31 mark.jpg を打てば…

手を打てば 下女は茶を汲む 鳥はたつ 魚寄り来たる 猿沢の池

手を打てば 鯉は寄り来る 鹿は逃ぐ 下女は茶を汲む 猿沢の池

手を打てば 鳥は飛び立つ 鯉は寄る 女中茶を持つ 猿沢の池

手を打てば 下女は茶を持ち 鳥は逃げ 鯉は餌と聞く 猿沢の池

手を打てば 仲居返事す 鳥逃げる 鯉は集まる 猿沢の池

手を打てば 鯉は餌と聴き 鳥は逃げ 女中は茶と聞く 猿沢の池

手を打てば 魚は集まる 鳥逃げる 下女は茶を酌む 猿沢の池

手を打てば 鹿は寄り来る 鳥は飛ぶ 下女は茶をくむ 猿沢の池

山川の 末にながるる とちがらも 身をすててこそ 浮かぶ瀬もあれ

河水に 流れ流るる ちから藻も 身を捨ててこそ 浮かぶ瀬もあれ

みる人も みらるる人も うたたねの 夢幻の 浮き世ならずや

木に竹の 無理はいうとも そこが親 いわせて桶屋 たが笑うとも

憂きことは 世にふるほどの 習いぞと 思いも知らで なになげくらん

うつせみの もぬけのからと 身はなりて 我もあらばこそ ものおしはせめ

夏蝉の もぬけて果てる 身となれば 何か残りて ものおじをせん

惜しむとて 惜しまれぬべき この世かは 身を捨ててこそ 身をも助けめ

なぜさすり 大事にするも 手あぶりの つめとうならぬ うちでこそあれ

顔くせを 常にたしなめ とがなくて 世ににくまれて なににかはせん

Dmtfuji.jpg

dendenmushi.gif(2014/05/15 記)
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でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました=その30 臨時特別連載「道歌」 [番外DB]

 若い頃、映画に少しばかり興味を抱いていたことがありました。その頃は、まだ麻布霞町付近も“西麻布”とかいうへんてこな街になってしまう、ずっと前です。青山の墓地下を都電が走っていて、その線路脇にはシナリオ作家協会のシナリオ会館がありました。そこの付属のシナリオ研究所に通っていた頃、小津安二郎や溝口健二や木下恵介などが活躍していたのですが、小津監督の『東京物語』(1953:脚本 野田高梧・小津安二郎)は今でも多くの人がベストにリストアップする名作です。でんでんむしがとくに感心したのは、セリフがすべて日常に使われている、ごく平凡なものばかりで成り立っていることでした。ムリなセリフはひとつもない。
 当時からずっとおじいさんだったんだ…という笠智衆と東山千栄子の老夫婦が、東京のこどもたちと嫁のところを訪ね、尾道への帰りに寄った大阪の三男の家での二人の会話は、深く永くこころに残りました。

  「おなごの子ぁ嫁にやったらおしまいじゃ」
  「幸一も変わりゃんしたよ あの子ももっと優しい子でしたがのう」 
  「なかなか親の思うようにゃぁいかんもんじゃ……」 
  「欲を言やぁ切りゃぁなぁが まぁええほうじゃよ」 
  「ええ ほうですとも よっぽどええほうでさぁ わたしらぁ幸せでさあ」 
  「そうじゃのう…… まぁ幸せなほうじゃのう」 
  「そうでさ 幸せなほうでさぁ……」

kokoro.jpg
30 mark.jpg とりて見よ…

上見れば 及ばぬことの 多かりき 笠見て暮らせ おのが心に

上見れば 及ばぬことの 多かれど 笠ぬぎてみむ およぶ限りを

下見れば 我に勝りし 者はなし 笠とりて見よ 天の高さを

上見れば ほしいほしいの 星だらけ 笠着て暮らせ おのがこころに

急がずば 濡れざらましを 旅人の 後より晴れる 野路の村雨

散りぬれば 後は芥に なる花を 思い知らずも 惑う蝶かな

ころころと 転げやすきは 人心 転げぬように 心して持て

もののふの 矢走のわたし 近くとも 急がば回れ 瀬田の唐橋

きっぱりと 埒の明きたる 世の中に 埒を明けぬは 迷いなりけり

われという その角もじを 折りつくせ 迷い悟りも 忘れ抜くほど

あめあられ 雪や氷と へだつれど とくれば同じ 谷川の水

雪氷 雨やあられと へだつれど 落つれば同じ 谷川の水

Dkamome.jpg

dendenmushi.gif(2014/05/13 記)
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でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました=その29 臨時特別連載「道歌」 [番外DB]

 反省だけならサルでもできる…そんな文句が流行ったときがありましたね。そのお猿さんたちの“軍団”も、ついに解散したようですが、こういうことが流行ると「反省」という言葉が、かなり軽くなって使いにくくなってしまうのがなって困りますね。
 ほんとは「反省」だけでもしたほうが、しないよりはずっといいんだろうと思いますけどね。
 「論語読みの論語知らず」のでんでんむしですが、冒頭の一首がその「学而編」をネタにしてひねっていることくらいはなんとかわかります。
  曾子曰 吾日三省吾身 為人謀而忠乎 与朋友交言而不信乎 伝不習乎
 「曾子曰く、われ日に三たびわが身を省みる。人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、(孔子に)習わざるを伝えしか。」
 一日に三度、三点までとは言わないまでも、朝起きた時くらいはちょっと考えてみて…。うん、それならできるかもしれんと、実はちょっとその気になって習慣化しようとしたこともありました。
 それで? まあ、それは書かないほうがよいでしょう。でもね、朝目が覚めたときには、しばらく頭をあれこれ遊ばせて…。そんなことをこころがけていた、そういう頃もありました。

kokoro.jpg
29 mark.jpg りみて…

暁の 寝覚めになりと 思いみよ 日々に三たびは 省みずとも

奢ったり 遊んだりした 仕返しに 難儀な年の 尻がくるなり

釈迦もまた あみだも元は 人ぞかし われもかたちは 人にあらずや

人のただ よかれと思う いさめごと 耳に入らぬぞ 愚かなりける

人我に 辛きも人を とがめずて 我が身の悪き 影とこそ知れ

道の辺の 草にも花は 咲くものを 人のみあだに 生まれやはする

若きとき 学ばぬ悔いを かみしめる 奥歯なきまで 身は老いにけり

我が宿に やしないおける 犬だにも うち罵りて 責めじとぞ思う

我が善きに 人の悪しきは なきものぞ 人の悪しきは 我が悪しきなり

世の中の 人をあしとも 思うなよ 我だによくば 人もよからむ

こころよく 人事いわず いんぎんに 慈悲ある人に 遠慮ある人

仁は海 義は高山の 姿なり 誰もかくこそ あらまほしけれ

馴れ馴れて いかに親しき 仲なりと 心にふだん 礼をわするな

掃き掃除 礼儀配膳 何事も じだらくにせず 清くととのへ

気もつかず 目にも見えねど 知らぬ間に ほこりのたまる 袂なりけり

なき物を 仕出す宝の 手を持ちて ただおく人ぞ 愚かなりけり

水壺の 水はいつでも 清けれど わが不精から ためる水垢

夜遊びや 朝寝昼寝に 遊山好き 引っ込み思案 油断不根気

悪いとは 知りつつ渡る ままの川 流れて淵に 身を沈めけり

借りるときは 頭の上に いただけど 返さぬ傘は 足下にあり

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dendenmushi.gif(2014/05/11 記)
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でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました=その28 臨時特別連載「道歌」 [番外DB]

 収集した「道歌」は800もあったので、それを並べるのに、どうしようかと迷いました。作者別にもできないし、時代順にもできない。ならば、似たものを集めてグルーピングするしかなかろう…。
 そういう結論にはなったものの、もともとバラバラとできてきたもので、最初から方針やカテゴリがあったわけでもないので、これもかなりテキトーなくくくり方にならざるを得ませんでした。
 たとえば、“今日限り”というニュアンスでまとめようとしたこの項も、一期一会的な意味もあり、千里の道も的なものもあり、一念岩をも的なものやチリも積もれば的なのまで、さまざまにあります。それも、前のグループに入りそこねたような、そんなのがここには吹き溜まりのように集まってしまいました。
 先のことはわからんとはいいながら、なるようになるというのはやめて、日々懸命に生きることを積み重ねていくことが肝心。ひょろひょろした苗木もいつしか大木になるのは、なんとすばらしいことでしょうか。
 前にも出てきたのでダブっていますが、一方で、新渡戸稲造の『武士道』に、忍耐と良心をもって災禍困難に抗し耐えよというのが武士道だとして引かれている、終わりの一首のような強力な自己犠牲の心情に共感するところもありました。これは、山中鹿介(この人は「我に七難八苦を与え給え」で有名な尼子の重臣です。)が作者とする説が、“鹿之介”という講談本で広まった名とともに一般に定着しているようですが、実際はどうなんだろう。でんでんむしは、ちょっと疑問符をつけています。おそらく、七難八苦が有名になって、そういう人ならこの歌も…ということになってしまった?
 ま、そんなこんな、なんでもありのくくりになってしまいましたが、それでも、だらだらとたくさんの歌を並べてみても、読みにくいことこのうえないですからね。ま、この程度で勘弁してくだされ。

kokoro.jpg
28 mark.jpg 日を限りの…

今日限り 今日を限りの 命ぞと 思いて今日の 勤めをばせよ

苦と楽の 花咲く木々を よくみれば 心の植えし 実の生えしなり

小石をも よけてそろそろ はびこりて 木の根はついに 岩をわるなり

千万石 積み重ねたる 米の山も ひとつひとつの 俵よりなる

千里ゆく 道もはじめは 一歩み 低きよりして 高く登りつ

長命を 祈らぬ人は なかりけり まこといのらば 朝起きをせよ

なるように なろうというは 捨て言葉 ただなすように なると思えよ

花見とは 稲の花見が 花見なり 吉野初瀬は そのうえのこと

身にもてる 玉と雖も 磨かずば あたら光の 世には知られじ

身にもてる 心の玉の くもりなば ふみ読むわざも 甲斐やなからん

丹精は 誰知らずとも 自ずから 秋の実りの まさる数々

実るほど 稲はうつむく 人もまた 高き身とても 奢らぬぞよき

昔蒔きし 木の実大木と なりにけり 今蒔く木の実 後の大木ぞ

憂き事の なほこの上に 積れかし 限りある身の 力ためさん

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dendenmushi.gif(2014/05/09 記)
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でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました=その27 臨時特別連載「道歌」 [番外DB]

 どうも「諦観」というのは“あきらめる”ということと同義だから、あまりよいイメージがない。ならば「達観」というのはどうでしょうか
 これには、自分なりの生き方、人生観というものをちゃんと組み立てたうえでの、身の処し方、対応の仕方、日々の暮らし方というものが見えてきます。
 「道歌」のなかには、そういったものを示唆しているものも、結構あるような気もするのです。当然、内容や表現が今の時代には合わないものも多いのですが、そこにはやはり変らぬ人間の、世の中の見方が根底にあり、おのずからそれへの対処法も、言わず語らずに浮き彫りになってきます。
 天があり、地があり、その端境に人が生きている…。そういうスケールでみるとまた違った見方も生まれてくる…。
 でんでんむしが若い頃に読んで気に入っていた道歌のなかには、冒頭の歌もありました。これなんかね、ぶらぶらと暮らしているようでも、ちゃんと胸のあたりには締めくくってあるでしょ、というのがとてもおもしろく、同時にある種の哲学(おおげさかな)が感じられます。
 最後のもいいなあ。稲作の作業というのは、ほんとうに農業の基本であり、試練もかいくぐっていく辛抱が必要です。水が出るかもしれんし、嵐が来るかもわからない。だが、ただ “今日の勤めに 田草取る”というのも、人間の生き方そのものであるように思われてきます。

kokoro.jpg
27 mark.jpg つちと分かれし…

ぶらぶらと 暮らすようでも ひょうたんは 胸のあたりに 締めくくりあり

人はただ まめではたらく こそよけれ ああままならぬ 浮世次郎兵衛

人はただ まめで四角で 柔らかく 豆腐のように 変わらぬがよし

我が身だに 我がままならぬ 世の中に 思うままには ならぬ世の中

舟と水と 仲良くてこそ 世を渡れ 心の荒き 浪風ぞ憂き

行く水に 身をばまかせて 人のため いそしみめぐる 水車かな

水車 みずから臼の みずからは することも知らで 米やしらげん

わが性の 人にかくれて 知られずば たかまのはらに 立ち出でてみよ

悪いこと 人は知らぬと 思うなよ 天に口あり 壁に耳あり

すまば澄め にごらば濁れ 月影の 宿らぬ水の あらばこそあれ

天地と 分かれし中の 人なれば 下を恵みて 上をうやまへ

世の中は 人の上のみゆかしけれ うらやむわれも うらやまれつつ

口ひとつ 過ごす鶏さえ 七つ起き 人と生まれて 朝寝するとは

生業を 勉むる道の 奥にこそ 黄金花咲く 山はありけり

春くれば 夏くるものを 拵えて 今日一日も あだにくらすな

春日から 夏秋の冬の ことをせば 時にあわねど 時にあうもの

この秋は 水か嵐か 知らねども 今日の勤めに 田草取るなり

Dtagusatoru.jpg

dendenmushi.gif(2014/05/07 記)
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でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました=その26 臨時特別連載「道歌」 [番外DB]

 どうも「道歌」のなかを一貫して流れているのは、「諦観」であるような気もします。庶民の味方として、社会の底辺にいる大勢の一般人のこころの指針ともなってきた「道歌」も、しょせんはたんなる「歌」に過ぎない。
 それも、名歌というわけでもなく、どちらかというと狂歌にも近い。
 そういう生活に苦しむ庶民に、なにか具体的な現世利益を提供したり、力を貸したりするわけではない。
 せいぜいがとこ、こころのなぐさめになればよい、癒やしになればよい…。それくらいのことは、つくるほうも、それを受けるほうもわかっていたのでしょう。それでも、力になることはある…。
 それでも、短い歌のなかに、少しでも苦しい自分のこころの支えになり、わずかでもこころが癒されることがあれば、それで充分だった…。
 人の道を教えるほかには、そういう庶民への労りと慰めが、大きく比重を占めていたように思えるのです。
 もちろん、半ば自然発生的な「道歌」 では、誰かが方向を決めて指示をした、カリキュラムのようなものがあったとは思えません。それなのに、こういうひとつの傾向を示しているのが、またおもしろいですね。

kokoro.jpg
26 mark.jpg きことは…

哀れとも うしともいわじ 陽炎の あるかなきかに 消ゆる世なれば

いづくにも 心とまらば すみかえよ ながらへぬれば 元のふるさと

憂きことは 世にふるほどの ならいぞと おもいも知らで 何嘆くらん

憂きことも 知らで千年も 経る田鶴の 清き心に ならへ世の人

鴬が 法華経を説くと いうならば 雀は忠忠 烏は孝孝

美しき 花に良き実は なきものぞ 花を思わず 実の人となれ

おしなべて 心ひとつと 知りぬれば 浮世にめぐる 道も迷わず

思えただ 満ればやがて 欠く月の 十六夜の空や 人の世の中

聞けや人 忠とあしたに 雀の子 孝と夕べに 鴉鳴くなり

暗きより 暗き道にぞ 入りぬべし 遥かに照らせ 山の端の月

ここもうし かしこもうしと 嫌うなよ いずこも同じ 秋の夕暮れ

心より よこしまに降る 雨はなし 風こそ夜半の 窓を打つらめ

聞きしより 思いしよりも 見しよりも のぼりて高き 山は富士が嶺

Dfujinone.jpg

dendenmushi.gif(2014/05/05 記)
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でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました=その25 臨時特別連載「道歌」 [番外DB]

 とかく凡人はどうしようもないもので、わかっちゃいるけどやめられない…というものがあるようです。
 さあ、そうくれば、なにはおいてもまずは色と酒…。
 これについても「道歌」は、当然取り上げているだろうと思ったのですが、案外に数はあまり多くないのです。それに続くはずのギャンブルについては、集めた限りでは、これというものが見当たりません。時代劇なんかでは、賭場の場面なんかしょっちゅう出てくるんですが…。
 「色」については、もっぱら “うわべの皮にまどわされるな”という、ほとんどその一点に焦点があたっているようです。うーん、これはなんでしょうかね。男女の交際もあまり機会もなく自由でなかった時代では、とりあえず外見だけしか…ってことでしょうか。
 「酒」についても、“百薬の長”という決まり文句はあっても、ほとんどといっていいくらい、これを諌めるものはない。せいぜい慎めというくらいです。これは、酒についてはそもそも最初から“悪い”という考えはなく、一定以上に容認するという理解を示しているのかな。ま、それは今とオンナジか…。
 俗にいう“飲む・打つ・買う”も、それ自体を取り上げることが「道歌」の道から完全にはずれるという判断が、どこかにあったのでしょうかね。
 それよりも、よき友をもつべきであるとか、同じつるみむすぶならよきことにかかわれとか、すぐにフォローするほうが重要、というわけかな。

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25 mark.jpg と酒と…

身を忘れ 十重も 廿重も 迷いけり 一重の皮の 美しきには

気も知らで 顔に化かされ 嫁とりて あとで後悔 すれどかえらず

色という 上べの皮に はまりては 世を渡らずに 身を沈めける

老いたるも 若きも同じ 上皮の 色に我が身を 出し抜かれつつ

女郎花 匂うあたりは 心せよ 色香に道を 忘れもぞする

迷うなよ 美人というも 皮一重 醜婦も同じ 皮のひとえに

百薬の 長たるゆえに かえりては また百病の もととなる酒

慎めや 鏡は姿 見すれども 酒は心の 内を見すれば

空渡る 雁の一行 見るにつけ 世にうれしきは 友にぞありける

よき事に むすびてわるき 事はなし 麻の中なる 蓬見るにも

堅けれど 砕くに易き 瀬戸物の 心を知れば ふれぬこそよき

よい仲も 近頃疎く なりにけり 隣に倉を 建てしより後

勇の字は マことの頭 田けき腹 力あふるる 姿なりけり

世の中の 親に孝ある 人はただ 何につけても 頼もしきかな

利口ぶり 言葉多きと 片意地と 短気不律儀 嘘にてもすな

若きこと 二度はなしとて 楽するな 年は寄りても なぐさみは金

世の中の 人のためとて 身を削る 鰹節こそ 味の王なれ

Dhanasyoubu.jpg

dendenmushi.gif(2014/05/03 記)
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でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました=その24 臨時特別連載「道歌」 [番外DB]

 “使い勝手のよい言葉”というのがあって、その代表格であった「がんばってね」「がんばろうね」というのが、「がんばらなくていいのだ」とか「がんばろうとするのがいけない」いった主張(これも特定の事例についての話がじわじわ拡散して)がどんどんハバを利かせてきて、最近ではだんだん使いにくくなってきましたね。
 相手の不運や不幸をいたわり思いやる言葉としては、「気の毒」というのはなかなか便利な、使い勝手のよい言葉です。
 これも汎用性は高いのだけれども、考えてみるとこの言葉、当事者以外同士で使うにはいいのだが、当の不運や不幸の本人相手に向かって直接言うには「お」をつければ使えるけど、多用はできない。
 「毒多き 毒の中にも 気の毒は なにより毒な ものでこそあれ」という道歌で初めて気がついた…。こういうことも結構多いのです。
 これは他人が気の毒なのではなくて、自分自身の「気」の「毒」に当てられている、ということを言っているのですね。そこに気がつかなければならない…。
 そうか、そうだった。三木鶏郎の作詞作曲で宮城まり子が歌った歌にもありました。「目の毒 気の毒 河豚の毒 ああ 毒けしゃいらんかネ〜」。
 人間の発する毒で、いちばん警戒すべきは「欲」だと、昔の人はわかっていました。
 そして、それこそがすべての「争い」の元であることを…。

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24 mark.jpg   いは欲…

欲深き 人の心と 降る雪は 積もるにつけて 道を忘るる

どんよくの 心を種に 植えおきし こがねの花は 散りやすきなり

落ちて行く 奈落の底を 覗き見ん いかほど欲の 深き穴ぞと

おのが身の 主人を知らで 欲という いたづらものに まかすあぶなさ

兄弟の 中も互いに 敵となる 欲は激しき 剣なりけり

欲深き 人の心と 降る雪は 積もるにつけて 道を離るる

おそるべし 欲のほのほは 激しくて 我が身も家も 人も焼くなり

物事の 一つかなえば また二つ 三つ四つ五つ むづかしの世や

毒多き 毒の中にも 気の毒は なにより毒な ものでこそあれ

世の毒は 口から入れど 気の毒は 目から鼻から 耳からも入る

仮の世の 仮の宿りの 仮垣に なわばりをして 長短とは

兄弟が 田を分け取りの 争いは たわけものとや 人のいうらん

あらそいの 握り拳も 開くれば 可愛いと撫でる 同じ手の先

あらそいは げに山びこの こだまかや わが口故に 先もかしまし

あらそわぬ 風に柳の 糸にこそ 堪忍袋 ぬふべかりけれ

ありという 人に地獄は なかりけり なしと思える 人にこそあれ

じひもなく 情も知らぬ ものはただ 人の皮着る 犬とこそ見れ

Dhanaikada.jpg

dendenmushi.gif(2014/05/01 記)
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でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました=その23 臨時特別連載「道歌」 [番外DB]

 重森完途(カント=東福寺などの作庭家として有名な重森三玲(ミレー)が父)の本を読んで日本庭園に興味をもったのは10代の終わり頃で、さっそく京都の名園めぐりに出かけたものでした。竜安寺にもそのときに初めて行ったのですが、なんか有名な石庭よりも印象に残ったのが、裏庭の東の隅に置かれていた小さな蹲(つくばい)でした。
 「知足の蹲」といわれるそれは、お釈迦様の教えのひとつを具現化したものだったのですが、えらくそれに感銘を受けたものです。以来、「吾唯足知」はでんでんむしの座右の銘となったのですが、何度目かに竜安寺へ行ったときに見た蹲は、なにか様子が変でした。置いてある位置が、最初に見たときと違うのです。方丈の北側の外回廊の角にあるので、「こんな場所では、第一つくばいの役目を果たさないではないか」と思ったものです。
 その写真が探し出せないので、竜安寺のホームページを見てみましたら、その位置はやはり方丈の裏庭の中央で、しかもその説明は、よく探さないとわからないほど目立たないものでした。
 得意の勘ぐりを働かせてみるに、お寺としてはさして重視していないが、団体客などが集まって覗きこむのに都合が悪いので、廊下に集まって覗き込むのに便利なように場所を移したのではないか…。
 お寺としては、それで充分に事足りた、ということでしょうか。
 それとね、これ気に入ったのは、もうひとつ「吾」と「唯」と「足」と「知」に共通する「口」を中央の方形の水面にしてしまうという、なんとも洒落た遊びごころ…。うまいなぁ…と思ったものでした。

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kokoro.jpg
23 mark.jpgるを知る…

たることを 知るこころこそ たから舟 世をやすやすと 渡るなりけり

事足れば 足るに任せて 事たらず 足らせ事足る 身こそ安けれ

乏しかり 時を忘れて 食好み このみの多き 秋の山猿

道ならぬ 物をほしがる 山猿の 心からとや 縁に沈まん

千畳の 座敷持ちても なにかせん たった寝床は たたみ一枚

千両箱 富士の山ほど積んだとて 冥土の土産に なりはすまいぞ

身を思う 心は身をば 苦しむる 身を思わば 身こそ安けれ

身のほどを 知れと教えし 伊勢の神 今もわら屋の 宮にまします

身を知らば 人の咎にも 思わぬに 恨み顔にも ぬるる袖かな

思うこと ひとつかなえば またひとつ かなわぬことの あるが世の中

事足れば 足にも慣れて 何くれと 足がなかにも 猶嘆くかな

足る事を 知りからげして 身を軽く 欲の薄きに 福と寿はあり

破れたる 衣を着ても 足ることを 知ればつづれの 錦なりけり

むりなりと 思いながらも いいかかる 性を性にと するは人かは

成功を 急げば無理の 出るものぞ 無理のないよう 無理のないよう

思うべし 人はすりこぎ 身は杓子 思いあわぬは われゆがむなり

姑めの 杓子当りが ひどければ 嫁ごの足が すりこぎとなる

何事も 時ぞと思え 夏来ては 錦にまさる 麻のさ衣

Dthukubai.jpg

dendenmushi.gif(2014/04/29 記)
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でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました=その22 臨時特別連載「道歌」 [番外DB]

 “正直であれ”という教えは、洋の東西を問わないのでしょうか。たいていの人が、正直といえば “ワシントンと桜の木”の逸話を思うことでしょう。でんでんむしもそうでした。道歌はすぐには浮かばなかったけど、この話はすぐに思い出した…。
 で、ふと考えました。この話、ほんとにアメリカ人の間でもそんなに知られているのだろうか? あるいは、日本人向けにつくられたのではないか…。
 そこまで疑いたくなるほどで、第一そんな以前からアメリカにサクラがあったのなら、日米修好で日本から贈られポトマックに植えられたサクラ(最初に日本から贈ったのはダメになって、いまのは二代目だそうですが、あれをみると日本のサクラと比べてもずっと美しい環境できれいに咲くのでちょっと凹んでしまいます)なんか、めずらしくもなんともなかったんじゃないか…。
 でもね、長いこと生きてくると、つくづく「正直の大切さ」がわかってきますよ。ホントです。結局、それがいちばん楽でうまくいく秘訣なんですね。
 そして、それこそが「身を軽く」して生きていくことにつながります。これってすごく重要なことのように思えます。
 ひいては、極楽の道にも至る…ってなことをいうと、やっぱりこじつけで嘘くさくなってしまうかなぁ。

kokoro.jpg
22 mark.jpg   を軽く…

正直の 神はやどると 頭から 足の先まで 無理非道すな

正直に 建った柱は 細くとも 羽ありもつかず 朽ちもせぬなり

正直に 人の心を 持つならば 神や仏の 守りあるべし

正直に 起きて守れば おのずから 神がみ我を守りたまうぞ

正直の 胸のうちこそ 浄土なれ 仏もあれば 極楽もある

正直の 杖を力に ゆくこそは 欲に目のなき 人にまされり

正直の 頭に宿る 神こそは 家繁盛の 元結なるべし

正直を 心にかけて ますかがみ かげひなたなく つとめ働け

身を軽く こころ素直に 持つ者は あぶなそうでも あぶなげもなし

世にあうは 左様でござる 御尤も これは格別 大事ないこと

世の中は 諸事おまえさま ありがたい 恐れ入るとは 御尤もなり

片寄らず 我が身は船と 心得て 時勢の風に 逆らわず行け

不理屈を いうていっぱし われひとり 理屈のように 思う世の中

降ると見ば 積らぬ先に 払えかし 雪には折れぬ 青柳の糸

降るままに 靡き伏しつつ なよ竹は なかなか雪の 折るべくもなし

真っ直ぐに 行けば迷わぬ 人の道 横筋交いに 行きて尋ぬる

嫁入りの その日のことを 忘れずば 婿姑に きらわれはせじ

西へ向き 十万億土と 思えども よくよく見れば 弥陀は目前

西ばかり 弥陀の浄土と 思いつつ みなみにあるは 誰も悟らず

極楽は 西にあれど 東にも 来た道さがせ 南にもあり

苦も楽も ただ打ち捨てて 何となく いきのおわるを 仏とはいう

念仏も うわの空では 後の世の ためにもならず 寝言同然

極楽は いづくのはてと 思いしに 家業精出す 出直しの門

極楽は はるけき程と ききしかど 勉めていたる ところなりけり

極楽は 十万億の 先ならで 誠の心 これが極楽

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dendenmushi.gif(2014/04/27 記)
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でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました=その21 臨時特別連載「道歌」 [番外DB]

 1963(昭和38)年に始まったNHKの大河ドラマも、還暦が近くなってきましたね。ちょうどこの放送が始まった頃からでしょうか、山岡荘八の『徳川家康』が経営に役立つ“経営者のバイブルだ”とか持ち上げる人があって、企業経営者の間で人気になったことから、出版界では大ブームが起こります。
 そんなビジネスの端っこにぶら下がっていたでんでんむしは、ばっかじゃないのかと思っていたものです。若かったこともありますが、そういうものからしか教訓が得られないといわんばかりの動きに、追随する気にはなれませんでした。
 さしものブームも終わって、講談社文庫で出てから、その全26巻を買って読んだものです。いやあ、とてもおもしろかったなあ。近年では中国で『徳川家康』がよく読まれて、またあちらでブームになったんだそうですね。こっちは『三国志』を読んでいるのに…。そんなふたつの国がいがみ合うなんてことは、ないようにしたいものですがねぇ。
 戦国武将ブームは、その後も世を変え人を変えて相変わらず続いています。2014年の大河ドラマは「黒田官兵衛」ときましたね。徳川も秀吉も何回もやったので、もうぼつぼつこのへんにくるというわけですか。このあたり、結構さじ加減がむずかしく、あんまり有名でない小物では客がついてこないし、大物はだいたいやってしまったし…。
 武将と道歌というのも、たくさんありそうですが、作者名が取れているため、さほど明確ではありません。もっとたくさんありそうですが、でんでんむしが知らないだけかもしれません。
 有名なのは、初めのほうでふれた上杉鷹山がありますが、武田信玄の「人は城…」ですね。これはなかなか含蓄に富んでいるという点でも、秀逸といえるでしょう。
 じゃ、官兵衛こと如水さんの道歌は…というと、そんなに都合よくはなさそうです。ただし、黒田如水の名言のようなものはいくつか伝わっていて、
 「天下に最も多きは人なり。最も少なきも人なり。」とか、息子の部下指導に関して「おまえは時々、部下を夏の火鉢やひでりの雨傘にしている。」とか注意していたようです。
 そういう点では、その内容に近い道歌もありますね。

kokoro.jpg
21 mark.jpg は情けと…

人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 あだは敵なり

人多き 人の中にも 人ぞなき 人になれ人 人になせ人

めしつかう ものの心を その主の めをかけぬこそ わかれはじめよ

主だにも 心まかせに あらなくに 使うる者を いかにせめけん

世にあれば 人も集まり きたれども おちぶれぬれば とう人もなし

おちぶれて 袖に涙の かかるとき 人の心の 奥ぞ知らるる

水鳥の ゆくもかえるも 跡たえて されども道は 忘れざりけり

客あれば 犬だに打たぬ ものなるに 科ありとても 人な叱りそ

ほめばほめ そしればそしる 山彦の 声にも人は 情けとぞしる

慎みは 朝夕なるる 言の葉の かりそめごとの うえにこそあれ

慎みを 人の心の 根とすれば 言葉の花も 誠にぞ咲く

何事も みつれば欠くる 世の中の 月を我が身の 慎みにみよ

世の中を 恥じぬ人こそ 恥となれ 恥じる人には 恥ぞ少なき

何事も 我をあやまり 順いて 負けてさえいりゃ その身安心

はしなふて 雲のそらえは のぼるとも おれがおれがは 頼まれはせず

おのが目の 力で見ると思うなよ 月の光で 月を見るなり

苦しみて 後に楽こそ 知らるなれ 苦労知らずに 楽は味なし

何一つ とどまるものも ない中に ただ苦しみを 留めて苦しむ

春雨の わけてそれとは 降らねども 受くる草木は おのがさまざま

一生は 旅の山路と 思うべし 平地は少し 峠沢山

Dminatokiri.jpg

dendenmushi.gif(2014/04/25 記)
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でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました=その20 臨時特別連載「道歌」 [番外DB]

 天文学の分野では初期の頃から、天体の運行についてはかなりのことを把握していたようです。種を蒔けば芽が出てやがて作物がなることも、季節が移りそれを繰り返していくことも、そしてそのなかで人間が産まれて生きてそして死んでいくことも…。
 でんでんむしは、この悠久の時の流れに、刻みをつけそれを数えあげて記録して、暦をつくったことこそ、人類の最大…かどうかは別にしても大変な発明であったと思っています。
 物理学者の間でも、時間に関する研究は、なかなか難物中の難物なのではないでしょうかね。まして、素人においては、まったく理解できることがない。こないだもホーキング博士が出てくるNHK-BSの番組を見たけれども、やっぱり…。
 ま、そんなややこしいことはおいといて、月日の経過と歳月の積み重ね、そして繰り返しながらめぐっていくそのなかで、天と地の間で、生きていかなければならないわれわれとは…。
 あ、そうだった、ややこしくしてはいかんね。昔の人はこれとどう向き合っていこうとしたんでしょう。つらつら、眺めるだけでね。
 時の過ぎゆくままに、この身をまかせ…。

kokoro.jpg
20 mark.jpg  と日と…

昨日といい 今日と暮らして あすか川 流れて早き 月日なりけり

引き留めて 止まらぬものは 月と日と ながるる水と 人の命よ

若いとて 末を遥かに 思うなよ 無常の風は 時を嫌わじ

後の世と 聞けば遠きに 似たれども 知らずや今日も その日なりとは

夏草の おのが時とや しげるらん 霜にもあはむ 秋も思わで

朝起きて 夕べに顔は 変わらねど 何時の間にやら 年は寄りけり
 
明日ありと 思う心に だまされて 今日をむなしく 過ごす世の人

一刻の 未来のほども 計られず いかで一時を あだに過ごさん

今さらに なにおどろかん 神武より 二千年来 くれてゆく年

花は根に 鳥は古巣に 帰るとも 人は若きに 帰ることなし

米蒔いて 米が生えれば 善に善 悪には悪が むくゆるとしれ

徳は本 財は末とて 陰徳を 積めば陽報 ありとこそすれ

何事も 今日の楽しみ すぎぬれば 明日は必ず 苦しみとなる

水の中を 尋ねても見よ 波はなし されども波は 水よりぞ立つ

物食うて 遊び暮らした そのかわり 末は食わずに 駆け回るなり

我が為を なすは我が身の ためならず 人の為こそ 我がためとなれ

わがばかを ばかと心の つかざれば 人のばかをば そしる世の中

世の中に 蒔かずに生えし ためしなし 蒔てぞついに 運や開けん

麦蒔けば 麦草生えて 麦の花 咲きつつ麦の 実る世の中

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dendenmushi.gif(2014/04/23 記)
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でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました=その19 臨時特別連載「道歌」 [番外DB]

 “壁に耳あり 障子に目あり”と、“油断大敵”を諭す「道歌」です。ここらへんになると、もう道を教えるというより、浮世をうまく渡るうえでの心得のようになってきます。
 実は、こういう処世の知恵的なものも「道歌」の大きな特徴といってよいでしょう。今ならば、人生相談の回答者がいうようなことだとか、いかにうまくやるかを教えてくれる自己啓発本の内容のようなものまで多くなってきます。
 これらは、一見するとどうということもない、ごく平凡で当たり前のようなことを、ことさら言っているような感じもしないでもありません。
 しかし、単純なことに真理があるのも事実で、改めて心に響くということもあるかもしれませんね。
 「天知る地知る人の知る」こういう昔から言われてきたことをご存知ない人は、政治家とかになっちゃぁいけませんよね。
 でんでんむしも、この項では最後の一首、おおいに自戒していかなければ、と思いました。

kokoro.jpg
19 mark.jpg 断こそ…

悪しきこと 人は知らぬと 思えども 天に口あり 壁に耳あり

誰知ると 思う心の はかなさよ 天知る地知る 人の知るなり

壁に耳 石のものいう 世の中に 人知れずとて 悪しきことすな

いつとなく 見知る聞き知る 蚤の息 天に通うと いう例えあり

壁に耳 石のものいう 世なりけり 露ちりばかり 盗みはしすな

人知れず 暗きところで なす業も 世に白波の 立たでおくべき

垣壁も 人の目口と 思いつつ 見聞かんことを 語りはしすな

知るまいと 思う心の 愚かさよ 月日の眼 あきらかに照る

りょうけんし いかにかくすと 思へども ただよく人の しるは世の中

あこがれて 出てゆく後の 柴の戸に 月こそやがて 入り代わるらむ

油断より 小事大事に なるものぞ こころをつけよ 事の初めに

ゆだんすな いたずらものの 我が心 日々に直して よく使うべし

油断こそ 大敵なりと心得て 堅固に守れ おのが心を

ゆだんすな 身は鴛鴬の 仲なりと 淵瀬にかかる 人の心ぞ

ゆだんすな 比翼連理の 仲なりと 淵瀬に変わる 人の世の中

甘いかと 思えば渋が またかえり 油断をすれば 恥の柿の実

折りえても 心許すな 山桜 さそうあらしの 吹きもこそすれ

心せよ 蛍ほどなる 煙草の火 心ゆるせば 早鐘の音

小敵よ 弱き敵よと 油断すな あなどる故に 負けをこそとれ

束の間も 油断をなすな 一時が 千里の違いと なると思いて

用心の 良いも悪いも その家の 主ひとりの 了見にあり

世渡りは 浪の上いく 舟なれや 追手よきとて 心ゆるすな

わざわいの 門口なれば 油断なく 心の内の 慎みをせよ

大石に つまづくことは なしとても 小石につまづく ことな忘れそ

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dendenmushi.gif(2014/04/21 記)
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でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました=その18 臨時特別連載「道歌」 [番外DB]

 まことに人間とはややこしいめんどくさいものでありますが、多くの場合人が己が口から発する言の葉ことばによっていろいろなもめごとの種が蒔かれてしまいます。では、よけいなことは言わずに、徹底的にただ黙っていればいいかというと、そういうわけにもいきませんよね。
 また、ことばを尽くして真の相互理解に達することもあります。しかし、それはまた現実の世界では、滅多にうまくいきません。日常でもよかれと思っていろいろことばを多くすると、思わぬ副作用が生じたりすることもあります。
 昔から人間というのは変わらないもので、「道歌」のなかでも人の言の葉、人の口端、人の口についてはたくさんの教訓を垂れています。
 この項冒頭の一首などは、「なにもいわずに いよすだれ そのよしあしは」と二重のかけことばという歌作の伝統を踏まえながら、なかなかの教養をも示しているのです。
 「伊予簾などかけたるうちかづきて、さらさらと鳴らしたるもいとにくし」(『枕草子』「にくきもの」の段)とか、「やをら、のぼりて、格子の隙あるを見つけて、より給ふに、伊予簾はさらさらと鳴るも、つつまし」(『源氏物語』の柏木の巻)などと、古来から名高い伊予産の簾を、さりげなく使っています。
 現在でも、愛媛県上浮穴郡久万高原町の露ノ峰の標高700メートル付近の山腹に自生する笹を使って、町の天然記念物とする一方で、地域の高齢者が中心になってすだれづくりの伝統も守ろうとしているようですよ。「道歌」もなかなか勉強になります。

kokoro.jpg
18 mark.jpg わざるもまた…

世の中は なにもいわずに いよすだれ そのよしあしは 人に見え透く

浅き瀬は 波風高く 聞こゆれど 深き浦には 音はなきなり

人まえに 思案もなくて ものいうな 言いていわぬに おとることあり

何事も われ知り顔の 口たたき 詰めたる樽は 鳴らぬものかな

言うべきを 言わざるもまた 言わざるを 言うも道には かなわざりけり

善きことは 大いに広め 悪しきをば 見ざる聞かざる 言わざるぞよき

雑談に 心の奥の 見ゆるかな 言の葉ごとに 気を使うべし

つつしみを 人のこころの 根とすれば ことばの花も まことにぞ咲く

空言は ことに妄語の 罪ふかし 我が身もまどい 人もそこなう

月も日も さやかに照らす かいぞなき この世の人の うわの空言

むつかしや ねといくどいや 無用なる ことをばたずねき かであるべき

偽りの なき世なりせば いかばかり 人の言の葉 うれしからまじ

恐るべき 槍より怖き 舌の先 これが我が身を つき崩すなり

かりそめの 言の葉草に 風立ちて 露のこの身の 置き所なし

ご主人の 内のことをば 外に出て よしあし共に いうなかたるな

三寸の 舌で五尺の からだをば 養いもする 失いもする

たれ込めて 己にただせ 世の中の ほめる言葉も そしる声をも

虎に乗り 片割れ船に 乗るとても 人の口端に 乗るな世の人

人のこと 我にむかいて 言う人は さこそ我がこと 人にいうらん

人ごとを 我にむかいて いう人は さぞ我がことも 人にいうらん

世の中は 虎狼もものならず 人の口こそ なおまさりけれ

今日ほめて 明日悪く言う 人の口 なくもわらうも うその世の中

涼しいけりゃ 涼しすぎると 人の口 戸はたてられぬ 夏の夕暮れ

天地の 開けぬ先に 歌うらん 卵の中の にわとりの声

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dendenmushi.gif(2014/04/19 記)
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でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました=その17 臨時特別連載「道歌」 [番外DB]

 理屈はわかるけど実際はね、理想と現実は違うしね、一面ではそれも正しいとは思うけど、まあしょせんはきれいごとだよね…。
 あまり的を射ていると、人間誰でもそういう反応をしがちですね。「道歌」も、そのとおりかもしれないけど、なかなかそうはいかんよね、ということが多いことでしょう。
 けれども、大切なのはその真実の一面なりとも知る、意識するということではないでしょうか。「道歌」の使い方は、その程度でいいのだろうと思えます。
 人間関係や毎日の仕事勤めのなかで生じるごたごたや悩みは、いつの時代にもつきないものです。それを割りきって乗りきる呪文のひとつがこれだと、「道歌」は教えてくれます。
 まあ〜るく、まーるく…。
 自分の勤め役割をよくよく考えて、相手の気持ちになって、まろまろといけというのです。それもそうだな〜。
 一首目と二首目は、まったく反対の視点から逆のことを言っていますね。
 ところが、これ、どっちが正しいというのではなく、どっちも正しい…。
 こういういうのも道歌には多く、それがまた世の中だと言っているようです。
 もっとへそまがり向きには、世渡りは“狂言綺語*”の芝居だと思えというのですが、そこまでいかなくとも、ねえ…。でも「役」を演じるという意識も、ときには役に立つことがあります。
 *狂言綺語(きょうげんきご・〜きぎょ)=道理に合わないはずれた語や表面だけ飾り立てた語。虚構ばかりで文を飾る小説・物語・戯曲などを卑しめる言葉。
 
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17 mark.jpg なれや…

まるなれや ただまるかれや 人心 かどのあるには 物のかかるに

まるくとも 一角あれや 人こころ あまりまるきは ころびやすきに

かどあれば 物のかかりて むつかしや 心に心 まろまろとせよ

つのという ものは心の 角をいう ことに女は こころ円かれ

あいあいの 返事一つで 天地も 人もわが身も 円く治まる

家内中 仲のよいのが 宝船 心やすやす 世を渡るなり

はじめより 嫁をいたわる 姑は わが身にも よく家も栄えん

世の中は 仲のよいこそ 仏にて 人をも助け わが身も安楽

世を渡る 道はと問わば とにかくに 夫婦睦みて 親子親しめ

和合せず 仲悪しければ 地獄なり 仲がよければ いつも極楽

つとめても また勤めても つとめても 勤めたらぬは つとめなりけり

器用さと 稽古と好きの 三つのうち 好きこそものの 上手なりけれ

つるべなは おりつあがりつ 働きて ふづとめはせぬ 非番当番

花になり 実になる見れば 草も木も なべて務めは ある世なりけり

笛吹かず 太鼓たたかず 獅子舞の 後足になる 人もあるなり

世渡りは 狂言綺語と 同じこと 上々も役 下々も役

人使う 身になればとて 使わるる 心となりて 人を使えよ

寒に耐ふ 梅も操の 高ければ 慕いくるらし 谷の鴬
 
慈悲の目に 悪しと思う 人はなし とがある身こそ なおあわれなれ

慈悲もなく 恩をも知らず 無道なる 人の心は 狗におとれり

他を恵み 我を忘れて 物事に 慈悲ある人を 仁と知るべし

わが恩を 仇にて返す 人あらば またそのうえに 慈悲をほどこせ

慈悲じゃとて 施すものは 虚栄心 受ける者には 増す依頼心

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dendenmushi.gif(2014/04/17 記)
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