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1518 よどの岬=鹿角郡小坂町十和田湖(秋田県)鉛沢と鉛山と鉛山峠を越えた向こうにあるもの [岬めぐり]

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 前述の2009年の「広報とわだ」の記事には、青森県と秋田県の十和田湖上の境界線の設定が図で示されている。線一本だってそう簡単ではない。なかなかお役所のやることは細かくて念が入っているが、こと自分たちの縄張りを決める境界線となれば、なおのことだろう。
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 なにしろ自治体の面積は、交付金の額などにも直接影響してくるらしい。
 湖の水面上の境界線は直線で示されているが、神田川の河口から北西にまっすぐ伸びた線は、よどの岬の沖合で、急に向きを北北東に変え、そのまま今度は湖の北の御鼻部山を目指している。
 その転回点が、ちょうど南の猿鼻岬と北のよどの岬を結ぶ正三角形の頂点に当たっているように見えた。厳密には三辺の距離は均等ではないので、正三角形ではないがほぼそれに近い。
 猿鼻岬とよどの岬は、境界線の位置決めのときには、なんらか役割を果たしたのかもしれない。
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 十和田湖西岸の岬へは、国道454号線を北へ辿れば、それぞれ行くことはできるのだが、なにせ交通手段がない。西岸にある十和田ホテルとか、十和田プリンスホテルに泊まることにすれば、ホテルの送迎車で運んでもらうことができる。それも考えてはみたのだが、結局今回の計画ではそううまくいかなかった。したがって、以下もすべて船または休屋方面からの遠望のみになる。
 それらのホテルも営業は11月半ばまでで、春は4月も終わる頃でないと再開しない。冬季は長い休業期間に入っている。バスも遊覧船も止まっている今時分は、湖岸も雪にうめつくされ白い世界になっているのだろう。
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 よどの岬の南側、緑の山の中に赤い屋根がみえるところがある。これが十和田ホテルであろう。その後ろには、山腹に崖が巻いているちょっと凸凹した山容が存在感を示している、標高900メートルほどの鉛山がある。
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 ホテルの奥には、谷と沢が続いているはずだが、遠目ではさっぱりわからない。その鉛沢という沢を詰めて行くと鉛山峠を越えて、十和田湖の西側の盆地に広がる秋田県鹿角(かづの)郡小坂町(こさかまち)の中心に出ることができる。その山道は、昔の主要なルートであったが、現在ではもっと南の発荷峠から分岐する樹海ラインという自動車道が通っている。十和田湖と小坂の街への往来は、そのルートだけのようだ。
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 十和田湖畔に鉛山や鉛沢があるのも、この一帯には広く鉱床が分布していた小坂鉱山の一部だった時期があり、残された山や峠や谷や沢の地名はそのことをわれわれに伝えようとしているのだろう。Googleマップによると十和田ホテルの近くには、現役で営業中の鉛山鉱業という会社もあるようだ。
 小坂は、江戸時代から南部盛岡藩が鉱山を経営していたくらいで、40年くらい前までは小坂鉱山といえば結構羽振りがよかったらしい。なにしろ、明治末期から大正初期にかけては、日本最大規模の鉱山だったというのだ。ここを「銅山」としている情報もあるようだが、ことはそう単純簡単ではない。
 緑色凝灰岩(グリーンタフ)については、前にもふれているが、この地帯に産する鉱床に黒鉱(くろこう)がある。黒鉱は銅や鉛、亜鉛、金、銀などの多くの有用金属が含まれている黒い鉱石で、高品質のうえ採算性にもすぐれていて、日本では非常に貴重な鉱床とされてきた。黒鉱は日本独自のものとされていた時期もあったようで、kurokoは世界で通用する用語だという。
 一説には、日本の銅、鉛、亜鉛の約半分が黒鉱鉱床から生産されたといわれるほどだが、その三大黒鉱鉱床が、大館など秋田県北部の十和田湖南西側に集まっている。小坂鉱山は、そのひとつだったのだ。
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 しかし、それも昔の話、1994(平成6)年を最後に国内の黒鉱鉱床はすべて閉山してしまっている。小坂鉱山がまだ活動していた1980(昭和55)年には、黒鉱鉱床から産出した銅の生産量は3万4000トンで、国内総生産のうちの67%を占めていた。同様に鉛は3万トンで50%を占めていたから、銅と鉛については半分が黒鉱からというのは事実である。その頃、一度閉山した後で新鉱床が発見された小坂鉱山では、1980年の粗鉱採掘量は約68万トンあって、従事者も約1300人を数えたという。今は重要文化財として残るその鉱山の関連施設の建物などにかつての面影をみるくらいだろうが、精錬所やリサイクル事業は現在も続いているらしい。
 黒鉱と小坂鉱山の関係、久原房之助と製錬技術のことなど、もっともっと書くべきことはありそうだが、岬めぐりではあまり深入りしないで、適当なところで切り上げておくのがコツ…。
 なにしろ、山を眺めてその向こうを想像しているだけなんだから。

▼国土地理院 「地理院地図」
40度26分34.78秒 140度50分42.17秒
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dendenmushi.gif東北地方(2017/09/06 訪問)
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1517 猿鼻岬=鹿角郡小坂町十和田湖(秋田県)廃藩置県以来137年目にしてやっと確定した十和田湖の境界線は6:4で線引 [岬めぐり]

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 何本も枝分かれした長い支流を持つ宇樽部川は、十和田湖に水を流し込んでいる最大の河川だが、休屋港を中心とする休屋の集落の南側を流れている神田川は、それに次ぐものと言ってよいのだろうか。この神田川が、青森県と秋田県の県境を流れている。この川の名は東京の神田川とは関係なくて、流域に神田という字地名があるからだろう。
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 港の桟橋で遊覧船を降り、400メートルも歩くと、この川に行きあたる。川とは言っても、水量はわずかしかないし、幅も広くなく、ほんの溝のような川だが、なにしろ県境の川だ。ちゃんとそれを示す標識看板も立っている。
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 青森県側の神田川右岸は、ビジターセンターやバスのりばもある広い園地になっていて、秋田県側の左岸は、数軒のホテルや旅館のような建物が集まっている。園地に架かる橋には、両国橋という名が付けられている。
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 陸奥国と出羽国のふたつの国にまたがるという、大きな名をもった小さな橋というつもりなのか…。
 いやいや、この両国橋の名は近年になって青森と秋田の境だからと、洒落センスで付けられたものだろう。道が遊歩道であること、橋の大きさやその佇まいからみても、昔からの道路ではない。もし、そうでなければ、後世の人間の思い込みによるもので、ずっと昔からはこの場所でそういうふたつの国という認識はなかっただろう。その点で、武蔵国と下総国を結ぶ橋だったところからついた隅田川の両国橋とは、大きさだけでなくかなり違うのではないかと思われる。

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 なぜならば、江戸時代の藩幕体制下では十和田湖の一帯全部が南部(盛岡)藩の所領となっていたのだから…(とは言えその境界区分も明確ではなかったはず)。1871(明治4)年の廃藩置県のときに、南部藩の一部が津軽藩とともに青森県になったことは、前にもふれたところだが、このときに十和田湖の東側は青森県で西側は秋田県という大雑把な線引がされ、湖水面の境界についてはちゃんと決めていなかったらしい。
 それが2008(平成20)年に青森県と秋田県、青森県十和田市と秋田県小坂町の間で、湖面の線引が行なわれて正式に確定している。なんと廃藩置県以来、137年目にして、やっとはっきりしたというわけだ。
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 現在の地図で、明確に直っすぐな線で引かれた境界線は、かつて青森県十和田湖町と秋田県小坂町の間で行なわれていた交渉の経緯も引き継いで、中山半島は十和田市とし、双方が主張する境界の中間線をとることで決着することになったその結果であるようだ。そのため、全湖面の面積比では青森6、秋田4の割合になった。
 …と書いてみたのは、そのほう(線引の結果湖面の割合が決まるというほう)が一見合理的と思われたからだったが、よく調べてみるとどうやらそうではなかったらしい。
 2009(平成21)年の「広報とわだ」によると、6:4というお互いの領有比率のほうが先にあって、それに合わせて線引をしたというのが真相らしい。(このあたりがネット情報にある新聞記事などでは、曖昧な書き方がしてあるので、ついそう誤解してしまった。)
 2003(平成15)年の十和田町と小坂町の議会による「十和田湖境界に関する特別委員会」の合意内容に「湖面部分は、青森県(十和田湖町)6割、秋田県(小坂町)4割の比率で分割する」という文言が入っていたので、それを踏襲したようなのだ。
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 6:4の理由はふれていないのでよくわからないが、十和田町側には宇樽部や休屋といった街もあり、十和田観光の出入りルートと拠点があるのに対し、小坂町の中心は湖の近くにはなく、秋田県側の湖畔は、どこも山が取り巻いていて、集落もあまりない。
 神田川を通る県境は、細い流れを湖に注いでいるが、河口の先、対岸が猿鼻岬になる。この岬の所在地は、秋田県鹿角郡小坂町となる。
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▼国土地理院 「地理院地図」
40度25分55.98秒 140度51分6.12秒
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きた!みた!印(27)  コメント(2) 
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1516 中山崎=十和田市奥瀬(青森県)中湖と西湖を分けるここで青森県の岬はおしまいに [岬めぐり]

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 潮の干満がないこと、極端な波浪の影響を受けにくいことなどから、海岸線の岬とはずいぶんその趣を異にしているのが湖の岬だろう。水面と岬の接線がほとんどくっついていて、水の上にすぐ木々がかぶさっていて、水鏡はそのさまを写しとっている。そんな風景が見られるのは湖ならではで、それがまた独特の美しさを醸し出しているようだ。
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 とくに中山崎のように、単独でしっかりと長く飛び出している岬は、いっそうその感が強く、さらに言えば高く大きな山がないことも、一幅の絵のようにフレームの中に適当にハマりやすい。
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 中山半島もこの中山崎で終わり、同時に中湖の深い穴も、この岬の東で終わり、断崖が湖底をせり上がっている。中山崎の先端を回り込むと、そこは水深60〜70メートルしかない西湖に入る。
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 船が南へ下って行く半島の西岸ではほかに岬はないが、錦ヶ浦、九重浦、御前ヶ浜と続くなかに、大小いくつかの島が点在する。その南東側奥が休屋。西の対岸は、青森県ではなく秋田県。
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 遊覧船が発着する休屋港もある休屋の街の北にある御前ヶ浜までは、徒歩遊歩コースになっているらしい。観光地十和田湖の中心は、東湖の宇樽部ではなく、また湖岸のアプローチがない中湖でもなく、西湖の休屋地区が中心になっているようだ。
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 観光地十和田湖のシンボルになってもいる「乙女の像」も、御前ヶ浜にある。像といえば日本最深度の田沢湖では「たつこ像」がシンボル、では二番目に深い支笏湖にはあるのか? 乙女の像やたつこ像のようなものはないが、そこでは毎冬の氷濤まつりでつくられる氷像がある。
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 どうやら、観光地というものは、自然の風景だけでは成り立たないもので、なにかしらポイントやイベントが必要になるらしい。
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 あ、それとお土産物屋さんに食べ物屋さんは必須ね。岬は決して必須アイテムでも何でもない。
 では田沢湖と支笏湖にも、十和田湖のように岬はあるのか。
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 実は、それがあったんですね。当初に調べていたところでも、田沢湖と支笏湖には地理院地図でも岬名表記はあったはずだが、どうやらこれまで忘れていたというか、計画に入ってこなかった。最近、データ整理のため、全項目の洗いなおしをやっていて、発見したのだが、これまではなかった岬名が新たに追加されているケースもあるようだ。
 あったものがなくなっているというのは、いまのところまだ明確に確認できていないが、追加はぽつぽつとあるようだ。どうやら、地理院地図も洗いなおしをやっている可能性もある。でんでんむしお膝元の小さな三浦半島でも、同様に横須賀付近で以前にはなかった岬名の追加が3件確認されている。これは、行くのは大変ではないので、すぐに行ってきた。
 こうなると、全岬総数も増えるので、またカウントし直し修正しなければならない。覚悟を決めて、今年の仕事にするか。
 田沢湖では大森鼻、支笏湖ではオコタン崎と大崎という岬が、リストにあるので、またこれらの落ち穂拾いもしなければならない。田沢湖も支笏湖も、これまでにすでに訪れていたのだが、そのときには岬の心配をしていなかった。そのためにまた、わざわざ出かけて行くというのも大変だなあ。

▼国土地理院 「地理院地図」
40度27分25.28秒 140度54分11.82秒
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タグ:青森県
きた!みた!印(32)  コメント(1) 
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番外:2018年初頭の定点観測 恒例のSo-net「地域」ブログランキングの観測はこれで最後かも [番外DB]

■恒例の定点観測は最終回(の予定)(2018)
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 「地域」ブログランキングの定点観測を始めてから8年になる。が、おそらくこれがもう最後になるだろう。こんないかにもばかばかしいことを、よく一生懸命やってきたものだ。いくらかだんだんとわかってきたこともあるが、やっぱり相変わらずわからないことのほうが多いので、まあこれ以上はどうしようもない。
 前年の定点観測では、「観測を始めて以来続いているブログは8件」と書いていたのだが、今年はこれが5件になっている。やはり長く続けていても、どこかで潮時というものが訪れるのだろう。
 また、「新たに登場したものが6件」だった前年に対し、今年はご新規さんは4件。こうして、少しずつだがメンツの交代が進んでいる。
 データの表示がされてないので実態不明なのも4件あり、それらが今回いずれも上位を占めてきている。だいたいにおいて、広告狙いのようなものはほとんど目につかず、みなそれぞれの方針に従って、せっせと更新を重ねてきた結果であろうと、まずは一応ご同輩お互いの努力を認め合おう。
 「nice!」の数では累計で20万件を超えるのが1件で、10万件超まで広げると10件になる。でんでんむし的には「nice!」はナイスでないという考えで「きた!みた!印」と置き換えているが、こちらから積極的に他のブログにつけにいくことはしていない。いただいた「きた!みた!印」について答礼訪問をするだけだが、それもサイドバーに明示しているように、(でんでんむしにとって)内容のないものや著作権に疑義がありそうな場合などにはスルーすることにしている。でんでんむしが訪問して読んでいるいるブログはこの「地域」ブログランキング内では、わずか5分の1ほどでしかない。
 「記事数」は、5000超の1件を含めて3000を超えるものが6件で、1000超まで広げると15になる。
 「n÷記」は1記事あたりの「nice!」数で、400超と飛び抜けて高いものもあるが、それも含めて100を超える「nice!」依存度の高いものは、5件であった。
 「up」というのは、更新頻度を推定できるもので、ここでは直近12月の新規投稿件数を示している。1日当たり2回以上という特別マメな人もあるが、それを含めて毎日更新していると思われるものは7件。
 さて、最後の「地域」だが、◎印がないものがでんでんむしが勝手に名付け“不在地主”とひそかに呼んでいるもので、相変わらず多い。◎印は、実際に「地域ブログ」の、「新着記事」と「アクセス記事」「nice!記事」の各「最新」「デイリー」のなかに登場していることを示す。
 だが、今年初めてちゃんと共通テーマ「地域」で投稿している◎印の数が13件(昨年は10件)となり、8年の観測史上始まって以来やっとランキングの過半数に達した。

■◎印にこだわってきた理由
 でんでんむしがこの◎印にこだわってきた理由は、ここにこそSo-netブログの構造上の欠陥が潜んでいると思うからであり、ランキングの意味を疑うに充分だからである。それを放置したままSo-netブログは徹頭徹尾ランキング中心のシステム構成にし、ユーザーを惑わせながら平気でいる鈍感さを感じるからだ。(なに言ってんだかよくわからないという人は、過去のランキング関連記事を参照してほしい。)
 ・番外:2017年初頭の定点観測 So-net「地域」ブログランキングと当ブログの
   PV比較推移と項目別「訪問者数」

 ・2016年の定点観測記録 ・2015年の定点観測記録 ・2014年の定点観測記録
 ・2013年の定点観測記録 ・2012年の定点観測記録 ・2011年の定点観測記録
 ◎印が少ないというのは、どうも「地域」だけの特殊な現象であるようだ。つまり、他のテーマでは、「ブログテーマ」と「ブログ共通テーマ」はほとんどは一致していて、さほどの乖離はないらしい。他のテーマに比べて「地域」という言葉の解釈に幅がありすぎることも、その要因かもしれない。
 そもそもSo-netブログの変なところは、このテーマの設定の仕方から始まっているのだが、「ブログ共通テーマ」の「暮らし・健康」の末尾にくっついている「地域」ブログのランキングに載るものは、最初にユーザーが行なう「基本設定で、「ブログ情報」の「ブログテーマ」をプルダウンメニューから選ぶことで決まる。
 そして、毎回の「新規作成」のさいにも、「共通テーマ」のプルダウンメニューが「地域」として投稿してあれば、名実ともに「地域ブログ」となり、「地域」ブログランキングに載っても首尾一貫する。
 ところが、ブログを書く方からすると、毎回書くテーマが異なるという場合があり、その都度記事内容に合わせて「共通テーマ」を変えるべきと考えるだろう。この考え方そのものは、正常であろう。
 それでも、投稿の大半が「地域」テーマになっていればいいのだが、常にそれ以外のテーマでの投稿が続くと、実態と表札のズレが生じる。地域ランキングに載っていて◎印がないブログが、いったいどこで活動(投稿)しているのかというと、これがまた表示がないものがほとんどだ。わずかに「趣味・カルチャー」「グルメ・料理」「日記・雑感」で投稿しているのがあるんだなとわかるものもある。
 それら「地域」以外のテーマがほとんど記事の中心であるならば、「基本設定」に帰って、「ブログ情報」の「ブログテーマ」を、投稿内容に合わせて修正すべきなのだろうが、それは忘れている。あるいはまた、それを変えるとこれまでの投稿分やそのデータはいったいどうなるのだろう、そういう心配もあるから、うかつにはできない…。
 そのへんの仕組みが、いっさい説明されていないのがSo-netブログなのだ。

■「岬めぐり」ブログ最近の傾向
 前年のまとめでは、どうも「岬めぐり」ブログには、秋以降に急速な落ち込みパターンがあるようだと書いていたが、その傾向は2017年においても顕著であった。2月が谷間で8月がピークという傾向は、だいたい毎年同じパターンだ。
・「訪問者」数の3年推移比較(2015・2016・2017)
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 毎年似たような傾向線を示している訪問者数の推移だが、どうしてこうなるのか原因は相変わらず不明。2017年については、So−netブログで仕様の変更があり、それまであった「更新通知」が8月以降なくなった。よく意味がわからないままなのだが、「トラックバックの終了」が関係しているのかもしれない。「【重要】トラックバック機能提供終了」という「お知らせ」が、「What's new?」で告知されたのは2017-07-19で、8月始めからその欄もなくなっている。それまでやっていた、Yahoo!などへのトラックバック送信ができなくなったわけだ。
 So−netのメンバーよりも、よそからきて見てくれる人のほうが、圧倒的に多いのではないかと、これも勝手に想像しているだけだが、それだけにこれが影響している部分もあるのでは…と思うが、これも実のところはよくわからない。
 それよりも、単純に前半で長く休眠していた影響は大きいのだろうか。なかなか前2年の水準に届かぬまま、8月以降の下降線をなぞっている。それと、2017年は隔日更新ができたのは夏場の2か月のみで、あとは更新間隔が開いたことが、長期低落傾向に拍車をかけている。
 そんなこんなで、2018年が始まったが、「岬めぐり」ブログは現在アップ中の十和田湖などが終わって一段落したら、また昨年に続いてしばらく遅ればせの冬眠に入る予定。
 そして、またどこらへんでひそかに復活させるかも、休みの間にゆっくり考えてみるのもよかろうかと考えている。
dendenmushi.gif(2018/01/01 記)
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1515 千鶴崎=十和田市奥瀬(青森県)湖底に目を向けて見えないところも想像してみると… [岬めぐり]

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 「番外:奥入瀬川」の項以降、これまでの各項の所在地は「十和田市奥瀬」と表記してきた。実はこれは地理院地図での表記ではなく、Mapionの表記に寄っている。国土地理院準拠の原則を崩してまで、あえて地理院地図での表記を採用していなかったのは、それだと「十和田市-」とすることになるからだった。
 「十和田市-」の「-」とは何かがわからないので、そのまま表記するのがなんとなくためらわれた。「-」は「一(いち)」ではなく、横棒であるから、どうやらここは字地名地番もないよという意味にもとれる。
 青森県十和田市の「-」は、奥入瀬川流域から山に入ってずっと続き、湖の周辺に及んでいる。ただし、焼山、子ノ口や宇樽部、休屋などのように平地で人家がある開けた場所は「-」ではない。
 地理院地図では、それらの地域の住所表示は「十和田市大字奥瀬」となっているのだ。その範囲はやたら広く、同様に「-」も広大な地域を占めている。
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 十和田湖の東湖と中湖を分けているのは、前方後円墳のような、あるいは鍵穴のような形(もうこんな鍵穴は古い南京錠くらいしかないか)をした御倉半島だったが、中湖と西湖を区切るのは中山半島という。
 最も広く幅のあるところでも800メートルに満たず、狭く細い凸凹に富んだ痩せた半島の名は、その北端にある中山崎によるのだろう。いやいや、半島の名のほうが先で、その先端だから中山崎になったのか、卵と鶏でどっちがどうだかわからない。
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 細くて凸凹の半島は、上のほうも凸凹していて、標高500メートル前後の山がいくつもぽこぽことある。しかし、湖水面自体が標高400メートルなのだから、われわれが風景として見ているぶんには、100メートル前後の凸凹が並んだ半島ということになる。
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 この半島の先端に近い、中湖の西岸にとんがって突き出しているのが千鶴崎で、その周辺にも業平岩、小町岩、蝋燭岩などの表記が、地理院地図ではある。業平に小町とくれば、これはもういかにもなにかストーリーがありそうな命名だが…。
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 植生に覆われているが、千鶴崎も崖のようなところもあり、その尖っている形状からも、半島のぽこぽこした山とともに、カルデラをつくることになった火山活動の影響を示したものだろう。それは水面下の湖底にもずっと続いていて、千鶴崎が向いている北の方向へは、急激な断崖が300メートルの深さまで一気に落ち込んでいる。
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 そして、千鶴崎の先端から東北東490メートルの地点で垂直に湖底に降りたところが、十和田湖の最深部「・327」ポイントなのだ。
 東湖の東岸から、御倉半島の鴨ヶ崎へ、そして中山半島の千鶴崎へ、さらに西湖の西岸の猿鼻岬まで、まっすぐ引いた線を断面図として作図をしてみようかと手を付けかけたのだが、縮尺をできるだけ正確に表現しようとすると、結構めんどくさくなってやめた。断面図はなくとも、せいぜい想像してみたい。
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 湖面上に出ている千鶴崎だけを眺めていると、確かに紅葉のシーズンにはきれいだろうなと、なにやら平和でのんびりとした感じしかしないが、湖水の中に隠れている急崖を想像すると、この地形と風景をつくるに至った、荒々しい巨大なエネルギーにも思いが及ぶ。
 金子みすゞさんの詩のように、「見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ」ということになろうか。
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 千鶴崎を回ると、その先には千鳥ヶ浦に続く中山崎が大きくなる。

▼国土地理院 「地理院地図」
40度26分46.66秒 140度53分5.55秒
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