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祝! 広島カープ25年ぶり、7回目のセ界制覇! 待ちに待ったその日がついにやってきた! [番外]

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 最も優勝から遠ざかっていたチーム、と言われ続けてきた。やっと25年ぶりのVである。スポーツ新聞ではない一般紙にも「苦節25年」の見出しが踊る。2016年の戦いぶりは、勝ち星の半分以上が逆転勝ちで、6月から終始独走状態を堅持する、実にみごとなものだった。なにかと不自然だった監督采配も、今年は様変わりになったような印象がある。みんな大喜びであろう。広島の街も、さぞかし盛り上がっていることだろう。
 でんでんむしのようにその前の第一期「苦節25年」を経験してきた“球団創設以来のファン”は、だんだんと減っているだろうが、ちょうど球団結成から初優勝までも25年だった。そのときには、「一度でいいから優勝してくれ!」と願っていたものだ。それが、80年代の赤ヘル黄金時代を築き、都合6回もリーグ優勝して、そのうち3回は日本シリーズを制覇しているのだから、もう言うことはないくらいの大満足であった。
 以来、勝ち負けだけでなく、ゲームを冷静に楽しむ術もマスターして、長く続いていた低迷期も、いちいちカリカリしないで、余裕でカープの試合を見てきた。
 だが、その黄金時代を知らない若い人たちにとっては、ちょうどわれわれが初優勝を待ち望んでいたときと同じ年月だけ、この日を夢見て待っていたのだ。
 よかったね! うれしいね! バンザイだね!

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★ (↑字が小さい? 拡大してみてね!)
 広島人にとって、カープは特別な存在なのだと言ってもよい。関東にいても、ケーブルテレビでカープの試合はほとんどの試合を見ているが、マツダスタジアムでもビジターユニで真っ赤に染まったスタンドと、そこを埋め尽くした人々の顔を眺めていると、いいようのない感動と連帯感を覚える。
 ほかのチームでも、ファンの思いは同じといえばそうかもしれない。だが、カープの場合は、そこらへんがちょっと違うのである。
 神宮球場も横浜スタジアムも、関東で遠征があるときにごくたまに出かけることもあったが、いつもビジターの応援のほうがホームを圧倒していた。いまさらのようにレフト三塁側の応援がすごいと解説者やアナウンサーがいうけれど、そんなことは昨日今日に始まったことではないのだ。
 思えば41年前の初優勝の時も後楽園球場で、そのときのスタンドの大歓声は中央総武線の線路を越えた。2016/09/10の東京ドームも、ビジター席だけではなく、3塁側の上も真っ赤で、内野も赤くなりかけていた。広島からやってきたファンも多かったろうが、優勝決定戦にプライベートで、県知事と市長が東京まで飛んできて並んで応援するようなチームはカープだけだろう。
 広島出身者ではないけどカープファン、という人も増えているので、皆が皆同郷意識で寄り集まっているわけではないだろうから、実際どうなのかは球場で出口調査でもしてみないとわからない。
 だが、広島カープの存在は、広島という一地方の一地域を基盤として、初めて成り立っている。第一、チーム名に地域名を冠した球団は、今でこそ無理やり「東京なんとか」とかつけたりしている(現在はフランチャイズ制を標榜し、原則地域名を冠することになっている)が、長い間ずっと広島カープだけだったのだ。

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 それは、広島に球団をつくろうとして奔走した先人たちの思いのなかに、原爆で一瞬のうちになくなってしまった広島の街と、ともすれば先も見えない不安で荒廃していく人々の心をひとつにまとめ、郷土の復興への力になるという期待があり、それが見事に結実した象徴が、広島カープだったからだろう。
 ローカルなことにかけては、12球団のうち随一であったが、12球団随一の貧乏球団であったこともまぎれもない事実であった。とにかく、その創設時から、監督の第一の仕事が選手を集めることと、それに払う給料の資金集めだったくらいであった。“樽募金”として語られるエピソードは、役員会で浮かび上がった解散合併の動きに対応して起こった。
 今でもそうだが、プロ球団は親会社が(広義の)宣伝のために資金を出すことで成り立っている。だが、カープにはそれがない。そのため、初代監督である石本が考えだしたのが、広く市民を集める後援会組織で、これが後々にまで続く、熱狂的な応援を支える軸にもなり、「市民球団」と言われるもとでもあった。
 もちろん、地元の広島電鉄、中国新聞社、東洋工業など地元の十数社の企業も、積極的に支援はしたが、彼らのどこか一社で丸抱えできるような体力のある企業はなかったので、自然寄り合い所帯。
 だが、現実は厳しいことに変わりはなく、連盟からは8つあったチームを整理するためマークされ、邪魔者扱いされた時期もある。“セ・リーグのお荷物”といわれる所以はそこにあったが、なんとか危機を乗り越え、合併案も回避してきた。
 1963(昭和38)年に東洋工業社長の松田恒次がカープの経営に乗り出す。このときから、正式名称が「広島東洋カープ」となるのだが、東洋工業は一部資本参加したものの経営権をもっていたわけではなく、有力なスポンサーのひとつにとどまる。
 カープだってマツダが親会社だろうという誤解は、今でも多いようだし、いっぽう市民球団であるという思い込みも多い。しかし、それはどちらも違うのである。
 一般市民が幅広く株を持っているわけではないから、その意味での市民球団ではない。実態は、恒治→耕平→元と松田家三代がオーナーを引き継いできた“同族経営の個人商店”のようなものである。東洋工業の経営危機で、外資との提携やなにかで、松田家が自動車から手を引くと同時に、松田家はカープ一筋になって今日に至る。マツダが引き続き有力な支援者サポーターであることも、昔から変わらない。
 もっとも、松田家は当初は松田家支配は当面のことで、ゆくゆくは球団の運営形態自体をも考える、と言っていたはずだが、その動きはない。四代目ぶくみのオーナー代行にはオーナーの甥が就任した。オイオイ〜。

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 遠征にもいつも選手とともに帯同していた先代と比べて、三代目オーナーはカープ愛が足りないような印象をもっていて、暗黒時代を招いた責任はオーナーにあると批判していた。また、代行就任当初、高橋慶彦を怒らせて彼がカープを離れることになったこともあって、いい印象がなかった。だが、近年の黒田の復帰を実現させたこと、新井を呼び戻して快く迎え入れたこと、マエケンの願いを聞き届けたこと、そして先代に倣って選手とともに歩む姿勢を続け、コミュニケーション努力もしているらしいなど、でんでんむしも少しは見直している。
 マエケンの移籍金の一部を地元に還元するという方針を、いち早く示したのもよかった。(その後、具体的にどうしたのかは知らないけれど…)(2016/11広島東洋カープは、広島市に5億円を感謝のしるしに還元すると発表した。日南と沖縄のキャンプ地にも1億円ずつ。)
 それらに加えて、最近の球団経営には、そもそもはマツダから出向してきた鈴木球団本部長の手腕によるところもあるのだろう。
 カープは、球界ではめずらしいはずの独立採算制である。一見当たり前のようだが、ほとんどの球団では、親会社とどんぶりだからその内容はわからない。赤字でも親会社が補填するだけだからである。親会社を持たないカープは、近年はずっと黒字経営である。いつだったか、オーナーが500万円の黒字だったと喜んで言ったというのを聞いて、なんだ情けないと思ったこともあるが、長い間貧乏は貧乏なりにコウラに似せて穴を掘ってきたのだ。
 そのため、ずっとFAでは選手をとらないで、可能な限り若手の有望な選手を獲得して育てていく方針でやってきた。だから、相対的に平均年俸も他球団に比べて低い。だが、優秀なスカウトやアメリカの筋の良いコネもあって、有望選手の発掘や優良外国人選手の獲得では、他球団に一歩先んじている。カープがとった外国人選手で、その後パ・リーグで活躍している者も多い。また、有力選手に育って、他球団へという者も多かった。
 新しい本拠地球場ができて以来、カープの商売上手は他球団の追随を許さない、独走態勢である。もちろん、熱いファンの支えがあってのことだが、入場者数も、グッズの売上も好調そのもの。経営状態はずいぶんよくなったことであろう。
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 スタンド全体が赤くなるほどに強烈になったのは、ファンがグッズとして売られている選手ごとのネームと背番号の入ったユニフォームや、赤いキャップなどを買ってそれを身につけてくる(あるいは球場で着替える)からである。とくに近年の傾向としては、ビジター用の赤いユニフォームが人気で、ビジター球場だけでなくホーム球場のスタンでも大半を占めるほどに目立っている。
 この頃では、他球団でも日を決めてその日の入場者にカラーのシャツやタオルなど応援グッズを無料で配るところもあるが、カープはそんなことはしない。欲しいと思う応援グッズは、すべてファンが自前で買う。その売り上げは球団の収入になるから、樽募金が形を変えて続いているようなものだ。(樽募金といえば、新スタジアム建設のときに復活したらしいが、でんでんむしは遠くにいて知らなかった。)
 球団もこれには味をしめているので、ブラウン監督の頃から、目立って新グッズの開発には熱心で、ことあるごとに限定記念Tシャツなどを売り出している。新井の2000本や黒田の200勝は、そのひとつである。これには、選手自身のアイデアも採用されているなど、ひと味ちがう。
 そのほか、カープ坊やの手人形などグッズにはさまざまあるが、他球団の応援グッズに便乗したものもある。もちろん、相手球団に何がしかの挨拶をしたうえでのことだろうが、中日ドアラの耳を赤にしたのや、ヤクルトの傘を小さな赤い傘にして…といった例がある。また、スタンドで目立つのは、ファンが自分で思い思いにつくったボードや文字パネルであるが、これはカープが初めてというわけではなかろう。これも、昔は手書きがほとんどだったが、この頃はコンピュータを駆使してきれいにつくっているものも多い。
 カープ坊やというのは、初優勝のとき以来球団のシンボルのようになっているキャラクターで、ユニフォーム姿の男の子がバットを構えて前を向いている、2次元で丸いシールなどになっていた。球団マスコットとしても、最古参となる坊やである。新球場には3次元の大きな風船でできた坊やもいる。でんでんむしは、日本シリーズには必ず観に行くことにしていて、その都度これを売店で買ってきて貼ってあるので、ユニや色使いなどが微妙に異なる6人のカープ坊やが並んでいる。
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 初優勝のときに買ってきた大きい丸いシールは、本棚の横板に貼り付けていたが、日焼けして赤も色落ちしている。このときは、ルーツ監督の指示でチームカラーも赤に統一するよう指示があったが、ユニホームまでは間に合わず、帽子とヘルメットだけ赤にしたのだ。だから、このときは胸のCARPの文字も赤ではない。
 ゆるキャラが流行るずっと前からこれはあるのだが、もともと名前はなかったはずだ。いつからか、“カープ坊や”という名が広まってはいるが、そもそもの原案は確かに一見してこどもとわかるが、この顔の絵↑はどうも“坊や”という感じではないように思えてしかたがない。
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 グランドで試合の合間や試合終了後に愛嬌を振りまくキャラは、カープ坊やではなく、スライリーというほとんど意味不明の着ぐるみである。
 セサミストリートのマペット人形をつくっている会社が製作したというのだが、これはどうみても依頼の事前打ち合せの段階で齟齬があったとしか思えない。それは、このスライリーの性格付けその他コンセプトについて、明快な説明をしない(できない?)からである。
 
 身びいきといえばそれまでだが、広島カープがいちばん最初に始めて、それが他球団にも波及したというものは、たくさんある。
 でんでんむしもそれを全部チェックしているわけではないので、思いつくままに順不同で並べてみるが、落ち漏れも承知のうえ、裏取りなしということで。
 資金不足に悩む初代石本監督が始めた後援会というのも、おそらくそうだったのではないかと思われるが、創成期の苦難を球団と共にしてきたという勝手な思い込みが強かったファンが、その熱意の表われとして始めた、さまざまな応援スタイルは、昔から現在までユニークな伝統をきずいてきた。だから、これは維持していきたい。応援スタイルはやはり他のチームの応援のマネ(たとえば、タオルをグルグル回すとか)は、やめてほしい。あくまでオリジナルでいきましょう。
 ヤジがきびしいのもそうだったが、かなり昔から“ラッパのおじさん”というのが現れていた。軍隊ラッパで突撃ラッパなどを吹き鳴らす。いわゆる鳴り物応援は、ここから始まったとしてよいのだろう。そして、これが次世代に受け継がれつつ、トランペットによる、コンバットマーチに発展していく。
 ベンチ上に陣取ったおじさんが、相手チームがアウトになると、仏壇から持ってきたチンを、絶妙なタイミングで鳴らしていた。これが、やがて応援団全体での鳴り物テーマになる。アウトになる毎に囃し立てられるわけで、かなりイラッとくるのではないかと、その効果に思ったのは、他球団の応援でもそれをやるようになってからだ。
 それまではやはり、ファンの多くはおじさんばかりで、カープが勝った日には流川の飲み屋が繁盛するといわれた。なかには、敗け試合に怒るファンがスタンドで酔っ払って、ウイスキーの空き瓶をグランドに放り込み、線審がケガをするという事件まで起こった。
 それが、少しずつ変わり始めるのが、“コージコール”がスタンドを包むようになった頃からだろう。“コージコール”は、スター選手だけでなく、各選手個人ごとの応援歌につながっていく。また、カープが得点するたびに歌われる「宮島さん」(宮島さんの神主が、おみくじ引いて申すには…)は、昔の唱歌「花咲か爺さん」(裏の畑でポチが鳴く、正直爺さん掘ったれば…)の替え歌である。だが、この替え歌はカープの応援のためにできたわけではなく、広島では戦前から広商の応援などに使われてきたものなのだ。
 球団の公式応援歌としては、初優勝前に「それ行けカープ」が制定されて、現在もラッキーセブンに演奏され歌われる。
 カープファンのなかには、東京で『酒』というPR雑誌の編集長として有名人にも知人の多かった佐々木久子(一度神宮球場のスタンドでお見かけしました)などもいて、彼女を中心として「広島カープを優勝させる会」も生まれ、これ以降有名人でカープファンを名乗る人も増えていく。
 応援歌の作詞・作曲者も、その縁でできたと記憶する。(初優勝の年のことは、
「1975☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは…」に書いていた。
 宮島のシャモジをカチカチ打ち鳴らすスタイルは、広島の応援の伝統的なものではあったが、プロ野球では初優勝がかかった試合など特殊な場合に限られる(初優勝を決めた後楽園球場でもあったというが、でんでんむしはちょどそのときはヨーロッパに行っていて見ていない)。その伝統は二本のミニバットを打ち合せ振る応援に、引き継がれている。
 近年の応援では、スクワットとカープ女子とジェット風船も象徴的だ。カープ女子に負けじと、他の球団でも織り姫とか、…あとなんだっけ?
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 体力もいるスクワットは若い人ならではで、スタンドに女性が増えたことも特筆に値する。おじさん中心の野球応援が、明らかに変わっている。それには大リーグの球場を参考にしたというマツダズームズームスタジアム(日本の球場では左右非対称形なのはここだけ)が、ボールパーク的な色彩を打ち出してきたこととも関連するだろう。外野の入場券で入っても、バックネット裏の上まで含めてぐるりを一周できるほか、さまざまな特色のあるシートも用意されている。女性でも家族連れでも楽しめるような雰囲気づくりには、ある程度成功している。
 ジェット風船は甲子園で始まったとされるが、実はそれは阪神ファンではなくカープファンが始めたのだという。最初の頃は、風船は黄色や白や色とりどりとはいえ色彩は地味目だった。でんでんむしがRCCの掲示板に「カープのは赤い風船に統一したほうがよい」と投稿したのはその頃で、その翌年からはマツダスタジアムのジェット風船は赤一色になって、ラッキーセブンに一斉にそれが舞い上がるのはなかなか感動的で壮観だ。
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 カープのことは、これまでもところどころでふれてきたが、ひさしぶりの優勝なのでちょっとリキ入れてみた。とりとめのない感想もいい加減に締めくくらないといけないが、重要なことを忘れているような気もする。
 あ、そうそうカープが最初に初めて他球団が追随したというのには、背番号ゼロというのもあった。それから、選手の用具一式を遠征地まで運ぶ、専用のカープトラックを設けたこともある。長年、その運転手を務めてきた人が、今年定年になるそうだが、優勝で花道を飾ることができてなによりだった。
 2年位前から、カープの選手が打席に立つときかぶる赤ヘルが、メタリックのきれいな光沢になった。これは、マツダの自動車の塗装からのヒントでできたらしいが、これも経営主体が変わって研究熱心な横浜が広島を視察し、いろいろ参考にしていて、さっそく追随している。
 いわゆる関連本“カープ本”の多さも、群を抜いているように思うが、今年は「赤ヘル1975」(重松 清 講談社文庫)を買ってきた。
   そうそう、ドミニカに開いたカープアカデミー、これを忘れていた。こういうのもカープが初めて。
 わが家の息子たちは、まったく野球に興味がない。いまどきどこの球団のファンか云々というのは昭和の時代だなどと吐かしている。もちろん、親の因果を子に押し付ける気もないからほおってきたが、娘たちがその分をフォローしてくれている。
 テレビからも押し付けがましかった日テレ系の読売の試合中継がなくなって、確かに昭和も遠くなったが、これが正常な状態でもあろう。
 二度目の苦節25年が終わり、これから二度目の赤ヘル黄金時代をつくってくれるのは、平成の選手とファンである。よろしくね!
 カープバカの雑文、失礼しました。他球団のファンの皆々さま、これからもよろしくお願いいたします!
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dendenmushi.gif (2016/09/10 記)

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コメント 6

ハマコウ

カープ セリーグV おめでとうございます。
生え抜きの選手が活躍しているところが特にいいですね。


by ハマコウ (2016-09-11 09:54) 

dendenmushi

@ハマコウさん、さっそくお祝いのコメントをいただきまして、ありがたいことです。
そうなんですよ。まあ、それもビンボー球団だからで、札束を積んで有力選手を集めることができません。
だから若い将来期待できそうな素質のある選手をとって、鍛えあげて育てていく、ということをずっとやってきましたからね。
ま、今年は黒田と新井に花を持たせてやりたい…^_^。
by dendenmushi (2016-09-12 04:51) 

kohtyan

広島カープ、リーグ優勝おめでとうございます。
25年ぶりという劇的な優勝でした。
カープファンは全国的に多くて、とくに女子が多いですね。
若手選手の急成長が印象的です。
ちなみに私は、阪神ファンですが、カープに大きく負け越して
カープ優勝に貢献した見たいですね。
ぜひ、日本シリーズも勝ち抜いてほしいです。

by kohtyan (2016-09-12 10:40) 

dendenmushi

@kohtyan さん、阪神ファンもすごいですよね。大阪にも7年くらいいたので、甲子園球場も行きました。わたしなどは、試合の行く末がほぼ見えてきて、今日は負けだわと思うとさっさと帰ったりしますが、阪神ファンは負けてても帰らない。えらいものだと思いました。
今年は金本監督1年目でしたからね。まだ、乗り切れていないところをカープがうまく突っ込んで勝ちを拾いました。
来年もよろしく…^_^。
by dendenmushi (2016-09-12 14:17) 

右左あんつぁん

なんか、広島カープの底力は日本人の底力其のもののような気がしてきました。

また、カープの応援歌を聴いていると、昔の学生寮歌と似た情熱が湧いてきて、新しいことに挑戦する勇気が出てきました。
by 右左あんつぁん (2016-09-17 00:16) 

dendenmushi

@今回の優勝では、いろんなメディアや人が、いろんな論評を加えていますね。
カープの流儀(半分はカネがないための苦し紛れ)が、注目され見直されるのは、他球団はもちろんのこと、広く野球を越えていく力があるのかもしれませんね。
応援歌も、歌がつくられた時代を考えると、やはりかなり大時代がかったところもありますけど…^_^。。
by dendenmushi (2016-09-17 07:33) 

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