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1538 ボンノ鼻=姫路市家島町宮:加島(兵庫県)岬の名前には由来のはっきりしないのが多いが… [岬めぐり]

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 大崎からは南東1キロのところから細長く始まる加島は、不思議な形をしている。遠目には大中小と3つの島が並んでいるように見えているが、これが全部でひとつの島。それぞれ中間部が細くなった砂洲でつながっている。
 南北にちょっと斜めに長さ890メートルほどにつながっていて、北側のジョイントの部分は二本の砂洲の間に窪みがあって、海水を取り込んで湛えているように地理院地図では描かれている。念のためにMapionを見ると、そんなものはなくただのっぺりとした陸地のように描かれている。地形図としてははなはだイイカゲンでまったく話にならないMapionはここでは無視して、地理院地図のほうでイメージを膨らませてみよう。
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 3つの山のうち、南の山が標高55メートルといちばん高く、北寄りの2つは船から見えているその南西側が、何らかの大きな地殻的変動によって、すっぱりと断ち切られたような崖になっている。そのことは、地図の等高線をみれば明らかだ。
 ボンノ鼻は、この加島の南端につけられている名前である。そこにはポコンと岩島のようなものもくっついているが、ボンノ鼻とはいったいどういう意味なのだろうか。こういう場合、調べてみてもわからないし、考えてみてもわからないことが多い。
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 調べようとしてボンノ鼻で検索してみると、ずらり出てくるのはYahoo!やMapionやnavitimeの、名前だけでまったく中身のない場所ふさぎの邪魔サイトのページばかりなのだ。店舗詳細情報だとか、グルメ・レストラン情報、最寄駅、ルート情報といった、無意味な文字列が虚しく並んでいるのみ。こんなところに店舗や駅やレストランがあるわけないだろうに。機械的にやるというのも程度の問題で、少しは実態に合わせて考えるべきだ。これはここボンノ鼻だけのことではないので、なんとかならないものかといつも思う。
スクリーンショット 2018-11-12 10.19.12.jpg
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 ネット情報はあてにならないとわかったので、ではと気を取り直して今度は自分で考えてみると、ここではひとつだけ思いつくことがあった。砂洲と山に囲まれた海水面、これがボン=盆ではないのだろうか。盆のような海水面を抱えた島の端だからボンノ鼻。
 単なる語呂合わせのようで根拠や証拠となる材料もないが、それ以外には思いつかない。まったくの見当違いであるかもしれない。
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 岬の名前をあれこれ詮索するのは、多くの場合徒労に終わる。この場合などまだ思いつくことがあるだけマシなほうで、同じ男鹿島のヒシノ鼻も意味がわからない。塩崎も製塩に関わるものか、あるいはシオ=潮という想像はできるが、これなどは岬の形状を示している淡賀楯崎の楯崎のほうが、名前として定着しなかったのはどうしてだろうと思ったりする。
 前項の見えなかった岩津ノ鼻のように、漢字名だとその文字の意味から想像してなんとなく了解してしまうこともあるが、やはりなんでそこがそうなのかの意味はわからないことが多い。
 困るのはカタカナの名で、ここから西の高島にあるマブノ鼻、家島諸島南端の松島にあるヒラレノ鼻、西島にあるオツヅノ鼻などといわれてもさっぱりなのだ。
 だから、たいていの場合、岬の名前ははっきりわかっているもの以外はスルーしている、というわけです。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度38分15.81秒 134度35分16.68秒
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dendenmushi.gif近畿地方(2018/10/10 訪問)

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1537 大崎・岩津ノ鼻=姫路市家島町宮:男鹿島(兵庫県)なくなった山の上と見えない岬にも… [岬めぐり]

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 男鹿島の最南端にあたるのがこの大崎。ヒシノ鼻からは南東2.4キロのところに位置するこの岬は、40メートルくらいの段丘状になっていて、その南西側は崖が続いている。崖の上はやはり採石場になっているようだが、ここを周回することはできないらしい。
 ヒシノ鼻から続いている広い採石場は、段丘の崖にまで達している。
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 大崎の東側は丸い小湾になっていて、その海岸には2〜3の突起のように小さな桟橋が、地図には描かれている。建物も固まっていて、そこには田ノ浜という名がつけられている。
 島の南端に近いそこらあたりが、元は男鹿島では、いちばん人口が多く集まる地域だったようで、かつてはそこに小学校もあったという。では、姫路港からはいちばん遠い田ノ浜が、島の中心集落だったのはどうしてだろうか。それは情報もなく、想像しようとしてみても見当がつかないが、おそらくは水の便か港の地形的条件なのだろう。
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 田ノ浜の東の山には灯台もあって、その尾根の南端には岩津ノ鼻という岬名表記もある。神社もあるように記号表記があるが、それはおそらく以前には山の上にあったもので、採石が進むにつれて居場所がなくなり、下に降ろされてきたという神社そのものではないかという推測もできる。osaki05 (1).jpg
 地理院地図には神社の名前がわからないので、Mapionを見ると「大山神社」と表記してある。やっぱりそうだった。島ではほかに神社はないので、これこそがかつて島のてっぺん近くにあって、周辺に大山神社遺跡を構成していたというその名のもとになっていた神社に違いない。
 大山神社遺跡は、1959(昭和34)年に行なわれた家島群島総合学術調査によって明らかにされたもので、弥生時代の高地性集落の遺跡だという。縄文や弥生の集落遺跡は、海浜や海に近い高台や山間などが普通で、山の上というのは確かにめずらしい。
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 かつて大山の標高は200メートルを超えていたはずだが、現在ではそれを見ることはできない。というのは、その山自体が採石のために切り崩され、島全体では今の最高点が180メートルくらいになってしまっているからだ。それで、せめて神社だけは…と南の海岸近くまで移転させたわけなのだろう。
 その山の上には、竪穴建物跡14棟、掘立柱建物跡11棟の住居の跡が集まる遺跡と、そこから製塩土器、農耕具、狩猟具、漁労具なども出土した、という。周辺の島からも旧石器時代の石器なども発掘されており、かなり古く古代からこの瀬戸内の島々の一帯で暮らし、人々が自由に往来していたことを知って、今更のように驚きがある。
 また、高地性集落なのに製塩土器や漁労具があるというのも、不思議な感じがするが、島が海との関わりにおいてのみ成立することも、当然といえば当然だったろう。
 遺跡のそばにあったという烽火台に注目して見ると、わざわざ海から遠いその山の上に設けられた高地性集落の役割が、その展望のよさを活かした見張台にあったと言えそうだ。
 360度ぐるりと周囲の海を見渡すことができるという利点はと言えば、何もそこからの景色を眺め美しい風景を楽しむためにあったというものではない。周辺海域に近づいて来る舟や起こりそうな災厄の兆しをいち早く発見し、警戒態勢をとるためであったはずだ。
 そう考えると、この高地性集落の独特さと、古代人の厳しい生活環境の一面をも知ることができる。
 その高地も、そこにあった遺跡もすでになく、移設された山ノ神・大山神社も、灯台も、小学校もあったという集落の姿も、そして岩津ノ鼻も、すべては坊勢航路の船の上からでは、大崎の陰になっていて見ることはできない。しかも、船の航路は、採石場の白っぽい崖と大崎からは、だんだんと離れていき、遠ざかっている。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度39分4.79秒 134度34分32.53秒
osakiM.jpg
dendenmushi.gif近畿地方(2018/10/10 訪問)

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1536 ヒシノ鼻=姫路市家島町宮:男鹿島(兵庫県)通りすがりながら採石場を眺めながらの想いも広がる [岬めぐり]

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 男鹿島の地図を眺めて特徴的なことは、採石場の石切のために無数の崖があることと、いわゆる通常の道路にあたるものの表記がどこにもないことだろう。全島が私有地で、公道にあたるものがまったくない、というのがその理由ではないかと想像できる。
 島内にあるのは、二本の破線で描かれた道ばかりで、これは地理院地図の記号では「庭園路」を示している。いわば、庭の中にある道と同じというわけだ。公道ではないから、島内にある自動車にはすべてナンバープレートもついていないという情報もあった。ということは、免許なしでも走れるのかな。この辺は、車にも免許にも縁がないでんでんむしにはよくわからない。
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 でんでんむしのように、雨の中を走ってきた船に乗ってちょっと桟橋に寄っただけですぐまた島を離れて行くような、文字通りのほんの通りすがりではなく、実際にこの島に上陸して歩き回っている人たちが残している記録も結構あった。釣り人もいるし採石場の写真を撮りに来る人、かつて山のてっぺんにあったという旧石器から縄文の遺跡を尋ねて来る人もいた。それらによると、採石場が休業しているときには島内を一周することも可能なようだ。
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 島の住民は数十人ほどで、みんな採石に関わっている人たちばかりのようだが、島の所有者など、詳しい実情もよくわからない。しかし、この島で採石が始まったのは150年くらい前からで、最盛期には100軒もの業者があって、それぞれこの島から石の切出し、決められた大きさに砕石する加工、石材の運搬などの仕事を分担してやっていたという。
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 国全体が近代化を目指して右往左往していた明治期には、阪神地区の近代的な港湾の建設と整備のために、大量の石材が必要とされたことだろう。また、近年でも関西国際空港や神戸空港などの、大規模な埋め立て建設現場への積み出しが行なわれてきたはずであろう。
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 現在では、そうした大規模需要も一段落したのか、かつての盛業時のような活況はなさそうだが、重機など採石の道具の進化は、島の形そのものを大きく変えながら、その作業自体をも変えてきたに違いない。
 軽視できないのが運搬で、ガット船と呼ばれるクレーンなどを備えた無数の船が、賑やかに往来して石材を運んでいたのであろう。それは、船の停泊や修理保全の仕事も生み出し、家島の港の繁栄にも一役買っていたはずだ。
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 男鹿島の最西端にあたるヒシノ鼻から南にかけての一帯は、大規模な採石場が広がっている。雨に烟るその露出した岩肌の風景を眺めながら、そんなことにも想いは広がっていく。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度40分6.75秒 134度33分43.30秒
hishinohanaM.jpg
dendenmushi.gif近畿地方(2018/10/10 訪問)

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