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1528 仏崎=洲本市五色町鳥飼浦(兵庫県)高田屋嘉兵衛の故郷都志から3.7キロ先の岬を遠望する [岬めぐり]

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 淡路島は、北の淡路市と南の南あわじ市、その間に位置する洲本市の3つの市でできている。洲本市は東海岸に中心街があり、島の中央を南北に山地があり、高速道路もこの山地の東側を通っている。この山地から西の海岸まではすべて五色町で、その名がつく領域は洲本市域の3分の1を超えるのではないかと思えるほど広い。
 五斗崎を過ぎたところから洲本市五色町都志米山が始まり、南の五色町鳥飼浦で南あわじ市と接するまでには、直線距離にしておよそ9.5キロほどの海岸線が続く。この間に、地形的な出っ張りは都志と仏崎の二か所あるのだが、都志(つし)のほうは港の造成工事で消えてしまったものか、岬の名が残っていない。つまり、洲本市の西海岸の岬は、仏崎一つだけとなる。
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 この仏崎も、都志の港の西側から南西方向に3.7キロも離れての遠望となる。次項の雁子岬までは12.5キロもの遠さになるのだが、どちらも都志からの遠望でお茶を濁す。
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 その理由は、すでにこれまでに何度か触れたように、バスの便がうまくなくてまったく用をなしてくれないためだ。
 北の淡路市の西海岸は、三ノ宮から神姫バスで五色バスセンターまでなんとかやってきた。そのバスは五色バスセンターから少しだけ山側に入って高田屋嘉兵衛記念公園までは行くが、そこが終点で都志止まり。ここから南へはどうやってみてもバスで行くことができない。南あわじ市にはコミュニティバスが走っているが、そこまで行けない。
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 では、この洲本市の西海岸にはバスがまったく走っていないかといえば、そんなことはなく、都志線と鳥飼線という淡路交通の2路線が「へ」の字を二つ重ねたような格好であるにはある。ただ、そのダイヤが本数が少ないうえに不可解なほど不便にできているので、都志でそれに乗り換えて仏崎、さらには雁子岬へということは不可能なのだ。
 そこで、もうこの二つはすっぱりと諦めて、都志からの遠望でOKとすることにした。そう割り切れば、一応淡路島西海岸にもケリをつけることができる。
 仏崎まではここもまた西海岸で特徴的な直線の海岸線と、その途中で飛び出している出っ張りという地形が続く。実際は仏崎の手前に港とそれを抱え込む出っ張りもあるのだが、それを遠く逆光で横から見ることになると、単に横に長い黒い塊が横たわっているだけになる。
 はなはだ不本意ではあるが、ここはやむを得ないと大目に見てもらうことにしよう。
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 五色町の都志は、西浦一帯では江井に次ぐ大きな港があるが、線香のついでにくっついてきて仕入れた廻船ルートという情報が、どうも気になってこだわっている。実際に、ここ西浦では廻船というものが機能していた時期が、果たして実際にあったのだろうか。西浦を北から順に南下して都志の港まできてみると、どうもそれはマユツバものの情報のように思えてきた。
 先に、「1525 江井崎2」では、ついその情報に引きづられて、
「淡路島の西浦一帯の港は、廻船業が盛んでその基地となっていた。その代表船主が、「菜の花の沖」の高田屋嘉兵衛だった。」
とまで書いていたが、これはつい思い込みとその勢いで筆が先走って書いてしまったもので、撤回と修正が必要だった、と思うようになった。
 つまり、西浦に廻船業の基地と言えるほどのものはなかったし、高田屋嘉兵衛は確かに廻船の船頭であり船主となったが彼とこの地域をつなぐものはただ単に故郷であったということだけ、だったのではないか。
 物資を船いっぱいに積み込んで、寄港する港々で積荷を上げ下ろしする菱垣廻船、樽廻船、北前船などといった廻船は、当然ながら港の後背地に大きな消費地や生産地、あるいは輸送ルートが控えていなければならないが、ここ淡路島の西浦ではそれはない。だから、地廻の船が寄航することはあっても、廻船と呼ばれるような大規模なものはなかったのではないか。
 そう考え直すに至って、念のために司馬遼太郎の『菜の花の沖』の最初の方を読み返してみると、その物語の中では嘉兵衛は故郷の都志では淡路瓦を運ぶ船に乗り組んだりや漁船の手伝いなどはしているが、ほどなくして追われるようにして出奔せざるを得なくなる。そして兵庫に出て、廻船の道に踏み込んでやがて自身が船頭になり自分の船を持つまでになるのだが、次に都志に帰ってくるのは、故郷との和解と自分の船のお披露目と乗組員リクルートのデモンストレーションのためであった。
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 都志川が集落を二分するように流れ、その右岸が嘉兵衛の生まれた本村で現在は五色町都志、左岸が港のある新在家となっている。新在家という地名は、神戸や姫路にもあるのだが、新開地のような意味なのだろうか。
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 都志川の橋の橋柱は、高田屋の帆をあげた船を型どった石柱になっていて、橋の欄干の部分には高田屋の船が波濤を越えていくさまがレリーフになって掲げられている。
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 高田屋嘉兵衛が活躍する『菜の花の沖』は、淡路島の沖ではなくてそこからさらにずっと海でつながっている北の最果てにあった。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度23分6.78秒 134度45分19.14秒
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dendenmushi.gif近畿地方(2018/10/09 訪問)

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タグ:兵庫県
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