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1581 后飛崎=土庄町豊島家浦(香川県)あの豊島産業廃棄物事件の現場はここだった [岬めぐり]

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 豊島(てしま)のいちばん西の端に、南北に細長い高さ20メートルほどの膨らみがぽこんとある。この丘の上には鉄塔が立っていて、その下の周囲はまだ何かの工事でも始まる前の現場のような雰囲気が漂っている。この丘の北端に、后飛崎という岬の名前がついているが、その名前がどこか使われたりすることはほとんどないようだ。
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 ここが、史上最悪といわれた産廃不法投棄事件の現場であったらしい。ネットに残るその豊島産業廃棄物事件の記録を拾い読みしてみても、后飛崎は出てこないが、水ヶ浦という名で呼ばれていたのが、岬から東へ続く海岸であった。
 この美しい名をもつ美しい場所が、悪名高い不法投棄事件の現場になったのは、1970年代後半から80年代にかけて、悪質な業者によって不法に大量の産廃が集められ持ち込まれたためだった。島民は住民運動を起こしてこれに対抗しようとしたが、肝心の行政がここにあった古代遺跡まで破壊してゴミため場にしてしまう札付きの業者に無策であるばかりでなく、学者出身の当時の知事と行政が逆に住民運動を牽制して業者に有利な扱いを繰り返してきたことなど、その無責任さと職務怠慢が、問題をさらに大きくし長期間にわたって拗らせてきたと指摘されてきた。
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 1990年の産廃業者の摘発も、香川県警ではなく兵庫県警によるものだったのは、処理能力の数十倍におよぶ産廃は主に関西地区から集められたものだったためということもあるようだが、この問題を最初に取り上げたメディアも香川や四国ではなく岡山のほうからであったという。
 1997年に業者には破産宣告が出されるが、それでおわらないのが、大量の有害物質を含む残された産廃の処理だった。
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 住民運動は事件の当初から根気よく県外から全国へ展開され、結果的には半世紀近くもの長い間続くことになるが、その過程で豊島産廃事件は広く大きく注目を集めることになる。公害調停を申請するにあたっては中坊公平氏が住民側の弁護をし、やっと香川県が誤りを認めて調停が終わったのは2000(平成12)年で、残された有害産廃は直島の三菱マテリアルの施設に運ばれて処理されることになった。2017年に無害化処理と撤去はいちおう完了したとされたが、その後また新たな廃棄物が見つかるなど、事件が残した傷跡と影響は大きかった。
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 この事件でも、遠く離れた傍観者に過ぎなかったので、豊島の位置すらかつての認識からは明確でなく、ましてやその場所が豊島西端の后飛崎にあったことなどまったく意識にもなかった。
 だが、こうして豊島にも岬めぐりでやってきて、通り過ぎて行くフェリーの上からながら、その現場を眺めていると、いくらかその事件の深刻さや、運動当事者の苦労や、悪質業者への怒りや、行政の不適切な対応とそれの始末にかかる膨大な費用などなど、さまざまな不合理さ理不尽さが、層のように積み重なって見えてくるのだ。
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 これほど各方面に大きな影響をもたらした大事件も、そもそもはたった一人の人間の悪意のある仕業から始まり、その強烈な個性とパワーに適切に対応できずにまたは不適切な対応を繰り返し、無為に年月を経過させ悪化させていく行政の不作為にあったことに、問題の構造的深刻さにあったのだと改めて思わせる。

▼国土地理院 「地理院地図」
34度28分57.41秒 134度2分13.32秒
スクリーンショット 2019-03-02 9.10.09.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/12 訪問)

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タグ:香川県
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