So-net無料ブログ作成
  • ブログをはじめる
  • ログイン

1479 マッカ岬=増毛郡増毛町岩尾(北海道)かつては連絡船がつないだ断崖の沿岸を今ではバスがトンネルと道路と橋でつなぐ [岬めぐり]

hikatamakka-9.jpg
 日方岬から東北東へ3.4キロの位置にあるのがマッカ岬。そこから少し内陸に入った山の中を突き抜けるマッカ岬トンネルは、680メートルほどの長さしかないが、そこから東にはペリカトンネル390メートル、そして約2キロ弱の大別苅トンネルが続いている。
hikatamakka-3.jpg
hikatamakka-2.jpg
 3つのトンネルの間には、尾根の切れ目の谷間があり、そこを国道は橋で渡っている。
hikatamakka-4.jpg
 マッカ岬トンネルの南西側では谷というより、標高100メートルほどの開けた海の見える山腹上を横切って通る。その1.2キロの間は、歩古丹橋、望洋橋、涛景橋など6つもの橋が続いているが、橋といっても下を川が流れているわけではなく、尾根の切れ目で谷になっている部分を橋でつないで、道路を平らに保っているわけだ。
hikatamakka-6.jpg
 この国道を、車でバンバン走り抜ける分には、なにも関係ないし気がつかないのだが、地図を見ると西の涛景橋を渡った辺り(つまり、日方泊トンネルの出入口の手前付近)から、国道から分かれて東の山にヘアピンカーブを繰り返しながら登って行く道がある。
hikatamakka-10.jpg
 どうやら、これがトンネルができる前に実際に使われていた旧道らしい。くねくねと山肌に沿いながら、できるだけ等高線に逆らわないようにして延々と続く山道は、マッカ岬トンネルとペリカトンネルの南を大きく回りこみ、大別苅トンネルの上を抜けると下り始め、大別苅川を横切ったところ、大別苅トンネルの孔口近くで国道231号線に合流している。
hikatamakka-1.jpg
 その付近の標高が100メートルくらいで、そこからマッカトンネルの西側の孔口を出て、いくつもの橋を通る付近までの間は、途中ペリカトンネル付近で130メートルと高くなっているが、トンネルと橋と道路で通るこの道は、ほぼ同じ高さといってもよい。
hikatamakka-11.jpg
 日方泊トンネルの東側開口部付近の涛景橋の辺りは50メートルくらいで、そこから300メートルもの高さを登りまた100メートルまで降りていた旧道の山道に比べると、いかにもありがたいものであろう。
hikatamakka-5.jpg
 ここの3つのトンネルができたのは1990年代の初頭だから、それ以前はもっぱらこの旧道ルートが唯一の道であったのだろう。それも歩古丹(あゆみこたん)にまだ集落があった頃までのことだろうが、この辺の事情は、ちょっと通りすがりにはなかなか全容をつかみにくい。だが、この旧道は冬季には閉鎖された。
 増毛まではまだ鉄道が通っていたが、雄冬へ行くには冬には陸路では行けず、増毛から雄冬へは小さな連絡船が通っていた、という。それも厳しい気象条件のなかではしばしば欠航した。
hikatamakka-8.jpg
 その連絡船は、この次のカムイエト岬、このマッカ岬、前の日方岬の断崖絶壁を見ながら、雄冬まで辿り着いたのだ。1日1往復の「雄冬丸」は、増毛=歩古丹=岩尾=毛間振(ケマフレ)=雄冬と途中の断崖に張り付いている小さな集落にも寄りながら、2時間近くかかって運航していたらしい。
 それも、1992(平成4)年のマッカ岬トンネル・ペリカトンネル開通までのことだったようだ。
 ところが、国道231号線の開通・全通は、雄冬岬トンネルが開通した1981(昭和56)年ということになっている。この10年間の経緯が、通りすがりにはわかりにくいとところなのだが…。
 2時間かけて連絡船がつないでいた区間を、現在ではその名も沿岸バスという会社の大型バスが30分ちょっとで走り抜ける。
 だが、その日に3便のバスの利用者は、当時の30人乗り1日1便の連絡船の乗客よりも、はるかに少ないのであろう。
hikatamakka-16.jpg
 ここにもあったマッカ岬
 
712 マッカ岬・ビヤノ岬=積丹郡積丹町大字幌武意町・大字美国町(北海道)美国から黄金岬と宝島の間にどうにか見えた


▼国土地理院 「地理院地図」
43度49分16.09秒 141度25分26.08秒
hikatamakkaM-1.jpg
dendenmushi.gif北海道地方(2017/07/02 訪問)
@このブログは、ヘッダー、サイドバーをも含めた、全画面表示でみることを大前提としています。

にほんブログ村 その他趣味ブログ
その他珍しい趣味へ 人気ブログランキングへ

タグ:北海道
きた!みた!印(23)  コメント(0) 
共通テーマ:地域

1478 日方岬=増毛郡増毛町岩尾(北海道)見えない岬をトンネルで通過する国道231号線その2 [岬めぐり]

hikatamakka-12.jpg
 日方岬もこの次のマッカ岬も、見えない岬で、国道231号線は長いトンネルでそこを通り抜ける。南から北への掲載順だが、この区間の写真は北から南へ向きのものばかりになってしまった。
 そこで、まずは日方泊トンネルの北側から岩尾までの車窓から。
hikatamakka-13.jpg
 日方泊トンネルは2005(平成17)年に開通しているのだが、ここもまた旧トンネルとしてあった歩古丹(あゆみこたん)トンネルと天狗トンネルを改良しつつ、つなげつつできた新トンネルで、南側で連結する覆道と黒岩トンネルを合わせると4キロを超える長さになる。
 北側のトンネルの開口部での標高は200メートル弱だが、ここから270メートルくらいの尾根の下を通り、覆道で海岸線近くまで下っている。出入口の右手に海岸と岩がちょっと覗いているが、これは日方岬からは東北東1.6キロくらいのところにある膨らみ。日方岬はトンネルの真っ只中。
 出入口の下のほうになにやら構築物のようなものがある。これも推測だが、ここから下にあった旧トンネルと旧道へ続くルートの在処を示す痕跡の一部なのではないだろうか。
 そう思って調べてみると、やはりそうで、白い屋根の下に旧歩古丹ンネルの孔口があった。現在の地図からは消えかかっているが、それでもわずかな痕跡を残している。このトンネルはそう長いものではなく、その先は海岸の膨らみを旧道によって越えていた。
 では、同じく現在の地図からは確認できない天狗トンネルは、どこにあったのだろうか。
hikatamakka-14.jpg
 天狗トンネルは日方岬の東から南西方向に1.2キロ伸びて、岬を越えていた。現在の日方泊トンネルは、この旧天狗トンネルに途中からつながって、黒岩の覆道に通じている。もちろん、トンネル内は全部新しくなっているので、どこが繋ぎ目かはわからない。
 もっとも、そんなことを気にする人なんて、誰もいないだろうが。
 いやいや、いるんですね案外。
 これまでも何度かふれてきた、旧道・廃道・廃墟マニア。
 そういう人たちにとって、ここらも重要なポイントらしい。
 実際、今はもうない旧トンネルの所在も、公式記録はほとんど見当たらず、そういう人たちのネット情報によって、初めて知ることができる。
 ありがたいことではあるが、そういう情報のなかには、本文まるまるwikipediaのコピペ丸写しで、引用出所も明記していないものもある。まことに遺憾で残念なことですね。
 もともとはこの日方岬とこの北に続くマッカ岬をまとめて一項目にするつもりでいたが、やはり分けたほうがいいかと…。
 …次項に続く。
hikatamakka-15.jpg
hikatamakka-17.jpg
 あ、そうそう。忘れるとこだった。
 実は同じではないけれど、似たような岬の名前があった。というか、トンネルのほうと同じ名前の岬があったんです。
 北海道は松前半島西海岸、上ノ国町字小砂子にある、「日方泊岬」。
 ここは、灯台まである立派な岬である。そして、ここもバスで通ったはずなのに、みると項目がないことに気がついてしまった。
 困ったね。どうしよう。

▼国土地理院 「地理院地図」
43度48分22.13秒 141度23分16.77秒
hikatamakkaM-2.jpg
dendenmushi.gif北海道地方(2017/07/02 訪問)
@このブログは、ヘッダー、サイドバーをも含めた、全画面表示でみることを大前提としています。

にほんブログ村 その他趣味ブログ
その他珍しい趣味へ 人気ブログランキングへ

タグ:北海道
きた!みた!印(21)  コメント(0) 
共通テーマ:地域

1477 赤岩岬=増毛郡増毛町雄冬(北海道)追分ソーランラインが雷電国道になってオロロンラインへつながる北海道西海岸の道 [岬めぐり]

akaiwam-1.jpg
 この国道231号線が開通したのは、1981(昭和56)年のことで、雄冬岬トンネルの完成によって、当時の浜益郡浜益村と増毛郡増毛町の間が、初めてつながった。これによって、札幌=留萌間の最短ルートが全通したことになる。
akaiwam-2.jpg
 けれども、現在の地図には「雄冬岬トンネル」の表記はない。それは2016(平成28)年に、それまであったガマタトンネルと雄冬岬トンネルのふたつのルートをつなげて、総延長4,748メートルの浜益トンネルひとつに統合しているからだ。
 北海道の石狩以北の西海岸を走る国道は、別名「オロロンライン」というらしい。檜山の海岸を走る道路は「追分ソーランライン」だったし、それが島牧からは「雷電国道」となって小樽までつながってきた。それが、ここではオロロンラインになったわけだ。
 「雄冬」という地名は、石狩市と増毛郡増毛町が分けあっているが、集落の大部分は増毛町に属している。留萌から来てまた北へ折り返していくバスの車窓から、岬を拾っていくが、写真は往復のが入り混じり、展望の開けた南向きのほうが多くなる。
akaiwam-8.jpg
 雄冬集落の北に、「ケマフレ」というバス停がある。
 ここには東の山からケマフレ川が流れてくるが、その谷は幅600メートルもある開けたカール状の谷になっている。
 オロロンというのは鳥の名なのだが、ケマフレというのもそうらしい。赤い足が特徴の黒いウミスズメ科の鳥の名だというし、例によってその名もアイヌ語で「赤い足」を意味する。もともとオホーツクやカムチャッカという北海道東北部地域の鳥の名ケマフレが、どうして北海道も西海岸のここについているのだろうか。
akaiwam-9.jpg
 そのケマフレの400メートル北東寄りに見えてくるのが、赤岩岬。こういうところは、たいてい岩や土の色が赤いというところからその名が付けられていることが多いが、ここもそうなのか。ここから先には岩尾温泉があるが、そこをさらに北に行くと、黒岩トンネルというのもあるので、あるいは単純なる比較でついただけなのかもしれない。…やっぱり赤いね。
akaiwam-10.jpg
 70メートルほどの高さをもつ岩の小尾根が、短くチョンと飛び出していて、短い覆道が南西東北両側についたトンネルでそこを通過する。
akaiwam-7.jpg
 これが、ここを走っている沿岸バスの車内。乗客も少ない(というか、でんでんむししかいない、この区間では)のに、大型の観光バス仕様だ。
akaiwam-6.jpg
 この岬から北へは、しばらく覆道が断続的に続いていて、その途中にはアカイワ川という川も流れ下っている。覆道やトンネルが多いということは、そこに道路を通すことがなかなか大変だったということを示している。
akaiwam-5.jpg
 赤岩岬はやはり、この地域の地質の特徴が、その名を生んだもののようで、南からでははっきりしないが、北から見たところでは岬とその周辺では確かに崖や岩が赤く見える。してみると、ここもアイヌ語源がそのほとんどを占める北海道では、わずか2割ほどしかない和名語源による命名ということになるらしい、
akaiwam-4.jpg
 もっとも、2割というその根拠はうろ覚えで、地名というのは町や村の名なのか、山や川の名をなど自然地形を含むのか、岬は入るのか入らないのかはわからない。
akaiwam-5.jpg
 こうした海岸の小さな出っ張りに、わざわざ岬の名をつけるのは、多くは船の航行や漁労の便であったりすることが多いが、ここの場合はなんとなく道路のほうからついたのではないか、とそんな気もする。
akaiwam-1.jpg
 北海道は昔からライダーが多いが、釣り人は全国どこにでもいる。しかし、こんなところまでちゃんとやってきてちゃんと竿を出しているのは、なかなか見上げたものだ。
akaiwam-11.jpg

▼国土地理院 「地理院地図」
43度45分27.93秒 141度21分15.99秒
akaiwamM-1.jpg
dendenmushi.gif北海道地方(2017/07/02 訪問)
@このブログは、ヘッダー、サイドバーをも含めた、全画面表示でみることを大前提としています。

にほんブログ村 その他趣味ブログ
その他珍しい趣味へ 人気ブログランキングへ

タグ:北海道
きた!みた!印(23)  コメント(0) 
共通テーマ:地域

1476 雄冬岬=石狩市浜益区雄冬(北海道)カモメになって飛んでいかないと見えない浜益トンネルのゆるい膨らみ全体 [岬めぐり]

ofuyum-6.jpg
 ゆるい弧を描く急峻な崖の海岸線を一本の道路が通っていて、その内側に巨大な山塊を抱えているので、鉄道はそのはるか内側を走る。海岸線に点在する集落は、飛び飛びで小規模である…。
 そんな意味では、これまで渡島半島北部で残っていた、毛無山の帆越岬・尾花岬と、狩場山の茂津多岬と、ここ暑寒別岳1,492メートルを主峰とする増毛山地の西に張り出す雄冬岬も、まったく同様のかたちになっている。
 ただ、渡島半島と異なるのは、この海岸線を走る国道231号線は、いちおう札幌と天塩を結ぶ急行路線バスが走っていることだ。ならば、そのバスで…と計画はしてみたのだが、どうやってもバスの時間の都合でうまく合わない。
 それに、たとえそのバスに乗ったとしても、実は雄冬岬を見ることはできない。
 なぜなら、ここも尾花岬や茂津多岬と同じく、長いトンネルでそこを通過しているから、船をチャーターするか、カモメになって飛んで行くしか見ることができない岬なのだ。
ofuyum-5.jpg
 そんなわけで、途中の覆道も含めて4キロもある浜益トンネルの北寄りに位置する雄冬岬は、留萌からバスで雄冬まで行き、そこから岬のほうを眺めるにとどまる。
ofuyum-2.jpg
 バスは主に留萌市内を走る路線バスなので、増毛町の雄冬から南には行かない。というか、次の集落は南に5キロ以上離れた千代志別までない。だいたい、留萌からここまで来るだけでも大変なのだ。
 見えている崖の1キロ先にあるはずの雄冬岬は、断崖と護岸の海岸でちょこんと飛び出た岩礁に過ぎない。それなのに有名で存在感があるのは、ひとえにこの山塊の膨らみの大きさによるのだろうか。
ofuyumM-1.jpg
 いやいや、それよりも地理院地図の岬名表記の位置が、小さな出っ張りにくっつきすぎているだけで、別にそこが岬というわけではないのだろう。
 雄冬岬とは、特定の出っ張りの名前ではなく、浜益トンネルの通る断崖の膨らみ全体を総称しているのではないか。そう考えるほうが当たっているのだろう。
 岬の位置は石狩市だが、この市ではほかに岬がない。長い距離をもつ石狩湾岸では、小樽の平磯岬から東へそして銭函から石狩川河口を過ぎて北上しても、次の岬がこの雄冬岬になる。まさに岬不毛の地帯がおよそ95キロにわたって続いている。河口で砂浜が長いこともあるにはあるが、すぐ北に続く雄冬と増毛の間の23キロでも4つも岬があることと比べれば、この区間は特殊だ。
 もっとも、こんなことを詮索したところで、たいして意味がないことは、充分承知のうえでのことなのだが、とりあえず、小樽から北へは次の岬がここだということだけは、あきらかにしておく必要がある。
ofuyum-7.jpg
 バスの終点で、折り返しバスの発車までここでもあまり時間がないので、うろうろもできない。このバス停の先あたりが、石狩市と増毛町の境界線になるはずなのだが。
ofuyum-8.jpg
 みごとな岩の崖が目立つ山とその北側の展望台のようなものがある山に挟まれて、雄冬の集落は漁港の南、国道からは少し山側にひっこんだところに集まっているようだ。
ofuyum-11.jpg
 この展望台があるところは雄冬園地というらしい。そこまでは自動車道がついているようだが、そこに上がるとほんとうに雄冬の雄大そうな岬のある崖まで見えるのだろうか。地図で検証する限りでは、方角からしてそれもなかなかむずかしいように思える。
ofuyum-9.jpg
 しかし、そうでなければ、こんなところに展望台をつくって、なにを展望しようというのだろう。展望できないでんでんむしは、海岸に張り付いたまま考えてしまう。夕日だけならそんな高いところに上る必要もない。
ofuyum-3.jpg
 その海岸には、丸い土管を輪切りにしたようなものが置いてある。この中に夕日が沈むとか、おおかたそんなところであろうが、これが国道231号線の開通記念の記念碑を兼ねている。
ofuyum-4.jpg 沖には、地図に描かれているほどには確かではなく、単に岩があるというだけのとど島がある。だが、1,197メートルの雄冬山から流れ下る稜線の延長線上にあるこの岩こそ、石狩市と増毛町の境界線の目印なのだ。
ofuyum-12.jpg
 バスで南に下っていくとき、雨のしずくをつけたフロントガラスに、雄冬の漁港と集落と崖が見えていたが、今度は逆方向、北に向かうバスが折り返すのを待っている。雨は小雨がまだ降り続いていた。
ofuyum-1.jpg

▼国土地理院 「地理院地図」
43度43分6.98秒 141度19分49.44秒
ofuyumM-2.jpgofuyumM-3.jpg
dendenmushi.gif北海道地方(2017/07/02 訪問)
@このブログは、ヘッダー、サイドバーをも含めた、全画面表示でみることを大前提としています。

にほんブログ村 その他趣味ブログ
その他珍しい趣味へ 人気ブログランキングへ

きた!みた!印(27)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

番外:岩見沢から留萌へ=岩見沢市五条西 留萌市栄町(北海道)函館から数えると留萌までは約450キロJR北海道 [番外]

iwamizawa-3.jpg
 島牧村の岬をいちおうバスで行けるところまで行って、また寿都に引き返してきた。前述のとおりここで時間があったので、湯別の温泉施設で休憩し、最終のバスで黒松内に戻り、函館本線で三度長万部駅に帰ってきた。
 何度にも分けて、4回(このうち鵜泊線の1回は前に済んでいたので、今回分は3回)も行き止まりのバス路線に乗って行ってはまた終点で折り返し…ということを重ねて、とにかく、これでやっと檜山の岬めぐりは完了となった。
 日も暮れて夜になったが、この日のうちに少しでも北上しておこうと、長万部から室蘭本線(と千歳線)で札幌まで行き、札幌から函館本線に乗り換えて、岩見沢の駅前近くのホテルに着いたのはもう23時を回っていた。
 当初計画では、札幌で一泊と考えていたが、この日は土曜日の夜だったためか、どこもホテルが満室でとれない。おまけに、外国人観光客も多いため、バブル状態になっているのだろうか。札幌駅周辺のホテルはやたらに高いので、あまり泊まりたくもない。
 それなら、札幌は素通りしてもっとできるだけ北上しておこうと、岩見沢までやってきた。今や札幌のベッドタウンとなったらしい岩見沢方面へ行く土曜の夜の最終電車は、途中の江別を過ぎるまで超満員状態だった。旭川方面へ行く途中で通過することはあっても、ここで降りるのは初めてだ。
iwamizawa-1.jpg
 石狩平野の北東に位置する岩見沢は、北海道開拓の初期の段階から道路ができ宿ができ鉄道が通って駅ができ開拓者が定住して…そうして発展してきた街という点では、まるでアメリカの西部開拓史を地でいくような道筋を辿ってきたようだとも言える。
 それらすべてが、1878(明治11)年から5〜6年くらいの間に起こっている。開拓の中心となったのは、本土各地からやってきた旧士族とその家族であったという。
 未開の地にまっすぐな道路をつくり、まっすぐな線路を敷き、条里制の街をつくってきた岩見沢の名は、めずらしくアイヌ語源ではない。なんでも、開拓者が休泊所で浴(ゆあみ)をした、というところから転訛して定着した名だという。
iwamizawa-2.jpg
 ばんえい競馬のソリを引く馬ばんばがホームにいる岩見沢駅は、駅舎も近代的な建物でエスカレーターで橋上改札へ行き来するという、最近流行りというか、あちこちでよくある方式で、駅前もきれいに整備されている。それは、2000年の火災で旧駅舎が全焼し、その後に再建して間もあまり経っていないからなのだろう。なんとなく、規模はより大きいが旭川とも雰囲気が似ているような印象を受けた。
sapporoiwamizawaM-1.jpg
 美唄などの炭鉱が近くにあったこともあって、岩見沢は鉄道輸送の中心地ともなっていた時期もある。室蘭本線が苫小牧から千歳線と分かれて、岩見沢につながっているのは、その名残りとも言える。
iwamizawa-4.jpg
 翌日は、始発に乗って深川まで行き、そこで留萌本線に乗り換える。
iwamizawa-6.jpg
 ここを走る函館本線の普通電車は、3つドアで車両の中央部の出入口に車内ドアがある。冬の防寒対策なのだろう。線路が走る西側は、石狩川が蛇行しながらいくつもの三日月湖や沼池をつくり、南北に流れる一帯は水田と低湿地帯が広がる。石狩川の右岸には、札沼線という鉄路も走るが、これが滝川の手前で突然終わる。
fukagawa-3.jpg
fukagawa-1.jpg
 滝川から東へは、根室本線と空知川が分かれていき、函館本線が旭川に向かって方向を変える深川から、留萌本線が北西の山を越えていく。
tougesitarumoiM-1.jpg
 雨竜郡沼田町字恵比島から、100メトールほどの恵比島峠をトンネルで越えると、留萌市大字留萌村の峠下に降りる。
 ここから留萌本線は、国道233号線と留萌川とともに下っていくが、いくつかの無人駅を通りながらのこの付近の趣も格別のものがある。終点留萌駅のひとつ手前の大和田駅でも、こんな感じ。
fukagawa-4.jpg
 1910(明治43)年に深川=留萌間が開業した国鉄留萠本線は、1921(大正10)年には留萠=増毛間が延伸されてきたが、その16.7キロ区間が2016(平成28)年暮れに廃止されたばかりだ。これで、50.1キロとなった留萌本線は、日本一短い「本線」となった。
fukagawa-2.jpg
 昨夜の長万部から、途中岩見沢で一泊して、留萌までやってきた。函館北斗から数えると、札幌までは約300キロ、106.6キロ、それに留萠本線の50キロを足して、計JR北海道内450キロになるので、これだけ乗れば、まあ「JR北海道フリーパス」の意味もあっただろうか。
rumoi-1.jpg
 留萌という地名は、随分昔から聞いていて、いちおうはその位置関係とともにインプットはされていたのは、昔の職場の先輩に留萌出身という人がいたからだ。だが、実際に降り立ったのは、今回が初めて。
rumoi-2.jpg
 留萌に着いた時から、雨が降り出してきた。そこでまた、まず黄金岬へ行く予定だった計画を変更して、まずは雄冬方面へ行くことにした。
 ここから南の雄冬までと、ここから北の羽幌・初山別へと続く岬めぐりは、行動順ではなく、南から北への順で掲載となる。そのほうが、位置関係が混乱しないだろう。

▼国土地理院 「地理院地図」
43度12分8.72秒 141度46分2.66秒 43度56分31.66秒 141度39分7.77秒
syakotannrumoiM-1.jpgtosimasapporoM-1.jpg
dendenmushi.gif北海道地方(2017/06/30 訪問)
@このブログは、ヘッダー、サイドバーをも含めた、全画面表示でみることを大前提としています。

にほんブログ村 その他趣味ブログ
その他珍しい趣味へ 人気ブログランキングへ

タグ:北海道
きた!みた!印(22)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

1475 白糸岬=島牧郡島牧村字持田(北海道)もうほとんど人の記憶には残っていないトンネル崩落事故を記録から掘り返してみる [岬めぐり]

shiraitom-6.jpg
 木巻岬を過ぎてなおも南西へ走るバスの前方車窓には、小田茜と栄浜が見えてくる。このときにも左手に大きな山塊がせり出しているのがわかるが、そのてっぺんは見えない。
shiraitom-2.jpg
 茶色のひときわ大きな建物が辺りを圧しているが、これがただ一軒の温泉宿らしい。何度も何度も計画を立てたり棄てたりしている途中では、ここに泊まることも考えてはいたのだが、なかなかうまくいかなかった。
shiraitom-3.jpg
 でも、ここに泊まれば、あるいは島牧で一台のタクシーがどこか遠くへ行っていなければ、白糸岬のそばまで寄れ、白糸の滝も間近で眺めることができたはずだ。これは繰り言を言っているのではなく、公共交通機関でめぐる岬めぐりの実態を冷静に見つめているに過ぎない。
 それでも、茂津多岬でも一晩須築で一軒だけの旅館に泊り、栄浜でも一軒宿の温泉に入ることにすれば、どちらも可能だったわけで、不可能なわけではない。
 ただ、それではあまりにも日程が延び延びになり、時間と費用がかかり過ぎるという難点が、そういう計画を可能にしていないだけの話だ。日本全国の岬を回ろうというこの岬めぐりの趣旨では、早回りというわけではないが、交通機関のダイヤ任せで、できるだけ効率的に先へ進むことを主眼とせざるを得ないのだ。
shiraitom-4.jpg
 栄浜のバスの終点は、郵便局の付近で、集落の中ほどではあるが、漁港にはまだ少しある。漁港の向こうに見えている急峻な崖は手前のだが、その向こうに白糸岬の崖も一部重なって見える。
shiraitom-9.jpg
 国道229号(と276号)の先には、トンネルの入口が見えている。地理院地図では名前の表記がないが、栄浜トンネルという。このトンネルを抜けると、白糸岬もその全貌を現すはずである。だが、220メートルのそのトンネルを抜けて行く時間的余裕がない。折り返すバスがその発車時間を待っているからだ。
shiraitom-10.jpg
 トンネルの先には人家はなく、ここが袋小路(公共交通機関では)の行き止まりなのだが、栄浜トンネルの先には白糸トンネル1,806メートル、兜岩トンネル1,371メートル、狩場トンネル1,648メートル、そして茂津多トンネル1,974メートルでせたな町の須築へ抜けるまで、長いトンネルが4つも連続している。
shiraitom-7.jpg
 地理院地図をよく見ると、この北部、白糸トンネルから狩場トンネルに至る海岸線にも、旧道または旧トンネルの存在を示すような表記がある。
 ここにまた、事件は隠れていた。1997(平成9)年)8月25日(もうすぐ丸20年目)第2白糸トンネルが崩落するという事故が起こっていたのだ。
shiraitomM-2.jpg
 トンネルの崩落事故といえば、すぐに1996年豊浜トンネルの崩落が思い浮かぶのだが、ここの事故はそれから1年半後に起こっていた。20人の死者を出しバスが押しつぶされるという衝撃的な豊浜に比べると、この白糸のほうは幸い誰もいないところで崩れたためか、あまり注目されなかった。
 しかしながら、崩落した岩盤の総体積という点で見ると、実に豊浜トンネル崩落時の約5倍の量であったという説もあるくらいだから、まったく想像もできないような大規模崩落だったらしい。
shiraitom-8.jpg
 事故調査にも加わっていたという北海道大学大学院の渡辺輝夫氏が発表している論文によると、崩落した第2白糸トンネル東方には第四紀更新世のカンラン石玄武岩からなる穴床溶岩が300メートルもの台地をつくっているという。海岸から台地のの先端までは400メートルで、平均傾斜36度という急傾斜だという。一方、海のほうも、22キロ沖合の水深は3,000メートルで海洋性地殻の海底に達している。日本の海岸線でこれほど海岸近くに深海が発達している例はない、というのだ。
 つまり、事故現場付近の海底から山頂までの地形の急峻なことは、日本では他に例をみない、世界的にみても急な地形の上にトンネルを掘り、道路をつけていたことになる。
shiraitom-5.jpg
 豊浜と違ってテレビが中継することもなかったし、誰も見ていなかったわけだが、その後何年かこのルートは通行できなかった。ただ一本の道路の復旧が急がれ、このときに二本あった白糸トンネルは一本にして、旧道・旧トンネルは放棄し、これを避ける内陸寄りに新たなトンネルを通した。1999(平成11)年には白糸、2001(平成13)年には兜岩、2002(平成14)年には狩場の現在の各トンネルが開通している。
shiraitom-6.jpg
 なお、1,974メートルの茂津多トンネルは、この事故には影響がなかったので、1974(昭和49)年の開通以来のまま。(開通年と長さの数値が同じなのは、開口部のトンネルの覆いを延長してわざわざその長さに合わせたと思われる。)
 白糸岬のあるところを通っていたのが第1白糸トンネルでその南が第2白糸トンネルだったようで、事故現場は地図で白糸ノ赤岩、女郎子岩とある付近だったらしい。
shiraitomM-5.jpg
 地理院地図で旧トンネルの位置を確認しているうちに、また変なことに気づいた。
 白糸の滝のところは「島牧村-」という表記になっている。「-」が「1」なのかそれとも記号なのかわからないが、地理院地図では茂津多岬を含む狩場山地のほとんどをこの表示にしている。
 けれども、白糸の滝からほんのわずか海岸に寄ると、そこは「島牧村字持田」となるのだ。白糸岬を含め、旧道・旧トンネルの海岸線はすべて「字持田」なのだ。これは崩落事故となにか関係があるのだろうか。
shiraitomM-4.jpg

▼国土地理院 「地理院地図」
42度39分56.34秒 139度52分9.11秒
shiraitomM-1.jpg
dendenmushi.gif北海道地方(2017/07/01 訪問)
@このブログは、ヘッダー、サイドバーをも含めた、全画面表示でみることを大前提としています。

にほんブログ村 その他趣味ブログ
その他珍しい趣味へ 人気ブログランキングへ

きた!みた!印(25)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

1474 木巻岬=島牧郡島牧村字栄浜(北海道)覆道だらけの国道229号(と276号)を西へゆるく膨らんで回りこむ [岬めぐり]

kimakim-8.jpg
 島牧小学校が海岸にあるのはあるいは高台に適地がなかったのかもしれない、というのは勝手な憶測に過ぎないが、というのも島牧村では平地が極端に少ないからで、原歌のように崖から下はすぐに海というところが多い。とくに原歌から西へ向かう海岸線は、50メートルくらいの崖が延々と栄浜まで続いている。
kimakim-2.jpg
 そこを1本だけ通る国道も、途中穴澗トンネルがひとつあるが、あとは10か所にも及ぶ覆道でここを抜けることになる。
kimakimZanaT-5.jpg
 覆道は、トンネルを掘るまでもない、あるいは地形的にトンネルを掘ることはできないが、落石や崩落の危険をあらかじめ防止する必要がある、という場合に採用される工法だろうと思われる。
kimakimZ-1.jpg
 地図上では蒲原磯と名がある岩礁の海岸に設けられた覆道には岩車という名があり、そういう地名表示の標識を島牧村では立てている。しかし、現在の地図では、その記名表記を探すことができない。島牧村字原歌町という広範囲にかぶせられた新住所表示に覆い隠されてしまっているからだ。
 こういう旧字名は、せめて地理院地図では残してほしいと、切に願う。
kimaZ255-1.jpg kimaZ255-2.jpg
kimaZ255-3.jpg kimaZ255-4.jpg
 覆道の道の、原歌と栄浜の中間に位置するのが木巻岬だが、ここはいかにも岬のように飛び出しているわけではなく、道が大きく丸いカーブを描いているだけの場所である。
 ここにはちゃんと灯台がある。しかし、それは東から西に向かうところでは長い覆道があることもあって、見えない。その覆道は新木巻覆道といういちばん新しく工事が終わったという感じだった。
kimakimZ-8.jpgkimakimZ-9.jpg
 帰りに西から東へ向かう道では、しっかりと木巻岬灯台の姿を見ることができる。
kimakimZ-10.jpg
 国道からは、灯台に登る斜路があるきりで、周囲にはなんにもない。やはりここはあまり岬らしいという地形ではない。だが、確かにこの辺りで灯台が欲しいところではある。
kimakimZ-11.jpg
kimakim-4.jpg
 この付近の灯台といえば、北の積丹半島の神威岬の灯台から南へは泊の原発を挟んで弁慶岬までない。この区間は岩内で海岸線が東へ凹んでいるので、弁慶岬までいらないということなのだろうか。
kimakim-5.jpg
 弁慶岬から南は、本目岬とこの木巻岬にあるが、あとは茂津多岬灯台までない。そういえば、せたなの尾花岬と帆越岬にも灯台はなかったので、水垂岬から小歌岬までの間も灯台は建てるのがむずかしいという事情があったのかと推察される。(それに、その海岸では西に奥尻島もあるし。)
kimakim-6.jpg
 この木巻岬に、タクシーに乗ってでもやって来ようとしたのは、そうしたなんにもない風景が好きという、へそまがり的志向もあるが、灯台から白糸岬の先端くらいは望めるのではないかと期待していたからだ。地図で確認したところでは手前の丸い出っ張りがじゃまになって、見えないだろうとは思っていたのだが、灯台まで行けばまた茂津多の山くらいは…。
kimakim-3.jpg
 西へ進んできた覆道の道は、木巻岬をゆるく回りこむと、南西方向に下っていく。天狗岳659メートル、オコツナイ岳1171メートル、そして狩場山1520メートルを主峰とする狩場山地の北西をなぞっているわけだ。
kimakim-7.jpg

▼国土地理院 「地理院地図」
42度41分15.73秒 139度55分33.35秒
kimakimM-1.jpg
dendenmushi.gif北海道地方(2017/07/01 訪問)
@このブログは、ヘッダー、サイドバーをも含めた、全画面表示でみることを大前提としています。

にほんブログ村 その他趣味ブログ
その他珍しい趣味へ 人気ブログランキングへ

タグ:北海道
きた!みた!印(26)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

1473 北国澗=島牧郡島牧村字江ノ島(北海道)道の駅「よってけ島牧」に言われるとおりに寄ってはみたものの計画が破綻 [岬めぐり]

enosimakaigan-3.jpg
 村役場のある泊を過ぎると、江ノ島海岸で、弁慶岬からずっと南西方向に下ってきた道は、この付近から西へ向いて走る。
enosimakaigan-1.jpg
 島牧村の海岸線も、だいたいこの付近で半分くらいだろうか。
hokkokukanM-3.jpg
 長い砂浜の続く江ノ島海岸の前方に見えてくるのが北国澗。ここも国土地理院地図で斜体表記の準岬名表記として一項目を設ける。
enosimakaigan-4.jpg
 水と谷を意味する「澗」の字が、海岸線につけられている名に多いのも、北海道の特徴といえるのかもしれないが、ここは断崖の岩島を半分抱え込むようににした二本の太い腕が海に突き出している。岩島と二本の腕は直接つながっているわけではないのだが、東側の江ノ島海岸から眺めると、それが重なっているので、まったくひとつの岬のように見える。
enosimakaigan-5.jpg
 手前の腕の尾根はなだらかに低く落ちているので、屹立した先端の部分は、岩島の崖なのだ。
 東西に広げた二本の腕の間隔は540メートルほどあるが、この付け根を江ノ島トンネルで抜ける。このトンネルも前項の厚瀬崎トンネルと同じで、海岸に近いところを、今は使わなくなった旧道と廃トンネル跡を示す )   (  が、3つも表示されている。
shimamakisyou-2.jpg
 トンネルを出たところは千走(ちはせ)で、千走川の河口右岸には、スポーツセンターや温泉施設、そして左岸には道の駅「よってけ島牧」があるので、計画通りいったん近くの賀老通りでバスを降りる。
 道の駅「よってけ島牧」に寄って、ホッケバーガーとコーヒーの遅い朝食をとれたまではよかったが、なんとここで想定外の事態が発生。計画が大きく狂ってしまった。
hokkokukan-1.jpg
 計画では、ここで村でただひとつのタクシー会社がこのすぐ近くにあるので、そこに電話して迎えに来てもらい、木巻岬まで連れて行っていってもらう予定だった。
 …ところが。朝食も済んで電話してみると、その日は朝から遠くへ出かけていて、帰ってくるのは午後になるというのだ。降りてしまったバスは原歌止まりなので、目的地の終点栄浜へ行くのは次の便午後14時までないのだが、結局それを待つ以外には、先へ進む方法がなくなってしまった。
hokkokukan-2.jpg
 ニセコバスの島牧線は、栄浜まで行くのはその便と、あとは17時の二本だけしかない。長万部まで戻ることが可能なのは、午後14時の便だけだ。その昼に一本だけ往復できるバスで行ってまた帰ってきてもよかったのだが、それでは島牧村をただ通り過ぎるだけになってしまい、それもいかにも申し訳ない。
 そこで、いろいろ知恵を絞って、早朝の原歌行きで千走まで行き、そこからタクシーで8キロ先の木巻岬まで行き、そこからは白糸岬を眺めつつ栄浜まで歩く。そして14:30栄浜発のバスで寿都へ戻る…そういう計画を立てていたわけだ。
hokkokukan-3.jpg
 それがタクシーがないという事態であえなく破綻、3時間以上も次のバスを待たなければならない羽目になった。
hokkokukan-4.jpg
 ゆっくりと道の駅の周囲を散策し…というと優雅そうだが、この日はカンカン照りになって、いくら日焼け止めを塗っても、強い日差しのなかを延々と歩くのはいささか大変で、原歌まで歩くのがやっとだった。
 あとはもっぱら、少ない日影を探して休み、バスを待つほかない。
hokkokukan-5.jpg
 北国澗は、千走の側から見ると、西側の腕の陰に岩島が隠れてしまう。崖の白いものが目立っているが、それがなにかは想像も推測もできない。石灰石のようでもあるが、そうでもないようでもある。
hokkokukan-6.jpg
 ここから千走川を遡っていけば、村一番の観光ポイントである賀老の滝へ行けるらしい。元町の通りにも賀老通りがあり、賀老の滝の標識などがあるので、そこまで歩く?…と思ったら、なんとそれは河口から15キロも川を詰め上った山の中であった。
hokkokukan-7.jpg
 そこはもう、狩場山に近く、道はないが滝から南へ越せばせたな町、というところなのだ。とても行けない。
hokkokukan-8.jpghokkokukan-9.jpg
 道の駅も何時間も過ごすような場所でもなかったので、まあ意味もないまま漁港や国道沿いに歩いて丸く婉曲する海沿いの道を回ると、そこに島牧小学校の立派な建物があった。
 長い海岸線のところどころに集落が分散する島牧村では、村の諸施設も一か所に集めることはむずかしかったろうし、またその意味もたいしてなかったのかもしれない。いかにも新たに統廃合してつくりました、というような島牧小学校も、西寄りの原歌集落のはずれの丸い海岸そばに建てられている。近頃では、こうした統廃合による新設校の立地は、海岸線からは少し奥まった高台を選んで建てられることが多いが、ここではそうした適地もなかったのだろうか。
shimamakisyou-1.jpg
 江ノ島 海岸は「日本の渚百選」とやらに、そして賀老の滝は「日本の滝百選」に選ばれているそうだ。
 ところでみなさん、鳥に舌があるのは知ってました? 
 「舌切りすずめ」ってのがある?
 そうでしたよね。でんでんむしも最初は?と思い、次にそれを思い出しました。
 人間のように二枚ある鳥もいるのかどうか…。
hokkokukan-10.jpg

▼国土地理院 「地理院地図」
42度41分29.93秒 140度1分13.55秒
hokkokukanM-1.jpg
dendenmushi.gif北海道地方(2017/07/01 訪問)
@このブログは、ヘッダー、サイドバーをも含めた、全画面表示でみることを大前提としています。

にほんブログ村 その他趣味ブログ
その他珍しい趣味へ 人気ブログランキングへ

タグ:北海道
きた!みた!印(23)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

1472 厚瀬崎=島牧郡島牧村字港(北海道)旧トンネル・旧道・廃道歩きの情報がいっぱいあるそのなかに懐かしい名前を発見 [岬めぐり]

attyasezaki-7.jpg
 厚瀬(あっちゃせ)崎は、本目漁港の西にくっついているし、本目岬との間も800メートルしか離れていない。したがって、建物の密集した港の側からはほとんど展望がきかないが、岬の先端には小島のような岩山のようなものが盛り上がっているように見える。
attyasezaki-1.jpg
 思う間もなくトンネルを…と、くぐり抜けるのは厚瀬トンネル。上りと下りの車線が別々のトンネルになっているようで、出入口がふたつある。340メートルほどの長さだが、この岬もさほど大規模な出っ張りではないということ。
attyasezaki-2.jpg
 70メートルほどの高さが海岸に飛び出していて、周りは全部、崖がぐるりを取り巻いている。当然、トンネルでなければ通れない。地理院地図には、港よりの岬先端付近に、)( の表記が残っているので、ここもトンネル開通以前は、この崖の周りを回って通る道があったのだろうか。
attyasezaki-3.jpg
 帰りに通った海寄りのほうのトンネルには「新厚瀬トンネル」という名前があったので、こちらが後から付け足されたのだろうか。
attyasezaki-4.jpg
 念のために調べてみると、厚瀬トンネルの竣工は1965(昭和40)年であり、「新」のほうは1996(平成8)年であった。検索で出てくる情報は、旧道廃道を好んで歩く人々の記録が、群を抜いて他を圧倒している。そういうのをつらつら眺めていると、この先の大平(おおびら)トンネルもそうらしいし、せたなの虻羅トンネルもそうだという。
 そういう旧道廃道愛好家のブログやサイトの一覧に混じっていた、あるなつかしい名前を発見した。北海道旧道保存会のサイト「裏サンドウ喫茶室」に紀行を掲載している堀 淳一さん。その当時は確か、北大の物理学教授で、地図や地理が専門ではない。
 実をいうと、でんでんむしもいっちょまえのしごと人間だった時期も長く、仕事仕事にかまけてひさしく省みることのあまりなかった地図に、再びぐっと引き戻してくれたのがこの人の専門外の処女作(であったと思う)「地図のたのしみ」(1972 河出書房新社)だったのだ。この本は、その意味で個人的に記念すべき本だったが、その後版元を変わったりしながら、文庫にまでなっているし、類似の出版も相次ぐきっかけにもなっている。
 そのサイトでは、堀さんの紀行文は2009年で終わっていた。
attyasezaki-5.jpg
 厚瀬崎の西側には、栄磯・豊浜と集落があるが、この付近は海岸線の沖合にまで岩礁地帯が続き、岩島が点々と連なっている。
 西側から見た厚瀬崎は、崖の先になにかの台のように見える岩が印象的だが、この岩と同じものを東からも見ていたはずだが、ずいぶん見る角度によって違うものだ。
attyasezaki-6.jpg
 栄磯と豊浜の間には、少し高い崖浜の上のところを国道が通っている。そこから見ると厚瀬崎の向こうで灯台を載せた本目岬がかぶって見える。
 豊浜の南にある大平トンネル付近にも、ワスリと名づけられた岩の出っ張りがあるのだが、1キロ以上もあるトンネルの陰に隠れている。
 そういえば、島牧も御多分にもれずのアイヌ語源で、「シュマコマキ=(岩石の後背)の意」だというのだが、こういう権威の解説を読んでもピンとくるのは少ないのが困る。
 このトンネルを抜けると泊の集落で、村の中心というわけでもなさそうだが、なぜか島牧村の村役場はここにある。
 村のサイトにある「村の概要」では、

 面積は437.18k㎡、人口は約1,600人の漁業を基幹産業とする風光明媚な村です。
 本村の大部分を占める森林の中には10,700haを有するブナ原生林があり、その懐には落差70m、幅35mの「日本の滝100選」に選ばれた「賀老の滝」があり、訪れる観光客を楽しませています。

とあった。明治末には大平川を境にして東西二村に分かれていたのを、1956(昭和31)年に東西を合併して現在に至る。ずっと浮いた噂もなく、単独の村であり続けてきたわけだが、それにはこの村の地理的な条件も関係していたのだろうと思われる。
 面積は結構広くて寿都町の何倍もあるが、そのほとんどが国有山林で、とくに林業が盛んというわけでもなさそうで、漁業を中心とする村の集落は、およそ43キロも続く海岸線の国道沿いに集まっている。
 そして、隣接市町村との交通は、実質的に寿都へつながる国道229号線(と276号線)のみであるという、いささか表現は悪いがいわば袋小路のどん詰まりのようなところにあるからだ。
 バスの運転手さんに「役場がなんかあまりらしくないところにありますね」というと、「みな海岸に点々とあって、小学校はずっと離れたところにつくったしね。」と言う。このときはまだ、この後に起こる事態を想像もできず、その小学校の先まで歩くとは予定も想定もしていなかった。

▼国土地理院 「地理院地図」
42度41分29.53秒 140度1分12.78秒
attyasezakiM-1.jpg
dendenmushi.gif北海道地方(2017/07/01 訪問)
@このブログは、ヘッダー、サイドバーをも含めた、全画面表示でみることを大前提としています。

にほんブログ村 その他趣味ブログ
その他珍しい趣味へ 人気ブログランキングへ

タグ:地図 北海道
きた!みた!印(24)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

1471 本目岬=島牧郡島牧村字港(北海道)富浦、歌島、美川、栄磯、豊浜、永豊などの字地名の間にある断崖と灯台の岬 [岬めぐり]

honmem-12.jpg
 国道229号線(と276号線)が、弁慶岬をカーブで回りきってしばらく南下すると、寿都町から島牧村に入る。その境界から約10キロも南南西方向に走ってきたところに、本目岬はある。
honmem-2.jpg
 バスの前方にやっと岬が見えてくるまでの間も結構長く、その間に、富浦、歌島、美川といった小さな集落が点在している。けれども、弁慶岬から南西側の海岸では、ずっとのっぺりした凸凹の少ない海岸が続くので、港らしい港はない。港がないということは、集落も大きくなりようがない、ということではないか。
 富浦、歌島、美川といった地名は、いわゆる美称の色彩が濃い名前で、さらに先ある栄磯や豊浜、永豊などと合わせて、なにやら人々の願望が込められているような気もする。と、いちおう印象操作をしておいて…。
honmem-1.jpg
 歌島の集落までは、比較的海岸から少しだけ遠い道が続き、歌島沼を過ぎると、静かできれいな砂浜の海岸が現れる。この付近は本目海岸といって、村営のキャンプ場かなにかあるという情報も、どこかで見かけた。本目というがこの浜の大部分は美川である。
honmem-4.jpg
 名もない小さなコブを回り込むと、折川が流れこむ本目の集落がある。「本目」という名の由来もわからないが、ことばとしては囲碁の用語と結び方の名前と、ふたつ同じ名前が使われている。
honmem-5.jpg
 本目集落には郵便局も駐在所も神社もお寺もあって、島牧村東部では大きな集落となっている。
honmem-3.jpg
 ただ、折川の河口であるということが、ここに港をつくることを妨げた形跡(情況証拠)が、現在の地図をつくっている。河口というのは、一般的には港湾を設けるのに適地と言えるはずなのだが、寿都の朱太川のように、その条件が合わない場合も多く、河口だから港というわけでもない。本目が港に適さないと判断されたのは、川の氾濫もあったかもしれないが、何より湾が浅く風浪を避けるという港の最重要条件を満たしていなかったからではないだろうか。
 そこで、本目の人々は周辺を物色してみたに違いない。そうして、本目から西へ2キロも海岸を進めば、ふたつの岬の出っ張りに囲まれた、港の適地があることはすぐにわかっただろう。
 彼らは、迷わず集落から離れたそこに港をつくることを決め、実行したのではないか…そんなことが想像できそうだ。
honmem-10.jpg
 それなら、最初からそこに集落をつくればいいじゃないか…って? 残念! そこは海岸からすぐ崖山になっていて、後背に集落が広がる余地がまったくないのです。
honmem-11.jpg
 そこで、集落からは離れたその場所を示す字地名も、ずばり迷わず「港」。
 本目岬は、その港を囲む北東の出っ張りで、南西の出っ張りは厚瀬崎(あっちゃせざき)という。
honmem-9.jpg
 本目岬のほうは、切り立った断崖に囲まれ、その下には岩場が広がっている。そう高くない岬のてっぺんには黒白の灯台も立っているが、その写真は全部西から東へ向かってのもの。西へ向かう車窓からは、灯台はてっぺんの一部だけしか見えない。港と海の安全と豊漁を願ってのことであろう、神社もあるようだが、それはバス車窓からは確認できなかった。
honmem-6.jpg
 西行きの車窓からは全貌を現わさないこの灯台は、帰りのバスからは、本目港の側から岬の岩崖とともによく見えよくわかる。
honmem-7.jpg
 道路からもそう隔絶していなくて、集落と港の行き帰りに通る本目岬は、ちょうど使い勝手のいい岬だったはずである。
 そういえば、本目結びというのは漁網に使う結び方なんだけどね。ま、関係ないんだろうね。
honmem-8.jpg

▼国土地理院 「地理院地図」
42度44分42.61秒 140度6分51.27秒
shimamakiM-2.jpg
dendenmushi.gif北海道地方(2017/07/01 訪問)

にほんブログ村 その他趣味ブログ
その他珍しい趣味へ 人気ブログランキングへ

タグ:北海道
きた!みた!印(25)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域