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1515 千鶴崎=十和田市奥瀬(青森県)湖底に目を向けて見えないところも想像してみると… [岬めぐり]

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 「番外:奥入瀬川」の項以降、これまでの各項の所在地は「十和田市奥瀬」と表記してきた。実はこれは地理院地図での表記ではなく、Mapionの表記に寄っている。国土地理院準拠の原則を崩してまで、あえて地理院地図での表記を採用していなかったのは、それだと「十和田市-」とすることになるからだった。
 「十和田市-」の「-」とは何かがわからないので、そのまま表記するのがなんとなくためらわれた。「-」は「一(いち)」ではなく、横棒であるから、どうやらここは字地名地番もないよという意味にもとれる。
 青森県十和田市の「-」は、奥入瀬川流域から山に入ってずっと続き、湖の周辺に及んでいる。ただし、焼山、子ノ口や宇樽部、休屋などのように平地で人家がある開けた場所は「-」ではない。
 地理院地図では、それらの地域の住所表示は「十和田市大字奥瀬」となっているのだ。その範囲はやたら広く、同様に「-」も広大な地域を占めている。
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 十和田湖の東湖と中湖を分けているのは、前方後円墳のような、あるいは鍵穴のような形(もうこんな鍵穴は古い南京錠くらいしかないか)をした御倉半島だったが、中湖と西湖を区切るのは中山半島という。
 最も広く幅のあるところでも800メートルに満たず、狭く細い凸凹に富んだ痩せた半島の名は、その北端にある中山崎によるのだろう。いやいや、半島の名のほうが先で、その先端だから中山崎になったのか、卵と鶏でどっちがどうだかわからない。
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 細くて凸凹の半島は、上のほうも凸凹していて、標高500メートル前後の山がいくつもぽこぽことある。しかし、湖水面自体が標高400メートルなのだから、われわれが風景として見ているぶんには、100メートル前後の凸凹が並んだ半島ということになる。
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 この半島の先端に近い、中湖の西岸にとんがって突き出しているのが千鶴崎で、その周辺にも業平岩、小町岩、蝋燭岩などの表記が、地理院地図ではある。業平に小町とくれば、これはもういかにもなにかストーリーがありそうな命名だが…。
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 植生に覆われているが、千鶴崎も崖のようなところもあり、その尖っている形状からも、半島のぽこぽこした山とともに、カルデラをつくることになった火山活動の影響を示したものだろう。それは水面下の湖底にもずっと続いていて、千鶴崎が向いている北の方向へは、急激な断崖が300メートルの深さまで一気に落ち込んでいる。
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 そして、千鶴崎の先端から東北東490メートルの地点で垂直に湖底に降りたところが、十和田湖の最深部「・327」ポイントなのだ。
 東湖の東岸から、御倉半島の鴨ヶ崎へ、そして中山半島の千鶴崎へ、さらに西湖の西岸の猿鼻岬まで、まっすぐ引いた線を断面図として作図をしてみようかと手を付けかけたのだが、縮尺をできるだけ正確に表現しようとすると、結構めんどくさくなってやめた。断面図はなくとも、せいぜい想像してみたい。
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 湖面上に出ている千鶴崎だけを眺めていると、確かに紅葉のシーズンにはきれいだろうなと、なにやら平和でのんびりとした感じしかしないが、湖水の中に隠れている急崖を想像すると、この地形と風景をつくるに至った、荒々しい巨大なエネルギーにも思いが及ぶ。
 金子みすゞさんの詩のように、「見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ」ということになろうか。
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 千鶴崎を回ると、その先には千鳥ヶ浦に続く中山崎が大きくなる。

▼国土地理院 「地理院地図」
40度26分46.66秒 140度53分5.55秒
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dendenmushi.gif東北地方(2017/09/06 訪問)
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タグ:青森県
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1514 猿子崎=十和田市奥瀬(青森県)屏風のような崖と山で囲まれている十和田湖は巨大な雨水桶なのか [岬めぐり]

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 よく例えられている話では、十和田湖の大きさは山手線の内側にほぼ近く、その深さは東京タワーがすっぽり収まるほど、というのがある。その最深部の深さは、日本の湖では三番目に深い。
 では、一番深いのはどこかというと、田沢湖で最大水深は423.4メートル。二番目に深い湖は、支笏湖で最大水深は360.1メートルとなっている。田沢湖も支笏湖も、平均深度では270〜280メートルくらいなので、これらと比べても平均深度が71メートルしかない十和田湖の特徴が際立ってくる。(ところで、「平均深度」だが、いったいどのようにして測定するのだろう?というシロウトの疑問はある。自分で調べればわかるのだろうけど、そこまでする必要もないような…。)
 ついでに、十和田湖に続くのは鹿児島は指宿の池田湖(233メートル)、霧の摩周湖(211メートル)などで、これらの深い湖はすべてカルデラ湖である。やはり深い穴ができるのは火山の爆発、それも火口のようなところの跡でないと、そんな穴はできないだろう。その火山には不自由していない日本では、関東では榛名湖や芦ノ湖もそうで、全国に数はけっこうあるようだが、二重になっているというのはやっぱりここと青ヶ島くらいらしい。
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 鴨ヶ崎からさらに中湖の岸を時計回りにめぐっていくと、南東の奥に猿子崎がある。ところが、この湖はほんのわずかに湖岸が膨らんでいる程度なので、なかなか特定がしにくい。横からではなく正面から見ているので、よけいわかりにくい。おまけに写真も前方は窓越しになって、そのガラスが汚れているし、逆光でうまく取れていない。しかたがないので、まあこの辺かなとごまかしておく。
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 猿子崎の上は150メートルもある急傾斜の岸になっていて、千丈幕からの続きの崖ではないかと思われる崖もあるが、それも遠目でしかも正面からではよくわからない。
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 乗っている遊覧船は子ノ口から休屋へ行く航路で、中湖もくるっと回ってはいるが、そんなに奥深く岸近くに寄っていくわけでもない。だが、もうひとつ別の十和田湖遊覧コースもあって、これは西湖の休屋から出て、中山半島を回り込み、中湖を一周してまた休屋へ帰るという航路である。ちょうど、湖岸寄りを走ってきた別の遊覧船とすれ違ったが、これがそうだろうか。
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 地理院地図で見ると、鴨ヶ崎から南へは、五色岩、烏帽子岩、屏風岩、剣岩、千本松といった表記が、猿子崎までの間に並んでいる。
 休屋からの遊覧コースでは、これらがそれぞれ岩と紅葉のポイントとなるのかもしれない。
 四方をぐるりと屏風のような山々で取り囲まれている十和田湖では、周囲から流れ込んでくる河川は、宇樽部川くらい。あと休屋に流れる神田川のほかは、ほとんど秋田県側の沢から流れ出る細流で数もそう多くない。奥入瀬川の水源として水を供給する一方だが、湖底から湧き水が沸きあがっているわけでもなさそうだ。なので、十和田湖の水は、そのほとんどが雨水が溜まったものと考えてよいのだろう。
 「番外:奥入瀬川」の項で、思っていたよりも水が白濁しているような印象があったことを書いていたが、十和田湖が巨大な雨水の水溜りだとすると、唯一の水はけ口である奥入瀬川の流れに、勝手な「清流」のイメージを当てはめるのは、いささか間違っているような気もしてきた。
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 またしても、シロウトっぽい感想だが、そうなると雨が降らない晴天の日が続くと、奥入瀬川の流水量はすぐ減ってしまい、もっとすると水が流れなくなってしまうのでは…と心配してしまう。だが、これまで一度もそういうことが問題になったことはなさそうだ。
 そうなると、水質も気になってくるが、昭和初期には透明度が20メートルもあったといわれていたのが、一時期かなり悪化していた。そこで、青森県と秋田県は共同で水質と生態系を守る取り組みを行なってきた。その結果、2015年度には透明度が12.1メートルとなり、1985年度以来なんと30年ぶりに目標値の12メートルをクリアしたという。
 水質の基準ではCOD(化学的酸素要求量)という指標もある。CODの数値が高いほど、その水域には有機物量が多い、つまり汚れていることになるのだが、こちらのほうは定められた環境基準値にはまだ届いていないという。(いずれも青森県のサイトによる)
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▼国土地理院 「地理院地図」
40度27分25.28秒 140度54分11.82秒
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dendenmushi.gif東北地方(2017/09/06 訪問)
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タグ:青森県
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1513 鴨ヶ崎=十和田市奥瀬(青森県)この岬の下から千丈幕は湖の中にも何段か階段をつくっているような… [岬めぐり]

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 日暮崎に続いて、すぐ南東にちょこんと、小さく飛び出ているのが鴨ヶ崎で、その上には千丈幕がまだまだ長々と続いている。
 十和田湖は、三本指の恐竜かなにかの足跡のような形になっている。下(南)を向いている三本指は、それぞれ東側から東湖(ひがしのうみ)、中湖(なかのうみ)、西湖(にしのうみ)という名がついている。東湖の側には、どういうわけかひとつの岬もないので、御倉山を回り込んだ日暮崎・鴨ヶ崎は、真ん中の指の跡、中湖の東岸にあたる。
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 地理院地図では、薄青く表示された湖面の上に水深の等深線も示されている。パッと見てすぐわかるのは、十和田湖全体のうちでも中湖がいちばん深いということだ。それも、かなり極端にこの卵型の中湖だけが深くなっている。
 鴨ヶ崎からその岬の延長線上に沿って、湖の底深く入っていく。すると、50メートルの間隔をおきながら、階段状にストンストンと湖底が落ちていく。この等深線から読み取れるのは、湖の中にも千丈幕のような断崖が何段かできているのではないかと想像できることだ。
 そして、300メートルの深さまで達するとそこからは落ち込みは緩くなり、深目の皿を湖底に沈めこんだような感じになる。
 ちょうど、鴨ヶ崎の対岸にあたる千鶴崎の中間付近には湖底の小山のようになっているらしく円が描かれている。そこから380メートル千鶴崎のほうに寄っていったところに「・327」と最深部が表記されていた。この等深線からはなかなか想像しにくいのだが、320メートルより深い湖底が、中湖の中央に広くあって、そのなかにさらに2メートルほど深く凹んだ場所があるということだろう。
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 十和田湖全体でみると、平均水深は71メートルしかない。東湖も西湖も20〜60メートルの深さしかない。広い北側の部分が60〜100メートルなので、そういう結果になっているのだろう。
 そもそもこの場所にこんな湖ができたのは、いったいどうしてなのだろう。その答えは、今は湖になっているこの場所は、昔々の大昔には活発な噴火を繰り返していた火山だったからで、その爆発で生じた穴というか、凹みに水が溜まったのが十和田湖だというのだ。
 こういう凹みをカルデラといい、そこに水が溜まってできたのをカルデラ湖という。
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 十和田湖はまぎれもないカルデラ湖なのだが、この湖底をもう少し念入りに想像してみると、三本指の足跡全体でいうと平均水深前後の深さのところが広がっており、いわばこれが最初にできたカルデラ湖になる。そして、その中でも中指の中湖だけが極端に深く、300メートルを越える深さまで穴が開いているわけで、これはその後に新たにできた火山爆発によって陥没した噴火口の跡ではないかと想像できる。つまり、十和田湖のカルデラは、二重になっていることになる。これは、日本ではここだけとしている情報も多い。だが、実は他に青ヶ島があるのだが、あまり例を見ないことは確かのようだ。
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 十和田湖の一体が大きな火山だった時期は、八甲田火山の活動が始まった後に続く約20万年前頃といわれ、最初のカルデラ湖ができたのは5万5,000年~1万5,000年前(幅ありすぎやろとツッコミたくなるところだが、もっと何十万年何百万年単位で幅がある地質関連ではこれくらいごく幅が少ないほう)で、中湖ができたのは約4,000年前頃(これも1,100年前という説もあり、どこの時点を最終的なカルデラの形成ととるかで異なる)とされている。
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 たとえば1,100年前ということにすると、それは平安時代ということになり、地質史的にはついこの間、ごくごく最近ついこの間の出来事なのだ。
 鴨ヶ崎の上にそびえる御倉山と千丈幕は、中湖をつくる一連の火山活動に伴って噴出した溶岩ドームだった。
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▼国土地理院 「地理院地図」
40度27分18.64秒 140度54分24.65秒
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1512 日暮崎=十和田市奥瀬(青森県)御倉半島西側の岬は一日の終りに幕を引く岬なのか [岬めぐり]

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 奥入瀬の銚子大滝を過ぎて、なおも遡って行くと、約1.6キロほどで湖岸に出る。湖の水が奥入瀬川となって流れ出していくところを渡ると子ノ口で、そこでJRバスを降りる。
 宇樽部や休屋など十和田湖の南側へ行く人を車内に残して、何人かの乗客がそこで降りたが、そのうちで遊覧船ののりばに向かったのは、でんでんむしただひとりだけだった。だあれもほかに人がいない、広い大きな遊覧船にひとりぼっちで、あのとき一緒にバスを降りた人たちは、いったいどこへ行ったのだろう、と考えた。子ノ口まで登ってきたバスを降りたということは、船に乗るほかにどういうルートがあるのか気になった。
 ひとつ考えられるのは、バスで上ってきた奥入瀬川をここから歩いて下って行く、という渓谷歩きを目的とするケースだ。子ノ口の標高は400メートルほどで、焼山付近では160メートルになる。これをずっと川沿いに歩いて下るのもいいだろう。
 岬めぐりが目的の当方は、ひたすら湖の中に岬を探していく。
 十和田湖の中で、名前がある岬は、8つ。「だけしかない」というか、「もある」というか、いささか微妙なところではある。
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 そのまず第一が、湖の南東側に飛び出ている御倉半島の日暮崎となる。
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 子ノ口から、休屋まで行く十和田観光電鉄株式会社の遊覧船は双胴の3階建てで、多くの座席があるが、そのすべてを独り占め。だからといって、な〜んにもいいことはないのだが。
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 所要時間はおよそ50分、料金は1,400円也。運航は4月半ばから11月始めまでで冬季は運行休止中。(船で1,400円のところをバスに乗って行けばいくらになるのか、確かめようとしてみたら、冬季運行休止はJRバスも同じで、サイトも運行データが見えなくなっていた。)子ノ口から休屋までの移動交通手段としては高くつくが、湖上遊覧が目的だから当然といえば当然なのだろう。
 そんなくだらないことを考えながら、がらんとした船室内を見渡し、この中が乗客でいっぱいになって走るシーズンのことを想像してみる。
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 子ノ口の船着場を後にして、遊覧船が真っ直ぐ向かうその正面に、御倉山という690メートルの山が見えている。湖面から数えると300メートル足らずのこの出っ張りは、前方後円墳のような半島になって湖に突き出していて、御倉山は後円部にあたる。
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 日暮崎はこの御倉山を、くるりと西へ回り込んだ裏側にある。
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 東側から眺めていたときには、緑に覆われた平べったく丸い山か島のように見えていたが、西側に回りこんでみると、その山容が一変する。
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 険しく切り立った断崖絶壁が、500〜600メートルくらいのところを帯のようになって巻いていた。
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 地理院地図では、御倉山の西半分を巻くこの絶壁に千丈幕という名をつけている。なるほどね。山の中腹で横に長く続く崖は、まことに幕のようでもある。
 この崖の周囲が錦繍の緞帳になる景色は、この船に乗らなければ見ることはできないわけだ。
 ふと、日暮崎の名はこの幕に照っていた夕日が、だんだんフェイド・アウトしていく情景からついたのではないかと、またしても勝手な憶測を…。

▼国土地理院 「地理院地図」
40度27分25.28秒 140度54分11.82秒
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タグ:青森県
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番外:奥入瀬川=十和田市奥瀬(青森県)川は太平洋まで注いでいるが焼山から子ノ口までがいわゆる奥入瀬の渓谷 [番外]

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 観光客が殺到する紅葉の時期にはだいぶ遠くシーズンからはずれていたが、それでも石ヶ戸の休憩所付近には多くの人があふれ、道の脇の渓谷中唯一の駐車場はたくさんの車で埋まっていた。
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 奥入瀬川は、焼山=子ノ口の全区間道路が並行して走っており、車に乗ったまま通っても、いくらかはその風光は感じられるが、やはり渓谷の水の流れのすぐそばを並んで流れている道を歩かなければ、奥入瀬川に行ったとも言えない。石ヶ戸休憩所と駐車場付近が人と車でいっぱいになるわけもそこにあろう。
 おやおや、ここにもまた大町桂月(番外:仏ヶ浦)が…。
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 でんでんむしもその大勢の観光客の一人にまぎれて、初めての渓谷を歩いてきた。往きは十和田からの十和田観光鉄道バスに乗って焼山まで行き、そこでJRバスに乗り換えて川に沿って渓谷を遡る。子ノ口でJRバスを降りて、今度は遊覧船で十和田湖を渡って休屋まで行った。復路は休屋からまたJRバスに乗り、奥入瀬渓谷の途中で降りて、雲井の流れから石ヶ戸まで歩いてきた。
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 いったいどれだけ多くの人がこの渓流を訪れ、自然の豊かさを感じさせる森と水の語らいに耳を傾けたことだろうか。柄にもなく詩的になりそうなので、それは即やめて、いつものペースに戻さなければならない。
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 コトバンクによると、ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典では、奥入瀬川について以下のように記述している。

青森県,十和田湖の東岸子ノ口 (ねのくち) に端を発し,東流して太平洋に注ぐ川。全長 67km。十和田湖から流出する唯一の川で,多くの渓谷を刻みながら焼山までの約 14kmは北流,東転してからは,三本木原の台地を刻み,両岸に河岸段丘をつくっている。子ノ口-焼山間は十和田八幡平国立公園に属し,日本一の渓流美を誇り,奥入瀬渓流 (特別名勝・天然記念物) として親しまれている。渓流の両側は山地が迫る急斜面で,火山岩や砕屑岩を切って雲井,白布などの名瀑や馬門岩,屏風岩などの奇岩が続き,ヒバ,ブナ,カエデ,トチ,ナラなどの原生林におおわれる。河水は,焼山の発電所や,中・下流域の灌漑用水に利用される。

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 河岸段丘左岸上の三本木原は、十和田湖の水が流れる奥入瀬川が運んできた土砂や、八甲田山の噴火による火山灰などが堆積してできた台地と考えられる。
 前項(「番外:十和田中央」)では、その台地の上に十和田の街をつくった人工河川の稲生川について述べたが、最初に奥入瀬川から水を引き込んだ地点は、法量というところだったらしい。そこは十和田からのバスの終点である焼山・渓流館から13キロほど下流にあたる。狭い谷が若干広くなったところで、その北側の山に導水管を掘った。
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 いきなりトンネルから始まったのだが、当時の土木工事技術からみてもたいへんなものだったろう。まっすぐに長いトンネルを掘る技術はなかったからか、あるいはトンネル南側の山腹が開けているという条件を利用してか、まず山腹から何箇所も横穴を掘り、それから左右に広げて左右のトンネル同士を結合していくという工法が取られたという。
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 潰れかかかった旅館やホテルを高級リゾートに再生するという手品みたいな商法で、全国に手を広げている会社のホテルが焼山にもあって、旧施設なのかなんなのか三沢の系列ホテルの名もあちこちに残るチグハグさ。
 焼山からJRバスに乗り換えるのは、この奥入瀬川から十和田湖に出入りするバス路線は、JRバスの独占になっているからだ。青森から八甲田の南を越えて蔦温泉から焼山にくるのと、新幹線八戸から十二里温泉経由で焼山にくるのと、ふたつの路線がここから奥入瀬川を遡って行く。
 十和田湖遊覧船ももっている十和田観光電鉄(バスと船しかないがまだ「電鉄」を名乗っている)も、なぜかこの奥入瀬区間だけはJRに委ねている。このへんもなにか理由があるのだろう。
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 と思っていたら、石ヶ戸のバス停でJRバスの標識と並んで、十和田観光電鉄の標識があった。ただし、予定時刻表の部分の表示は剥がしてあった。ということは、かつては十和田観光電鉄のバスもここを走っていたのを撤退したわけだ。撤退の理由は、まずひとつしか考えられない。
 奥入瀬初体験のでんでんむしの第一印象は、思っていたほど水が青く透き通るような清流というわけでない、といういささか残念なものだった。十和田湖という巨大な池の溜り水を子ノ口から流しているだけだから、淵や淀みではいくらか乳白色に濁っているように見えるのもやむを得ないのだろう。
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 普通、渓谷沿いに道路が並行していると、えぐられて深くなった渓谷と道路の間にかなりの高度差があるものだが、ここではほとんどその差がなく、川の流れと道がほぼ近い。バスの車窓からでも渓谷の眺めがある程度楽しめるのは、そのためだろう。
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 上流ではこうだが、三本木原台地の南では、流れと台地の高度差は30メートルにもなる。
 車道とは別に歩行者のための遊歩道も、川により近いところを左右に細く通っているが、一部では車道脇を歩くことになる部分もある。
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 確かに、緑の渓谷もいいけれど、ここを歩いていると、また紅葉の季節にも歩いてみたいような気になってくる。

▼国土地理院 「地理院地図」
40度31分35.13秒 140度58分26.97秒
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dendenmushi.gif東北地方(2017/09/06 訪問)
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タグ:青森県
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番外:十和田中央=十和田市稲生町(青森県)なんにも知らなくってちょっと驚いたけど十和田はこんなところだった [番外]

 十和田という街は、まずたいていの人にとっては、盲点になってしまっているのではなかろうか。湖のほうは知らない人はないくらい有名だが、現在は市になっている十和田についてはどうだろうか。もちろん、でんでんむしにとっても、そうであった。地図でだいたいこのへんにあるはずといった程度の、ごく漠然としたイメージしかなかった。
 実際には、1910(明治43)年以来町制を施行し、三本木町と称していた。それが十和田市に改称するのは1956(昭和31)年で、その後2005(平成17)年に十和田市と上北郡十和田湖町が新設合併し、そこで初めて湖の東半分までその市域に取り込んで、現在の十和田市になっている。
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  現在の地理院地図でみても、奥入瀬川の表示はあるが、十和田の文字がどこにもない…。
 これは縮尺と表示の関係で、たまたまそうなっただけか、市名の表示位置が中心部からずれているからではあろうが、十和田の中心部を中央にしてみてもこんな感じなのでは、はなはだ存在感が希薄である…というと申し訳ないが。
 この地図でいうと、国道102号線がカギに折れている辺りが市の中心部なのだが…。ついでに気がついた。国道4号線は、十和田の中心部を避けて迂回している。これはいったいどうしてだろう。どうも見た感じでは、台地の上の市街地を横断するのは避けたようだ。
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  この地図をもう一段階拡大してみると、こんな感じ。だが、街の中に入って行くその前に、逆に少し戻ってもっとロングに引いて、この街までのアプローチから見直してみよう。この地理院地図で三段階引いてみると、やっと十和田の文字が表われた。十和田湖から流れ出る奥入瀬川の中流域で、川の北側に位置していて、三沢・八戸と湖の中間くらいにある。
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 新幹線は八戸を通っているが、市の中心部からは西にかなりずれたところにある。三沢には青い森鉄道が通っているが、その駅も市の中心からは南に大きく外れた場所にある。盲点といえば、三沢の北にある小川原湖もそうで、開発地の名称としてよく出てくる名前ではあるが、なかなか縁がない。今回も、そこへ寄ることも考えてはみたものの、交通が著しく不便で、計画が立たなかった。
 昔から計画だけはしていて、結局長い間行けずにいた十和田湖なので、そのアプローチとしては、三沢から電車で十和田に行き、そこからバスで湖に行くというルートくらいは記憶にあった。
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 そう、以前はここでは十和田観光電鉄という電車が走っていたはずだが、それももうなくなっている(なんと、電車がなくなったのはつい5年前だった)。東北新幹線には「七戸十和田」という駅があるが、そこは上北郡七戸町ではあっても十和田市ではないし、湖からはさらに遠い。そこからのバスは存在証明程度にあるだけなので、あまり役に立たない。現在、十和田湖へ行くときの一般的なルートとしては、青森からまたは新幹線八戸駅からバスというのが主流のようだ。この長いバス路線がJRバスなんですね。
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 今回の十和田湖行きに際しては、むつ市からの流れで行くことになったので、そのどちらでもない三沢→十和田から入るルートにした。長いことバスに揺られるよりは、やっぱりこっちから行くのがいいかな…というのもあったけれど、昔からのルートをなぞってみようと考えた。
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 そんなわけで、大湊からの直通快速で、夜の真っ暗な青い森鉄道の三沢駅に降りた。写真は帰りの日の朝、三沢高校など通学の高校生が行き交う明るい時間に撮ったものだが、もうすぐ三沢恒例行事の航空祭もあるらしい。飛行機の標識もある三沢駅前のそばにあるのが、2012(平成24)年に廃線になった十和田観光電鉄線の三沢駅だったところで、ここから十和田中央行きのバスに乗ってやっと十和田の街に入る。看板にはまだ「電車」の二文字が残っている。
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 泊まったホテルがあるところは、バスの終点十和田中央と同じ稲生町。大きな通りとアーケードがまっすぐに走っているここが中心街。では、市街地の地図を拡大して眺めてみよう。
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 すると、まず街が都市計画でもあったかのように格子状(正方形の区画は少ないのであえて碁盤目状とは書かない)に仕切られているのが目につく。さては城下町かと思って城か城跡を探すも、それらしきものはない。市役所や美術館などが集まった地域があるので、ひょっとしたらそこらにあった城は何らかの理由で城は廃却されたのかもしれない。そういえば、ここは今は青森県だけれども、元々は南部藩領だった(青森県はなぜ青森県かを考えてみる:参照)ところだが…。
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 そんな勝手な妄想は全部的外れで、城下町などではなかった。それどころか、南部藩でもずっとはずれのほとんど人が住めない荒野だったのだ。十和田市のサイトでは、その歴史の始まりをこう記している。

十和田市は安政6年(1859年)に新渡戸傳翁によって拓かれた「若いまち」で、青森県東南部、秀峰八甲田の裾野に拓けた緑の三本木原台地の中央部に位置し、国立公園「十和田湖」の東玄関として知られています。

 十和田湖の東、奥入瀬川の流れ下る八甲田の裾野が広がっていた台地は、三本木原と呼ばれていた荒れ地だったのだが、南部藩士だった新渡戸傳(つとう・つたう)が、藩にも家にもいろいろな事情があって後、この荒野の開拓に取り組んだ。市のサイトで言う安政6年というのは、台地の北側に奥入瀬川を堰き止めて引き込んだ稲生川の第一次引水に成功した年で、それこそが街を拓く基礎となったというのであろう。
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 実際の関連工事が始められたのは、1855(安政2)年からで、水のない荒野は奥入瀬の流れからははるかに高かったので、それを上流で堰き止めて台地の北に通水することから始まった。人工河川と堰堤とトンネルで引きこまれた奥入瀬の水は台地を潤し、耕地も可能になる。引水が成功すると、藩主自ら盛岡からやってきて、その川を稲生川と名づけた。当時の人々にも荒野が沃野に変わる期待とイメージが明確だったのだろう。今も街の北側を一直線に流れる稲生川沿いには桜が植えられ、橋の袂には命名の碑もあるという。
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 その後、街づくりは傅の長男である新渡戸十次郎にみごとにその意志が伝えられ引き継がれ、1855(安政2)年には格子状の都市計画が立案され実現されていった。札幌での開拓使による近代都市計画の実現は、1869(明治2)年だから、それより14年も早い日本で初めてとなるものだった。
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 その一端は、稲生町のアーケード通りを挟んで、東一番町・西一番町から順に六番町までが並行して並び、その外側には今度は東十一番町・西十一番町から十六番町まで並ぶ現在までそのまま生きている住所表示が示している。
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 そして、なんとなんと! この街を拓いた新渡戸傳の孫にして十次郎の子が、新渡戸稲造(そんな人知らないなあという人は5000円札を見てねと書いてから気がついたが、もう一葉さんに変わってる!! それじゃ1000円札でお釣りがくる『武士道』でも買って読んでね!!!)だったのだ。その名も三本木原開拓地域から収穫された初穂を祝ってつけられた名(幼名稲之助)をもつ稲造は、父祖の功績を伝えるため、新渡戸記念館をこの市街地の台地の先に建てて残している。(三本木原開拓などに関しては、この新渡戸記念館のサイトに詳しく公開されている。)
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▼国土地理院 「地理院地図」
40度36分50.64秒 141度12分50.37秒
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1511 芦崎=むつ市大字城ヶ沢(青森県)小指を曲げたような砂嘴がつくる大湊の港は海自の基地なので [岬めぐり]

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 陸奥湾の北東の角で凹んだ大湊湾は、いわゆる天然の良港というヤツであろう。これに明治期の海軍が眼を付けたのは当然とも言え、現在に至るも港付近で多くの面積を海上自衛隊の基地が占めている。また、一時期は原子力船「むつ」の母港になっていたこともある、その大湊港の主要な部分をつくっているのが、湾の西端で南から北へ向いて細長く飛び出した芦崎なのだ。
 芦崎は、砂嘴(さし)という地形で、大量の土砂を運んでくる川はないが、主に沿岸の海流によって砂が運ばれて堆積がつくられ、袋状の海域ができる。ここも宇曽利川の河口の堆積も少しはあっただろうが、典型的な砂嘴といえる。砂の堆積によるものだから、高度はない。
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 北に伸びる砂嘴は、途中から急に細くなり、わずか80メートルほどの幅出、内側に浅瀬を伴いながら先っちょのほうでは小指を曲げたようになっている。地図で見ると、この先端まで細い道が描かれているので、できれば歩いてそこまで行ってみたいと思うところだが、それは許されない。
 岬のまるごと全体が、小さいながら飛行場もあって、ヘリを主力にもつ航空隊もあるらしい海上自衛隊大湊基地になっているので、立ち入りはできないからだ。したがって、この岬もバスの車窓からの眺めだけになってしまう。おそらくは芦も生い茂っているのだろうが、遠目にはそれもよくわかるまい。
 バスが走る国道338号線は、基地の施設と一般住宅地の上の少し高いところを通っている。だから、屋根の間から海自の艦艇も停泊している大湊港が見え、その向こうに長々と横たわる芦崎も見えている。
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 川守町に差し掛かった付近で、ちょっと家並みが途切れたところに、うまい具合に芦崎の曲がった先端部分も見えた。
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 大湊駅に着いて、少しの時間を利用して、海岸まで出てみた。北から丸まった岬の先端を眺めると、曲がっている部分もバックと重なってしまい、暗くて何のへんてつもないただの横に突き出した平らな陸地にしか見えなかった。
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 JR東日本大湊線の大湊駅は、ここから先へはレールはないので、「本州最北端の駅」…と言いたいところだろうが、厳密に緯度の数値を比較してみると、大湊駅(41度16分49.19秒)に対し、お隣の下北駅(41度16分58.30秒)のほうが9.11秒ほど緯度は高くなっている。これは、大湊線の線路が、終点の大湊駅で北へ延びないで逆に南下している「へ」の字型になっているからだ。
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 大湊駅も少し高いところにあるので、薄暗く暮れゆくホームの向こうに、大湊湾が広がる。
 下北駅からは、かつては大畑線という支線も分岐していた。この線も下北交通になった後に廃線になっている。その大畑線に、田名部という駅はあった。
 「本州最北端の駅」という称号にどれほどの効用があるのかは不明だが、実はツアー観光客などは、ほとんどが大湊駅ではなく下北駅を経由するらしい。恐山など下北観光には、そのほうがメインルートになっているようだ。実際、大湊駅よりも下北駅で乗り込んでくる人のほうがずっと多いという現象は、わりと昔から変わらない。終点の大湊まで、わざにやってくるという必要は、もうあまりないからだろう。
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 大湊駅からは、18:11発の「快速しもきた」八戸行きに乗る。乗り鉄らしい若者などがばらばらといた車内も、これもやはり下北駅からどやどやと乗り込んできた何組もの中高年グループで、たった1両しかない列車はたちまち満員になってしまった。
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 ほとんどの乗客は、野辺地で青森方面へ行く青い森鉄道に乗り換えて行く。それが普通の流れで、むしろ大湊からこのまま八戸へ向かう快速だけが特殊で貴重な一本なのだ。
 大湊線はJR。野辺地で乗り換えるのは青い森鉄道。つまり、JR大湊線はJR線に接続していない、JRひとりぼっち路線になってしまった。乗り鉄ではないので、詳しくは知らないが、全国でもこういう路線はめずらしいのではないか。これも新幹線開通のあおりで、旧東北本線の一部が青い森鉄道に移管されたからだ。
 大湊線の沿線、57キロの陸奥湾東岸には、岬はひとつもない。もうすっかり暗くなって、車窓にはなにも見えないこの「快速しもきた」は、野辺地で乗り換えなくても、このまま青い森鉄道の線を八戸まで行く。でんでんむしはその手前の三沢で降りるつもりだが…。

▼国土地理院 「地理院地図」
41度15分41.75秒 141度9分29.84秒
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タグ:青森県
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1510 黒崎=むつ市川内町(青森県)運賃は整理券方式で田名部行きのJRバスが大きな膨らみをよぎって行く [岬めぐり]

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 殿崎の4.7キロ東には、殿崎の4倍もの規模がありそうな膨らみが出張っていて、蛎崎から長浜、宿野部と進むうちに、横長の立派な岬のように迫ってくる。ところが、そこには岬の名はつけられてはいない。
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 そこを過ぎて、川内町桧川にさしかかると、またいっそう大きく長い岬が現れる。ここも殿崎型をもっとずっと大きくしたようで、高い山も崖もなにもない、平べったいせんべいのような岬で、ここが黒崎になる。
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 黒崎はいちばん多い岬の名だが、だいたいは「黒々と大きく見える」ところからつけられることが多かったのではないかと推察される。しかし、この黒崎はあまりそういうイメージとは合わない、なにかそういう重々しさとは違うような気もする。
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 小沢の停留所から乗った、田名部行きのJRバスの窓は大きく、明るい車内にほかに乗客がいなかったが、座席その他いかにもフツーのバスである。田名部(たなぶ)は、むつ市の中心部の古い地名で、かつては鉄道の駅の名にもなっていた。だが、今では一部しか示さない。学校や会社の名前に残っていて、その名を姓に持つ人も、この地域ではまだ多いのだろう。
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 車窓から見えている部分は、田野沢、袰川、そして黒崎の先端へと、南東方向に下りながら続く長い海岸線を、西から眺めているところになる。
 川内町(かわうちまち)の中心部は、脇野沢から大湊のちょうど中間くらいに当たる。その間は約38キロで、一台のバスで走り抜ける距離は路線バスとしては長いほうだろう。バスなんか滅多に乗らないという人も、近頃では多いのだろうから、念のためにいうとだいたい1時間の所要時間(ここはバス停の数がそう多くない路線なので)で、料金は1600円くらい。
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 バスなんか乗ったことがないという人(案外多いかもしれない)のために、さらにつけ加えると、近頃ではバス料金の支払いは、交通ICカードは都会中心の限られた地域だけなので、全国では整理券方式が広く採用されるようになっている。乗車時に番号の印字された整理券をとると、前方のモニターに、降車バス停までの運賃が順次表示されるしくみになっている。降りるときに、それをみてその番号の示す金額の料金と整理券を投入箱に入れて降りる。(東京都営バスのように、どの路線も均一料金の場合は、乗車時にカードタッチまたは料金支払い方式の別システム)
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 両替方式なので、お釣りが必要な場合は、自分で両替機にコインを投入してくずしたうえで、きっかり料金分を入れなければならない。
 コンピュータでモニター表示されるようになる前は、ワンマンの運転手さんも大変だったが、乗客のほうも自分が降りたいバス停まであとどのくらいかもわからず、聞き取りにくいアナウンスに耳を傾けて注意していないといけないし、料金はいくら払えばよいかわからず、緊張を強いられていたものだった。
 それを思うと、今は降りたいバス停が近づくとあといくつ先とわかるし、ずいぶんシステムが向上して、運転手さんも乗客も楽になっている。
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 半島ではめずらしい水をたっぷり湛えた川内川の河口に開けた町から、しばらく東へ走ると、殿崎の十数倍も規模の大きな膨らみ、黒崎が大きくなる。
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 袰川のバス停は、おっぱい型黒崎の、西の付け根になるので、国道は海岸線から離れて、黒崎の膨らみのいちばん内側を横切って行く。
 そのため、車窓からはもう岬は見えなくなる。国道は1.7キロにわたって丸い膨らみを横断するが、道路から海岸まで遠いところで600メートルを超える。地図では、灯台もあると表記されている。1時間後に後続のバスがやってくるのであれば、迷わず黒崎のバス停でピンポンを鳴らして降り、灯台まで歩いて行くところだ。
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 残念ながら、3時間以上も待ったこのバスは、もう最終便。降りるわけにはいかない。公共交通機関で岬めぐりをするということは、こういうことだと割り切るしかない。
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 と、運転手さんの向こうの窓の端に、チラッと灯台が見えた。慌ててシャッターを切ったが…。こういうとき、デジカメのシャッターは反応が遅く感じられる。物理的なシャッターと違ってガシャ!という確かに押した感が乏しいが、これもしかたがない。

▼国土地理院 「地理院地図」
41度10分58.97秒 141度3分19.66秒
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dendenmushi.gif東北地方(2017/09/05 訪問)
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タグ:青森県
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1509 殿崎=むつ市川内町蛎崎(青森県)JRバスが走る国道を松林がきれいに茂る岬を眺めつつ [岬めぐり]

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 現在では「JRバス」は路線も少なくなっていて、「ええっ? JRはバスもやっているの?」という人さえあるのかもしれない。でんでんむしなどは、ボンネットバスが走っていた「国鉄バス」時代から、ずいぶんお世話になっていた。鉄道は山陽本線と山間部へ入る芸備線・可部線しかなく、平地の狭い広島では、公共交通機関といえば市電とバスで、バス会社は何社もあり路線は縦横に走っていた。当然国鉄バスも山陽本線に並んで呉線分岐の海田市まであり、車体に描かれた丸にツバメのマークも懐かしい。今のマークは丸のない横に細長いスマートなツバメが描かれているのが多くなっているようだ。
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 ヤクルト球団がなんで「スワローズ・つば九郎」なのかといえば、この球団の初代は「国鉄スワローズ」であったから(当時の花形特急が「つばめ」だったから)で、セリーグの草創期においては、広島カープといつもブービー争いをしていた。
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 ここではジェイアールバス東北株式会社という別会社になって、田名部と脇野沢の間を下北線としてバス運行しているものの、上り早朝を除けば日に3便しかなく、それぞれの便の間には4時間近くもの間隔が開いている。
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 そもそも国鉄がバスを走らせるようになった背景には、当初はいずれ鉄道路線を通すまでの代わりとしてという鉄道の先行・代行という考え方があった。現在では、その色合いはとうに消えていて、高速道路網が広がったことにより、鉄道の補完路線として高速バスを走らせるケースのほうが目立っている。
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 この下北線が、かつては脇野沢からさらに北西に伸びていて九艘泊まで走っていたのが、脇野沢で打ち切られ短縮されたためむつ市が廃止代替路線として九艘泊線をなんとか維持していることは、前にふれた通りだ。大湊までは鉄道が来ていた(大湊線)ことを踏まえてそのルートを考えると、下北線というバス路線は、当初はさらに大湊から先に延びるかもしれない鉄道の先行または代行の意味があったのかもしれない。
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 そう考えると、半島一円に交通網をもっている赤いラインの下北交通ではなく、ここだけ青いラインのJRバスが走っている理由がなんとなく見えてくるような気もするのだが…。
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 松ヶ崎からは東北東に4キロ弱離れているが、殿崎は浅い湾をつくるように緩く南に向いて飛び出しているので、国道からはずっとそれを眺めながら歩いて行く。
 歩いているところは、この先の小沢まではむつ市脇野沢だが、殿崎のあるところは同じむつ市でも川内町蛎崎となる。合併するときに村だった脇野沢と町だった川内町の差が、ここでつけられている(のか?)。
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 殿崎には高い山もなければ、長い尾根もないし、断崖も岩場もなさそうだ。傘松という地名もあるので、それらしい松もあるのだろう。広い松林がこんもりと海岸にせり出している。南西側から眺めていると、細長く出っ張った岬のように見えるが、幅のあるふたこぶからなっているのが殿崎なのだ。
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 深石のバス停が近づいて、いよいよ小沢の集落に入ろうかというところで、前方の国道をなにやら小さな塊が転がるようによぎっていく。
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 急いでカメラを構えたが、その茶色の塊が青い網で囲った柵をよじ登ろうとしているところだけやっと捉えた。すぐに、民家の垣根をなんなく越えて姿を消していった。
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 サルの消えた先の殿崎の向こう遠くに見えているのは、下北半島のまさかりの柄にあたる部分で、いちばん殿崎寄りのところではその幅は東西9キロしかない。
 小沢は街道沿いに細長く広がった集落で、旧道の両側には民家が固まっていて狭いので、バスは海岸側にできたバイパスを通るようになっている。まだ次の停留所まで歩いてもいいが、あまりメリットもなさそうなので、小沢のバス停で脇野沢フェリー前16:38発の最終バスがやってくるのを待つことにする。
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 そのバスに乗ると、大湊駅に着くのが17:39で、この訪問時夏の終わりでももう薄暗くなりかけの時刻になるが、まだそこでは一日の行程は終わりにならない。三沢から十和田市へ、そして翌日は十和田湖へ向かうためにまたJRバスに乗らなければならない。
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▼国土地理院 「地理院地図」
41度9分48.96秒 140度53分24.24秒
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タグ:青森県
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1508 松ヶ崎=むつ市脇野沢(青森県)石神様を祀った松の岬の台地はこの付近では小さいながら目立っている [岬めぐり]

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 国道を北東に歩いて行くと、緩い上りになって道と海が高く離れ、その間に松が何本も並んでいる、そんな景色がつぎつぎと展開する。
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 さてはもはや松ヶ崎かと思えば、それはまだ先。道が10数メートルの高みで松が切れたところでは展望スペースもある。
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 西には鯛島が見え、蟹田からむつ湾フェリーがやってくる。
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 松ヶ崎は、そこから北向きに若干下ったところにある。尾根からはぐれてひとりだけゴロンと海岸に転がり出たかのような小山の岩体が、そこだけ海に突き出して松を茂らせている。国道はその付け根をよぎって行く。
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 道の脇に小さな赤い鳥居があり、「松ヶ崎石神邨社」と書かれた標柱が立っている。「邨社」というのは「村社」と同義で、神社の社格のうえではそう高いほうではなく、まあいわば「村の鎮守の神様」のような位置づけだと思っても間違いはあるまい。
 だが、ここは脇野沢港のある本村からは東北東に2キロちょっと離れた場所で、村の鎮守としてはいさかか人里からは離れすぎていて、不便な位置という見方もできる。したがって、ここに神社ができたのは、もっぱらこの松ヶ崎のこの付近では明らかに目立っている岬のロケーションが先にあって、そのロケーション優先で神様が配置された、というのが真相ではないだろうか。
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 ここに神様を誘致するには、それなりの由来が必要だ。ここには、それをちゃんと記した立派な説明板が建てられている。それを建てたのは「本村能舞講中」と末尾にある。本村というのは港のある脇野沢集落の中心地で、古い港町には能舞が伝わっており、それを守ってきた講中がこれを建て、神社も祀ってきたということなのだろうか。
 では、きれいな文字で記された、その由来を読んでみよう。
 
 慶長年間、能登出身の漁師喜右衛門がナマコ漁操業中、笊網に一〇貫目の石が掛かり、幾度投げ捨てても掛かることが数日続いたので、不思議を感じ、この松ヶ崎の磯に揚げたところ、白髪の修験者が現われ「その石は神石である。岬の台地に神として祀れ」と言って姿を消した。
 喜右衛門は早速、岬の台地である現在地に「揚神石」として小祠を建て祀ったところ、漁運に恵まれ好漁するようになった。さらに参拝の都度、この石が成長していることに気づき、「成長する神石」として村の旦那衆と相談し、堂宇を建て、邨社石神様として祀るようになった。以来、この石が大きくなり、屋根を破るたびに堂宇を建替えてきたものだと言われている。
 この石神様は縁結びの神様であり、石のイボに恋の願いを書いて結ぶと思いが叶うという。又、石神様の右脇に一体の観音様が祀られている。この観音様に米を入れた袋を二袋供え、一袋を持ち帰り、粥に炊いて食すると産婦の乳の出が良くなると言われている。

 
 この由来でも「岬の台地」というロケーションが強調されている。
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 そして、ここの神様は、よくある単なる弁天様や明神様ではなく、「石」をご神体とした石神様という点で特異なのだ。
 だたし、石がご神体で、その石が成長するという、似たような来歴を持つ神様は、ここだけではない。全国各地にけっこうあるようだし、同じ青森県内でもほかに二か所はある。
 ここでは「能登出身の漁師」というのも、ちょっと気にかかる。なぜ能登なのだろう。なぜ一漁師の出自がわざわざ明記されるのだろう。だが、それについては語らない。
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 漁師の網にかかって…というのも、浅草の観音様を筆頭によくあるパターンのひとつで、豊漁を願うというのが、いわば最初からのメインで、縁結びや乳の出の話は後からくっつけたものだろう。こういう場合、ほかの神社の縁起や由来が伝えられて活用流用するということもあり得たことだろう。ほかの石神様には女性の守り神という色合いもあるようだし…。
 ナマコ漁というのがおもしろいが、そんなに需要があったのだろうか。タラでは網に石は掛からないし、ホタテはずっと後のことだからここはナマコになったのだろうか。
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 松ヶ崎の南側には、国道338号線の標識と並んで「赤坂海岸」と記された標柱も建てられている。こういうのがまた悩ましい。「赤坂」という地名や字名など、地図上で見る限りはどこを探してもないし…。
 …と首をかしげて標識を眺めていると、バスが通りすぎて行った。これが脇野沢に行って、また次の便で折り返してくるJRバスになるので、どこかでそれに乗らなければならない。
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 この松ヶ崎、こうして逆光でみると岬の上半分は、松の枝の隙間から光が漏れている。なるほど。こうしてみると、確かに由来が言う「岬の台地」の意味がよくわかる。

▼国土地理院 「地理院地図」
41度9分20.58秒 140度50分48.12秒
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