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1541 坊崎=姫路市家島町坊勢:坊勢島(兵庫県)連絡船「ぼうぜ2」号でやってきたこの島の伝説など [岬めぐり]

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 「坊勢」と書いて「ぼうぜ」と読むこの島は、名前の通り坊主に由来する言い伝えがあるという。883(元慶7)年に、覚円という僧侶が比叡山からこの島に配流されてきたが、弟子たちが師を慕って数十名も一緒に移り住んできた。それが島の名の起こりなのだそうだ。だが、坊主が大勢やってきても、“いわゆる生産性”は低かっただろうから、それが島の基盤づくりになったわけではない。
 島の名には、もうひとつ別の伝説もある。それは百済王子の子孫が坊勢法師と名乗って海軍の長となってこの島にいたとするものだ。これなどは、海賊の根拠地説を彷彿とさせる。
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 いずれも、坊勢漁業協同組合のサイトにある情報なのだが、古いのは百済のほうが古そうだし、坊主が大勢というのもおもしろい。が、真偽のほどはどちらとも言いがたい。ほんとうに名前というのは、不思議なものだ。
 この島の北端に、低い丘で突き出しているのが坊崎で、その東西両側も防波堤や岸壁を備えた港になっている。前項でもふれたように、坊勢は漁業の島で、その規模の大きいのは西ノ浦で北側の奈座地区にある漁港と合わせ、漁港と集落はほぼ島の北部に集中している。
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 比較的新しく開けた印象のある西ノ浦地区と、昔からあったような奈座地区は30メートルほどの丘を越えて、ほぼ繋がっているが、客船は奈座の桟橋に発着する。乗ってきた「ぼうぜ2」号は、家島航路の連絡船に比べてもひとまわりも小ぶりで古い。坊崎を回り込んで桟橋に着くと、そこで30分の待ち合わせでまた折り返して姫路港へ帰って行く。
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 前部の船室は椅子席で、後部の乗降口のところが半分荷物置き場、半部ベンチになっている。船室の窓が雨としぶきであまりよくないので、まるで渡し船のような雰囲気のベンチのほうがよいのではとも思ったが、後部もガラス窓に囲まれているので、これもどっちがどうとも言いがたかった。ガラスのないのは最後部だが、そこは立ち入り禁止となっている、
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 奈座の桟橋の西側には、なにやら朱塗りの橋で繋がった小島がある。これも坊勢漁業協同組合のサイトによれば、この島は弁天島、別名神権(じんごん)さんと呼ばれているという。漁師の守護神でもある海神・竜神・弁財天が祀られている、神権さんにも伝説がある。
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 無茶な漁ばかりする掟破りの漁師と、その心優しく利発で美しい娘の話で、出漁した父親は大漁で港に帰ってきたが、獲った魚の中には龍神様の使いがいたため、その怒りをかい、突然の暴風雨で小さな舟は転覆しそうになる。いつも無作法な漁をする父親を龍神様が怒っているのだと察した娘は、魚を海に返すよう叫ぶが、父親はせっかく獲ったのにと聞き入れない。娘が竜神様を鎮め父の命を助けるため、自らの身を海に投げ出したところ、水柱が天をも貫くような竜巻が起こった後、嵐はうそのようにおさまり、そこに美しい娘の化身の小島が現れた。そして、父親は心を入れ替え、そこに竜神様を祀り、島の安全と大漁を祈るようになった…というお話。
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 現在でも、坊勢では正月の4日、神海祭(神権祭り)が行なわれているそうだが、いかにも漁業の島らしい伝説ではある。しかし、その話を伝える漁協のサイトでは、その後に続けて「その島にまつわる伝説は意外に地元の人々にも知られていません。」と結んでいた。
 確かに、地元の人が知らなければ、よそ者が知るわけがない。国土地理院の地図では、東の恵美酒神社の記名はあっても神権の記名はなく、鳥居マークがあるだけで、Mapionになるとなんの表記もない。
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 地図によると、そこは陸繋島で、周辺には浅瀬が広がっているらしい。神権さんのところまで行ってみればよかったのだが、雨も降るし、なんとなくめんどくさい気がして、待合室でだらっとしてしまった。
 夏のシーズンには、奈座の桟橋からさらに西に向けて、西島まで渡る船もあるようだが、キャンプ場の利用者など、期間と乗客は限られるらしい。
 帰りの船も、坊崎をまた回り込んで行く。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度39分32.30秒 134度30分55.52秒
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1540 黒崎・マブノ鼻=姫路市家島町坊勢:坊勢島・高島(兵庫県)漁業の島の南端を遠く望めば [岬めぐり]

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 坊勢(ぼうぜ)島は、家島諸島の人が住む4島のうちではいちばん小さくて狭い。坊勢の本島は、形が崩れて失敗したクロワッサンのような形をしていて、その凹んだ部分が坊勢漁港となっている。漁港は島の北側奈座にも分かれてあり、こちらのほうには連絡線の桟橋もあるので、西の海に向かって開けている漁港のほうを西ノ浦とも称している。が、漁港としての規模は西ノ浦のほうが大きいように見える。
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 坊勢漁業協同組合のサイトによると、「瀬戸内海で唯一人口が増え続け、所属する漁師さんたちの平均年齢が日本一若い島」「漁業の後継者不足とは無縁の島」、それが坊勢なのだそうだ。組合員の平均年齢は51.2才(平成26年3月現在)、過疎に悩む他の島々とは違って、坊勢のこの平均年齢は自慢できるほど若いらしい。
 組合に所属する漁船数は約930隻、漁協組合員は512人で、兵庫県でも有数の漁獲高を誇る漁業の島では、島の約7割が漁業に従事しているという。
 船曳網、底曳網、磯端網、イサリ、巾着網、海苔養殖、釣堀などなど、漁業の名前を見ても聞いても、シロウトにはピンとこないが、この島が漁業の島であることは、おかげでよくわかった。
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 その西ノ浦の漁港に面した水道に、北から順に矢ノ島、ハタカ島、黒島、大コ島といった小さ目の無人島が点々と連なっている。これらの島の住所表示は、坊勢の一部となっているので、昔から坊勢島とひとまとめにされてきたのだろう。
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 西ノ浦からずっと南の端、クロワッサンのツノの端っこは、細くなりながら伸びていて、その先端が黒崎となる。
 ひたすら坊勢島の北側に位置する奈座の港に向かっていく坊勢航路の船が、矢ノ島の北側を通り抜けるときと、帰路の船から遥かに南を望めば、かろうじて黒崎の姿は捉えることができる。だが、その距離は矢ノ島から黒崎までは2.5キロも離れている。
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 高さは10〜20メートルくらいの、細長い岩の崖が取り巻く出っ張りが黒崎のようだ。
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 そして、船の位置が移動するにつれて、そのさらに向こうにある大きな島影が黒崎のバックに控えるようになる。
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 これが最高点では100メートルを超える高島で、オタマジャクシのような形をして南を向いている島の南端がマブノ鼻になる。黒崎からマブノ鼻までの間は1.7キロ離れている。この高島も、坊勢島と同じ地名表示になっていて、坊勢領域内であることを主張しているが、周囲を断崖に取り囲まれた島で、浜も平らなところもなく、船を寄せることもできそうにない。
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 その南端に、マブノ鼻という名がついたのは、もっぱら航行する船の目印のためではなかっただろうか。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度38分9.07秒 134度30分55.22秒 34度37分47.64秒 134度29分55.37秒
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1539 堂崎=姫路市家島町宮:家島(兵庫県)観音崎の名も観音堂も道も消えてなく変わらぬものは月ばかり [岬めぐり]

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 塩崎とヒシノ鼻を後にした坊勢航路の船は、一路南西へ向かい家島の最南端である堂崎を回り込もうとしている。その堂崎を目指してまっすぐ進んでいるので、男鹿島の最南端である大崎や、さらにその南にある加島のボンノ鼻にはさらに近寄ることなく、だんだん離れていっている。
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 どんどん近寄ってくる家島には、堂崎の北側でもなんだか採石場のように山を削った崖が目立つ場所がある。現役の採石場なのか、それともすでにそれを放棄された跡なのかもよくわからないが、家島で採石場のような崖が目立つところはほかにはなく、ここだけだ。家島と坊勢島のさらに西にある西島では、やはり採石は盛んに行なわれているようだ。
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 堂崎がかつては家島十景に「観音崎月」として数えられていたところからすると、古くは月の名所でもあったのだろう。しかし、その観音崎の由来となった観音堂がどこにあるのか、あったのか、それを示すものはなにもない。第一、家島の南部はほとんど道も人家もないようなのだ。
 ただ、現在のこの岬の名が堂崎であることは、ここに観音堂があったことの確かな証と考えられるのではないだろうか。
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 だが、今ではここまでやってくるだけでも大変だ。家島中学と家島高校のある集落付近から山間の谷筋に入って鞍部を越え、採石場らしい場所の南端に出る細い道が一本あるきりだ。そこから岬の場所までは道もない。
 家島ではコミュニティバスが走っているが、その宮ルートの路線図を見ると、集落から谷筋に入って行く分かれ道のところ、終点の中学校前のひとつ手前には、なんと「堂崎」という名のバス停があった。堂崎への入口を示しているという意味なのか、それとも…。バス停と堂崎の間は1.8キロほどある。
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 堂崎の崖と山から落ちてくる斜面も急で、採石場と思しき辺りの海岸を除いては、建物が建てられるような平坦な場所もない。それでも五浦海岸の六角堂のことを思えば、観音堂のひとつくらいはなんとか建てられたかもしれない。
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 堂崎の名は岬とコミュニティバスのバス停に残っているが、それと家島十景にいう観音崎月とを結びつける具体的な情報はないようだ。観音崎も観音堂も道も消えてなくなり、変わらぬものは月ばかり、ということなのか。
 その月もこの雨ではどうしようもないが、とにかく船は少し赤っぽい崖の堂崎を回り切り、家島と矢ノ島の間を抜けて坊勢島へ向かう。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度39分30.69秒 134度32分29.57秒
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1538 ボンノ鼻=姫路市家島町宮:加島(兵庫県)岬の名前には由来のはっきりしないのが多いが… [岬めぐり]

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 大崎からは南東1キロのところから細長く始まる加島は、不思議な形をしている。遠目には大中小と3つの島が並んでいるように見えているが、これが全部でひとつの島。それぞれ中間部が細くなった砂洲でつながっている。
 南北にちょっと斜めに長さ890メートルほどにつながっていて、北側のジョイントの部分は二本の砂洲の間に窪みがあって、海水を取り込んで湛えているように地理院地図では描かれている。念のためにMapionを見ると、そんなものはなくただのっぺりとした陸地のように描かれている。地形図としてははなはだイイカゲンでまったく話にならないMapionはここでは無視して、地理院地図のほうでイメージを膨らませてみよう。
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 3つの山のうち、南の山が標高55メートルといちばん高く、北寄りの2つは船から見えているその南西側が、何らかの大きな地殻的変動によって、すっぱりと断ち切られたような崖になっている。そのことは、地図の等高線をみれば明らかだ。
 ボンノ鼻は、この加島の南端につけられている名前である。そこにはポコンと岩島のようなものもくっついているが、ボンノ鼻とはいったいどういう意味なのだろうか。こういう場合、調べてみてもわからないし、考えてみてもわからないことが多い。
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 調べようとしてボンノ鼻で検索してみると、ずらり出てくるのはYahoo!やMapionやnavitimeの、名前だけでまったく中身のない場所ふさぎの邪魔サイトのページばかりなのだ。店舗詳細情報だとか、グルメ・レストラン情報、最寄駅、ルート情報といった、無意味な文字列が虚しく並んでいるのみ。こんなところに店舗や駅やレストランがあるわけないだろうに。機械的にやるというのも程度の問題で、少しは実態に合わせて考えるべきだ。これはここボンノ鼻だけのことではないので、なんとかならないものかといつも思う。
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 ネット情報はあてにならないとわかったので、ではと気を取り直して今度は自分で考えてみると、ここではひとつだけ思いつくことがあった。砂洲と山に囲まれた海水面、これがボン=盆ではないのだろうか。盆のような海水面を抱えた島の端だからボンノ鼻。
 単なる語呂合わせのようで根拠や証拠となる材料もないが、それ以外には思いつかない。まったくの見当違いであるかもしれない。
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 岬の名前をあれこれ詮索するのは、多くの場合徒労に終わる。この場合などまだ思いつくことがあるだけマシなほうで、同じ男鹿島のヒシノ鼻も意味がわからない。塩崎も製塩に関わるものか、あるいはシオ=潮という想像はできるが、これなどは岬の形状を示している淡賀楯崎の楯崎のほうが、名前として定着しなかったのはどうしてだろうと思ったりする。
 前項の見えなかった岩津ノ鼻のように、漢字名だとその文字の意味から想像してなんとなく了解してしまうこともあるが、やはりなんでそこがそうなのかの意味はわからないことが多い。
 困るのはカタカナの名で、ここから西の高島にあるマブノ鼻、家島諸島南端の松島にあるヒラレノ鼻、西島にあるオツヅノ鼻などといわれてもさっぱりなのだ。
 だから、たいていの場合、岬の名前ははっきりわかっているもの以外はスルーしている、というわけです。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度38分15.81秒 134度35分16.68秒
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1537 大崎・岩津ノ鼻=姫路市家島町宮:男鹿島(兵庫県)なくなった山の上と見えない岬にも… [岬めぐり]

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 男鹿島の最南端にあたるのがこの大崎。ヒシノ鼻からは南東2.4キロのところに位置するこの岬は、40メートルくらいの段丘状になっていて、その南西側は崖が続いている。崖の上はやはり採石場になっているようだが、ここを周回することはできないらしい。
 ヒシノ鼻から続いている広い採石場は、段丘の崖にまで達している。
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 大崎の東側は丸い小湾になっていて、その海岸には2〜3の突起のように小さな桟橋が、地図には描かれている。建物も固まっていて、そこには田ノ浜という名がつけられている。
 島の南端に近いそこらあたりが、元は男鹿島では、いちばん人口が多く集まる地域だったようで、かつてはそこに小学校もあったという。では、姫路港からはいちばん遠い田ノ浜が、島の中心集落だったのはどうしてだろうか。それは情報もなく、想像しようとしてみても見当がつかないが、おそらくは水の便か港の地形的条件なのだろう。
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 田ノ浜の東の山には灯台もあって、その尾根の南端には岩津ノ鼻という岬名表記もある。神社もあるように記号表記があるが、それはおそらく以前には山の上にあったもので、採石が進むにつれて居場所がなくなり、下に降ろされてきたという神社そのものではないかという推測もできる。osaki05 (1).jpg
 地理院地図には神社の名前がわからないので、Mapionを見ると「大山神社」と表記してある。やっぱりそうだった。島ではほかに神社はないので、これこそがかつて島のてっぺん近くにあって、周辺に大山神社遺跡を構成していたというその名のもとになっていた神社に違いない。
 大山神社遺跡は、1959(昭和34)年に行なわれた家島群島総合学術調査によって明らかにされたもので、弥生時代の高地性集落の遺跡だという。縄文や弥生の集落遺跡は、海浜や海に近い高台や山間などが普通で、山の上というのは確かにめずらしい。
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 かつて大山の標高は200メートルを超えていたはずだが、現在ではそれを見ることはできない。というのは、その山自体が採石のために切り崩され、島全体では今の最高点が180メートルくらいになってしまっているからだ。それで、せめて神社だけは…と南の海岸近くまで移転させたわけなのだろう。
 その山の上には、竪穴建物跡14棟、掘立柱建物跡11棟の住居の跡が集まる遺跡と、そこから製塩土器、農耕具、狩猟具、漁労具なども出土した、という。周辺の島からも旧石器時代の石器なども発掘されており、かなり古く古代からこの瀬戸内の島々の一帯で暮らし、人々が自由に往来していたことを知って、今更のように驚きがある。
 また、高地性集落なのに製塩土器や漁労具があるというのも、不思議な感じがするが、島が海との関わりにおいてのみ成立することも、当然といえば当然だったろう。
 遺跡のそばにあったという烽火台に注目して見ると、わざわざ海から遠いその山の上に設けられた高地性集落の役割が、その展望のよさを活かした見張台にあったと言えそうだ。
 360度ぐるりと周囲の海を見渡すことができるという利点はと言えば、何もそこからの景色を眺め美しい風景を楽しむためにあったというものではない。周辺海域に近づいて来る舟や起こりそうな災厄の兆しをいち早く発見し、警戒態勢をとるためであったはずだ。
 そう考えると、この高地性集落の独特さと、古代人の厳しい生活環境の一面をも知ることができる。
 その高地も、そこにあった遺跡もすでになく、移設された山ノ神・大山神社も、灯台も、小学校もあったという集落の姿も、そして岩津ノ鼻も、すべては坊勢航路の船の上からでは、大崎の陰になっていて見ることはできない。しかも、船の航路は、採石場の白っぽい崖と大崎からは、だんだんと離れていき、遠ざかっている。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度39分4.79秒 134度34分32.53秒
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1536 ヒシノ鼻=姫路市家島町宮:男鹿島(兵庫県)通りすがりながら採石場を眺めながらの想いも広がる [岬めぐり]

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 男鹿島の地図を眺めて特徴的なことは、採石場の石切のために無数の崖があることと、いわゆる通常の道路にあたるものの表記がどこにもないことだろう。全島が私有地で、公道にあたるものがまったくない、というのがその理由ではないかと想像できる。
 島内にあるのは、二本の破線で描かれた道ばかりで、これは地理院地図の記号では「庭園路」を示している。いわば、庭の中にある道と同じというわけだ。公道ではないから、島内にある自動車にはすべてナンバープレートもついていないという情報もあった。ということは、免許なしでも走れるのかな。この辺は、車にも免許にも縁がないでんでんむしにはよくわからない。
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 でんでんむしのように、雨の中を走ってきた船に乗ってちょっと桟橋に寄っただけですぐまた島を離れて行くような、文字通りのほんの通りすがりではなく、実際にこの島に上陸して歩き回っている人たちが残している記録も結構あった。釣り人もいるし採石場の写真を撮りに来る人、かつて山のてっぺんにあったという旧石器から縄文の遺跡を尋ねて来る人もいた。それらによると、採石場が休業しているときには島内を一周することも可能なようだ。
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 島の住民は数十人ほどで、みんな採石に関わっている人たちばかりのようだが、島の所有者など、詳しい実情もよくわからない。しかし、この島で採石が始まったのは150年くらい前からで、最盛期には100軒もの業者があって、それぞれこの島から石の切出し、決められた大きさに砕石する加工、石材の運搬などの仕事を分担してやっていたという。
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 国全体が近代化を目指して右往左往していた明治期には、阪神地区の近代的な港湾の建設と整備のために、大量の石材が必要とされたことだろう。また、近年でも関西国際空港や神戸空港などの、大規模な埋め立て建設現場への積み出しが行なわれてきたはずであろう。
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 現在では、そうした大規模需要も一段落したのか、かつての盛業時のような活況はなさそうだが、重機など採石の道具の進化は、島の形そのものを大きく変えながら、その作業自体をも変えてきたに違いない。
 軽視できないのが運搬で、ガット船と呼ばれるクレーンなどを備えた無数の船が、賑やかに往来して石材を運んでいたのであろう。それは、船の停泊や修理保全の仕事も生み出し、家島の港の繁栄にも一役買っていたはずだ。
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 男鹿島の最西端にあたるヒシノ鼻から南にかけての一帯は、大規模な採石場が広がっている。雨に烟るその露出した岩肌の風景を眺めながら、そんなことにも想いは広がっていく。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度40分6.75秒 134度33分43.30秒
hishinohanaM.jpg
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1535 塩崎=姫路市家島町宮:男鹿島(兵庫県)家島十景のひとつ「淡賀楯崎」はここなのか [岬めぐり]

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 岬名の拾い出しと表記は、国土地理院の地理院地図に拠っているのだが、Mapionも併せてみるとときどき発見がある。男鹿島のこの塩崎も、Mapionでは塩崎ではなく「淡賀楯崎」と表記されていた。どういう理由と経緯によるものか、ちょっと好奇心を刺激される。
 というのは、「淡賀楯崎(たんがたてざき)」とは、そもそも18世紀の播磨国の地誌に表れる家島十景のひとつの呼称だからだ。その十景からして、現在ではほとんどその面影を留めてはいないと思われるが、岬でこの十景に入っているのは、このほかに「観音崎月」というのがある。観音崎も地理院地図にはないのだが、その場所が「家島本島南端の観音崎」というのだ。ならば、それはどうやら地理院地図でいう堂崎のことらしいとわかる。
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 「淡賀」というのは当然「男鹿」の音を当てたものであり、一説には「賀」には「崖」という意味があるそうで、「淡く白い崖がある島」が「淡賀」と称されていたという。「男鹿」と書いて「たんが」または「だんが」と呼ぶのと、どっちがどうなのだかはわからないが、こちらシカのほうは播磨国の飾磨(しかま)にいたオスとメスのうちのオスジカが海を渡ってこの島に辿り着いたところから、男鹿島という名になったという説が一般的らしい。
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 なんだか、利尻島に渡ったクマのことを連想してしまったが、ありえないことではなかった。利尻島と北海道本島の間はおよそ20キロ、飾磨から男鹿島までは16キロである。利尻島のクマはメスを求めて渡ったとされるが、ここのシカはメスを本土に置いて海を渡ったことになる。しかとはわからぬが、いろいろ事情があったのだろう。
 それにしても、姫路市のサイトが「観光スポット:淡賀楯崎(あわがたてざき)」としているのはいただけない。どうしてこういう間違いが堂々と市のサイトに載ったままになっているのだろうか。(それとも姫路市の「あわが」のほうが正しい読みだとでも?)
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 その昔、島の特徴として白く淡く輝いていたであろう崖は、今はもうなくなったことであろう。それは花崗岩の崖で、この島では全島に渡って採石場があり、島中いたるところで山を切り崩しているからだ。
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 採石の後も生々しい風景の中に、岩が塔のように立っているのが目立っている。この塔がこのように見えるのも今だけで、前はもっと大きな山だったろうし、この後はやがて塔もなくなってしまうだろう。
 淡賀楯崎がなぜ塩崎になったのか、それともまた両者は微妙に別々の場所を指しているのか、それもよくわからない。だが、その場所も大きくその風景を変えてきたことであろう。
 姫路市がサイトで言う(あわがたてざき)淡賀楯崎を「観光スポット」としてあげている理由は、どうやらここに鹿公園なるものがあるためらしい。聞くからに侘しさと物悲しさが募るような感じしかしない「鹿公園」。船からではわからず見なくてすむのが、幸いというものであろう。
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 坊勢島へ行く船は、男鹿島へ寄港する便もある。船は宇和島という二つの小島を見ながら島へ寄る。宇和島の向こうに見える島は太島とクラ掛島という無人島。
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 船は塩崎を見ながら桟橋へ横付けされるが、乗る人も降りる人もいなかった。
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 坊勢から帰りの折り返し便は、男鹿へは寄らず、塩崎と宇和島を横目に通り過ぎて行ったが、この男鹿島の桟橋には港の名前もなく、島の名前で呼ばれる。小さな凹みに桟橋だけがあるだけで、建物はいくつかあるが人の気配がない。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度40分31.53秒 134度34分10.48秒
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1534 尾崎鼻・天神鼻=姫路市家島町真浦・宮:家島(兵庫県)岬もふたつ港もふたつ集落もふたつ字もふたつ [岬めぐり]

 姫路港を出た連絡船が家島諸島に近づいて行くと、左舷には男鹿島が、右舷には家島が見えてくる。家島の東北部に出っ張っているのが、尾崎鼻と天神鼻のふたつの岬。このふたつの岬の間は1キロくらいしか離れていないので、遠目には常に同じ視界に収まってしまう。
 本来、独立させて別々の項目にすべきところではあるのだが、ふたつまとめて一項目としたのは、それぞれ別項目にしてみても、どちらもさして書くことが思い浮かばないためだ。それには、乗った船が家島の真浦港・宮港には入って行かないため、岬のそばまで寄ることができない、という事情もある。
 以下、すべて同様だが、写真もロクな写真は撮れないので、まあこんなところかという目印程度にしかならない。翌日の早朝に小豆島へ行くフェリーから眺めたときのほうが、少しはマシなので、それを代表として掲げておいた。
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 地図を眺めながら、想像を膨らませてみる。
 尾崎鼻の先端部は、三味線のバチのような形をしている。周辺は崖で60メートルくらいの頂点には、灯台のマークがつけられているが、このお天気ではその灯台の姿はまったく確認できない。この灯台まで行ったとネットに書いている人も二人くらいいるが、それによると背の低い灯台で、そこからの展望もあまりよくないらしい。
 天神鼻の上には鳥居マークがあるので、天神さんが祀られている神社があるのだろう。ということは、菅原道真が九州へ流される途中で、ここ家島に寄りなんらかの足跡を残したということだろうか。
 こちらは最高点の高さでは尾崎鼻の半分くらいしかなさそうだ。天神鼻の内側には家島漁港が防波堤に囲まれてある。
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 その家島漁港をふたつの岬が挟んでいるのだが、その内側にもう一列防波堤があって、その西奥内側が家島港で宮と真浦のふたつの港とふたつの集落がある。入江は複雑にでこぼこして深く、その沿岸と谷筋に沿って集落はあるようだ。
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 しかし、それは深い入江の奥にあるので、尾崎鼻と天神鼻を遠目に見ながら走る坊勢航路の船からは、うかがい知ることはできない。島は南東部を占める宮と、北西部を占める真浦に二分されている。港(船着場)もふたつ、集落もふたつというのは、その地形からなんとなく納得できる。
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 入江の広さは、家島全体の4分の1に匹敵するほどで、ここが避難港としてあるいは諸島全体の中心として重きをなしてきた歴史もあるのだろう。
 それが、東の男鹿島の字が家島町宮であり、西の西島が家島町真浦となっている理由なのでもあろう。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度41分5.49秒 134度32分12.45秒 34度40分46.48秒 134度32分43.56秒
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dendenmushi.gif近畿地方(2018/10/10 訪問)

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タグ:兵庫県
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番外:家島諸島=姫路市家島町(兵庫県)大小合わせ44もあるが大きく人がいる島は男鹿島・家島・坊勢島・西島の4島 [岬めぐり]

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 姫路港から南西に約18キロほど、播磨灘の沖合に島々が集まっている家島諸島へは、連絡船でおよそ30分くらいで行ける。2006(平成18)年に、この諸島全域が兵庫県姫路市に編入されているから、港から見えないほど離れていても姫路市内のうちである。
 島の数は大小合わせて44もあるところから、四十四島の別名もあるとされているが、大きい島、人が住んでいる島は、東から男鹿島(たんがじま)、家島(いえしま)、坊勢島(ぼうぜじま)、西島(にしじま)の4島で、住民の数は合わせて約6,000人だという。中でも、そのほとんどは家島と坊勢島の2島に集中しており、全島が私有地で採石場である男鹿島と夏のキャンプ場のあるとき以外はほとんど人のいない西島とはっきり対照的に分かれている。
 家島は東の宮と西の真浦という二つの字(あざ)に分かれて二つの集落があり、二つの港がある。おもしろいのは、この二つの字が周辺の島にも及んでいて、男鹿島では家島町宮、西島では家島町真浦となっていることだ。家島と西島の間に挟まれている坊勢島だけが、家島町坊勢という独自の字をもっている。
 今回の家島訪問(といっても、船で行って折り返して帰ってきただけだが)では、家島の港と集落には寄らずに、坊勢島との往復だけになった。
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 姫路港からの連絡船も、家島へ行く便と坊勢島へ行く便とで分かれている。坊勢島へは小さな船、家島へはそれより少し大きな船で、しかも船会社も2つあるらしい。家島便に乗ってしまうと、家島の港の入口にある尾崎鼻と天神鼻は近くから見える代わりに、ほかの島のほかの岬は、いっさい見ることはできない。坊勢島へ行く便に乗れば、男鹿島にも寄るし、家島の南を回って遠目ながらほかの島々も眺められる。
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 そういうわけで、迷わず坊勢航路の船に乗るが、実はこのとき桟橋で迷って、危うく家島行きに乗ってしまうところだった。同じような時間に違うルートの船が別々の桟橋から出ているのだが、案内もなく標識もほとんどなく、初めての人間には不親切に感じられた。だが、これらの船を利用する人は、ほとんどが毎日のように利用している人ばかりなので、迷うようなこともないし、不親切でもないのだろう。
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 家島航路に乗った日も、その翌日も続けて雨だった。事前の予報では、雨の情報はほとんどなかったはずなのだが、直前の予報から雨でしかもところによっては激しく降るという。これでは、船からの岬めぐりは、かなり厳しい。しかし、ともかく当初に立てた計画通りに行くしかないので、覚悟を決めて姫路港までやってきた。
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 翌日も、今度は小豆島へ向かうフェリーに同じ姫路港から乗ったのだが、その時にみると、早朝の家島行きの桟橋は船が着いて降りる人、乗る人が行き交い賑やかだった。長い乗船待ちの行列までできている。お仕事で家島へ向かう人も多いのだろうと思って見ていると、その中には高校生の姿も多かったので、おや?島から本土の高校へというのが普通なのに、ここでは逆じゃないかと疑問に思った。
 あとで調べてみてわかったのだが、家島にも坊勢島にも小・中学校と郵便局はあるが、家島には兵庫県立家島高等学校もあった。しかも宮にしろ真浦にしろ港からはかなり離れた山の中に学校はあり、この通学も大変そうだが、本土から島の高校へこれだけ多くの生徒が通うというのは、全国でもめずらしいのではなかろうか。
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 古くから開けていたはずの瀬戸内航路では、播磨灘のほぼまん中北寄りにある家島諸島は、風任せ潮任せの時代から重要な風待ち潮待ちのポイントになってきたことだろうし、もっと大昔からこれらの島には人が住んでいたことを示す遺跡もあるらしい。
 名前の由来は、「室津」の場合と同じようなもので、神武天皇東征のさいに、嵐にあってこの島に避難をしてきたところ、入江の中は「まるで家にいるように静かだ」というので家島という名前が付いた、とされている。
 雨のなかを走る坊勢行きの連絡船の中からでは、岬の視認にも大いに支障があるが、船は右手に家島の尾崎と天神崎という二つの岬を見ながら、男鹿島の塩崎とヒシノ鼻を過ぎ、男鹿島南端の大崎から家島南端の堂崎を回り込んで、矢ノ島の東を坊勢島の北端坊崎を回って坊勢港に入る。帰りのコースは矢ノ島の西を通るので若干違うようで、さらに男鹿島には寄らないで、姫路港に帰る。
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 この天候では、あまりはっきりとは見えないだろうし期待できないだろうが、その往復でなんとか可能な限り岬を捉えていくよう、がんばってみよう。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度40分4.06秒 134度32分16.26秒
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dendenmushi.gif近畿地方(2018/10/10 訪問)

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