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1562 観音崎=小豆島町室生(香川県)例えていうウシの前足に当たるところが三都半島なんです [岬めぐり]

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 小豆島の形を何かに例えていうなら何だろう、三本足の鼎かなあ、いや四つ足の動物を横から見たようにも見えたりする。すると、ネット情報ではどうやらウシの形に例えるという記述がいくつかあることがわかった。ウシだとすると、向こう側の足は胴体に隠れていて見えないことになるが、その前足の部分に当たるのが、三都(みと)半島に当たる。
 三都半島と言われても、知らない、ピンとこないという人のほうが多いはずで、地図にも通常表記されていない。ただ、バスの終点の神浦の港には、地理院地図では「三都港」と明記されている。これだけが唯一の「三都」表記だった。
 ところが、「三都半島」で検索すると、実にたくさんのページがリストアップされる。そして、そのほとんどは「アートプロジェクト」に絡むものであった。
 三都半島アートプロジェクトというのは、小豆島町がここ毎年力を入れているイベントで、全国からアーティストを招聘して、半島に滞在しながらの制作などの美術活動を通じて地域交流を行なおうというものらしい。ははーん、直島の向こうを張ってということなのかな。
 2018年には、広島市立大学芸術学部のメンバーなどによる、「野生のハナ」と題したアート展覧会が行なわれていて、このハナには半島の隠喩としてのハナの意味があるという。
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 その三都半島の西側の海岸線沿いに走る道路を南に向かって下っていくと、沖の鼻に次いで観音崎がある。これは沖の鼻よりももっと小さな出っ張りで、西に向かって張り出した尾根の南端に当たる。
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 道路はその尾根を乗り越えて、二面の集落に入る。「二面」はニメンではなくてフタオモテと読む。二面の集落は北の観音崎と南の吉野崎の間に開けた、二本の川筋の堆積によってできた平地に展開している。
 そして、その南西側には長者鼻の大きな出っ張りが控えている。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度27分47.91秒 134度14分12.50秒
スクリーンショット 2019-01-18 16.15.32.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/11 訪問)

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1561 沖の鼻=小豆島町室生(香川県)大規模な総合レジャー施設小豆島ふるさと村が付近に展開している岬 [岬めぐり]

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 池田湾は、土庄町の最南端である黒崎と、小豆島町の中央付近に突き出た釈迦ヶ鼻の間で、大きく開けた湾だが、その北東奥にある。港は西の飛岬と東の沖の鼻の間に挟まれていて、小豆島の主要港の一角を担っている。
 小豆島の港ではやはり土庄港がいちばんの中心には違いないのだろうが、高松との間の往復便数でいうと、池田港の一日8往復というのは、土庄=高松便の半分強を占めている。
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 池田=高松航路を運行しているのは国際フェリーで、想像してみるに関西地方から高松に行こうとする車両では、この池田港経由が関西方面からはほぼ斜めにまっすぐのルートになる。姫路港から福田港へ上陸し、国道436号線で池田まで陸走できて、池田からまたフェリーで高松へ、というルートが最短距離であるような気がする。料金的にも瀬戸大橋を迂回して戻るよりは、安くつきそうに思えるが、でんでんむしは車族ではないので確かなことは知らない。
 だが、場合によっては土庄港まで行かずにここ池田港から高松へ、という利用者も多いのではないか。
 そんな自分には関係ないことを考えている池田港から南を見ると、沖の鼻が東から飛び出している。
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 ここの岬の尾根の上にも、大きな建物が目立っていて、岬の先にはふたつの小島が浮かんでいる。弁天島と名前があるが、小さいながら22メートルもの高さがあるほうには鳥居マークがあるので、弁天社が祀られているのだろう。
 沖の鼻の出っ張りの東奥には室生北港があって、室生の集落がある。この集落を通り抜ける途中でも、湾の向こうには沖の鼻と弁天島が見える。この湾の北側の岬の出っ張りの付け根付近には、小豆島ふるさと村と道の駅があるらしい。
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 小豆島ふるさと村というのは、体験型・総合レジャー施設を銘打った公共施設であるらしい。その施設は、沖の鼻の全域に渡って分布していて、Mapionにも何も表記がなくて、当初はわからなかったのだが、実は池田港から見た岬の尾根の上に見えていた建物は、国民宿舎小豆島と別館の公共の宿ふるさと荘であった。
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 そのほか、ファミリーロッジや貸別荘やキャンプ場まで備えた大がかりな施設のようだ。沖の鼻の突端の右手には、何やらドームのようなものも見えるがこれもその施設の一部なのだろうか。でんでんむしも、こういうところと縁がなくなって久しい。

▼国土地理院 「地理院地図」
34度28分9.26秒 134度13分48.89秒
スクリーンショット 2019-01-18 16.18.45.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/11 訪問)

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タグ:香川県
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1560 飛岬=小豆島町蒲生(香川県)ひとまわり小ぶりな赤い町営バスで三都半島を南へ向かうところで反対側に見える岬 [岬めぐり]

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 池田港からは、フェリーが毎日8往復、60分で高松との間を結んでいる。そのターミナルで映画村からの帰途のバスを降り、ここから三都西線(みとにしせん)に乗り換えて、神浦西まで行く。小豆島の南側中央に大きく張り出している半島は、地図にはないけれどどうやら三都半島という名前があるらしい。
 その半島の名をとって、三都西線と三都東線のバスが走っている。この路線だけは、小豆島オリーブバスではなく小豆島町の町営バスとなっているが、小豆島のバスもなかなか複雑なようだ。
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 小豆島オリーブバスは、2009(平成21)年に地元出資のバス会社として設立され、その翌年からはそれまで小豆島内で路線バスを運行していた小豆島バスから路線バス路線の運行業務の移管を受けて運行を開始している。経営悪化による小豆島バスの一般路線バス事業からの撤退に伴なうものだったわけだが、そのなかでもこの三都半島を走る三都線だけが町営バスと注記されている。その理由はよくわからない。
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 もともと、この小豆島バスからの路線引き継ぎに当たっては、生活路線ではない主に観光路線は引き継がれなかったという経緯もあるが、三都線は生活路線のはずだ。小豆島オリーブバスの設立には、地元自治体も出資していたので、当然小豆島町も絡んでいるわけで、それなのにこの路線だけをわざわざ町営としなければならない理由はわからない。
 やってきたのはひとまわり小ぶりな赤いバスで、このバスは池田港ターミナルを出ると一旦西へ戻って、井上誠耕園らしく園前などに立ち寄ったうえで東に戻り、池田湾東岸を南に向かう。終点の神浦西で折り返してまた戻ってくる。
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 このときに、池田港の西に飛び出して見えているのが、飛岬である。
 飛岬は三角形の出っ張りの南端についている名前で、その先端は少し低くなっていて、そこにはいくつもの大き目の建物が地理院地図では表記されているが、例によって記名表記はないのでなんの建物だかわからない。Mapionでも何も描いていない。遠目ながら、大きな建物は一見ホテルか何かのようにも見えるが、Mapionにはそのような表記もないので違うのだろう。
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 それは何かを探っていると「小豆島大孔雀園」なるものが、かつてはこの飛岬にあったことがわかった。それは2008年末で38年の歴史に幕を下ろしたというから、一時は小豆島を代表するほど観光施設であったらしい。約200羽いたクジャクは、きちんと飼う環境と責任感があることを条件に引き取られていったという。
もともとこれを運営していた小豆島観光開発会社は、小豆島バスの子会社であったらしい。孔雀園の跡地は、その後いくつかの変遷を経て、小豆島でオリーブを生産する井上誠耕園が取得した。
 井上誠耕園の名前だけは、でんでんむしでも知っているのは、テレビCMそれも地上波ではないCSやBSで見たことがあるからだ。井上誠耕園は、2015年に一帯を「らしく園」と命名して食品加工工場を建設した、というのだが、そうしてみると孔雀園も井上誠耕園も飛岬の先端のほうではなく、付け根のほうにあったものだろう。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度28分27.15秒 134度12分59.11秒
スクリーンショット 2018-12-26 12.48.01.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/11 訪問)

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1559 大手城ノ鼻(雨倉鼻)=小豆島町坂手(香川県)大手城ノ鼻は眺められたが雨倉鼻は陰に隠れて見えない [岬めぐり]

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 田ノ浦映画村線のバスは、帰りも同じルートを通って映画村から土庄港まで行くのだが、もう一つ西の半島も回らなければならないので、途中の池田港ターミナルで降りる予定だ。その前に、古江まで戻ったところで、バスは東に寄り道をする。坂手港をぐるっと回って、また古江に戻り、そこから醤油とオリーブを経て池田港に行く。
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 塩谷鼻を見るところでは、砂浜の海岸に出ることができず、墓地の上に上がってしまったので見えなかった雨倉鼻と大手城ノ鼻というふたつの岬が坂手にはある。しかし、もしたとえ映画村をすり抜けて海岸に出ることができたとしても、そのふたつの岬が、ちゃんと視認できたかどうかはかなり疑わしくもある。
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 その海岸からは、北東へ2.8キロの距離があること、またその岬の位置からして、正面から見ることになる。岬というのは、正面から見たのではそれが出っ張っているのかどうかさえもよくわからず、特定できない(明確に視認しにくい)ことが多い。おまけに、この天気である。
 そういうわけで、このふたつの岬はおそらくダメだろうとも考えていたのだが、坂手に寄るときのバスの車窓に写っていたかもしれない。
 古江から細いコブを乗り越えると、見晴というバス停がある。少し高いところにあるので、確かに見晴らしはよいのだろう。それもあくまでも晴れていればの話だが。
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 その見晴らしの付近をバスが通るときには、大手城ノ鼻が眺められる。だが、その西側にあるはずの雨倉鼻は、その陰に隠れていて見えない。雨倉鼻が大手城ノ鼻よりも若干北寄りに位置しているために、そうなってしまう。
 坂手からもう少し南へ行けば、雨倉鼻も見えることだろうが、そこにはバスが行かない。走っていない。
 坂手の南には、大角鼻を南端とする小さな半島が小豆島の南東に出っ張っているのだが、それはまた次の西側に控える大きな半島から見ることにしよう。半島には名前がついていない(地理院地図に表記がない)ので、それを指し示すのに不便だ。
 小豆島の南側には、大小4つもの半島がある。次にはそのなかでいちばん大きな、中央にある半島へ行ってみることにしょう。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度27分20.33秒 134度18分26.28秒 34度27分17.37秒 134度18分50.46秒
スクリーンショット 2019-01-15 16.44.32.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/11 訪問)

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1558 塩谷鼻=小豆島町田浦(香川県)やれやれでんでんむしはいったいナニやってんだろうね [岬めぐり]

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 塩谷鼻は北西の權現鼻に対して、出っ張りの南に向かって飛び出している。權現鼻もウン崎も飛び地で、その所在は古江だったので、塩谷鼻がはじめて田浦所在の岬となる。
 「岬の分教場」とか「岬の村」というときの「岬」は、どの岬のことを指しているのだろうか。どうやら、それはウン崎でも權現鼻でもなければ、この塩谷鼻でもないらしい。分教場からはほぼ正面に見えるだろう權現鼻が、そうだろうとみる見方が不可能なわけでもない。しかし、どうもそれは個別の特定の岬を指しているのではなく、古江と坂手から大きく西へ張り出して、海を内海湾と坂手湾の南北に二分している、ちょっと曲がりながらでこぼこしながら伸びている、この半島全体のことを言っているのだろう。原作の「細長い岬」は、そう考えるほうが無理がなさそうだ。
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 權現鼻や対岸の飯神山が見えるところから、岬のくびれ部分を越えて反対側の海岸へ出る道が、どこかにあるはずだ。そう思って雨の中歩いてきたのだが、どうもそれらしい道はない。かろうじて、細い道が一本、ビニールハウスの横にあったので、そこを進んで丘に登っていく。
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 すると、そこは田浦自治会が管理する墓地だった。丘の上の平らな場所に、集落の歴史を刻んできたかのような、たくさんの墓が並んでいる。海岸に降りる道はなく、墓地で行き止まりとなっている。その間を進んで反対側の展望がなんとか効くところに出ると、木立の間に塩谷鼻がのぞいていた。
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 ちょうど先端部には灰色の大きな岩場の塊があって、それが鼻というよりも鳥のくちばしのような形になっている。そのくちばしの先には岩島があって、見ているうちにその向こうを漁船が一隻やってきて通り過ぎて行った。
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 あとで地図をよく見てみれば、この墓地がある標高14メートルの丘もそこに至る行き止まりの道も、ちゃんと地理院地図には描かれていた。
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 反対側の海岸に出る道を探すには、田浦のほうへ戻るのではなく、もっと先へ映画村の向こう側に行くべきだった。そこには映画村の西を砂浜の海岸へ抜ける道があった(「映画村」の文字に半分隠れていた。)のだ。
 また、よく考えてみれば、スピーカーの騒音には耳を閉じて、映画村の入場券を買って入っても海岸に出られたのだった。
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 それなのに、道のない反対側にきてしまったのは、聞いたこともないような歌を流し続けるスピーカーと、降り続く雨に負けてしまって、ゆっくり地図を取り出して、落ち着いて検討するという気持ちの余裕をなくしていたからだろう。現地へ行ってしまうと、その場の流れと雰囲気で、こういうこともとかく起こりがちだ。
 南東に向かって開けたその砂浜の海岸に出れば、塩谷鼻だけでなく、ずっと北東側の坂手にある雨倉鼻と大手城ノ鼻も、海岸から左手に見えたはずだったのだが、この墓地からではそれも見えない。
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 やれやれ、いったいナニやってんだろうね、とふと足元を見ると、そこにはでんでんむしがポツンといて、触覚を振りながらのろのろとしていた。雨の岬めぐりの道で、でんでんむしに遭遇するのは、これが初めてではない。
 バス停まで戻って、傘をたたみながら帰りのバスが来るのを待っていると、一段と雨が激しさを増してきて、コンクリートの道路に雨坊主をたくさんつくるほどになった。この雨では、あのでんでんむしも流されてしまうかもしれない。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度26分31.43秒 134度17分2.21秒
スクリーンショット 2018-12-28 10.04.45.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/11 訪問)

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1557 權現鼻=小豆島町古江(香川県)「二十四の瞳」の映画に写った岬として有名?なわけはない…か [岬めぐり]

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 映画の舞台となった場所やロケ地が「聖地」などと称されて、わざわざそこを訪ねて行ったりすることが流行り始めたのは、いつ頃のことからなのだろうか。でんでんむしも一度、岬めぐりで訪れた人の気配もない片田舎の海岸で、どうやら日本人ではないらしいリュックを背負った青年が、一人でウロウロしているのを見かけたことがある。そこは「セカチュウ」のロケがあったという場所だった。最近では呉の「すずさんの家」なども、訪ねて行く人があるけれど、地元では当初住民は困惑しているなどと報じられていたが、その後はなんらかの態勢も考えられているのだろうか。
 名作の舞台がビジネスや地域おこしのネタになることは、今や誰もが知っていて、鵜の目鷹の目で狙っているむきもあるのだろうが、人を寄せて商売ができる条件が揃うケースは、やはり限られているのだろう。
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 「二十四の瞳映画村」というのが、成功しているのかどうかはよくわからないが、田ノ浦映画村線のバスの終点を降りると、目の前にそれがある。雨の中、そこに降り立つと人もいないのになんだか妙に騒々しい。なんと、映画村のスピーカーから間断なく何かの歌があたり一帯に大音量で流れているのだ。
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 昔の映画の主題歌かなにか知らないけれど、これには閉口した。と同時に、それだけでそこに入場料を払って入る気持ちを完全に潰えさせてくれた。
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 權現鼻は、岬の先端のくびれた場所にある映画村の西側に、飛び出している出っ張りの北の端になる。ここも權現鼻のある部分が島のようになっており、わずかに細く平らになったところで半島と繋がっている。映画村は、その平らなっ部分にあり、集落からも離れた辺鄙な場所にある。映画村の海岸からでは、少しその先端部分は陰になる。したがって、バスがウン崎から南下して田浦(地理院地図では「ノ」がない)の集落に差し掛かる付近から見る權現鼻のほうが、その全貌を示している。
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 岬の先端部が低くなって広がっており、地図で道路の様子などをみると、そこはなにかを栽培している農地か園地のように見える。見えるだけで、そこでなにをつくっているのかはわからない。わざわざ「權」という文字を使っているのにもなにかわけでもあるのか、とは思うが思うだけでなんら答えは見出せない。
 ここも前項のウン崎も、住居表示が古江になっているのも、何か不思議だ。この二つの岬のところだけが堀越と田浦と二つの地名を越えて、飛び地のようになっているのだ。その理由もわからない。
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 權現鼻の北西側には、小さな独立峰のような姿をした飯神山があり、その右手付近が竹生になる。そこに「大石先生の家」があったとすることには、通勤距離の点で矛盾が生じていることは先に触れた。
 しかし、壺井栄の原作にいう「片道五キロの本村の小学校」とは、旧苗羽小学校のことであり、「入り江の海を湖のような形にみせる役をしている細長い岬の、そのとっぱなにあった」「村の分教場」が、その田浦分校(旧田浦尋常小学校)のことだと、今では誰も疑いを持つ者はいないようだ。
 木下作品のロケにも使われた分教場だったという建物は、現在も權現鼻をほぼ正面に見る田浦の集落に保存されていて、教育関係者の見学もあるのだという。映画村の前には醤油樽をふたつ並べて転がしたバス停があり、ここから分教場までボンネットバスが走ることもあるらしい。映画村の中にも、何度目かの映画で使われたセットがおかれているという。
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 「なにかのどこか」であることは、やはり重要なのだろう。
 Mapionの地図では、田浦の集落の北側に史跡マーク付きで「岬の分教場」とあり、さらにそこから北に離れた丘の上にも同じく史跡マーク付きで「二十四の瞳学校碑」としてある。学校碑? それはいったいなんだろう。
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 そこは木下恵介監督の映画のロケ地のひとつで、大石先生とこどもたちが電車ごっこをするシーンに使われた場所らしい。「木下監督の生誕100年」を記念して、その生誕地である浜松市から舘山寺桜が贈られ植えられているというが、ごていねいにも官民共同プロジェクトとやらができて、城山というこの丘にロケ地記念碑まで建てられているようだ。
 映画の細かいところまでは思い出せないが、おそらくその電車ごっこのシーンでも他の場面でも、權現鼻もきっと写っていたに違いない。となると、「二十四の瞳の映画に写った岬」の碑を權現鼻に建ててやらねばならんかな…。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度26分52.66秒 134度16分43.42秒
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dendenmushi.gif四国地方(2018/10/11 訪問)

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1556 ウン崎=小豆島町古江(香川県)大石先生の家の三条件を満たす場所は現実にはどこにもない [岬めぐり]

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 木下恵介監督が、最初に壺井栄の「二十四の瞳」を映画化するにあたって、初めてこの物語の舞台を小豆島に設定し、ロケも行なったわけで、これは原作を元に映像化を試みようとする場合、どうしても必要なことだったろう。
 そこで、原作にいう「農山漁村の名が全部あてはまるような、瀬戸内海べりの一寒村」として、原作者の出身地である小豆島にまず焦点を絞ったのだろう。そして、原作のイメージから「湖のような入り江の向こう岸」が見えるような場所と、岬の分教場がある場所として、この内海湾の沿岸一帯を、物語の舞台に設定しなおしてイメージを確定したことになる。
 それは、まことに当を得たもので、多くのことが原作の記述とを彷彿とさせる。小豆島の島内の他のどこを探してみても、ここに代わる場所はないだろう。そしてそこに映画化の脚色を加えているわけで、ここから原作と映像化された作品が別のものとして誕生する。
 明らかに本の読者と映画の観客動員数の比較においては後者が多く、後からできた映画のイメージのほうが先行して人々の間に定着していくのも、避けられない当然のことなのだろう。
 したがって、実際にある場所を示してここがそうだと言われれば、そこを訪ねていく人も現れ、それがだんだんと現実であったかのように、強固なものになっていく。
 しかし、原作の小説もその映画も、どちらもフィクションなのであって、それの場所や条件を、現実に当てはめようとすること自体からして、およそ意味のない作業ということになる。前項で、その一部、大石先生の自転車通勤経路から、一本松の家の位置を割り出そうとしてみたのだが、そこでもう破綻が生じているのだ。
 一本松の家からは、分教場の岬が湖のような入り江を挟んで向こう岸に見えていることになっている。原作では、数か所にそういう情景描写もあるのだが、距離的計算から推測した位置、すなわち分教場から片道8キロのところは内海湾北東奥の草壁本町か片城の付近になってしまい、そこからでは半島の突端から南に折れ曲がった分教場の岬(權現鼻)は見えない。
 見えるのは、二つの湾を隔てる大きな岬の北東に位置するウン崎である。
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 分教場まで片道8キロ地点の草壁本町か片城付近から、国道を西へ戻って行くと、西へ行くにしたがってウン崎の右手に影の薄い細い岬が姿を現す。「分教場の岬」が見えるところまでは、だいぶ戻らなければならないし、「岬の分教場」が見えそうなところとなると、もっとずーっと戻らなければならない。そうすると片道8キロがどんどん伸びてしまう。
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 また、「岬の村から見る一本松は盆栽の木のように小さく見えたが、その一本松のそばにある家」と原作にはあるので、家からも岬の村が見えなければならない。
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 ウン崎から南に向きを変える道路に沿って南下すれば、分教場があったとされている田ノ浦の集落はすぐだ。ここを「岬の村」だとすると、それが湾の北側から見えそうな場所はかなり狭まってしまう。田ノ浦の集落が、ウン崎の出っ張りの陰に隠れるような位置になっているからだ。
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 そして、田ノ浦の集落から北北西を望むと、釈迦ヶ鼻を突端とする大きな半島の付け根にあたる竹生(たこ=地理院地図ではこうルビがふってある)という集落がある。そこはオリーブの丘からは西へ1キロ足らずの位置になる。
 木下監督は、どうやら現場のロケハンをするところで、この村から見えるところにある家の設定のほうを重視して、自転車の走行距離は無視することに決めたらしい。大石先生の一本松の家は、分教場からも見え、舟で漕ぎ出せば最短距離で行ける、その辺りにあるものとイメージしたらしい。映像のインパクトは強烈だから、どうやらそのイメージが一人歩きしているようで、それを前提にしたネット情報は多い。
 その一例を示せば、以下のようになる。

 竹生(たこう)という所に一本松があります。
 不朽の名作「二十四の瞳」に出てくる大石先生の自宅近くにあったとされる一本松です。
 昭和20年に台風で倒れてしまい、地元の人たちが2代目の松を同じ所に
植えました。隣には「一本松神社」もあります。
 大石先生はここから自転車で岬の分教場まで通っていたんですね。
 道の駅小豆島ふるさと村から車で約3分で行けますよ。
 実際に見てから「二十四の瞳映画村」へ訪れてみてはいかがですか!
 (「小豆島ふるさと村」のサイトから)

 因みに、竹生からだと、岬の分教場までは片道12キロもあり、8キロとする原作とは大きく離れてしまう。8キロでも、大石先生自身が「岬の村は目の前なのに、日がな毎日馬鹿念をいれて、入り海をぐるりとまわってかようことを考えると、くやしくてならない」と思うように、決して楽ではない。
 8キロでも、自分と自転車だけが通れる「魔法の橋」を入り江の上にかけてひとっ飛びしたくなるのに、12キロとなるととても女先生が毎日自転車で通って往復できるような距離ではないだろうし、こどもたちが連れ立って歩いて訪ね当てられるような距離でもないのだ。
 ただし、竹生には確かに昭和20年の台風で倒れる前には、一本松もちゃんとあったというわけで、こうなると「大石先生の家」としては「片道8キロ」「岬の村が見える」「一本松がある」の三条件が揃った場所は、フィクションのなかだけにあって、現実にはどこにもないことになる。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度27分37.86秒 134度17分3.79秒
スクリーンショット 2019-01-06 16.35.41.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/11 訪問)

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1555 丸山鼻=小豆島町堀越(香川県)大石先生の自転車通勤経路も赤鼻・丸山鼻・ウン崎と岬めぐりだが… [岬めぐり]

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 1952(昭和27)年に発表された壺井栄の「二十四の瞳」は、その2年後の木下恵介監督作品をはじめとして、何度も映画化・映像化されていて、今や小豆島といえば「二十四の瞳」というくらい有名になって定着している。ところが、Wikipediaをみると、こう書いている。

小説の舞台は、壺井栄が、その冒頭で「瀬戸内海べりの一寒村」としている。そして、全ページを通じて、一切、舞台の具体的な地名は出てこない。しかし、映画・テレビをあわせて9回映像化された際、原作者壺井栄の故郷が香川県小豆島であることから、これら映像作品では、物語の舞台を「小豆島」と設定した。これにより、「二十四の瞳」と、原作にはない「小豆島」の2つが結びついて広く認識されるようになった。
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 なるほど、そうだったのだ。と、でんでんむしがこれを読んで納得がいったのは、ネット情報に多くある「大石先生の家」から「岬の分教場」までの自転車で通う距離や経路などに、何かしっくりこない疑問を感じていたからなのだ。つまり、原作にはもともとないものを、小豆島の場所のどこかに置き換えようとする無理が、そういういろんな情報を生み出すことになってしまっているのだ。
 改めて、壺井栄の「二十四の瞳」を、青空文庫で読んでみると、確かに「瀬戸内海べりの一寒村」としか書いていないし、個々の場所の設定も極めて限定的かつ抽象的でしかない。
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 百戸あまりの小さなその村は、入り江の海を湖のような形にみせる役をしている細長い岬の、そのとっぱなにあったので、対岸の町や村へゆくには小舟で渡ったり、うねうねとまがりながらつづく岬の山道をてくてく歩いたりせねばならない。交通がすごくふべんなので、小学校の生徒は四年までが村の分教場にゆき、五年になってはじめて、片道五キロの本村の小学校へかようのである。(一 小石先生 青空文庫)
女先生の名は大石久子。湖のような入り江の向こう岸の、大きな一本松のある村の生まれである。岬の村から見る一本松は盆栽の木のように小さく見えたが、その一本松のそばにある家ではお母さんがひとり、娘のつとめぶりを案じてくれている。――と思うと、大石先生の小さなからだは思わず胸をはって、大きく息をすいこみ、
「お母さん!」
 と、心の底から呼びかけたくなる。ついこのあいだのこと、
「岬は遠くて気のどくだけど、一年だけがまんしてください。一年たったら本校へもどしますからな。分教場の苦労は、さきしといたほうがいいですよ」
 亡なくなった父親と友だちの校長先生にそういわれて、一年のしんぼうだと思ってやってきた大石先生である。歩いてかようにはあまりに遠いから、下宿をしてはとすすめられたのを、母子いっしょにくらせるのをただ一つのたのしみにして、市の女学校の師範科の二年を離れてくらしていた母親のことを思い、片道八キロを自転車でかよう決心をした大石先生である。(一 小石先生)
――着物きて、歩いてかよえというのかしら。往復四里(十六キロ)の道を……。(二 魔法の橋 青空文庫)

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 原作にある大石先生の通勤距離は、往復16キロというのだけは確かなようだから、まず岬の分教場のあった場所が田ノ浦だと仮定すると、そこから片道8キロ戻って行く付近に家があることになる。そうしてみると、およそ現在の草壁本町か片城の付近が、母が待つ大石先生の家の場所になる。草壁本町か片城というのは、マルキン醤油のある苗羽(のうま)からは、2.5キロほど北側へ戻ったところだ。そこに一本松があるのかどうかは、わからなかった。
 この辺りからだと自転車で岬の分教場まで通うのは、そう不自然ではないし無理でもない。また、「片道五キロの本村の小学校」というのは、測ってみると苗羽の南の古江付近になる。小説では地名の断定を避けているが、おそらく苗羽が本村ということになるのだろう。
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 赤鼻の先くらいまでは、平坦な海岸沿いの道が続くが、丸山鼻の付近では登り坂になって20メートルのコブを越えなければならない。大石先生の通勤経路ではこの丸山鼻付近がいちばんの難所になっていたことだろう。
 あれっ? でんでんむしもまた原作にはない場所や情景を、現実の小豆島にあてはめて勝手に膨らませてつくってしまっていることになるね。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度27分47.17秒 134度17分46.99秒
スクリーンショット 2018-12-28 10.03.36のコピー.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/11 訪問)

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1554 赤鼻=小豆島町古江(香川県)小豆島の醤油も大阪城の採石に関係があったとは… [岬めぐり]

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 田ノ浦映画村線のバスは、オリーブの丘と鬼ヶ崎を過ぎてなおも東へ進み、内海町の街に入ると、国道から分かれて南へ進路を変える。苗羽(のうま)、芦ノ浦付近には、道路の両側に古い倉庫のような工場のような大きな建物が続く。この辺りには、オリーブと並ぶ小豆島の名産である醤油や佃煮などの会社が軒を連ねている。
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 香川県の醤油の生産量は、全国では5番目に多く、そのうちの約半分近くは小豆島の産だという。そういえば、こどもの頃、広島の家ではずっと醤油はマルキン醤油と決まっていた。道路脇にその「マルキン」の名を見て、妙な懐かしさが蘇ってくる。その名前とマークは同じ香川県の、讃岐の金毘羅さんにあやかっている。
 マルキン醤油も記念館など見学施設をつくって、それらが観光ポイントになっているらしく、雨の中にもかかわらず、中国人観光客らしきグループが、あちこちたむろっている。
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 現在もなお木桶仕込みの醤油づくりにこだわる小豆島では、関東の醤油に対抗していけるようにと、明治の終わり頃醤油業者が話し合って技術と人材を集約して蔵元をつくった。それがマルキンの始まりになったという。明治時代には400軒もあったという醤油蔵も、現在では20軒ほどになっているというが、そもそも小豆島の醤油づくりはいつ頃から始まったのだろうか。
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 それがおもしろいことに、ここでもまた約400年前の大阪城の石垣の石が絡んでくる。なんでも、大阪城の石垣の石を採石するために小豆島へやってきた人たちが、紀州湯浅の醤油を持ってきたのがもとの始まりで、それに興味を持った島民が紀州にわたって醤油づくりの技術を習得し、島に持ち帰ってきたのだという。
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 紀州湯浅の醤油については、岬めぐりでもなんか書いた覚えがあるなあと、昔の記事を探してみた。
 しかし、醤油の原型とも言える「ひしお」は、非常に古くからあったらしいので、醤油の発祥についても諸説がある。
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 苗羽の市街地が切れると、右手の海に見えてくるのが赤鼻。前項の鬼ヶ崎から赤鼻まで、ちょうど内海湾の東部を「つ」の字型に辿ってきたことになるが、この出っ張りは長く大きく「つ」の字を越えて西に張り出している。
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 映画村までの道を辿るこの半島が、北側で内海湾をつくり、南側で坂手湾をつくるという複雑な地形になっている。
スクリーンショット 2019-01-04 12.02.51.jpg

▼国土地理院 「地理院地図」
34度27分46.12秒 134度18分28.30秒
スクリーンショット 2018-12-28 10.03.36.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/11 訪問)

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1553 鬼ヶ崎=小豆島町西村(香川県)オリーブの丘を降りて名前と風景がなんとなくミスマッチの岬へ [岬めぐり]

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 小豆島オリーブバスの北廻り福田線は、島の北部中央付近より西寄りの屋形崎から南に向かって山越えをする。峠を越えて下りきったところはまだ土庄町だが、そこからまた国道436号線を東へ向かって走る。すると、すぐに小豆島町に入る。ざんざん降りの雨の中、池田港前のバス停で降りると、そこで今度は田ノ浦映画村線のバスを待って乗り換える。幸い、ここでの待ち時間は数分で済んだ。
 前にも書いたが、何も好んで雨の中を走り回っているわけではない。計画にあたっては、できる限り長期予報・週間予報なども参考にしながら、好天の日を選んで行くのだが、今回の場合は、小雨と言っていた予報が出発直前になって本降りの雨に昇格してしまい、しかも2日連続で雨の日になった。そのため、こんな仕儀とあいなっている。
 田ノ浦映画村線のバスは、池田の街を通り抜け、小豆島南部の中央で大きく南に張り出している半島の付け根を横断して、内海湾の沿岸に出る。
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 そこからバスは左手の丘に登って行くが、そこにオリーブ園や温泉施設がある。ここからの展望も、晴れていればそれなりに見所だったのだろう。あいにくの雨でそれもさっぱりだ。
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 役場には「オリーブ課」がある小豆島町の看板として、押しも押されもせぬオリーブだが、ここでその栽培が始まったのは1908(明治41)年のことらしい。このときは、政府の肝いりか何かがあってのことだろうか、オリーブ栽培試験地に指定されてからだった。小豆島のほかにも三重や鹿児島でも同様に指定がされたらしいが、結実に成功したのは小豆島だけだったという。その後は、瀬戸内海沿岸各地でも栽培されるようになったものの、1959(昭和34)年の輸入自由化によって大量に輸入されるようになった外国産に押されてしまう。現在では、特産品として完全に定着させることに成功している例は、小豆島以外にはあまり聞かない。
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 ここでは、魚の醤油と油漬けの缶詰を作るために、オリーブオイルが必要とされたことが、定着のきっかけとなったのかもしれない。オリーブを絞るにも道具がなく、醤油もろみを圧搾するときに使う麻製の袋を代用し、それにオリーブを入れて搾ったりしたという。この話は、似たような話を連想させる。
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 もともとヨーロッパ、とくに地中海世界では古くから必需品になっていたのだろうが、日本に初めてオリーブが入ってきたのは幕末の頃で、横須賀で試験的に栽培が試みられたらしい。もちろん、そう簡単にはうまくいかなかった。
 日本人の間でその栽培生産と需要が定着するまでには、長い時間と苦労が必要だったようだ。今では、安いイタリアン・レストランのチェーン店には、四角い細長い瓶が客の自由に使えるように、他の調味料と並べて置いてあるくらいだし、健康食品から化粧品までその用途需要は広がっている。
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 オリーブ園の丘を下り、国道を東へ走るバスの右手には内海湾が広がり、その向こうには南の坂手湾とを仕切る半島が、でこぼこしながら西へ張り出している。見えているのはウン崎と権現鼻であろう。バスは内海湾をぐるっと回って、このでこぼこの先の映画村まで行く。
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 バスの行く手、道路脇にヤシの木が数本立っている。ここが鬼ヶ崎であろうが、その名前から想像する岬の風景とは、随分趣が異なって見える。
 この小さなコブのような平らな出っ張りが、なぜ鬼ヶ崎と呼ばれるようになったかはわからない。また、なぜここにヤシの木が植えられているのか、それもわからない。
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 考えてみれば、これは十分ナゾの岬である。謂れのひとつくらいありそうなものだが、ネット情報でもそれが探せなかったので、ナゾはナゾのまま。
 バス路線は映画村まで行って、また同じ道を引き返すので、帰り道でもこの鬼ヶ崎を通り過ぎる。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度28分16.64秒 134度16分57.74秒
スクリーンショット 2018-12-26 12.48.44.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/11 訪問)

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