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1594 角崎=香川郡直島町(香川県)まちまちでバラバラな記述を総合して崇徳院と直島の関係を見直してみると… [岬めぐり]

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 直島は、かつては真島と呼ばれていた。神功皇后が吉備軍と待ち合わせをしたので待島となり、これが真島になったという。崇徳院(崇徳上皇)が島に配流されたときに付従った人々が、院に対して厚く実直であったことから、真島が院によって直島と名付けられたと『故新伝』は述べている。この史料では、前項の猫ヶ鼻のほかにも、島の多くの地名や縁をたくさん並べている。
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 たとえば、院の船が到着した浦を「王積の浦」、院の御所が造られた場所を「泊か浦」、院の姫宮が後を慕って三宅中務大輔源重成とともに到着した浦を「姫泊か浦」、そこの山を「姫泊山」としている。そのほか、院に付き従った家臣らが滞在した場所の名に結びつけたりしていろいろあげてある。
 現在の国土地理院地図に表記された名前では、本村の南側に積浦という集落があるが、どうやらそこが「王積の浦」であるらしい。その東には標高100メートルの「姫泊山」があり、そこから北東側に連なる尾根の先が角崎となっている。その陰がつくる凹んだ入江が「泊か浦」や「姫泊か浦」なのであろう。
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 『故新伝』では崇徳院はこの島で3年も過ごしたことになっているが、これは史実とはだいぶ違うのではないか。崇徳院の動静については、『保元物語』、『平家物語』、『源平盛衰記』などやその他の軍記物にも出てくるが、史料によって記述がまちまちで、長い間の言い伝えや記録がバラバラで、その後の改変などもあって、これにこう書いてあるから史実だと言えるような確かなものはどこにもないようだ。
 京から流されて行く経路についても諸説があり、錯綜している。配流先での受入御所の造営が間に合わないので、しばし別の場所に移って、それから讃岐松山に入ったというのは、どうやら本当らしいが、その場所や時間的な関係に関する記述に一貫性もなく、はなはだ曖昧なのだ。
 それらを総合すると、どうやら讃岐松山の官人であった綾高遠の屋敷→直島→松山の御所のように移動したとするのが最も妥当ではないかとの説もある。が、それだといったん讃岐松山に入りながら、そこからまた直島まで引き返すことになって、はなはだ不自然で納得しがたい。
 直島に滞在したとする記述そのものも少なく、でんでんむしの印象では、直島に立ち寄ったことはあったとしても、それはほんの短い期間のことではなかったかと推察される。
 というのも、古代から中世の直島は、讃岐ではなかったことが明らかで、備前国児島郡に属していた。讃岐に流され、そこを配流地として御所を造営しなければならぬのに、備前国だった直島に御所を設けて長期間滞在するということは、あり得ないと思われるからだ。
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 一方で、航路としては本州から讃岐国府方面に渡る場合、そのルートの中継地として直島は位置していたため、潮待ち風待ちのためにここに仮泊することは十分に考えられる。
 この直島滞在が、誤って直島配流として伝えられ受けとめられたのではないか。『保元物語』や『平家物語』の異本などが触れている直島行在所説は、事実ではないとみる見方は多いようだ。京に伝わった直島配流の噂と、実際の配流先での讃岐における状況を伝えたものとが繋がったもの、とみる見方である。
 『故新伝』が詳細に直島と崇徳院を結びつけて記録し、島の具体的場所のあれこれを並べているのは、院に付き従ってきて、その娘でつながる三宅氏一族の政治的な思惑があってのことだったのではないだろうか。実際に、江戸初期には上皇配流説を直島の支配に利用しようとした動きがあったという研究もあるという。
 でんでんむしがこのような納得にたどり着いたのは、北山本新庄研究室のサイト「崇徳上皇讃岐配流地の真相」を読んでのことである。
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 直島東端に位置する角崎は、実際に崇徳院や姫やそのお付きの一統をここで迎えたのだろうか。直島に潮待ち風待ちで立ち寄るとしても、この角崎がつくる積浦の入江よりほかに適当な湊は考えられないというのは、その通りであろう。
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 積浦から角崎のほうを眺めれば、遠く西には鞍掛ノ鼻、東には后飛崎がある。瀬戸内海広しといえどもどこをどう走っても同じということはなく、やはり潮や風や寄港地など航路としての条件を考えると、自ずから絞られてくるものなのだろう。神功皇后伝説でも、およそこの海域を航行しているし、崇徳院が流されるときにもそれと同じようなルートを辿っている。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度27分14.67秒 134度0分39.51秒
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dendenmushi.gif四国地方(2018/10/12 訪問)

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1593 猫ヶ鼻=香川郡直島町(香川県)なんでネコなのかさっぱりわからんので調べてみると… [岬めぐり]

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 宮浦港から東へ2.5キロ行くと、直島の東海岸に出る。そこは本村(ほんむら)という地名が残っているので、元々は直島の中心部となっていた集落なのであろう。役場や農協などもここに集まっているが、今ではベネッセアートサイトの一部として、建物や路地などを中心とした家プロジェクトの舞台ともなっているようだ。
 それが目的ではないこちらは、超満員のバスに詰め込まれたまま通り過ぎるだけだったが、この付近のバス停周辺の狭い道路には多くの外国人観光客がたむろしていた。それが目当てでやってきた人たちなのだろう。何やらバスの運転手に向かって聞いているが、聞かれた運転手も会話ができるわけでもなく、答えに窮していた。
 また、宮浦港を出てバスが東へ向かう途中でも、Tシャツに半ズボンにリュックといった外国人のグループが、何組もバスに乗らず道をテクテク歩いているのを追い抜いてきた。この人たちはバスがあることを知らずに歩いているのか、それとも満員だから乗らない乗れないのか、または2キロや3キロはバスなんか乗らなくても普通に歩いて平気という人たちなのだろうか。
 ベネッセ目当てに来たのではない人間から見ると、なんとなく外国人韓国客が押し寄せ島が観光地化していく姿とそのスピードと、それを受け入れる側の態勢との間に、なにか大きなギャップがあるように感じられて仕方がなかった。
 バスというのは、直島町営バスは島の道幅に合わせた小型バスで、三菱マテリアルのリサイクル施設から宮浦港を経由して本村、そしてつつじ荘の間を、1日に20往復くらいしている。一回100円のこの路線は、2002(平成14)年にそれまで営業していたバス路線が廃止されるのを受けて、町がそれを引き継いだものらしい。
 その前に民営バスが廃止に至る理由もあったのだろうが、そのあたりの詳しい事情はわからない。ただ、町が引き継ぐだけの理由のひとつにベネッセアートサイトであったことは疑いようがない。が、それがそれまであった民営バス廃止を踏みとどまらせるには十分でなかった、ということなのだろうか。
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 本村港の向かいにある向島の南端には、猫ヶ鼻という名前がついている。猫ヶ鼻は低い岩の山が飛び出る形で残されたもので、岸壁との間はわずか200メートルちょっとしかない。ネコ好きならずともその理由が知りたくなる。こういう名前がつくには、それなりの理由があるはずだが、それがわからない。
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 ところが、ネットの情報を探していくと、崇徳院の可愛がっていたネコが死んだのでここに葬ったから、とする記述が出てきた。根拠がはっきりしないし、あまり信頼性がないので、ここでは採用しないことにしていた。だが、そういう言い伝えがあるのならば、なにかその根拠がどこかにあるのかもしれない。どうも気になったのでなおも調べを進めてみると、やっとそれに関する記録があることがわかった。
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 直島と崇徳院伝承が結びついた記録で、最も古いものは直島の大庄屋であった三宅氏によって編纂され伝えられてきた『故新伝』であるという。その中の「雑伝」の一節として、「向島の南の端に姫宮飼せたまふ猫を埋めし所あり、猫ケ端といふ」との記述がある。ネコを飼っていたのは崇徳院ではなくて、その姫(妾?)であった。
 崇徳院(崇徳上皇)については、坂出の乃生岬の項でも触れていたが、その配流地は讃岐は松山ということになっている。

 1348 乃生岬=坂出市王越町乃生(香川県)坂出市街はほとんど海だったと考えられ松山の津は雌山雄山の東あたり

 問題は、なにゆえ直島に崇徳院とその姫やネコまでいたのか、ということである。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度27分39.06秒 134度0分6.20秒
スクリーンショット 2019-04-13 11.01.05.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/12 訪問)

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1592 串山ノ鼻=香川郡直島町(香川県)直島の玄関口の宮浦港に向かう途中で見える瀬戸大橋 [岬めぐり]

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 直島航路のフェリーは、直島水道を南に向かう。このとき葛島と荒神島という二つの無人島の間から南西方向に視界が開ける。右手には、玉野市の玉付近の造船所とその南に飛び出している犬戻鼻が見えてくる。
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 白い大きな屋根で覆ったドックらしきものがある。この付近が蛸崎鼻ということになっているのだが、そこは造船所の構内にある岸壁になる。これらの岬については、すでに宇野港からの遠望でむりやり気味ながら項目はつくっていた。

 468 蛸崎鼻・犬戻鼻=玉野市玉三丁目・深井町(岡山県)三井造船玉野事業所へ進水式を見に行きませんか

 今は、その二つの岬をより近くから眺めていることになる。
 そして、犬戻鼻の左手には瀬戸大橋が見えてくるが、そこまでは犬戻鼻から南西13キロもあるので、肉眼ではちょっと苦しい。ズーム写真にしてやっとはっきりそれとわかる。見えているのは瀬戸大橋の南部。
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 修学旅行中の児童生徒ら死者168名を出した1955(昭和30)年の宇高連絡船紫雲丸の衝突沈没事故が、その後の瀬戸大橋の必要性と計画建設に向けた動きを後押ししたと言われている。着工は1978(昭和53)年で、1988(昭和63)年の運用開始までも簡単ではなかったろうが、世の中の大きな変化というものを改めて感じさせる、宇高連絡船と瀬戸大橋である。
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 この付近の海は備讃瀬戸で、備讃諸島もちょっと広い空白になる海域となる。その空白の中で、円錐形の島がひとつだけ目立っている。これが大槌島で、この島の中央を東西に岡山県と香川県の県境が分けている。島の北半分は玉野市で南半分は高松市となっている。*DSCN0716 (1).jpg
 玉野市深井町にある犬戻鼻と、高松市と坂出市の境界線が通る大崎ノ鼻の間は、ほぼ南北に7.45キロほど離れている。

 1346 大崎ノ鼻=高松市亀水町・坂出市王越町木沢(香川県)円錐形の小槌島と大槌島がならぶ景色は人気で…

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 荒神島との間にある直島の宮浦港は、直島の玄関口といってもいい。集落は、島の南部の西海岸と東海岸にほぼ限られていて、それぞれ連絡船も入る港があるが、主に連絡船が発着するのは、宇野港にも近い西海岸のここ宮浦港となっている。
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 串山ノ鼻は、その宮浦港の南に突き出ており、その先から港を囲む防波堤が伸びている。串山ノ鼻から西の犬戻鼻までは2.8キロ。
 串山という50メートル足らずの小山が、細長く海寄りに突き出ていて、内側には宮ノ浦集落が南に伸びている。その串山の北の端が串山ノ鼻になる。*DSCN0731 (1).jpg
 フェリーを降りるのには、歩行者は右側デッキから降りなければならなかったのに、アナウンスも不親切で大勢の外国人観光客につられてその後にくっついて、左側に並んでしまった。降り場所を間違えたおかげですべての車が降りた後、いちばん最後に下船することになってしまった。
 港には、立派なまだ新しいように見える待合室や発券場や土産物店などが入った建物があるが、そんなのに気を使っている暇はない。混雑の中をフェリーを下船すると、今度はバスの乗り場を探さなければならない。下船場から離れたところに留まっているバスに乗り換えて島の東側へ向かうが、そのバスが小さなバスでぎゅうぎゅう詰めの超満員状態だったので、とても写真など撮る余裕もなかった。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度27分10.17秒 133度58分25.20秒
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dendenmushi.gif四国地方(2018/10/12 訪問)

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1591 鶴石ノ鼻=香川郡直島町(香川県)またきたよ宇野港から今度は直島航路に乗り換えて [岬めぐり]

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 直島の最西端で製錬所の西はずれの施設からすぐ南にある鶴石ノ鼻と、宇野港の南の端で小さく丸く出っ張っているナキンダ鼻との間は、1.9キロしか離れていない。
 宇野港には、これまでも岬めぐりで何度かきていて、港周辺のナキンダ鼻や高辺鼻については、2009(平成21)年の訪問時にそれぞれ項目をつくってあげていた。

 470 ナキンダ鼻=玉野市宇野(岡山県)宇高連絡船『紫雲丸』を知っていますか?

 472 高辺鼻=玉野市築港五丁目(岡山県)香川県は目の前500メートル先に

 この高辺鼻の項を見ると、小さな浮き桟橋越しに岬が写っているが、この小さな浮き桟橋が、その当時には直島航路の発着桟橋であった。そこはJR宇野駅からまっすぐ南へちょっと歩いたところで、小さな連絡船の利用者もまばらであったような記憶があった。
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 それから10年が経って、宇野港のフェリーや客船の乗り場は、大きく変化したようだ。鶴石ノ鼻を後にして宇野港に入った土庄からのフェリーを降りて、ここで直島行きの船に乗り換える。
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 宇野は盲腸のような宇野線とはいえ、一応鉄道の始発終着駅であるし、かつては宇高連絡船の乗り場として、岡山と四国を結ぶ重要な拠点となってきたが、今ではほとんどの車や人は、四国に渡るのに瀬戸大橋を利用するので、その名もだんだん忘れ去られ、往年の知名度はなくなっていく。
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 もともと市の名前は玉野市で、宇野はその字地名のひとつに過ぎない。フェリーなどの乗り場があるところは玉野市の宇野で、三井造船があるところは玉野市の玉。玉野市が誕生したのは、1940(昭和15)年で、児島郡の宇野町と日比町が合併してできた。玉野という市の名は、日比町の中心地区名の「玉」と、宇野町の「野」を組み合わせて命名されたものだ。
 宇野が出身地といういしいひさいちが、朝日新聞に連載している「ののちゃん」の名は、ひょっとするとその玉野の宇野という地名が関係しているのかも知れない。
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 フェリー乗り場近くの道路ぎわに立つ築港商店街の「ののちゃんの街」看板には、「ののちゃんち」ともちゃんと記されていて、地域振興に一役買っているようだ。この漫画家のことについては、別の項目でもとりあげていた。

 939 童崎=玉野市田井5丁目(岡山県)玉野市の宇野は「ののたま市」の「ののちゃん」を描いている漫画家の出身地で…

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 JRの駅からは少し西へ離れた港のひらけたところに、小豆島、直島、高松などのそれぞれの航路の発着場が移動しているし、待合室もある乗り場の建物も独立してある。それより何より、人の多さ。
 直島航路の乗り場の周辺は、大勢の人でごった返していた。特に外国人観光客の姿が目につく。その多くはTシャツに短パンにリュックといったいでたちの人々だ。欧米系の人とアジア系の人が入り混じっている。
 そんな乗客をたくさん乗せて、赤い水玉模様のフェリーが向かうのは、直島の西海岸にある宮浦港で、その途中に鶴石ノ鼻を左手に見ながら南下して行く。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度28分31.33秒 133度57分55.00秒
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