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1595 オカメノ鼻・タテエボシ鼻=香川郡直島町(香川県)70項におよんだ播磨灘周辺の岬めぐりはこれでおしまい [岬めぐり]

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 「つつじ荘」というのは、どうやら海の家か何かの名前で、宿泊施設やカフェなどもあるらしい。そこが直島町営のマイクロバスの終点である。その浜辺から見ると、南西方向に細長く突き出た岬がある。
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 ここにはオカメノ鼻という名があるが、特に古文書に由緒があるわけでもない。前項および前々項で触れたように、直島にはこの地の代官などを務めたという三宅氏が代々伝えてきた『故新伝』という文書に島のあちこちについての記載があるようだが、そのなかに姫が琴を弾いて上皇を慰めたとか、姫の一人にの名は京であると伝えている。
 国土地理院の地図では、つつじ荘の付近には琴反地という字名がついており、その北西側の山には京ノ山105.5と表記している。これらが古文書の伝えるところと何か関係があるのかどうかはわからない。
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 砂州が先端の岩島と結びついたような地形の岬の周辺には、ベネッセ関連の何かがあるようだが、それも建物などの一部は伺えるがよくわからない。岬の方に向けて、デッキのようなものが設けられている。
 島の最南端でもあるオカメノ鼻から北、京ノ山の西にかけては、ベネッセアートサイトの美術館などが点在している。低いとはいえ山の中で、国立公園である周囲の景観にも配慮して、山の中に隠れるようにしてそれらの施設はあるようだ。
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 その自然の中を歩きながら、美術館めぐりをというのもコンセプトらしいが、結構な距離もあるので、つつじ荘から先へはシャトルバスがつないでいく。町営バスでやってきた大半の外国人観光客も、ここで降りてやってきたシャトルバスに乗り換えて行く。
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 オカメノ鼻を眺める浜辺には、低く小さな石の鳥居が立っている。しかし、その周囲には神社らしきものも、参道らしきものもない。
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 ベネッセに用がないこちらは、ここで次の町営バス便を待って、また宮ノ浦港まで引き返すつもりだが、もう一つ別の岬があった。これがこのシリーズ最後の岬になる。
 それが柏島の東端にあるタテエボシ鼻だが、つつじ荘の浜からでは柏島の西側は見えても東側は見えない。遠くに見える街は高松の市街地であろう。つつじ荘から東南へ峠を越えて行くと、タテエボシ鼻も見えるはずなのではあるものの、時間の都合もあってそれもできない。
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 いちおう近くまでは来ましたということで、豊島と井島の間を走るフェリーから、タテエボシ鼻方向を眺めたところも写真をあげておこう。だが、これもちょうど柏島の先端と手前の尾高島が被ってしまう。
 「タテエボシ」は立烏帽子であろうが、「オカメノ」は「阿亀の」か「岡目の」かだろうか。

 さて、ここまでで2018/10/から始まった、淡路島西海岸、東播磨、家島諸島、小豆島、豊島、直島と連続してきた播磨灘を中心とする岬めぐり、島めぐりは終わりとなる。 
 1525 江井崎2からの今回の一連の岬めぐりは、この1595項目まで、実に70項目にわたって続いてきたことになる。
 開始初日こそ晴天に恵まれたものの、中心となる家島・小豆島では丸々2日間は雨に祟られっぱなしだった。
 豊島から直島にかけては晴天が戻ってきたので、なんとか悲惨なままに終わる結末は免れたが、やはり岬めぐりはお天気次第だ。この播磨灘ルート・コースでは、バスやフェリーという乗り物に乗っていることが多く、歩き回ることは少なかったからまだよかったが、それでも雨の岬めぐりはパッとしなくてどうにも困る。
 この連載期間中、2019/03の半ばまでは3日に一項目の新規更新を続けてきたが、4月以降からは8日に一度の更新にペースダウンしている。そればかりではなく、でんでんむしは「きた!みた!印」と称してきたいわゆるnice! 欄を表示させないし、こちらからも訪問をしないことに切り替えた。
 これもいろいろ考えた末の決断で、ひきこもりポリシーをいっそう徹底することにした。明らかに、ブログのシステムや設計者の意図とは逆の方向へ行っているが、それもぼつぼつ幕の引き方を考えなければならないので、めんどうなことわずらわしいことは極力さけて、ちぢこまっていこうという方針からきている。
 そんなこんなのいろいろな事情で、次の岬めぐり新シリーズの計画は、今のところない。

▼国土地理院 「地理院地図」
34度26分34.06秒 133度59分29.75秒 34度26分30.42秒 134度0分51.58秒
スクリーンショット 2019-06-26 9.41.06.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/12 訪問)

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1594 角崎=香川郡直島町(香川県)まちまちでバラバラな記述を総合して崇徳院と直島の関係を見直してみると… [岬めぐり]

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 直島は、かつては真島と呼ばれていた。神功皇后が吉備軍と待ち合わせをしたので待島となり、これが真島になったという。崇徳院(崇徳上皇)が島に配流されたときに付従った人々が、院に対して厚く実直であったことから、真島が院によって直島と名付けられたと『故新伝』は述べている。この史料では、前項の猫ヶ鼻のほかにも、島の多くの地名や縁をたくさん並べている。
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 たとえば、院の船が到着した浦を「王積の浦」、院の御所が造られた場所を「泊か浦」、院の姫宮が後を慕って三宅中務大輔源重成とともに到着した浦を「姫泊か浦」、そこの山を「姫泊山」としている。そのほか、院に付き従った家臣らが滞在した場所の名に結びつけたりしていろいろあげてある。
 現在の国土地理院地図に表記された名前では、本村の南側に積浦という集落があるが、どうやらそこが「王積の浦」であるらしい。その東には標高100メートルの「姫泊山」があり、そこから北東側に連なる尾根の先が角崎となっている。その陰がつくる凹んだ入江が「泊か浦」や「姫泊か浦」なのであろう。
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 『故新伝』では崇徳院はこの島で3年も過ごしたことになっているが、これは史実とはだいぶ違うのではないか。崇徳院の動静については、『保元物語』、『平家物語』、『源平盛衰記』などやその他の軍記物にも出てくるが、史料によって記述がまちまちで、長い間の言い伝えや記録がバラバラで、その後の改変などもあって、これにこう書いてあるから史実だと言えるような確かなものはどこにもないようだ。
 京から流されて行く経路についても諸説があり、錯綜している。配流先での受入御所の造営が間に合わないので、しばし別の場所に移って、それから讃岐松山に入ったというのは、どうやら本当らしいが、その場所や時間的な関係に関する記述に一貫性もなく、はなはだ曖昧なのだ。
 それらを総合すると、どうやら讃岐松山の官人であった綾高遠の屋敷→直島→松山の御所のように移動したとするのが最も妥当ではないかとの説もある。が、それだといったん讃岐松山に入りながら、そこからまた直島まで引き返すことになって、はなはだ不自然で納得しがたい。
 直島に滞在したとする記述そのものも少なく、でんでんむしの印象では、直島に立ち寄ったことはあったとしても、それはほんの短い期間のことではなかったかと推察される。
 というのも、古代から中世の直島は、讃岐ではなかったことが明らかで、備前国児島郡に属していた。讃岐に流され、そこを配流地として御所を造営しなければならぬのに、備前国だった直島に御所を設けて長期間滞在するということは、あり得ないと思われるからだ。
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 一方で、航路としては本州から讃岐国府方面に渡る場合、そのルートの中継地として直島は位置していたため、潮待ち風待ちのためにここに仮泊することは十分に考えられる。
 この直島滞在が、誤って直島配流として伝えられ受けとめられたのではないか。『保元物語』や『平家物語』の異本などが触れている直島行在所説は、事実ではないとみる見方は多いようだ。京に伝わった直島配流の噂と、実際の配流先での讃岐における状況を伝えたものとが繋がったもの、とみる見方である。
 『故新伝』が詳細に直島と崇徳院を結びつけて記録し、島の具体的場所のあれこれを並べているのは、院に付き従ってきて、その娘でつながる三宅氏一族の政治的な思惑があってのことだったのではないだろうか。実際に、江戸初期には上皇配流説を直島の支配に利用しようとした動きがあったという研究もあるという。
 でんでんむしがこのような納得にたどり着いたのは、北山本新庄研究室のサイト「崇徳上皇讃岐配流地の真相」を読んでのことである。
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 直島東端に位置する角崎は、実際に崇徳院や姫やそのお付きの一統をここで迎えたのだろうか。直島に潮待ち風待ちで立ち寄るとしても、この角崎がつくる積浦の入江よりほかに適当な湊は考えられないというのは、その通りであろう。
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 積浦から角崎のほうを眺めれば、遠く西には鞍掛ノ鼻、東には后飛崎がある。瀬戸内海広しといえどもどこをどう走っても同じということはなく、やはり潮や風や寄港地など航路としての条件を考えると、自ずから絞られてくるものなのだろう。神功皇后伝説でも、およそこの海域を航行しているし、崇徳院が流されるときにもそれと同じようなルートを辿っている。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度27分14.67秒 134度0分39.51秒
スクリーンショット 2019-06-26 9.40.36.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/12 訪問)

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1593 猫ヶ鼻=香川郡直島町(香川県)なんでネコなのかさっぱりわからんので調べてみると… [岬めぐり]

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 宮浦港から東へ2.5キロ行くと、直島の東海岸に出る。そこは本村(ほんむら)という地名が残っているので、元々は直島の中心部となっていた集落なのであろう。役場や農協などもここに集まっているが、今ではベネッセアートサイトの一部として、建物や路地などを中心とした家プロジェクトの舞台ともなっているようだ。
 それが目的ではないこちらは、超満員のバスに詰め込まれたまま通り過ぎるだけだったが、この付近のバス停周辺の狭い道路には多くの外国人観光客がたむろしていた。それが目当てでやってきた人たちなのだろう。何やらバスの運転手に向かって聞いているが、聞かれた運転手も会話ができるわけでもなく、答えに窮していた。
 また、宮浦港を出てバスが東へ向かう途中でも、Tシャツに半ズボンにリュックといった外国人のグループが、何組もバスに乗らず道をテクテク歩いているのを追い抜いてきた。この人たちはバスがあることを知らずに歩いているのか、それとも満員だから乗らない乗れないのか、または2キロや3キロはバスなんか乗らなくても普通に歩いて平気という人たちなのだろうか。
 ベネッセ目当てに来たのではない人間から見ると、なんとなく外国人韓国客が押し寄せ島が観光地化していく姿とそのスピードと、それを受け入れる側の態勢との間に、なにか大きなギャップがあるように感じられて仕方がなかった。
 バスというのは、直島町営バスは島の道幅に合わせた小型バスで、三菱マテリアルのリサイクル施設から宮浦港を経由して本村、そしてつつじ荘の間を、1日に20往復くらいしている。一回100円のこの路線は、2002(平成14)年にそれまで営業していたバス路線が廃止されるのを受けて、町がそれを引き継いだものらしい。
 その前に民営バスが廃止に至る理由もあったのだろうが、そのあたりの詳しい事情はわからない。ただ、町が引き継ぐだけの理由のひとつにベネッセアートサイトであったことは疑いようがない。が、それがそれまであった民営バス廃止を踏みとどまらせるには十分でなかった、ということなのだろうか。
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 本村港の向かいにある向島の南端には、猫ヶ鼻という名前がついている。猫ヶ鼻は低い岩の山が飛び出る形で残されたもので、岸壁との間はわずか200メートルちょっとしかない。ネコ好きならずともその理由が知りたくなる。こういう名前がつくには、それなりの理由があるはずだが、それがわからない。
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 ところが、ネットの情報を探していくと、崇徳院の可愛がっていたネコが死んだのでここに葬ったから、とする記述が出てきた。根拠がはっきりしないし、あまり信頼性がないので、ここでは採用しないことにしていた。だが、そういう言い伝えがあるのならば、なにかその根拠がどこかにあるのかもしれない。どうも気になったのでなおも調べを進めてみると、やっとそれに関する記録があることがわかった。
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 直島と崇徳院伝承が結びついた記録で、最も古いものは直島の大庄屋であった三宅氏によって編纂され伝えられてきた『故新伝』であるという。その中の「雑伝」の一節として、「向島の南の端に姫宮飼せたまふ猫を埋めし所あり、猫ケ端といふ」との記述がある。ネコを飼っていたのは崇徳院ではなくて、その姫(妾?)であった。
 崇徳院(崇徳上皇)については、坂出の乃生岬の項でも触れていたが、その配流地は讃岐は松山ということになっている。

 1348 乃生岬=坂出市王越町乃生(香川県)坂出市街はほとんど海だったと考えられ松山の津は雌山雄山の東あたり

 問題は、なにゆえ直島に崇徳院とその姫やネコまでいたのか、ということである。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度27分39.06秒 134度0分6.20秒
スクリーンショット 2019-04-13 11.01.05.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/12 訪問)

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1592 串山ノ鼻=香川郡直島町(香川県)直島の玄関口の宮浦港に向かう途中で見える瀬戸大橋 [岬めぐり]

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 直島航路のフェリーは、直島水道を南に向かう。このとき葛島と荒神島という二つの無人島の間から南西方向に視界が開ける。右手には、玉野市の玉付近の造船所とその南に飛び出している犬戻鼻が見えてくる。
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 白い大きな屋根で覆ったドックらしきものがある。この付近が蛸崎鼻ということになっているのだが、そこは造船所の構内にある岸壁になる。これらの岬については、すでに宇野港からの遠望でむりやり気味ながら項目はつくっていた。

 468 蛸崎鼻・犬戻鼻=玉野市玉三丁目・深井町(岡山県)三井造船玉野事業所へ進水式を見に行きませんか

 今は、その二つの岬をより近くから眺めていることになる。
 そして、犬戻鼻の左手には瀬戸大橋が見えてくるが、そこまでは犬戻鼻から南西13キロもあるので、肉眼ではちょっと苦しい。ズーム写真にしてやっとはっきりそれとわかる。見えているのは瀬戸大橋の南部。
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 修学旅行中の児童生徒ら死者168名を出した1955(昭和30)年の宇高連絡船紫雲丸の衝突沈没事故が、その後の瀬戸大橋の必要性と計画建設に向けた動きを後押ししたと言われている。着工は1978(昭和53)年で、1988(昭和63)年の運用開始までも簡単ではなかったろうが、世の中の大きな変化というものを改めて感じさせる、宇高連絡船と瀬戸大橋である。
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 この付近の海は備讃瀬戸で、備讃諸島もちょっと広い空白になる海域となる。その空白の中で、円錐形の島がひとつだけ目立っている。これが大槌島で、この島の中央を東西に岡山県と香川県の県境が分けている。島の北半分は玉野市で南半分は高松市となっている。*DSCN0716 (1).jpg
 玉野市深井町にある犬戻鼻と、高松市と坂出市の境界線が通る大崎ノ鼻の間は、ほぼ南北に7.45キロほど離れている。

 1346 大崎ノ鼻=高松市亀水町・坂出市王越町木沢(香川県)円錐形の小槌島と大槌島がならぶ景色は人気で…

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 荒神島との間にある直島の宮浦港は、直島の玄関口といってもいい。集落は、島の南部の西海岸と東海岸にほぼ限られていて、それぞれ連絡船も入る港があるが、主に連絡船が発着するのは、宇野港にも近い西海岸のここ宮浦港となっている。
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 串山ノ鼻は、その宮浦港の南に突き出ており、その先から港を囲む防波堤が伸びている。串山ノ鼻から西の犬戻鼻までは2.8キロ。
 串山という50メートル足らずの小山が、細長く海寄りに突き出ていて、内側には宮ノ浦集落が南に伸びている。その串山の北の端が串山ノ鼻になる。*DSCN0731 (1).jpg
 フェリーを降りるのには、歩行者は右側デッキから降りなければならなかったのに、アナウンスも不親切で大勢の外国人観光客につられてその後にくっついて、左側に並んでしまった。降り場所を間違えたおかげですべての車が降りた後、いちばん最後に下船することになってしまった。
 港には、立派なまだ新しいように見える待合室や発券場や土産物店などが入った建物があるが、そんなのに気を使っている暇はない。混雑の中をフェリーを下船すると、今度はバスの乗り場を探さなければならない。下船場から離れたところに留まっているバスに乗り換えて島の東側へ向かうが、そのバスが小さなバスでぎゅうぎゅう詰めの超満員状態だったので、とても写真など撮る余裕もなかった。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度27分10.17秒 133度58分25.20秒
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dendenmushi.gif四国地方(2018/10/12 訪問)

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1591 鶴石ノ鼻=香川郡直島町(香川県)またきたよ宇野港から今度は直島航路に乗り換えて [岬めぐり]

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 直島の最西端で製錬所の西はずれの施設からすぐ南にある鶴石ノ鼻と、宇野港の南の端で小さく丸く出っ張っているナキンダ鼻との間は、1.9キロしか離れていない。
 宇野港には、これまでも岬めぐりで何度かきていて、港周辺のナキンダ鼻や高辺鼻については、2009(平成21)年の訪問時にそれぞれ項目をつくってあげていた。

 470 ナキンダ鼻=玉野市宇野(岡山県)宇高連絡船『紫雲丸』を知っていますか?

 472 高辺鼻=玉野市築港五丁目(岡山県)香川県は目の前500メートル先に

 この高辺鼻の項を見ると、小さな浮き桟橋越しに岬が写っているが、この小さな浮き桟橋が、その当時には直島航路の発着桟橋であった。そこはJR宇野駅からまっすぐ南へちょっと歩いたところで、小さな連絡船の利用者もまばらであったような記憶があった。
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 それから10年が経って、宇野港のフェリーや客船の乗り場は、大きく変化したようだ。鶴石ノ鼻を後にして宇野港に入った土庄からのフェリーを降りて、ここで直島行きの船に乗り換える。
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 宇野は盲腸のような宇野線とはいえ、一応鉄道の始発終着駅であるし、かつては宇高連絡船の乗り場として、岡山と四国を結ぶ重要な拠点となってきたが、今ではほとんどの車や人は、四国に渡るのに瀬戸大橋を利用するので、その名もだんだん忘れ去られ、往年の知名度はなくなっていく。
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 もともと市の名前は玉野市で、宇野はその字地名のひとつに過ぎない。フェリーなどの乗り場があるところは玉野市の宇野で、三井造船があるところは玉野市の玉。玉野市が誕生したのは、1940(昭和15)年で、児島郡の宇野町と日比町が合併してできた。玉野という市の名は、日比町の中心地区名の「玉」と、宇野町の「野」を組み合わせて命名されたものだ。
 宇野が出身地といういしいひさいちが、朝日新聞に連載している「ののちゃん」の名は、ひょっとするとその玉野の宇野という地名が関係しているのかも知れない。
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 フェリー乗り場近くの道路ぎわに立つ築港商店街の「ののちゃんの街」看板には、「ののちゃんち」ともちゃんと記されていて、地域振興に一役買っているようだ。この漫画家のことについては、別の項目でもとりあげていた。

 939 童崎=玉野市田井5丁目(岡山県)玉野市の宇野は「ののたま市」の「ののちゃん」を描いている漫画家の出身地で…

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 JRの駅からは少し西へ離れた港のひらけたところに、小豆島、直島、高松などのそれぞれの航路の発着場が移動しているし、待合室もある乗り場の建物も独立してある。それより何より、人の多さ。
 直島航路の乗り場の周辺は、大勢の人でごった返していた。特に外国人観光客の姿が目につく。その多くはTシャツに短パンにリュックといったいでたちの人々だ。欧米系の人とアジア系の人が入り混じっている。
 そんな乗客をたくさん乗せて、赤い水玉模様のフェリーが向かうのは、直島の西海岸にある宮浦港で、その途中に鶴石ノ鼻を左手に見ながら南下して行く。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度28分31.33秒 133度57分55.00秒
スクリーンショット 2019-06-10 11.46.33.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/12 訪問)

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1590 獅子渡ノ鼻=香川郡直島町(香川県)石庭でも有名な「虎の子渡し」をすぐに連想してしまうが… [岬めぐり]

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 直島の早崎と獅子渡ノ鼻、その南に続く鶴石ノ鼻については、2009年の宇野訪問のときに、宇野港の岸壁にある直島行きの船が出る桟橋から眺めたところで、まとめて項目をつくっていた。

471 早崎・獅子渡ノ鼻・鶴石ノ鼻=香川郡直島町風戸(香川県)なんで直島なんかへわざわざ…?

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 獅子渡ノ鼻といえば、龍安寺の石庭でも有名な、「虎の子渡し」をすぐに連想してしまう。実際に同じ意味で「獅子の児渡し」と称している庭園もあるようだが、それは少数派であろう。中国の説話からきたというこの話には、さまざまな亜流があって、似たような話を読んだか聞いたかした人は多いはずである。
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 虎が子を3匹生むと、どういうわけかその中には必ず豹が1匹いて、そいつは隙あらば他の2匹を食おうとするので、母親の虎は川を渡る際に子を彪と2匹だけにしないよう子の運び方に苦慮するという、あの話だ。転じていろいろやりくりに苦労する意味もあるというが、この場合の正解は、母親虎はまずはじめに豹を対岸に渡す、というところがポイントになる。
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 獅子渡ノ鼻の名の由来が、この説話とどこかで繋がっているのか、それともまったく関係がないのか、それもよくわからないが、灯台のある東の早崎と土の露出面が目立つ獅子渡ノ鼻の間の距離は、200メートルちょっとしかなく、トラにしろシシにしろ、子を連れて渡るにもムリのない間隔と言える。もっとも、ここでは単に獅子渡であるから子を連れているかどうかもわからない。
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 獅子渡ノ鼻の西には、葛島という無人島が南北に伸びていて、その向こう側は玉野市の玉で、そこには三井造船の造船所がある。それを左手に見ながら、フェリーは宇野港を目指して行く。
 三井造船の発祥の地として玉野の造船所が開業したのも1917(大正6)年のことで、奇しくも三菱の直島製錬所と同じ年である。その当時のこの付近の盛り上がり方は、相当なものだったことだろう。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度28分42.29秒 133度58分8.75秒
スクリーンショット 2019-06-07 7.54.42.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/12 訪問)

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1589 早崎=香川郡直島町(香川県)直島製錬所の前にある禿山で禿島の寺島の先に低い灯台がある小さな岬 [岬めぐり]

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 当初、豊島にすげなく断られた結果、直島に置かれることになった製錬所は、後にその豊島との浅からぬ縁が双方ともに予想もしない形で復活することになる。
 豊島の産廃事件については、后飛崎のところで触れていた。

1581 后飛崎=土庄町豊島家浦(香川県)あの豊島産業廃棄物事件の現場はここだった

 このとき、残された産廃の処分にあたっては、直島の三菱マテリアルに船で運ばれて処理されたというのだ。このあたりの経緯については、当の三菱マテリアルのサイトで、以下のように記していた。

1990(平成2)年、直島に隣接する豊島で、16年間にわたり産業廃棄物が不法投棄されていたことが判明しました。直島製錬所は、香川県が行う産廃中間処理のための土地・製錬所インフラ・従業員の出向等を含む全面協力を決定。さらに、処理後の残渣を製錬原料として再利用するリサイクル事業を開始しました。
これをきっかけにリサイクル事業を強力に推進し、現在では廃棄物処理に留まらず、有償で購入する廃基板類(金銀滓)処理を操業上の重要な柱と位置付け、百周年を迎える2017年の世界トップ到達を目標に掲げ処理量を増やしています。

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 その後2017年の「直島製錬所創業100周年のお知らせ」というプレスリリースによれば、「近年ではリサイクル分野にも注力し、11万トン/年の金銀滓(E-Scrap)※2処理能力を持つに至っています。当社全体では、グループ企業である小名浜製錬株式会社と合わせて、約14万トン/年(従来比+約3万トン)と世界最大の処理能力を有し、今後とも有価金属の回収・再資源化事業の拡大を図っていくこととしております。」としている。
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 最初に精錬所の設置を拒まれた豊島で産廃事件が起き、その産廃処理のために、豊島から引き取って始めたリサイクル事業がきっかけとなって、事業の大きな柱の一つになっていったというのも因縁を感じさせる。
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 三菱マテリアルの直島製錬所の中心部は、寺島という禿山の奥にある。
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 寺島の禿山をぐるりと回り込む水路がって、そこが風戸港という港になっている。
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 ハゲ島の北西側に細長く突き出したところがあって、その先端部が早崎となっている。
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 早崎の先の付近でこそ少しは緑もあるが、寺島の全体は禿山なので、製錬所の玄関口がこれではイメージが良くないということだろうか。寺島では植林の試みも行なわれているらしい。
 早崎の先端には低い灯台もあって、その西側には次の岬である獅子渡ノ鼻も、玉野の造船所も見えてくる。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度28分49.17秒 133度58分20.13秒
スクリーンショット 2019-04-13 10.59.53.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/12 訪問)

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1588 重石ノ鼻=香川郡直島町(香川県)赤茶けた三菱マテリアル直島製錬所の中にある小さな岬 [岬めぐり]

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 いまでこそ都道府県の名前とその線引きは、確固不動のように思えるが、明治の廃藩置県の当初には、それは大きく揺れ動いていた。香川県の直島は、岡山県の目と鼻の先にあり、岡山寄りに食い込んでいるようにも見えることや、昔から境界をめぐる争いがあったこと、現在でも境界未定のところがある場所だということは、前にも触れたが、今度は直島が所属した県の変遷をみてみよう。
 1868(明治元)年の廃藩置県のときには、倉敷県ということになっていた。それから3年後には丸亀県になって、その後香川県になるが、3年も経たないうちに名東県(みょうどうけん)になっている。ほとんどの人は、そんなん聞いたことがないと思うはずだが、名東という名の町はいまも徳島県にあるという。名東県は阿波と讃岐と淡路をひっくるめたような県だったらしい。
 それがまた2年後には再び香川県になり、なったかと思うとまたその翌年には愛媛県になって、それは10年くらい続いたが、1888(明治21)年にまたもどり、三度目の正直でやっと香川県に落ち着いたものだ。
 明治維新の混乱と大変さを垣間見るような話である。
 直島村が直島町になったのは、1954(昭和29)年のことであるが、この島と三菱の製錬所との縁は古く長い歴史をもっている。直島村だったこの島の、集落とは離れた北の端で、三菱合資会社の中央製錬所が操業を始めたのは、1917(大正6)年のことだった。
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 当時は、瀬戸内海沿岸には銅を産出する鉱山もいくつかあった。できるならその鉱山の近くで精練するのが望ましいが、その作業には亜硫酸ガスの排出を伴う。その頃には公害という言葉は誰も知らなかったのだろうが、足尾や別子などではすでに問題が起こっていた。
 なるべく煙害の影響を少なくしようと、瀬戸内海では犬島、四阪島、契島などの島々に製錬所が置かれるようになった。三菱も当初は豊島に目をつけて交渉をしていたが、豊島は受け入れなかった。そこで、それではとその隣の直島村と当時最新技術を駆使して煙害を防止することなどを条件に交渉を始め、直島では村興しのためになるならと製錬所設置を認めこれを受け入れたものだった。
 現在は、巨大な煙突?が目印にもなっている三菱マテリアル直島製錬所として、直島北部一帯で操業を続けているが、その事業内容も銅の精練から産廃処理やリサイクルなどに変化してきているようだ。
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 小豆島の土庄港を出て、岡山県の宇野港に向かっているフェリーは、無人島の間をぬうようにして重石ノ鼻に近づいていくが、それに連れてあたりの風景が一変する。
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 一様に赤茶けたままで、山にもほとんど緑はないように見えるが、これは煙害のせいというより山火事のせいであるという。だが、煙害も大いに影響があってのこの景色なのであろう。
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 重石ノ鼻は、広い製錬所の敷地内の北東部に出っ張っている岬だが、ほんの小さな出っ張りの周囲には、何かの貯蔵タンクのようなものが何基も並んでいる。
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 フェリーからその景色を眺めながら、岬の北を西へ進んで行く。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度28分35.30秒 133度58分56.74秒
スクリーンショット 2019-04-13 10.59.21.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/12 訪問)

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タグ:香川県
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1587 ヘラガ崎=玉野市石島・香川郡直島町(岡山県・香川県)両県の県境が未確定のままです [岬めぐり]

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 井島の山火事は、島のほぼ全域に影響が及んでいたようで、西海岸に回ってみても、その回復しきっていない焼けた山肌が痛々しい。養殖の筏が並ぶ井島の西海岸で、その先端にあるのがヘラガ崎で、ここが井島の西の端になる。
 井島井島と書いてきたのは、島の南西から眺めているので、見えている部分の島はすべて井島だからだが、これは香川県側の名前で、北部3分の1を占める岡山県側の呼び名は石島。そして、この両県の県境がヘラガ崎付近を通っているはず…。
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 ところが、地理院地図では、105メートルのピークから、西へ下っていく県境の線が示されているが、その線は断崖の海岸に降りる前に、山の斜面の途中で消えている。
 実は、ここは県境が確定していない未確定の場所として残されたままになっている。この付近では古くから境界線をめぐる経緯があったことは、前にも書いたが、その流れが影響してのものだろうか。
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 ヘラガ崎は、ちょっと北向きにしゃくりあげた断崖は、県境の北側に位置しており、地理院地図の表示ではそこは「岡山県玉野市石島」となっている。そこから少し南に下ったところでは「香川県直島町」と表記が変わる。その厳密な区分けのラインが、この断崖の海岸線のどこに引かれるかは、まだわからないというわけだ。
 多くの例では、こうした境界線が岬を利用して引かれているので、ここのケースでもヘラガ崎そのものが県境の線引きを分けるという可能性もある。現に井島を曲がりながらも東西に横断する県境の東側は、戸尻鼻を通っている。そこで、この項ではヘラガ崎は岡山県と香川県の両県にまたがるという解釈をしておいた。
 ヘラガ崎の北側遠くに見えるのは、岡山県玉野市沼で、出崎の半島である。ここも以前に書いていた項目があった。
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 この出崎とヘラガ崎の間の海域にも、県境は引かれるはずなのだが、ここも2キロ以上にわたって境界線の表示が途切れている。境界未定は陸地だけでなく、海も含んでのことらしい。
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 さっとまっすぐ線を引いても大差ないように思うが、それができないのは、この海域に何か線引きを左右するような重大な要素が隠されているからなのだろうか。なんならもう一度、樽でも流してみますか?
*DSCN0629.JPG

▼国土地理院 「地理院地図」
34度29分55.97秒 134度0分28.41秒
スクリーンショット 2019-04-13 10.58.21.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/12 訪問)

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1586 荒崎ノ鼻=香川郡直島町(香川県)国立公園の第一号は備讃瀬戸を対象とした瀬戸内海国立公園だった [岬めぐり]

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 岡山県と香川県の間に広がる備讃瀬戸は、日本で最初に国立公園に指定された地域である。1934(昭和9)年の国立公園第一号指定は瀬戸内海国立公園のほか雲仙と霧島の三か所で、富士も箱根も日光も入っていなかった。
 現在の瀬戸内海国立公園の領域はぐんと広がっているが、最初の指定時の範囲はこの備讃瀬戸一帯のみで、それこそが瀬戸内海そのものだったわけだ。
 今でこそ瀬戸大橋というわかりやすい目印もあるけれど、ただ広く広がる海とそこに点在する島々の景を、まとめて国立公園の第一号に指定したのは、なかなかの慧眼で大きな視野があってのことだったろうと思われる。ちなみに雲仙や霧島は温泉や神話伝説といったポイントがあった。
 この備讃瀬戸の真ん中付近で、少し岡山寄りに集まっているのが、直島諸島と呼ばれる27もの島々である。そのうち人が住んでいるのは直島、向島、家島、牛ケ首島、屏風島の5島のみで、残り22島は無人島。無人島がそんなにたくさんあるのか、と思うが数え直してみるまでもあるまい。
 歴史的にみると、ここでもいくらかの変遷があって、男木島や女木島もひっくるめられたり、小豆島地域の一部であったこともあるようだ。もともとこの辺りは備前の勢力が及んだり、幕府の直轄地になったりした経緯も絡んで複雑なのだ。
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 荒崎ノ鼻は、この有人島のひとつである向島の北東端にあたる。フェリーが鞍掛ノ鼻を右手にみる頃から、その進行方向正面に見えてくるのが向島でその奥に連なる山々は直島である。
 本島である直島の本村の向かいにある「むかえじま」。同じ漢字表記で同じ意味の尾道の場合は「むかいしま」。東京にある地名は「むこうじま」。こちらの「むかえじま」は、有人島とはいえ人口は十数人でしかないらしい。地図で見ても集落らしい集落もなく、建物がいくつか島の二か所でみられるくらいで、荒崎ノ鼻の周辺もまったくの無人地帯になっている。
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 すでに植生が茂って崖が崩れた跡のようにも見えるところを覆っているが、岬の東側には岩石の露頭も多くある。あるいはかつて採石場があったのかもしれないが、確かなことはわからない。
 鞍掛ノ鼻と荒崎ノ鼻の海峡をフエリーが北西へ進路をとると、家島との間から直島北部を占めている三菱マテリアルの銅製錬所の一帯も視界に入ってくる。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度28分15.65秒 134度0分34.51秒
スクリーンショット 2019-04-13 10.57.37.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/12 訪問)

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